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アンチ日蓮正宗(日蓮正宗系)コミュの「本因妙抄」なる相伝書は日蓮の真筆ではない。後世の偽作である

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「本因妙抄」なる相伝書は日蓮の真筆ではない。後世の偽作である

日蓮正宗や創価学会では「本因妙抄」という文書を、1282年(弘安五年)10月11日、まさに日蓮の死去の二日前、日蓮から日興へ相伝された書であると位置づけている。
日蓮正宗としては「日蓮本仏論」の文証の位置づけを確たるものにしたいということなのかもしれないが、残念ながら、この「本因妙抄」なる名前の文書は日蓮の真書ではなく、後世の者が捏造した偽作、つまり真っ赤なニセ文書なのである。

このトピックでは、「本因妙抄」に焦点を当てて、「本因妙抄」なる文書の正体を徹底的に丸裸にする。

(注)
このトピックに書かれている内容について、質問その他のコメント(絶賛?でもOK)をしたい方は、こちらへ。

「日蓮&日蓮正宗の教義的・ドグマ的問題点」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=9227810&comm_id=406970

日蓮正宗現役信者ないしは『本因妙抄』日蓮真造論者の反論・文句は、「アンチ日蓮正宗vs日蓮正宗」コミュニティの中にある下記のトピックに書き込んでください。

「アンチ日蓮正宗vs日蓮正宗」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4011664

本 因 妙 抄 
 
 法華本門宗血脈相承の事本因妙の行者日蓮之を記す 
 
予が外用の師伝教大師生歳四十二歳の御時、仏立寺〈天台山仏隴寺〉の大和尚に値ひ奉り、義道を落居し、生死一大事の秘法を決したもうの日、大唐の貞元二十一年〈太歳乙酉〉五月三日三大章疏を伝へ、各七面七重の口決を以て治定し給へり。
所謂玄義七面の決とは、正釈五重列名に約して決したもう。
 
一に依名判義の一面。名とは法の分位に於て施設す。体とは宰主を義と為す。宗とは所作の究竟なり、受持本因の所作に由て口唱本果の究竟を得。用とは証体本因本果の上の功能徳行なり。教とは誡を義と為す。
誡とは本の為の迹なれば、迹は即ち有名無実・無得道なるを、実相の名題は本迹同じければ、本迹一致と思惟すべき事を大に誡んが為に、三種の教相を起て種熟脱の論不論を立つる者なり。経文解釈明白なり。
此くの如く文文句句の名妙正の深義、本迹勝劣の本意を顕し給ふ者なり。
然りと雖も天台・伝教の御弘通は偏に理の上の法相、迹化付属像法の理位、観行五品の教主なれば、迹を表と為して衆を救ひ本を隠して裏に用る者なり。甚深甚深、秘すべし秘すべし。
 
二に仏意機情二意の一面。仏意は観行・相似を本と為し、機情は理即・名字を本と為す。
何れも体用を離れず、体用は法華の心智に依て一代五時の次第浅深を開拓す。
次に機情とは大通結縁の衆の為に四味の調養を設け法華に来入す。
本迹二門乃至文文句句、此の二意を以て分別すべき者なり。
 
三に四重浅深の一面。名の四重有り。一には名体無常の義、爾前の諸経諸宗なり。二には体実名仮、迹門始覚無常なり。三には名体倶実、本門本覚常住なり。四には名体不思議、是れ観心直達の南無妙法蓮華経なり。湛然の云く「雖脱在現具騰本種」云云。
 
次に体の四重とは、一に三諦隔歴の体、爾前権教なり。二に理性円融の体、迹門十四品なり。三に三千本有の体、本門十四品なり。四に自性不思議の体、我が内証の寿量品事行の一念三千なり。
 
次に宗の四重とは、一に因果異性の宗、方便権教なり。二に因果同性の宗、是れ迹門なり。三に因果並常の宗、即ち本門なり。四に因果一念の宗、文に云く「芥爾も心有れば即ち三千を具す」と。是れ即ち末法純円結要付属の妙法なり云云。
 
次に用の四重とは、一に神通幻化の用、今経已前に明かす所の仏菩薩出仮利生の事。二に普賢色身の用、即ち一身の中に於て十界を具する事なり。本迹一代五時に亘る。三に無作常住の用、証道八相有り、無作自在の事なり。四に一心の化用、或説己身等なり。
 
次に教の四重とは、一には但顕隔理の教、権小なり。二には教即実理の教、迹門なり。三には自性会中の教、応仏の本門なり。四には一心法界の教、寿量品の文の底の法門、自受用報身如来の真実の本門、久遠一念の南無妙法蓮華経。雖脱在現具騰本種の勝劣是なり。
 
第四に八重浅深の一面なり。名の八重とは、一に名体永別の名、二に名体不離の名、三に従体流出の名、四に名体具足の名、五に本分常住の名、六に果海妙性の名、七に無相不思議の名、八に自性己己の名、乃至教知るべし云云。文に任せて思惟すべきなり。
 
