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異端の文学/外道の系譜コミュの明治の偉大なホモ・ルーデンス――淡島寒月

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「智蔵さん、今日は変わった服だね」

 若い世代にとって、淡島寒月に触れる最もな機会は岩波の文庫で、その奇人ぶりというか、俗界に居て仙境に遊ぶ佇まいと言動にはほとほと魅了される。冒頭の翁の言葉も変哲もないものに思えるが、しかしその実は吃驚なのだから、畏れてしまう。

 今では西鶴再評価の人、また露伴ら明治文士の知るひとぞ知る文人としての生き様が映える。が、注目すべきは明治期の「日本的コスモポリタニズム」、ありていに言えば、ざんぎり頭を叩いて見れば――の先にあった「新しいもの好き」が明快にホモ・ルーデンスと結びついている点だ。加えて、翁はホモ・ファーベルでもあったところに更なる注目点が現れる。

 コスモポリタンとは国際人ではない。超越した高みに至るとき、「世界」は誰彼をコスモポリタンと評する。それを天狗と言い換えてもでもよい。仙人と言い換えても構わない。西洋知であればホモ・ルーデンスと言い換えてもよい。

 寒月翁の言葉に触れていると、生き生きと江戸から明治の風俗――いまだ遠からじ江戸の残り香の中を、煉瓦と菜種ではない灯火がだんだんと東京へと変わっていく様が、美味い酒のように自分の中に染み渡ってくる。時には懐かしい飴細工の味のように。

 論調として寒月翁の遊びの影を、愉しく後追うということに落ち着くべきであるが、翁のそれは枯淡ではない。枯淡ではないから、後を追えば見えてくる気分になる。これはネクロティシズムではない。文学のみならず全ての文化はネクロティシズムの側面を持つが、どうやらこの死姦的なものは遊びには負けてしまうらしい。

 ここに、文学が文学として打ち勝つ鍵がある。惜しむらくは、そんなものを示唆したり、与えてくれる存在が現れるのは百年か二百年に一人生まれれば幸運、という世界だということである。ライプニッツと熊楠が十年に一度生まれるのであれば、奇跡の未来というより嫉妬の連続かもしれない。

 ありえないユートピアよりもガリヴァーが現実が空想に置換された悲しい旅を続けたように、いみじくもセリーヌが喝破した旅が教える真実しか、この広い箱庭たる世界にはないのだろう。

 遊びの達人は、箱庭に飽きてすぐにどこかへ行ってしまう。私達は置いてけぼりをくらってしまうばかりだ。


 追伸。
 寒月翁の父は、これまた奇人と言われた淡島椿岳である。ホモ・ルーデンス、ホモ・ファーブルぶりは父親譲りと言えるだろう。間近で背中も見れば、男子三日会わざれば刮目して見るまでもなく、凡から非凡へ旅立ってしまうのは、よくわかると言える。
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※当文書はGNU Free Documentation Licenseに基づき、公開しております。
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コメント(1)

 いかなる人物か先ず本をとりて読むべし、とは昨今の風潮には合わないので、とりあえずネットにあるものに触れてみるのが良いと思う。
 しかし、自ら本を得て読むことは、重要である。何故なら、物を扱うことは「行動」の聖域に入るからだ。「行動」を「生きる」と置換することさえ出来る。
 ネットは、実のところ、仮想の脳髄で編集作業を行うに等しい。それは他存在へ侵犯する「行動」の価値とは別個のものであり、本を手ずから読むこととは、また違う意義と価値を持つゆえである。


淡島寒月
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%A1%E5%B3%B6%E5%AF%92%E6%9C%88

青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person388.html

寒月語録
http://artand.ojaru.jp/kangetugo.html
淡島椿岳
http://artand.ojaru.jp/tingaku.html
淡島寒月
http://artand.ojaru.jp/kangetu.html
淡島椿岳と淡島寒月
http://artand.ojaru.jp/awasima.html

子孫
佐々木修
http://www7.airnet.ne.jp/art/maestro/

淡島椿岳 その生涯
http://www7.airnet.ne.jp/art/maestro/Chingaku/C.prof.html
http://www7.airnet.ne.jp/art/maestro/Chingaku/C.Gajin.html

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淡島椿岳
・「川越大事典」 川越大事典編纂会編 国書刊行会 1988年 ★★★
第14章 人物/近世以前
淡島椿岳(あわしま ちんがく)
 文政六年(1823)〜明治二二年(1889)。幕末から明治初期の画家。川越市内小ヶ谷の旧家の一つ、内田善蔵の末子に生れ、十七歳のとき江戸蔵前で札差伊勢屋を営んでいた兄を頼って江戸に出て、
その手代となって働いたが、御家人の株を買って小林城三と改姓した。
 幼時より絵を好み、その道に憧れていた彼は、その頃江戸で軽妙洒脱な画風で評判だった四条派の画家大西椿年(寛政四〜嘉永四)
について学び、師の一字をもらって椿岳と号し、しだいに趣味の世界にのめり込んでいくことになる。
 そうした折、日本橋馬喰町の豪商、淡島屋服部喜兵衛の娘を見初めて、同家に婿入りした。生来自由奔放な椿岳は一男をもうけると間もなく同家を出て別居し、愛人とともに浅草寺境内の淡島堂に住み、その頃庶民の間で人気のあった泥絵による、軽妙な筆致の洋画風の風景画を描いて評判になった。
 椿岳の泥絵は浅草近辺の風景や風俗を写したものが多く、いわゆる浅草絵という新機軸の画風である。晩年も奔放な生活を送った。絵も南画風に変り、あるいは印象派風の作品を描くなどして活躍し、明治二二年九月、六七歳で東京に没した。

後年元禄の才人井原西鶴を世に紹介した文人淡島寒月は、彼の息子である。
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