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New † クリスチャンコミュの「いのち」とはどこからどこまで何だろう?

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聖書の中で言っている「いのち」とはどこからどこまでなのだろうか?

創世記2章7節から
 神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。

からとらえると、自発呼吸をし始めた時からいのちが入ったことになり、

多くはただ死んだとしるされ。

特殊なエノクの場合は
 エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。
創世記 5:24

エリヤの場合は
 エリヤはたつまきにに乗って天へ上って行った。  列王記? 2:11

この二人は、いのちを失っていないようです。

イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。 マタイ27:50

からは、心肺停止なのかと推測されます。


コメント(134)

>>[094]

問題は、ローマ・カトリックがそのような柔軟さを持っているかどうかw
>>[94] そのとおりです。使徒信条で聖母マリアは聖霊によって身ごもったとされています:

http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/prayers/creed.htm

あなたはいつからあなたですか?

神の御霊いつ受けました?

創世記2:7
いのちの息
いきものになった

愛を受けないと人間は人間ではないとか

(狼少年?)


>>[098]

ならば、カトリックの見解では聖霊によって受精したということで良いか?

ちなみに貴方が伝家の宝刀として多用しているウィキペディアでは、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%97%E7%B2%BE

>受精(じゅせい)は、精子が卵(または卵細胞)の中に入り込み、細胞分裂によって成長可能な状態になること。定義としては、一方が卵と見なされる場合の接合のことである。動物の場合の接合はすべてこれである。一般に受精といえば動物のそれを指すことが多い。

と定義づけており、受精とは文字通り「精子を(卵子が)受ける」ことである。

つまり、聖霊から精子が放出されたということと理解してよろしいか?
>>[092] 単に相手が呼ばれたい名前で相手を呼んであげると一つの考え方だと私が思っているだけのこと。
>>[103] 神には何でも出来るので必ずしも聖書に直接的に書かれていない具体的方法について私は教えられたことも無ければ知る興味もない。故に精子によらず聖霊によって妊娠したという可能性も考えられる。しかし平信徒として知らなければならないことなら既に教わっている筈なので知る必要は無いのではなかろうか。教会の見解を知りたければイエズス会の神学者が麹町教会で未信者向け講座をもっているので休憩時間にでも質問したらいい。勿論人間は神の被造物であり神は人間を超えた存在であるから神について神学者であれどやはりわからないことは当然ありうるのでわからないことには「わからない」という回答がかえってくることもあり得る:



http://www.ignatius.gr.jp/activities/nyumon.html
信仰入門講座
>>[103] 神には何でも出来るので必ずしも聖書に直接的に書かれていない具体的方法について私は教えられたことも無ければ知る興味もない。故に精子によらず聖霊によって妊娠したという可能性も考えられる。しかし平信徒として知らなければならないことなら既に教わっている筈なので知る必要は無いのではなかろうか。教会の見解を知りたければイエズス会の神学者が麹町教会で未信者向け講座をもっているので休憩時間にでも質問したらいい。勿論人間は神の被造物であり神は人間を超えた存在であるから神について神学者であれどやはりわからないことは当然ありうるのでわからないことには「わからない」という回答がかえってくることもあり得る:



http://www.ignatius.gr.jp/activities/nyumon.html
信仰入門講座
>>[108]

受精とは、文字通り「精を受けること」です。

詳しくは>>[103]のリンクを参照願います。

原罪については教派毎に解釈が異なるため、貴方の言う原罪とはどのような意味かを御提示願いたい。
回答はそれからです。
>>[106]

では、仮に精子に因らず妊娠したとすれば、それは受精とは言えないわけだから、「いのちとは受精した瞬間から始まる」という定義付けからすれば「命を持たない存在」ということになるが、その点については何らかの訂正が必要と考えるか如何か?
それとも「命を持たない存在」という理解なのか?

個人的な見解を避けたいのであれば、貴方が信頼を寄せている司祭の見解でも構わない。

貴方がこの点に何の疑問も抱かず、司祭あるいは神学者に確認する作業を面倒がり、オイラに直接問い合わせろと言って逃げるのであれば、それはそろで構わない。

その場合はカトリックコミュにおいてトピ立てし、カテキズムに詳しい方から回答戴くことにしよう。
>>[110] 繰り返すが私はそのことを知る必要性も興味も感じない。平信徒は本来教義を説く立場にいないのでその問題に興味関心があるのであればあなたが司祭あるいは神学者に確認する作業を面倒がるのは問題であるがmixiのどこかで訪ねたければ好きなようにすれば宜しい。ただし生産的な議論になるか否かには保証がない。
>>[113]
明らかな矛盾があるのに神学者に確認する作業を面倒がっているのは貴方の方だが、オイラはそれを問題とはしない。
思考停止して妄信する自由もあるからねw

では、この続きはカトリックコミュにてトピ立てさせて戴くことにする。
回答する気のない者の生産性の無い言い訳は要らないので、貴方には書き込みをご遠慮願いたい。
>>[111]

そんなことは言っていない。

トピ題に対する回答として「命は受精した瞬間から始まる」と定義する者に対して、例外を提示してその定義の誤りを指摘したに過ぎない。
>>[114] 先ず言い訳ではなく私を含め多くの人には神について理解できる事より理解出来ないことの方が多いという事実がある。そして神学者の様に其を研究することを選択するの聖フランシスコの様に分其を信仰の神秘として受け入れるのも各人の感性に委ねられている。個人的には精子ではなく信条で唱えらるとおり聖母マリアはイエズスはなく聖霊によって身籠ったと私は考える。プルーハはそれ自体神の息吹きであるから万能の父なる神は受精無しに神の母に子なる神を身籠らせることも可能としてはあり得る。とはいえ此は個人的発言なので教義と違っていれば訂正するのに吝かでないがとりあえず平信徒に最低限必要不可欠な知識では無い。
>>[116]

では個人的見解として聖書で扱う命について「受精」という表現は例外を伴うやや不適切な表現であったということでよろしいか?
>>[119]  不適切というより可能性として受精がないこともあり得るということであり教義上はまさしく受精であるかも知れないとは思う。つまり「受精」であるかないかとしか言いようがなく「受精」という語にそって議論をするのであれば「受精」という語が不適切とするかしないか私は判断せずその語を前提として回答する。
[117]に関してLDSの公式見解はありますか?
>>[117]

「受精」という表現にこだわらなくとも、「妊娠した瞬間」と言えば処女懐胎も網羅した表現となる。
懐妊、懐胎、受胎など、例外を伴わない適切な表現はいくらでも存在する。

しかし、あえてその答えを申せば、霊が母の胎内に宿った瞬間であろうと言える。

もっと言えば、命とは肉体という器に霊が宿ることであり、死とは肉体から霊が抜けることである。
>>[128]

生きる=活動する

という意味で言えば、肉体を伴わない霊も生きています。
しかし、霊を伴わない肉体は活動を停止してしまうため死んでいます。

つまり、肉体の有無に関係なく、霊そのものが命なのです。

イエス・キリストの霊(ヤハウェ)はマリアに入る前も生ける神として活動していたわけです。
信じたときから永遠のいのちが、、

信じる前は永遠の滅びが、(?)


信じる前は普通のいのちが、

信じた後は神のいのちが、(イエスさまが生きてる?)

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