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相対性理論コミュの”「思考における相対性による時間の伸縮」の考察

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”可愛い子といると1時間が1分に感じる”(記憶なので文章は違うと思いますが)

これを持ち出すと、確実に笑われます。

が、

時間は絶対的ではないので、
感じた人の生命体としての時間は1分ぐらいである。
ゆえに、生命体の老化の要因のひとつとして考えられる。
つまり、思考の相対性により生命体そのものの時間は伸縮する。

自分の仮説です。

これで通じますでしょうか?
やはり、バカでしょうか?

本人は論文を出そうと考えてます。

コメント(26)

アニマルセラピーのような効果として、かわいい子といる人の方が、そうでない人といる人よりも寿命が長くなりやすい、というようなことは確認できるかもしれません。
が、それが時間の伸縮によるものであることまで確認するには、どういった実験が必要になるんでしょうか。
生命体そのものの時間が伸縮するかどうかを議論する前に、生命体そのものの時間のはかり方を定義しないといけませんよね。脈拍で測るわけにもいかないし、細胞分裂の回数で測るわけにもいかないでしょう。もちろん時計なんて使えるはずもない。

でもこれって、相対性理論の話なんでしょうか。
最近は時計細胞の話題が生物物理系で流行していますが、
この話題は認知についてなので、あくまで思いだした時の話で、
関係ないでしょうね。

神戸大の郡司先生が、以前
人が恐怖体験をすると、時間の進むのが遅くなる
という経験則を確認するため、
時計をもって逆バンジーに乗った研究者の話をしていらっしゃいましたが、
結果は変わらないでした。
1.ウィアさん

「時間の伸縮によるものであることまで確認するには、どういった実験が必要」
アインシュタインが行った思考実験だと思います。

「でもこれって、相対性理論の話なんでしょうか。」
相対性理論の時間は絶対的ではないに基づいた、相対性理論の拡張仮説です。


2.ユタカさん

「神戸大の郡司先生が、以前
人が恐怖体験をすると、時間の進むのが遅くなるという経験則」
自分はこの経験則は正しいと考えています。
ただ、
”時計をもって”では、話になりません。
これでは、相対性理論に反して、”時間は絶対である”といっているようなものです。

物理学における「時間の相対性」の概念を相当に誤解されている と思われます。

計測可能な時間は厳然とありますし、それがないと速度や運動や力という概念そのものが無意味です。そしてその誤解された「時間の相対性」を心理学に適応しようしても無茶な砂上楼閣でしょう。

生命体の老化が思考によるものなら、老化する生命体は思考するということになりますが思考をしない生命体は幾らでもいます。


蛇足ながら「時間の相対性」とは観測系によって計測される時間が同一でないだけで、同一の観測系ならば同一の時間が計測されます。もちろんですが時間の計測は時計で行なわれます。
思考実験は私も好きです。
その、思考実験の内容はどうなってるんでしょうか。

一見して全然相対性理論とはなんの関係もなさそうですが、まぁ拡張仮説だとのことなのでいいんでしょう。
4.Gomiさん

>「時間の相対性を心理学に適応しよう」とはしてません。
「時間の相対性を脳科学に適応しよう」なら、そうだ。と言います。

>「生命体の老化が思考によるものなら」ではなく、
「思考する生命体の老化」に対してです。

>「同一の観測系ならば同一の時間が計測されます。」
その通りです。
あえて表現をかえれば、
”同一観測者ならば同一の時間が計測される”と思います。

特殊相対性理論で言うと、
「ある人にとっては同時に起こったことが、別の人にとっては同時ではない」
相対性の重要な点は”何に対して”だと考えます。

動いている物の速度は”観測者”によって異なった値を示す。
何に対してはすべて物に対してである。
”観測者”がどのように動こうが、光の速度は不変である。
これらの計測は時計ではできません。

そして、時間とはなにか?を考えると、
知的生命体(思考する生命体)にしか存在しないのではないだろうか?
と、思っています。
時間は相対的なものである。
同一の観測系という存在を考えると、知的生命体では、ほぼひとつの生命体でしか存在しないのではないか。と考えます。

一番思われたくないのが”心理学”と言うことです。
”気の持ちよう”ともいえると思います。
ここは、譲れないところです。

思考実験とは観測を前提としません。
アインシュタインは光の速度を適当にしか観測していません。
観測しているうちに入りませんし、アインシュタインには観測で語れる技術はありません。

