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☯映画解放区コミュの『チャップリンの独裁者』 (1940年)

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監督: チャールズ・チャップリン
制作: チャールズ・チャップリン
脚本: チャールズ・チャップリン
撮影: カール・ストラス、ローランド・トザロー
編集: ウィラード・ニコ
音響: パーシー・タウンゼンド、グレン・ロミンガー
音楽: チャールズ・チャップリン
音楽監督: メレディス・ウィルソン

出演:
 チャールズ・チャップリン (独裁者ヒンケル/床屋)
 ポーレット・ゴダード (ハンナ)
 ジャック・オーキー (ナパロニ)
 ヘンリー・ダニエル (ガビッチ)
 レジナルド・ガーディナー (シュルツ)
 ビリー・ギルバート (へリング)
 モーリス・モスコヴィッチ
 エマ・ダン
 バーナード・ゴーシー
 ポール・ワイゲル
 グレース・ヘイル

コメント(9)

 この作品が語られる際、最後の演説が熱狂的に支持される傾向があります。その事を、余り好ましいとは思いません。寧ろ、あの演説に対しては否定的でさえあります。内容と手法が、あからさまなプロパガンダになっていたからです。ただ、チャップリン自身も、その事を自覚していたのではないかと思われる節があります。それは、独裁者ヒンケルによる最初の演説でさえ、“世界平和”を謳ったものであるという点です。このヒンケルの演説と最後の床屋さんの演説は、一対のものと考えられ、演説自体の意味合いを意図的に相殺しているように思えました…。
 先ずは、音楽や、ハンナのセリフ「Listen!」について…。

 最後のシーンで流れていたワーグナーの歌劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲は、独裁者ヒンケルが地球儀の風船と戯れるシーンでも使用されていました。風船が割れた直後のシーンが、ブラームスの「ハンガリー舞曲」による髭剃りのシーンです。共に音楽と身のこなしを調和させたシーンで、このようなシーンを敢えて続けて繋いでいる点には、何か意図的なものを感じさせます…。
 ハンナのセリフ「Listen!」は、全部で3回ありました。最初は、ヒンクルのラジオ演説を聞き、急遽デートを中止して帰宅したハンナが、床屋さんへラジオを消すように促した後です。ハンナの「Listen!」の直後、突撃隊の歌声が聞こえてきます。ユダヤ人への迫害が始まった知らせでした。2回目は、シュルツ逮捕の号外で、通りが騒がしくなり始めた時です。ハンナの「Listen!」の直後、通りから「床屋を殺せ!」という叫び声が聞こえてきます。今度は、自分たちへの迫害の始まりでした。そして、最後のシーンでの「Listen!」です。そこで聞こえて来たのが、「ローエングリン」第1幕への前奏曲でした。ヒトラーがワグナーを偏愛していたのは有名ですが、劇中、ヒンケルがパレードするシーンに、ロダンの「考える人」やミロの「ビーナス」が敬礼のポーズに模造されていた事とも関係がありそうです。芸術の才能は神から人へ与えられたもので、権力者がそれを支配してはならず、また容易に支配できる物でもない!という芸術家としてのチャップリンの強い意思が感じられます。
 デイヴィッド・ロビンソン著の「チャップリン」(宮本高晴・高田恵子訳/文藝春秋)から、第15章(『独裁者』)の部分を簡単にまとめたので載せておきます。

