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生徒会文芸部コミュの三題噺

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三題噺をつくるトピックです。定期的にお題を挙げようかという予定です。

コメント(28)

暫定三題を3個置いておきます。

1.楽器・木・偽物

2.マッチ・島・王

3.馬車・島・双子
(※文字数の都合により分割。終わりにも目印としてメッセージを入れます。お待ちください)

「先生が気に病むことは無いのよ」
馬車に揺られながら、僕はよほど沈鬱な表情をしてしまっていたらしく、隣に座るシエラお嬢様に心配されてしまった。本来ならば心配するのは侍医であるこの僕の仕事で、心配されるのは術後ようやく容態の安定してきたお嬢様の方だというのに。
「執刀をしたのは先生一人ではないのだし、世界的に珍しい手術だったのだし。……なによりお父様の身勝手がいけないのだわ」
僕は曖昧に頷く。
シダーの林の硬い葉が落とす木漏れ日の中をゆっくりと馬車が進む。花月の半ば、よく晴れた日。フサアカシアの花の色かたちが溶け出したような空気だ、と感じた。
やがて林が途切れ、開けた丘に出る。この島でも標高が高く、見晴らしの良い場所。その入口で御者に停めてもらった。
シエラお嬢様は座席にもたれ込んで日傘を開き、さらに片手で眼を覆っている。
「ようやく眼が馴れたと思ったのだけれど、眩しくて仕方ないわ。先生、少し待っていてくださいね」
眩しいのも無理はない。彼女は、彼女らはこれまでの人生のほぼ全ての時間をあの屋敷の中で過ごしてきたのだ。大切にされすぎて日の目を見なくなった蒐集品のように。
了解を告げ、お嬢様の眼が馴れるまでに荷台からシャベルを取り出しておくことにした。
二人乗りの簡素な馬車とはいえ座席は高い位置にあるので、僕は先に降りてお嬢様を抱え降ろすことになる。ようやく馴れたお嬢様は、下で構えている僕に無言でひとつ頷いて、身を預けてきた。失礼の無いように、けれど落下の危険も無いようにと細心の注意を払って抱える。真白のドレスに包まれたフラジール。半分になってしまった体重は軽すぎて、今日のように風の無い日でなければ舞い飛んでしまうのではないかと心配になる。
「もう大丈夫よ、先生。降りられるわ」
お嬢様の声が僕を空想から醒ます。小さい足が地面に着いて、黄色い花芯のキク科の野花を潰す。花粉まみれのハナアブが慌てて飛び立った。
「けれどね、どうやらまだこの身体に慣れていないわ。上手く歩けそうにないから肩を貸してくださる?」
「もちろんです。術後いかがですか? 無いはずの部分が痛むなどは」
つまり、幻肢や幻痛の症状は無いか、という質問。彼女のような症例に一般的なそれらが宛てはまるのかどうかはわからない。なにしろ過去の事例が無さすぎる。
「痛むことは無いわ。身体の片側の重りが外れたようでまるでバランスが取れないけれど、それだけね」
 
一面の細かな草花を踏みしめて、丘の上を進む。丘の中ほど、やや高みになった場所で、お嬢様は立ち止まる。しがみつかれている僕も止まる。
「見晴らしも良いことだし、この辺りがいいかしらね」
しばらく二人で景色を見渡す。見下ろせば麓の林を越えて海岸線。島でただ一つの港も見える。凪いだ春の海の遥か先には本土の陸地がある。そして一面の青空が広がる……いや、一面ではない。空色をしていない場所を僕が指差す。
「お嬢様、向こう側の空が灰色に霞んでいるのが見えますか」
帝都のランドマークである時計塔もここからでは見えやしない。けれども灰色の空がその位置を示している。今日も工場では巨大な歯車が音を立て、煤煙を噴き出し続けているのだろう。
「お父様は今もあそこで働いているのね」


 急速に発展した機関工業は経済の仕組みを大きく変え、お嬢様の父親、つまり今の僕の雇い主のような人々は急速に財を成した。また、生物たちの生態をも変えていった。本来白い翅を持つヒトリ蛾の中に灰色の翅を持つ個体が増加しているという論文を読んだことがある。生態サイクルの短い虫たちは姿までもすぐさま環境に合わせることで生存してゆく。人間ではそうはいかない。
 煤煙の人体への影響は未だに解明されたわけではないのだが、それでもこの工業の成功者達にとって、煤煙の健康被害をイメージさせる事態は非常に都合が悪い。見るからに健康ではない身体を持つ子が産まれるなど、最悪と言ってもいい。
 故にお嬢様の父親は帝都のはるか西のこの島を別荘として買い取り、娘を、娘たちを閉じ込めた。腹〜腰側部が癒着し、内臓器官の一部を共有して生きる結合双生児のシエラお嬢様とメアお嬢様を。

 「ねえ先生、私が寄りかかったままでも地面を掘れるかしら。どこかにつかまっていましょうか」
「いいえ、ご心配なく。片手で出来ることです。土がかからぬようご注意ください」
ゆっくりと姿勢を落とし、シャベルを足元に突き立てる。肩には寄りかかるお嬢様の体重を感じる。掘る動作のたびにブロンドの髪は頬と首をなでる。少しくすぐったかったが、それを言い出すのも場違いかと思い、黙々と掘る。
 お嬢様の膝丈ほどの穴が出来たところで、僕はラベルのはがれた薬瓶をお嬢様に渡す。
「この中にメアが入っているのね」
「ほんの一部ですけれどね」
お嬢様が瓶を揺らすと控えめな音が鳴って、僕はそれを記憶の中のメアお嬢様の声と重ねる。身体の造りが同じ双子は当然声も同じはずなのだけれど、落ち着いた姉として育ったシエラお嬢様と内気で控えめなメアお嬢様では受ける印象がかなり違っていた。
お嬢様は無言で僕に薬瓶を手渡す。受け取ってひとつ頷き、僕はそれを穴の底に置いた。上に土を被せる。メアお嬢様が見えなくなってゆく。肩の後ろで何も言わないシエラお嬢様はどんな顔をしているのだろうか。
この埋葬を発案したのはシエラお嬢様だった。きっとお父様はこの奇妙な双子を無かったことにしたがる。遺体は代々の墓に埋められたけれど、墓石には名前も刻まれないだろう。だからメアだけの墓を作ろう、と。
手で数回地面を固め均すと、丘はほとんどなにも無かったようにもとの姿になった。ただ一点、野草が途切れ濃褐色の剥き出しの土が覗くだけだ。
「先生、少し自分の足で立つ練習をしてもいいかしら」
そう言って、お嬢様の手は僕の肩を離れた。舞踏病のような足取りでしゃがんだ僕を追い越してゆく。その覚束なさに思わず僕が延ばした手をほどいて、こちらへ振り向くことなく。
目の前に広がる海、空、帝都のある本土を眺めながら、お嬢様は長く立ち尽くしていた。いつの間にか太陽は南中し、午後の陽射しへと変わっている。頼り無い背中を見る僕の中に申し訳無さが浮かんでくる。
「あの、お嬢様……」
「ねえ先生」
謝罪の言葉は遮られた。
「私、あの子が、メアが何故手術を決意したか知っているわ」
お嬢様は切り出す。それはまさしく僕にとって1番の疑問だ。分離手術は命にかかわると、あれほど止めたのに。患者本人の同意が無ければ父親も強く出ることはなく、あんなに危険な手術は受けずに済むのに。この姉妹の場合、結合したままで生存することは可能だったのに。
「同じ鼓動を共有した姉だもの。メアのことはわかるわ。朝が来て、先生の顔を見るたびに心拍は早まった。診察で先生の指に触れられる時にもね。先生はメアがいつまでも慣れてくれず、緊張したままだと言っていたけれど、あれは違ったのよ」
よろけそうになるので僕は手を延ばす。お嬢様はそれを振り払う。
「メアからの伝言があるわ。先生」
お嬢様はようやくこちらを見た。僕は目を疑う。俯きがちな顔、眉根の見せる表情、手は緩く握られて口許を隠す仕草。
「……メアお嬢様……?」
顔かたちは確かにシエラお嬢様と同じだ。だからこそ僕は二人の違いを必死に憶えた。毎日顔を合わせて、今更間違えるはずがない。

