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法然 1133〜1212 浄土宗コミュの念仏の害毒 厭世主義 善導は自殺

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(※ 創価学会ほどの猛毒はないにしても、他の邪宗教でも害毒はありますから、皆さんが、一日も早く、正しい信心に帰伏されることを切に願います。
悪いのは邪宗教であり、信者の方は被害者です。)



【念仏の害毒】


経典によれば、阿弥陀仏にも三種の説があって、

・第一は、無量寿経に説かれる法蔵比丘の十劫成道の阿弥陀仏、

・第二は、法華経迹門化城喩品に説かれる大通智勝仏(だいつうちしょうぶつ)の十六人の王子のうち第九王子として、西方極楽浄土に住して法華経を弘通する阿弥陀仏、

・第三は、法華経薬王品第二十三に説かれる釈尊の垂迹・化身の一人としての阿弥陀仏である。


いずれの説であっても、法蔵比丘が歴劫修行によって、阿弥陀仏に成ったといわれているが、浄土宗で本尊と立てるのは、このうち無量寿経に説かれる阿弥陀仏である。

しかし、この阿弥陀仏とは、『無量寿経』に
「法蔵比丘、今すでに成仏して、現に西方にまします。・・・・成仏より已来(このかた)、おおよそ十劫を経たまえり」
と説かれるごとく、
法蔵比丘の十劫成道の仏にして、法華経本門寿量品に説かれる五百塵点劫成道(久遠実成)の釈尊には遠く及ばない。

いかに無量寿経の中に、阿弥陀仏の優れていることを讃歎していても、それは、十劫中の諸仏と比べて説かれたもので、久遠実成と比べれば遙かに劣ることは当然である。

この阿弥陀仏の有始・有限性を隠そうとして、浄土門では、久遠実成の阿弥陀仏等の珍説を立てたが、もとより浄土三部経には、十劫成道以外説かれておらぬ以上、まったくの妄説というほかない。


また、法華経化城喩品の説に依れば、

大通第九王子の阿弥陀仏は西方の衆生済度の任にあたっており、この娑婆世界の衆生済度を任されたのは第十六王子の釈尊であるから、阿弥陀仏は「他土無縁」の教主となる。
ゆえに、我々娑婆世界の衆生にとっては、信仰すべき仏とはならぬのである。


最後の法華経薬王品の阿弥陀の説に至れば、

久遠実成が顕れおわった後には、阿弥陀も久遠実成の釈尊の垂迹仏となることがしめされているのである。
仏の経々に照らし判ずる時、阿弥陀を本尊と立てる浄土信仰の邪義は明白である。

そもそも、劣機の故に、易しい念仏を立てるなどというのは、大変な誤謬である。

仏が法華経に説かれた「正直捨方便」、「不受余経一偈」等の明言を無視して、人機を中心に、仏法を判ずるとなれば、もはや、仏法信仰者と呼ぶことはできない。

劣機であるからこそ、真実最高の教法によらねば救済できぬのである。


以上、浄土信仰批判を述べてきたが、経典に照らす時、浄土信仰の末路は無間地獄が決定(けつじょう)している。

その故は、浄土門においては「理深解微」「千中無一」「捨閉閣抛」等といって法華経を誹謗しており、

これは『法華経』に

「若し人信ぜずして 此の教を誹謗せば 則ち一切世間の仏種を断ぜん・・・・其の人命終して 阿鼻獄に入らん」(法華経175頁)

等と説かれるごとく、無間地獄に堕ちる業因となるからである。


中国の善導は、一刻も早く往生せんことを願って、柳の木に首を吊って自殺を計り、死にきれずして発狂し、七日七晩もがき苦しんだ末に命終。

浄土信仰の教義は、

「この現実社会は汚れた世の中であるから、この世に生きているうちは苦しみがあってもしかたがない。
しかし、西方十万億土の彼方に、阿弥陀仏の住む極楽浄土という世界がある。
この阿弥陀仏にすがって、一心に念仏を称えてさえいれば、死んでから極楽に行き、幸せになれる」

