違う血が混じりあいにくい日本の環境は、国内でのコミュニケーションを取る上で多くの利点をもたらすかわりに国外でのコミュニケーション能力の低下をもたらす。ある限られた中では、多くの言葉を発することなく通じ合える。それは皆が同じ文化の中で育っているからだ。『Common sense is not very common』これはどこでどの血が混じっているかわからない欧米諸国の文化にはぴったりだ。そして、テクノロジーの発達がもたらした国境のない世の中にぴったりである。その中でこれから私たちは生きてゆかなければならない。今、言葉なくして、共通理解などがありえるのだろうか。あるとしたら、芸術の世界だけだろう。これは今も昔も変わらない。だけど、その芸術の世界(すえこさんの分野)においても欧米ではconceptualでないと受け入れられにくいのではないの?つまり、言葉というコミュニケーションツールを使って、自分の考え、アイデアを他の人に伝えることは重要なことであろう。