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中東・イスラム世界との対話コミュのカーゴ・カルトとしてのワッハーブ派分析の試み

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カーゴ・カルト(Cargo Cult,直訳すると「積荷信仰(つみにしんこう)」)とは、主としてメラネシアなどに存在する招神信仰である。いつの日か、先祖の霊・または神が、天国から船や飛行機に文明の利器を搭載して自分達の元に現れる、という現世利益的な信仰である。「海の向こうから神が豊穣をもたらす」と言う信仰自体は、日本のマレビト信仰、琉球のニライカナイ信仰など、アジアの島嶼地域の信仰としては普遍的なものであるが、近代文明の捉え方について独特の形態をとる事が特徴である。

近代まで文明の利器を知らなかった現地人は西洋人が持ち込んで来た工業製品に対して、これは当地の先住民の為に神が作った物であり、白人は神と特別な繋がりを持って不当にそれらを占有したのだ、と考えた。

従ってカーゴ・カルトでは、白人達の振る舞いと同じ様な儀式を行う事で「白人」の影響を打ち破り、先祖が自分達を認識し白人にではなく自分達に積荷を送ってくれる様になる、とされている。また白人は先祖が姿を変えたものだ、という理解もある。

特徴は呪物崇拝としての文明の模倣である。かつて積荷が運ばれて来た時の状況(太平洋戦争時のアメリカ軍の装備や振る舞いなど)を再現して、滑走路もどき、空港もどき、事務所もどき等の模倣施設を作り、ココナッツと藁で作ったラジオもどき等の模倣品を作り、更には島民自身が軍人、船乗り、航空兵の行動を模倣した[1] 。またライフルに見立てた小枝を持ち、階級章の絵や「USA」という文字列等をボディペインティングし、「訓練」や「行進」をこなした。木を削って「ヘッドホン」を作り、それを着けて「管制塔」に座り、「滑走路」に立ち「着陸信号」を振り、「滑走路」をたいまつで照らし狼煙を上げることもした。共感呪術(sympathetic magic)型カーゴ・カルトでは、より多くの飛行機を呼び寄せる事を期待して、藁で飛行機の実物大模型を作り、新しい軍用滑走路もどきも作られた。作られた飛行機はメスなので、これでオスの飛行機が誘われて来るとも考えられた。

カーゴ・カルトに熱中する余り、島の人々の中には模倣施設や運ばれて来る積荷用の倉庫の建設にかまけ、農耕・出漁を放棄した上、莫大な富がもう直ぐ 現れる、という確信の元に豚等の蓄えを惜しげもなく消費したり、また今までの財品は邪魔になると考えて食料や犬の歯等およそ財産と考えられる物は捨ててし まう事もあった。

このほか、予知夢によって、いつ何処から積荷がやって来るかが予言される事がままあった。予言を語る際は痙攣や踊りを伴う。

カーゴ・カルトはメラネシア各地で断続的に発生してきたが、特にニューギニア島で頻発した。北東部のタロ運動、東部のヴァイララ狂信等である。小規模なカーゴ・カルトは西部のアスマット族やダニ族等に見られた。

バヌアツ・ニューヘブリデス諸島のタンナ島で は、アメリカにはジョン・フラムという神がおり我々に工業製品を授けてくれる、という信仰が生まれ、アメリカ人を崇拝の対象としている。ジョン・フラムと いう名前は、「アメリカから来たジョン」という意味の「ジョン・フロム・アメリカ」に由来するものではないかと考えられている[2]。 またイギリスのエジンバラ公はジョン・フラムの兄弟で、積荷を積んだ飛行機の操縦者であるとされた為、信仰対象となった。

