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一人で生きるという選択コミュの不文律

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言わずもがなの決まり事はどんな世界でもある。
僕が勤めているような田舎の病院では、診療科が少ないので専門外の患者さんを受け持つ事はままある。特に救急患者の場合が多い。
例えば寝たきりでお年寄りの肺炎や心不全の患者さんだと神経内科が専門の僕でも主治医になるわけだ。特殊な肺炎や心不全でない限り一般内科医としての知識で対応できる。また、そうしないとお年寄りの肺炎や心不全の患者さんは数が多いので専門科に負担が集中してしまう。
もちろん、治療については専門科の先生に相談して進める。
その他に救急外来では死にそうな患者さんが運ばれて来る事がある。
一人で人工呼吸したり心臓マッサージはできないので、他の先生の応援を呼ぶ。あっという間に10人程度の医者が集まるので頼もしい。そんな時にリーダーとして指示を出すのが救急当番の医者の役割だ。そして、なんとか心臓は動くようになったけど余命幾許もない場合は主治医になるのが不文律だった。
余命幾許もない患者さんをきちんと看取るのが主治医としての仕事になる。
家族とのやりとりや病院に釘付けになるのは負担だけど、医者としての重要な役割だ。だからこそ、救急当番の先生にはお疲れ様と皆が労をねぎらうのだ。
しかし、この不文律が怪しくなっている。主治医になるのをうまくすり抜ける医者が出てきたからだ。
そして、誰が主治医になっても同じという医療業界の常識が社会には受け入れて貰えなくなっている。例えば交通事故の患者さんを内科の医者が主治医になって診るのはやはり変だからだ。
スーパードクターと言う言葉があった。
何でもできる医者のことで、頭も胸も腹も手術ができて、骨折も治せるような外科医を指す事が多い。
でも、今はそんな事をしたら大変だ。
頭は脳外科、胸は胸部外科、腹は腹部外科が診るのが当たり前だからだ。自分でも出来るのだけど、専門科にお願いをする。どの科の医者が診ても同じではない。
でもこれを逆に取って主治医になることから逃れる医者が出てきた。
お年寄りは沢山病気を持っているから、一つの専門科に主治医を限定するのは難しい。だから、主にどこが悪いのかで主治医を決める事になる。これも不文律のはずだった。
こういう不文律が破られていくと、小さな病院では、お互いの信頼関係が壊れてしまいかねない。そもそも不文律は信頼関係から築かれたものだらだ。
だからルール作りが必要だと唱える人がいる。不文律を明文化するわけだ。
僕自身はくだらないと思っている。
明文化しても守らないのは目に見えているからだ。守らない医者はペナルティーを課すという方針を病院幹部は考えているそうだけど、それはお互いの信頼関係を完全に壊す事になりかねない。
いろいろな不文律が一つずつ明文化されている。そして、一つずつ信頼関係が壊れている。

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