「あのね、聞いて、先生」
抑えめの声は先程揺れた薬瓶の音。口調にあまり違いは無く、けれども少し幼い印象。間違えるわけがない。
「先生、ずっとお慕いしておりました」
「……お嬢様」
「名前を呼んで。『お嬢様』は要りません」
「……メ、ア」
「有難う。さようなら。姉様をよろしくね」
そう言って微笑んで、メアはフサアカシアの花の、暖かな陽気の中に消えていった。
ようやく別れを実感させられた僕の目の前に立っているのはシエラお嬢様だ。背中を向けている。ふらつくことも無く、自分の足で立って。
「ねえ先生、メアは恋に憧れていたわ。島の海岸線は私たちには世界の果てで、本のページの向こうのものとしてしか海の彼方にあるという恋に触れることが出来なかった。それが、先生が私たちの元に現れて、恋が手の届くところに来た。メアは生まれて初めて私とお揃いでないものを欲しがった。たとえ手術を終えて、そのまま目が覚めなくても、希望も無く島に閉ざされたまま永らえるより良いと考えた。だから、ね」
振り向く顔も、声も間違い無くシエラお嬢様のものだ。
「先生が気に病むことは無いのよ」




(終わり)
(※また分けます。終わりにもメッセージ入れます)


生気を感じない、灰色のビルが並ぶ街。そのところどころから空へと黒い煙が立ち昇る。
その一角にある、とある中小企業のオフィスビルは、今日のデモ行動の危険を懸念して全面休業となっている。
だから、たった今窓の外を掠めた二つの人影を、遅れて階下から聞こえた鈍い衝突音を知る職員などいない。

ビルの屋上には、ヘルメットをかぶり武装した男が二人。そのうち、手摺りにもたれ階下を見下ろす一人が、指でマスクをずらし、問う。
「奴ら、飛び降りやがった。追うか?」
低い声だが、腹から出ていてとてもよく通る声。それに答えるのはテノールの美声。
「どうせ奴は傷だらけだ。その上この高さでは、な。助かったとしても、形の歪んだお人形を後生大事にする連中じゃないさ」
「『調教』だとか自分でほざく連中だもんなあ。性根が腐ってやがる」
低い声の男は失職以来吸うようになった煙草を取り出し、使い捨てのライターで火を点けようとする。けれどもガスが切れたのか、何度試みても火は出ない。男は舌打ちすると、階下に二つの物を投げる。ひとつはライター、もう一つは遙か下に横たわる者への怨嗟の言葉。
「偽物だ、お前等の歌など」

「おい、まだ叩くべき区画は残っているんだ。行くぞ」
高い声の男がポスターを貼り終え、もう一人を促す。
二人がいなくなった屋上に残されたポスターには今日のデモの趣旨が記されている。歌唱用ロボット、いわゆるボーカロイド達によって職を追われた歌手たちによる、『反機械歌』活動である。

ガスの切れた落下物が頭を覆うストール越しに直撃した、その衝撃で青年は意識を取り戻す。全身を襲う激しい痛み。だが、そんなものを気にしてはいられない。心配なのは共に落下し、自分の下敷きとなったパートナーのことだ。彼女の樹脂製の表皮がクッションとなり、青年は一命を取り留めた。身体をよじり見下ろすと、すぐそばに彼女の痛々しい姿があった。涙を滲ませ、青年は彼女の名を呼ぶ。
「ミク! ミク! 死ぬな!」
叫ぶように口を開くけれど、その声は酷く擦れていて、彼はそれをもどかしく思う。答える声は澄んで美しいがもはや力無く、ここが静かなビルの隙間でなければ青年の耳には届かなかっただろう。
「P(プロデューサ)……ご無事で……良かった……」
それきり彼女の声は途絶えた。

ミク。それは彼女の型式名であるが、同時に事実上の固有名であった。何故なら、こんなに古いボーカロイドを未だに使用している者など、このPを除いて他にはいなかったから。ハツネ・ミク。現行のボーカロイドシリーズのプロトタイプ。古物に価値を見出す文化が人々に残っていれば骨董品として扱われたであろう機体。英語さえ満足に発音できないボーカロイド、などと聞いて現代人は信じるだろうか。

多くの人に愛され、受け入れられるためにデザインされた彼女は、多くの人の暴力によりその身体をみすぼらしく破壊されていた。長い腕や脚はところどころで千切れかかり、無数の裂傷からは内部の計器や金属部品が覗き、トレードマークの二つに結んだ長い髪も片方は失われて。それでも青年はミクを美しいと思う。
まだ、まだミクは喋っているのかもしれない。一つとして聞き漏らしてはなるものかと、青年は頭を覆う布をはぎ捨てる。屋外ではいつも隠している彼の顔は、とても醜い。遠い日に負った火傷に髪は焦げてほとんど残っておらず、肌は赤褐色に焼けたケロイド。片目はもうそれとわからないほどに融けて潰れている。焼け爛れた咽喉もかつての声を失って、これではとても人前に姿を晒すことはできない。こんな自分と世界を繋ぐインターフェイス、美しいミク。絶望の淵でやっと出会うことが出来たというのに、彼女が死んでしまったら、自分はもう声を伝えることが出来なくなる。だから、呼び止めなければならない。再び僕を暗がりに閉ざさないでくれ、と。