第五に還住当文の一面。四八の浅深を以て本迹勝劣を知るべし。
 
第六に但入己心の一面。始め大法東漸より第十の判教に至るまで、文の生起を閣おき一向に心理の勝劣に入れて正意を成すべし。
謂く、大法とは即ち行者の己心の異名なり云云。釈の意は文義の広博を離れて首題の理を専にすと釈し給ふなり。
 
第七に出離生死の一面。心は一代応仏の寿量品を迹と為し、内証の寿量品を本と為し、釈尊久遠名字即の身と位とに約して南無妙法蓮華経と唱へ奉る、是を出離生死の一面と名く。「本迹約身約位」の釈、之を思ふべき者なり〈已上〉。玄文畢る。
文句の七面の決とは。一に依名の一面、其の義上の如し。
二に感応の一面、三時弘経に亘るべし。爾前迹門の正像二千年弘経の感応より、本門末法弘通の感応は真実真実勝るなり。
三に四教の一面、四に五時の一面、五に本迹の一面、六に体用の一面、七に入己心の一面、悉く皆其の心前に同じ。
智威大師の伝には、玄義文句の両部には爾前迹門に各三十重の浅深を以て口決し給へり。具には伝教大師七面決の如し。
 
又摩訶止観一部には十重顕観を立てて是を通じ給へり。
 
一は待教立観。爾前本迹の三教を破して不思議実理の妙法蓮華経の観を立つ。文に云く「円頓者初縁実相」云云。
迹門を理具の一念三千と云ふ、脱益の法華は本迹共に迹なり。本門を事行の一念三千と云ふ、下種の法華は独一の本門なり。是を不思議実理の妙観と申すなり。
二に廃教立観。心は権教並に迹執を捨て、本門首題の理を取て事行に用ひよとなり。
三に開教顕観。文に云く「一切諸法本是仏法、三諦の理を具するを名けて仏法と為す。云何んぞ教を除かん」云云。文意は観行理観の一念三千を開して、名字事行の一念三千を顕す。大師の深意・釈尊の慈悲・上行所伝の秘曲是なり。
四に会教顕観。教相の法華を捨てて観心の法華を信ぜよと。
五に住不思議顕観。文に云く「理は造作に非ず故に天真と曰ふ、証智円明なるが故に独朗と云ふ」云云。釈の意は、口唱首題の理に造作無し。今日熟脱の本迹二門を迹と為し、久遠名字の本門を本と為す。
信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱へ奉れば凡身即仏身なり。是を天真独朗の即身成仏と名く。
 
問て曰く、前代に此の法門を知れる人之有りや。答て曰く、之有り。求めて云く、誰人ぞや。示して云く、釈尊是なり。
尋ねて云く、仏を除き奉て余に之を知れる人師論師有りや。答て曰く、天台の云く「天親竜樹 内鑑冷然 外適時宜」と。
今日の南無妙法蓮華経は南岳・天台・妙楽・伝教の内鑑冷然 外適時宜なり。内鑑冷然 外適時宜の修行の日は本迹一致なり。
有智無智を嫌はず「円頓者初縁実相の理は造作に非ざる故に天真と曰ふ、証智円明の故に独朗と曰ふ」と云て、理位観行に趣かしめて利益を為し、末法の時を待つ者なり。
故に天台云く「但当時大利益を獲るのみに非ず、後五百歳遠く妙道に霑ふ」云云。
天台・章安・妙楽・伝教等の大聖は、内証は本迹勝劣、外用は本迹一致なり。
其の故は教相も観心も相似・観行解了の人師、時機亦像法なり。
付属は即妄授余人、御身も亦迹化の衆観音・妙音・文殊・薬王等の化身なり。
今末法は本化の菩薩等の出世の境、本門流宣の時剋なり。何ぞ理観を用て事行を修せざらんや。
予が所存は内証・外用共に本迹勝劣なり。若し本迹一致と修行せば、本門の付属を失ふ物怪なり。
本迹の不同は処処に之を書す。然りと雖も宿習拙き者本迹に迷倒せんか。
若し本迹勝劣を知らずんば、未来の悪道最も不便なり。宿業を恥じず還て予を恨むべきか。
我が弟子等の中にも天台・伝教の解了の理観を出でず、本迹に就て一往勝劣再往一致の謬義を存して、自他を迷惑せしめんの条宿習の然らしむる所か。
閻浮提第一の秘事為りと雖も、万年救護の為に之を記し留る者なり。
我が未来に於て予が仏法を破らん為に、一切衆生の元品の大石第六天の魔王、師子身中の蝗蟲と成て、名を日蓮に仮て本迹一致と云ふ邪義を申し出して、多の衆生を当に悪道に引くべし。
若し道心有らん者は彼等の邪師を捨てて、宜く予が正義に随ふべし。
正義とは本迹勝劣の深秘、具騰本種の実理なり。日蓮一期の大事なれば、弟子等にも朝な夕なに教へ、亦一期の所造等悉く此の義なり。
然りと雖も迹執を出でず、或は軽〈見惑〉或は蔑〈思惑〉或は痴〈塵沙惑〉或は迷〈無明惑〉故に日蓮が立義を用ひざるか。
予が教相・観心は理即名字・愚悪愚見の為なり。日蓮は名字即の位、弟子檀那は理即の位なり。
上行所伝結要付属の行儀は、教観・判乗、皆名字即五味の主の修行なり。
故に教相の次第要用に依るべし。唯大綱を存する時は余は網目を事とせず。
彼は網目、此れは大綱、彼は網目の教相の主、此れは大綱首題の主。
恐くは日蓮の行儀には天台・伝教も及ばず。何に況や他師の行儀に於てをや。
唯在世八箇年の儀式を移して、滅後末法の行儀と為す。然りと雖も仏は熟脱の教主、某は下種の法主なり。
彼の一品二半は舎利弗等の為には観心たり、我等凡夫の為には教相たり。
理即但妄の凡夫の為の観心は、余行に渡らざる南無妙法蓮華経是なり。
是くの如く深義を知らざる僻人出来して、予が立義は教相辺外と思ふべき者なり。此等は皆宿業の拙き修因感果の至極せるなるべし。
彼の天台大師には三千人の弟子ありて、章安一人朗然なり。伝教大師は三千人の衆徒を置く、義真已後は其れ無きが如し。
今以て此くの如し。数輩の弟子有りと雖も、疑心無く正義を伝ふる者は希にして一二の小石の如し。秘すべきの法門なり。
 
