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♪スピリチュアル心理学♪コミュのうまくいっていなくても私はOK

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先日こちらのカレッジで授業をしました。日本のワークショップでやっているような体の声を聴いて潜在意識にアクセスしよう!という一日の授業です。イギリス人にしては珍しく(?)素直な人たちが集まったとてもやりやすいクラスでした。(“さぁ立って呼吸の練習をしましょう!”と言って、なんで立たなきゃいけないの?とか言う人がいなかった。)

今回は、主にフォーカシング的なテクニックで、潜在意識の思いや感情にアクセスするのが目的でした。ある女性は、体の感覚に集中しているうちに自分が若い男性で背中に銃をつきつけられている前世を思い出し、“私はひどいことをしでかした”と涙ぽろぽろ流し、ものすごく動揺してしまいました。あまりに動揺が激しいので、しばらくつきっきりでEFT(感情解放のテクニック)をし、とりあえず家に帰れるレベルまで落ち着いてもらいました。

30分程度のエクササイズで、この記憶が出てきたこと、そして彼女の動揺ぶりから、潜在意識が“これを一番に癒して欲しい”と選んできたものなんですね。ですから、彼女にはこれをきちんと解放するよう、プライベートセッションを勧めておきました。

たまたまその前に彼女は、“なにかうまく行かないと、全部自分の落ち度だと思ってしまう”と言っていました。彼女とのやりとりから「自分が悪い、自分は間違っている」というコア・ビリーフ(潜在意識の信念)が彼女にはあるなぁと感じていましたので、この“私はひどいことをしでかした”という前世からの思いはつながると感じました。もちろん、彼女は今までこんな前世にはまったく気がついていませんでした。

前世という言葉を使っていますが、前世とか信じられないという方「潜在意識の象徴的な記憶」と言い換えてもOKです。前世があるかどうかは別にして、彼女からそういった思いと感情が自発的に出てき、ひどく動揺したこと自体は事実です。また、現在の彼女の問題につながっているという点のほうが前世があるかどうかより大切です。(個人的にはあると思っています。)

また、私が「あなたには〜〜という前世があって、そのせいであなたは〜〜」と言うよりも(チャネリングで前世を見てもらうことは、面白いし、役に立つことも多いですが、逆にそれで落ち込む人もいますね。)、自分から出てきたほうが本人が再体験するという意味で、本人にとってしっくりくるし、意味が大きなものとなるでしょう。

また、そこでセラピーを施せば、一気に解放もできて、一石二鳥双子座です。今回授業でほかの生徒さんを放っておけないため、解放はできませんでしたが、最低彼女は、なにを癒すと良いかがはっきりしたかと思います。また、ほかの生徒さんにとっては、体の声(感覚)を聴くことが潜在意識にアクセスする方法としていかに優れているかを実感してもらえたと思います。

話ががらっとずれるのですが、これがブログの良いところなので、筆の向くままに行っちゃいます。ものごとがうまくいかないとき、または大変な目に逢ったとき、それがいくら自分の落ち度でなかったとしても、私たちはふか〜いところで「きっと自分がなにか良くないんだ、だからこんな目に遭うんだ」と思っていたりすることがとても多いです。

たとえば、予約した航空会社がストで飛行機がキャンセルになるなどあきらかに自分のせいじゃない出来事でも、意識上では航空会社を責めていますが、深いところで「こんな目に遭う自分なんて嫌だ」→「こんな目に遭うということは、なにか自分にまずいことがあるからかもしれない」と思っていたりします。

つまり、「ものごとがうまくいっている」→「私はいけている」→「私はOK」。「ものごとがうまくいかない」→「私はいけていない」→「私はダメだ」という思考回路をけっこう私たちは持っているということなんですね。ものごとがうまくいっているかどうかと自己価値が重なってしまっているというか。

私はなにかがうまく行っていないときに、こういう思考回路におちているかチェックしてみます。すると必ずうっすらと「あぁ、私はダメだ」という思いと神様(か誰か)がため息をついて首をふっているような感覚が見つかります。感覚や思いがうっすらしているものほど、実は潜在意識の中ででんと居座っている思いだったりします。

そこで、「うまくいっていないときこそ自分を好きでいるのが無条件の愛だったっけ」と思い出し、目をつぶってしょげかえっている自分涙をイメージし、「大丈夫、大丈夫」と声をかけ、しょげている自分が微笑むうれしい顔までいろいろな言葉をかけてあげます。

起きた出来事を良い意味で受け入れ、自己否定がなくなれば、私たちはもっと楽に早くその状況から抜け出せます。先ほどの彼女も、前世でなにがあったかわかりませんが、自分はひどいことをしたという思いがなくなれば、だいぶ楽に生きられるようになるでしょう。

さて、今週末に5月の「スピリチュアル心理学講座」と東京セミナー、大阪セミナーの募集を始めます。HPとブログにアップしますので、ご興味のある方ぜひチェックしてみてください!!

