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中東・イスラム世界との対話コミュのイジュティハード(ijtihad)とは

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イスラム教とは、個人の霊的成長という内面と、行動・社会の秩序という人間の外面の双方を扱う宗教です。この点、個人の内面を重視する仏教とは異なる特徴があります。

個人の内面、霊的成長を導く道はスーフィズムと呼ばれます。これはこのトピのテーマではないので詳しくは立ち入りませんが、私たち日本人に分かりやすく説明すると、仏教の座禅のような瞑想を通じた身体的修行により、「悟り」=唯一神との人格的交流、を目指す体系です。

一方、行動・社会の秩序を定めた宗教法も持っています。これをシャリーアといいます。このシャリーアとスーフィズムによって、信仰者は信仰を深め、神を知ることができます。

このシャリーアは法律体系であり、個人の行動から社会の秩序まで定めており、その規定は多岐に及びます。

しかるに、イスラム教の聖典とはコーランであります。スーフィズムにせよ、シャリーアにせよ、この聖典が権威の源泉であり、ここから導き出されるものであります。

しかるにコーランとは、有限の文字数があり、しかも、文明のない7世紀のアラビア半島の砂漠において成立したテキストであり、それ以外の地域・文化・時代の事象にはそのまま適応することができません。

こうして、イスラム教徒の統治世界の拡大、と、新しい文明の吸収、と、新しい文明の受容、のため、ムスリムたちは、コーランが扱っていない膨大な事例に対し、理性を行使して、その新たな事象を扱うシャリーアを構築する必要に迫られました。

それに際して根拠となるもの、その方法を定め、預言者なき後のムスリムたちはシャリーアの更新に勤めてきました。

根拠とは、

1.コーラン

2.ハディース(預言者様の言行録)

3.キヤースORアクル(論理、理性)

4.イジュマー(イスラム法学者の合意)

5.ウルフ(慣習法)

これらを法源と呼びます。

上位の法源に規定のない事象は下位の法源が使われます。

このようなルール・作法に従って、イスラム法学者が、新しい事象に対するシャリーアを構築する行為を「イジュティハード」と呼びます。

こうしてシャリーアの更新を続けてきたムスリムですが、シーア派は違いますが、スンナ派は、ある時期(諸説ありますが、大よそ中世の半ばから終わり)を境に、これ以上の新しい事象に対するイジュティハードは不必要であり、シャリーアは最終形態として完成された、という立場をとることになりました。

ここから、イスラム教の近代改革の問題が生じることになります。

コメント(5)

このコミュで、このイジュティハードが論点となった主なトピの紹介。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=39068420&comm_id=3871028

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=37770261&comm_id=3871028
イスラム法学をきちんと学んでおりませんし、イスラム法学史の専門家でもないので、ざっくりと書きましたが、間違いがあれば、ご修正をお願いします。
>神の言葉であるコーランには、「ヒジャーブを着用しなさい」とか「アバヤ(外套)を着用しなさい」という明文規定はありません。

「女性は性的な魅力を夫やマフラム(結婚が許されない男性親族)以外の男性に見せてはならない」
と書いてあるだけです。

よって、現在多くのムスリム女性が着用しているヒジャーブやアバヤ(これは地域によって様々な名称や形状があり、もっとも過激なのは、アフガニスタンやサウジのような顔も含めて全て覆うものもあります)といったドレス・コードは、このコーランの啓示に基づいて、人間が解釈した歴史的・伝統的に成立した教義です。 <

このコーランの規定にはない「ヒジャーブ」という女性の頭部を覆う布、および「ニカーブ」もしくは「ブルカ」と呼ばれる顔を覆う布の着用というのは、上記のようなイジュティハードの結果により成立したものです。

●(具体的に、あなたたちシリアのスンニ派と彼ら、ワッハーブ派・サラフ派の違いは何か?)