Pと呼ばれた青年は、かすれた声がさらに潰れるまで彼女の名を呼び続け、そして意識を失った。
街の外れ、細々とした住居や雑多な店が並ぶ区画。階段を降りて隠れるように、博士のラボがある。
名は誰にも知られず、博士とだけ呼ばれるこの偏屈な老人の部屋を始めて訪れた者は皆、同様の感想を抱く。古い映画の中に入り込んでしまったのか、と。たしかに、些細な故障は自ら修理することが出来る、ということを忘れてしまった現代人にとってはこの部屋の家具たちは映画の中でしか見たことの無いものだろう。要らなくなったものたちの楽園。この部屋のソファやテーブルがウェブに繋げないこと程度で驚いてはいけない。デスクなど木で出来ており、かつての所有者の落書きが彫られている。二つの名前は本人と想い人か。どんな想いが籠められたものであれ、いまや廃品となって、博士の元で余生を送っている。そんな部屋の実験台、ガラスの不揃いな無影灯の下でPは目覚めた。

「お目覚めかね。君たちときたら、はじめてここに来た時とまるで同じで驚いたぞ」
「痛……いや、ミクは、そうだ、ミクは無事なのか!」

覗き込む恩人、博士の顔に安堵することも無く状態を起こそうとするPを、博士は押し止めようとする。まだ寝ていてくれ、と。けれども、Pの視界には合革のソファに横たわるものが映ってしまった。

「なあ博士。やめろよ、タチの悪い冗談は」
博士は答えない。タチの悪い冗談。ソファの上のミクの顔には白い布が被せられている。
「直せばまだ使える。こんな時にはそう言うのが博士だろう?」
「済まない。全く私の信念に悖るのだが……ミクは複雑に作られすぎている。パーツも今では手に入らないものばかりで、規格書も無い。私ではもう何も出来ない」

Pは横たわって、天井を見つめたまま、何が起きたかを告げる。現実を見つめるためか、あるいは逃れるために。

「例の、反機械歌の連中に襲われたんだ」
「ああ、知っている。ここだって立ち入られたら危なかったかも知れん」
「なあ博士、奴らの言うとおり心ある歌、本物の歌が素晴らしいなら、こんなことをせずに歌で伝えればいいはずじゃないか」
「人は弱いものさ。いつだって自分の至らなさを誰かのせいにしたがっている。相手が絶対服従の弱いものであれば都合がいい」
「だからってこんなやり方があるか!」

Pは実験台を思い切り殴りつける。手の甲には血が滲み、台の隅に寄せてあったピンセットや螺子、万力が音を立てて床に散らばる。

「歌は人の心を繋ぐだとか言って! 平和だの愛だのを歌ってる連中が! こんな……ボーカロイドの歌には心が無い、だって? 人の心を持っていないのはどっちだよ」
「落ち着きたまえ、君が血を流しても仕方が無い」
「そうだ、警察は、それに楽器製作者は何故なにもしないんだ」
「この世の中だからな……世間の不満の矛先が逸れてくれる事態なら、国は歓迎する。恐らくは音楽会社に金を積んで、黙らせているのだ」
「生贄になるためのボーカロイドじゃないぞ! 畜生!」

暴れるPを鎮めねばならない、と博士は思った。Pの身体のためにも、ラボの平和のためにも。しかし、自分の言葉ではPには届かない。ああ、ミクの声ならば彼を鎮めうるのに。

「そうだ、ミクの日記を見てみないかね」
ミク、という言葉に反応して、Pは動きを止める。
「日記なんか付けさせてないぞ」
「おや、知っているものだと思っていたが」
ミクのヘッドセットを開き、木製デスクの上の機械を操作する博士。
「ミクにはおまけの機能があるのだよ。当時、ボーカロイドはある特殊な人々の趣味であった。彼らの意見を参考に、流行のシュミレーションゲームやコミュニケーションゲームの機能が組み込まれているのだ」
聞きなれぬ単語に要領を得ぬPに向かって、博士は続ける。
「こうしてディスプレイに繋ぐことで、その日のミクの日記を見ることが出来るのだ。こちらに来たまえ。立てるか?」
Pは答えなかった。ミクの日記、そんなものを見られるのならば、立てなかろうと歩けなかろうと見に行く。
画面の中、在りし日のミクが笑う。ミクの笑顔の胸元に、横長のウインドウが開き、文字が表示されてゆく。

『Pは自分の声は人に聞かせる価値が無い、と言っていましたが、そんなことはありません。
だって、わたしがPのファンだから。いつもPが聴かせてくれるお手本を楽しみにしていました。
わたしはたくさんの人に向けて歌うために作られましたが、あなたは手の届く、声の届く人のために歌ってください。
その人が優しくなれるように。歌い続けてください。誰かがあなたを、あなたの歌を好きになるでしょう。

