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思い出の来日公演コミュのアクシデント

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1991年8月22日、エルヴィス・コステロはついに念願の日本武道館での公演を果しました。多くの観客の前でいつも以上に気合いを入れて臨んだコステロでしたが、数曲演奏したところで、突然中断。再開までに10分あまり待たされたでしょうか?
どうもマイクから感電というアクシデントがあったようでした。
くしくも演奏していた曲が"Accidents Will Happen"(コステロ研究家として名高いグズラ氏の記憶より)というのには笑えますが、そのために再開以後はコステロのテンションも落ちてしまうわ、観客もシラけてしまうわで、多くの素晴らしいパフォーマンスを見せてくれたコステロの日本公演史上では、おそらく汚点として残っていることと思われます。

というように、ライヴではトラブルやアクシデントが付き物のようになっていますよね。
不幸にもそういった現場に居合わせてしまったという思い出をお持ちの方がおられましたら、ご紹介ください。

コメント(17)

アクシデントなら、1972年のT・レックスの初来日公演。武道館2日目。
彼らの演奏前に地震がありました。ロビーにいた私たちも気が付いて、
ホールをのぞき込んだけど、まあ日本人にとっては大した揺れでもなかった。
でも、当のマーク・ボランにしたら、ビックリ仰天だったらしく(イギリスには
地震なんてないんでしょ)、怯えちゃって演奏始めたはいいけど、50分しか
やらなかった。初日は90分キッチリやったのに・・・。ヒドイじゃない!!!

だから、よけいT・レックスと聞くと、「ああ、地震のお陰でへっぴり腰になったマーク・ボランね、あんなのプロじゃないよっ!」と辛口になります。
私は2回見たからまだいいけど、この50分の日しか見なかった人はきっと同じように 思ってることでしょう。ただでさえ、上手い演奏なんかじゃなかったんだからさっ!ちっ(怒った顔)

ファンの人にはゴメンね! でもこのころは、ロックバンドは精神的にマッチョじゃないとねぇ、という風潮でした。
アクシデントと言えば、「ダリル様のぱっくり事件」。それは1982年10月29日(もしかしたら30日だったかも?)大阪府立体育館で起きました。

所謂、そのぉ、窓を開いたままステージに登場したのですよ、あのカッコをつけたダリル・ホールがあせあせ私たちは一列目ダリル前だったので、すぐに発見(汗汗きゃあきゃあ)。なんとか傷の浅いうちにダリルに教えなきゃexclamation ×2と思い、「オープン、オープン」とかあれこれ言ってみたんですが、全く通じず。それどころか、ダリルは「今日はまた客席の反応がいいじゃないか!」と勘違い、喜んでしまって、いつもより派手に動くのです。そのたびにぱっくりふらふら特にサラスマイル、ぱっくりしたまま、満足そうにポーズを決めたまま(きゃあきゃあ)。ずっと開いてるわけで、客席の騒ぐこと騒ぐこと、でもってまたダリルが喜ぶ…

ああ、どうしたらいいんだああ、と思ってたら、ギターのG・E・スミスが気がついてくれまして、「キッス・オン・マイ・リスト」のギターソロのところでクルクル回りながらステージ真ん中のダリルに近づき、耳元になにやら囁いたのです。途端にダリルが後ろを向いてしまって…チャック上げたわけです。ふぅ〜私たちもほっとしました。その後「Wait for me」でキーボードに向かった時、恥ずかしそうにしゃがみ込んだダリルが可愛かったですーーあっかんべー
またも! アクシデントと言えば!
上の「ぱっくり事件」と似たような話なので恐縮ですがあせあせ、
これは、まさに「アクシデント」以外の何者でもない!というお話を・・・。

1979年9月、初来日を果たしたシン・リジィ!
来るんじゃないか?と言われていたゲイリー・ムーアは参加せず、ミッジ・ユーロ(元ウルトラボックス)と、もう1人ギタリスト(名前忘れた)を連れての5人編成でした。

確か、私の見た2日目。後楽園ホールでのこと。
皮パンでばっちりキメたフィル・リノット(私はこの表記でいきます)が、カッコよく大股開きでガンガン演奏していたのですが、コンサート中程で、なんとトレードマークのレザーパンツが、足の付け根あたりでパックリ裂けてしまいました!左足で横にだったと思います。中が、ブルーのパンツだったのも見えちゃいました!

