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ジオン総戦力研究所コミュの「モビルスーツにおける標準装備の類似」

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 連邦軍のガンダムが登場し、その量産型ジム、そしてジオンのゲルググにいたってMSは第二世代に移行した、と言ってもよいかと思われる。
 それは、ビームライフル・ビームサーベル・シールドというものを標準装備しているからである。ジムは、厳密にいえばビームライフルではないものの、量産機として始めてビームサーベルを装備し、そしてビームスプレーガンを装備しているので、あえてこのカテゴリーに分類する。

 このあたり、アイディアとして面白い報告が、「ジオンの残業」で報告されている。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~sannbiki/gundam9.htm

一理ある話ではある。独立戦争末期の数ヶ月間でこれらがほぼ同時に出現することを考えると、相手の技術の情報入手が決定的な要素を握った可能性は否定しきれない。
しかし、ここで問題にしたいのは、連邦、ジオン双方でMSの装備の類似はどうして起きたのか?ということである。

 これは推論であるが、MSの開発は、戦前からジオン・連邦双方でかなり研究されていたのではないだろうかと。技術を確立できたのがジオンのほうが早かっただけで、連邦も相当のところまで開発していたと思われる。でなければ、ガンダムのあの完成度は理解できないからだ。ジムがガンダムの量産機ではなく、ガンダムがジムの「高性能機」であるという指摘が過去なされたことがあるが、真相はこれに近いのではないかとさえ思われる。ジオンがザクを、連邦に先立って実戦投入できたのは、ザビ家の「独裁国家」であったことが大きかったであろうと思われる。第二次大戦でのドイツを見ればわかるが、奇抜な兵器の実用化、あるいは試作に、権力者の「鶴の一声」が大きい。馬鹿げてはいても、そこに資材と資金、技術は集まる。かたや、連邦には「議会」という足かせがあるため、先見の明が技術者にあっても、予算を許可する側にその思惑がなければ開発もおぼつかなくなる。皮肉なことに、ジオンのザクの成功が、連邦のMS開発陣に力を与えることになったのであろう。

 第二次大戦中、列強の主力戦車の標準とは、主砲に75ミリ級の40〜70口径ぐらいの20〜30トンクラスの戦車であった。日本、イタリアといった国はここに到るのに時間がかかりすぎて失敗しているが、このクラスが主力になったのにはそれなりにわけがある。
 このクラスの走りとなったのは旧ソビエトのT−34であるが、ロシア人の賢明なところは、一気に新技術ですべてを完成させないところにある。ある程度の信頼性のある技術に、部分的に新しい技術を応用する。主砲が75ミリだったのは、どの軍でも野砲として使われていた口径で、使用実績と技術的な信頼性があるのと、人力で弾薬を装填するのにそれほど無理のない大きさであったためである。これ以上大きいサイズになると、発射速度に問題がでる。自動装填装置のない時代の話である。そうすると、同型の主砲に対抗できそうな装甲と標準速度を維持するためのエンジンの搭載などを考慮すると、ほぼ30トン前後に納められる。30トンというのは、当時の架橋を渡れるギリギリの重さである。これは、来るべき主力戦車がどういうものであるか、ということを当時の技術者が想像をすれば、導き出される姿であったといわれている。
 MSの開発にも同じことがいえて、連邦もジオンも、来るMSの姿は「ビームライフル・ビームサーベル・シールド」の三点を装備したもの、という結論であったと思われる。ジオンは技術的に完成が遅れ、連邦は技術的に完成したが、予算がつかずMSの量産化そのものに遅れをとった、というのが独立戦争時の両軍の姿であろう。
 したがって、ゲルググがガンダムの影響を受けて開発されたにしては、その期間が短すぎるという疑問も、こう考えれば解決すると思うのだが、いかがであろうか。

 結果的に戦局を左右したのは、ジムであって、ガンダムでもゲルググでもなかったが、主力機として量産化を目指した次世代MSとしてのジムの活躍は、こういった技術開発陣の先見の明を表すものである。ゲルググの量産化にも、ジムを量産化に踏み切らせたのと同じ、連邦軍の先見性があれば、ゲルググはもっと大量に戦場に送られて、期待に沿う活躍をした可能性は十分にある。

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