カーゴ・カルトの大半は21世紀までに消滅したが、現在でもタンナ島のジョン・フラムやエジンバラ公に対する信仰は続いており新興宗教の様な形に収 まっている。ジョン・フラムが再来するとされている2月15日には毎年祭りが開かれており、バヌアツ国会にはジョン・フラム信仰の議員も存在する[3][4][5]。
孤立した社会が初めて外の世界と接触する際、先住民は衝撃を受け新参者が神通力を 持った霊的存在であると考えてしまう場合がある。しかし時が経つに連れて、外から来た者達が不死の霊的存在ではなく普通の(死を免れない)人間であり、彼 らの力は神通力ではなく彼らの装置(または荷物)によるものであることが明らかとなってゆく。この「魔術的」装置を欲しがる人々にカーゴ・カルトが現れる ことが多いが、貿易で装置を入手することはきわめて難しい。地理的孤立もあって、カーゴ・カルトの関係者はたいてい現代技術に関する知識をほとんど持た ず、西洋人の説明に不審を抱く。キリスト教や現代西洋社会関係のシンボルは、魔術的人工物として彼らの儀式に取り入れられる。文化の違いと地理的な孤立が 独特な思想発展を齎す。

メラネシアの人々のこの信仰は、突如現れた旧来の常識では理解不能な異文明を、旧来の常識を以ってどうにか止揚した彼等なりの解釈の仕方であり、この思考 自体は何ら突飛なものではなく全世界普遍の反応であって「カーゴ・カルト」とは人類普遍の考え方の一部を切り出して名前を付けただけのものである、として いる。

「cargo cult」という英熟語は、本質を理解せず表層のみを模倣する人々を指す。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88

コメント(53)

これに対する、信仰者としてのロジックの反論は、以下の通りの預言者様Sの警告を、私たちが理解できなかったからです。

預言者ムハンマド様Sはこうおっしゃった。

「主の祝福は、私たちのイエメンと、私たちのシリアと共にある」

ネジュド出身の信徒は、こう尋ねた?

「私たちのネジュドは?」

預言者様はただ繰り返す。

「主の祝福は、私たちのイエメンと、私たちのシリアと共にある」

ネジュドの信徒はまた尋ねた。

「私たちのネジュドは、どうなのでしょうか?」

預言者様はようやく答えてこう述べた。

「ネジュドには、悪魔の角が生えている。」
で、ネジュドの原住民たちが愛して止まない食文化を紹介します。
結論のない単純な感想コメントですが(それにしては長いですけれど)

1. 近代化信仰はカーゴ・カルトと同一ではない

カーゴ・カルトは「近代化」を求める行動ではありませんよね。
祖先の霊あるいは神が、西欧文明(=異文化)の利器によって自分達の元に現世利益をもたらしてくれる、つまり西欧文明(=異文化)の模倣による呪物崇拝ですから、例えばインフラの整備という表層的に近代化を求める行動や近代化が幸せをもたらすという価値観とは異っています。

またテクノロジーを信仰のために利用することとは、物それ自身に呪術的意味を付加することは違いますし、個人の行動様式は宗教儀礼ではないでしょう。宗教儀礼とは集団的規模で様式化された宗教的行為のことだと理解しています。

異文化との接触時には、それを受容しようと行動(儀礼や価値観の変容なども含む)と共に、必ずそれを排除しようとする動きもあると考えています。
そして受容と排除の行動は明確に分離しておらず、ひとつの行動の中にも混在するものだと思います。
また異文化の受容においては、呪物的模倣ではない、表層的で単純な行動・生活様式の模倣の方が一般的なのではないでしょうか。
ナジュド地方の遊牧民が西欧近代文明と接した時、それを同時に排除しようとした行動や表層的な行動や生活様式の模倣はなかったのでしょうか。
異文化との接触の総括的分析の中で呪物崇拝的要素が分析されているとより理解・同意しやすいと思いました。

ところで「近代文明に接することなく孤立した社会が、突然近代文明に接した際に発生する人類普遍の考え方」イコール「カーゴ・カルト」ではなくて、カーゴ・カルトは「近代文明に接することなく孤立した社会が、突然近代文明に接した際に発生する人類普遍の考え方」の【一部】を切り出したものでしょう。

