ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

女性ボーカルを楽しむ会コミュのいろいろ雑談トピック♪

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント(17)

mathildeさん、コミュに入れていただいて、「ありがとうございました」。
と先ずお礼を申し上げておいて、ルー・サロメの映画、私も見ました。リルケが最後にチラとでてきましたね。あのあとロシア旅行に行くのかなあ、と思いながらENDマークを見ていました。サロメの名前を知ったのは多分昭和20年代、このコミュの殆どの方は生まれていらっしゃらないでしょう。リルケの書簡集で知って、私もこんなお姉さんがほしいなあ、なんて思ったものです。ロマン・ロランにはマルヴィーダ・フォン・マイゼンブーグがいましたし、リルケにはサロメの他にタクシス夫人というスゴイ教養女性がつきます。男は女に育てられるのです。サロメのことは多分御存知と思いますが、H・Fペータースの「ルー・サロメ 愛と生涯」があります。1964年に出て、その後版を重ねた後、絶版になっていましたが、1985年に新装再版、今は筑摩の文庫に入っていると思われます。これと、白井健三郎さん(銀巴里の小海智子さんの旦那様でエライ仏文学者)が1985年に「ルー・ザロメ ニーチェ・リルケ・フロイドを生きた女」という本を出されています。他にヴェルナー・ロス「ルー・アンドレアス・ザロメ」(薄い本です)が出ています。サロメの著作集は以文社6巻があり内の一冊はマキー「サロメ」評伝になっています。あの時代のヨーロッパには女傑がたくさんいましたね。これで私のサロメ関連の情報は終わりです。また、次からはゲンズブールとファルメール。失礼しました。
サロメ関連情報ありがとうございました。きっとサロンで出会い、手紙のやり取りでお互いの近況や心情、思想や芸術、半透明なベールに阻まれた関係こそ、深く信頼から尊敬、そして恋愛に至ったのかな?大変ロマンチックな感じがします。

ちくま文庫、探してみます。
マサキさん、ちょっと調べてみました。リルケがサロメに出会ったのは22才のまだ殆ど無名の詩人時代で、1897年5月、ワッサーマンにミュンヘンで紹介されました。サロンではなく、ワッサーマンのアパート。リルケには膨大な書簡集があって、それを辿りますと、その翌日、リルケはサロメに早速手紙を出します。
「(省略)、、あの夕方、私はあなたとふたりきりでした。そしてわたしはあなたとふたりきりでいなければならなかったのです―私の作品を神聖なものにして頂いたことへの感謝で、私の心があふれていたあのときは。
私はいつもこう思っています、ひとりの人が何か非常に尊いもののために他のひとに感謝しなければならないとき、その感謝はいつまでもふたりだけの秘密でなければならない、と。」サロメはこの時36才、彼女は21才のころニーチェと交際しているときに「女は愛のために死ぬことはないが、愛がないと凋む」と書いています。36才で22才の若者からこんな手紙もらったら、やはり心は動きますね。私は若い頃、リルケのこの手紙を読んだとき、彼は天性の「女ごろし」だと感服し、私も真似しなければ、と思ったのですが、まわりに幸か不幸かサロメがいませんでした。いたら、今頃破滅していたでしょう。(苦笑)
なお、あの映画は、思い出しましたが、タイトルは「善悪の彼岸」女流監督のリリアーナ・カヴァーニ(彼女の「愛の嵐」は秀作でしたね)の作品でした。主演はドミニク・サンダ。冒頭とラストはマーラーの曲がなっていて、劇中もシューマンやモーツァルトが使われていました。見る人によって、映画への評価は大きくかわるでしょう。ではまた。
愛を乞う為の詭弁。芸術、真理と法則を提示して、それは二人の秘め事で無ければならないで締めくくる。

若いのに凄いですね。

彼女の、愛の為には死ねないが、愛がなければ生きていられない。うーんこれが女性の心理ですね。
相手がより、恋している状況に重きを置くのかな?

