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☯映画解放区コミュの『國民の創生』 (1915年)

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監督: D・W・グリフィス
原作: トーマス・ディクソン ("The Clansman”)
脚本: D・W・グリフィス、フランク・E・ウッズ
撮影: G・W・ビッツァー
衣装: ロバート・ゴールドスタイン
伴奏音楽: ジョセフ・カール・ブレイル

出演:
 スポッティスウッド・エイケン (キャメロン家の父:キャメロン博士)
 ジョセフィン・マーシュ (キャメロン家の母)
 ヘンリー・B・ウォルソール (兄:ベン・キャメロン大佐)
 ミリアム・クーパー (姉:マーガレット)
 メエ・マーシュ (妹:フローラ)
 J・A・ベリンガー (弟:ワイド)
 マックスフィールド・スタンリー (弟:デューク)
 ラルフ・ルイス (ストーンマン家の父:オースティン・ストーンマン議員)
 エルマー・クリフトン (兄:フィル・ストーンマン大尉)
 ロバート・ハーロン (弟:トッド)
 リリアン・ギッシュ (妹:エルシー)
 メアリー・オールデン (ストーンマン家の家政婦:リディア・ブラウン)
 ジョージ・シーグマン (混血の指導者:サイラス・リンチ)
 ウォルター・ロング (裏切者の黒人:ガス)
 ウォレス・リード (鍛冶屋:ジェフ)
 ジョゼフ・ヘナベリー (第16代大統領:エイブラハム・リンカーン)
 ドナルド・クリスプ (北軍総司令官:グラント将軍)
 ハワード・ゲイ (南軍総司令官:リー将軍)

コメント(10)

 まずは、冒頭、奴隷制度廃止論者の集会の場面から。

●集会所
→A-《集会所内の全景(参加者の背後から壇上まで、やや俯瞰)》
 ・座席に着く女性。
  ※奥行きのある構図。
→B-《壇上の演説(やや煽りのニーショット)》
 ・演説者が、傍らに座っている黒人男性の肩へそっと手を置く。
→C-《座っている参加者たち(やや俯瞰)》
 ・右手を口元へ近付ける動作の女性など、5〜6人。
→A-《再び、集会所内の全景》
 ・支援者らしき男性が黒人少年を連れて、前方から歩いて来る。
 ・拍手する参加者たち。
→D-《支援者らしき男性と黒人少年(ニーショット、アイリス)》
  ※アイリスを使って被写体を絞って見せている。まるで写真のように静止している二人。
→A-《再び、集会所内の全景》
 ・黒人少年が後方へ下がり、支援者らしき男性が寄付を募っている様子。


 トーキーであれば、カットとカットの合間は、演説者の声や音声で埋め合わせる事が可能なのでしょうが、サイレントなので、その辺りは若干不明瞭なままです。しかし、単なる集会の様子を説明しただけの映像とは言い難く、どうやら、D・W・グリフィスなりの計算があったように思えます。例えば、A→B→C→A→D→Aという、カットAを基点とする小気味好い編集に着目してみます。
 集会所内の全景を捉えたカットAの合間に、人物を捉えたニーショットのカットB〜Dが連なっていました。広い空間と、その中の限定された被写体に分類すれば、こうなります。
   A→B→C→A→D→A ⇒ 広→狭→狭→広→狭→広

 これを、カメラと被写体との距離に置き換えれば、こうなります。
   A→B→C→A→D→A ⇒ 遠→近→近→遠→近→遠

 必然的に、映し出された人物の大きさにも影響してきます。
   A→B→C→A→D→A ⇒ 小→大→大→小→大→小

 一転して、カットの長さに注目してみます。2秒以内のカットと、3秒以上のカットが互い違いに連なっていました。
   A→B→C→A→D→A ⇒ 短→長→短→長→短→長

 更に、画面内のアクションにも注目してみます。カットD以外には、何らかのアクションが含まれていました。具体的には、《A−女性の着席》→《B−演説者が黒人の肩に手を置く》→《C−女性が右手を口元へ近付ける》→《A−参加者の拍手、支援者と黒人少年の歩行》→D→《A−支援者が寄付を募る様子と黒人少年の後退》。カットDだけは、スチール写真を思わせるような静止した映像でした。この“静”のカットの挿入には、やや唐突な印象を抱かされます。ところが、それ故に、アクセントとしての効果が発揮されていました。

