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パレスチナ問題と日本国民の対話コミュの愛国的棄国の独り言

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愛国心って、何だと思いますか?

私は、

「理性的には無意味だと思える死でも、いつかはなんらかの形で国のためになるはずだと信じて自ら殉死を選ぶこと」

だと思っています。

国家のための殉死や、来世のための殉教や、テロや紛争による殺し合いに満ちている中東の現場にかかわり続けて至った今の心境を理解してもらえる同世代の日本人なんて殆どいないと思います。

きっと、大東亜戦争に従事した世代なら、きっと分かり合える何かがあると思いますけど。

学生時代からイスラエル・パレスチナにたびたび渡航し、エルサレムでは、自爆テロの爆音で目を覚まし、慌てて騒然とする現場に駆けつけ、血まみれの惨劇を目撃したりしました。

パレスチナ民族のために殉教をいとわない人たちとたくさん対話して、どうして彼らが自爆テロを支持して、殉教に急ぐのか、なんとかこの(他人には)無意味な悲劇をとめられないか、ずっと悩みました。

就職してからは、ずっと、公務による死の危険を感じ続けて勤務していました。国のために自分の命をささげる覚悟が、あのパレスチナ人のような覚悟が、自分にあるのかどうか、ずっと自問自答して生きていました。

同僚には2名の殉死者と、3名の負傷者がいます。全員、アル・カーイダ系のテロの犠牲者です(殉死に関しては、「米軍誤射疑惑」すらありますが、私にはまったく分かりません。)。

2名はバグダッド郊外で殺害され、3名はリヤドの外国人居住区の住宅で自爆テロに巻き込まれ負傷しました。

私がサウジで託された仕事は、ワッハーブ派というサウジの国教の調査・分析でした。そして、偶然にも、9.11からイラク戦争をサウジで体験し、当然、職務は、ワッハーブ派とアル・カーイダの関係、サウジ国内のテロ情報分析となりました。

要は、反米のルサンチマンに駆られたイスラム過激派が、米国の対中東外交の失政として台頭しているということです。そして、彼らの攻撃対象は、米国の同盟国にも向けられ拡大していきました。私たちは、現場から、日本も攻撃対象になりうる可能性について非常に懸念してレポートを送っていました。

しかし、イラク戦争が勃発すると、日本は、どのような国益なのかという議論も説明もされることなく、イラク戦争を支持しました。この直後から、アル・カーイダの声明には、攻撃対象の国として日本が直接言及されるようになりました。

そして、かろうじて平穏だったサウジ国内でもアル・カーイダの活動が活発になり、外国人民間人が居住している地区への自爆テロや、外交官や軍事技術者の誘拐・殺害テロ、治安機関への自爆テロが毎月のように発生し、2−3年間で400名程度が犠牲になりました。

私たちは、サウジのテロ情勢が逼迫しており、彼らは日本人を「偶然」や「巻き込み」ではなく、「意図的に」標的にしていることを報告し続け、退避勧告も含めた危険情報のレベルアップを求めました。

しかし、本省から返ってくるのは、経産省と石油企業の圧力を優先した判断ばかりで、現場の声は届きませんでした。当時の米国や英国が、「自主判断による退避」を勧告していたのに、日本は「十分に注意してください」としか警告していませんでした。

経済的に大きな影響があるサウジに対し、邦人の生命保護より、危険情報を正確に出すことの悪影響(経済界やサウジのご機嫌)を重視したわけです。

そして、邦人や日本の安全保障に対するリスクを犯すに値する国益が論じられたり、説明されることもなく、日本は米国の指示を受けてイラク戦争に自衛隊を派遣することを決定し、日本や邦人に対する一層テロの脅威は高まったわけです。

現場の私たちは、日本が中東で紛争に関与することに反対するという本音でほぼ一致していましたが、日本は独自の対中東外交を展開することはできないという現状にあきらめの声が広がっていました。

自衛隊の派遣目的はあくまでも「戦闘」ではなく、「復興支援」に限られ、イラクで最も安全で、スンニ派過激派のアル・カーイダとは敵対的なシーア派の居住するイラク南部のサマーワに派遣されました。

