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天と地の結び・橘流写経の集いコミュの七福神信仰と「福の神」について。

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揺れるハート【今日は福の日】揺れるハート

今日は、exclamation ×22009年のむかっ(怒り)2月9日、揺れるハート「福の日」です。常に支配階級によって、虐げられてきた、古代からの「民衆」は、民間信仰の中に、「熱い思い」を込めて、様々に信仰を形成していきました。

むかっ(怒り)「福神信仰」もその大きな流れです。「七福神信仰」に代表されます。
いまでも、各地のお寺は「七福神」参りを「ネットワーク」化し、古来から「民衆」の中に潜在的に存在する「福神信仰」を、自分のお寺と結び付けようと「躍起」になっています。

お地蔵様信仰と並んで、この【七福神信仰】は、日本人の中に深く根ざした大衆信仰です。

「坂東のカリスマ」平将門公も、「将門信仰」として関東では、絶大な人気があります。この将門公もまた、exclamation ×2「かつがれたカリスマ」です。るんるん

将門公は、高天原の末裔族に「担がれて」決起したというニュアンスのことも、加茂喜三先生の本には書いてあります。

この当たりは、平氏の出自をどの様にみるのか?そもそも、何故、平姓の者同士が、戦わなければならなかったのか、など、深い洞察が必要となってくるでしょう。

森秀人氏などは「将門の乱」に関して、「蝦夷(えみし)の大和に対する抵抗」と断じています。そして当時、東日本には、「もう一つ別の日本」があった」と論じています。

関東一円の大和朝廷にまつろわない者たちの反乱という、真実を隠すために、将門公という、「アンチヒーロー」を大和朝廷側は立てて、そこに真実の歴史を封印している感があります。

この辺りのことを指摘しているのが、八切止夫氏です。将門公の事をどのように書いているか、この八切史観まで踏み込まなければ、表面的な「将門像」と言わざるを得ない感があります。ここでは、詳しくは書きませんが、八切史観も一通り眼を通した上での、「まつろわぬ民の歴史探求」が、言わば私たちの間では、ほぼ常識化しています。

むかっ(怒り)「将門公」VS「藤原秀郷公」という、対立概念の中での物語りの方が面白いし、大衆受けはするでしょうが、余りこの枠組みの中だけで物事を捉えると、真実の歴史を封印するための、支配階級側からの「罠」にまんまとはまってしまう恐れがあります。それは、この二千年以上前からの、真実の歴史を封印するための、支配階級側からの「常套手段」だからです。

真実は、当時の大和朝廷側と「まつろわぬ民」側との戦いであったということです。将門公は、その「旗頭」であり、だからこそ、「富士文献」の「神皇」ならぬ「新皇」を将門公は名乗ったのでは、ということを、加茂先生も前掲著で書いています。

これは、むかっ(怒り)「スサノオ」やむかっ(怒り)「ヤマトタケル」にも言えることです。

古史古伝や、伝承、伝説なども加味しながら、当時の「支配階級」たる大和朝廷が、いかに「歴史」を改竄し、「まつろわぬ民」と言われる人たちの歴史を封印していったのかを、あらゆる角度から研究する姿勢が必要です。

尚、史実に出ない伝承として、富士の赤堀本家に残る口伝として、富士の「人穴」部落に住む「赤毛」という者が、将門の乱に呼応する形で乱をなし、富士郡衛を襲ったとあります。 (前掲書『富士王朝の滅亡』284頁)

ここに、現実に富士の人たちと、「将門の乱」がリンクしていたことが、伝承として今でも残っているのです。

満月やや欠け月「ひふみ神示」には、どこにも、【福の神信仰】については、どこにも書いていません。
しかし、岡本天明先生は、その画才から、多くのわーい(嬉しい顔)「七福神」の絵を書かれています。

また、大本は、出口聖師自身がむかっ(怒り)「七福神」の扮装をしています。

つまり「七福神信仰」の元になる「福の神信仰」は、大本にも内在するものです。
もし、大本に「福の神」=「副の神」だという認識があるのでしたら、どうして、その「副の神」の姿を、出口聖師自身がするのでしょうか?

「福の神」が「副の神」つまり「邪神」であるという考えがあるそうですが、それは余りにも、古代からの民衆宗教の流れや、特に大本教学を知らない、一知半解な「教説」と言わざるを得ません。

29「福」という数霊は、反対にすると「92」つまり「国常立大神」につながります。

ちなみに、大本の豆撒きの掛け声は「鬼は外、福は内」ではなく、「福は内、鬼も内」と言います。

むかっ(怒り)【参考】
クローバー【大本節分大祭】
かわいいhttp://city-news.ayabe.ne.jp/kodomo/kyoshitu/setubun.htm

決して「福」に対して「豆」を投げて「神やらい」をするものでもありません。

それをしたら、単なる「国祖」の復讐劇になってしまいます。

富士山「善悪真釣り合わせる」ことが、今回の「主神」の復活への大切な所だと感じます。

そして、「福神信仰」という、大衆信仰が、全て否定されることになります。
お正月に、「熊手に七福神」があり、何処のお店や初詣での人が「七福神」にあやかり、それらを買って家に飾っています。

それらが、全て「福神」=「副神」=「悪神」とされたら、一億総悪神をお祭りしたり、飾っていることになります。それは、余りに「大衆感覚」に反することです。

困ったことを言う方々がいるものです。

富士山大本も、満月やや欠け月「ひふみ神示」も間違いなく、「福は内、鬼も内」の神観の中に立脚しています。

むかっ(怒り)【参考】
クローバー【大本節分大祭】
かわいいhttp://city-news.ayabe.ne.jp/kodomo/kyoshitu/setubun.htm