彼らが、解釈や思考を否定して、シリアやエジプトを中心にしたスンニ派の神学の思想を殆ど拒否していることを指摘する。

アラビア半島で下された啓示そのものは、ベドウィン一般に対して下された非常にシンプルなものであり、そのままアラビア半島以外の文明の思想の土壌ではそのまま議論が成立できないような章や節がたくさんある。ローマ・ギリシャ文明やペルシャ文明に接した当初のムスリムたちは、その文明の思想の土俵にたって、イスラム教を正しいと議論する必要に生じ、ここから哲学や神学が誕生した。

例えば、「主は空にいたもう」という節は、当時のベドウィンにとってはそのまま理解されたが、他の文明の哲学的論争においては、「では、空とは何か?空のどこに主がおられるのか?」という議論に答えるため、理性に基づく解釈の必要が生じる。私たちは、「空」を比喩だと解釈し、主は限定された空間としての空に物質を持って実在しているのではなく、この世界全てに普遍的に存在していると主張するが、ワッハーブ派は「いや、空に実際にいる」としか理解しないわけだ。 <

厳密には神学の領域であり、シャリーアの法学上のイジュティハードではありませんが、聖典の新たな解釈というムスリムの知的努力という点で本質的に同じ行為です。
以下、イジュティハードの再開によるシャリーアの近代化の方向性の一つの意見。

> 2.近代化について

●(では、統治論に関して質問したい。確かに、シャリーアによる統治が望ましいのは言うまでもないが、スンニ派はイジュティハードを停止してきた以上、現在スンニ派が有している中世に確立されたシャリーアをそのまま21世紀の現在に統治システムとして機能させることはできないと思うが如何?)

そのとおりである。
(非常にびっくり!これまた、「その正論を堂々と言えるスンニ派同胞は殆どいないので、感謝する」と述べて握手。)

シーア派に習って、私たちもイジュティハードを再開することが正しい選択だ。

●(では、具体論に入る。民主主義は成立するか?)

可能であろう。コーランやハディースには、現在の民主主義の原点ともいえる思想が多く含まれている。決して、実現不可能ではないと信じている。

●(民主主義の前提である表現の自由は如何?)

これを否定したがために、ワッハーブ派は現在のような停滞に陥ってしまった。批判が成立しない社会に進歩はない。預言者様Sが、戦闘の最中に指揮を執っていたが、部下が、戦術の変更を申し入れ、預言者様Sは、その正しさを素直に認め、この部下の意見を採用した。

聖典や主や預言者を否定・中傷しない限りの表現の自由はイスラム社会でも保障されるべきである。

●(女性の政治参加、社会参加、労働は如何?)

まず、西洋のような女性を男性と同質に扱うことは間違っていることを指摘する。体の構造、脳の構造そのものが、お互いに異なっている以上、同質にはなりえない。

しかし、女性が家庭にとどまって、視野狭窄に陥ることも間違っていると指摘する。子供の教育のためには、母親が教養や知識を身につける必要があるからだ。

女性の政治参加は全面的に肯定する。女性は社会の半分の構成要因である。女性の政治参加を阻害する必要はまったくない。

しかし、労働に関しては、法律上の権利として保障するが、政策や社会が、女性の労働を奨励するようなことはあってはならない。理想的には、家庭とのバランスの取れる範囲での労働が望ましい。

●(経済システムに関しては如何?)

おそらく、これが一番困難だろうと思う。湾岸ではイスラム銀行という試みが始まっており、これは第1歩としては歓迎されるべきであるが、ささやかな前進に過ぎない。なぜなら、世界の金融ネットワークは利子に基づいて運営されており、イスラム銀行とて、そのネットワークの一部に過ぎないからだ。この点を無視して、湾岸のムスリムが「イスラム銀行」の成功を誇張しているのは嘆かわしいと思う。

私は経済の専門家ではないので、正確なことは申し上げられないが、多くの自称「イスラム経済推進派」は、そこが浅すぎると思う。彼らは、まずは既存のシャリーアを踏まえたうえで、多少の経済学の知識でそれをくるんでいるだけに過ぎない。

まずは、ムスリムが経済学者として、資本主義経済の歴史や構造や発展や問題を深く研究し続け、その結果を、聖典の規定と照らし合わせ、なんとか利子のない経済を生み出す必要があるだろう。おそらく数十年は必要ではないか?

(利子の合法化は不可能か?)

聖典に明確に規定されているものを変更することは不可能だ。直感的だが、すでに過剰の金融システムの発展は、暴走により、限界を見せていると思う。サブ・プライム問題や、石油先物取引などはその象徴である。債権を転売し続け、実体のない金額が膨らむだけの資本主義の是正に、きっとイスラム経済のあり方のヒントがあると思う。イスラム教では債権の転売も禁止されている。<

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