   A→B→C→A→D→A  ⇒  動→動→動→動→静→動


 ↑以上の場面は、ある人物が、向かい合う人々へと何かを働き掛ける設定なので、様々に応用が利きそうです。例えば、転校生を紹介する担任教師と生徒、商品を紹介する店頭販売員とお客、夕食の配膳をする母親とお腹を空かせた子供たち、等々。何も、ありきたりな状況設定にこだわる必要は無いのでしょうが…。それよりも、被写体との距離感や、カットの長短を意識する事の方が重要に思います。たとえ、どのような状況を選択しようとも、焦点はカットDです。このカットへ、どんな画を持って来るのかがカギでしょう。
 続いて、オースティン・ストーンマン(ラルフ・ルイス)と、その娘のエルシー(リリアン・ギッシュ)の登場場面です。

●エルシーのアパート
→A−《椅子に腰掛けているオースティンと、父の付け毛を気遣うエルシー(室内の全景)》
 ・2人の侍女が後方へ下がる動きに連動して、エルシーがオースティンの背後へ移動。
  ※侍女の動きによって、フレームの外側にも空間が存在しているような広がりを持たせている。
→B−《父と娘が手を取り合って語らう様子(ミディアムショット、アイリス)》
 ※カットAからのポン寄り。繋がりの無いジャンプカット。


 《侍女の動きから始まる全景のカットA》→《ポンと寄ったカットB》への繋ぎ方は、集会所の場面で、《着席する女性の動きから始まる全景》→《演説者》へのポン寄りと同様のやり方でした(広→狭、遠→近、小→大)。また、カットAでは立ち上がって動いていたエルシーが、カットBでは静かに座っているので、集会所の場面に於けるカットD同様の効果も見られました(動→静)。一点を見詰めて手を握り合う、まるでポートレートのような二人の様子は、その唐突さも然る事ながら、侍女によって作り出された奥行きのある画面から、平坦な画面への強調表現とも取れます。その代償として、カットAからカットBへの時間的な経過は、まったくの不明です。単に、生活感を漂わせた場景のカットと、二人の関係や存在を強調するカットを並べただけの映像かも知れませんが、動きのある画面から、突如としてポートレートのような画面へのポン寄りは、大いに魅力を感じさせます。ここでは、ポートレートのような持続可能な画作りが、カギとなるようです。

 運動会や学芸会、観光旅行の記録など、ホームムービーにも充分に利用できそうです…。
 ペンシルバニアの邸宅の場面。ストーンマン家の兄弟、フィルとトッドが登場します。

●邸宅の庭
→A−《椅子に座る弟トッドと、肘掛へ腰を掛けた兄フィル(邸宅の玄関を含んだ全景)》
  ※画面の左側に建物を配した構図は、キャメロン家を映し出す構図とは逆になっている。
 ・フィルの手には手紙。
 ・画面奥の玄関へはエルシーが出てくる。
→B−《親友のベンへ宛てた手紙の文面》
 ・弟と一緒に、そちらへ会いに行くという内容のもの。
  ※微妙だが手紙が風に揺れる。12秒程のカット。
→A'−《手紙を封筒へ仕舞うフィル(右へのパン)》
  ※このカットは、カットAから右へパンさせた位置のもの。更なる右へのパンは、人物以外の物を画面から排除する目的と思われるが定かではない。
 ・トッドは深く腰掛けたまま。
→C−《カーテンの掛かった玄関、その下から覗く猫(アイリス)》
→D−《カーテン越しに猫を抱き上げるエルシー(カットCからのポン寄り)》
 ・風に揺れるカーテン。
→A'−《手紙を読むフィル》
 ・素っ気ないトッド。
→D−《カーテンの下から覗くエルシーの足元》
 ・猫でもあやしているのか、ステップを踏むような足元。
  ※このカットの意味は不明。
→A'−《手紙を封筒へ入れながら振り返るフィル》
 ・隣でトッドが文句を言っている様子。
  ※話の内容は不明。
 ・画面奥には庭仕事をする従事の姿。
→C−《カーテンを明けたエルシーが一段だけ階段を下りる(フルショット、アイリス)》
  ※左足だけ。
→A'−《手を振り誰かを呼ぶフィル》
  ※これがエルシーへの動作なのか、従事への動作なのかは不明。
 ・素っ気ないトッド。
→E−《猫を抱いたエルシー(ニーショット、アイリス)》
 ・エルシーが、視線を下へ向ける。
  ※この視線が紛らわしい。
→C−《階段を下りて歩き出すエルシー(フルショット、アイリス)》
 ・そのまま画面左へ移動するエルシー。
  ※カットEの視線から、一段足を下ろした姿勢への切り替えは、一見するとアクション繋ぎに見える。しかし、既に左足は下ろしていたので、やや不自然に感じる。
→A−《兄弟の所へ走り寄るエルシー》
  ※ここは、エルシーの走るアクションで繋いでいる。
 ・フィルがエルシーに旅行の事を説明する様子。
 ・フィルが画面の奥へ後退し、従事に手紙を手渡す。
 ・トッドは積極的ではないようで、フィルに手を引っ張られて玄関から邸宅へ入って行く。
 ・エルシーは、遅れて玄関へ。
  ※この時、もう一つの椅子の傍に置いてあった足置き台へ、ひょいと飛び乗る動作が入る。