と説くものであり、

要するに、「この世の中では、どんなに頑張っても幸せになれない。

阿弥陀にすがって、死んでから幸せになろう」という教えであるから、

これを信仰していくと、その思想的影響によって、すぐに現実から逃避したがる、非常に諦めの強い、退廃的で優柔不断な性格、生き方になっていく。

そして、現実を逃避する厭世主義であるから、ついには自殺まで走る例が多く出てくるのである。

このほか、浄土の邪義に起因する「世の不幸・苦悩」は、まさに筆舌に尽くし難いものがあり、まことに恐るべき宗旨といわざるをえない。

コメント(37)

お互いに交渉のなかったインド各地の大乗のそれぞれのグループが生み出したさまざまな大乗経典の一つに立って他の経典に立つ信仰形態を批判するというのは、あんまりみっともいいことではありません。
そもそも法華経を作成したグループの動機としては、大乗を名乗る改革派(菩薩乗)と原始仏教を引き継ぐ守旧派(声聞乗および縁覚乗)との争いが激しかったからこれをただ守旧派を否定するばかりでない大乗に転換してゆくことにあったのに、
それを他宗を激烈に否定・批判することに使うなら、まったく悲しいばかりで、法華経作成の美しい動機も地に落ちるばかりです。
>>[1]
人を地獄に堕とす宗派を批判するのは当然だと思いませんか?
>>[002]は、人をどうやったら地獄に落とせるとお考えなのですか?
>>[3]
>>人をどうやったら地獄に落とせるとお考えなのですか?


仏様に敵対すると地獄に堕ちるんだと思います。
それから、「地獄に落とせる」という言い方は、ちょっと・・あせあせ(飛び散る汗)
地獄に堕ちてほしいとは思わないので。
>>[004]

>人を地獄に堕とす宗派を批判するのは当然だと思いませんか?
>仏様に敵対すると地獄に堕ちるんだと思います。


チビあやさんは浄土宗が人を地獄に堕とす宗派だと思っているのですね。
それというのは浄土宗が人を仏様に敵対させるから、浄土宗を信仰している人は地獄に堕ちるのだと言うのですね。
だとしたら浄土宗は全然、人を仏様に敵対させたりなどしないから、チビあやさんの大きな勘違いですよ。
>>[1]
この人にマジレスするだけ無駄ですよ。
まさに「馬の耳に念仏」です。
>>[007]

だとしたらそれは、まったく僕自身の姿と同じなので、僕自身に話しかけるように話すだけです。
>>[5]

法然の選択集によって、釈尊一代の説法を破り、日本中の人々を迷わしたのです。
円教である法華経を捨てて、偏頗な念仏を好んで、どうして悪鬼が便りを得ないでいるでしょうか。

災難を根絶するには、千万の祈りをするより、謗法を禁じなければならないのです。

釈尊は、五十年の説法のうち、五時に分けて先後を立て、権実を明かされました。
ところが、念仏の祖である曇鸞(どうらん)、道綽(どうしゃく)、善導(ぜんどう)は
仏説に反して、権教につきしたがって、肝心の実教を忘れ、五十年の説法のうち、先の四十余年に説いた権教によって、
最後の八年間に説いた法華経を捨ててしまいました。

これは仏法の奥底を知らない者です。

特に法然は、これら曇鸞、道綽、善導の流れを継いではいますが、その源である三師が、権実の教えに迷っていることも知らないのです。

そう断定する理由は、大乗経六百三十七部二千八百八十三巻ならびに一切の諸仏菩薩および諸々の諸天善神などについて、

「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」の四字を勝手に置いて、一切衆生の心を軽んじてしまったからです。