もう大丈夫です、P。ひとときあなたの声となれたことがわたしの誇りです』


ひとしきり泣いたPの隣で、博士が口を開く。
「さて、どうするかね。暴れるか、復讐するか……」
「……そんなこと」
潤んだ声でPは答える。
「そんなこと、決まりきっているさ」
 Pのミクを死なせたデモ活動の日、ボーカロイドの数は大幅に減少した。けれども人間の歌、『心のある』歌が万人を魅了する日は長らく訪れなかった。
しかし閑暇の日々を経て、首都随一の巨大音楽ホールはある日、満員となった。見渡す限りの人の群れ、その話題の中心は今日のライブの歌い手。
テレビにも、音楽雑誌にも写真はおろかインタビューの言葉すら載らない謎のアーティスト。その搾り出すような声は世代を超えて様々な人々に共鳴した。
誰もが──小さな子供でさえ──自分には何一つ綻びが無い、と主張せずには生きられない現代に、彼の決して綺麗ではない、切実に内なる何かを伝えようとする声はある種のセラピーとして響いたのだ。彼の歌を初めて耳にするとき、誰もが涙を流した。部屋に篭ろうとするも間に合わず、人前で泣く者もいた。泣く、というのは人の綻びであり、それを人前で見せるなどありえない筈の事だ。けれども抑えられなかった。皆、自分が普通であると装って、誰もがそうだから自分の変なところは隠さねばならない。そうしなければ、どこか壊れた自分はすぐに捨てられてしまう。そんな強迫観念がいかに負担となっているか、皆が歌によって気付かされた。
 彼らをの魂を揺さぶった犯人が、待望する人々の前のステージに現れる。その巨大な功績に反して、一本のアコースティックギターとパイプ椅子など抱えて、たった一人で。白い布で顔を覆った彼の名はP。
意を決してPが布を剥ぎ取り、マイクを構える。ホールの巨大モニタに、今なお焼け爛れた彼の顔が映り、観客席は一時騒然となる。水を打ったようにそれを静まり返らせたのもまたPの擦れた声だった。彼は訥々と語ってゆく。
「……僕の顔は酷く焼けてしまいました。ご存知の通り、僕の発表してきた歌にはかなりのエフェクトがかかっています。これほどまでに広く、みなさんに聴いていただくことの出来た仕事の半分はミキサーマシンのものと言えるでしょう。今日は生の声で歌いたい歌があるのですが、皆さんを幻滅させないかと心配です」
観客側も慣れたのか、それとも声を聞いてやはり歌い手であるPのものだと安心したのか、ステージに向かって応援を寄越す。心配いらないよ、応援している、と。
ありがとう、と応えて、Pは続ける。かつて大切な仲間がいたこと。生で歌いたいのは彼女のために作った歌であること。彼女は人と同じ身体ではなかったこと。計器や樹脂で出来た、そう言った辺りで、それがボーカロイドであると気付いた観客が現れ始める。反機械歌運動はボーカロイドの現象により、必要がなくなったというだけで、未だにボーカロイドの歌に反感を持つ者は残っている。
 野次が飛ぶ。そんな醜い姿を見せるな、と。おまえの歌は偽物だ、と。それでもPは続ける。
「ご存知の通り、僕たち人間は彼女らの多くを殺してきました。心が無いから、と。本物の歌を歌えないから、と。けれども、人の形をしたものに共感し、たとえありもしない痛みでさえ感じ取ることが出来る。それが人の心ではないでしょうか」
 届かないかも知れないな、と、Pは思う。僕の声、そのままではほとんどの人に届かないかも知れない。仕方の無いことだ。けれども、手の届く人のために歌え。それが彼女の遺言。膨大な観客席の何人に届くだろう。一人、二人、それだけでもいい。

挨拶が終わり、一旦幕が降りる。
歌う前には過去を思い出して精神を集中する。過去の全てでなくていい。何故自分は歌いたいか、それさえ思い出せれば。

届けたい言葉があった。伝えたい気持ちをいつも抱えていた。けれども言葉はまるで思うように扱えなくて、少年時代のPは歌った。誤解されたり、頭が足りないと言われたり、そんなことばかりだった彼は、歌うことでたちまち人に好かれた。求められた。ようやく人々の仲間に、人間になれたのだと、そう思った。
だから、火が顔を、喉を焼いた日に、彼は死を決意した。
パジャマ姿で病院を抜け出し、あても無く歩いた。風が爛れた顔を包帯越しに撫でてゆく度に、思わず上がる呻き声もひどく擦れていて、とても自分のものとは思えなかった。言葉は喋れない。
彼は猫のように、死に場を求めて立ち並ぶビルの間を歩いて行った。ここまでか、と膝をつく。目の前には先客が居た。力無く座り込んでいる少女、いや、少女の形をしたロボット。二つに結んだエメラルド色の長い髪。砂埃に少しくすんで、それでも綺麗な色をしている。少年Pも名を知っていた。ハツネ・ミク。ボーカロイドだ。
Pはミクの耳、ヘッドセットを操作する。人物の口の動きを感知し、その通りに発声する特殊リップシンク機能を使うように入力。ミクは垂れていた頭を上げ、Pを注視する。Pは朦朧としながら、心の内をそのまま話す。ミクが追う。

捨てられちゃったのか。
「捨てられちゃったのか」
一緒に、
「一緒に」
歌おう。
「歌おう」

語りかけることが出来た、その安堵のうちに力は果て、Pはミクの胸へと崩れ落ちた。


ソファに横たわるミクに向けて、白衣の博士が語る。
「やれさて、最近の奴はモノを大切にせんな。このミク、発声器官もまだ無事じゃないか」
少年Pが目覚めたのは不思議なラボだった。古い映画で観たような、そう、ミクが生まれた時代のような。
「おや、目覚めたのかね」
博士の声に答えようとするも、辛うじて声を出すのが限界だ。
「ああ、いいんだ。寝ていてくれ。路地裏でな、とりあえず人間の方を助けるのが先決、と思ったのだが、そこの娘がお前さんを抱きしめて離さんかったのだ。一人になりたくない、とでも言いたげにな」
少年Pは目を見開き、首を動かして横たわるミクを見つめる。
「歳を取ると感傷的になっていかんな。だが、人の形をしたモノが打ち捨てられていて、可哀相と思えるのが人間だと思わんかね」
少年Pは頷いてみせる。


ステージの上のPは深呼吸をする。パイプ椅子にアコースティックギター。機材に埋もれたあの狭い自室で、今は亡きミクに聞かせた時と同じく。
そうだ。あの日ようやく取り戻した声、声と言うよりは喘鳴でミクに語りかけた。
「こんな声で悪いけど、お手本だ。ワン・ツー・スリー・フォー」
カウントに合わせるように幕は再び上がった。僕には歌う理由がある。誰かに届いて欲しい。Pは強く願った。




(終わり)
新たに三題。以前のお題を使うのも良いと思いますよ。

寺 さいころ 病気

リモコン 夕日 イヤホン

体温計 水道 暗闇
4組のお題を置いておきます。

・リコーダー 海 松葉杖

・猫 緊急事態 十字架

・日曜日 自動販売機 理想郷

・傘 ポルターガイスト スペースコロニー
日曜日 自動販売機 理想郷。
お前も魔女ならば本能のままに謳え。それがお前の力となる。



「こんなにも残酷な世界が、現実のわけがない」
彼のその言葉が思い出される。

それは日曜日の夜のこと。サザエさんが終わって少ししてのことらしい。
いわゆる死亡推定時刻。
彼はこの世界から解き放たれた。
それはとてもありふれたこと。
少しばかり心の弱い人が、いなくなったこと。
偉大な天文学者風に言わせてもらうなら、それでも地球は回っている。
滞りなく。

彼はよく夢を見ると言っていた。
夢の中で、彼は英雄で。ステキな彼女が何人もいるらしい。
私は冗談めかして彼に尋ねた。
「それは、私よりもイイオンナなのかい?」
彼は失笑して言った。
「お前じゃ話にならないよ」
比ゆではなく、文字通り住んでいる次元が違う。
彼女らは2の世界。私達は3の世界。

朝の目覚まし時計。
彼を理想郷から連れ戻す残酷な魔法。
地獄へいざなう悪魔の声。

彼はその悪魔に抗うために、絶対の防御結界を自身に施すことにした。
絶対の眠り。
ギリシャ神話において眠りの神と死の神は兄弟だという。
よく似たこと。
それはイコールではないと彼は気づかなかったのだろうか?