5列目あたりで見てた私や連れも、「あややや、破けちゃったよ〜!」と一瞬あせって驚きましたが、本人もすぐ気が付いたようでした。
それでも、その曲はしっかり演奏し、かつ歌い、終わりと共にフィルはそでに引っ込み、しばらくしたらブルージーンズに着替えて出てきました。
全然あせった様子もなく、ケロリとしてましたよ。
パンツは見えちゃいましたが、まあ中央のジッパー全開じゃありませんでしたからね。きっと、フィルにとっては「よくあること」だったんじゃないでしょうか?
でも、皮パンでも破けるんだなぁ〜、とビックリして、かつ感心(!)しました。
まもさんのダリル・ホールのぱっくり事件を大笑いして読みながら、何となくシン・リジィの「Live And Dangerous」のジャケットを思い出し、あそこまで思いっきり股を開けば、裂けることも多々あっただろうななんて思っていたのですが、本当にあったのですね、それも日本でわーい(嬉しい顔)
ちなみにもう1人のギタリストは元マンフレッド・マンズ・アース・バンドのデイヴ・フレットでした。私もこの後楽園ホール公演は見に行きましたが、そういうアクシデントは記憶にないので、多分別の日だったのでしょう。

この後2回来日し、その都度ギタリストは変わりましたが、やはり初めて見たということもあってか、この初来日時の内容が一番良かったように思います。
アクシデントというほどのことではないのですが、最後の来日となった1983年では、確か"Cowboy Song"と"The Boys Are Back In Town"のメドレーの最中にどんどんギターのキーが狂ってきて、次の曲へ行く前にジョン・サイクスとスコット・ゴーハムが延々とチューニングを始めてしまい、一気にシラけていったのを憶えています。
ステージ上のアクシデントではなく、観客席のアクシデントですが、1975年に初来日したQueenの武道館コンサートにて。

わたしはアリーナの前の方の席でしたが、アンコールが近づくと、後方の観客がドッと押し寄せて、巨大なおしくらまんじゅう状態に・・・。
そして、とうとう将棋倒しが始まったんです。わたしもその中に巻き込まれ、しかも、下の方だったので、上に何人も積み重なって隙間がなくなりました。
だんだん呼吸困難になり、窒息死寸前!これまでの人生で、死を意識したのは、後にも先にもこの時だけです。
でも、大好きなバンドのライヴでならまだしも、単に、話の種(失礼!)に見に来たにすぎないQueenの会場で死んでたまるか!と、強く自分に言い聞かせて、どうにか耐えました。

無事救出された時には、靴の片方がどこかに消えていて、腕や足はアザだらけになっていました。その後、紛失物がある人ばかり集められて、順番に返却してもらったのですが、片方どころか、両方の靴がなくなって、裸足になっている女の子もちらほら・・・。

その数年後に、札幌で行われたRainbowのコンサートで女の子が圧死した時も、状況が容易に想像できたので、さほど驚きませんでした。
結局、それ以来、コンサートの警備がずいぶん厳しくなりましたね。

なお、何人もの下敷きになりながらも、Freddieがステージから投げた薔薇の花だけは、ずっとキャッチしたままでした(転んでもタダでは起きないわたし)。
ミカンさん、初めまして。
パープルの73年の2度目来日で、2日目の武道館中止は私はモロにリアル体験です。古くても全然いいんですよ、ここは。

ミカンさんはあのとき中止になった日に行くはずだったんですか?
私から、あのときのことを思い出して書いてみます。

私は、当時は追っかけの最前線で、パープルのメンバーとも初来日のときから
会ってましたが、武道館の初日に行って、あまり気合いの入ってない彼らの
演奏にはほとほとガッカリしましたよ。「Live In Japan」(海外では「Made In Japan」ですが)がいくらヒットしたからって、その日本で前年やったのと全く同じ曲(順番は変えてましたが)しかやらずに、せっかく新譜の「紫の肖像(Who Do We Think We Are)」も出てたのに、そこからは1曲もやらなかったのです。
武道館に来た観客は、「Live In Japan」の再現だけを期待してたわけじゃなく、新曲も期待したのは当然でしょう?