とはいえ、自衛隊は、自衛の範囲でしか戦闘が許されず、具体的に自衛の範囲の戦闘行為の定義すらあいまいな状態で活動しており、攻撃された場合の基地の警護すら危ない状況でした。

これを重く見た外務省はサマーワの連絡事務所で、アングロ・サクソン系の傭兵企業を雇用してセキュリティー対策としました。当然、自衛隊の面子は丸つぶれで、外務省と防衛省は険悪になり、復興支援・外交活動に支障をきたす原因となりました。

そして、私たち外務省の文民にとって、何より不条理だったのは、バグダッドに設置された日本大使館のセキュリティー問題でした。

最も安全なイラク南部に武装して自衛権を許された軍人が派遣され、その上に、アングロ・サクソンの傭兵によって警護されているのに比べ、最も危険なバグダッドに派遣されるのは丸腰の文民の外交官。

日本が紛争地で外交活動を行うのも初めての経験で、セキュリティー対策のノウハウすらない国です。世界中の米国の大使館は、武装した海兵隊により警護されていますが、日本大使館は世界中どこでも、拳銃をもった警官すらいない、完全な丸腰です。

どのような政治的判断があったのか(おそらく、メディアに「傭兵」の存在を知られることを嫌がったのではないかと思います)、日本大使館のセキュリティーは、こともあろうか、紛争の当事者のイラク人の素人同然の傭兵企業に任されることになりました。戦闘能力そのものもアングロ・サクソン系の元エリート軍人の傭兵たちとは比較になりませんし、テロ組織によって容易に買収される可能性すら否定できません。

こうして、不安なセキュリティーを補完するために講じられた命令は、攻撃を受けた場合は、文民である外交官自身が、拳銃や小銃で武装して、大使館に立てこもって反撃することでした。武器なんてイラクなら簡単に購入できますからね。戦闘訓練を施す法的根拠がないのですから、撃ち方すらマニュアルを読んで自習することが求められました。

このような不条理で、不十分なセキュリティー対策に不安の声が現場に広がり、イラクでの勤務を拒否する外交官が相次ぐ中、懸念どおり、外交官が2名、公用車にて移動中に射殺されるという悲劇が発生したわけです。また、この公用車は防弾車だったと説明されましたが、本当は拳銃程度の小火器に限定的な効果しかない軽防弾車で、しかもイラク用に調達されたものではなく、銃撃戦がたまにあるため、念のためにレバノンの日本大使館が購入して保有していた車両を、急遽陸路でイラクに運送したという代物です。

さらに最悪だったのは、外務省と米軍の間で、説明が食い違い続け、この矛盾を追及して事件の捜査を進めようとする警視庁に対し、外務省は徹底的に捜査妨害を続け、最も重要だった遺留品の引渡しですら数週間も拒否し、その間の遺留品の管理体制はずさんで、省内の執務室のデスク上に放置され、証拠保全の意図すらありませんでした。

文民の外交官のテロによる殉死なんて、想定外の事態ですから、政府が混乱したのは当然です。軍人なら誉ある殉死ですし、きっと「2階級特進」で、靖国の英霊になることは、職業選択の前提ですが、外交官に、そのような事態は想定すらされていませんでした。

「不慮の事故死」としてしか扱われません。ちなみに、もちろん遺族には補償金などは支払われたのですが、英霊として靖国に祭られる代わりに、外務省が提供できた「名誉」とは、外務省に貢献した外交官を表彰する「川口賞」でした(要は、「よくできました」賞です)。国による、このような殉死に対する対応を皮肉る現場の声は「川口賞って副賞が川口大臣のサイン入りTシャツなんだけど、遺族は笑顔でTシャツ受け取ったのか?」という反応でした。

これを契機に、次々アラビア語・中東専門の若手外交官が辞職していきました。

私は、通訳・調査の契約で大使館に準外交官としての身分でデスクを与えられた契約コンサルタントだったのですが、アル・カーイダやワッハーブ派の調査結果が評価されていましたし、アラビア語専門家を多数失った外務省は、この種の契約コンサルからの登用で、それを補おうとしていましたから、私も当然、何回か登用の声がかかりましたが、以上のとおりの日本の対中東外交の現実をよく知っている私は、イラク赴任を受けることができるかどうかで悩み続けました。