彼は今、理想郷にいるのだろうか?
悪魔は人を地獄に落とすとき、天使の姿をして現れるとは誰の言葉だっただろうか?
もしかしたら、レテ川のほとりで石積みでもしているだろうか?
御両親は健在だったはずだ。
親にしてみれば子供はいつまでたっても子供だ。

というか、親より先に死んだ子供が石積みをさせられるらしいが、人間が100まで生きられるこの時代、石積みさせられる可能性が飛躍的に上がっているはずだ。終末の審判制度も現代に合わせて合理的に改定すべきだ。

私は頭の中の考えが脱線していたことに気づいて我に帰る。
何の話だっけかと、自問自答する。
そして思い出す。
最後に会った時、彼が話していた不思議な自動販売機の話。

飲み物に始まり、弁当、お菓子、タバコ、思春期の青少年向けなのだろうか?
エログッズ。
自動販売機にはさまざまある。そんな中で、彼は見たといった。
「緊急脱出装置」を売る自動販売機だ。
ちなみに私は屋台でたたき売りしている様を見たことがある。
日曜の夜、彼はそれを買って家に帰ったらしい。誰もいない、一人きりの家に。

そう言えば、海外では自動販売機など設置されていないという。
何故って?
こじ開けられて中身が持っていかれるから。
だからきっと、海外では「緊急脱出装置」を売る自動販売機も存在しないのだろう。

これらの話を総合すると、私たちはとても平和で幸せな国に生きていると言える。
彼は、それに気づけなかったのだろうか?
それとも、人間のみに許された最高の贅沢を満喫したかったのだろうか?
「神は地上のすべてを支配させるために人間を作った」
という聖霊の書いた古い本で語られている。実に上手い言葉だ。

私の目の前に置いてある自動販売機は、普通の自動販売機だ。
おそらく原価90円程度のコーンポタージュが120円で売られている程度の普通の自動販売機だ。
私は硬貨を投げ込み、冷えた指先を温めるためのコーヒーを買う。
出てきた缶を手に取り、私は頬がひきつる。
「緊急脱出装置」
そう書かれた生ぬるい缶を、私は即座にゴミ箱に投げ込んだ。

傘 ポルターガイスト スペースコロニー
NINJA! はインターネットの普及で絶滅したという。本当だろうか?


「ありえない、そんなことはありえない」
彼はそう言って大爆笑した。古い言葉で言うところのHESOGA・CHAWO・WAKASUというところだ。
この万能科学の時代に、幽霊を目の当たりにしたというのにだ。少女の姿をした幽霊の周囲には電機がショートして漏れ出したような光と、なんらかの力で机や椅子が浮かび上がったのだ。
「どうせ電磁石を使った手品だろう。もしくは寝ぼけていたんだ」
「そんなことはないわ、伝説どおり、そう、独特のリズムが聞こえてきたのよ。そう、なんだっけ。HORAGAIサウンド?」
「HOAGAI? SAMURAIが戦争をするときに鳴らしたというあれか?」
「あぁ、そうじゃない、こう、TOUHUショップが鳴らすHORAGAI的なサウンドのことよ!」
「ぜんぜんわからん」
こんなとき、脳を直接つなげられればいいと思う。むしろ無線でデータ交換できるようになればいいのにと思う。科学がどんなに発展しても、人間という種はそれに合わせて進化しない。
ネットで検索したほうが早いかもしれないと思いつつ、いまさら引っ込みがつかなくてなんとか思い出そうと必死になる。あぁ、人間の体とはなんと不便なのだろう。
「このさいHORAGAIサウンドでいいわ!」
「どっかに小型のスピーカーでもあったんじゃないか?」
彼は全く信じてくれないようだ。
「でも、本当にいたのよ。伝説の、MOEMOEゴーストが!」
私はテーブルを叩いて叫んだ。

巨大なビルが支える天井に描かれた不自然な青。人工太陽が照りつける、紛い物の芝生の上。そこに佇むのは漆黒のドレスにたくさんのフリル、同じく漆黒の生地にフリルの日傘をさした金色の髪の幼女。
贅沢なことにいずれも布。天然素材であると思われる。どの人も特殊加工の施された多機能スーツを身にまとう中、旧世界の伝説に存在するようなゴシックロリータが、携帯電話で誰かと話をしている。
その携帯電話は周囲の人間にしてみれば信じられないぐらい古い型で、それに対応した電波はとっくに使われていない。もっとも、そんなことを知る人物はその場にいない。それがなんなのかすらわからない。
「あぁ、もしもし・・・あ、うん・・・え、今から。ふふっ、何を心配しているの。行くに決まってるじゃない。えぇ、場所は・・・あぁ、うん・・・うん、わかったすぐ行くわ」
ゴシックロリータはまるで恋人からデートの誘いをうける、熱病に浮かされる少女のように電話に受け答えする。

ランチを食べにオフィスから出てきた私と彼が、その一部始終を見ていた。
信じられない光景だ。なんだ、あの生き物は。
「ほら、いたじゃない、女の子の幽霊!」
「・・・ライバル社の新製品のデモンストレーションじゃねぇの?」
「だとしてもありえないわ。どこに、ワープ装置があったの。ましてやあんな小さな女の子を生身で飛ばすだなんてありえないわ」
「だから、あの女の子も新製品のロボットじゃないのか?」
「いいえ、幽霊よ、非科学よ、だから非常識なことが起こり得るのよ!」
「しかし、幽霊なんてものは存在しないんだぜ。それでも居ると言うなら、そいつはメンタルクリニック行きだ。まぁ、かかりつけのメンタルドクターがいないほうが現代人はめずらしいか。むしろ脳の病気かもな。幻覚がみえる病気もあるらしいし。それともクスリか?」
私は彼を殴った。
入りきらなかった、ひゃっほう。


ゴシックロリータが携帯電話を切ると、見計らったようにメイドがやってきた。いわゆるママチャリをこいで、ゴシックロリータの前でとまる。前かごには大きなカボチャが入れられている。
「こんにちは、かわいらしいお嬢さん。よろしければお送りいたしましょうか?」
ゴシックロリータはメイドを呆れた顔で見上げながらも、座布団を設置した荷台に飛び乗った。
「頼むわ」
「かしこまりました」
メイドは自転車をこぎ始める。ゆっくりと走りだし、どんどんスピードをあげ、やがて車輪のタイヤは地面との摩擦で炎を吹き上げる。
やがて自転車は目にもとまらぬ速度で、正面にあるビルに突っ込む。しかし、その寸前で自転車は乗った二人もろとも忽然と姿を消していた。
自転車が走り抜けた道路には地面が焼け焦げた跡が残った。

