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史跡コミュの橘守部誕生地遺跡

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 三重県三重郡朝日町小向(オブケ)

 1939年04月28日、三重県が史跡に指定。

 天保の国学四大家の一人とされる国学者橘守部(1781〜1849)は、本名を飯田元輔、若しくは源助と言い、朝明(アサケ)郡小向村の庄屋飯田元親の子として生まれた。生家は繁った竹薮を巡らした屋敷で、数棟の土蔵も立ち並んでいたという。
 父の飯田元親は国学者谷川士清の門人であったが、守部が12歳の時、家が破産し、四日市領生桑村に移住した。父が死んだ翌年、17歳の守部は江戸に出て、28歳から一年程国学者清水浜臣の門人となった外は、殆ど独学で国学を学び、池庵・椎本・生薬園等と号した。
 『稜威道別』(イツノチワキ)・『稜威言別』(イツノコトワキ)・『難古事記伝』等を著し、『古事記』を高く評価した本居宣長を徹底的に批判して『日本書紀』こそに国体の精華があると主張した。即ち、神話の伝説的な部分と史実の部分の区分の必要性を説いたのである。
 晩年は江戸に住んで肥前国平戸藩主松浦氏の知遇を得た。また晩年、死後安心論にも関心を寄せた。守部独自の国学の説は、武蔵国北部から上野国にかけての機業家などに門人を広げた。

コメント(2)

 屋敷跡は空き地になっていますが、近くの朝日町役場前に石碑が建ちます。朝日町歴史資料館では関係史料の展示が行われています。

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