一旦、入省した上で、イラク赴任を命じられても拒否すればいいという現実的なアドバイスしてくれる先輩もいましたが、危険を覚悟で、生まれたばかりのお子さんもいるのに、命令に従います、とだけ答えて、バグダッドで非常電話を手に持って息絶えた同僚の覚悟と命の重さを思うと、そんな都合のいいことをするのがあまりにも恥ずかしく、結局チャンスをふいにしました。

その後、国内勤務を条件に、テロ情勢分析の公職にも一時就きましたが、外交政策ですらこの有様ですから、予想通り・・・

書ける程度のことを言えば、アル・カーイダの母体となったワッハーブ派の宣教施設が、東京のど真ん中にサウジ大使館の別館として運営され、宣教師が外交官ステータスで活動しています。

世界各地にサウジ政府はこの種の組織を運営していましたが、9.11以降、アル・カーイダなどのイスラム過激派に悪用されてしまう例が数多く発生し、主要な欧米国はもちろん、あのモーリタニアでさえ、「潜在的脅威」と判断して閉鎖しました。

このモーリタニアですら実行できたテロ対策としてのワッハーブ派宣教施設閉鎖すら、上記のとおり経済界とサウジの顔色伺いで、実施できないのが現状です。

外務省などの政府機関の一部には、この閉鎖を求める声が根強くあるのですが、経産省−サウジロビーの圧力を受けて、議論されることすらタブーです。

私は上記のとおり、愛国心とは、「理性的には無意味だと思える死でも、いつかはなんらかの形で国のためになるはずだと信じて自ら殉死を選ぶこと」だと思っていますし、そのような愛国心を持てる祖国が欲しいと思っています。

私は、大東亜戦争や戦犯問題や靖国には殆ど興味・関心がなかったのですが、この体験をして以来、玉砕戦や特攻作戦で、「理性的には無意味だと思える死でも、いつかはなんらかの形で国のためになるはずだと信じて自ら殉死を選んだ」英霊たちに、心から敬意と感謝を感じるようになりました。

しかし、ムスリムですから、靖国に参拝することもできませんし、私が彼らの愛国心に学んで、危険な公務を続け、もし靖国に祭られる栄誉を与えられても、それを受け入れることができません。

靖国や天皇制に反対して、愛国者として世俗的共和制を求める政治運動をするのが筋だと指摘されれば、そのとおりですが、正直そこまで自分の人生をささげる意味を今の政府にも国民にも読み取れませんし、実現できるとも思えません。

ナショナリズムの中核が信仰や宗教であることは、中東のナショナリズムと宗教の関連性を分析し続けて十分に分かっていますし、昭和天皇の崩御のときの日本社会の反応は、もう十分にそれがなんなのかを理解できる年で経験しましたから、日本人のアイデンティティーの中核が宗教的カリスマである天皇制であることは十分に理解しているつもりです。

それより、私自身が望むのは、シリアで生活し、最終的にトルコに移住してトルコ国籍を取得し、子供たちをしっかりとした信仰を持つ立派な愛国者に育て、シリア・トルコ・日本の架け橋として活躍する人材になってもらうことです。ムスリムとしては、日本で無理して生活するより、同じムスリムたちの間でゆったりと自然に生活することを望みます。骨をうずめるのもこの土地だと思っています。

コメント(3)

 このような重いテーゼに私のようなものがコメントできるのか悩むのですが、もう20年近く民主主義と言うには些か心許ない政府を通じて税金という給料を貰ってきた以上、いつかは結論を出さなければ思ってきました。

 その上で愛国心とは
「理性的には無意味だと思える死でも、いつかはなんらかの形で国のためになるはずだと信じて自ら殉死を選ぶこと」ではなく、「理性的には無意味だと思える死を迎えることがあっても、いつの日か誰かがなんらかの形で自分達の死が祖国を良き国にするために必要な流血であったと語り継げる為の覚悟」だと思っています。