私はしばらく茫然としていた。しかし、我に帰って隣の彼に向って叫んだ。
「ほら、ありえないでしょう! メイドよ、伝説上の生物よ! しかも、電動アシストすらついていない自転車でワープしたのよ! ありえないわ!! お化けよ、間違いないわ! あんな細い脚であんな速度が出るわけないじゃない!」
彼は大笑いしていた。
「いやいや、実に面白いショーだったよ、どこから写してたんだい、今の映像。いやー、コントとしては最高だったよ!」
私は彼を殴り倒した。

真っ青な青空の下、アスファルトで舗装された道路。道をはさむのは広大な敷地の畑。生い茂ったジャガイモの葉を横目に、フリルの日傘をさした幼女を乗せて、メイドが自転車をこいでいく。
土と水と太陽の匂いを含んだ風に二人は髪を揺らす。幼女はここちよさそうにあくびをし、もと来た道を振り返る。その田舎町は地平線の彼方まで続いている。
「面白い街だったわね」
「そうですか? べつにゴリラがスーツネクタイだなんて、特別珍しくもないでしょう。牛頭だっていますし」
メイドは道路を横断するカエルを踏まないようにブレーキをかける。カエルが通り過ぎるまでの間自転車を止めて、畑で腰を曲げる麦わら帽子の男を眺めていた。
「面白かったのは、あんな町のどこにカボチャが生えていたのかってことよ。驚いたわ。工場の無菌室で、あんなにデリケートに栽培されていたのね」
「珍しくもないでしょう?」
「それそのものは、ね。ただ、アレだけ技術が発達しても、食糧はどうしようもない、人々は不安を抱いている。万全を重ねて、ようやく口にできるものが出来上がるのね。とんでもない手間暇だわ」
メイドはカエルが畑に飛び込んでいくのを見送り、自転車を漕ぎ出す。
「でも、寄生虫が入るよりはいいんじゃないですか? 知らない間に、手の届かない腹の奥から食い荒らされるよりは」
畑に飛び込んだカエルは、一瞬のうちにひそんでいた蛇に丸のみにされてしまった。そしてそのヘビは、麦わら帽子の農夫に捕獲された。
「どうなのかしらね」
傘をさした幼女は麦わら帽子を見送りながら、メイドのこぐ自転車で運ばれていった。
・リコーダー 海 松葉杖
「海賊って海から来るんだ?」は、名台詞だと思った。


波止場の近くにある古びたコンクリートの休憩所。塗装の禿げてきているベンチと自動販売機、ストーブにヤカンがのせられているだけの部屋。
窓ガラスは湿気でくもっており、その向こうには夕日に赤く染まる海がきらめいている。

深紅のランドセルを背負った長い髪の女の子がリコーダーで「きらきら星」を奏でている。ところどころ詰まりながら。
一応、演奏し終わる。すると、女の子は隣に腕組みして座る中年の男の顔を見上げる。年は40代ぐらい、白髪交じりではあるが体格のいい色黒の男性であるが、彼の右足は人間のものではなく人工物。すぐ傍には松葉杖が立てかけてある。
「まだまだだ、もう一度、最初っからだ」
「ハイ!」
女の子は元気よく返事をし、もう一度リコーダーで「きらきら星」を奏でる。やはり、ところどころ詰まりながら。
やがて演奏し終わる。すると、女の子は隣に腕組みして座る中年の男の顔を見上げる。
「さっきよりはいいが、まだまだだ。少し休憩するか」
「ハイ!」
女の子は元気よく返事をする。男は松葉杖を手にして立ち上がり、ストーブの上のヤカンを手にする。部屋の隅にガチャガチャと音を立てながら移動し、カップを二つ手に取り、手を止め、天井を見上げる。数秒天井のシミを眺め、女の子に振り返る。
「オレンジジュースでいいか?」
「ハイ!」
女の子は元気よく返事をした。
男はガチャガチャと音を立てながら移動し、自動販売機の前へやってくる。ポケットから財布を取り出し、そこから硬貨を取り出し、自動販売機へ投入。オレンジジュースを買おうとしたが、売り切れていた。
結局はミルクと砂糖の入った缶コーヒーを選び、女の子に与える。
「ありがとうおじさん!」
女の子は暖かいコーヒーを受け取ると、早速蓋をあけようと試みるが、どうしようもなかった。女の子の小さな手に缶コーヒーの蓋は固すぎだ。
ヤカンのお湯でお茶を入れた男は、女の子の代わりに蓋をあけてやった。
二人は並んでベンチに腰掛け、それぞれ飲み物を楽しんだ。
特に話す内容もないが、女の子は男を興味深そうに観察していた。
「もうすぐ暗くなるから、今日はもう帰りなさい」
男は夕日が沈もうとしている海を見つめながら女の子にそう言った。
「ハイ!」
女の子はベンチから飛び降り、コーヒーの缶をゴミ箱の「缶専用」と書かれた場所に捨てて、男の前で深々とおじぎをした。
「さようなら、おじさん」
「あぁ」
女の子はその休憩所のスライドドアを開けて外に出て、丁寧に閉めると、ガラスの向こうで手を振った。男が手を振ると女の子は笑顔になり、元気よく走り去っていった。
その後、静かになった休憩所で男は夕日が沈みきるまで見続けた。そして、ストーブの火を消してからガチャガチャと音を立てながら去っていった。

女の子は家に帰ると、アイロンがけをしている母親のところにやってきてこういった。
「あのねママ、今日は海賊のおじさんとお友達になったよ」
母親はそれはよかったねと、笑顔で言った。
傘 ポルターガイスト スペースコロニーで書いた。
ラストの部分UPするのは明日の午前になってしまうかもしれません。
終わりには終わりのサインを入れます。
静まりかえった真夜中の博物館の片隅で、
展示品の、どこにも接続されていないはずの家庭用モニターに文字が表示される。

『冷たいくらいに乾いても』

毎年のことながら、都市ごと沈んでしまうのではないかと思うほどに毎日続く雨季の天候。
雨が高い屋根を叩いて、それ以外の物音など聞こえるのかと心配だったのだが、
僕の睡魔を払ったのはすぐそばで強化ガラスが鳴らす硬い音だった。
展示品を保護するガラスを内側から叩いていたのは、黒い大きな傘。今日、僕たちが使っているのと
変わらない、ブランド品でもない安物だ。当時の人々のくらし、というパネルがつけられた
展示ケースの中、様々な日用品の中にあって、その傘だけが、誰の力を借りるでもなく動いている。
身を引き摺り、定位置から離れて、けれどもガラスに阻まれて。
確かにどこか一つの場所を目指しているように動く。
傘だけではない。この記念館では毎晩、展示品たちが不可思議な現象を起こしている。
幽霊なんて欠片も信じていないけれど、それでもこの傘や、展示品たちにまつわる
エピソードを考えると、想像せずにはいられない。
僕にとって最大の恐怖を。日常が突然途絶えるということについて。

自然史博物館、科学博物館、歴史民俗資料館、そして、僕が勤めるこの場所、燕涯洞記念館。
それらは都心のターミナル駅から10駅ほどの広大な敷地の中に併設されている。

燕涯洞。かつてラグランジュ4ポイントに建設された、人類初のいわゆるスペースコロニー。
世界中の科学の粋を集めて共同開発された希望の象徴だ。
一般的な運用に安全性が認められつつあった新資源による発電施設が組み込まれ、
産業革命以来の世界変革と謳われた時代。
けれども、そんな浮かれた人類を挫いたのは皮肉にも新資源発電炉の暴走だった。

試験運用を終え、一般の生活者を迎え、ついに人は地球の重力を離れて生活しはじめた、という
矢先の事故で、人々は逃げ場の無いコロニーの中、
燃料汚染に曝されながらゆっくりと絶えていった。
もぬけの殻となったコロニーの残骸は、今なお月と地球の間を漂っている。

国内あらゆる場所の、ときには外国から来る学生たちに学芸員として解説を繰り返し、
いまや説明はすっかり身についた。
流れ出した燃料と融解した隔壁が形成した、太古の巨獣の脚のような構造物を映した
写真パネルのこと。
コロニー内では人工的な天候が作られており、やはり傘は生活必需品であったこと。
遺体の多く、とりわけ発電所職員のものは、簡易的処置の産物である『大石壁』の中に
埋もれていること。
原型を保っていた生活用品などが、十分な洗浄を経てここに展示されていること。

そんな展示物たちが夜な夜な動き出すこと……それは流石に、
仮にも学術的施設であるこの記念館が受け入れるわけにもいかず、
翌日が非番の僕がこうして、事件の正体を掴むべく夜を明かして記録を取っているわけだ。

日常的な業務を寸断されることは僕の『発作』を招いてしまうのではないか、と言う人もあろう。
けれども、僕とて伊達にこの病気と付き合っているわけでは無い。
それが上司の命令であり、それを行うのが当たり前の、自分の立場なのだと説明がつくのならば
『発作』は起きない。
もしくは、起きない程度には自分を乗りこなせるようになった。
起と結、最低限の理屈が着くことならば。

結局、今夜も現象の原因は全く掴めぬまま、展示品に表示された意味を成さない文字列や、
動き出した物たちの記録を時間毎にまとめたノートを作成し、僕は朝を迎えた。
警備員に挨拶をして、高い天井の荘厳な造りの記念館の片隅にある、
小さな職員用出入口から外に出る。
どんよりと厚い黒雲の空も、眩しく映る。徹夜など学生時代以来か。
学生時代、という言葉から連想して、僕は駅へと歩きながら一人の友人に
携帯電話でメールを送信してみた。
あいつなら何にでも詳しい気がする。
記念館の最寄り駅のホームに立つ。階段を昇りきってからの歩数もいつも通り。
三両目の車両の、一番後ろのドアから乗車できる位置で電車を待つ。
僕の病気について、理屈っぽい割に判断基準が曖昧だ、と言う人がいる。
けれども、曖昧でいいのではないかと僕は思うのだ。
己の異常性をほどほどに誤魔化して、とりあえず人生の終わりまで日常を保って暮らしてゆくこと。
それは僕に限らず、誰にとっても当たり前のことなのではないか、と。

高架になっているこの駅のホームから街を見下ろすと、傘をさした人々の行き交う様が見える。
冷たい雨に肩を落とし、背を丸めて歩く人々の姿は、今の世界そのものだと思う。
新資源が信頼の置けない物だと凄惨な事件をもって示された今、
希望を挫かれた僕たちは、百年前のような暮らしの中で足踏みをしているのだ。
そんな彼らの頭上、僕の視線の位置にはテレビ番組だとか新創刊の雑誌の広告などの
電子看板が表示されている。
この停滞はわざわざ説明するまでもなく明らかであるから、だからこそ
毎日大して変わらない、けれど気休め程度に新しい情報を人々は欲しているのだ。
僕はそれらにとても興味が持てない。

家に帰って一旦眠ってから、僕は街に出て、待ち合わせ場所に向かった。
わりと庶民的な個室居酒屋だ。学生時代と同じ。慣れたものだ。
眠ってばかりのあいつはいつも遅れてやってくる。気長に過去のことを思い出していようか。

あいつことチサトと顔見知りになったのは、大学に入ってからわりとすぐのことだったと思う。
大きな総合大学の中で、まるで別の学部であった僕たちが授業で会うのは
一般教養や語学の類だけだったのだけれど、
それでもなにかと顔を合わせていたのは、群れない者同士で気が合ったためだろう。

チサトの作品を何度か見せてもらったことがある。学校近くの、彼女が住む学生アパートで。
課題ではない、ごく個人的な作品。
それは影絵のような真っ黒いシルエットの上に、情念を感じさせる光の条が暴れる絵だった。
芸術などまるでわからなくて、今の僕の言葉でもそれを表せているとは到底思えないのだけれど、
けれども、僕はその絵の持つ切実さを受け止めた。
絶える寸前に己の血で残したメッセージか、あるいは無人島の砂浜に残されたSOSのようだ、と、
あの時も僕はチサトに言ったはずだ。
「影絵の国から個人輸入した技術なのさ」
得意げな言葉。
『影絵の国』とは、彼女にとって、今いるここよりも暮らしやすい世界なのだろうか。
学生時代の彼女に比べればさほど遅れずに、チサトはやってきた。
前につばの付いた明るい色のニット帽を目深に被って、真っ黒な髪は二つ結んで後ろに跳ねている。
肩くらいまでの長さ。
あまり変わっていないことに安心した。
「逆ならまだしも、きみが飲みに誘ってくるだなんて、いったい何の前触れだ? 
 どれだけ音信不通にしてたかわかるかい」
「えーと、卒業以来、かな。まあ聞いてくれ。今日の相談事はもっととんでもないんだから」
「ふうん」
チサトが僕の耳の辺りに手を当ててくる。何を確認したいのかはすぐに判ったが、それでも
動揺してしまう。触れた指はとても暖かかった。
「首の傷さ、今は、無いんだね」
「学生生活が僕には自由すぎたんだ。今は規則正しい生活だよ。安らかなもんだ」
「安心した。見てるだけで痛々しいんだもん。あの傷」
手を伸ばしてきた彼女の右の鎖骨の辺りに覗いているタトゥー、あれは蛇の顔ではないのだ。
そうではなくて、この国最大の蛾の上翅の先端だ。かつてタトゥーの全体像を見た覚えがある。
実物大に彫られたそれは確かに大きくて、下翅は乳房の勾配にまで差し掛かっていた。