あえて貴方を先生と呼ばせて下さいね。先生と言われる程馬鹿では無い。は違いますからね。

俺は馬鹿だから、やっとこの歳になって始めて一人で考えていたバラバラの色んな事が、パズルの様にカチッとハマる様に理解できる感じがするんです。

若い時に読んだり観たりしましたが、上澄みしか感じられず、置いて来たこれらの物が、何故書かれたのか?の動機みたいなものが感じられます。きっと書かなければ苦しくて生きて行けなかったんだと思うんです。

パトシリア・カースには悲しみを感じます。生きる事の辛さや苦しさ、それが根底で感じられるから華やかなナンバーも、彼女と喜びを共感して素直に聞ける感じがします。
マサキさん
あの、先生はいけません。そんなこと仮にでも言われたら、私はこのコミュに来られなくなります。そいうことで、先生を返上した上で書きます。

>やっとこの歳になって始めて一人で考えていたバラバラの色んな事が、パズルの様にカチッとハマる様に理解できる感じがするんです。

マサキさんこそ、このようなことが言えるとはすごいです。私は80がもうそこまで来ているのに、自分ではなにもかもばらばらでナンにも 言えません。一時は悩みましたが、どこかに行き着こう、と思うからいけないんだ、すべて過程のままでいいのだ、と気づいたときあまり、もがかなくなりました。赤塚不二夫?だったかの劇画に「それでいいのだ」と口癖のようにいうキャラがありましたね。ばがぼん(仏の異名)という人だったでしょうか?
今、すぐ正確に引用出来ないのですが、若い頃、小林秀雄の文章(「モーツァルト」だったか?)で人生は目的地へ辿りつくことが問題なのではない、如何に歩くか、その歩き方が問題なのだ、という主旨のことを読んで、そんな馬鹿な、となかなか納得出来なかったことがあります。しかし、結婚し、子供ができ、なんだか「人生」という言葉を実感し始めたとき、小林の言葉の正しさが判りました。マサキさんは私から見れば、随分勉強されていて、実は私はときどき、辞書を広げてマサキさんの使用されている言葉をしらべたりしています。(このことでも、私は先生の資格失格ですね)。うれしい顔

有名なので御存知だと思いますが、ローランサンが何かの詩で「いちばんおんなで惨めなのは忘れられた女」とか言っていましたね。彼女に可愛がられた堀口大学が訳していたと思いますが、これはうろ覚えなので自信ありません。
たしかに女の人は不可解です。(それでいいのだ)

mathildeさん
「髪結いの亭主」良かったですね。私の娘、といってもアラフォーも越えそうなんですが、とてもカンゲキしていましたよ。彼女の旦那様は学者なのであんな映画は判らないとかで、庶民娯楽関係は私が話し相手になります。

さて、「愛のために死ぬ女性」は、現実では多いですね。その点、サロメは強い女性だったのでしょう。強い男、強い女、弱い男、弱い女の順列組み合わせで世の中はもつれて進行してゆく、と単純に言いたいところですが、ゲンズブールやリルケは実は弱いのか強いのか、わかりません。サロメは見かけの弱々しいリルケの中に強い男性のみが持つ「意志」を発見して返って彼に惹かれたふしがあります。サロメがリルケに与えたものと、タクシス夫人が果たした母性的な配慮はまったく違うものです。リルケには山ほど女性がいて、ピアニストや画家や彫刻家や奥様やとにかくいろんな女性が彼との想い出の記録を残しています。皆、女性らしい自己弁護、自己賛美の匂いのするものですが、そこから浮かび上がるリルケは女性的にみえて、じつはだれよりも強かった男性だったのかもしれません。ただ単純な「女たらし」ではなかったことは信じられます。
あの映画「善悪の彼岸」は女ざかりのサロメをえがいていましたが、カバーニの色づけが強すぎたように思いました。梅毒になるニーチェがかわいそうです。
男性の裸踊りは女性解放に共感していたカバーニのやりたかったことなのでしょう。サロメの向こうにボーボワールは見えるでしょうか。
追記
リルケは6才まで女の子の服を着せられて、女の子のように育てられていたそうです。それから、サロメに紹介されたのは、劇場だった、と言う人もありますが、書簡の雰囲気からみて、やはりアパート説が正しいと思います。