第六に住教顕観。七に住教非観。八に覆教顕観。九に住教用観。十に住観用教。此の五重は上の五重の如し思惟すべし。
 
問て云く、本迹雖殊不思議一、本迹の教に於て別して不思議の観理を顕はす故にと云云。
機情に約すれば本迹に於て久近の異有るべし、是れ一往の浅義なり。内証に約して之を論すれば勝劣有るべからず、再往の深義は不思議一なり云云。如何が意を得べけんや。
答て云く、住教顕観は煩悩即菩提、住教非観は法性寂然、覆教顕観は名字判教、住教用観は不思議一、住観用教は以顕妙円と申す大事是なり。
教観不思議天然本性の処に独一法界の妙観を立つ。是を不思議の本迹勝劣と云ふ。
亦絶待不思議の内証不可得・言語道断の勝劣は、天台・妙楽・伝教の残す所、我が家の秘密観心直達の勝劣なり。
迹と云ふ名ありと雖も、有名無実・本無今有の迹門なり。
実に不思議の妙法は唯寿量品に限る、故に不思議一と釈するなり。
迹門の妙法蓮華経の題号は、本門に似ると雖も義理天地を隔つ、成仏亦水火の不同なり。
久遠名字の妙法蓮華経の朽木書なる故を顕さんが為に一と釈するなり。
末学疑網を残すこと勿れ、日蓮霊山会上多宝塔中に於て、親たり釈尊より直授し奉る秘法なり。甚深甚深、秘すべし秘すべし、伝ふべし伝ふべし。
 
摩訶止観七面口決とは、依名判義、附文元意、寂照一相、教行証、六九二識、絶諸思慮、出離生死の一面〈已上〉。
伝教大師云く「一切諸法 従本已来 不生不滅 性相凝然 釈迦閉口 身子絶言」云云。是は迹門、天台止観の内証なり。
本門日蓮の止観は、釈迦は口を開き文殊は言語す。迹門不思議不可説、本門不思議可説の証拠の釈是なり。
亦三大部に於て一同十異・四同六異之有り。伝教、仏立寺より之を口決す。
一同とは名同なり。十異とは、名同義異・所依異・観心異・傍正異・用教異・対機異・顕本理異・修行異・相承異・元旨異なり。
四同とは名同・義同・所依同・所顕同なり。六異とは、釈異・大綱網目異・本末異・観心異・教内外観異・自行化他異・是なり。
今要を以て之を言はば、迹・本・観心、同名異義なり。始終本末共に修行も覚道も時機も感応も皆勝劣なり。
 
此の下二十四番勝劣なり。彼の本門は我が迹門。彼の勝は此の劣。彼の深義は予が浅義。彼の深理は此の浅理。彼が極位は此の浅位。彼の極果は此の初心。彼の観心は此の教相。彼は台星の国に出生す、此れは日天の国に出世す。彼は薬王此れは上行。
彼は解了の機を利す、此れは愚悪の機を益す。彼の弘通は台星所居の高嶺なり、此の弘経は日王能住の高峰なり。彼は上機に教へ、此れは下機を訓ず。彼は一部を以て本尊と為し、此れは七字を本尊と為す。
 