「やっぱりアーティスト的に、人の痛みとかにも共感しちゃうものなのか?」
「何を言っているんだい、きみは。近しい人の傷を見たら辛いのは誰でも同じだろう。
余程乾いてしまっていない限りはね」
些細なことだが、この文脈で“乾く”だなんて表現をすることは、僕には出来ないのだろうと思う。

僕は、記念館で起こっている事件についてチサトに説明した。
「……はあ、ポルターガイストねえ。わたしはイロモノではあっても
 トンデモであった覚えは無いんだが」
「申し訳ないが、正直大差無いように見える」
「ふむ。つまり、友達もろくにいないきみが、その乏しい人脈の中で最もトンデモ寄りな人間を
 探した結果がわたしだった、と。……図星だからってそんな顔すんな。
 そこそこ詳しいよ、わたし」

チサトが僕の胸ポケットから煙草を一本抜き出して、机の上に立てる。
手をかざしてなにか力を送り込んでいる様子は、彼女なりに超常現象を表現した結果なのだろうか。
僕がジョッキを置くと、いともあっさりと煙草は倒れた。

ともあれ、チサトの講釈によるポルターガイストをまとめると、こうなる。
・ほとんどが当事者だけの狭いコミュニティの中で起きている。
・村起こしのために住民一同で仕組まれた例もある。
・若い男女の周辺で起こる。オカルト的に考えれば若者に宿る能力、
 現実的に考えれば若者の悪戯だ。
・侮れない自己暗示の力。幽霊だって、むしろ不条理に対する解釈の手法と言える。
(燕涯洞記念館はいわば古代墳墓の遺物展示のようなものなのだから、そういった思い込みを
 誘発してもおかしくない)
・とりあえず出来ることは警備を厳しくするくらいのことだ。

「ま、こんなところだね。理屈を通そうと思えば通せる現象なんだ。
 理屈さえ通れば怖くない、って言ってたよね」
「おまえに言ったっけ? よく憶えてたな」
「憶えてるさあ、そのくらい」

「それにしても、自己暗示とか勘違いって筋は無いんじゃねえの? 
 警備員とかもみんな見てるんだぜ?」
「みんな見てるっていうのが逆に暗示になってる可能性だってあるよ。錯覚って案外侮れないんだ。
 確かに見たと思っていてもさ。錯覚から逃れられないのは間違いでも弱さでもないんだ」
チサトと会った夜から数日後、超常現象は静まらないばかりか、より激しさを増していた。
そのため僕は再び記念館で夜を明かすことになった。
パイプ椅子に座って、記録用紙を挟んだバインダーとカメラを手元に置いて。

ただの写真であるはずの『巨獣の脚』も、乾いた音を立てて揺れている。
歩き出そうとでも言うかのように。
モニターには脈絡の無い文章。
「当時の僕はたったそれだけの時間さえ待ちきれなかったのだ。今では考えられないけれど」
「誰にも壊せない殻で覆えば、失わずに済むと思ったのか?」
「最期に見るのは美しいものであってほしい。その願いは叶えられた」
「明日が世界の終わりでも、僕は林檎の木を植えるだろう」
その他、読み取りきれないほどの文章が表示されては消えていった。

あたりまえの生活の亡霊たちよ、僕は君たちになにか出来る人間ではないのだ。
こうして、言われるがままに、見たままを書き記して報告すること、僕に出来るのはそれだけだ。

傘もまた、より強い、今にも壊れそうな音を立てて、やはり何処かを目指している。
壊れるとしたらガラスケースではなく傘の方だろう。
傘を駆り立てているものは何だろう。持ち主は誰かを迎えにでも行く途中だったのだろうか。
例えば塾帰りの子供が、その日は少しの気まぐれで遅くなって、雨が降りだして、
改札まで迎えに来ようとした人と、傘と。
「それは僕の思い出だろ」
わざわざ声を出して自分に言い聞かせ、空想、というか回想を振り払う。
今するべき事ではないし、過去なんか思い出さないに越したことは無い。
明け方の駅ホームに立つ。ラッシュ時間前なので、見下ろす景色の傘はまばらだ。
今回も解決に向かう手がかりなど無く、記録を増やしただけだった。
なんとか自分を納得させていたとはいえ、イレギュラーな生活が続いて、
自分は弱っているのかも知れない、と思った。危ないかもしれない。
ポケットに入れている頓服の精神安定剤は水無しで飲める。
取り出そうと思ったところで、間に合わなかった。

長らく静まっていた発作の予兆だ。
幾重にも鍵をかけた記憶の向こうで、幼少の自分が叫んでいる。
「少しのずれ、少しの気まぐれを見せると、大切なものを失くしてしまうよ」と。
酷く思考がループして、何も出来ない。
自分の手が、勝手に首を掴み、爪を立てはじめる。
無意識に痛みで思考を恐怖心から逸らそうとしているようだが、気休めにもならない。

混乱した眼球が視界をでたらめに動かし、上下左右を行き来して、そして、
普段なら目も留めない電子看板で止まった。

新創刊であるらしい雑誌のロゴの下には見覚えのあるタッチの絵。
『影絵の国』だ。かろうじて人らしきものと見ることができる二つの影が寄り添って、
河の岸辺にたたずんでいる。
その上を這い回るのは情念の丈を余すところ無くぶちまけた、光の条だ。

自分にシンプルな作業を課すことで、僕はこのパニックから抜け出せるかもしれないと思った。
チサトの仕事を初めて街で目にしたから、そのことを伝えるために電話をかける。そんな作業だ。
5コールで返事が来た。
「おう、なんか進展でもあった?」
「いや、何も無いんだけどさ」
続いて僕は、おそらく人生で初めての言葉を使うことになる。
「なんとなく、会いたくて」
これまで幾度と無く僕を悩ませてきた発作は、嘘のように鎮まっていた。

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