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一法庵コミュの時代の転換の意味(3月7日の法話より)

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私の如是我聞でまとめてみました。

山下良道師は、時代に大きな流れがあることを指摘します。
メールでのポッドキャストの反響、アメリカの政治、台北の出来事、日本のある都市で起こったこと、それらは1つのものの表れで、すべて有機的に繋がっていると指摘します。エクハルド・トーレ師のMomentous(重要な)と言う言葉を引用し、微妙な変化であるが、時代が変わりつつある流れを指摘するのです。一方で、変わりつつあることに同意しても、何がどう変わりつつあるのかがわからないから、人々は不安になると言います。どう生きたらいいかがわかれば、今の時代を力強く生きていくことができる、何がどう変わりつつあるのかを、大きなスケールで話してみたいと法話を始めます。

スピリチュアルでとんがった人からのメールや現実に苦しんでいる人からのメールも、様々な人が様々な場面で、一人一人の生き方として現れている変化への道程なのです。エクハルト師が言うように、人々は、青虫からさなぎ、さなぎから蝶々の変化の様々な時期で苦しんでいると言います。しかし、さなぎを通してしか蝶々になれないのですから、苦しんでいることに意味があると言います。苦しんでいる人には、苦しんでいることの意味がわかってほしい、苦しみながらもビジョンを持って欲しいと言うのです。それは、別の表現で言えば、まったく新しいものが生まれつつある過程にいることを自覚することでもあります。

今のこの時代の苦しみは、今まで転々ばらばらだったものを同じ問題として繋がっていると観ることを可能にしました。ここ数週間、私達は今、何に苦しんでいて、それをどうしたら良いのかを、つかむという言葉を手がかりとして考えてきたと良道師は言います。つかむ心が、瞑想の中でも瞑想テクニックとして働いてきたので、事柄を一層見えにくくさせたのだと言います。テクニックによって、がんばってエゴから解放を目指すという構造そのものがおかしく、基本的な誤解なのです。それはエゴの解放どころかエゴを強化していくことなのです。ここに気付いて欲しいと良道師は言います。

しかし、このメッセージを本当に届けたい人に届いていないジレンマがあること、届けたい人はこうした言い方に反発し、聞こうとしないことが残念でならないのです。
禅で言うところの「回光返照」(えこうへんしょう)あるいは「退歩返照」のように、自分の顔を客観的に見る、つかもうとする心が苦しさを呼んで来たということを、たとえ全面否定された気持ちがあるとしても、事実としてありのままに受け取るしかないことをティクナットハン師の言葉や中島みゆきの「玲子」の歌詞を例に出して話します。

ここまでが前振りになります。良道師は、時代の変化の意味と時代を乗り超えるための核心の教えについて語っていきます。
呼吸を吸うことを気づいている、知っていることは大変なことだと言います。Thinking Mindやつかむ心で生きてきたことが止むときに、呼吸を吸うことに気づいている、呼吸を吐くことに気づいているということになるのです。このときに何が見えるのか、Thinking Mindやつかむ心で生きてきた意識では理解できないはずです。それらがストーンと落ちたときに、非常にクリアに呼吸を観ることができるのです。今まで言われてきているヴィパッサナー瞑想の説明、すなわち、より深く(何段階ものステップで)観ることがヴィパッサナーであると言うよりも、Thinking Mindやつかむ心が止んで呼吸を観ることがそれであると言った方が適切であると良道師は断言します。

そのときに呼吸を観ているのは誰なのか?あなたは誰なのか?それは、「形」でないものという以外にないのだと言います。今まで「形」は私のすべてであった、この世界はすべて「形」の世界で、私自身も「形」としてしかとらえていなかったことがわかることだと言います。そもそも「形」がある世界は、良いことと悪いことしかなく、必ず不満が生まれ、満たされない思いが生まれ、良いものを手に入れたくなるのです。「形」の世界に生きている限り、欲望の執着と惨めさの怒りが生まれ、なくそうと想っただけでは、どうしようもできない、仏教の本を読んだだけではどうしようもできないことであると言います。むしろ、世間に生きている人はそうした執着や怒りを生きるためのモチベーションとして、それが結局は苦しみの世界に生きることになるのだと言います。

それでは、どうやったら、欲望の執着と惨めさの怒りを乗り超えることができるのか?それは、吸っていることと吐いていることを観たときに、Thingking Mindやつかむ心が止むときに、なおかつ呼吸を意識しているときに乗り超えることができるのだと言います。すなわち、つかむ心でない者が呼吸に気づいて観ていることが理解できたときです。そのときに、我々は「形」でないことがはっきりするのだと言います。良道師は、今、微妙なことを言っているのだと用心深く述べていきます。ここに、自分と世界の大転換があり、ここを通らない限り、先はうんともすんとも観えないのです。いくら執着しない、怒らないと真面目にかんばっても無理なのです。良いものと悪いものの2つがある「形」の世界にいる限り、良いものを欲しがり、悪いものを憎む故に、フラストレーションがたまり、惨めになり、欲望、怒りが生まれるのです。

