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第一コンバットコミュの第1話「実録 第一コンバット十年史」

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大江健三郎でも大貫憲章でもないオーケン(※1)の「リンダリンダラバーソウル」をいうエッセイを読んでふと思ったのだ。

このエッセイは筋肉少女帯をはじめとしたかつてのバンドや、それをとりまいたバンドーブームについてオオケンが数々の破天荒な思い出とともにふりかえったお話なのだが、第一コンバットももうすぐ結成から10年になるのだが、それだけ期間が経つだけあって第一コンバットを取り巻く話もそういえば色々あったなぁと。

しかしながら、第一コンバットの現在のメンバー自身にさえも果たしてこの10年間、第一コンバットがどのように存続しつづけてきたのかは知られていないと思う。いや、普通に考えるといまのメンバーでライヴ活動しているのも結構不思議なはずだ。なんで第一コンバットはいまさらになってライヴ活動を頻繁に行いだしたのか?
いつも第一コンバットに加入する若手メンバーはどこから狩り出されてくるのか?

この時期を機に、少なくとも僕のみてきた第一コンバットとそれを取り巻く人達のお話を書いておかなければならないような気がする。


どこから話せばいいのだろう。

そもそも第一コンバットの結成のきっかけとなった僕とエイスケイチコンとの出会いから思い出してみよう。思い出してみようとかいいながら鮮明には思い出せないのだが、あれは1996年の9月頃だったろうか?7月の合コンのメンバーにはエイスケ氏がいなかった記憶があるので、たぶん夏が終わってから喋りだしたのではなかろうか?

当時、大学1年生だった僕は大学の友人のクメノくんとキムラくん(のちの初代ドラマー・シンスケイチコン)が住む大阪の池田にあるローレル?という建物によく出向いていた。クメノくんが2階でキムラくんが1階で、僕は大学の出席番号順ではこのキムラくんとクメノくんの間であったので仲良くなり出向いてたわけなのだが、最初はクメノくんと仲良かったため、その日もクメノくんのところに出向いていた。

クメノくんちにいるハムスターでうしゃうしゃと僕が楽しんでいると、クメノくんが夜中なのに高い声できぃーきぃー騒ぐな、近所迷惑だと怒り出したので、じゃあということでその日は1階にいるキムラくんちに移民したのだ。そしたらそこにエイスケ氏がいた。

彼とはクラスが同じなので顔は知っていたが、噂ではテニスサークルにいるということだったので、当時の僕は“運動爽やかなそうなもの”はあまり融和できないと勝手に線をひいており、エイスケ氏はむこう側の人、いわば朝鮮半島でいえば北の人に区分していたので、そんなに会話をかわしていなかったのだが、なんせ移民した部屋に一緒になってしまったもので、しかも自分のほうが後からやってきた移民なのだから、友好的に喋ってみるしかない。

ここで記憶が曖昧になるのだが、確かそのときエイスケ氏はラモーンズ(※2)のCDか何かを持っていたのだと思う。それで「パンクを聴くのか?」という話になり、聴くというので、「セックスピストルズが今度再結成して来るけどみにいくか?」ということでみにいくこととなったのだ。

数日後、翌日がセックスピストルズのチケット発売日だということで、当時はネットもなかったので電話予約のため、前日からエイスケ氏に泊り込み翌日にそなえた。

なんせあの伝説のバンド、セックスピストルズがリユニオンして来日するわけである。

前夜はエイスケ宅の1枚しかCDの入らないケンウッドのラジカセでセックスピストルズ(※3)などをきいていたのだが、そこで彼に薦められたのがオフスプリング(※4)のスマッシュのアルバムであった。僕自身もパンクオーラマのアルバム(※5)でオフスプリングは聴いていたはずなのだが、このアルバムは名盤だと思い、エイスケ氏にカセットにダビングしてもらった。

そんなこんなしているとエイスケ宅のクーラーのすみからゴキブリくんが顔をのぞかせた。それでその退治でギャーギャー騒いでいると、隣の住民が夜中なのにうるさいと怒鳴り込んできた。だいたい僕の声は甲高いので、友人宅などにいくと近所からよく苦情がきやすいのである。でもってそれでも騒ぎながらゴキブリくんを3時間くらいかけて退治した。これがきっと僕/タクヤイチコンとエイスケイチコンの最初の共闘であったと思われる。

翌朝、ぴあにはなかなか電話は繋がらなかったが、「笑っていいとも!」が終わる頃には無事電話はつながり、偉大なるセックスピストルズのチケットを獲得した。

セックスピストルズは人気漫画「Nana」(※6)におけるナナとレンにおけるロックスピリッツの源流なだけでなく、第一コンバットにとっても源流だったのである。

ただ、「Nana」と第一コンバットの違いは、そのセックスピストルズのベーシストがシドヴィシャスではなくてグレン・マトロック(※7)であったことと、セックスピストルズの他に、ネアカバカのオフスプリングも源流としてあったということであろう。