これは法然が勝手に作った言葉で、まったく釈尊の経文を見ない説です。

人々は、この妄語を信じ、法然の選択集を尊んでいます。

法然こそ、諸仏の怨敵であり、一切の聖僧、大衆の仇・敵です。

しかも、この邪教は広く充満してしまいました。

一刻も早く、念仏を捨て、日蓮が説く妙法たる善に帰依して、災難の源を塞ぎ、亡国の根を断つべきです。

災難を対治する方法については、仏法の経典にも沢山説かれており、残らずあげることはとうてい困難です。

ただし、結局、謗法の人を禁止して、正法を護持する人を重んずるならば、国中は安穏となり、天下は泰平となることは明白です。

それにもかかわらず、謗法の人々や法華経の正道を忘れた人達は、さらに、法然の選択集によって、ますます愚癡となり道理に迷い、謗法の度を加えています。

このように人々が如来の悟りの禁言に背いているのは実に悲しいことであり、
愚かな僧にすぎない法然の迷いの言葉に従っていることは、まことに哀れなことです。

一刻も早く、天下の泰平を願うならば、まず何よりも国中の謗法を断絶すべきです。

すなわち「布施を停止」するのです。

国土泰平、天下安穏は、全国民が願うところです。

一日も早く、謗法の者に対する布施を止め、仏の怨敵である一切の邪宗邪義を断絶してしまうならば、人心が治まり、天地も平穏な理想社会となり、国は、理想的な幸福社会となって、万民が平和な生活を楽しめるようになるでしょう。

薬師経の中に説かれている七難のうち、五難はたちまちに起き、二難だけが残っています。
すなわち他国から侵略してくる難と、自国内に反乱の起こる難です。

大集経に説かれている三災のうち、二災はすでにあらわれ、あとの一災はまだ起きていません。
いわゆる兵革の災です。

未だ現れていない自界叛逆(じかいほんぎゃく)と他国侵逼(たこくしんぴつ)の二難が、
悪法を崇重(そうじゅう)している罪科によって、競い起きたならば、その時になってどうしようというのですか。

自らの不安のない生活、境涯を願うならば、まず一国の安定、平和を祈るべきです。

法然などの邪法に対する執着の心がひるがえず、謗法の心が強いならば、後生は必ず無間地獄に堕ちるでしょう。

あなたは一刻も早く邪法信仰の寸心を改めて、実教の一善たる日蓮正宗に帰依すべきです。

そうすれば、この三界は皆、仏国です。
仏国であるならば、どうして衰えることがあるでしょうか。

三災七難もなくなり、国土が破壊されることもなくなれば、あなたの身は安全になり、心には何の不安もない幸福生活を送ることができるのです。


>>[009]

そうするよりも、人と人とが優しい穏やかな言葉で話し合うことを説かれた釈尊のお心にまず寄り添うほうが、ずっとお互いの心に静かな平和をもたらすと思いますよ。

また、チビあやさんは日蓮さんに従って中国さらには日本の天台宗における教相判釈を当たり前のように受け入れて主張なさっていますが、それもまったくそう考える人にとってだけ通用する考えであり、
それが無検討のままの絶対的真実だとして他者を批判することは、世の中に不穏と不調和と対立といがみ合いと憎しみを生むだけではないでしょうか?
>>[10]

でも、みんなが優しい穏やかな人でも、災難は容赦なくきますよね?ふらふら
阪神大震災・・
東日本大震災・・・
他にもいろいろありましたね。

みんなが優しい穏やかな人なら、いじめ問題も事件もないはずですが、今も昔も、そんな理想社会が実現したことがありませんあせあせ(飛び散る汗)

今も外国から領土を奪われるかも知れないし、侵略されるかも知れない危機ですよねexclamation & question

こういう問題はどうしますか?

日本は、念仏の人が人口の半分以上ですが、なぜ、念仏の人たちだけでも幸福じゃないのですか?
不運、不幸な人は「たまたま運が悪かった」のですか?ふらふら

>>[011]

>でも、みんなが優しい穏やかな人でも、災難は容赦なくきますよね? 阪神大震災・・東日本大震災・・・他にもいろいろありましたね。

そうですね。
もし誰もが優しい穏やかな心の光に輝くに至ったとしても、天災は物理的条件次第で私たちに訪れるかもしれません。
しかし天災が不条理だからといって、「それは念仏宗のような間違った教えが広まっているからだ」なんて考えることは、さらに人間自ら不条理を重ね合わせることにならないでしょうか?


>みんなが優しい穏やかな人なら、いじめ問題も事件もないはずですが、今も昔も、そんな理想社会が実現したことがありませんあせあせ(飛び散る汗)

ぜひ私たちの努力で、私たち自身の人格を向上させ、助け合いながら、より理想に近い社会を目指しましょう。


>今も外国から領土を奪われるかも知れないし、侵略されるかも知れない危機ですよねexclamation & question こういう問題はどうしますか?

