ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

趣味のオーディオコミュのわが愛機アンプが写った掲示板だったもので

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 どのメーカが良い、とかいうのではないのですが。
同じか、違うか、を聴くべきだと思う。違いがあるなら、その違いは何に由来する(どんな技術的違い)かは興味がある。
 そのうえで、さらに言えばその違いと聴く音楽の種類にどう関係するかなど。

 そんなことをわたし的な言い方をすれば−−
 叩く系のものは旧米国に、弓でこする系のものでは旧欧州に素晴らしいものがあったと思うのです。
 では現代はといえば、欧・米とも極端な凹凸を抑えた形で緻密で精細な再現力を徹底追求開発目標にした気がしますが、どうでしょう。
 過去に言われた、打楽器なら弦楽器ならという偏ったクセ(個性・得意ジャンル)が無くなった気がします。
 まあわれらオーディオ世代にはその分少々面白味が無くなったかな。
 熱くなれない、冷めた感じ、などという点はこの無色無臭系の透明感にあると、わたしは思うのですがいかがでしょう。特徴ある突出点があれば、それは別なジャンルに弱点になるわけですから。
 いずれにせよ現代のサウンドはあまりに自然すぎた音域や再現性能ですね。

 ところで無色無臭な再現力というのは音楽から見てどうなのか。
 いわゆるジャズマシン仕立てとでもいうジャズ再生専用装置をもって、オーディオという主流派の立場がいささか薄らぐのではないか、などとわたしは思うのです。
 なにせ往時のマニアもいまや立派な人生の達人たちで、目先鼻先の刺激だけでは動じないわけです。
 若いころには考えもしないで済んだ健康の管理に心がけるまでになった。心身の健康と言うように、健康は身体だけのものではない。賢い方は精神、心の方も気分や気ままさにまかせないで、選りすぐって心の管理をしている。
 若いあのころには体感的なj-popと言わないまでも、身体のゆれスイング感にまかせてストレス発散してたけれど。
 やはり心の奥底まで届く様なこれが音楽だというようなもののひとつふたつは味わいたい齢を得てしまった。
 となればジャズとオーディオの表裏感が薄らぐのは当然かなと思うわけです。
 団塊をオーディオへと誘うメーカが昨今あるというが、この辺りを注意しないと誤るかなと思うのです。年齢と人間的成長は比例するはずですから。

 またジャズという音楽のジャンルだけで言っても、バップ系の黒人アーティストの額に汗がという熱演感から、モダン過ぎるほどのクール感をかもし出す方へ。
 あえて言えばアートブレーキーなどの燃えるほどのほとばしりから、醒めていて知的なほどのキースジャレットなどへシフトするようにです。

 ジャズから離れれば、室内楽やヴァイオリンソナタの弦から松脂がほとばしる、などという音よりは、甘くもきつくもないただ自然な響きで、出るべきはとめどなく出て、退くとなると細く頼りなげなppがすーっと空間に消え去ってしまうその瞬間まで、演奏が空気になるほどの自然さが伝わってくるような。
 とくにこの消え去るときの空気感は、先端の機器のもっとも得意とする静寂感ではないかなと思います。
 個人的にはこの余韻消えやらぬところから無音静寂までが心にしみてたまらない。押し出しそれ行けがんがんよりも、ふわーっと拡がるまたはすーっと退いてゆく美音のはかなさに、なぜこれほど惹かれるのだろうと思うほど。

 そうしたものはエンジニアがそういう音を追求したというより、あくなき自然さの探求の結果として完成したのではないかな。
 つまり現代機器は出て出てがんがん突っ走り吹っ切るほどのジャズ熱演を得意とするアルテックやJBLでは聴かれない、熟年の感性でなくては楽しめない抑えの利いた退き遠のき感の妙味だと感じます。
 それは音楽のもう一面の深さであり豊かさかな。ひとはこれこそが古典音楽の魅力であり本質だなどとも言うが。
 ですから熱くなるべきは音楽の演奏と音楽の方なのでしょうね。クールな演奏はあくまでもクールに聴こえなければならない。
 いづれにせよ、音、というこだわりを、音楽の本質に引き寄せる力が新進の機器にはあるのではないかと感じております。