彼は相対開会を表と為し、此れは絶対開会を表と為す。彼は熟脱、此れは下種。彼は衆機の為に円頓者初縁実相と示し、此れは万機の為に南無妙法蓮華経と勧む。彼は悪口怨嫉、此れは遠島流罪。
彼は一部を読誦すと雖も二字を読まざること之在り、此れは文文句句悉く之を読む。彼は正直の妙法の名を替へて一心三観と名く、有の儘の大法に非ざれば帯権の法に似たり、此れは信謗彼此決定成菩提、南無妙法蓮華経と唱へかく。
 
彼は諸宗の謬義を粗書き顕すと雖も未だ言説せず、此れは身命を惜まず他師の邪義を糺し三類の強敵を招く。彼は安楽普賢の説相に依り、此れは勧持不軽の行相を用ゆ。彼は一部に勝劣を立て、此れは一部を迹と伝ふ。
彼は応仏のいきをひかふ、此は寿量品の文底を用ゆ。彼は応仏昇進の自受用報身の一念三千・一心三観、此れは久遠元初の自受用報身・無作本有の妙法を直に唱ふ。
此れ等の深意は、迹化の衆普賢・文殊・観音・薬王等の大菩薩にも付属せざる所の大事なれば知らざる所の秘法なり。況や凡師に於てをや。
 
若し末法に於て本迹一致と修行し、所化等に教ゆる者ならば、我が身も五逆罪を造らずして無間に堕ち、其れに随従せんともがらも阿鼻に沈まん事疑無き者なり。
此の書一見の人人は、理〈普賢〉智〈文殊〉一言の菩薩、生死絶断の際、定光覚悟の大菩薩なり。
伝教云く「文殊の利剣は六輪に通じ十二の生類を切断す。一刀を下して〈妙法〉万方に勅するに、自然に由お三諦を出だす見聞覚知に明なり。
此の一言の三際を示すに一言に如かず。若し未達の者も一頌を開くに〈題目〉三般〈三諦〉同じく通知せざること無し。生仏自ら一現なる、是を一言の妙旨・一教の玄義と謂ふ」云云。
天台の云く「一言三諦 刹那成道 半偈成道」云云。
伝教の云く「仏界の智は九界を境と為し、九界の智は仏界を境と為す。境智互に冥薫して凡聖常恒なる、是を刹那成道と謂ひ、三道即三徳と解れば諸悪ち善なる、是を半偈成道と名く」。
今会釈して云く、諸仏菩薩の定光三昧も、凡聖一如の証道・刹那半偈の成道も、我が家の勝劣修行の南無妙法蓮華経の一言に摂し尽す者なり。
此の血脈を列ぬる事は、末代浅学の者の予が仮字の消息を蔑如し、天台の漢字の止観を見て、眼目を迷はし心意を驚動し、或は仮字を漢字と成し、
或は止観明静前代未聞の見に耽り、本迹一致の思を成す、我が内証の寿量品を知らずして止観に同じ、但自見の僻見を本として予が立義を破失して悪道に堕つべき。
故に天台三大章疏の奥伝に属けて、天台・伝教等の秘し給へる正義、生死一大事の秘伝を書き顕し奉る事は、且は恐れ有り且は憚り有り、広宣流布の日、公亭に於て応に之を披覧し奉るべし。
会通を加へる事は且は広宣流布の為、且は末代浅学の為なり。又天台・伝教の釈等も予が真実の本懐に非ざるか。未来嬰児の弟子等彼を本懐かと思ふべきものか。
去る文永の免許の日、爾前迹門の謗法を対治し、本門の正義を立て被れば、不日に豊歳ならむと申せしかば、聞く人毎に舌を振い耳を塞ぐ。
其の時方人一人も無く、唯我と〈日蓮〉与我〈日興〉計りなり。
 
問て云く、寿量品文底の大事と云ふ秘法如何。答て云く、唯密の正法なり。秘すべし秘すべし。
一代応仏のいきをひかえたる方は、理の上の法相なれば、一部共に理の一念三千、迹の上の本門寿量ぞと得意せしむる事を、脱益の文の上と申すなり。
文の底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず、直達の正観・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是なり。
権実は理〈今日本迹理〉なり、本迹は事〈久遠本迹事〉なり。亦権実は約智約教〈一代応仏本迹〉、本迹〈久遠本迹〉は約身〈名字身〉約位〈名字即位〉。
亦云く雖脱在現具騰本種といへり。釈尊久遠名字即の位の御身の修行を、末法今時日蓮が名字即の身に移せり。
理は造作に非ざる故に天真と曰ひ、証智円明の故に独朗と云ふの行儀、本門立行の血脈之を注す。秘すべし秘すべし。
 