しかも、彼らディープ・パープルはもうイアン・ギランとロジャー・グローヴァーの脱退は決まっていて、メンバー間の仲は最悪。緊張モードを通り越して、彼らにはお互いの嫌悪感しか残っていなかったみたいで、演奏もダラケていたと言っても過言じゃなかった。そういうメンバーの不仲って、見てる方にも伝わるんですよ。全然盛り上がりもなく、観客も次第に期待感が失望感に代わり、拍手も少なくなり、やってる方も「あんまり受けてないな・・・」と感じ、ますます盛り下がっていく・・・。
本編が終わり、引っ込んだパープルの面々。ついにノリきれないままとはいえ、それでも観客は待っていれば必ずアンコールはあると信じていた。そういう時代だったからね。「アンコール! アンコール!」と声をからして叫び手を叩きつづけ、でも3分経ち、5分経ち、待てど暮らせどついにディープ・パープルのメンバーがステージに戻ってくることはありませんでした。
受けてない、と判断したリッチーが「今日はアンコールなし!」と宣言したので、他のメンバーたちも仕方なくそのまま楽屋に戻ってしまい、サッサと武道館を後にしたそうです。場内は、会場ライトの蛍光灯も煌々とついてしまい、「本日の演奏はすべて終了しました、お気をつけてお帰り下さい」のアナウンスが・・・。

でも納まらなかった観客の大半は、「なんだよぉ〜、なんでアンコールないんだよぉ〜? これじゃ物足りないよ〜! もっとやれえ〜〜! 出てこ〜い!」と欲求不満の塊となり、いつまでも手を叩き続け、足を踏みならし、「アンコール!アンコール!」とアンコール・コールが止む気配もないのです。

この辺で、私と友達たちもかなりパープルに頭に来ていたことは事実ですが、何となく不穏な気配を感じ始め、早々に一旦アリーナから外に出て、1階まで上がってみました。
そこからしばらく見ていたのですが、不満分子たちは足を踏みならすだけにとどまらず、その内、客席になっていた折り畳み椅子をどんどんそこら中にぶん投げ始めました。そして、客席の中程に設置されているミキシングのコンソールからステージまで伸びている、太いケーブルが床にしっかり貼ってあるのを剥がして、そのケーブルをまるで綱引きのように引っ張り始めたんです(男性の集団だよ、当然だけど)。
1階から見える武道館アリーナは、もうまさにグッチャグッチャ状態になってました。そこにはただもう頭に血が上った「暴徒」と化した若者・・・じゃなくて「バカ者」の集団しかいませんでしたね。そこで暴れている連中は、不満から怒りが爆発した、と言うより、その暴力を楽しんでいるとしか思えなかった。マトモな神経の人たちは、とっくにアリーナからは避難してたようです。

ついさっきまでロック・コンサートがあったなんて、全く想像もつかないようなごみためのような光景が累々と広がっていくんです。折り畳み椅子も折れ曲がったり壊れたままにうち捨てられ、それらが山積みとなってました。ケーブルも引っ張られ、途中で千切れたかどうにかなってたみたい。警備員もいたはずだけど、あまりの集団の狼藉に誰も手も足も出ない様子でした。
ヒドイ! あまりにもヒドイ修羅場に、それまで怒りの対象だったパープルは忘却の彼方へと消え、完全に常軌を逸した「暴徒」への怒りで開いた口がふさがりませんでした。