 エルシーへ寄ったり引いたりするカット(C、D、E)の切り替えや、兄弟のカット(A、A')との組み合わせを楽しむ事は可能だったかも知れませんが、ある種の混濁を含んだ場面であった事は間違い無いでしょう。そんな中でも、ただ手紙を映しただけのカットBには、不思議な魅力がありました。僅かに風に“揺れる”様子や、映り込んだ“指先”、“直筆”を思わせる字体。これらからは、手紙の内容以外の何かが漂って来るようでした。思わず、『女と男のいる舗道』(1962年/仏)で、娼婦ナナ(アンナ・カリーナ)が親戚宛に手紙を書く場面を思い出しました…。文字その物が放つ美しさや、筆跡から伝わって来る人柄など、日本の仮名交じりの文章でも充分に転用が可能な筈です。ただし、味気ない文章に加えて直ぐにナレーションを被せてしまうやり方や、パソコンのモニターへ文字が並べられて行くだけの、ありがちな凡庸さからは逃れたいところです。

 それから、最後のエルシーの動作についても触れておきます。もしも、この場面、フィルとトッドが画面奥の玄関へと消えて行く箇所で終わらせていたならば、おそらくはドタバタとした後味の悪さだけが残っていたでしょう。それを回避する為に、あのような足置き台へのひょいと飛び乗るエルシーの動作が必要だったように思います。ある種の混濁を含んだ場面には、口直しのような動作が効果的という訳で、とっても優美で愛らしい演出でした。こういうところに、堪らなく映画らしさを感じてしまいます…。
 ↑エルシーの動作に関して、もう少し補足しておきます。

 私が感心するのは、この場面の最後、フィルとトッドの退場の後で、何かが“足りない”、或いは、何かが“必要”とD・W・グリフィスが気付いていた点です。映画が物語を見せるだけの演劇であったならば、最後のエルシーの愛らしい動作は全く不要だったように思います。実際、誰かに問われても、「意味の無い…」としか答えようのない動作でした。あそこで必要だったものは、飽く迄も、口直しの類の“何か”であり、特に愛らしい動作である必要性も無かったと、個人的には確信しています。私が、あの箇所に映画を感じてしまうのは、エルシーの愛らしさや、それを捉えたカメラの性質とは別の、そこに何かが“足りない”、或いは、何かが“必要”と嗅ぎ取ったD・W・グリフィスの映画感覚に対してです。エルシーの愛らしさは、その具現化の過程で生じた副産物に過ぎないように思えます。元より愛らしいに越した事は無い訳ですが…。ただ、エルシーの愛らしさは飽く迄も、リリアン・ギッシュ自身に依拠するものであって、カメラが回っていない所でも、きっと愛らしいに違いなかった彼女の魅力に対しては、ことさら映画らしさを求める必要はないと思っているのです…。
 キャメロン家の屋敷が画面に登場する際、建物は決まって画面の右側に映ります。ストーンマン家のペンシルバニアの邸宅を画面の左側に据えていたので、そことの視覚的な混同を避ける為なのでしょう。人物が屋敷へ入るアクションは、玄関の中へ消えて行く屋外からのカットと、階段を正面に据えた画面(※背面が玄関)の右手前からのフレーム・インで繋いでいました。この時、玄関の中へ消えて行った人物が、次のカットでフレーム・インして来る迄のちょっとした時間的な間(ま)は、人物が移動した距離(空間)となります。この距離(空間)は、終始、画面に映る事はありませんでしたが、それ故か、画面外の空間に広がりを持たせ、しかも、屋内と屋外という二つの空間の異なった画面を、まんまと結合させる働きを果たしていました。