 ところで雑誌など見ると「ミニコンポやラジオで音楽が聴けるか!」などとのたもう評論家センセイの記事が目にとまります。
 わたしは今もってこの意見には疑問をもっているのです。
 ラジオでも音楽を聴けると思うから。
 ラジオで聴き味わっていたから、カーラジオで感動したから、さらに良い音ならばどうなるのかと思ったに過ぎない。
 同時に、新しい傾向の音はあるのですから、古い音も新しい音もありえないという言葉に異議ありです。
 テクノロジーの進化の背景には考え方の変化があるわけで、古くなるのは当然の結果ですね。ただし好き嫌い、好みの問題はまったくの自由であり、そこに異議はありません。

 そういう意味でちょっと気になっていることがあります。
 自慢の愛器で歌謡曲や民謡をお聴きになったことはございましょうか。
 わたしなどはおばかさんでしたので自作時代もふくめて、歌謡曲など聴くのはもってのほかで、愛器が腐るとさえ思っていたほどです。
 ところが先に述べたような変化がわたしにも現れて、今ではライブラリー棚にバッハやモーツアルト、ベートーベンなどと並んでいて、Hibari-MisoraやSayuri-Isikawaほかの演歌もときに楽しんでおるわけです。いやなかなか上手いですし良いものです。
 さすがに歌手個人へまで思いは行きませんが、民謡なども枯れたFumio-Ohotukaの会津磐梯山の「えんや〜・・」を聴くと、これはもう三大テノールよりもニホン的わが心にしみる思いがします。

 以上GMへの私的道のりでした。
 (B&W掲示並記転用)



コメント(9)

現在の機器がニュートラル傾向にあることは感じています。
でも一方個性の強いかつてのJBLやアルテックへの郷愁も生まれてきているように思います。
ドジスケ さん はじめまして。
よろしくお願いします。

郷愁ですね。
分かりますわかります。
私もいまではニホン列島が主な市場というJBLでさえ当時憧れて購入しました。
それほどにまぶしい存在でありオーディオ入門案内役として欠くことのできないメーカーでしたね。
また管球アンプにノスタルジーを感じていますというUターンマニアもよく耳にする。
むろんLPメカ振動/アナログ信号変換による世界をがんとしてばく進なさる方も多い。
まあそういう多角的な楽しみを味わえる世界だからこそ飽きないのでしょうね。
たまたま私は繊細にして緻密な精度に目覚めてしまったということに過ぎません。
過ぎませんが、またこれこそはという思いは口にしてはばからない。
もう***の時代ではないよとかんなとか聞いたり言ったり。いやいやまだまだ若いデジタルごときが・・とか。
音楽ファンには、ばかかね、と一笑にふされるも所詮はマニアのたわごととお思えばまた愉し、ですね。

ところでここはメーカーに限定されないので意見が出しやすいですね。
楽々さん

音楽を聴きながらふとはるか昔の瀬川 冬樹氏の「虚構世界の狩人」を読み始めました。瀬川氏はその本のタイトルのように単に正確、忠実な音ではなく音楽の本質に迫る音、虚構であることを認めた上で「生以上に生」らしい音を求めています。
私は久し振りに心から共感できる本に再会し熟読し始めました。
こんな方向を楽々さんはどのようにお考えでしょうか?
ちょっと失礼。
瀬川冬樹さんといえばずいぶんと影響を受けました。亡くなられてからずいぶんとたちましたね。彼の音に対する考え方は一番共感を覚えたのを思い出しました。

あまり知られてない話ですが、彼はオーディオのデザイナーなのです。1970年ころから、パイオニアを初めにラックスを経て最後はアキュフェーズです。ラックスの気品のあるデザイン、そして完璧なまでのアキュフェーズのデザインは決して海外製品にも負けず芸術の粋まで達したと思ってます。

彼のオーデイオ人生はAXIOM80に始まり、確か亡くなる前はJBL 4343を使ってたような気がします。

最後に、最近はオーデイオだけでなく音楽の製作側にも問題があるように思えます。それはマルチトラックレコーディングのせいではないでしょうか?またそれだけではなく製作側の個性、意気込みが感じられなくなったのは複雑になった機材のせいもあるでしょうね。

昔の録音の方が良く聞こえるのは私だけでしょうか?
ドジスケさん ヒロシさん こんにちは

>私は久し振りに心から共感できる本に再会し熟読し始めました。
>こんな方向を楽々さんはどのようにお考えでしょうか?