長いので、ここで送信します。
その日は、私もパープルのメンバーに会いたいとも思わなかったんでしょうね。
日参していたホテル詣でもその晩は止めてます。
でも翌日の夕方、前の夜にそんな暴動騒ぎがあったのに何にも疑わず「今日こそはアンコールやるかしら?」くらいの気持ちだったんでしょうか? 何も考えず私は武道館に向かいました。
ところが九段下に着き、武道館に上がる坂道の入り口まで行って「あららら〜!」と驚きました。「本日のコンサートは中止!」とありましたから。
前の日の「暴動」により、武道館内の施設・設備が破壊され、本日はコンサートが出来ない状態になりました、とのことでした。
そこできっと初めて、前の晩の暴徒の狼藉がいかにヒドイものだったか、改めて気がついたんだと思います。遅いよ〜〜〜っ!

え〜〜え〜〜っ? ホントにホントに本当なの? 中止なのおおおおおお!?
その中止の看板の前でウロウロしているうちに、前の日に一緒に行った友達も現れ、そこにいても仕方ないので、とりあえずメンバーの泊まっているホテルに行ってみようということにしました。
で、行ってみたけどメンバーたちは出かけたのか部屋にこもってるのか、誰もロビー近辺にはいませんでした。
それでも、その東京のあとのコンサート開催地、大阪まで見に行く予定だったので、そっちの公演はちゃんとあるのか、そのあたりを誰か関係者に聞きたかったかったんでしょうね(呼び屋さんのスタッフは逃げたのか見つからなかった)。
どうやら当時のパープルのレコード会社の担当さんが、ロビー脇のバーにいるらしいというので、鼻息荒いファン(すでに顔見知り)の私と友達は、そのバーの入り口で「WP社のNさんって方、お呼び出しお願いします」

ところが、入り口からすぐの席になんとそのN氏が、リッチー夫妻と座っていたんですねぇ! お呼び出しを・・・と言ってるうちから、そこにいたMrs.ブラックモアが私と友達の姿を見つけたんです。
「あ〜〜ら、あなたたちじゃな〜い! なんで今まで会いに来なかったのぉ? こっちいらっしゃいよ〜、早く早く!」と満面笑みで手招きしてるんですぅ〜!
リッチー夫妻には、前の年72年にアレソレとありまして、すっご〜〜〜く親切にしてもらっていたんです、私と友達の女3人組(そのときは2人で行った)。
私たちには優しいとは言え、実はおっかないMrs.ブラックモアに呼ばれたんじゃ、まさか逃げ出すわけにもいかず、内心はコンサートが中止になった晩にアチラもファンには会いにくいんじゃ・・・だったけど、仕方なく彼らのテーブルに同席しました。リッチーは、私たちがファンだというのはよっくご存じだったので、私たちがリッチーに会えて喜んでると、信じて疑いもしなかったみたいでした。

でも、心配してた私たちとは裏腹に、リッチーはケロリとしてましたよ。
リッチーが前の晩に「受けてないからアンコールしない」と言ったというのは、かなり後になってから聞いたことで、その当時は知らなかったんです。
でも、武道館が暴動みたいになったのも、そのおかげで翌日のコンサートが中止になったのも、元はと言えばリッチーの気まぐれのせいだったわけでしょ?
それと気の入らない、ふやけた演奏したから盛り上がらなかったんだし。
その割りに、リッチーは全く反省の色もなく、シャーシャーとしてたんだよねぇ〜!
私たちが、「コンサート中止になって残念でしたね」というと、「ああ、あれはアクシデントだ」とそれだけ! 元凶がリッチーとはまだ知らなかった私でも、ケロリとしたリッチーの態度にはちょっとカッチ〜〜ン!ときましたね。

またここで送信します。
その後の会話の展開も、実はまたいろいろあって、私なんか「キミなんてイギリスじゃ15歳だよ!」とからかわれたりして、前の年はリッチーは神にも等しい存在と思っていたのが、な〜〜んとなく失礼しちゃうわね!とも思うようになってきました。