 屋内のカットと屋外のカットを画面上で結合させる事へは、D・W・グリフィスも相当に苦慮したのではないかと思われます。実際、屋敷の玄関を屋内から捉えたカットは、皆無でした。多分、技術的な問題からだったと想像します。例えば、全編、屋内のシーンでは窓が映らないように撮影されていました。映り込んでいる場合でも、カーテンなどで窓外からの光は遮断されていました。おそらくは、露出オーバーによって画面が白く飛んでしまう事を避けたかったからなのでしょう。屋外のシーンでも同様に、出来るだけ空が映り込まないような俯瞰の構図や、アイリスのような画面の余白をつぶす工夫が為されていました。ですから、屋内のカットと屋外のカットを直結させた“アクション繋ぎ”は、すべて建物の戸口や窓を真横から捉えた構図でしか成立させていません。具体的には、2つの場面で見られます。フローラの死後、ガスが逃げ込んだ酒場へ、鍛冶屋のジェフが踏み込んで行った場面。ここでは、人物が窓から放り出される“アクション繋ぎ“も見られます。それと、黒人たちの暴動からキャメロン一家を匿ってくれた主人が、家の戸口を開けて出て来る場面です。

 このように、屋内の画面と屋外の画面を滑らかに人物が往来出来なかった当時、画面内に人物がフレーム・インして来る迄のちょっとした時間的な間(ま)や、それが生み出した距離(空間)が、二つの空間の異なった画面を直結させる重要な役割を担っていたという訳です…。
 ↑ちょっとした見えない空間を意図的に作り出して、映像上で隠れん坊をする試みは容易に可能なようです。典型的な例として、真っ先に防犯カメラの映像が思い浮かびました。今やどこの建物でも防犯カメラを設置するようになったので、様々な場面で用いられるようになりましたが、以前なら、金庫室へ侵入する銀行強盗の場面と相場が決まっていたものです。他にも、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の『珈琲時光』(2003年)では、固定カメラが頑なまでに人物を追い掛けず、人物が大胆にフレーム・イン、アウトを繰り返していた例もありました。そこでは、画面上の空間をかなり窮屈に絞り込む代わりに、音声を最大限に活かしていた点が特徴です。
 単に、二つの空間の異なった画面を直結させる役割だけではなく、見えない空間を意識的に使って、次々と何かを隠して行くとするならば、ちょっとした刺激的な想像が膨らみます。キャメロン家の屋敷でいえば、玄関付近に人物たちを一人ずつ消して行く事も可能な筈です。例えば、二人の人物が屋外から入り、屋内に入ってから直ぐに片方が引き返す行動を繰り返して行けば、登場人物を一人ずつ玄関付近へ消して行けそうな気がします。
 綿畑の場面。ベンが、写真のエルシーを見て、一目惚れするところです。

 その前に、ラヴ・バレーを歩くマーガレットとフィルを捉えた大ロングショット(俯瞰、アイリス)がフェードアウトします。ここでは、“恋の萌芽”が印象付けられ、ベンがエルシーへ思いを寄せる次の場面への流れを作っていました。