5.ウィアさん

思考実験の内容は、まだ出来ていません。
出来てから話を聞こう。ということになりますが、
まずは、疑問からです。
疑問がなければ、相対性理論と関わる必要も感じません。
原子力もGPSも衛星も出来ているのだから疑問もなにもありません。

しかし、自分には別の疑問が起きたのです。

疑問ー>仮説ー>仮説証明(思考実験の繰り返し)ー>結論。
まだ、仮説までです。

これからは、脳科学を勉強してゆきます。
地上と宇宙にだけ当てはまる相対性理論では、
とても未来には行けそうもないと考えますから。
細かい点をあげてもキリがないので要点だけ申し上げますが、
あなたにとって「時間」とは何か定義すべきでしょうね。
そして、その「時間」は、第三者がどうすれば観測することができるものなのか。
もし観測できないなら、どのようにして「時間」を定義するのか

そういった意味でも、あなた自身が
科学的な事実をどのように構成するかを、述べる必要があるかもしれません。


一点、誤った主張を指摘すると次の主張についてです。

>相対論で”観測者”がどのように動こうが、光の速度は不変である。
>これらの計測は時計ではできません。

この主張は、もちろん時計とは何かという問いにあなたが答えてから反論すべき事柄ですが、

科学の世界で既に使われている標準的な時計(時間という物理量を計測する機械)だとすると、
光の速度は観測可能です。

この主張は、各系で成立していて、その値が、常に一定になる
から、そういった観測から得られた推察を元に、特殊相対論は構成可能なのです。

つまり系と系との相対的な幾何学的関係を、
特殊相対論は述べている学門です。

この様な主張の根拠となる観測は、
時間と距離を使ったの初等的な観測は、既になされています。

推察や、それを具体的に方程式に仕上げていく過程で生じる仮定を元に、
理論を構成し、それを観測して、
科学的事実を築いていると言うべきでしょうか。

その様なセンスは、
思考実験による帰結を、仮説の証明とする論法とは、乖離があります。

その意味でも、あなたは、どのように事実を積み上げてゆくのか
述べる必要があるでしょう。
7.ユタカさん

自分も、「私はどのように事実を積み上げてゆくのか述べる必要がある。」
と思います。
ただ今現在、事実を見出していません。
ですから、理論とはいえません。
理論が自分として裏付けられれば、それは論文と言う形で表現いたします。

ユタカさんには失礼ですが、かなりの理論的理解力を感じます。
自分などよりかなりの理解力だと思います。

ただ、ひとつ、気になる点があります。
それは、何人かの方々も同様ですが、

>「科学の世界で既に使われている標準的な時計(時間という物理量を計測する機械)だとすると、光の速度は観測可能です。」

光の速度の秒速29.9999〜は観測されています。
事実です。観測はされています。
観測が問題ではないのです。

「光の速度が一定である」はアインシュタインではなく、
「光の速度は不変である」がアインシュタインです。

ご指摘いただく方々の多くは速度を述べますが、
自分には、
「光の速度は絶対的(不変)である」が重要なのです。
”絶対的”がポイントなのです。
その他は”相対的である”ことがポイントなのです。

マクスウェル、ポアンカレ、ローレンツ。
さらに、ボーア、さらにさらにファインマン。
いろいろでしょう。

しかし「光の速度だけが絶対的である」が自分には重要なのです。
そして、それはニュートン理論を否定した上で宇宙においても成立する事が重要なのです。
ニュートン理論をなにげなく肯定しながら「光の速度は一定である」では、
”はい、そうですか”としか言いようがありません。(話がそれました。すいません)

>「各系で成立していて、その値が、常に一定になる」
これは、一定になるから各系という括りになるとしか思えません。
各系が先にあるとは考えにくいです。

最大の問題は、
>「そして、その「時間」は、第三者がどうすれば観測することができるものなのか。
もし観測できないなら、どのようにして「時間」を定義するのか」

この点です。
仮にAさんとBさんが相対的にあるとします。
それを遠くからCさんが見ています。
この3人は同じ高性能な時計を持っています。
なにがあっても3人の時計の時間は同じでしょう。