 そういう楽しみ、つまり単にマシンに惚れ込むというだけではなくもっと多角的に、我はなぜ聴くのか、というところが自然に行き着く地点だと思います。

 オーディオの楽しみもいろいろなのでしょうし、私自身あちこちと散策するのも愉しい。
 ではありますが、スイッチを切って飾って、ひとり悦に入っていてもしょうがない。
 結局はその奥にある音楽を真に愛してゆけなければとん挫する様に思います。

 面白がっているフリは出来ても、訊くと若い頃のジャズマシン構築に未だいそしんで、シンバルなど買ってきてはシャーンとやってこれだなどと音実験室指向の年輩者も居たりする。
 まあそれもアリですが、私は音楽を聴く道具という認識でいます。
 ベートヴェンの生涯を読みながらの方がSS誌よりはずっと楽しめます。ですから自然と欧州系のものが揃ってしまいました。
 とはいえ私はクラシック派ですと収まりかえってはマシン愛好者を見下すつもりはなく、JBLにもお世話になりました。

 さて、なんとか乞食、などと私の知人であるメーカ勤めの方が吐き捨てていたことがあった評論家様たちですが。
 私は職業に差別をすつける気はありませんが、それぞれ国の中も外のメーカーに対しても、彼らには受け持ちがある様な気がします。
 実際相談しながら音決めをするメーカーは多いと聞いたことがあります。
 従って、しがらみ因縁によってつい新進メーカや先端テクノロジーに対しての意見が、業務用の立て前スピーチと、本音の自室機器は離れている様に思うのです。
 その辺りを読み抜いて自分で選ぶことが良いのでしょうね。
 しかしそのときも、結局はどんな音楽を聴くかが基本であって、そういう種類の音楽はいかにあるべきなのかは演奏会でとなってしまう。
 どんな音楽というときに以外に忘れているのだが、若い頃に聞いたイメージが新進のテクノロジーを正しく判断する邪魔になっているという気がします。
 豪快な音をエネルギーがあって良しとしているのが、実は種々の歪み成分だということはいえる気がします。そういう好みの方々には純デジタル系の録音再生にどこかすきま風でも吹くような寂しさがある様です。
 そこから、やはりこれは変だとUターンする人と、これはどういうことだろうと探求して行くうちにそのあまりの静寂さの真意を探求し開眼する人が居る様に思うのです。
 まあそれほどにこの分野もまた、大きな部屋の管球大型コンピュータが数万倍の性能になって机上に乗ったのと同じ様な変革をした電子技術の恩恵にあずかっているわけですから、変革しないはずはないわけです。
 まあ最終的には人間の脳細胞が感受して判断するわけですから、せめてその違いを耳で知り、それはいかなる要因で何がどう変わったのだ、というところまでは確認する気力がほしい気がします。話はそれからだと。
 まあ私なども当初かなりナメてかかっていまして、現代機器の精緻な音に目からウロコがという経験をしました。
 とはいえ私的本音を言えば、どこかで妥協点を見つけないと音楽世界などいつまでも楽しめないと思いますが・・まあしょせん片隅の一愛好家という辺りのひとりごとです。失礼しました。

 
 
楽々さん

若い頃、S社のコンデンサーカートリッジを大枚をはたいて手に入れその歪のなさ、分解能に世界最高と悦に入っていました。
ただ反ったレコードのトレースに弱く止む無くハイエンドで評判のオルトフォンを買いました。
どうせ金持ちのお遊び、大したものではないと高を括っていたのですがそのリアルな音に愕然としました。歪はあるかも知れないけどまさに音楽を聴くためのものだと実感しました。
単に測定器に頼って作っているものには感動を伝えることはできないと感じました。
オルトフォンの技術者は音楽を知っている、それに基づくサウンドポリシーを持っておる、そしてそれを実現する技術もある、ということだと思います。
このような経験はその後も続き今はほぼ確信になっています。
現在のオーディオは仰るように緻密、精密な音になってきていますがそれでもなお機器を選ぶ時は音楽を知っているメーカかどうかが大きなポイントになると思っています。
 こんんちは

>音楽を知っているメーカかどうかが

 さてさて音楽を知っている? ということをいかなる定義にもとずいてうなずけばよろしいでしょうか。
 むかし、オーディオ全盛のニホンにおいてあるメーカーの開発チームは、週一回は文化会館やほかホールへ社費で通わされたとか。古きよき時代でした。
 そういうことがどんな結果を生んだかは分かりませんが、けして無益ではないとは思います。
 
