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コメント(13)

 


最近過去をよく振り返るもうやだ〜(悲しい顔)

唐突で瞬時に色々と。
その中の1つ、忘れられない想い出

小学校1年生だったか…

ほんの数ヵ月間だけクラスにいた外国人の女の子。

何処の国の子かもどの時期にいたのかも、もぅ覚えてなぃんだけど、小柄で肌の色は黒めのアフリカ系の子だった。(気がする)

外国人を物珍しく思う幼かった私達は、言葉も通じないその子にあまり近寄らなかった気がするあせあせ(飛び散る汗)

ある日の授業で、私は図書室に返却しなければいけなぃ本を自宅に忘れてしまい、泣いてたあせあせ(飛び散る汗)

それだけで?(白)って今考えるとバカバカしぃけどその時は重大なミスあせあせ(飛び散る汗)

クラスのみんながちゃんと返却していく中どぅしよぅかとただただ泣いていると、彼女がそっと私の肩をたたいた。

そして、自分の持っていた本を差し出し、私に返却するよぅに促した。

私は驚いたダッシュ(走り出す様)

言葉が通じなくても、私が何故泣いているのか、何をしたぃのかを解ってくれていたから。

あの子の事が未だに忘れられないわーい(嬉しい顔)


言葉なんて関係無い!
と気付かされた瞬間だった泣き顔ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

人の感じ方、表現は言語に関係無く共通だ

と幼いながらも実感したあの一瞬だった。

それからすぐ女の子は母国に帰ったんだけど、今何してるんだろ〜とか、覚えてるかなとか、働き出した今でもふと思い出すほっとした顔
会えるものなら会ってみたいなぁぴかぴか(新しい)
 






(『『ありがとう』と言いたい』
 
 ある人の日記。
 承諾を得て転載しました。
 w a r m a r t :)
 

http://www.youtube.com/watch?v=84SYYriFVbY&fmt=18↑)
 
 

夕食のあと、ベッドに寝転びながらラジオを聴くのが日課になっている。

美味しいお料理をいただき、満腹になり、満足し切ったおなかでほくほくと部屋へ向かう。

ベッドとは反対側にある灯りをともし、ごろんとベッドに寝転びおもむろにラジオのスイッチをぽちっとひねる。

このラジオは数年前、近所の量販店の家電コーナーで購入したものだ。

白いのでほこりが目立ちやすいのが難点だが、なかなか重宝している。

われながら役に立つものを購入した、と悦に入っている。

ラジオとCDとカセットが聴ける簡素な作りのもので、最低限の機能しかついていないが、機械に疎い私にはこれで充分である。

そのラジオから外国のテンポの良い音楽や、DJのいささかわざとらしいほど陽気な声が流れてくる。

顔が見えないのに、いや、顔が見えないからなのか、声の持ち主に何となく親しみを感じる。

DJの提供する陽気な話題とは逆に、ぼんやりと灯りのひとつだけついた部屋で私はしだいに落ち着きを取り戻してくる。

いかにも満足気にベッドから腕をだらんと垂らしてみたり、横向けになってみたり、仰向けになって思い切りのびをしてみたりを繰り返す。

体と心と、外界を取り巻く自然のリズムが調和してきて、とくとくと時を刻み始める。

この時間を愛している。
 






聴覚以外の感覚が自由に使え、想像力に委ねているせいか、ラジオはテレビより自由になれる気がする。

居間からはゴールデンタイムのテレビの、けたたましい笑い声が聴こえてくる。

テレビは時に疲れる。

もちろん観ていて楽しいものや感動するもの、ためになるものも多いが往々にしてそう感じる。

朝から晩までこちらが必要ともしていない情報を流し続ける。

少し前、「サザエさん症候群」という言葉がはやっていたが、日々暮らしていてその時間の特性や雰囲気を、時間ごとに区切られたテレビの番組によって決めつけられてしまうことが多いような気がする。

そして「この番組の時はこれをしなければならない」と、時に憂鬱になったり、慌しく過ぎ去ってしまう。

テレビを消して、時そのものをゆっくり味わってみると、自分が今この瞬間に本当にしたいこと、しなければならないことというのが、心の奥深くから自然と聴こえてくるような気がする。

時を味わい、人間の心と体と自然界との調和、リズムを一致させることによって、最高に心地良い状態が生まれ本来の時のリズムのなかに溶け込んでゆけるように思う。

如月、十六夜、水無月、夏至、立秋、寒露、立待月、霜降…

昔、テレビもラジオもまだ存在しなかった時代、人々は惑星の運行や時に美しい名前をつけた。

自然の時のリズムと人間本来のもつ体内時計のリズムが分断されず、美しく調和されていた時代。

人間は惑星の運行や季節の移り変わりの中に存在し、決してそれらのリズムから切り離されてはいけない。

テレビやラジオ、パソコン…、文明の利器の恩恵を十二分に享受しながら、時折それらの存在しなかった時代に想いを馳せてみる。

研ぎ澄まされた五感の自由な遊びと、それらで聴く宇宙のリズムはとても心地良さそうだ。
 






(『ラジオの時間 その1・その2』
 
 ある人の日記。
 承諾を得て転載しました。
 w a r m a r t :)
 

http://www.youtube.com/watch?v=YwxsWIYJI2A&fmt=18)
 
 

東京で作品を作っていた時の事を思い出した時、その時に出会った人の記憶が甦ってきた。
 
とある年、彼女が受け取った、とある年賀状の差出人が分からず少しの時間悩んだそうだ。
 
文面は以下。
 
「未来の私へ。
こんにちは。
ちゃんと生きていますか?
元気で生きていますか?
私は過去からあなたを見守っています。
元気でいますように。
幸せでありますように。」
 



それは、1985年の筑波科学万博の企画「ポストカプセル2001」で
2001年の元旦に届けるというものがあって
過去の自分が未来の自分に送った年賀状だった。
 
当時、彼女はまだ小学生ではあったが
未来の自分について考えた時、
病気でもう生きてはいないだろう・・・・と思いながらも
未来を心配しながら書いたという。
 
「まだ子供なのに随分未来を悲観してたんだなあ。
でも、それでも子供心に“幸せになって欲しい”と
強く願っていたんだなあ」と感じたという。
 
とは言え、その年賀状を見た時、子供の頃に悩んでいた事を思い出したという。
テストの点が悪かった。
お母さんに怒られた。
運動会でビリになった。
 
今となってはそんな事で人生が終わるわけではないのに
あの頃は真剣に悩んでいたよね・・・・。
と数人で言いあった。
 
きっと今、私達が真剣に悩んでいる事も
あと10年、20年すれば
「なぜこんな事で悩んでいたんだろう・・・」と
思う時が来るんだろうね・・・・。
いつか笑って「それがどうした」ってくらい
悩みをどんどん突き抜けて生きていくのかもね?
と言って我々は別れた。
 
彼女は編集者としてまだ頑張っているだろうか?
 

東京、私はその地へ行くたびに、その記憶が忘れられず
「何がなんでも生きなくちゃ!」と
思うのです。
 




(『過去からの手紙』
2010/08/14 19:22↑
 
added sentence & picture: w a r m a r t ;ID1098147↓ 
 
 ある人の日記。
 承諾を得て転載しました。
 

http://www.youtube.com/watch?v=h-KTsUMEoNM&fmt=18↑
http://www.youtube.com/watch?v=hAoyWYcNcIA&fmt=18
http://www.youtube.com/watch?v=I-03LjcEnqU&fmt=18)
 
 


恩師という言葉を

想い浮かべ

恩 感謝 を伝えたい人を
思い出していました。

私はいまでこそ、人前で講義したり、誰とでも話すことができるようになりましたが、小さな頃は、極端な引込思案で内弁慶な子供でした。
だから、宿題をやってきた人! と言われても、やっているのに手をあげなかったり、言いたいことも言えずに、一人ぼっちでいることが多い暗い子供でした。
劣等感の固まりでした。
小学一年の時の女性の担任には、はっきりと、私はこういう融通がきかない、何を考えているかわからない子供は嫌いなんです! と言われたくらい涙
これ今の時代ならかなりの問題発言ですよね。
 