 『独裁者』へは助手として参加する事になる作家のダン・ジェイムズ。彼が初めてチャップリンと会ったのは、1938年9月末。その頃、ファシズムを題材にした次回作のアイディアが、二人の間で交わされていたと言います。その後、ダンは3ヶ月間、毎日ビバリーヒルズのチャップリン邸へ通い、チャップリンのプロットやギャグのアイディアをノートしていく作業に入ります。その内容は、撮影所のキャスリーン・プライアへ時おり口述され、それを改めてノートに起したものが今でも残っています。その最初の日付は、1938年10月26日。『担え銃』からの続きを思わせる設定で、負傷したユダヤ人兵士たちがゲットーへ帰還するシーンから始まり、出迎えのいない“ちびのユダヤ人(チャップリン)”が、寂しさ紛れに街灯へ抱きつくギャグや、インフレの設定で、籠いっぱいの紙幣を使った買い物のギャグなども予定されていました。その中には、『ライムライト』で見られたノミのサーカスも…。独裁者ヒンケルには妻がいる設定で、実際に登場するシーンも具体化されていました。12月13日には、ストーリーの殆んどが固まり、翌1939年1月16日からは撮影所内のバンガローへ場を移し、そこで毎日脚本会議が行なわれます。その脚本の完成は、9月1日。その量、約300ページ。通常の2〜3倍はあったようで、その量からは詳細に書かれた脚本であった事が窺えます。9月6日にはリハーサルが始まり、9月9日が撮影の初日です。先ずは、ゲットーのシーンから…。撮影は、10月末迄が床屋さんのシーン、11月からは戦争のシーン、12月からはヒンケルのシーンという順序で行なわれました。地球儀のシーンの撮影は12月21・22・23日の3日間を費やして行なわれ、更に、翌1月6日・15日にも撮り直しの撮影が行なわれています。このシーンは、1939年2月15日付のストーリー・ノートでは“地図のシーン”とあり、ヒンケルがハサミを使って好きなように地図を切り取るイメージがあったようです。音楽も、当初は「ローエングリン」ではなく、グリークの「ペールギュント」が予定されていました。1940年2月半ばには撮影所での撮影が終了し、その後、ロケ地のマリブ湖へ。冒頭の第一次大戦中のシーンと、ヒンケルが鴨撃ちに出掛けて逮捕されるシーンの撮影。今では幻となってしまった当初の結末も、この時に撮影されています。3月末には主なシーンの撮影が終了し、あとは演説のシーンを残すだけでした。演説の草稿は、編集作業の合間に4月から練られ、撮影は6月24日に行なわれています。その後も、取り直し・編集・再編集・録音・再録音・音入れ・音入れのやり直しが、何週間も繰り返され、漸く、完成版のプリントが出来上がったは、9月1日。早速、その日にチャップリンは親しい友人を招いて試写を行なっています。9月4日、更にフィルムに手が加えられて試写。翌5日の試写の後、映画のテンポをスピードアップする為に、チャップリンは再度編集作業に入ります。加えて、一部撮り直す為に、ゲットーのセットを作り直させます。撮影は10月2日まで行なわれ、10月15日のプレミア上映の直前まで、フィルムの手直しは続いたそうです。完成されたフィルム1万1628フィート(126分)に対し、撮影に要したフィルムは、その41倍の47万7440フィートもありました。