お互いに知恵を出し合って、人間同士がなんとか仲良く生きてゆけるように頑張りましょう。


>日本は、念仏の人が人口の半分以上ですが、なぜ、念仏の人たちだけでも幸福じゃないのですか? 不運、不幸な人は「たまたま運が悪かった」のですか?

「念仏をやっているから運が悪かったり不幸だったりするのだ」というような、どこかから借りて来た不条理な考えをそのまま信じ込んでしまうのではなく、
一人一人が丁寧に物事を考え、お互いを愛情をもって思いやれるようになるなら、
きっと段々と私たちは手を取り合って確かな幸せと心からの喜びに近づいてゆけると思います。
>>[013]

「念仏やっている奴らなんか悪い奴らだから、一つガツ〜ンと頭をはたいてやろう!」とゆうようなトピ立ては、人々を分断し、敵と味方に分け、他者を罵倒する言葉と心を生み出し、
ひいては自分の心にもいつまでたっても真の平和をもたらさないものだから悲しいことだと思います。

しかし視点を変えれば、「かつて日蓮はこんな批判をしていたよ。そして今でも私たちは同じ批判をしますよ。浄土宗の側からはどうお応えになりますか?」ということをむき出しの荒っぽさでおっしゃっているわけですから、
それはそれでいい勉強のきっかけにはさせていただけると思います。
>>[015]

批判というのは、単に他者をおとしめたり苦しめたりするものでなく、より良い何かを生み出すために落ち着いて理性的になされるならとても有意義なものですね。
ブッダも世俗的あり方や外道の哲学を批判的に乗り越えることによって悟りを開くに至りました。
また大乗仏教も、アビダルマの精緻な分析作業に終始し外部の大衆のことを置いてきぼりにしているかのような仏教教団のあり方を批判することによって生まれました。

しかし、相手との冷静で建設的な討論の基礎となる協調と信頼関係を最初に破壊するような議論の始め方は、よっきさんがおっしゃるようにとても悲しいものですね。
>>[13]
>>阿弥陀様にお任せします。

阿弥陀様を信じて、念仏を唱えれば、それで来世〜
浄土に生まれることができるのですか?

それが本当なら、善導のように、一刻も早く往生せんことを願って
自殺を計ることが正しいことになりなすが・・・あせあせ(飛び散る汗)

そういう教えが正しいと本気で思いますか?ふらふら
>>[18]
>>仏教各宗はどれもシッダールタから始まったが解釈が異なった。
同じ唯一神を信じるイスラム教とキリスト教のように。


あの、すいませんが、全然答えになってないと思いますよあせあせ

もう一度、同じ質問しますねあせあせ

「念仏の思想(解釈exclamation & question)が正しいなら、善導のように、一刻も早く往生したいと願って、自殺を計ることも正しいということになりますがふらふら
念仏信仰の皆さんは、そういう思想(解釈exclamation & question)が正しいと本気で思っているのですか?あせあせ(飛び散る汗)


>>[017]

>阿弥陀様を信じて、念仏を唱えれば、それで来世浄土に生まれることができるのですか? それが本当なら、善導のように、一刻も早く往生せんことを願って自殺を計ることが正しいことになりなすが・・・あせあせ(飛び散る汗) そういう教えが正しいと本気で思いますか?ふらふら


人間同士がいがみ合い、けなし合い、激しく争うこの社会の醜さに本当に心を痛めた念仏者の中には、本当に早くこの人々の醜く争い合う世の中から脱して、清らかな心の世界に入りたいと熱望された方たちもいらっしゃるようですが、
僕たちは是非ともそんな人間同士の醜いののしり合いや優劣競争から脱して、お互いを優しく温かく支え合い、手引きしてゆけるようになりたいものですね。
>>[22]

一見、正しい一般常識のように思えますが、とても消極的な思想だと思いませんかexclamation & question
念仏信仰の影響でしょうか?あせあせ(飛び散る汗)
>>[023]はご自身の考え方と異なる他者はあくまでも積極的に打ち倒さなければならない、それが正義というものであり、世の中のためになるのだと考えていらっしゃるのですか?
>>[24]
>>ご自身の考え方と異なる他者はあくまでも積極的に打ち倒さなければならない、それが正義というものであり、世の中のためになるのだと考えていらっしゃるのですか?


いえいえあせあせ(飛び散る汗)
倒さないといけないのは、人びとを迷いに陥れる邪宗であって、
その害で、不幸になっていく信徒の人たちを救っていかなくてはいけません。
「正義」という言葉より、「責務」といったほうがいいかもしれないですね。

私も、現代で一番最悪な創価学会の邪教の被害者の一人でした。

生まれた時から今まで自分が正しいと信じてきたことが、
大間違いだったなんて、納得して受け入れるまで、とても時間がかかりましたふらふら

心の葛藤、家族の反発、友達を失うこともあります泣き顔

それでも、良い薬だと思ってた物が、害のある毒だとわかった以上、人にも教えてあげるのが当然ではありませんか?

『自分は毒だと知っているけど、他人は、それを薬だと信じているのだから、その人がそれでいいと思うなら、そっと見守りましょう』なんて・・泣き顔念仏のみなさんだって、それが良いなんて思いませんよね?あせあせ(飛び散る汗)
>>[025]

そうですね。もしかしたら多くの人が、
「チビあやさんがもっとやわらかな言葉でお考えをお話になり、お互いの主体性やら人格やらを温かく見つめた上で、
借り物の言葉でない自分の人間性と言葉で人と対話されたらいいのに」
と思っていらっしゃるかもしれませんね。
決してチビあやさんのことをうとましく思うばかりでなく、できたらもっともっと素敵に変わってもらいたいと願っているかもしれませんね。
>>[26]

確かに、私は人格者でもなんでもなく、未熟な人間で、私の言葉に耳をかす人もいません。

でも、私が未熟だからといって、念仏が正しいという理由にはなりませんよあせあせ

たとえば、念仏思想の矛盾は、そもそも、この世が穢れた世の中なら、どうして長生きを望むのですか?

念仏を信じれば、死後、浄土にいけるのでしょう?
それなら、早く死にたいと思うのも一理あると思いませんか?

個人的な人格が良いか悪いかの論議はもういいですのであせあせ(飛び散る汗)念仏の教義について回答お願いします。
>念仏思想の矛盾は、そもそも、この世が穢れた世の中なら、どうして長生きを望むのですか?

歎異抄の9章にその答えが出ています。

私が日蓮系の人々の主張で不思議だと思うのは、阿弥陀如来なんて、浄土三部経なんてウソっぱちだと言っておきながら、「ただし五逆罪と誹謗正法の者をば除く」の文言だけはえらく重視すること、そして正法とは法華経のことだと決めつけていることです。無量寿経には「誹謗正法の正法とは法華経のことですよ」なんて書いてないんですが。
>>[027]

>念仏を信じれば、死後、浄土にいけるのでしょう? それなら、早く死にたいと思うのも一理あると思いませんか?


大変混乱した世の中で、民衆は苦しみから決して脱しえないかのように思われた鎌倉時代の初めに、法然は大変な修行を重ねなくとも民衆が救われる道を切り開きました。
これは決してチビあやさんが思われるような消極的な姿でも何でもなく、むしろ極めて積極的でリスクの多い挑戦でした。
既存の仏教界が民衆を捨て置いて、まるで権力者と僧侶だけが救われればいいかのように安閑としている様に法然は叡山を下りて訣別したのです!
学問もない当時の民衆が、一生かかっても果たしえないかのような修行をしなければ幸せになれないと説いていた仏教を、すぐにも民衆を助ける仏教へと転換したのです!
>>[28]
>>無量寿経には「誹謗正法の正法とは法華経のことですよ」なんて書いてないんですが。


「無量寿経」と書かれていますが、「無量義経(むりょうぎきょう)」のことでよろしいでしょうか?
いえ、浄土三部経の無量寿経です。

無量寿経には救済条件から「ただし五逆罪と誹謗正法の者をば除く」と書いてあるんですが、普段は浄土三部経なんて嘘っぱちと主張する日蓮信者はどうしてその文だけは都合よく自らの主張の論拠にして、「誹謗正法してるから念仏者は堕地獄ね」と言うのでしょうか。無量寿経が嘘っぱちというなら「ただし五逆罪と誹謗正法の者をば除く」をも嘘としなければ筋が通らないでしょう?