●綿畑
→A-《綿花を収穫する二人の黒人(やや俯瞰のロングショット)》
 ・腰の高さまで棉に埋まっている。
→B-《画面上1/2は綿畑。下1/2は収穫する二人の上半身(ポンと寄った俯瞰)》
→C-《棉の下の方の綿花を収穫する手元(アップ)》
→A-《画面左からベンとフローラがフレームin》
 ・ベンは手招きした後、一輪の花を摘む。
 ・フィルは写真を手に、マーガレットと語らいながらフレームin。
  ※フィルとマーガレットは恋を育んでいる様子。マーガレットの手には日傘。
→D-《花を手にしたベン。マーガレットに写真を説明するフィル(ポン寄りのミディアムショット)》
 ・背後では、綿花を収穫する二人の黒人。
→E-《ベンが持っている花(アップ)》
→D-《ベンから花を受け取るフィル。》
 ・受け取ったフィルの手元に写真を発見するベン。
 ・その写真を手に取り見詰めるベン。
 ・フィルとマーガレットは後ろを振り向く。
 ・ベンがフィルに、写真の中の人物が誰かを尋ねる。
 ・自分の妹である事を説明する様子のフィル。
 ・ベンは帽子を脱ぎ、写真の人物へ挨拶をする仕草。
 ・フィルの手を振り払い、内ポケットに写真を仕舞ったベンが画面右へフレームout。
 ・フィルは困った様子でベンが去った方向(画面右)を見る。
 ・微笑むマーガレット。
→F-《画面左からフレームinして来るベンとフローラ(やや俯瞰のミディアムショット)》
 ・周囲は棉。
 ・写真を手に大喜びのベン。
→D-《あきれた様子でマーガレットに話し掛けるフィル》
→F-《写真を見詰めるベン》
→G-《写真のエルシー(アイリス)》
→F-《写真を大切そうに胸ポケットへ仕舞うベン》
 ・手招きしながらフィルに声を掛けるベン。
→D-《フィルがベンに何かを言う》
→F-《ベンは画面右へフレームout》
→D-《フィルとマーガレットも画面右へフレームout》
 ・二人は黒人たちに一声掛けて、黒人たちも挨拶を返す。
 ・収穫を続ける二人の黒人。


 ここに登場した花が、バラの花であったかどうかは不明です。ただ、エルシーが写っていた写真と花が、フィルの手の中で入れ替わる様子や、共にアップやアイリスで強調されていた点から、花が“恋心”の隠喩だった事は、まず間違いないと思います。女性が花を摘む様子は良く見られる光景ですが、男性であるベンに花を摘ませていた点にも注目です。あの演出によって、心優しいベンの雰囲気は得られたように思います。それにしても、ベンがフィルの手に写真を発見するところの演出は見事でした。フィルの注目が写真から花へ移ると、透かさずベンがフィルの手に写真を発見するところです。ベンの手→(花)→フィルの手→(写真)→ベンの手。余りにも自然な遣り取りだったので、思わず見逃すところでした。フィルとマーガレットが何気なく後ろへ振り返った直後、ベンはフィルだけに話し掛けます。マーガレットは後ろを向いたままだったので、ベンとフィルだけの空間が僅かながら画面上に成立していました。ただの演技指導ではなく、観客の視線が意識されたとても映像的な演出だったと思います。

 ↑例えば、綿畑を遊園地に、花はソフトクリーム、写真は携帯写真に差し替えます。園内のBGMがラブソングに変わると同時に、フィルとマーガレットが振り返り、ベンはフィルの携帯を見詰めながら、「この女性は?」と尋ね、そのまま恋に落ちて行くといった感じでどうでしょう。いろいろと考えられそうです。
 いよいよ南北戦争が始まり、出兵前夜の舞踏会の場面。ここでは、舞踏会、キャメロン家の屋敷、街、これら3箇所をカットバックさせていました。中でも、最初の舞踏会のカットが、後方へ下がりながらの移動撮影(トラックバック)だった点には驚きです。今ではダンスシーンといえば、当たり前に見かける映像ですが、既に、この作品で採用されていた訳です。カットバックに着目してみますと、キャメロン家の屋敷でベンが居間を覗く箇所には、ちょっとした捻りが加えられていました。