ところが、学年が変わって、大橋先生という男の先生になった時、はじめて、今までにないくらい褒めてもらえました。
みんながやり残した掃除を黙ってしていたりすると、
やあ、すごいな。気遣いが素晴らしいよ。
と言ってくださったり、具合が悪い子が嘔吐したとき、背中をさすっていたら、
ナイチンゲールになれるよ。
とにこやかに言ってくれたり、なによりも、大橋先生に教えられたことは、言葉の素晴らしさと文章を書く喜びです。
私は頭も悪かったし、全てにおいて劣等感だらけだったのに、ある日、作文を選んでくださり、
着目点が人と違うことを誇りに想いなさい、
と文章を書くときの文章の組み立てかた、言葉の選び方など本当に丁寧に放課後に教えてくださいました。
みんな、笑っちゃうかな?
そのとき書いた野毛山動物園の作文は神奈川県で優秀賞を取りました。
これが私のたったひとつの勲章かな(笑)
大橋先生はいつも変わらぬ態度に笑顔でした。
その後私は転校し、大橋先生とも連絡は取れなくなってしまいましたが、私にはじめて自信と笑顔の素晴らしさを教えてくださった恩師です。
探しだせるならば探して、心からお礼をいいたい気持ちです。
 
大橋先生に教えて頂いた文章を書く喜びや表現する喜びは今も心の支えです。
褒めて育てる。
笑顔で見守る。
個性を伸ばす。
教師として一番に大切なことを実行なさった先生でした。
今もお元気かな。
浦島小学校、私の大切な思い出の詰まった学校です。

プリザーブドフラワーは、次の講座でリースに香りをつけるというテーマで見本に作ってみました。
私が教えているのは、大人の生徒さんですが、大橋先生のように個性を大切に心を汲めるような、そんな人間関係を作っていけるように目標にしたいです。
 




(『大橋先生』
2010/09/08 23:54↑
 
added sentence & picture: w a r m a r t ;ID1098147↓
 
 ある人の日記。
 承諾を得て転載しました。
 

http://www.youtube.com/watch?v=4QpNrSvHA_w&fmt=18↑)
 
 


 はずかしながら。

 わたくしが、作詞・作曲をした歌が、この世に存在していたりします。

 存在しているだけです、流通はしていません。

 そんなこと言ったら、おれにだって、わたしにだってと仰るかたがいるでしょうか?

 一応、my song は、自分以外にその存在を知っている人がいちゃったりします。

 そういう意味で、この世に “存在して” います。“認識されて” いる、と言い換えてもいいかもしれません。

 なんとなく、こはずかしいものですね。いわゆる『真夜中に書いた手紙』でも読まれているようで...。

 存在するって、こっぱずかしいものなのでしょうか。認識されるって...。 生きるって...。(以下略)



 さて、先日、友人のライヴを観賞しに行きました。その友人のライヴを観るのは、かなり、ひさしぶりでした。

 なんとなく、なんにも言わないでいきなりライヴを観に訪ねて行って驚かせてみようと思ったのですが。

 わたしのほうが逆に驚かされました。

 その、わたしが作った歌をいきなりうたいはじめたからです。
 最初は、なんの曲か分かりませんでした。なぜなら、旋律が違っていたからです。
 けれど、詞は、わたしが書いた(存在させた・認識させた)そのままの、一字一句変わらないものでした。
 人は、予測もできないことが起こると言葉を失うものなのでしょうか。