「善悪の彼岸」ではサロメがニーチェやレーから連続的にリルケにのりかえたようなとらえ方がされていましたが、史実はそうではないようです。
また少し勉強しましたので、書きます。リルケとサロメの話です。これはマサキさんが言われている男女の問題考察のためでもありますが、昔読んだはずなのに忘れてしまっていることが多いために読み返し、そして、買ったままになっていたリルケ関連の本を読み出したら止められなくなったためでもあります。
リルケの伝記としては、所持している私の場合は昭和23年谷友幸「リルケ伝」(谷先生にドイツ語を習いましたが、ものになりませんでした)を皮切りに、10冊を越えますが、代表的なものは、星野慎一「リルケ研究3部作」手塚富雄「ゲオルゲとリルケの研究」塚越敏「リルケの文学世界」翻訳書ではホルトゥーゼン、ノーラ・ヴィーデンブルック、サロメ、マリー・タクシス、カタリーナ・キッペンベルグ、アンジェロス、レップマン、シャンクなど。他に想い出とか小論とかが沢山あって、カロッサとかヴァレリイなど数え切れないくらいです。レップマンのものが現在の翻訳された伝記では最高ですが、600頁あまりの大冊で9800円もします。一番あたらしく出されたのは一昨年のシャンクの本(2400円)ですがスケッチ程度です。この他に係わりのあった女性たちの回想録が往復書簡集とともに山のように続きます。リルケの書簡というのは、御存知の方も多いと思いますが、ものすごく長いものがあります。いつかサロメあての手紙を読んでいましたら、なかなか終わらないので、調べてみたら、原稿用紙にして(訳したら長くなりますが)270枚余りでした。私は昔、45枚くらい書いたことがありますが、これにはびっくりしました。リルケはサロメと知り合ったときはこの前触れましたように、早速手紙を書き、彼女に毎日会うためにミュンヘンの街を彷徨うのです。
もう今で言うストーカーかもしれませんね。そしてすぐあとに、手紙を書きます。「私はとても寂しい気持ちでした。数輪の薔薇を手に街中やイギリス公園の入り口あたりを、あなたにそれを贈りたいばかりにさまよい歩いたのです」と。そしてお得意の詩を贈り続けます。サロメはいい気持ちだったでしょう。
ここでサロメの話を少し書きます。彼女は例のニーチェや倫理学者のレーとの交渉があり、二人から求婚されますが、断っています。肉体関係はありません。レーは後年自殺らしい形で発見されますし、ニーチェは御存知のように精神を病みます。サロメはなかなかガードが堅かったのです。精神も肉体も。
サロメはリルケと出会ったときには既に「ニーチェ論」を出していました。彼女の本では「リルケ論」より面白くない本で、評判はよくありません。ニーチェの妹がサロメを憎み続けたことは有名です。ちなみに、
リルケと知り合った時は言語学者と結婚していまいしたが、この15才年上の夫とも男女の関係を結んでいません。この言語学者は求婚したとき、自分の胸に短剣を突き立てて、断ったら死ぬ、と言ったのでサロメは結婚したのですが、体を許さないものですから、夫は家政婦?だったか、とにかく他の女との間に二人の子供を作っています。サロメはその一人を後年引き取っています。そんなことで、サロメはずっと処女(こんな言葉もありました)ではなかったか、(つまりリルケが初めての男ではなかったか)、といわれたことがありますが、長くなりますから止めますが、片手では足りないぐらいの男性関係がニーチェ以前にあります。リルケも女性の扱いは天才的でした。ただ、どちらも、男たらし、女たらしではありません。(リルケはサロメと出会って4年後にロダンの弟子だった彫刻家と結婚します)。
以上のことをふまえて、ここから、男女の愛について、考えようとしたのですが、もう時間もおそくなりました。頭も動かなくなってきました。もし動き出したら続けようと思いますが、こんなの、ヤメテ、と思われる方がありましたら、そのように致します。
カースパトリさんマチルドさん。辞書を紐解きながらの御付き合い大変感謝致します。って申し訳ないです。ごめんなさい。
普段文章を書く事が無い俺は思いのままに書いていきます。書く事や話す事に依って自分の考えを披露しながら相手の方の考えをお聞きするのが好きです。

