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史跡コミュの万部塔と六地蔵

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 佐賀県佐賀市水ヶ江1丁目

 1968年02月11日、佐賀市が史跡・重要文化財に指定。

 佐賀城跡東方の万部島(マンブジマ)は、江戸時代に於いては城の東堀と多布施(タフセ)川に囲まれた島になっていたんですが、今では東堀が埋め立てられてしまったので、島の面影はありません。
 https://www.google.co.jp/maps/@33.2492779,130.3035969,19z
 万部島の名の由来は、法華経(ホケキョウ)一万部読誦記念の石塔である万部塔(マンブトウ)です。
 佐賀では、永正2(1505)年3月、東方の水ヶ江館にいた竜造寺康家の五男家兼が天亨(テンキョウ)和尚を導師として行なったのが一万部読誦の最初で、村中城の鬼門にあたる当地に奉納されました。 その後、11人の歴代佐賀藩主が万部塔を作り、整然と並んでいます。
 万部島には二基の六地蔵〔佐賀市指定文化財・史跡〕もあります。竜造寺家兼が天文2(1533)年に奉納した物と、竜造寺隆信が天文22(1553)年に曾祖父家兼の菩提のため奉納した物です。
 万部島には、明治7(1874)年の佐賀の乱の戦死者・処刑者の慰霊のための招魂碑もあります。なお、佐賀では「佐賀の乱」では無く「佐賀の変」と呼ぶのが通例で、鎮圧軍を率いた大久保利通の方が悪玉と見做されています。
 大正9(1920)年に戦没者遺族が旧佐賀藩主鍋島直大(ナベシマナオヒロ)侯爵の許しを得て建立した物で、逃走して捕縛、処刑された江藤新平と島義勇(シマヨシタケ)の名も刻まれています。

◎佐賀の歴史 古代・中世編
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1975309185&owner_id=250900 
◎佐賀の歴史 近世編
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1975323478&owner_id=250900
◎佐賀の歴史 近代編
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1975337345&owner_id=250900
+佐賀城跡
 https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=93981518

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