 それまでノリノリでライヴを観ていたわたくしでしたが、思わず顔をそむけ、黙り込んでしまいました。
 で、そのまま何事もなく、次の曲へ行ってくれれば良いのに。友人ときたら、その歌の成り立ちを説明しはじめてしまいました。
「さっきの曲は、今そこにいる○○○○(私の名前)さんが書いた曲……の詞だけを頂戴して、勝手におれなりのメロディーをつけました。べつに○○さんの曲がだめってことじゃないんだけど。自分でうたう歌は、自分のメロディーでうたいたかったのでそうしました」
 とかなんとか。
 いやあ、あせりますね。なんの予告もなく、心の準備もなく、自分の隠された過去を暴かれたようで、ひさしぶりに冷や汗をかきました。しかも、びっくりさせようと思った相手に 100倍にして返されたようで。やられたという気持ちでいっぱいでございます...。
 ところで、一緒にそのライヴを観に行っていた女性の友人から、
「勝手に曲を変えられたりして。いいの?」
 と聞かれました。
 ふむ。たしかに、ちょっと考えると、失礼な ...ということなのですかね?
 でも、なんとも思いませんでした、いえ、むしろうれしく思いました。
 よく、メロディーだけもらって、詞は自分のオリジナルでうたう、というのは聞いたことがあるような気がします。が、その逆、というのは、めずらしいような気がします。
 曲じゃなくて、詞なんだ、というのが意外でもあり、また、だからこそうれしかったのかもしれません。
 わたくしの場合、特にその歌に関しては、一番伝えたいところは、詞です。その詞をうたいたいが為に曲をつけました。ええ、若かりしころ。ああ、はずかし。
 ですから、その歌に関しては、詞を伝える為に、メロディーが、あります。
 もし、詞が大切な荷物だとしたら、メロディーは、それを載せて運ぶ乗り物のようなものなのです。
(で、歌い手は、その乗り物を運転する運転手?)
 まあ、ですから、乗り物がなんであろうと、わたしの伝えたかったこと(=詞)が運ばれてゆけば、それで十分だ、と思うのです。
 伝達方法は違えども、詞は、運ばれてゆくのです。
 そして、日々は続いてゆくのです。
 そんな、秋晴れのある日の出来事でございました。
 # ほんとはね、詞と旋律とが一体となった、もう、それ以外の組み合わせも、それ以上の組み合わせも考えられない楽曲 ...というのが理想形なんでしょうか?
 



(『I'm Your Vehicle, Baby』
2010/10/01 19:51↑
 
added sentence & picture: w a r m a r t ;ID1098147↓
 
 ある人の日記。
 承諾を得て転載しました。
 

http://m.youtube.com/watch?v=eimjmlWiP9I↑)
 
 


数年前、まだ体と心が調子良く元気だった頃は私もフルタイムで働いていた。

普通にお金ももらっていたので、毎日のように色々なものを購入していた。

洋服、化粧品、食べ物、雑貨、雑誌類…。そのどれもが私にはなくてはならないもので、なくなると急に不安を覚え常に絶やさないようにしていた。

今年に入って病状が悪くなり、今までのように働けなくなってしまった。

当然お給料も激減した。

当初私は途方に暮れ、これから一体どうやって生活していこうか悩みあぐねた。

不安で仕方なかった。しかし現状は変わらない。

何とか今できる簡単な仕事を見つけ、その中ですべてやりくりしていくしかなかった。

それから約7ヶ月が経ったが、当初感じていた不安はなくなりなかなか満足のいく生活をしている。

もし私の人生でこれだけは必要なものは何かと聞かれたら、お茶と本だと答えるだろう。

お茶を飲みながら本を読んでいる時、不思議と充足感で満たされ「私の人生、これさえあれば満足に過ごしてゆける」と思えるのである。

そしてお金があった時私は一体なぜあんなにたくさんの物を欲し、それがないと生きていけないとまで思い込み、なぜ目の色変えてそれらを保持しようとしていたのだろうと愕然とした。

私は一体何がしたかったのだろう。何にとらわれていたのだろう。

何もかも削ぎ落とす心地良さというものがある。

以前必要としていてそれがないと生きていけないとまで思い込んでいたものが、実は本当は必要でなかったということがある。

本当はたいして必要としていなかったものに対して、目の色を変えてそれらを死守していた私の心は、それに対する執着がびっしりとこびりついていた。

そしてそれがないと自分はだめになってしまうのではないかと、自分の存在価値が失われてしまうのではないかと思い詰めるまでに、自分自身に対して自信がなかった。

それらへの執着を放し、大量のものから心を自由にすることで、執着でがんじがらめになっていた心が自由になった。

「真我」と呼ばれるように、私が私を織り成す最も元の部分、私という存在の中核の部分、私が私たる所以の部分が剥き出しになって現れ、その素のままの自分でこの世に立たされている清々しさ、晴れやかさに驚いた。

何も持たない私を、周囲の人は前と全く変わらず受け入れてくれた。

ありのままの自分が他人から認められたようで心から嬉しかった。

心の健やかな発展を押さえ込んでしまう重い装飾、自分を飾り立てようとする我も執着とともに降ろすことができた気がした。




 
(『シンプル 〜その1』
2010/10/20 14:07↑
 
added sentence & picture: w a r m a r t ;ID1098147↓
 
ある人(8120264)の日記。
承諾を得て転載。
 

http://m.youtube.com/watch?v=u_3dYnTtO6Y↑)
 
 

“危機的状況の中の希望”
 
先週の金曜、港町・横浜にある我が家を出て、午後3時前、いつも行く新宿のホテルにチェックインした。
普段から私はここに週3〜4日滞在し執筆活動やその他の仕事をしている。
 
部屋に入ってすぐに地震が起きた。
瓦礫の下敷きになると判断し、とっさに水とクッキー、ブランデーのボトルをつかんで頑丈な机の下にもぐりこんだ。
今にして思えば、高層30階建てのビルの下敷きになったらブランデーを楽しむどころではないのだが。
だが、この行動によってパニックに陥らずにすんだ。
 
すぐに館内放送で地震警報が流れた。
「このホテルは最強度の耐震構造で建設されており、建物が損傷することはありません。
ホテルを出ないでください」という放送が、何度かにわたって流された。
最初は私も多少懐疑的だった。
ホテル側がゲストを安心させようとしているだけではないのかと。
 
だが、このとき私は直感的に、この地震に対する根本的なスタンスを決めた。
少なくとも今この時点では、私よりも状況に通じている人々や機関からの情報を信頼すべきだ。
だからこの建物も崩壊しないと信じる、と。
そして、建物は崩壊しなかった。
 
日本人は元来“集団”のルールを信頼し、逆境においては、速やかに協力体制を組織することに優れているといわれてきた。
それがいま証明されている。
勇猛果敢な復興および救助活動は休みなく続けられ、略奪も起きていない。
 
しかし集団の目の届かないところでは、我々は自己中心になる。
まるで体制に反逆するかのように。
そしてそれは実際に起こっている。
米やパン、水といった必需品がスーパーの棚から消えた。
ガソリンスタンドは枯渇状態だ。
品薄状態へのパニックが一時的な買いだめを引き起こしている。
集団への忠誠心は試練のときを迎えている。
 
現時点での最大の不安は福島の原発だ。
情報は混乱し、相違している。
スリーマイル島の事故より悪い状態だがチェルノブイリよりはましだという説もあれば、放射線ヨードを含んだ風が東京に飛んできているので屋内退避してヨウ素を含む海藻を食べれば放射能の吸収度が抑えられるという説もある。
そして、アメリカの友人は西へ逃げろと忠告してきた。
 
東京を離れる人も多いが、残る人も多い。
彼らは「仕事があるから」という。
「友達もいるし、ペットもいる」、他にも
「チェルノブイリのような壊滅的な状態になっても、福島は東京から170マイルも離れているから大丈夫だ」という人もいる。
 
私の両親は東京より西にある九州にいるが、私はそこに避難するつもりはない。
家族や友人、被災した人々とここに残りたい。
残って、彼らを勇気づけたい。
彼らが私に勇気をくれているように。
 
今この時点で、私は新宿のホテルの一室で決心したスタンスを守るつもりでいる。
私よりも専門知識の高いソースからの発表、特にインターネットで読んだ科学者や医者、技術者の情報を信じる。
彼らの意見や分析はニュースではあまり取り上げられないが、情報は冷静かつ客観的で、正確であり、なによりも信じるに値する。
 
私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面がある。
「この国には何でもある。
本当にいろいろなものがあります。
だが、希望だけがない」と。
 
今は逆のことが起きている。
避難所では食料、水、薬品不足が深刻化している。
東京も物や電力が不足している。
生活そのものが脅かされており、政府や電力会社は対応が遅れている。
 
だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。
大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。
だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。
だから私は信じていく。
 