 私は神を信じてはいませんし、今まで民主主義国家の軍人として政府のいうがままに任務を果たしてきましたし、その上で絶対的な善悪もないと思っています。そういう人間が神を信じたスパルタ軍国主義者の言葉に傾倒するのは穏当ではないと思いつつ、それでも尚「旅人よ、行きて伝えよ、ラケダイモンの人々に・・・。我等かのことばに従いてここに伏すと」というテルモピュレーの名言こそ素朴ながら愛国心の根底にある何かを揺り動かすものだったと信じたいのです。

 残念ながらスパルタはその後単なる覇権国家に堕しましたが、数千年後遙か東の果てペリリューで、整斉とその言葉通り死を受け入れつつ、良き国への道を開くために戦闘前に陣地構築に徴用されていた一般人を待避させ、軍人達のみの大人の宴会で圧倒的な敵兵を前に最後まで良き敗者として戦った守備隊の最後こそ、勝者をして「この島を訪ねる、もろもろの国の旅人たちよ、あなたが日本を通過することあらば伝えてほしい。此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶うその心根を・・・・」
というテルモピュレーの精神に感化された一文に繋がるものだったと思っています。

 911後の日本国政府の無能っぷりは、だらしない最悪の民主政体が、というより完全な衆愚政体だったと思っていますが、未だにその反省すらせず、その場しのぎの発案を官僚に責任と一緒に丸投げするだけ、野党は屁理屈を講じるだけで抜本的対策もなく性懲りもなく、現場の対立を煽ることだけはいい加減止めて欲しいのですが・・・。(-_-;)

 取りあえず今のところ私の両手は血塗られてはいないとはいえ、何時血塗られるか分からない以上、結婚して子供を海育てる機会はありませんが、自分の甥っ子達にはアブドゥさんのような穏健なムスリムな方達を、ごく自然に友人として受け入れられるような良きコスモポリタンになるよう自分の知識を教えながら、レイシズムやシオニズムと無縁な、寛容な社会人となってくれるよう手助けしたいと思っています。
  
真摯な言葉をありがとうございました。
現在の「日本国株式会社」の「社員」は、決して、この言葉の重みは伝わらないことは分かっています。

それでも、イラク戦争以降の「日本国株式会社」のほころびを、不条理に押し付けられている現場の政府の方は、この意味を考えざるを得ませんよね。

いくら、現場で、命を懸けて、危険な任務をしても、それが、何のためで、どのような意味があって、それをどのように国民が評価してくれるのか、それがまったく意味不明だという悲劇は、むしろ、殉教を受け入れるパレスチナ人より、悲劇だと思います。

私は、このように、一旦逃走した上で、違う立場から闘争することにしましたけど。

「闘争によってしか獲得できない自由がある」

ヒズブッラーの指導者の言葉です。

>数千年後遙か東の果てペリリューで、整斉とその言葉通り死を受け入れつつ、良き国への道を開くために戦闘前に陣地構築に徴用されていた一般人を待避させ、軍人達のみの大人の宴会で圧倒的な敵兵を前に最後まで良き敗者として戦った守備隊の最後こそ、勝者をして「この島を訪ねる、もろもろの国の旅人たちよ、あなたが日本を通過することあらば伝えてほしい。此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶うその心根を・・・・」
というテルモピュレーの精神に感化された一文に繋がるものだったと思っています。

私は、つい去年、ネットで彼らの言葉を知ったのですが、心から泣けました。

そして、彼らの殉死が、無視されて、忘れられてしまった今の日本国や国民の無知に、いっそう悲しくなりました。

今のある意味虚構の「繁栄」や「安定」や「民主主義」は、彼らの尊い犠牲の上に築かれていることを私は決して忘れたくないと思います。

>取りあえず今のところ私の両手は血塗られてはいないとはいえ、何時血塗られるか分からない以上、結婚して子供を海育てる機会はありませんが、自分の甥っ子達にはアブドゥさんのような穏健なムスリムな方達を、ごく自然に友人として受け入れられるような良きコスモポリタンになるよう自分の知識を教えながら、レイシズムやシオニズムと無縁な、寛容な社会人となってくれるよう手助けしたいと思っています。

ありがとうございます。健全な国際人や共生は、健全な祖国愛がなければ、達成できないと信じています。

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