いいですか。欲望や怒りに駆り立てられ世俗的に生きても、欲望や怒りを撲滅せんとスピリチュアルな生き方に真面目にがんばってもどうにもこうにもならなくなり、両方ともみじめになるのです。じゃあ、どうしたらよいのか。それは自分が「形」でないことを発見するしかないと良道師は言います。「形」でないことを発見することにより、我々は「完全」であることが観えるのです。それは「形」ある世界の「不完全」さと対称をなしています。

大乗仏教は、<我々は「形」ではない>ということをありとあらゆる表現、例えば、仏性、如来蔵、完全と呼んで来ました。けれども、同時に、禅でも、「金剛乗」(vajrayāna)でもこれらの言葉が(長い間)誤解されてきました。何故なら、「形」なき世界の話を「形」ある世界のことと解釈してしまったからです。

ようやく観えて来た根本的なこと、それは時代の転換とも言えることです。表面的には経済的な転換、GMのような世界ナンバーワンの自動車メーカーが倒産の危機に瀕しているということもあるでしょう、しかし、根本的な転換は、ようやく我々が、今まで「形」ある世界に生きて来たけれども、我々は「形」ではないということが観えて来たということなのです。そして、我々は、「形」でないからこそ、「完全」であると観えて来たのです。我々は「形」ある世界に行き詰ったからこそ、観えて来たのです。それは古い意識が徹底的に崩壊し、新しい意識に変わるときに、どうしても通らざる得ない、さなぎから蝶々になる、非常に苦しく思う過程なのです。我々がどうして今、苦しんでいるのか、苦しんでいることは、どういうことなのか、その苦しみを通じてどういう新たしい世界が開けるのかを理解していかなければならないのです。

このように観えて来たとき、生き方が根本的に違ってしまうのだと良道師は繰り返します。この時代の転換、大は資本主義や金融システムの行き詰まり、小は会社の中の人間関係の行き詰まり、おそらく、人類のカルマそのものが出てきてしまったかのような様相を呈している古い世界の崩壊に立会い、新しく生まれつつある発見、それは、自分が「形」であるという夢から目覚めつつあるということなのです。自分を、肉体とThinking Mindのコンビネーションとして捉えてきたきたことの間違いに気付き、その夢から目覚めることなのです。

「形」こそがすべてだと考える古い世界は、欲望と怒りを原動力としてパワーとして途方もない文明や資本主義社会を作って来ました。現在、それが経済的にも、社会的にも行き詰まり、この世の地獄が出現し、人々は惨めさしか感じなくなる。それは、自分を肉体とThinking Mindのコンビネーションとして捉えてきた根本的な誤解から来ているのですが、その苦しみを通して、私自身が「形」でないことを発見し、そこで生きることが、先週のエクハルト師の言う3つの目覚めた行為に繋がるのだと良道師は言います。

まず、良道師は去年、『ニュー・アース』を読みながらお話した、生きる目的について振り返ります。生きる目的は、目覚める(Awakening)ためです。自分にとって本質的でない、Thinking Mindが止まるところで、呼吸を観る、呼吸を観ることでその呼吸を観ているAwareness(気付き)が我々の本質であること理解し、それに目覚めることが我々の人生の目的であると話したことを、もう一度、法話を聞いている皆さんに思い浮かばせようとします。このとき、生きる目的に目覚めた自分は、家族の中で、社会の中でどう生きるべきなのかを、世界を語るこの法話で、別の角度からアプローチするのです。

エクハルト師の言葉を引用し、目覚めた行為(Awakened Doing)は、「形」なきものが「形」ある世界に流れていくことであると言います。目覚めた行為によって、宇宙全体がしようとしていることが、私の行為の中で実現されることであるとも言います。
ここで、先週、紹介した3つの菩薩的あり方を、新しい意識に基づいた生き方、すなわち目覚めた行為として、今回の法話の文脈に引き付けて説明します。

?acceptance 受容
執着と怒りによる精神葛藤を乗り超えて、一切の努力を捨てて、そのまま受け入れる。

?enjoyment 喜び
未来や遠くにあるものへの欲望から生ずるストレス、心配から解放され、何かの行為そのものを目的として楽しむ。一歩、一歩に花が咲く(ティクナット・ハン)こと。「形」なきものが今の自分の中に入ってくる。

?enthusiasm 情熱
心は「今」(Present Moment)に喜びながら、大きな目標に向かってダイナミックに動いていく。本来自分が「形」なきものであるということを見失わずに、「形」なきものを「形」あるものに入れていくこと。十分に?、?を為した上で、「形」なきものを十分に理解して、それを「形」ある世界で実現していくこと。

時代転換の中で非常につらく、苦しい思いをしている人が多くいます。しかし、地球全体の転換の本質的意味を理解して、自分自身が変わらなければなりません。一番大事なことは、自分とは一体、何なのかを問うことなのです。本質的なことを見失わないなければ、家族の中で社会の中でどのように生きていくのか、あるいはどのように仕事をするかという具体的な生き方は自然な形でついてくるのだと山下良道師は法話を閉めます。

コメント(2)

ありがとうございます。
2回ほど聞きましたが、聞くだけでは良く分からない点も文字で読むと分かる点もあり助かりました。
マーヤ族さま>

そのように言ってくださり、うれしいです。
法話は、非常に微妙なことを語っているので、簡潔にまとめるのではなく、長く
まとめることになります。(笑)

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