又日文字の口伝、産湯の口決二箇は両大師の玄旨にあつ。本尊七箇の口伝は、七面の決に之を表す。教化弘経の七箇の伝は弘通者の大要なり。
又此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし秘すべし、伝ふべし。
法華本門宗血脈相承畢ぬ 
弘安五〈太歳壬午〉十月十一日  日蓮花押
 
 編者の曰く日時上人(本山五世)日辰上人(要山永禄三年写)日我上人房山元亀三年比)等古写本(巻頭に其各写真を掲く)によってこれを写し一校を加へ後可と見ゆるぶんには一線を引く、而して各本について識の明らかなるは辰師本(日尊自筆の本にて写すとあり)とす、以下の無数の写本ありと云へども多くは三本を出でざれば校正用に足らざるなり。
 



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検証1・本因妙抄を後世の偽作と実質的に認めている日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨


日蓮正宗や創価学会が日蓮から日興への重大な相伝書などと位置づけている「本因妙抄」なる名前の文書も、日蓮や日興とは何の関係もない偽作文書である。
この文書も、よく読むと、さまざまな矛盾や史実と相違する内容を包含しており、日蓮宗をはじめ、さまざまな方面から「後世の偽書ではないか」と指摘されていた。
これらの指摘に対して日蓮正宗大石寺59世法主・堀日亨が、「全文が日蓮の書いた文というわけではなく、部分的に後世の者が書き加えた箇所がある」などという、前代未聞の「部分後加論」なるものを唱えて、次のように言い訳をしたのである。
堀日亨は日蓮正宗大石寺法主隠退後に書いた著書「富士日興上人詳伝」の中で次のように述べている。

「後世の五老門下の多分は…百六・本因の両相伝書をまた偽書といっておる。ただし、ぜんぜん偽書というに理由のないことでもない。それは本因・百六の御相伝の現文が、反対者を圧伏するにたらざるところを補うた後人の註釈が、かえって他門より攻撃の基となっておる。それは高妙な道理より、平凡な史実がしかりである辺もある」 (堀日亨の著書『富士日興上人詳伝』)

「本因妙抄の真書説」を立てているのは富士門流、中でも日蓮正宗や創価学会、顕正会などですが、その日蓮正宗法主を歴任した堀日亨が「偽書というに理由のないことでもない」と言っていることは注目に値する見解である。
そして堀日亨は、後人の「部分後加論」を唱える経緯について、同じく自らの著書「富士日興上人詳伝」の中で次のように述べている。

「この相伝書を富士門ではぜんぶ蓮祖の御書としていたが、他門では記事が史実に合致せぬ辺からも偽書であると主張して、たがいに相論の的らしくなっていたが、愚老は疾くに本註混合して、悪しき註のために本相伝書が汚されていると信じ、これも発表もしておいた。すなわちそれは富士宗学要集の諸文であるが、ぜんぶ後註である。くわしくは本文を見られよ」(堀日亨の著書『富士日興上人詳伝』)

つまり「本因妙抄」の真偽について、日蓮正宗と他門の間で論争があったが、堀日亨としては他門・日蓮宗などの「本因妙抄偽書論」をほぼ認める形で、「富士宗学要集」に「一校を加へ後加と見ゆる分には一線を引く」として「部分後加論」を唱えたということである。

もっと平たくいうと、堀日亨としても「本因妙抄」という文書は偽書と認めざるを得ないんだけども、日蓮正宗法主を歴任している堀日亨としては、立場的には「本因妙抄偽書論」を全面的に認めるわけにいかないので、苦し紛れに「部分後加論」を唱えるということで、お茶を濁している、ということになるのでしょう。

検証2・本因妙抄は日蓮・晩年の史実と符合しない1

「本因妙抄偽書論」の根拠となっていて、日蓮正宗大石寺59世法主・堀日亨が「史実に合致せぬ辺」と言った内容とは、こういうことです。

それは「本因妙抄」と日蓮の晩年の病状との史実との関係であり、 日蓮の晩年の病状は1281(弘安4)年に入ってから、かなり悪化していたということである。
日蓮自身が数々の遺文の中で、次のように書いている。

「此の七、八年が間、年年に衰病をこり(起こり)候いつれども、…。既に、一期をわり(終わり)になるべし」(弘安四年五月二十六日『八幡宮造営事』)
「老病たるの上、又不食気に候」(弘安四年十月二十二日『富木入道殿御返事』)
「ただし八年が間やせやまい(痩せ病)と申しとしと申し…このやまい、をこりて秋すぎ冬にいたるまで、日日にをとろえ(衰え)、夜夜にまさり候いつるが」(弘安四年十二月八日『上野殿母御前御返事』)
「所ろう(労)のあいだ(間)、はんぎょう(判形)をくわえず候事恐れ入り候」(弘安五年九月十九日『波木井殿御報』)                       

 日蓮の遺文(御書)等の内容を総合すると、日蓮は晩年、激しい下痢と食欲不振、さらに老齢からくる体力の衰えに苦しんでいたことがわかる。とくに身延山久遠寺から常陸の国の湯治治療に旅立って池上邸に到着した翌日に書いた『波木井殿御報』には「所労(病気)が重いので、判形(サイン)も書けなくて申し訳ありません」とすらある。つまりこの時点において日蓮は判形(サイン)も書けないくらいの病に冒されていた。 この『波木井殿御報』は弟子・日興が代筆したものであり、当然のことながら、この文書には日蓮自らが書いた判形(サイン)はない。
 こうした事実をふまえ、日蓮正宗59世法主堀日亨は『富士日興上人詳伝』の中で、日蓮の入滅の様子について、次のように書いている。

「薪尽火滅の御状態で、急遽変ではなく、意の趣くままであったことは、諸古記のあながちな誇張ではない」(堀日亨の著書『富士日興上人詳伝』205ページより)

 つまり日蓮の入滅は、ちょうど薪が燃え尽きるが如く静かで穏やかなものだったということである。今風に言えば、静かに眠るがごとく入滅したということか。時に日蓮、数え年の61才。1282(弘安5年)10月13日、現在の時刻にすると、午前八時頃のことであったとされている。

問題は、この日蓮の入滅のようすにあるのではない。日蓮が死去した1282(弘安5)年10月13日の2日前の10月11日に、「本因妙抄」のような文書を、はたして日蓮が本当に書けたかどうかという問題である。


検証3・本因妙抄は日蓮・晩年の史実と符合しない2

 「本因妙抄」真書説を主張する日蓮正宗や創価学会は、もちろん日蓮は死去の2日前に本因妙抄を「書けた」と主張しており、信者たちはそれこそ顔を真っ赤にしてムキになって反論してくる。
 当然のことながら、日蓮正宗や創価学会は、そう言わざるをえないだろう。日蓮正宗や創価学会は、今さら本因妙抄が「ニセ文書です」とは口が裂けても言えまい。

 しかしものごとは客観的な視点、学問的・学術的な見地、数々の物的証拠、状況証拠、常識で冷静に判断するべきだ。
その客観的な視点、学問的・学術的な見地、常識で考えれば、日蓮は入滅する2日前の10月11日に、「本因妙抄」を書けるはずがない。ほかの病気ならいざ知らず、日蓮は明らかに「衰病」で入滅したのだ。衰病というのは、今でいう老衰のことか。
 日蓮は明らかに「薪が燃え尽きるように静かに入滅した」と日蓮正宗の法主・堀日亨自身がそう言っている。しかも『波木井殿御報』によれば、日蓮は入滅の1ヶ月前の1282(弘安5)年9月には、その衰病のために、弟子たちに対して御書も判形も自らの手で書けなかった。

しかし、日蓮正宗大石寺に格蔵されている日蓮正宗大石寺6世法主日時が書写したと伝承されている「本因妙抄」の原文は、完璧な純漢文で書かれており、しかも「日蓮在御判」と、日蓮の判形(サイン)も書いてあるのである。どう考えても、これはおかしいではないか。

 問題をもっと端的に云うと、本因妙抄が、これほどまでにしっかりとした純漢文の正文書であること自体が、問題なのである。まさに日蓮入滅の2日前とも言うべき状況の中で整美整足された本因妙抄を書き上げて日興に授与するなどとは、到底考えられないことなのである。まさに日蓮入滅の2日前の場で書き上げられたのであったならば、文体がそれなりに乱れたものであっても、何ら不思議はない。ところが、この本因妙抄は、書式も文章もほぼ完璧な体裁を整えている。つまりこの本因妙抄は、あまりにもできすぎているのである。
そして、少なくとも日蓮がまさに死の床にあったという臨場感がまるで感じられない。そういう臨終の場において、こうした本因妙抄なる文書が、完璧な純漢文体で日蓮によって書かれたということが、常識で考えれば、考えられないのだ。

又、日蓮が本因妙抄を書いたところを、誰一人目撃していないということも不思議な話であり、不審なのである。
 日興が筆録した「宗祖御遷化記録」によると日蓮の葬儀には、弟子の僧侶や信徒など、主だったメンバーがほとんど参列している。ということは、日蓮が入滅した当日の1282(弘安5)年10月11日、池上邸にはかなりの人たちが集まっていたはずである。日蓮危篤の報は、その何日も前から各地の弟子、信徒に伝えられていたのである。
 当然のことながら、六老僧の日昭や日朗なども、日蓮の枕元にいたであろうし、仮に日蓮が本因妙抄を書いたとしたら、当然それを目撃したはずである。あるいは日蓮が日興に「唯我与我」として相承するという遺志を知ったら、以降、日興を日蓮の後継者として扱い、崇拝・尊崇したはずである。ところが、日蓮入滅以降、日昭や日朗のみならず、他の老僧や弟子僧侶、信徒が日興を「日蓮の後継者」として尊崇していたという形跡は全くない。
 身延山の地頭であった波木井実長も日興へ宛てた手紙の中で

「申せば老僧達も同じ同胞にてこそわたらせ給い候」(日蓮正宗59世法主堀日亨が編纂した『富士宗学要集』第八巻14ページ )

と述べているくらいである。
 どこをどうつついても、本因妙抄が本物であるという事実や証拠は浮かんでこない。実に事務的で、実に作為的で、実に現実離れした文書なのである。
普通に考えれば、日蓮は「本因妙抄」を書けなかったと考えるのが妥当ではないか。。 

検証4・日蓮正宗「大石寺版御書全集」の欺瞞的なカラクリ

日蓮正宗大石寺59世法主・堀日亨が「部分後加論」など、どのような言い訳を取り繕おうが、残念ながら、この「本因妙抄」という文書は日蓮の真書ではなく、後世の僧侶が捏造した偽作、つまり全文が真っ赤なニセ文書なのである。

この「本因妙抄」は日蓮正宗や創価学会の信者が持っている「御書全集」に収録されているものだが、そこには、とんでもない欺瞞的なカラクリがあることを、信者は知っているのだろうか?
実は「御書全集」に収録されている「百六箇抄」は、その全文が収録されているのではなく、後世の偽作である馬脚が出ている箇所を削除し、日蓮正宗や創価学会にとって都合のいい箇所だけを載せているのである。
「では本因妙抄の全文は?」というと、それは日蓮正宗59世法主堀日亨が編纂した「富士宗学要集第1巻・相伝信条部」に載っている。創価学会員が使っている「御書全集」も堀日亨が編纂したものなのだが、堀日亨は「富士宗学要集」には全文を載せて、「御書全集」には都合のよいところだけを載せているのである。

日蓮正宗大石寺59世法主・堀日亨に言わせると「たらざるところを補うた後人の註釈」」(堀日亨の著書「富士日興上人詳伝・下」)が、他宗・他門より偽書だと批判されているのだ、などと苦しい言い訳をして、全文を載せた「富士宗学要集」で堀日亨は、その「後人の註釈」の箇所に一線・二線を引いて、次のような解説を加えている。

「又後加と見ゆる分の中に義に於いて支吾なき所には一線を引き、疑義ある所には二線を引いて、読者の注意を促がす便とせり」(堀日亨編纂「富士宗学要集第1巻」25ページ)

堀日亨は「後加」「後人の註釈」だけども、日蓮正宗にとって都合が悪くない部分には一線、日蓮正宗にとって都合が悪い部分には二線を引くというふうに振り分けをした。そして線を引かなかった箇所と、一線を引いた箇所を、あたかも日蓮真筆であるかのように「御書全集」に掲載しているのである。
日蓮正宗67世法主阿部日顕が編纂した「大石寺版・平成新編日蓮大聖人御書全集」も、59世法主堀日亨の編纂をそのまま踏襲したものになっている。
「本因妙抄」全文を偽書だと認めてしまっては、「本門戒壇の大御本尊」や「日蓮本仏」の重要な文書が消えてなくなってしまう。
だからそういうわけにはいかないから、「部分的に後人の註釈」があるなどと、言い訳をしているわけである。
しかし、まがりなりにも公益活動を行い、政府に認証された宗教法人として、こんな信者をだます欺瞞を行っていいのか??。
「御書全集」を手にして読んでいる日蓮正宗や創価学会の信者は「本因妙抄は日蓮の真筆だ」と信じこんでいるのだから、まずは日蓮正宗も創価学会も「本因妙抄」が全文偽書だと認めて、「御書全集」から削除すべきである。


検証5・大石寺蔵の本因妙抄・日時写本は大石寺6世法主日時の筆ではない

日蓮正宗側は、日蓮正宗大石寺に従来から、最古の「本因妙抄」の写本として、日蓮正宗大石寺6世法主・日時の写本があるとして、「本因妙抄」偽作論に反論してくる。
そもそも日蓮正宗大石寺に格蔵されている「本因妙抄」の最古の写本が、大石寺6世日時筆であると鑑定したのは、日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨であるが、しかしこの写本は、日時の署名も花押もなく、書写年月日も記載されていない。
しかもその写本の筆跡が、本当に日時の筆跡かどうかという点についても、さまざまな方面から重大な疑義が投げかけられているものなのである。

大黒喜道氏は「日興門流における本因妙抄思想形成に関する覚書(1)」という論文の中で、大石寺に格蔵されている「本因妙抄」写本が日時の筆ではないと主張している。大黒喜道氏はその論文の中で、次のように書いている。