コメント(9)

あゆかさんこんばんは。
セミナーの案内が上がっておりましたが、今年は別な用事と被ってしまって、いけそうにありません。
3年連続で参加しており、なにかしら身になることが多かったものですから残念です。

ところで最近のあゆかさんのワークショップ、EFTを頻繁に活用していらっしゃいますね。
実は私、いまいちEFTが効く気がしません。
前にブレンダさんの本を買ってやってみたりとかしたのですが、実感できずに手放してしまい、あゆかさんの体感セミナーでも、自分で効き目を実感することができませんでした。
これは誰にでも効くものなのでしょうか?
やるに当たって、なにか気をつけることなどあるのでしょうか・・・。
サイトウさん

こんにちは、コメントありがとうございます。溝口あゆかです。

3年連続ご出席頂き大変光栄です。わーい(嬉しい顔)

今年は残念ですが、またご都合がつくときにぜひいらしてください!

EFTですが、私がクライアントさんや家族などに施したときは、今まで全員に効果があり、今のところ効果がなかった人は一人もいません。(私自身も含めて)

マン・ツー・マンでやらせて頂ければ、どうやっていらしゃって、どうして効果が出ていないのか分かるのですが、文面からでは分かりませんので、こちらのコミュニティでご案内しているEFTのワークショップなど一度参加してみられたらどうでしょうか?

ときどき、感情ではなく思考を解放しようとしている人がいらっしゃいます。たとえば、「一人ぼっちで寂しいけれども、私は私を愛し受け入れます」→「一人ぼっちで寂しい」とだけ繰り返していたりです。これは、「自分が一人ぼっちだ」(思考)ということを繰り返してしまうので、いまいち効果が薄いです。

効果を出すには、一人ぼっちで寂しい感覚が体のどこにあるかをまず探ります。たとえば、寂しい感覚が、胸の奥にあれば、「寂しい感覚が胸の奥にあるけど、私は私は私を愛し受け入れます」となります。そして「この胸の奥にある寂しい感覚」と繰り返しながら、タッピングし、ときどき合間に深呼吸をいれます。

ヨガのやり方を文章で書くような限界がここにはありますので、できればできる誰かに実際にやってもらうのが一番かと思います。

それでは!

PS:もし、次回の私のワークショップにご参加頂ければ、私が実際にワークさせて頂きますよ。
あゆかさん、お忙しいところご回答ありがとうございました。

効かないのは、『効くのかなあ・・・』という懐疑的な思いがあったのも大きいと思います。ほとんどの方に効果があるということで、その辺はクリアになりました。
あと、「私は私を受け入れ、愛します」というところがやっていてすごくうそ臭く感じるのです。
あゆかさんやいろいろなスピリチュアル系の本などでだいぶ楽になり、自分の存在を認めるところまではいっているのですが、そこから一歩踏み込んで、
自分を『愛する』となると、??? さっぱりわかりません。
いろいろなところで『自己愛』が大切ということが書かれてありますが、『自分を愛する』感覚がまったくわからないのでそこからなかなか進めません。
『自己愛が大切』と書いてある著書はたくさんありますが、じゃあ自分を愛するって、どういうこと?どうすればいいの?ということを書いてあるものは少ない気がします。
教えられることではないのかもしれませんが・・・。
サイトウ 様

お気持ち、とっても良くわかります。

確かに、「どうすればいいの?」となると、難しいですね。
小さい時に、ご両親にどのように接されたかが、大きなカギとなると思うのですが、私たちは、やってもらったことは、感覚的にわかり感じることができるけども、やってもらってないことに関しては、どうやっていいのかさっぱりわかりません。頭でわかるのと、心で感じるのには、雲泥の差がありますからね。

私の場合、心を開くということが、どういうことなのか、そして、如何すれば心を開くことができるのかが分からずに、何十年も悩みました。「もう傷つきたくない!」と思っていたからでしょう。
親は、条件付きの愛しかくれませんでしたから、できるだけその条件を満たそうとするのですが、きりがないんですよね。
自分自身は、ありのままの自分でいることを望みながら、そうすると、親には気に入られていないことがわかるので、「幸せとはどうあることか?」と、随分悩みました。
心を開いたままでは傷ついてしまうので、心を閉じ傷つかないでいるために、見て見ぬふりをして、感じないふりをして過ごしたように思います。だけど、心を開かずに生活することも、これまた、とても苦痛でしたね。そして、気がついたら、どうして心を開いたらいいのか分からなくなってしまってた。

心が、カッチンコに固まって溶けない。その硬い心をこじあけてのぞいてみたら、自分の心を守りたいガードが張り巡らしてあり、中で、不安と恐れと憎しみでちじこまっている私に出会いました。

もう傷つきたくない。どうせ、私の本当の心を、わかってくれる人はいない。世間は、欲得ばかりで動いてる。良い人もいるかもしれないが、私には縁がない。他人に、どこまで頼っていいか分からない。甘える?私の辞書にはない言葉だ。人生とは厳しいものだ、休んではいけない、楽しんではいけない、、、などなど。
いや〜・・・・なんだか、自分で書いていて苦しくなってきました。 (読んでる方、ごめんなさい)
こんなことが心の中で渦巻いているのだから、楽しいとか、愛だとかそんなことを感じる余裕はどこにもなかったんです。

