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吉祥天コミュの「日本霊異記」に見る吉祥天女

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・・・という訳で、日本霊異記には吉祥天女にまつわるお話が2編載っています。

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、ご存知でない方のためにご紹介してみたいと思います。
m(・∀・)m


☆「日本霊異記」について
日本現報善悪霊異記/日本国現報善悪霊異記(にほんこくげんほうぜんあくりょういき)は、
平安時代初期に書かれた日本最古の説話集である。
『日本霊異記』と略して呼ぶことが多い。著者は景戒。上・中・下の三巻。
(以上、wikiより)


☆中巻 第十三 
 「愛欲を生じて吉祥天女の像に恋ひ、感応して奇(めづら)しき表(しるし)を示しし縁」

☆中巻 第十四
 「窮(せま)れる女王の吉祥天女の像に帰敬(きぎょう)して、現報を得し縁」


以下、現代語訳は 「日本古典文学全集 6 日本霊異記」(小学館)より引用させて頂きます☆

コメント(5)

まずは一つ目のお話の現代語訳から・・・☆


中巻 第十三 

「愛欲の心を起こして、吉祥天女の像を慕い、心が通じて不思議なことが起こった話」


和泉国和泉郡の血渟の山寺に、吉祥天女の塑像がある。
聖武天皇の御代に、信濃国の優婆塞がその山寺に来て住んだ。
優婆塞はこの天女の像を流し目で見、愛欲の心を募らせ、一途に恋い慕って、
一日六度の勤めごとに、「天女のような顔のきれいな女を私にください」と
祈り願った。
ところで、優婆塞は、ある夜天女の像と交接した夢を見、明くる日よく見ると、
天女の像の裳の腰のあたりに、不浄の物が染みつき、汚れていた。
優婆塞はそれを見て、恥ずかしさに
「わたしはあなた様に似た女が欲しいと願っておりましたのに、どうして畏れ多くも
 天女御自身が私と交接されたのですか」
と申し上げた。しかし実際恥ずかしくてこのことは誰にも言わなかった。
ところが、弟子がひそかにこのことを耳にした。
後日、その弟子が師匠に礼を尽くさないので、叱って追い出された。
弟子は追われて里に出て、師の悪口を言い、吉祥天女との情事をあばきたてた。
里人はこのことを聞き、行って真偽を尋ね、同時にその像を見ると、淫水が染みついて汚れていた。
優婆塞は事を隠しきれずに、詳しく訳を話した。
こうしたことから、深く信仰すると、神仏に通じないことはないということが本当に分かる。
これは不思議なことである。
涅槃経に、「多淫の人は絵に画いた女にも愛欲を起こす」と述べられておられるのは、
このことをいうのである。


(「日本古典文学全集 6 日本霊異記」(小学館)より引用 )
中巻 第十四 

「貧しい女王が吉祥天女の像を敬い、現世で報いを受けた話」


聖武天皇の御代に、王たちが友二十三人心を合わせて、順ぐりに食事を作って
会食の席を設けることにしていた。
中に一人の貧しい女王があり、宴席の列に加わっていた。
二十三人の王は順次、宴席を設けることがすでに終わった。
ただこの女王ひとりだけがまだ宴席を設けていなかった。
女王は宴席を設ける都合もつかない。
そこで彼女は前世の報いとしての貧乏を大変恥じ、奈良の左京の服部堂(はとりどう)に行き、
吉祥天女の像に向かい、涙ながらに、
「私は前世に貧窮の原因を作って、現世に貧の報いを受けています。
 わたしは互いに食事するために宴席に加わり、ただ人の物を食べるだけで、
 宴席を設ける方法もありません。どうかわたしに財貨を与えてください」
と祈った。

折も折、その女王の子があわて急ぎ走って来て、母に、
「豪勢に前の都からご馳走を用意して来ました」と言った。
母の王はこれを聞き、走って行って見ると、女王を育てた乳母であった。
乳母は、
「わたしは、女王様がお客を招待するとお聞きしましたので、食べ物を用意して参りました」
と言った。
そのご馳走は香りが高く、こうばしいにおいをまき散らし、すばらしいことは
比べ物がないほどであった。何一つ足りない物はなかった。
用意した器は、みなすばらしい金属製の椀であって、三十人の人に担わせて来た。
王たちはみな集まって来て、もてなしを受けて喜んだ。
ご馳走は前回の王たちのよりもまさり、人々は豊かな女王よとほめたたえた。そして
「豊かでなく貧しくては、どうしてご馳走を余りあふれ、満ち足りるほど用意できましょう。
 わたしが以前用意したものよりもずっとすぐれております」
と言った。

王たちの舞い歌うさまのすばらしさは、天上界の楽のようであった。
ある者は衣を脱ぎ与え、ある者は裳を脱いで与え、またある者は銭・絹・布・綿などを
女王に贈った。
女王は喜びの気持ちを抑えきれず、もらった着物を捧げて乳母に着せ、その後服部堂に行き、
吉祥天女像を拝もうとすると、乳母に着せた衣装はその天女の像に掛かっている。
不思議に思って乳母の所に行き、尋ねると、乳母は「知りません」と答えた。
それで、これは吉祥天女が女王の信心に感じて賜わったのであることがはっきりとわかる。
それ以降、女王は財貨も豊かになり、貧乏の憂えもなくなった。
これは珍しいことである。


(「日本古典文学全集 6 日本霊異記」(小学館)より引用 )
一つ目のお話で、優婆塞とありますが、優婆塞とは在家の仏教信者のことなんですね。

この優婆塞さん、吉祥天女の美しい像を見て、(*´Д`)ハァハァ しちゃったんですね・・・w
なんというか、すんごく素直というか・・・あせあせ(飛び散る汗)
そして夢の中でついに吉祥天女さまとHしちゃった訳ですが、夢だと思っていたら、なんと
像の腰のあたりに俺の精液・・・げっそり!?な展開!

優婆塞さんの多淫なのは置いといて、吉祥天女はなぜ、自らが相手してくれたのでしょうか・・・?
優婆塞さんも、「吉祥天女のような美しい女性が欲しいです〜」というだけの願いだったでしょうにたらーっ(汗)
ここでの吉祥天女は、自分に対して畏れ多くも欲情を持った優婆塞に対して、罰どころか自分の身体を張って、欲を満たさせていますよね。
吉祥天女の対応がそれだけでもおおらかなので、なんていうか懐の深さを感じますが、実はこの優婆塞がきちんと仏教修行に向き合っていけるように、との配慮なのかなぁ、という感じでしょうか?
あの・・・ほら、男性もスッキリすると仕事がはかどると言うしあせあせ(飛び散る汗)

吉祥天女も「天部」に属する方なので、仏法の守護神・福徳神というお立場で、いろいろ大変なのでしょうね・・・。

このお話は、今昔物語の中にもありました。(『今昔物語集』巻17−45)

ちなみに「和泉国和泉郡の血渟の山寺」というのは、現在の大阪府和泉市の「施福寺(せふくじ)」という所のことだそうです。
↑書き忘れ。

この「施福寺」に安置されていた吉祥天女像は、現在大阪府貝塚市の珀谷山 吉祥園寺に安置されているとのことです。

(吉祥天を拝めるお寺など。トピ ?15コメントに紹介済)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=41677920&comm_id=4085473
中巻 第十四の、吉祥天女と貧しい女王の宴のお話ですが、この中の服部堂(はとりどう)とは、
かつて奈良県西新屋町にあり焼失してしまった元興寺の吉祥堂のことだそうで、現在この吉祥堂は、
奈良県の奈良町資料館内に再建されています。
(吉祥天を拝めるお寺など。トピ ?14コメントに紹介済)
「服部」とは「機織り」のことで、女性の手職であったことから、天女を祭ってあったと思われます。


さて、このお話は霊異記が霊験譚であることがよく分かるお話で、平たく言うと貧しい女人が仏に願い財福を得る話、というご利益が分かり易い形で現れていますね。
このお話では吉祥天女となっていますが、吉祥天女をモチーフとしなくても、実は観音菩薩様でも良いような気がします。
実は日本霊異記の中では観音菩薩信仰説話がとても多く、観音菩薩の変幻自在な化身性と、現報(ご利益)の即効性に対する信仰が篤かったことが見て取れます。

このお話の、上に挙げた現代語訳では表現されていませんが、原文では最後の部分で、

定めて知る、菩薩の感応して賜りしことを。
因りて大きに財に富み、貧窮の愁を免る。
是れ奇異しき事なり。

(女王の信心に「菩薩」が感じて賜ったのであることがはっきりと分かる。それ以降、女王は財貨も豊かになり、貧乏の憂えもなくなった。これは珍しいことである。)

と、吉祥天女が「菩薩」となっています。現世利益に通じる部分で、吉祥天女が観音菩薩と同質としてとらえられているようです。

今昔物語にも同様のお話が載っています。(『今昔物語集』巻17−46)

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