これでは、相対性など関係ありません。
時計が3つ落ちているのと同じです。
これに疑問を抱くとしたら、時計の精度を疑うでしょう。

自分にとって「時間」とは、
思考のある生命体には、個々に時間なるものを生命体内部に持っている。
その個々の時間とは、決まった動きを示すものではなく、
脈拍のように速くなったり、遅くなったりするものである。

物質が動くと時間が変わる。(ざっくり相対性理論です)
物質に限らず時間が変わるのでは。(質量がなくても時間は変わる)

自分は、光の速度が絶対的であり、質量のないだろう脳波なども当然観測者と観測者を見ている人とは時間が違うと考えます。

乱暴な表現をあえてします。

人間の”色”の判別。
これに近いのではと思います。
あなたの”色”と私の”色”は違う。
当然、あなたの”時間”と私の”時間”は違う。

自分は、アインシュタインが相対性理論を考えていたとき、
脳科学なるものがアインシュタインには関係なく、
しかしながら、皮肉にも時間を高度に感じるのは脳でしょう。

どのようにして「時間」を定義するのか・・・
これは自分としても難問です。

最後に、
>思考実験による帰結を、仮説の証明とする論法とは、乖離があります。

これは、相対性理論を理解する発想ではないですか?
言い変えると、相対性理論を勉強する発想ではないですか?
少なくとも、ファインマンは違います。
私は科学とは全くの無縁のど素人です。

私事で恐縮ですが、以前携帯電話を自宅に忘れて、外出したときの、とてつもなく不安さ。これって、何か関係あるのでしょうか?

ちなみに、腕時計はしない派です。
現代社会における『個』と『社会』とのつながりが遮断されたような、とてつもない孤独感に襲われました。

ほんとうに、幼稚な質問ですいません。
9.しまさん

「幼稚な質問」ではなく「するどい質問です」と思います。
自然科学ではなく、社会科学の心理学ではないかと感じました。

”相対性理論でこれを解明しなさい”となると、自分ではとても困難で無理だと思います。

でも、自然科学の生物学として解明できるかもと思いました。
「携帯電話を持つことが、身を守る本能が起こす不思議な行動」だと仮定すると、目の上に眉毛があるのに近いような気もしてきます。

もし、不本意に眉毛をそってしまったら・・・
恥ずかしいです。
この、恥ずかしいは、社会的にみなさんと異なる事による恐怖だと思います。
”社会的にみなさんと異なる事”−>現代社会における『個』と『社会』とのつながりが遮断された。
とも考えられると思います。

したがって。
>「携帯電話を自宅に忘れて、外出したときの、とてつもなく不安さ。」
が、「現代社会における『個』と『社会』とのつながりが遮断された」は、
そおとおりである。
と考えます。

ただ、やはり心理学的要素は多く、
「不本意に眉毛をそってしまった」
「携帯電話を自宅に忘れて」
そのこと自体を忘れてしまったら、恐怖を感じないだろうから、
”身を守る本能が起こす不思議な行動”から、外れてしまいます。

私の結論としては、相対性理論とは関係ないと思われますが、
「個人差の要素が多いので、一概に判断できない。」です。
すいません。(答えはあるはずですが、現在の自分では判明できませんでした)
>> 「光の速度が一定である」はアインシュタインではなく、
>> 「光の速度は不変である」がアインシュタインです。

この主張は間違っています。
もちろんアインシュタインがどう思っていたのかは知るよしもありませんが、
少なくとも科学者のコミュニティで受け止められたのは、
アインシュタインが提示した、特殊相対性理論という「仮説」です。

ご自身で気がついて頂きたかったので、ちゃんと申し上げませんでしたが、
(ヒントは差し上げておりました)

科学での証明は、
論理学で言う同値関係を少し緩めた形で用いられています。

二つの命題の同値関係を示す、もっとも標準的な論法は、
必要十分条件を示すことです。
二つの命題をそれぞれOとTとすると
O ならば T と T ならば O を示すことです。

科学的な実証では

理論(T)を仮定して、実験事実(O)を示す
T ならば O

は、証明の片方として常に求められます。
もう片方として、

実験事実(O)から、理論を導く(T)
O ならば T

は、
我々には、高々有限回の測定しかできないこと
系の統計的振る舞いが常に収束するとは限らないこと

から、誤差をもって評価されます。

この意味で、科学的事実として我々が獲得してきた理論は、
常に、ある誤差の範囲でという条件の下で示された理論で、
その条件が成り立たない下では、成立するとは限りません。