→A-《部屋の扉をそっと開けて入って来るベン(ロングショット)》
 ・椅子に腰掛けたまま転寝(うたたね)をする母と、ソファで寝ているフローラ。
→B-(フェードin)《舞踏会の様子(ロングショット)》
  ※フェード・インは、前のカットと人物のサイズがほぼ同じなので、混同を避ける為?(不明)
→C-《寝ているフローラの顔に南軍のスカーフを垂らして悪戯をするベン(ニーショット)》
 ・飛び起きるフローラ。
 ・フェードout

 ここでは、前後のカット(A、C)の画面サイズを変化させる為に、敢えて舞踏会のカット(B)を挟んでいるようにも思えます。しかし、仮に直接繋いでいたならば、きっと舞踏会が終了した後の居間に見えてしまっていたでしょう。舞踏会のカット(B)を一つ挟む事によって、ベンが舞踏会の合間を抜け出て来た様子や、その雰囲気が良く出ていたと思います。
 キャメロン家の屋敷が、北軍側のゲリラによって襲われる場面のカットバックです。

→A−《屋外からの玄関扉・フローラ》
→B−《玄関前の屋内・マーガレット》
  ※玄関前の屋内とは、エントランス・ホールの事。
→A−《マーガレットを呼ぶフローラ》
→B−《玄関へ向かうマーガレット(フレームout)》
→A−《フローラ、玄関の扉を開けて出て来るマーガレット》
 ・二人、日傘を差して画面右へフレームout。
→C−《角を曲がった表通り》
→D−《舗道へ出て歩くフローラとマーガット》
→E−《屋敷の前の通り》
  ※舗道を歩くフローラとマーガレットでアクション繋ぎ。
 ・フローラとマーガレットは、ゲリラの襲来を告げる男たちに驚き、急いで屋敷へ。
→A−《二人が走ってフレームin》
  ※多少アングルが上へ移動しているが…。
→C−《通りの向こうからゲリラの集団が現れる》
→B−《父親のキャメロン博士が、画面左手の居間の方からフレームin》
→A−《玄関の扉を開けて中へ入るフローラとマーガレット》
→B−《画面右前からのフレームin》
 ・キャメロン博士の手には拳銃。
→C−《ライフル銃を持って散らばるゲリラたち》
→E−《屋敷の前へ迫るゲリラ》
→B−《娘たちを居間へ逃がすキャメロン博士》
→F−《母親のいる居間へ飛び込んで来るフローラとマーガレット》
  ※飛び込んで来るアクションの繋ぎ。
→E−《発砲しながら屋敷の玄関へ向かうゲリラたち》
→A−《ゲリラたちが画面左からフレームin》
  ※このアングルからは、画面右からのフレームin or outが約束事になっていた。ただし、この場面だけは、ゲリラたちが画面の左側からフレームinして来る。いかにもフェンスを乗り越えて入って来た印象だった。
→B−《拳銃を手に持つキャメロン博士》
→A−《玄関の扉を開けて入って行くゲリラたち》
→B−《ゲリラたちが画面右手前からフレームin》
→F−《慌てる母と娘たち》
→B−《拳銃を取り上げられるキャメロン博士》
 ・ゲリラは次から次へと侵入して来る。
→F´−《居間の鍵を掛けるフローラ(ニーショット)》
→B−《2階へ移動するゲリラたち》
→F−《居間の奥のダイニングの方へ移動する母と娘たち》
→G−《ダイニング》
 ・画面右から扉を開けて入ってくる母と娘たち。
→B−《物を壊し捲るゲリラ》
→G−《床下へ下りて行く母と娘たち》
→H−《床下のフローラとマーガレット(アイリス)》
→I−《屋外?・抵抗する住民を撃つゲリラ》
→B−《暴れ捲るゲリラたち》
→H−《不安な表情のフローラとマーガレット(アイリス)》
→B−《居間への扉を壊すゲリラたち》
→H−《不安な表情のフローラとマーガレット(アイリス)》
→F−《扉を開けて飛び込んで来るゲリラたち》
 ・奥のダイニングの方への扉も開ける。
→H−《抱き合うフローラとマーガレット(アイリス)》
→J−《南軍兵?・町がゲリラに襲われている報告を受けて救出へ向かう南軍兵(アイリス)》
→F−《部屋を破壊し捲るゲリラたち》
→H−《怯えるフローラとマーガレット》
→I´−《屋外?・抵抗する住民を撃つゲリラ》
→F−《玄関の方へ引き上げるゲリラたち》
→J´−《南軍兵?・町へ向かう南軍兵》
→I−《屋外?・家屋へ火を放つゲリラ(画面赤)》
※画面を赤く着色する事で、火をイメージさせている。
→C−《逃げるゲリラたち》
→B−《表の騒ぎに気付くゲリラ(画面赤)》
→C-《煙の向こうから南軍兵たち》
→B−《退散を仲間へ促す様子(画面赤)》
→C−《南軍兵がゲリラを追っ払う》
→B−《玄関の方へ逃げて行くゲリラたち(画面赤)》
→H−《様子の変化に気付き、階段を上がって行く母と娘たち》
→E−《画面の奥から南軍兵が登場》
 ・ゲリラたちが逃げて行く。
→G−ダイニングの扉を開けて出て行く母と娘たち。
→B−《画面左から使用人たちが現れ、バケツに汲んだ水を掛ける(画面赤)》
 ・起き上がるキャメロン博士。
→B´−《燃え上がる窓(画面赤)》
 ・画面を横切るキャメロン博士。
→B−《火を消す使用人たち(画面赤)》
→E−《煙が立つ屋敷と、その前で発砲する南軍兵》
→B−《南軍兵がキャメロン家に(画面赤)》
→B−《画面右手前へ引き上げる南軍兵。感謝するフローラとマーガレット》
 ※扉→玄関(※エンントランス・ホール)→扉→玄関→扉→表通り→屋敷前→屋敷前の通り→扉→表通り→玄関→扉→玄関→表通り→屋敷前の通り→玄関→居間→屋敷前の通り→扉→玄関→扉→玄関→居間→玄関→居間→玄関→居間→ダイニング→玄関→ダイニング→床下→屋外?→玄関→床下→玄関→床下→居間→床下→南軍兵?→居間→床下→屋外?→居間→南軍兵?→屋外?(赤)→表通り→玄関(赤)→表通り→玄関(赤)→表通り→玄関(赤)→床下→屋敷前の通り→ダイニング→玄関(赤)→窓(赤)→玄関(赤)→屋敷前の通り→玄関(赤)→玄関