サロメが身体を許さなかったのは、切り札がセックスである事を理解していたからだと思います。
男性はやはり愛する人を抱く事で完結する何かがある気がします。逆に女性は抱かれる事によって何かが始まるんではないかな?
この思いのクロスする一点のみが恋愛の成就です。お互いのベクトルはまたその点から後は離れていくのがさだめだと思います。
また恋愛はミステリーだと思います。パンドラの箱の中身は、人間なら大差の無いものだと思うんです。開けて見ても同じ物しか入っていません。でも箱の装飾は、理性と知性と品格や教養、或いは美貌やお洒落のセンスが個人によって違うと思います。サロメは自分を求めてくれる男性のエネルギーの出所を理解していた筈です。恋愛は結婚や生活のパートナーに発展はしますが、そこで恋愛は終わると思うんです。

受け身である女性と能動的な男性とのぶつかりあいが恋愛だと思うんです。事に到ればそれで消えてしまいます。儚い夢だからこそ芸術のテーマになり得るんだと思います。
マチルドさんもマサキさんも全然間違っています。リルケもサロメも目指しているのは「人間関係」であって、「男女関係」はあとから付随してくるものなんです。精神から肉体へのルートを辿るのです。だから、マサキさんのいわれるような肉体関係が出来たら終わり、なのではなくて、サロメはそう言う男のエゴを拒否したのです。決して、女の肉体を駆け引きに意識的に使うような安っぽい女ではありません。
彼女はとても魅力ある肉体の持ち主であったことの証言はたくさんあり、幼児の時から、若い時の写真はほんとにきれいです。そして、これは大変興味のあることですが、幼児からしっかりした意志を示すような目・口元をしています。精神を感じさせる男性はたくさんいますが、現在はともかく、昔はそんな女性は生意気だといわれました。サロメはそのために、やむなく戦った、とも言えます。結果的には女としての肉体を武器にしたこともあるでしょうが、本意は一人の人間として生きようとしたのです。男性的なエゴ意識を排したリルケは、その意味でサロメに気に入られたのです。彼女はリルケに出会って初めて、女性である前に人間としての自分をみてくれる男をみつけたような気がしたのではないでしょうか。リルケはサロメと別れたあとも、ピンチになると30年にもわたって、サロメに手紙を書きます。サロメも返事を書き続けます。二人は抱き合ったあとも殆ど生涯にわたって、お互いに重要な存在であったのです。少なくとも、マサキさん流のベクトル正反対の男女ではありませんでした。彼には三人の女性援助者がいて、精神的に、物質的に支えてくれます。第一次欧州大戦でリルケが招集されたときも、優遇・除隊運動を起こしてくれたきっかけも女性です。出版社インゼルのキッペンベルグ夫人(想い出の本を書きました)や、マリー・ウント・タクシス・ホーエンローエ侯爵夫人という20才年上の大教養人が相談相手・援助者としています。このタクシス夫人の遺した「リルケの想い出」という本は小冊子ながら、じつに見事なもので、リルケのただ一人の男友達と言われ、親友だったルドルフ・カスナー(哲学者)はタクシス夫人を自分の著書の中で絶賛しています。ヨーロッパ文化が生んだ最高の果実、とでも言いたいような女性だったように私には写ります。リルケはこれらの人に育てられたのです。ほかにも、メルリーヌと呼ばれた女流画家パラディーヌ・クロソウスカ(子供は具象絵画の巨匠バルチュスと作家ピエール・クロソウスキーで、バルチュスの父親はリルケではないか、とうたがわれたこともありましたが否定されています)などそのときときで、重要な役割を果たした女性はいますが、サロメとタクシスとキッペンベルグはリルケ完成には必須条件の存在でした。リルケの「若い詩人への手紙」を、読んだ人は多く、翻訳も種類が多いのですが、高安国世訳(この先生の講義も受けた事があります。結婚されたばかりの頃で、大変きれいな奥様が私の下宿の前の坂道を自転車で通り過ぎてゆかれました。後年先生はアララギの重鎮となられました。著書「わがリルケ」は私の大事な本です)のものが文庫で手に入り安いのではないでしょうか。(2000字以上になりましたので、2つに分けます)
(続き)とにかく、この本のなかで、リルケがデーメルに触れて書いた部分が今の問題にかかわります。ちなみに、デーメルという名に私が始めて接したのは昭和18年片山敏彦の名著「ドイツ詩集」ですが、岩波文庫の「ドイツ詩集」にも名前が出ています。リルケは「芸術的体験は性的体験に、その苦痛と快感に、信じられないほどちかい」ことを認めた上で8年先輩のデーメルを批判します。
長い所からの引用なので本そのものを読んでいただくのがいいのですが、とりあえずポイントだけを写します。
「デーメルの詩作力は大きく、原始的衝動のように力強いものです。(省略)そしてこの力がざわざわと音をたてて彼の本質の中を通り、性の世界まで辿り着く時、その力が必要とするような完全に純粋な人間はみつかりません。そこにあるのは、完全に成熟した純粋な性の世界ではなく、充分に人間的(太字)ではなく、単に男性的(太字)であるに過ぎない世界、欲情と陶酔と興奮の世界、男性がそれによって愛を歪め、愛に重荷を負わせてきた、古くからの偏見や嬌慢を負っている世界なのです。彼はただ男性として愛するだけで、人間として愛するのではありませんから、彼の性的感情にはなにか狭いもの、一見野蛮なもの、醜いもの、一時的なもの、永遠的でないものがあって、それが彼の芸術の品位を下げ、、、」

