1991年8月22日、エルヴィス・コステロはついに念願の日本武道館での公演を果しました。多くの観客の前でいつも以上に気合いを入れて臨んだコステロでしたが、数曲演奏したところで、突然中断。再開までに10分あまり待たされたでしょうか? どうもマイクから感電というアクシデントがあったようでした。 くしくも演奏していた曲が"Accidents Will Happen"(コステロ研究家として名高いグズラ氏の記憶より)というのには笑えますが、そのために再開以後はコステロのテンションも落ちてしまうわ、観客もシラけてしまうわで、多くの素晴らしいパフォーマンスを見せてくれたコステロの日本公演史上では、おそらく汚点として残っていることと思われます。
ああ、どうしたらいいんだああ、と思ってたら、ギターのG・E・スミスが気がついてくれまして、「キッス・オン・マイ・リスト」のギターソロのところでクルクル回りながらステージ真ん中のダリルに近づき、耳元になにやら囁いたのです。途端にダリルが後ろを向いてしまって…チャック上げたわけです。ふぅ〜私たちもほっとしました。その後「Wait for me」でキーボードに向かった時、恥ずかしそうにしゃがみ込んだダリルが可愛かったですーー
まもさんのダリル・ホールのぱっくり事件を大笑いして読みながら、何となくシン・リジィの「Live And Dangerous」のジャケットを思い出し、あそこまで思いっきり股を開けば、裂けることも多々あっただろうななんて思っていたのですが、本当にあったのですね、それも日本で ちなみにもう1人のギタリストは元マンフレッド・マンズ・アース・バンドのデイヴ・フレットでした。私もこの後楽園ホール公演は見に行きましたが、そういうアクシデントは記憶にないので、多分別の日だったのでしょう。
この後2回来日し、その都度ギタリストは変わりましたが、やはり初めて見たということもあってか、この初来日時の内容が一番良かったように思います。
アクシデントというほどのことではないのですが、最後の来日となった1983年では、確か"Cowboy Song"と"The Boys Are Back In Town"のメドレーの最中にどんどんギターのキーが狂ってきて、次の曲へ行く前にジョン・サイクスとスコット・ゴーハムが延々とチューニングを始めてしまい、一気にシラけていったのを憶えています。
私は、当時は追っかけの最前線で、パープルのメンバーとも初来日のときから
会ってましたが、武道館の初日に行って、あまり気合いの入ってない彼らの
演奏にはほとほとガッカリしましたよ。「Live In Japan」(海外では「Made In Japan」ですが)がいくらヒットしたからって、その日本で前年やったのと全く同じ曲(順番は変えてましたが)しかやらずに、せっかく新譜の「紫の肖像(Who Do We Think We Are)」も出てたのに、そこからは1曲もやらなかったのです。
武道館に来た観客は、「Live In Japan」の再現だけを期待してたわけじゃなく、新曲も期待したのは当然でしょう?
そうは言っても大阪も見に行きました。それは第2期ディープ・パープルの最後のコンサートにもかかわらず、同じく出来は全然良くなくて、彼らも義務でやってるような演奏で見ていて聴いていて、本当に情けなく悲しいものでした。最後の最後に、ジョン・ロードはハモンドをド〜ンと倒し、イアン・ギランは「The End !」と言ってステージを去りました。誉めるところ全くなし!
大阪まで行って彼らと同じホテルにも泊まってたけど、離日のときは見送りにも行かなかったわよ。そのときの心境は、もうパープルのメンバー誰1人顔も見たくない、って感じでしたから。よって、パープル2度目来日は、全体的に思い出したくもない「イヤな思い出」のひとつとなりました。