また、
理論を構成するに当たって、
実験事実から「推察」した「仮定」を用いる以上の、
証明法は無いのではないかと思われます。
(もちろん推察を行わないで理論を構築することが可能ですが、実験結果との着地点を見失いがちです)

つまり科学を用いて、揺るぎない真理を得ることは原理的に不可能なのです。

この様な文脈の下でアインシュタインは前者(TならばO)を示したのであって、
かれは、実験による実証までは行ってません。

従いまして、この様な証明法と
>>思考実験による帰結を、仮説の証明とする論法とは、乖離があります。

アインシュタインの特殊相対論が、
>>各系で成立していて、その値が、常に一定になる
>>から、そういった観測から得られた推察を元に、特殊相対論は構成可能なのです。
>>
>>つまり系と系との相対的な幾何学的関係を、
>>特殊相対論は述べている学門です。

となっているのは、

各系での光速一定といった仮定を用いることで、
実験事実を解釈可能な方程式を構成することができた
ので、科学的な理論として認知されたわけです。

科学は、唯物論を基礎としています。
簡単に表現すると、

我々が観測している世界は、
観測主体によらない

という事を大前提としています。

この前提の下で、

ある観測者が測定した事実が、
他の観測者も測定可能で、
再現性のある事実を得ることができる

として、
その再現性のある事実を、
仮定を用いて、
ある誤差の下で成立する理論を構成しています。

その意味でも、
ナニヲシュタインさんの論法は、少々乱暴に言うと
「私はこう思った」「あなたもそうでしょう」
と主張されていて、
その様なご主張は、
唯物論とは対極をなすとも言える、唯心論に近い発想です。

従いまして、
まず、「どのように事実を構成するのか」は、
科学的な方法論とは異なり、コンセンサスを得られているものではありません。
従って、その「構成法」をまず、議論する相手に納得させない限りは、
あなたの主張は、聞き手にとって意味をなしません。

>>そういった意味でも、あなた自身が
>>科学的な事実をどのように構成するかを、述べる必要があるかもしれません。
とても難しい内容で、全く付いていけません(笑)
以前、『携帯を忘れた時の〜』とコメントを書いたものです。

一つ、質問です。
『相対性理論は、(美しい)ですか?』

美しさをどう定義するかはまた別の問題ですが、科学の神秘の側面には未知なる法則があり、それが形となって現れたとき、人が美しいと感じる場合があると思います。

美術の修士課程を修了した、バカ(まさに、畑違い!)の意見で恐縮ですが、時間と空間の関係に興味を持ちました。


芸術の中でも、以前は「時間の芸術は音楽」、そして、「空間の芸術が美術」、と言われてきました。以前は〜と書いた時代は、まさにアインシュタインの相対性理論の発見後の時代の変化が関係しているという研究者もいます。

わたくし、まずは、日本語、勉強しないと(笑)
論理的思考苦手です。スイマセン・・・・・。
僕も芸術は好きですが、
美しさというのは、とても主観的な判断基準で、
相対論が美しいと感じるかどうかは人によるかと思います。

僕には、相対論を身近に感じるということ自体、かなり難しいかと思いますし。

数学や物理の定理や法則が美しいと呼ばれるとき、
それは、

その定理や法則に関連した、
非常に複雑な事柄を、理解した人が

端的に、一つの(または僅かな)方程式だけで言い当てている
もしくは、かなりの飛躍をもった仮定を導入している
新しい側面を与えている

といった知的興奮に対して、
エクスタシーを感じることだと思います。

芸術と呼ばれるものの場合は、
もちろん、そういった洗練された技巧に対する評価もありますが、

作者がどういう意図でその作品を作り上げたのかを考える楽しみ
という側面も、印象派が登場して以降、
得に抽象芸術に対してはあるのではないでしょうか。

音楽も同様に、
クラッシック、ジャズ、現代音楽、伝統音楽がたどっている
完成度や新しい方向への挑戦に対するエクスタシーと
得にロックが登場して以降の、作者に対する共感
という側面があるかと思います。

後者に対して、あまり美しいという表現は使いませんが。。

てか、何の話をしてるんでしょうね。
完全にトピズレですね。スミマセン。。
11.ユタカさん

まず感じた事は、最終的に”絶対的”を語られていませんでしょうか。

先に言われた、
>観測から得られた推察を元に、特殊相対論は構成可能なのです。
と、
>我々が観測している世界は、観測主体によらないという事を大前提としてい
>ます。
では主体が違うように感じられますが。

>系の統計的振る舞いが常に収束するとは限らないこと
>から、誤差をもって評価されます。
ご自身の見解でしょうか?