前にも述べた様に、わーい(嬉しい顔)「七福神の絵」を天明先生は沢山書かれています。

岡本天明先生は、20年近く大本に在籍して、大本のことは知り抜いています。

世界救世教系や真光系では、伊豆能売神として、「大国主神」をお祭りしています。

29が「福」であり、92が「国」であり、そこから、「逆」であるとは、いささか恣意的な解釈です。

「副」という用語は、大本系では、確かに「邪的」に使用され、それは、「ひふみ神示」に流れにもあります。「副守護神」という言葉が「ひふみ神示」にも存在します。

しかし、「福」と「副」は、明らかに違い、「福」は大本・ひふみ神示の流れでも「祭るべきもの」であり、「副」は、「外流的」「主神へと直結しないもの」と考えるのが順当でしょう。

「福」=「副」という神観は、「ひふみ神示」の何処を見ても出て来ません。

それ以外の「教学」にあり、それに賛同されるというのなら、そちらに「恭順」されれば良いと考えます。

むかっ(怒り)私の立場は、「ひふみ神示」やその前提となる大本、天理、そして、古代からの「民衆宗教」の流れの中に、祖型国家としての日本の「宗源的な教え」を探求していく立場です。

今回の私の2月9日の本日が「福の日」であり、「福とは何か?」ということを考えるきっかけにしようとしていることも、その流れに沿った考えと思っています。

そしてわーい(嬉しい顔)「七福神」信仰が、一般大衆の中にこれだけ浸透し、むしろ大衆は、七福神信仰を、一つの「隠れ蓑」として、自分たちの固有の信仰を守って来たという、信仰的な流れが理解できたら、何故、大本の出口聖師が、あの様な「七福神のパフォーマンス」をやったのかが、理解されます。

大本系の流れの中では、「七福神信仰」の中に「みろく信仰」や「主神信仰」の中に源流的な流れがあり、それを、大本の信仰の中に「すくい上げよう」としたのだと私は、考えています。

世界救世教や真光系でも、「大国主神」は「副神」ではありません。

明らかに大国主神は、「福神」です。

節分の大本系の豆撒きも、「鬼は内、福は外」ではなく、「福は内、鬼も内」です。この神観は、「ひふみ神示」の中にも、厳然と存在します。
前記、リンクの綾部新聞の記事をご覧下さい。

平将門の乱も、大和朝廷側は、「将門VS秀郷」という対立構造の中に、「東日本全体を巻き込んだ日本大騒乱」を収束させようとした「策略」が存在します。
本当の「主役」は、東日本に常在していた、大和朝廷に「まつろわない民たち」だったという真実に眼を向けなければいけません。

「まつろわぬ民」の中にも、その出自の違いによって対立構造は、存在します。
支配階級側はその「対立」を利用して、「夷を以って夷を制す」という、「共倒れ」を狙うのが、彼らの常套手段なのです。

将門VS秀郷の対立構造の中に、全ての「騒乱」をひっくるめて、事の真相を隠蔽しようとしていたのが、大和朝廷側の思惑です。
関東以北に、その様に一大勢力があるとは、大和朝廷側でも、歴史的には、認めたくなかった訳です。

日本の歴史を全面的に検証しようとする立場の方々からは、この様な、真実の歴史を「封印」し、大衆を安易な物語的な「歴史」を植えつようとしている存在を「偽史シンジケート」と呼んでいます。この「偽史シンジケート」は、別に近代や現代から出現したのではなく、古代史も全てこの「偽史シンジケート」に操られていたというのが、その考えの根底にあります。
その主体は、「時の支配階級」であり、日本の歴史を彼らの都合の良い様に「作り変えて」来たのが、その真相です。

ですから、「アンチヒーロー」としての「将門公」を、戯作として「誇大」に膨らませ、それに敵対する「秀郷公」を、その相手方として、また「誇大」に膨らませたということです。

真実の歴史は、そんなに簡単な対立構造の中には有りません。るんるん

ちなみに、むかっ(怒り)八切止夫氏は、「将門公」の非実在説を提唱しています。
ただ、将門公の足跡のある所は、全て「まつろわぬ民」の常在した地域です。
彼らが、「将門公」という、「カリスマ」を伝説化していったことは事実です。

むかっ(怒り)私は、かつて八切史観に関しても、彼のお弟子関係の方々と、勉強会もやっていました。そこから、自称「まつろわぬ民の末裔」のその会の主催者から、ある意味で多くのことを学びました。
たまちひめさんも、この勉強会には参加していました。
この辺りのことも勉強されて見ると、新たな「発見」があると感じます。るんるん

コメント(5)

この文章は、私の本日の日記を、少し加筆訂正してこのトピックに掲載したものです。

2009年2月9日は、2929と「福が二つ重なる日」です。るんるん

そのことを、「記念」して、このトピックを立てました。るんるん
ぴかぴか(新しい)民衆宗教の流れの中に、これからの時代を見据えていく、大きな「指標」が存在するという、私の考えからは、従来の歴史観の中で、見落とされてきた、様々な見方や事実わ丹念に掘り起こす作業が、どうしても必要です。

この混迷化する、現代だからこそ、過去の歴史を再検討し、未来に向かう「時代潮流」を俯瞰する必要があると考えるのです。るんるん
この日記の続編があります。るんるん

クローバー【福の神について・2つの話題】

かわいいhttp://mixi.jp/view_diary.pl?id=1076603082&owner_id=17790362
のらさん。

さすがに、この「論争」の中には、入れませんでしたか。あせあせ

それは、「君子危うきに近寄らず」で、賢明な選択です。

こちらのコミュでは、ゆったりとしていきたいと思います。わーい(嬉しい顔)

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