そうは言っても大阪も見に行きました。それは第2期ディープ・パープルの最後のコンサートにもかかわらず、同じく出来は全然良くなくて、彼らも義務でやってるような演奏で見ていて聴いていて、本当に情けなく悲しいものでした。最後の最後に、ジョン・ロードはハモンドをド〜ンと倒し、イアン・ギランは「The End !」と言ってステージを去りました。誉めるところ全くなし!
大阪まで行って彼らと同じホテルにも泊まってたけど、離日のときは見送りにも行かなかったわよ。そのときの心境は、もうパープルのメンバー誰1人顔も見たくない、って感じでしたから。よって、パープル2度目来日は、全体的に思い出したくもない「イヤな思い出」のひとつとなりました。

あの武道館でのアクシデントは、今はもうあまり語る人もいないし、かなり風化した出来事となっていますが、ホントに本当にヒドイ事件だったんですよ。いくら「もっと聞きたい」という純粋な気持ちからであっても、ああいう暴動のような狼藉を働くというのは、同じ日本人として実に恥ずかしいことでした。あのとき、「暴徒」と化した馬鹿者の男子たち! あれから反省したのか? 
一体、あの連中は今ではどんな「オヤジ」になっているんだぁ〜!
本人たちは忘れていても、私はあんなことした連中は一生許さないからね!
全員とはいえませんが、70年代途中迄の皆さんのコンサートでの派手な騒ぎ方のおかげで、それに憧れていた私の世代は共通一次と筑波大学建設という状況とあいまって
全てが管理された社会になってしまい、
コンサートではレインボーの事件の後という時期でもあり
管理、管理一辺倒となってなんか消化不良な
発散出来ないコンサートばかりという記憶です。

学生運動も終焉し、コンサートでは大人しくしてろって
感じで、若者のはけ口というのはなくなってしまい。
なんとなくクリスタルな時代になっていたのです。

良い汗かいたのはホワイトスネイクのサンプラザ。
ステージ前に殺到。
係員とのおしくらまんじゅうでまるで後に経験する
密集デモ状態でした。
>係員とのおしくらまんじゅう
グレアム・パーカー&ルーモアのサンプラザ公演の時に、知り合いに頼まれて係員やりました。
立ち位置はステージ下でした。
一人飛び出してステージ下に駆け寄った人がいたので、席に戻って貰おうとちょっと押し合いのような形になったんですが、それをグレアム・パーカーにバッチリ見られ、「握手しようぜ」と手を出されて私が握手しちゃいました^^;
会場内、失笑が…^^;
グレアム・パーカーにいじられちゃった思い出です(笑)
1980年The Policeの初来日公演はオフィシャルには
2月14日・15日 中野サンプラザ
  17日 渋谷公会堂
  18日 愛知県勤労会館
  19日 大阪フェスティバルホール
でしたが直前にメンバーからオールスタンディングのコンサートがしたいと
言うリクエストが有り、招聘元のU音楽事務所が当時1978年1月の札幌での
RAINBOWでの事故の後遺症で何処もスタンディングの許可が出ない中京大
西部講堂でのシークレットギグを決めました。
チケット発売は公演日の1週間前でロクな宣伝も無かったにも関わらず即売り切れ。
私はたまたま友人が気を遣って取ってくれてたので見に行けましたが開演前から
異常な熱気でした。
前日の大阪同様の内容で演奏が進んでましたが8曲目くらいに差し掛かった所で
関係者の一人がステージに。その人は京大西部講堂連絡協議会の人だったのですが
警備員を入れて押さえつけるU音楽事務所のやり方は本来のコンサートの姿では
無いと抗議したのでした。
事情が分からないメンバーはその人にコップの水を掛けるは京大側とU音楽事務所
ですったもんだとなり最後は主催者側から「本日のコンサートは中止とし払い戻します。」
とのアナウンス。
それを聞いた客側は「払い戻された金で明日もここでコンサートをやろうぜ!」と言う始末。
結局払い戻しもされず、そこでコンサートはチョン。
後日ミュージックライフの対談でU音楽事務所のS富氏が「あれは地獄だった。」とのたまっておられました。

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