>この様な文脈の下でアインシュタインは前者(TならばO)を示したのであって、>かれは、実験による実証までは行ってません。
もちろんアインシュタインは実証していません。

>ナニヲシュタインさんの論法は、少々乱暴に言うと
>「私はこう思った」「あなたもそうでしょう」
>と主張されていて、
これは近いですが、「あなたもそうでしょう”か?”」のつもりです。

>科学での証明は、
>論理学で言う同値関係を少し緩めた形で用いられています。
どの様な用いられ方でも良いのですが、
自分の問いたいのは、相対性理論の解釈ではなく、
また、科学の常識でもありません。
”思考の相対性により生命体そのものの時間は伸縮する。”
これを、あなたの見解としては、どう思いますか?
です。


12.しまさん
あくまでも自分の見解です。

>『相対性理論は、(美しい)ですか?』
美しいとは思いません。

ニュートン力学のほうが美しいと思います。

表現は変ですが自分なりの表現として我慢してください。
(自分はちゃんとした日本語ができません・・・笑えません)
”777”は美しい。
”776”はなんともいえない・・・・
なんで最後が”6”なんだろうか?
ちょっと気持ちが悪い。
”5”ではダメだったのか?
と、言うように。
きちっとしていないからです。

しかし、
芸術性とかになると(完全に畑違いですが)
”777”には何も感じないが、
”776”には何かがあるような気がする。
と自分なら思います。

アインシュタインで言うと、
”ゆがむ”・・・
算数で”ゆがむ”はまずい。
理科でも”ゆがむ”はまずい。
という気がします。
ゆえに、
美しいとは思いたくない。が本音です。
トピ内容に大幅にずれて申し訳ありません。

なんとなく、お酒を飲みながら語り合いたくなりました(笑)

  シツレイぃ ♪
>>観測から得られた推察を元に、特殊相対論は構成可能なのです。
>と、
>>我々が観測している世界は、観測主体によらないという事を大前提としてい
>>ます。
>では主体が違うように感じられますが。

残念ながら、
ここが実験と理論をすり合わせる時の肝で
ご理解頂けてない様で残念です。

一つ目は、理論的に仮定を作る方法を述べていて
二つ目は、実験的に観測する時の状況を述べています。

上で述べていた、
OならばT
TならばO

というのは、同時に証明する事はできませんので、
主体が異なっても問題がありません。

むしろこの様な証明法が、
主体によらずに、
二つの論証が成り立てば、

OはTとある誤差の範囲内で同値である

と示すことができるのが
科学が今日多くの場で用いられる理由だと思います。

あと、何に対して絶対的だと思ったのか、
教えていただけないと、反論しようがありません。


>>ナニヲシュタインさんの論法は、少々乱暴に言うと
>>「私はこう思った」「あなたもそうでしょう」
>>と主張されていて、
>これは近いですが、「あなたもそうでしょう”か?”」のつもりです。

このご主張の様式では、
あなたが感じた感想文を述べているのにすぎなく、
それに対する共感の呼びかけでは、
論証をしていることになりません。

従って、冒頭で述べられていた「論文にする」ような
一般性のある話しにはなっていませんよ。

もし冒頭で述べられていたように、「論文に」しようと思われるのなら、

>”思考の相対性により生命体そのものの時間は伸縮する。”
>これを、あなたの見解としては、どう思いますか?

に対してまず、

「思考」とは何か
「思考の相対性」とは何か
「生命」とは何か
「生命体」とは何か
「生命体の時間」とは何か
「生命体の時間が短縮する」とは何か
「思考と生命」の関係はどのようなものか

