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史跡コミュの海隣寺中世石塔群

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 千葉県佐倉市海隣寺78−1

 1975年09月17日、佐倉市が史跡に指定。

https://www.google.com/maps/place/%E6%99%82%E5%AE%97%E5%BD%93%E9%BA%BB%E6%B4%BE+%E5%8D%83%E8%91%89%E5%B1%B1+%E6%B7%B1%E5%BA%83%E9%99%A2+%E6%B5%B7%E9%9A%A3%E5%AF%BA/@35.7227423,140.2237991,19z/data=!4m5!3m4!1s0x6022892a9ce0ed2d:0x84280d40fad35023!8m2!3d35.7227988!4d140.224712

 時宗千葉山深広院海隣寺の境外墓地、佐倉市役所の一角の如くなっている場所にあります。
 治承3(1179)年7月26日、下総権介千葉常胤(チバツネタネ)が家臣を連れて海辺で月を観ていたところ、海上に光り輝く物があったので、網を打って掬(スク)わせると、金色に輝く阿弥陀如来像が引き上げられたため、常胤は「海上月越如来」と名付けて、文治3(1187)年に馬加(マクワリ)に海隣寺を建立して本尊として安置したと伝えられています。
 その後、戦国時代の千葉家の内紛に伴い、寺は馬加から酒々井(シスイ)を経て、千葉親胤(1541〜57)によって現在地の佐倉に移されました。相模国の時宗当麻(タイマ)派大本山当麻山無量光寺の有力な末寺であり、当寺住職から他阿上人(タショウニン)と呼ばれる当麻派総帥になる例もありました。
 中世石塔は17基あり、千葉昌胤(1495〜1546)・千葉利胤(1515〜47)・千葉親胤・千葉胤富(タネトム;1527〜79)・千葉邦胤(1557〜84)の千葉氏歴代当主の墓も含まれています。

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