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史跡コミュの油島千本松締切堤

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 岐阜県海津市海津町油島

 1940年07月12日指定

 宝暦4(1754)年から翌年にかけて行われた木曽三川分流工事に伴い、長良川と揖斐(イビ)川の間に設けられた分流堤の事で、約千本の松が植えられたため、千本松と呼ばれるようになりました。松の木は当時九州から取り寄せた日向松とされます。
 この宝暦治水は、9代将軍徳川家重が外様の大藩たる薩摩藩へ嫌がらせとして命じた事業で、大変な難工事となり、工事中に薩摩藩士51名が自害、33名が病死する事態となりました。この結果、工事を監督した薩摩藩家老平田靱負正輔(ヒラタユキエマサスケ;1704〜55)も責任を取って完工後に自刃しています。
 上流側北端には昭和12(1937)年に平田靱負を祀る治水神社が創建され、昭和15(1940)年に堤全体が国の史跡に指定されました。岐阜県の千本松原県立自然公園(面積42ha)にも指定されています。
 岐阜県は薩摩藩士の業績を讃え、昭和46(1971)年に岐阜・鹿児島姉妹県盟約を締結しています。
 平成時代に入って松食い虫による被害が増加し、松の本数が1000本を下回ったため、平成15(2003)年)より鹿児島県の林業関係者らで作る松原再生支援実行委員会が支援を実施、平成18(2006)年まで四年間に亙り松食い虫に強いクロマツ品種スーパーグリンさつまの苗のべ200本と防除用薬剤代等が寄贈されました。
 近代的な三川分流工事は明治20(1887)年からオランダ人Johannis de Rijke(ヨハニス=デ=レーケ;1842〜1913)によって開始され、明治33(1900)年に一応の完成を見た際に宝暦治水碑が千本松原南端に建てられました。

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