「本因妙抄の最古写本として、これまで富士大石寺第5代・日時師(1348〜1406)の写本が大石寺に所蔵するとされてきたが、同写本に日時師の署名・花押や書写年記等はなく、またその筆跡からは日時師のものとすることは難しい。……
この日時師の筆とされてきた「本因妙抄」の筆跡と同じと判断される筆で記されている文献が、大石寺にはこれ以外に「御書目録日記事」(「治病抄」「薬王品得意抄」「三大秘法抄」筆写や諸御書および「四教義集解」の要文抄録、日目師略伝や六老僧についての摘記などを含む)と「五人所破抄」「本門心底抄」の両写本と、分量的にはかなりのものが現存している。
しかしその中には同筆跡の持ち主につながる情報は今のところほとんどなく、されは大石寺および日興門流という周囲に目を転じてみても、状況に変化はないのである。
そんな中で、大石寺では同寺に遺されている江戸期の記録に見える日時師筆の「五人所破抄」(現在は散逸して伝わらない)を、右の某筆「五人所破抄」と断定し、その結果として自動的にその他の「御書目録日記事」「本門心底抄」そして「本因妙抄」の写本もすべて日時師筆と判断したようである。しかし、これは全く誤認といわざるをえないものであり、それゆえ大石寺がこれまで最古写本と主張してきた「本因妙抄」「三大秘法抄」「御書目録日記」の日時師書写本はすべてないものと訂正されなくてはならないのである」
(大黒喜道氏の論文「日興門流における本因妙抄思想形成に関する覚書(1)」興風談所2002年発行『興風』14号p213〜215)

大黒喜道氏は、実際に「本因妙抄」写本と、実際に日時が書写した本尊などの筆跡を細かく鑑定するという筆跡鑑定をして、従来から「本因妙抄」の最古写本と伝えられてきた日時写本と称するものは、実際は日時とは別人の手による写本であると結論づけている。

もっと言えば、「本因妙抄」の文中には

「日文字の口伝、産湯の口決の二箇は両大師の玄旨にあつ。本尊七箇の口伝は…」(平成新編御書全集1684ページより)

というふうに、日有の時代以降に成立したと考えられる「産湯相承書」「御本尊七箇相承」が記載されていることから、この「本因妙抄」が成立したのは、少なくとも日有の時代以降であると考えられるのである。


検証6・本因妙抄は日興が日蓮の口述筆記を清書した文書ではない

日蓮正宗側は、「『本因妙抄』は、元々が法主のみに伝えられてきた相伝書なのであり、日興が日蓮の口述筆記したものを清書した文書なのである」と言って、「本因妙抄」偽作論に反論してくる。
しかしこの反論は何の根拠も、文献的証拠もないものであり、客観的な史実に照らし合わせても、明らかにおかしな言い訳である。
本因妙抄という文書は、冒頭は
「法華本門宗血脈相承事 本因妙抄の行者日蓮之を記す」
ではじまっており、最後は
「弘安五年太歳壬午十月十一日 日蓮在御判」
で終わっている。もし仮にこの「本因妙抄」なる文書が、本当に日興が日蓮の口述を筆記したものであったならば、この文書に「日蓮之を記す」 とか「日蓮在御判」と書かれているのは、絶対におかしい。
そうすると日蓮の「在御判」、つまり日興が日蓮の判形(サイン)を書いたということになる。本人の判形(サイン)は、近代以前においては、本人が書いた証明ということで、現代風に言えば役所に登録した実印による「署名捺印」ということになろうか??
今の時代にこんなことをすると、それこそ有印私文書偽造容疑に問われてしまうことになりかねない。
日興が日蓮の口述を筆記して、遺文(御書)を代筆したものとしては1282(弘安5)年9月19日に筆記した「波木井殿御報」があるが、ここで日興は最後に「日蓮」とだけ書いて、「日蓮在御判」とは書いていない。日興は、日蓮の判形(サイン)までも書いてはいないのである。
当然のことだろう。日興が日蓮の判形(サイン)の偽造など、するはずがない。
しかも池上邸の日蓮の病床には、他のたくさんの弟子や信者が駆けつけており、衆目の面前で、日興が日蓮の判形(サイン)の偽造など、できるはずがないではないか。
「弘安五年太歳壬午十月十一日 日蓮在御判」 の文は、日蓮が書いた文書である証明、日興代筆の証明などではなく、明確な「文書偽造」「偽作」の馬脚が現れている文なのである。

日蓮正宗の信者たちは、後世の偽作である「本因妙抄」を日蓮の真書、日興代筆の書であると言っていることは、かえって日興を「文書偽造」「判形偽造」を行ったと罵っていることになる。
日蓮正宗の信者は、自分たちの宗派の開祖・総本山大石寺の開祖・日興を「文書偽造犯」「判形偽造犯」であると罵り、日興の遺徳を著しく傷つけていることに気がつかないだろうか。
これほど矛盾に満ちた話しもあるまい。





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