<つづく>



※1 オーケン
筋肉少女帯のボーカルであった大槻ケンジ氏の通称。筋肉少女帯解散後は特撮なるバンドも組んでいる。
筋肉少女帯は「元祖高木ブー伝説」でブレイクしており、大槻ケンジ自身は楽器をまともにひけないのであるが、その点ではいまだ代表曲が「よぉ!カジ×デキ」で、ボーカルが楽器をまともにひけない第一コンバットと形態は似ている。
意外にも筋肉少女帯が現在の第一コンバットに潜在的に影響している部分は大きいようで、
・タクヤイチコンは中学生の頃大槻ケンジのオールナイトニッポンに影響をうけていた
・エイスケイチコンはカラオケで筋肉少女帯の「日本印度化計画」を歌う
・ショウタイチコンは特撮のファンでもあり、今年年末に計画されている筋肉少女帯の再結成を待ち望んでいる
といったことが現時点で判明している。

※2 ラモーンズ
1974年NYで結成されたパンクバンド。ニューヨークパンクの代表でありロンドンパンクの代表となった。
2002年ロックの殿堂入り。
またこのバンドはファミリー制をとっており、メンバーが、ジョーイラモーン、ジョニーラモーン、DDラモーン、CJラモーンと全員ラモーン姓を名乗るのだが、第一コンバットもラモーンズを見習いタクヤイチコン、エイスケイチコン、ショウタイチコンとイチコン姓を名乗るファミリー制をとっている(除くヒコ)。他にファミリー制をとっているバンドには、ヘラコプターズやThe Donnasなどがいる。ちなみに、ラモーンズのラモーンは、ポールマッカートニーがハンブルグにいたときに名乗った芸名「ポールラモーン」から拝借したものらしい。
なお、10年経った今でもエイスケイチコンはラモーンズを愛しているようで、ラモーンズのTシャツを着てニコニコしているエイスケ氏を頻繁にみることができる。

※3 セックスピストルズ
ロンドンパンクの代表格。
アルバム「Never Mind TheBollocks」が発売された1977年はタクヤイチコン、エイスケイチコンが生まれた年でもある。
2代目ベーシスト、シド・ヴィシャスはベースもろくに弾けなかったという話もあるが、1979年ドラッグのオーヴァードスで死亡し、以後「パンクの精神」と呼ばれその崇拝者は多い。
1996年、再結成を行い来日し、タクヤイチコン・エイスケイチコンは共にみにいくこととなる(次回につづく)。

※4 オフスプリング
カリフォルニア州オレンジカウンティ出身のパンクロックバンド。
1994年発売のアルバムsmashで世界的ブレイク。
ライブでは演奏は上手くないことが多いのだが、ダッチワイフを持ち込んだりビールで乾杯したりとバカまっしぐらなところがキッズのこころをがっちりキャッチ。
ネアカでポップなサウンドにタクヤイチコン、エイスケイチコンは強く影響をうけており、この二人で作曲を行うと、えてしてオフスプリングのような「掛け声万歳」みたいな曲になりがちである。
なお、第一コンバットも2004年頃スタジオ練習でオフスプリングの"BAD HABIT"をコピー練習している。

※5 パンクオーラマのアルバム
バッドレリジョンのギタリスト、ブレット・ガーヴィッツが設立したLAのパンクロックレーベル「エピタフレコード」から出されたコンピレーションアルバムシリーズ。ここではその中でも1994年発売のシリーズ最初のアルバムをさしており、オフスプリング、NOFX、ランシド、ペニーワイズなどのいわゆるメロコアブームの先駆者達がずらりの名盤であった。
いわば第一コンバットができあったその時代はアフターニルヴァーナからその後どうなる?みたいなロックの過渡期の真っ只中の時代であった。
なお、パンクオーラマは2005年にVol10が発売されいるというパンクのくせにやけに長寿な企画アルバムである。

※6 人気漫画「Nana」
いわずもがな矢沢あい原作の漫画。映画化も成功し、続編もつくられるらしい。
漫画に出てくるバンド、ブラックストーンことブラストはパンクバンドとのことで、セックスピストルズがたまに会話に登場する。
なお、現在の第一コンバットメンバーではヒコとタクヤイチコンが「Nana」にはまっている。

※7 グレン・マトロック
セックスピストルズの初代ベーシスト。普通、セックスピストルズのベースといえばシド・ヴィシャスなのであまり知られていないが、1996年再結成のときは彼が来日した。
脱退の理由は、彼がポールマッカートニーが好きだと公言したことらしいが、同じパンクでもラモーンズでは許されて、ピストルズでは許されないとはいかにロックが単調そうにみえて複雑な世界であるかを感じずはいられない。
ボーカル、ジョンライドンの暴露本によると、そもそもグレンマトロックの家は敬虔なクリスチャンだったらしく、その辺もセックスピストルズを続けられなかった理由らしい。
なお、タクヤイチコンはこのグレン・マトロックのプレイをみてベースぐらいならおれにもひけるんじゃないかと錯覚したという点で第一コンバット結成への原動力となったグレンの存在は大きい。
グレンマトロックは一時期プライマルスクリームの演奏メンバーとしてプレイしたりもしていた。


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ここまで読んでしまったのに、この第一コンバットコミュニティに加入していない人は、みんなこのコミュニティに加入しよぅ!!

コメント(3)

いきなり身内がレスつけるのもなんだが、
すげー面白い。
ぜひ続けてくれ。
このペースでいけばかなりの連載ものになりそうな気もするが、徐々に連載されていくとおもいまーす。お楽しみに!!

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