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聖書的に日本を見る(文化脈化)コミュのC1-C6について

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 このカテゴリーは、John Travis(偽名)という方によって提唱された、文化脈化の程度を表す尺度みたいなものです。ここでいうCとは、Christ-Centered community(キリスト中心のコミュニティ)という意味です。
以下、ざっとまとめますと、順にこんな感じです。

C1:外国人が集う教会で、礼拝の言語は外国語。賛美も外来のものばかり。現地コミュニティからはクリスチャンと認識されているものの、外部者扱いされている。典型的な英語礼拝の教会など。
C2:現地人も集っており、礼拝も現地語で持たれるものの、賛美は外国の賛美を翻訳したものが殆ど。現地コミュニティからはクリスチャンと見られ、かつまだ外部者扱いされる。英語礼拝の教会を真似た現地人教会など。
C3:現地人が殆ど、または全員現地人の教会。礼拝も現地語。賛美は翻訳されたものも使用するが、多くは現地人によって制作されたもの。現地の風習で、特に土着宗教と関わりのないものは受けいてている。。現地コミュニティからは、クリスチャンと認識されている。
C4:現地人のみ、現地語の教会。かつ現地の風習を、聖書的に許される限り取り入れている。現地コミュニティからは、クリスチャンだと認識されているものの、インサイダーとアウトサイダーの中間のような扱いを受けている。このクリスチャンコミュニティは、時として「クリスチャン」という言葉を使用せず、「イエスの従者」などのような表現を用いる。礼拝は家庭などで行われることが多い。
C5:土着宗教内に留まり、かつ聖書を読みイエスを主と告白する。土着宗教に聖典があれば、それらを併せて使用する。現地コミュニティからはほぼ完全にインサイダー扱いされるか、またはインサイダーなのにイエスを主と告白する、異端的集団と思われることがある。
C6:土着宗教内の内部運動としてのイエス信仰。信仰が表立って表されることはない。聖書よりも土着宗教の聖典を読む機会の方が多い。現地土着宗教からはほぼ完全にインサイダー扱いされている。

 ここで、C1はいわゆる文化脈化が全くされていない教会で、順に文化脈化の程度が強くなります。C6は、むしろ文化脈化なのか、現地宗教との混合主義なのか、非常に見分けることが難しいです。
 さて、これを踏まえて、いろいろ日本の現状について考えてみたいと思います。
1)日本のあなたの教会は、どのカテゴリーに一番近いですか?または、教会と地域社会とのつながりはどうですか?
2)C1-C6のそれぞれについて、福音を伝えたり、教会開拓をする上で、どんなメリットがありますか?
3)2)とは逆に、どんなデメリットがありますか?
4)日本において、この30−50年を振り返って、どんな教会が伸びていますか?また、どんな教会が寂れていっていますか? 
 皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

コメント(2)

 裁くという意味ではなく、単に現在の位置づけと今後を考えて「評価」するという視点で考えますと…
 僕の母教会の例を出しますが、ホーリネス系のプロテスタント教団に所属する教会で、教団および教会自体の設立は日本人によるものなので、その点では高く評価できます。日々の礼拝などに焦点を当てて考えますと、今は伝統的な賛美歌に加えて、現代的な賛美音楽を交えていますが、そのおそらく半数以上が、英語圏に住んでいたら耳にしたことのあるような曲で占められています。また牧師の基礎的神学的素養、教会全体が地域社会とどう接点を持っているかを考えますと(サッカー伝道など未信者が入りやすいグループがあります)、おそらくカテゴリー上は、限りなくC2に近いC3かな、と思います。
 では、C2に近いC3の教会は、地域からはどう見られているでしょうか、ということが問題となってくると思いますが…僕の経験では、そこに教会があることは、地元の方も認識してくださっています。以前、すぐ近くにコンビニがありまして、毎週日曜の礼拝後には、教会の人たちはそのコンビニに行って弁当を買ったものです。そのため、コンビニの店員さんも顔を覚えてくださり、時々「これ、もう捨てるだけだから負けとくね」といった関係を築き上げたことがありました。(それが伝道に直接つながった、という訳ではありませんが)

 もちろん、このカテゴリー分けは、決してC1を否定しC5やC6を推進するものではありません。仮にC1やC2教会が多くても、それで多くの人々がキリストに導かれ、かつ長期的に問題なければ、それでいいわけです。それがC5であっても然りです。しかし、現実的に、こういった点で日本の教会はどうでしょうか?
逆にC5の例はというと、日本では九州の隠れキリシタンの教会がC5にあたるのでは、と思います。C6に近い教会も存在したようですが…彼らの一部は残念ながら、300年の地下生活の後、オラショを唱えることは出来ても、イエスの救いが何かを知ることなく、ただ忠実に、いつか宣教師が海外から来る、と願って祈っていたようです。そうなってしまうと、今度は信仰を保つ意味以上に、信仰の中身が何かが、問われてくると思います。

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