で、ついに、こんな人生やってらんね〜!!!!!
もう、やめた!!!!!と叫んでいたのです。(しっかり、過呼吸になってました、このとき。)
それでも、頭の中はかなり冷静で、死んだってこの続きをやるだけだったら、死んでられないな。いや、自殺は、もっと暗い所に行って、もっと下からやり直すことになるらしい。死ぬ勇気があるんなら、今世でつかんでみせる。

そして、忘れてしまっていた柔らかい心を取り戻す決心をしました。
お花を見たり、猫を飼ったり、好きな本を読んだり。緩んでいる自分を許し、私の心がホッとすることを集めてみました。最初は、自分にOK.を出すこと自体が苦しくって、やりたいことをしながらも苦しかったですね〜。あ〜、アクセル踏みながらブレーキ踏んでる〜!ってわかってるんですよ。でも、最初からすんなりいくはずはないんです。この生き方、年季が入ってますからね。

心が苦しくなっても、そのたびに、自分にOK.を出すんです。「それでいいよ、そのままでうまくいってるよ。」って。失敗しても許し、自分を責めることをやめました。そうすると、不思議なことに、「次には○○しよう。」と思えるんですね。失敗して、自分を責めるエネルギーを、次の対策を立てるエネルギーに使っただけですが、同じエネルギーを使うなら、プラスの方向に使ったほうがいいじゃん、って。

サイトウさんも、先ず、ご自分の心をのぞいて、そこに何があるか、素直に、しっかり見つめてみては?
そこに、自分の理想とする人生が描かれているか。もっといえば、自分の心をのぞきこんだ時、楽しくって、にっこりできるかどうか。過去と、未来にとらわれず、今の自分を感じ、今に生きているか。自然のエネルギーを感じて受け取っているか、、、などなど。チェックしてみては如何でしょう?

見ようと思えば、自然の中にも、人の心の中にも(人にもよるが)、愛はいっぱいあるのに、私は傷つくのが怖くて見ないできました。
お花を見て、あ〜きれいだな〜、いい香りだな〜、って優しくなれれば、、、それも愛ですよね。
その優しい気持ちで、ご自分を包んであげて下さい。猫のふわふわで温かい毛は、とってもやわらかな気持にさせてくれますよね。その柔らかさでご自分を包んで上げてください。なんだか、ほっこりしませんか?  (あっ、サイトウさん、猫アレルギーじゃないですよね?)  そんな、まったりとした暖かな気持ちで自分に接してあげたらどうでしょうか。

愛着障害についての本をご紹介します。とても参考になりました。 ヘネシー・澄子さんの「子を愛せない母 母を拒否する子」

スイートポテトさん、コメントありがとうございました。

私は現在苦しいとかいう立場にはないのですが、とにかく『自分を愛する』ということがさっぱりわからないという感じです。
自分を認める、受け入れるというところまではいっているのですが・・・。

今はあまり考えることをやめて、無の状態になるようにしています。


サイトウ 様

ご自分を認めて、受け入れるところまで行っていれば、それだけでもすごいな〜と思ってしまいます。
私は、エゴにすっかりはまり込み、ここから抜け出すだけで、かなりの時間を使いましたから。

ところで、「愛」となると話が別次元に移るかな、と思います。
理論や思考とは別の、「感じる」と言う範疇になるかと。

ニュー・アースの中で、エックハルト・トールは
「内なる身体への気づきに慣れていないなら、しばらく目をつぶって自分の両手のなかに生命感を感じられるかどうか試してみるといい。そのときは、心に聞いてはいけない。心は「何も感じない」と答えるだろう。さらには「もっとおもしろいこと考えたらどうだい」と言うかもしれない。だから心に尋ねる代わりにじかに両手を感じる。つまり両手のなかのかすかな生命観を感じるのである。

この「内なる身体」は、ほんとうは身体ではなくて生命エネルギーで、形と形のないものとの架け橋だ。できるだけしょっちゅう、内なる身体を感じる習慣をつけるといい。」
また、
「自分が全体とつながっている事、すべての「他者」及び「生命の源」と本質的にむすびついていることをまったく認識できない。個の結びつきを忘れること、それが原罪であり、苦しみであり、妄想なのだ。」
と語っています。

私達は、外との関係にばかり目を捕らわれてきたため、内なる自分の本当の姿に出会っていないのかもしれません。自分の内にどんどん入って行き、そこに、うっすらと神とのつながり、植物や動物とのつながりを垣間見た時、安らぎと暖かな幸せを感じます。
全ての生きとし生けるものの中に愛は在るのですが、アクセスするには、自分の意識の状態が大切かと思います。考えることをやめ、感じる時間も大切ですね。

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