 解り易いように切り目を入れてみます(※写真参照:ダイニングの位置は不正確です)。

A→B→A→B→A→ (フローラ、マーガレット。お出掛け。)
C→ (表通り。ゲリラ来襲の知らせ。)
D→E→A→ (フローラ、マーガレット。急いで戻る。)
C→ (表通り。ゲリラ。)
B→A→B→ (フローラ、マーガレット。玄関に入る。)
C→E→ (ゲリラ。表通り→屋敷前の通り。)
B→F→ (フローラ、マーガレット。玄関→居間。)
E→A→B→A→B→ (ゲリラ。屋敷前の通りから玄関へ侵入。)
F→B→F´→B→F→G→B→G→H (フローラ、マーガレットは居間から床下へ。玄関のゲリラ。)

H→I→B→ (床下のフローラとマーガレット。屋外?。玄関のゲリラ。)
H→B→H→F→ (床下。ゲリラは玄関から居間へ侵入。)
H→J→F→ (床下。南軍兵?。居間のゲリラ。)
H→I´→F→J´→I→ (床下。屋外?。居間のゲリラ。南軍兵?。屋外?。)
C→B→C→B→C→B→ (表通りの南軍兵。玄関のゲリラ。)
  ※床下のカット(H)の次には、思い切って屋敷の外へカメラを向けていました。フローラとマーガレットが奥へ奥へと追い詰められ、その先の狭い空間から屋敷の外へ、空間的な広がりを持たせる狙いがあったようです(狭い→広い)。

H→E→G→B→B´→B→E→B→B (フローラとマーガレットが南軍兵によって無事救出される。)

 追い詰める側(ゲリラ)と追い詰められる側(フローラとマーガレット)の、各々の空間をカットバックさせながらも、人物の移動は手順を踏んで丁寧に移動させていました。途中からは南軍兵のカットも加わりましたが、基本的には同様です。ゲリラとのカットバックと、表通りから、屋敷前の通りへの移動でした。

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