 ですがいくらそうしても、たとえばアンプならばやはり電気的特性が第一の基本でしょうね。
 いくら音楽を知っていても、数世代前のテクノロジーではやはり最新のテクノロジーは使いこなせない気がします。ここでは音楽どうのこうのという部分だけではいかんともしがたいのではないでしょうか。
 雑誌などの常套句として良く使われる「音楽を知っているメーカー」ということは、エンジニアには気をつけなければならない言葉だという気がします。まず徹底した技術的な追求あってのプラスアルファアではないでしょうか。

 それよりもこれは当たり前ですが聴き手にこそ必要な言葉ではないでしょうか。
 カネさえ出せばあとはふんぞり返っていて音楽から感動を得られるか、という話になるでしょうから。
 まあこれは芸術全体に言えるのでしょうけど・・
 受け手のセンスというものが実は味わうことの第一条件の様な気が「私は」しています。

 またこれも重要でありながらけっこう軽く交わされる言葉ですが、「最高です」「満足しています」なども個人の感じでしかないので、「私は」というあたりに聞くしか聞きようがないわけですね。
 どうですお呑みになりますか? いやあまあまあですよ。という種類のものですね。

 で、私はですがメカニックなものの再生能力には残念ながら限界を感じています。それは再生音の瞬発的なものだけでなく「良く設定調整されていれば」などという不安定要因が多々あるということも含めた話です。

 とまあ、なかなか話は尽きないわけですが、この辺で。またいづれ。
>楽々さま
>で、私はですがメカニックなものの再生能力には残念ながら限界を感じています。それは再生音の瞬発的なものだけでなく「良く設定調整されていれば」などという不安定要因が多々あるということも含めた話です。

仰るとおりと思います。

例えばアンプやCDP自体よりインシュレーターやボード
ケーブル類の方が音質を決定する大きな要因になる場合
も多々あります。
ウチなどはマンションなので一度マンションの
共通の配電盤を交換した際、劇的に音質が向上した
事もありました。

私はそれら「不安定要因」があればこそのホビーと思っております
HI-FIというのは究極言ってしまえば「手に入らないモノ」
だと思います。それを追い求めるロマンなのではないでしょうか?
Mr.Sさんこんばんは

>私はそれら「不安定要因」があればこそのホビーと思っております
>HI-FIというのは究極言ってしまえば「手に入らないモノ」
>だと思います。それを追い求めるロマンなのではないでしょうか?

 そうですね、そういう考え方からすると、とうにPCM/デジタルCD時代はなーんの楽しみも無くなっていたはず。
 でもやーっぱり音に違いがあって、あーでもないこうでもないとやっている。
 だから楽しい。
 ということは、この先さらにメカ部回転部が無くなるICカードやオンラインダウンロード時代でも、やーっぱりああだこうだと、やっているのでしょうか?

 ところで以下はジョーク半分ですが、私は、本当に楽しいときって、音楽にはまってしまって音などどうとかいうことさえ忘れる瞬間ですねえ。
 やはりお歳には逆らえないのかな。マルチなんとかなどという周波数を分割してアンプ、スピーカを直接続などのあーでもないこうでもないなど信じられません。気が変になっちゃう。
 プレーヤーなどはS*Eもガラ*ドも埃たかき棚のままです。とても針圧がどうの、盤のごみが取りとかやってらんないですって。

 今の私のものはコントロール系一切無いように組み合わせたのはそうした理由です。SPは地べたからコンクリートの専用部屋ぶちぬき。とにかく部屋ですね。配線のどうのと言っても仕方ないと思ってます。

 録音がどうだとかのその一部だけをドシャーンと聞いただけで、イイだろうなんて止めちゃう人も居ます。
 まあ今ではお付き合いはできそうにないそんな友人。
 昔はそんなこともやった記憶がありますが、その先を聞いてみると、これがもううるさくて。
 そんな実験的な装置で音楽を聴けるはずがないと笑うと、音楽ってなんだ? ときますからねえ。
 6畳やそこらの部屋でこんなマシンで音楽なんて聴いてたヒにゃ小うるさくてしゃーねーよ。
 音楽とかって言ってたらオーディオなんてやってられないさと。
 いや、さもあろうこと。
 落ち着いたら、ゆっくり聞くものに買い換えますときた。
 御意!

 お楽しみください。ではまた。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

趣味のオーディオ 更新情報

趣味のオーディオのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング