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Visionary ArtコミュのDaniel Mirante Innerview

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コミュのトップ画の作者はDaniel Miranteという画家で、彼はヴィジョナリーアートのウェブマガジンLilaを編集しており、一度彼のインタヴューを訳してみたいと思っていました。Innerviewというのはシャレだと思われます。しかし辞書よりも事典を必要とする部分もあり、本当に正確なところは誰かに教えてもらいたいというのが正直なところであります。インタヴューの相手はLunayaという人です。

また、彼の登場する動画がありましたので追加します。










原文のソースはこちらです。http://lila.info/art/interviews/daniel-mirante-innerview.html



Lunaya

  他の大勢のアーティストとダニエルが違う点は アートカルチャーコミュニティーと関わりそれをまとめようとしているところだと思うのです。アート情報を扱うキュレーターとしてですね。 lila.infoやayahuasca.comなどは、アートそのものと実際の積極的な活動との重要な関連を考えさせる例ではないでしょうか。あなたにとってこれら二つの領域に関わる使命感とはなんでしょうか?


Daniel

Lila.infoは一種の想念の世界なのですが、一方ではスピリチュアルなヴィジョンに関わる芸術家達の連携を促進強化するものでもあります。 それは素晴らしい芸術家達を紹介することによって、互いの作品におけるヴィジョンとコンテクストを強化し支え合うようにする方法なのです。
世界のアート界はアイロニーと権力がほとんどのミームになっています。しかし本当に何かを探し求めている人々にとってはこの世界は平坦でしかありません。

この地球における可能性に敬意をもたらすために芸術によって創造的ヴィジョンと意識変容を促すことこそがLilaの統一的意図であり、新しい時代に息吹をもたらすという慎重な作業に関して、協力的な共同性とともにそれを担っていこうとしているのです。

芸術家と神秘家との間における精妙な関係はすでに存在していたのであり、インターネットはさらにこれを強化しています。そのことを「見えない大学」と呼ぶ人達もいます。

Lunaya

あなたの色々な文章を読んで一貫したテーマとして気づくことは、時代に対する深い認識であり、世界の文化に対する感受性です。どのようにグローバルなヴィジョナリー アート カルチャーの未来を思い描いているのですか?


Daniel

未来の文化に関しては、私達の本来の感受性がなんらかの特定の時代における歴史や神話に縛られ、支配されていない状態のイメージを抱いています。私が直感的に感じていることは、私達はより深い人間の状態へと向かっていることです。そこには個人やその特性といったものは見いだされません。しかしむしろ大転換期の中で、全ての生命に対する共感へと導くものがあるのです。 様々な神話とその世界観は存在の聖火であって、まだ見ぬ新たな古代文化なのです。人間性という豊な土壌に長らく眠っている種はそこから勢いよく芽吹き広がっていくということです。
私はこの神秘に重要性を与える世界的な広がりをもった霊的文化というものをヴィジョンとしてもっています。それは空想上の生き物であったり、新たな神殿、聖堂、シャーマニックなサークルでもあります。あるいは通過儀礼や秘儀参入を体験でき、浄化、治癒、再生を行う場所などです。
古典的な時代におけるなんらかのグノーシス的で密かなグループが増え続けている局面に私達は立っています。ブラジルを見てすぐ分かる事は、その文化的母体の中に多くの秘教的グループが存在しているということです。カンドンブレ、ウンバンダ、ジュレマ、バキナ UDV サント ダイミ  などによって 世界の偉大なシャーマニズム、伝統的なアニミズム、そして密教も融合し、刺激的な複合体をつくっています。 それらの秘教的グループはエクスタシーのための歌や踊り、そして祈りとともにあり、あるいは薬草もその一部です。それらの混合された文化は時代を超えた新しい形であり、その原始的体験の場は劇的に拡大しています。これらの儀式を通じて人々は自らの真実に近づき、共同体あるいは地球規模のプラクシス(実践)へと促されていきます。そしてこのことは順を追って徐々に、より高度な文化への再生と変化へと結びつき得るでしょう。ヴィジョナリー アートとは紋章、つまり種族の家紋のようなグローバルな精神を示す芸術となりうるのです。

それで、ヴィジョナリー アート カルチャーの役割は他のものと連携していると考えています。自然農法やボディワーク、エコロジカル アーキテクチャーといったもの、あるいは外交的な対立問題といったことも、新しい神話、神殿、が現れることによって新たな文化相互作用の仕組みができ、そのことで解決へと促されるのではないでしょうか。私達が将来、自らの深いエコロジカルな共同体の中でともに生きていくということ! そのことが創造的であり冒険的で無いとするなら、いったい私達は何のために、そしてどこへ行こうとしているのでしょう。

Lunaya


芸術への探求はあなたの人生をどのように変化させたのでしょう。


Daniel

私はアートというものを、よく城のようなものに例えています。なぜならそれは神秘の学院といったもので、励みと勇気を得るための自分のための奥室なのです。私はスピリチュアルな先人たちを身近に感じます。アートは、研究と祈りのための意識の方向性に焦点を与える方法となっています。そのようにアプローチしていくのならアートを創造することは一つの瞑想となりうるのです。このことは波風のたたない静かなものを意味するのではありません。曼荼羅の中心へ向かおうとするなら多くの炎と硫黄を体験することでしょう。困難さを持たない作品づくりというものは意味をなしません。「好きな事をしよう。そして上手くなろう。」という意志選択だけが持続させていくのであると思います。上達しようと願えば、そのことが実際になんらかのオブセッションを与えてくれます。

このことは一つの例として、ある種の病や狂気の中に本来の恩寵を見いだすことにも似ています。五年間創作活動に没頭していますが、学ぶべきことがいっぱいあると自覚しています。絵を描くということを見いだしたのは良かったと思ってます。この地上にもっとより多くのものが生まれてきているかのようです。そしてもちろんアートを創造することによって同じような志をもった素晴らしい共同体へと導かれることができました!

コメント(6)

「大天使ミカエル」     「感受性(Receptivity)」       「ソフィア」


Lunaya

あなたの創作した魅力的な風景や天使達の肖像は深いスピリチュアルな空間から語りかけているようです。あれらの肖像はあなたにとってとても現実味を帯びたものに感じるのですが、絵の主題とあなたとの関係について話してくれませんか?あるいはあなたのインスピレーションの性質などについて。

Daniel

それは大きな質問ですね。極めて微妙な何かがあります。それは言葉としてでかかってはいるのですが。それは山のてっぺんに漂っている雲のようなもので、それは日々、頭上にあるのです。私の絵は「neti, neti」の結果でしょう。つまり「not this, nor this」ああでもないこうでもない、という。把握するにはあまりに微妙です。


アートは様々なレベルの存在どうしの相互作用から生まれてきます。つまり自分の中にある高い次元と低い次元どうしの霊的交感です。最近の一連の作品、「ソフィア」「大天使ミカエル」「感受性(Receptivity)」はヨーロッッパの精神性のルーツの探索から来ています。そこにはゾロアスター教、グノーシス、ヘブライ、キリスト教、あるいはスーフィーズムといった途轍もなく詩的な深みと輝きがあります。互いの言い争いを克服し、風呂桶の水と赤ん坊をいっしょに投げ捨てるようなことを止めるのなら、そこに宝箱を発見するでしょう。数千年、埋もれつづけていた神聖な宝石が新たに輝くのです。

力と輝き、そして消え入るように優しいエネルギーはこれらの神聖な潮流の中にあって無限です。それはまた、自分自身のみの中に凝り固まることを好み、透明で謙遜になろうとしない人間のエゴに対する挑戦です。「山々は 主の 前に 揺れ 動き, 丘々は溶け 去る. 大地は 御前でくつがえり, 世界とこれに 住むすべての 者もくつがえる。」こういった力は仮象としての揺さぶりと崩壊です。神は崇高でありながらも強固に訓育しようとし、存在の内にある自己中心性を謙遜へと導こうとします。知恵深い森の魔術師であるPadrino Sebastianoはそういったことを真昼に干上がるガラクタに例えています。

非組織性、個人性というものは無上の基盤です。それはなお心と想像力のうちにおいて無上の表現をします。それはもっとも魅力に溢れた美の波動としてです。アルファとオメガの間には沢山の領域と意識の周波数の段階があります。例えば、アストラル神殿の部屋における清らかな自問、あるいはキリストの子を監禁しようとする二元的矛盾に基づく全世界秩序、仏教徒は後者の領域を「嫉妬の神の領域」として捉えています。

しかし、それら全ての夢やヴィジョンは移ろいやすいものなのです。長大な物語や哲学を構築するよりも、むしろより深いヴィジョナリーな体験の核心のほうが奇跡を生む学びになるのではと思っています。それは柔和であると同時に慎重な配慮でもあって、変容と転換の流れとともにあります。そのことはこの世界で生きる上でも有用であるわけですからね。あるいはたぶん次の世代においても。
私がヴィジョナリーアートを愛している理由は、それが人間の本質に関する驚くべき視点をもたらしてくれるからです。それは商売や性的駆け引き、あるいはエゴといった平俗なものに執着していないからです。あるいは単調な理論ではなく、とりわけそれ自身の中においてオブセッシヴなのです。
多くのヴィジョナリーアートが型に嵌っているのは確かですが、それは「見えない大学」あるいは「見えないギルド」というものに帰属しているという意味あいなのです。様々なものが手渡され教授され、敬意をもって保持されています。私はこの過去の血脈に敬意を払うという視点が好きです。それは革新と伝統との間に調和をもたらす方法なのです。

異なるスタイルにも関わらず、他の芸術家が似たような世界観の雛形、似たような原型へ意識を向けていることに非常な興味をもっています。例えば、今、私が好きな画家、Ohlhaeuserはエルンスト フックスのかつての生徒なんですが、ドイツの戦後世代の多くがそうしたようにヒマラヤを旅して、後の1970年のシリーズはユートピアとしての深いエコロジカルな共同体の魅力を放つものでした。そこにはBoschやArik Brauerの影響があります。私がそれらの絵を見たときに、最善のヴィジョナリーアートがそうであるように、実在論的な印象がありました。その場所がなにか実在しているように思えるのです。私はそれらを「知って」いるのです。それらは私の中で真実であると知っているところの理想世界の描写、奇妙な魅力を放つものたちだったのです。それで、彼の作品に描かれている建物はCarl Sullivanが全く独自に描いてきた漫画の世界にあるものと限りなく同じだったのです。こういった原型の反復はたくさん見つけます。 異なるスタイル、異なる時代であっても、それは同じ理想世界を覗いた別々の窓だということなのです。

それから私が夢で思い描く世界として、サフィックなダキニの王妃達がいる装飾的な場所というものがあります。また新しい動向として注視するものに「ゴシックバロックの幻影」があります。それはファッションや絵画、写真といったものに、集合意識を示す形で現れています。そのことは理想世界の共有、別な表現では、一貫して存在しているスピリチュアルな領域自体を示唆しています。 このように展開していくカルチャーは歴史性とその意識の存在を明らかにしていきます。Mckennaによる「新奇なるものの時代への移入」あるいはSri Aurobindoが語っていた、物質界を形成する超越的スーパーマインド、あるいはとくに人間生命のマトリクスとして語っていたものがその例です。ですからそれはいつか現実の形をとる可能性があるのだと思います。
http://www.danielmirante.com/traditional-art-in-the-modern-world/

幻想美術、ヴィジョナリーアートに関する今日に到るまでの歴史的概要がダニエルによって書かれています。

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