(これは近くにあった中村ちよさんの訳です。高安さんのものは書庫にあるので)

実は私は、こんなことを書いているリルケ自身が、妻のクララを置き去りにして放浪していることに、何とも言えないわだかまりを感じてきました。クララからみれば、随分勝手な男なのですから。しかし、リップマンの評伝を読んでいますと、だんだん認めてもいいような心持ちになって来ます。私はこれを読むまでの40年間をこだわりを持って、それでもリルケから離れられなかった、ということになります。
さてここまで書いてきて、マサキ流男女交流説はオスメスだけの関係でつまらない、ということになるのですが、リルケと別れたあとのサロメを辿ると、またサロメの逞しい性欲と複雑な言説に微妙な変化が出てきて、私の単純な言説もフラフラして怪しくなります。サロメはこのあとも何人もの男たちをきりきり舞いさせるのです。それも一流の男たちを。
あとはまた勉強しておきましょう。

最後に少し補遺しておきます。レーはサロメと別れてから、14年も経ってから、サロメとの想い出の崖のところで、多分自殺と思われる遺体となって発見され、サロメは大衝撃を受けます。
この事件はサロメがフロイド心理学へのめりこむきっかけになっているようです。
カースパトリさんの流暢で味わい深い文章及び多岐に渡る貴重な資料からの抜粋からの考察。そこから導かれた血肉のかよう内容に感謝致します。俺の先生は本であり、まさかこのような御話が出来る機会があるとは夢にも思いませんでした。


精神から肉体。理性から本能。まず相手を異性としてでは無く人間として認める事。全くその通りだと思います。俺が先に書きましたのは、生物学的にみた考察です。人間には理性があります。これを無視した関係程愚かな行為はありません。

俺がパンドラの箱のの装飾と書いたのは理性です。中身は本能です。

箱の中を開ける鍵が、キーポイントなんです。リルケが何故サロメから鍵をもらったか?それがカースパトリさんの言節された人間としての関係性に依るものだとは明白です。

本来は二人は心中すべきであったと思いますが、そこが映画と違う残酷なドラマなんだと思います。

でもそれで良いんだと思います。

サロメが精神分析に救いを求めたのは、当然の成り行きだと思います。

ニーチェが狂気の闇に飲まれたのも。

本能を制御する事が理性の役目なんですからね。理性に負う人達にはなかなか安らぎや癒しは難しいですね。

ログインすると、残り5件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

女性ボーカルを楽しむ会 更新情報

女性ボーカルを楽しむ会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング