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史跡コミュの高伝寺墓所

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 佐賀県佐賀市本庄町大字本庄1112番地1

 1967年02月11日、佐賀市が史跡に指定。

 https://www.google.co.jp/maps/@33.2388341,130.2855997,17z
 曹洞宗慧日(エニチ)山高伝寺の地には、京都五山の一つ万寿寺の末寺である高傳庵(コウデンアン)、若(モ)しくは高楊庵(コウヨウアン)と言う小寺院がありましたが、戦国時代になって廃絶していました。ところが、天文21(1552)年に、当時少弐冬尚(ショウニフユヒサ)に従っていた鍋島清久が「高傳庵跡に禅寺を建て菩提寺とすべし」との本庄大明神の夢のお告げを得て、嫡男清房を開基、玲岩玄玻(レイガンゲンハ)を開山、薬師如来を本尊として本寺を建立、清房の子である直茂(ナオシゲ)を藩祖とする佐賀藩主家の菩提寺となりました。
 明治4(1871)年に至り、最後の佐賀藩主鍋島直大(ナベシマナオヒロ)が廃仏毀釈で荒廃していた藩内各寺院の鍋島家先祖の墓と元主君である竜造寺家の墓を当寺へ集めて整備したため、歴代の佐賀の支配者の墓が林立する壮観が現出される事となりました。伽藍は東面して広大な境内を構え、楠や銀杏の巨木が配された境内は、東側正面に放生池(ホウジョウイケ)、西側背面に墓地が配され、墓地との間を水路が貫流しています。
 墓所の正面と東側に竜造寺家の10基、西側に鍋島家の16基の墓碑が並びます。
 竜造寺・鍋島両氏の系図と歴史は以下を御参照下さい。
◎佐賀の歴史 古代・中世編
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1975309185&owner_id=250900 
◎佐賀の歴史 近世編
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1975323478&owner_id=250900
・高伝寺の梅
 https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=320240&id=94694707

コメント(11)

 3月23日月曜日に行って来ました。
左;竜造寺季慶墓所
中;竜造寺家氏墓所
右;竜造寺康家墓所
左;竜造寺家和墓所
中;竜造寺胤久墓所
右;竜造寺胤栄墓所
左;竜造寺家兼墓
中・右;竜造寺隆信墓所
左;竜造寺胤栄の娘 安子姫墓所
中・右;竜造寺政家墓所
左;竜造寺高房墓
中;佐賀藩祖鍋島直茂墓
右;佐賀藩初代藩主鍋島勝茂墓
左;佐賀藩第2代藩主父鍋島忠直墓
中;佐賀藩第2代藩主鍋島光茂墓
右;佐賀藩第3代藩主鍋島綱茂墓
左;佐賀藩第4代藩主鍋島吉茂墓所
中;佐賀藩第5代藩主鍋島宗茂墓所
右;佐賀藩第6代藩主鍋島宗教墓
左;佐賀藩第7代藩主鍋島重茂墓所
中;佐賀藩第8代藩主鍋島治茂墓所
右;佐賀藩第9代藩主鍋島斉直墓所
左;佐賀藩第10代藩主室 盛姫墓所
中;内務大臣副島種臣伯爵墓
右;枝吉神陽顕彰碑と墓
 高伝寺の伽藍です。

左;観音堂
中;山門
右;多宝塔

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