 ここで着目しているのは、一応の完成を見た1940年9月5日以降に、再度の撮影と編集に入っている点です。その理由が、“スピードアップ”とあります。この作品の最大の魅力はテンポの良さだと思っているのですが、どのようにしてそれが可能だったのかは、未だに課題です。
 チャップリン初完全トーキー作品というだけあって、サイレントでは真似出来ない“音の演出”が印象的でした。前述したハンナの「Listen!」も、音の源を敢えて映像では示さず、観客の想像力に任せています。サイレントが映像から音を連想させる事が出来たように、トーキーもまた音によって映像を連想させる事が出来るという訳です。特に印象に残ったのは、2度目の「Listen!」の後、床屋さんとハンナが屋上へ逃げて行くショットで、最後に映し出された《鳥籠》です。それ自体は自由を奪われたユダヤ人を示す隠喩と思われますが、それへカメラが寄り、静止してからのかなり長い時間と、そこへ被せた“音の演出”は、トーキーならではの試みだったと思います。背筋が寒くなるような世界が、音によって立派に表現されていました。勿論、この“音の演出”も、伏線となる映像が事前にあって、初めて成立させる事が出来る訳です。例えば、洗濯物を届けに行くハンナが敷地内から颯爽と表へ出て来る場面には、軽快な曲が挿入されていました。この曲自体が伏線という訳ではありませんが、この曲を直ちに終わらせて、暫しの“無音”を作り出していた点に伏線への巧みな一呼吸を感じさせます。その直後、《突撃隊の歌声》が静かに聞こえて来ます。突撃隊は角を曲がって姿を現すと、何の躊躇もなく歌の拍子に合わせて窓ガラスを叩き割るのですが、その横暴な振舞いと、ガラスの割れる音のインパクトが、鳥籠のショットへのささやかな伏線となっていたように思います。映像+《突撃隊の歌声》→《ガラスの割れる音》です。更に、最初の「Listen!」の際に聞こえて来る《突撃隊の歌声》。この歌声と共に、→《ガラスの割れる音》→《女性の悲鳴》→《発砲音》と続け様に入ります。また、表へ飛び出した床屋さんとハンナの前を、慌てて逃げて来る人々の姿と、その靴音。そこへ、再び《突撃隊の歌声》が重なって聞こえて来ます。角を曲がって姿を現した突撃隊が発砲しながら手前へ迫って来る様子や、大声で泣き叫ぶハンナ。八百屋の大八車をひっくり返して進む突撃隊の無秩序な振舞いや、敷地の扉がいとも簡単に破られてしまう様子などからも、《鳥籠》への伏線を思わせます。それに、神をも畏れぬガビッチの冷やかなキャラクターからも…。
 映し出されていない映像へ観客の想像力を及ばせる試みは、鳥籠のショット以外でも見られました。例えば、ヒンケルとナパロニが観覧する軍事パレードのシーンです。彼らが目にしているパレードの様子は一切画面上には映し出されません。それでも違和感を感じさせなかったのは、鳥籠のショット同様、伏線となる映像が事前に散りばめられていたからなのでしょう。例えば、独裁者ヒンケルが最初に行なった演説のシーンで、ヒンケルの背中越しに大衆の姿が数度映り出されます。それから、ヒンケルの肖像が施されたモニュメント時計の遅れをナパロニが指摘するシーンでも、来賓を大歓迎する大衆の様子が映し出されます。これら大衆を映し出すショットは、演壇や要人席を真正面から捉えたカメラ位置と、⇔正対する位置関係にありました。これによって、軍事パレードを直接映し出さずとも、正面から人物の動きだけを映し出す事で、正対するパレードの様子を違和感無く想像させる事が出来たのでしょう。他にも、第一次大戦で負傷した床屋さんが病院のベッドへ運ばれるシーンにオーバーラップする凱旋パレードの映像や、捕らえられた床屋さんが収容所で行進の訓練を受けている映像も、伏線の一端を担っていたと思われます。そもそも、この作品が戦場シーンから始まっていたインパクトも、多少の影響を及ぼしていたようです。

 演壇や要人席に対して⇔正対する位置関係というのは、画面の手前。つまり我々観客の背後、と言いますか…。観客がそこに存在しない事を前提とした空間という事になります。要するに観客は、亡霊のように劇中を漂い、俗に“神の視線”と呼ばれる画面を眺めている訳です。この“神の視線”が、最後の演説の途中で、劇的に“観客自身の視線”へと変化します。チャップリンのカメラ目線によってです。その時のセリフが、『新約聖書』の“ルカ伝第17章21”からの引用であった事は、さて置くとして…。演説の内容が政治思想のプロパガンダになっていたので、結果として行過ぎた映像表現となっていましたが、やり方次第では面白くなる試みだと思います。例えば、ジャン=リュック・ゴダールの『気狂いピエロ』(1965年/仏=伊)では、振り向いたジャン=ポール・ベルモンドが、突然、観客へ話しかける似たような試みがありました。勿論、ギャグではなく、目の前の画面を瞬時にして“観客自身の視線”へと変化させる事で、《映画との関係》を観客へと問う試みだったような…。記憶が曖昧なので、いずれ改めて確認してみます。
 神をも畏れぬガビッチのキャラクターに対して、シュルツのキャラクターは可なり好意的に描かれていました。第一次大戦と第二次大戦とでは、“戦争の質”が変化したとよく言われていますが、その辺りの事情も、この二人のキャラクターの違いに示されています。第一次大戦のシーンで、床屋さんに命を救われたシュルツが、逆さまに墜落しながら恋人(?)のヒルダを思うセリフなどは、シュルツの性格付けと同時に、その後に始まる第二次大戦との“質”の違いを感じさせます。ゲットーへ逃亡してきたシュルツの荷物などからも、それとなく窺われました。ジャン・ルノワールの『大いなる幻影』(1937年/仏)でも描かれていた、失われてゆく時代の余韻のようなものです…。ヒンケルの黒幕がガビッチであったように、最後、床屋さんの黒幕として“LIBERTY”の階段を上るシュルツの存在は、いかにも象徴的でした。このように、ガビッチとシュルツのキャラクターを対比させながらも、シュルツを好意的に描いている点からは、少なくとも第一次大戦に対する否定的な印象は見受けられません。冒頭の戦闘シーンで、チャップリン自身が機関銃を敵に向けて放っていた様子からも、この作品を《反戦映画》と位置付けるには議論の余地がありそうです。
 もしも、この滑稽劇の中にリアリズムを求めようとすれば、最後の演説の後で、床屋さんの身に降り掛かるであろう運命は、容易に想像が付くでしょう。ハンナへの励ましの言葉は、死を覚悟した床屋さんの、愛するハンナへ宛てた最後の告白という事です。そう言えば、逆さまに墜落していく時に、機内で死を覚悟したシュルツが抱いていたのも、愛する人への想いでした。つまり、《死を覚悟》→《愛する人への想い》。まるで、その運命を悟ったかのようなハンナの不穏な表情が画面に映し出されます。最後の最後、フェードアウトしていく画面に、漸くハンナの表情は輝く訳ですが…。