さらに言うなら、「五逆罪と誹謗正法の者は堕地獄」を真実とするとしても無量寿経内に「その正法とは法華経のことである」とは書いてないんですよ。

ですから、日蓮系の方々の言う「念仏無間」は前提からして空中分解してるんです。
>>[31]

念仏が邪義であることは確かなのですが、それを証明できる学が私にはありません泣き顔

その代わりと言っては申し訳ないのですが、このブログをご紹介しますねあせあせ

浄土真宗僧侶だった「Yさん」、「Sさん」が、正法を求めて(日蓮正宗に)入信した話です。
http://plaza.rakuten.co.jp/kyouchi/diary/201205250000/



○念仏の教えで救われると言うが、娑婆を穢土と嫌う厭世思想は、現実逃避以外の何ものでもない。

○念仏が本尊とする阿弥陀仏は、釈尊の教典の中に出てくる方便、架空の仏であり、実際にこの世に出て苦悩に職ぐ衆生を救済したという事実はない。
西方極楽浄土は、死後の幸せを願うのみであるため、ますます自殺者が増えていく。

○追善供養を禁止しているので、死んだ人が成仏していない。
この世で成仏できない。

○親鸞が「自分は地獄に堕ちても構わない」と明言しているため、前向きな生活が望めない。
門信徒皆様に、受け身的生活姿勢が蔓延している。

○本当の仏の教え(法華経)を捨てよ、閉じよ、閣(さしお)け、抛(なげう)てとしてきた大罪。
仏説を否定した法然・親鸞の思想は社会の罪障となっており、それを皆様が知らずに信仰している。

○僧侶がたった二週間くらいの研修で資格を取れる。
それでどうして、人々の悩み苦しみに向き合って応えられるのか。



決定的に欠けているのは三世に亘る「因果の理法」です。

「因果の理法」を説かないから、自分の罪悪も現世でやってきたことでしか判らない。
過去世の業が現世に現れていることを知らない。
また現世の行いが来世に繋がることも知らないですよね。
それで不幸な出来事が起こると、「なぜこんな目に遭うんだ」となってしまうんです。
信仰の上に現証としての結果を見出せませんし、解決できません。
そして、それらを抱えたまま阿弥陀仏に任せて人生を生きていこうとする。

これでは何も解決しないし、行動力も生まれません。
流されて生きているのと同じです。

>>[033]


まあまあ(^-^)悪人こそ救われるべき対象なのです。(真宗的にですが)


気づくまで優しく見守ってあげましょう(^人^)


取り敢えずこのトピより先に創価コミに立てたトピに反論するのが


>>[032]【チビあや】さんのやるべき事ではないでしょうか?
>念仏が本尊とする阿弥陀仏は、釈尊の教典の中に出てくる方便、架空の仏

これも日蓮系の人がよく言う論ですが、宗教のなんたるかをわかっていない証拠ですね。
釈迦如来を本尊としなければ仏教ではないというのは宗教の形として不自然ではありませんか? キリスト教の神はヤハウェであってキリストではありませんし、イスラム教の神はアラーであってムハンマドではありません。であれば仏教の本尊は釈尊でない方が自然だと思いますが。
もし釈尊が「オレを本尊にしろ、オレの像を作って拝め」と言っていたら幻滅するんですが。


>追善供養を禁止しているので、死んだ人が成仏していない。

そもそも仏教って追善供養を主眼にした宗教でしたっけ? インド仏教を勉強したことありますか?
>>[035]


【樋田さん】とかまあその辺りの法華講の受け売りだと思いますが、


自分の言葉で説明出来るだけの教養がまだ身に付いてないのでしょう。


正宗の看板を掲げて恥を晒すのですから、正宗からすると内部アンチと同じなのではないでしょうか?


創価の癖が抜けてませんね。


自爆です。

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