具体例をあげるのではなく、
厳密に定義をされる必要があるかと思います。

定義は、
日本語という自然言語では、個々人によって、意味が異なって一義的ではありませんので、

一義的な例えば、
数学や論理記号、観測された現象の定量的性質を用いて示していただくと、

一般的な主張になり、
他に、同様の主張がなければ、目標にされている論文になるかと思います。

そうされ無い限り、
私には、何についてご指摘されているのか理解できないので、

「何をおっしゃられているのかよく分からない」
という感想以上に私には何も言えません。

本当によく分かりません。

「思考の相対性」という言葉は、
ナニヲシュタインさんの造語だと思いますが、

申し訳ありませんが、お話をお聞きする限りでは、
思考とは何か、何を相対化するのか
さっぱり分かりません。

論理用語が発展した背景には、
他者と他者が共通認識を作る時に、どうすれば良いのか
という試行錯誤があったと思います。

例えば、
「万物の根源は数である」と唱えたピタゴラス学派は、
エレア学派から
「アルキメデスと亀」に代表される難題を提示され、対立していました。

ユークリッド(学派)の「(幾何)原論」は、
背理法と、公理、公準、定理
という論法を主に用いて、
幾何学という一般的な学問を構築しました。

ニュートンは、
この「(幾何)原論」によって触発されたデカルトや
ガリレオら、ルネサンス(ギリシャ、ローマ文明の再発見)
によって輝きを放った人々の影響を受けて、
古典物理という「仮定」を、構築したわけです。

その意味でも、共感を求めるのでなく、
同じ土俵に立てるだけの準備を、
十分に立ててから「論文」を書かれることをおすすめ致します。

あなたが「感じた」事が、常に普遍性を持つとは限らないのですから。
あと、
>>我々には、高々有限回の測定しかできないこと
>>系の統計的振る舞いが常に収束するとは限らないこと
>>
>>から、誤差をもって評価されます。
が僕の見解かどうかについてですが、

誤差という言葉は、そもそも、
統計平均からのズレを表す指標です。

得られた統計量が正規分布に従っていれば、
正規分布の分散を用いて評価できます。

観測量の再現性を確保するためには、
統計平均が常に一定の値をとらなければなりませんので、

いくら統計量を増やしても、
系の観測量が収束しないのであれば、
平均値を出すことはそもそもできません。

観測量が収束しない場合というのは、

統計力学の仮定であるエルゴード性が成り立たない
(僕はそもそも成り立ってないだろうという立場から研究していますが)
または力学的に不安定である

場合に、成立すると考えられます。
観測量が収束しないというのは、
例えば
古典力学で、常に異なる初期条件から始まる軌道を観測する
という状況では、一般的に観測量が収束する保証はありません。

逆に、観測量が常に収束するという事が、
よほど単純な系でない限りは、示すことができません。

従って、統計量が常に収束するとは限りません。

非平衡では常に直面している課題で、
どのように、統計にのる定量化をするのかという課題は、大きな問題です。
かなり標準的な主張だと思います。

確率論や統計学について、分からないのであれば、
この場で説明できる範疇を越えているので、勉強してください。

議論というのは、
互いに、設定された議題に対して
十分な知識を有している
という事が前提になるものだと思います。


最後に、もうひとつ。

この指摘はあまりしたくありませんでしたが、

ナニヲシュタインさんは、
標準的な用法から反れた専門用語の用い方をされているにもかかわらず、
多くの場合、そういった新しい使い方を説明なしに使われています。

初期のころの、指摘をされていた方々が去った理由はそこにあると思います。

つまり、ナニヲシュタインさんは
問題にあげている相対性理論
そもそも特殊相対性理論についても、
正確な理解をしないまま、論題にしていると。

あなたが、理解する気
つまり、勉強する気が無い限り、

相対論に関するご指摘は、
ほとんど意味を成していないので、

特殊相対論の
ある系とある系の幾何学的な関係を表現する
ローレンツ変換
という言葉を残しても反応がないから、
みなさん説得するのも、諦めてさっていかれたのだと思います。

一方で、もしナニヲシュタインさんのご主張が、
アインシュタインの相対性理論とズレているなら、
このコミュニティにスレッドを立てることそのものが、誤りだということになります。
ユタカさん

ありがとうございます。
何の反論もありません。
感服いたします。

>「思考」とは何か
>「思考の相対性」とは何か
>「生命」とは何か
>「生命体」とは何か
>「生命体の時間」とは何か
>「生命体の時間が短縮する」とは何か
>「思考と生命」の関係はどのようなものか

>具体例をあげるのではなく、
>厳密に定義をされる必要があるかと思います。

自分は上記のすべてについて解りません。
今後、時間をかけて勉強したいと思います。

>「何をおっしゃられているのかよく分からない」
>という感想以上に私には何も言えません。

上記のすべてが解らない・・・と言う自分に対して、
正しい感想だと思います。

>問題にあげている相対性理論
>そもそも特殊相対性理論についても、
>正確な理解をしないまま、論題にしていると。

これも、その通りです。


少しだけ自分ごとですが、話をさせてください。
”可愛い子といると1時間が1分に感じる”(記憶なので文章は違うと思いますが)

この文章は、かなり前に見てその時は、
ユニークなサービストークとしてのただの文章でした。

昨年6月にまた、この文章を見てその時、
「個々に時間があり、可愛い子といた人の個々の時間が本当に縮ったのではないか?それは1分になった訳ではないだろうけど。
仮に、第3者が2人の一緒にいる時間を時計で測定して得た時間と、可愛い子といた人の個々の時間を比べられるとしたら、時間の進み方が違うのではないか?」と思ったのです。
そして、
「可愛い子といた人がふと、時計に目をやり”ああもうこんな時間だ”となり、時間(時計)への認識が調整される。しかし、個々の時間はそれでは調整されないのではないか?」
つまり、
「人は時計で時間を把握するが、個々に所有するだろう時間は別なもので調整されるのではないか?」
と考えたのです。
そして、
「”生物時計”と呼ばれているものが時間であり、それは相対的に伸縮するのではないか?」
と考えました。

しかし、どうすればよいか解らない・・・・

以上がトピックに挙げた理由です。

ユタカさん

自分はこの自分の問題につき、どの著書を読んでも糸口さえ掴めないでいました。
ユタカさんのご意見を生かすも殺すも自分次第でしょう。
時間をかけて勉強を続けてゆくつもりです。
ありがとうございます。
また、ご指導ください。感謝いたします。
かくゆう私も、
研究室では、論破されっぱなしです。

論破される事で、
論理的な思考力が
成長していくのかもしれません。


もしかすると、僕が最初に申し上げたことが、
そういった文献を探し当てるのに役に立つかもしれません。

>最近は時計細胞の話題が生物物理系で流行していますが、
>この話題は認知についてなので、あくまで思いだした時の話で、
>関係ないでしょうね。
>
>神戸大の郡司先生が、以前
>人が恐怖体験をすると、時間の進むのが遅くなる
>という経験則を確認するため、
>時計をもって逆バンジーに乗った研究者の話をしていらっしゃいましたが、
>結果は変わらないでした。

相対論を絡めるのは無茶がありますが、
認知の問題としては、
人が感じる時間というものの定量化は、
まだされてないのではないでしょうか。

なので、解こうとする方向性を誤っただけで、
適切な方向さえ問題を向ければ、
決してわるいモチベーションではないと思います。
19.ユタカさん

自分はたとえアインシュタインと話していたとしても、
教科書を差し出されるのであれば、反論します。
ただ、私はこう思う。と言うことには感動します。

無駄な時間を費やさせて申し訳ありませんでした。
しかし、自分にとっては有意義な時間でありました。

>神戸大の郡司先生が、以前
>人が恐怖体験をすると、時間の進むのが遅くなる
>という経験則を確認するため、
>時計をもって逆バンジーに乗った研究者の話をしていらっしゃいましたが、
>結果は変わらないでした。

この話。
「やったんだ・・・」って思いました。
ただ、時計はダメだろうと。
でも、この関係の書籍に興味がもてました。
あきらめかけていた、落ちてきていたモチベーションを、
持続できそうです。
「適切な方向さえ問題を向ければ」ですね。

本当にありがとうございます。
ユタカさん、しまさん、と自分で飲んで話したら、
すべて、あさっての方向で面白いでしょうね。
ナニヲシュタインさん
お酒は勘弁してください。
宴会場に行くだけで酔っ払うほど弱いので。。
実は私も・・・
悲しいほど、弱いんです(笑)
暇なときのキャバクラと忙しい日のキャバクラでは、忙しい日は好きなお姉さんがあちこち回っていてあまりかまってもらえないから、同じ時間でも会ってる時間が短いからそう感じてしまった。

普段可愛い子と一緒にいない時間が長いから、可愛い子と過ごす時間は相対的に短く感じる。

これでいいんじゃないんですかね。
いいや、ちがうね

あほまるだしの未熟なキャバ嬢より場末のスナックの中年ママさんのほうがまだなんぼかマシです
そういうとこで飲んでると時間がすぐに経過する

その結果、あくる日が辛いわけです

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