 この作品には“神の視点”が存在していました。“神の視線”ではなく、今度は“神の視点”です。劇中、最も人間として正しいと思われる生き方をしていたのは、ハンナでした。彼女は、最も救われなければならない存在です。ラストシーンは勿論の事、そのことが相当に意識されていました。改めて、神との関わりに着目しながら見てみると、発見があると思います。例えば、巨大な大砲が登場する冒頭のシーンで、不発弾が床屋さんを追い駆け回しますが、その砲弾がそもそも標的としていたものは、ノートルダム寺院でした。つまり、砲弾をクルクル動かしていたのは、神のご意思という訳です。床屋さんがハンナの無い髭を剃ろうとしたシーンでは、ハンナの信仰が語られていました。その後、ジャガイモを買いに出たハンナが蹴躓き、通りかかった突撃隊から親切を受けますが、その時の独り言は、まるで神と語らうような目線でした。最後の演説のシーンで、床屋さんが背にしていた建物は、おそらく教会(寺院)だと思われます。床屋さんが演説の途中で、キリッとカメラ目線になった瞬間のセリフは、『新約聖書』の“ルカ伝第17章21”からの引用で、「神の王国は人間の中にある。君の中にも…」と続いていました。要するに、最後の最後の、あの輝かしいハンナの笑顔は、神の王国がハンナの心の中に芽生え始めた瞬間を捉えていたという事なのでしょう。飽く迄も、これは一つの解釈です…。
 “ペンは剣よりも強し” (“The pen is mightier than the sword”)という英国の格言があるそうです。劇中のペンは、ことごとく使い物にならず、ヒンケルは激怒していましたが、この格言を拝借してチャップリンがマスコミを批判しているようにも映りました。ヒンケルがオスタリッチを巡ってナパロニと大喧嘩になるシーンでも、部屋の中を覗き込もうとした新聞記者の顔へはクリームが投げ付けられます。当時、チャップリンが一番激怒していたのは、どうやらマスコミの体たらくだったようです。因みに、この大喧嘩のシーンでは、食卓の料理が兵器と化していきます。途中、二人の独裁者が悶絶する原因は“マスタード”でしたが、ドイツで開発された“マスタードガス”に引っ掛けたものと思われます。
 コメディーとサスペンスは紙一重です。その事は、爆弾テロの実行犯を選ぶプディングのシーンや、逃亡中の床屋さんとシュルツがオスタリッチ国境でトメニア兵と遭遇するシーンからも理解できます。前者は、ハンナに阻止するアイディアがある事を、事前に観客へ知らせていたので、ロシアン・ルーレットのようなサスペンスフルなシーンにはなりませんでしたが、もしも知らされていなければ、サスペンスにも成り得たシーンでした。後者も、ヒンケルがオスタリッチへの侵攻を、国境付近で鴨撃ちしながら待つ予定が事前に明かされていたので、国境付近のトメニア兵が床屋さんを見て引き返して来ても、我々観客は安心して笑っていられた訳です。要するに、観客へは状況の全てが事前に知らされた上で、画面上の人物だけが知らされていない場合では、コメディー。観客も、画面上の人物同様に状況を知らされていない場合では、サスペンス。こんな感じでしょうか…。

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