(村上龍 翻訳タイムアウト東京編集部)
2011/03/17 NYタイムズ
http://www.nytimes.com/2011/03/17/opinion/17Murakami.html↑
 
2011/03/18 タイムアウト東京
http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/2581/↑
 


2011年東北地方太平洋沖地震
http://ja.wikipedia.org/wiki/2011%E5%B9%B4%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87
 
http://m.youtube.com/watch?v=T3NEUqz5S2M
 
http://m.youtube.com/watch?v=E9dcOaBkSWg
 
 


夫から「ボランティア便り」が届いた。
夫の了解なく公開(笑)

夫は一昨日から被災地の瓦礫処理などの手伝いをするために石巻へ行っている。
所属するなんちゃらいうスポーツ系組織で誘われたらしい。
総勢5人でワンボックスカーで出かけ
被災しなかった地区の民宿に泊まり(もちろん自腹で)
朝食と夕食は民宿で
昼食はボランティアのための食事作りボランティアが用意してくれるらしい。


 ・・・・・・・・・・・


ボランティア便り?

昨日の夜10時に松島の目の前にある宿舎の旅館に到着。
あまりに海の近くなのにビックリ。

今朝食後8時に旅館出発、石巻を目指すも渋滞して9時過ぎ到着。
石巻は全国屈指の魚の加工、輸入集積の基地だそうだ。
この石巻で当地ならではのハードなボランティアを10時より開始。
それは港近くにある中堅水産物会社の破壊された冷凍庫に放置された、
千五百トンにもなる魚(カキ、カレイ、鮭、穴子、ホッケ)などを
梱包材と中身に区分し廃棄する作業。

冷凍庫の破壊から一ヶ月たって
やっと在庫品の処理まで手が回るようになって
まず一番に手をつけたようだ。

物は溶けかかり始めたところで
かなり臭いが、まだ良いほう。
これから気温が上がればその悪臭は想像できないくらいだろう。

後10日もすると悲惨な状態になると思われる。
会社の人の説明によると後2,3ヶ月はかかるそうだ。
ちなみに今日の処理は十数人で25トンだった。

同じような会社が2百社。
だからおおよそ千トン×2百の廃棄水産物ということになる。
この会社だけで時価四億円の損害。

明日もおなじ作業の予定。
廃棄水産物は岸から百キロメートルぐらい運び海洋投棄するそうだ。


 ・・・・・・・・・・・


ううむ。
かなりすごいことになってるんだね。
あまり想像したくないような状況だけど
千トン×2百の廃棄水産物・・・
この会社だけで時価四億円の損害・・・
なんて聞くと気の毒で言葉もない。

復興支援しなくちゃね。

ボランティア便り?ってことは
その?も来るかな。
来たらまた公開するね。

夫は63歳だけれど、メンバーの中には70歳の人もいるとのこと。
スポーツで鍛えてるとはいえ
それはそれですごいね。




 
(『夫からのボランティア便り?』
2011/04/26 02:20↑
 
added sentence & picture: w a r m a r t ;ID1098147↓
 
ある人の日記。
承諾を得て転載。
 
http://www.youtube.com/watch?v=Hj58NpanX3g
 
PC:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
CP:http://bbgate.froute.jp/pc2m/?_ucb_u=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
 
東日本大震災について多くの詳しい報道・逸話にふれて、涙を零しました。
ただ。
これまで世界の様々な過酷な報道・逸話にふれても、これほどには同情できなかった鈍さに、改めて恥ずかしくも感じています。
もし親近感が薄くても、自身に起こったように想像力をもっと鍛えなくては、この今の世界を認識してゆくことにならない。
 
http://www.youtube.com/watch?v=w3AdFjklR50)
 
 
 ありがとう。

http://mixi.jp/view_bbs_comment.pl?comment_number=061&bbs_id=14503467
http://hatenanews.com/articles/201103/2881
 
 
あの震災があってから、仕事(はコンタクトレンズ装着)にも予備の眼鏡と、そのケースにレンズの洗浄保存液の入ったケースを同梱して出かけています。
でも朝、液を入れるとき、はめているレンズをつい外してしまい苦笑したり..10日に1度くらい。
 

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