2. ワッハーブは現ナジュドにおいてカーゴ・カルトたりえるか

私は法学者でない(真面目にイスラムの勉強すらしていません、はい)ので、ハディースの中のNajdが、今のナジュドであるサウジアラビアを指すのか、当時は別の地域だった(イラク南部という説もあるとか)のか断じられません。
という曖昧な立場での話になってしまいますが、サウジのベドウィンの文化に対するアブドゥさんの表現は、パレスチナ出身のエドワード・サイードの言う「オリエンタリズム」的思考(自らの内部に存在しないものを、異質で不気味なもの、劣ったものして規定すること)のように感じました。
サウジでのトラウマがそうさせているのでしょうが・・・

ワッハーブを保護する10世紀以上前から、現ナジュド(サウジ)にはイスラームが広まっていました(よね?)。
その場合、18世紀のワッハーブの受容はカーゴ・カルト的な異文化ショックをもたらすものだったのでしょうか。
この点を疑問に思います。

また、ワッハーブの受容からさらに2世紀以上経過した現在、その一部(クルアーンあるいは信仰そのもの)をハマスが呪物的にあるいは予言(預言ではなく)として扱うことは、やはり異文化との接触直後に発生し次第に変質していくカーゴ・カルトとは異なるのではないでしょうか。

アル・カーイダの軍事技術や兵器の重視・導入は、カーゴ・カルトにおける宗教儀礼、つまり呪物的模倣ではなく、軍事技術・兵器の本質的を理解したパワーポリティカルな行動ではないでしょうか。
しかしこの点についてはアル・カーイダをよく理解していないので、これ以上突っ込めません(汗)
続きです。

3. ナジュドの伝統的食習慣はワッハーブのカーゴ・カルトとしての分析に関係あるのか

文化人類学を学んだものとして、異なる生活様式や価値観を劣ったものや野蛮なものとしたり、時系列的な文化の変容を単純に発展(進化)とは見ないよう心掛けています(といいつつその視点を時として忘れることがよくありますが)。
というわけで、自分はサバクトビネズミは食べませんが、食べる文化を否定したり劣等視したりしません。
「原始人であるアラブのベドウィン」、「ネジュドの原住民」という表現にも大きな違和感を感じます。

また一方で
> 西洋が近代化に成功する以前には、人類でもっとも進んだ文明を誇っていたムスリムたちは
についても、ムスリムとして、イスラムの理念は真理と考えますが、それと乖離していた当時の実社会のイスラム圏文明が最も進んだものだったのかは疑問に思います。
まあ比較相対的に当時の文明の中では力強かったのだと思いますが、長い人類の歴史の中でどの文明が進んでいたのかは難しい問題ですね。
文化人類学的には文明に優劣はつけませんから。

4. 現状への批判について

> 米国に率いられた西洋の植民支配構造や、その戦闘部門であるイスラエルによる抑圧そのもの、は近代化の立ち遅れの直接の原因ではなく、このような「カーゴ・カルト」に集団で酔って、「イスラム教こそ解決」と信じ、自分たちの過去の文明すら忘れて、「宗教儀礼」に専念していること、であると指摘する。

現状がカーゴ・カルトに集団で酔っているものである、という点については、上記1〜3のように否定的ですが、自分たちの側に真理あるいは正義があれば解決する、あるいは宗教儀礼に専念していることへの批判、は非常に普遍的なものであると思いました。
前者こそが、対立の原因を生むものであり、後者はそれへの解決策の追求を放棄するものだと思います。

アブドゥさんの求めているものは、きっと対立のない日常的な暮らしという「平和」なんですよね。
私がずっと求めているのは、かつて遊牧民がいたところで、近代化や定住化などの物質文化に頼らず、遊牧民が遊牧民としてそこで暮し続けられる方法です。
しかしそれは、不変を求めているのではありません。
周囲の状況の変化の中でも、それに応じて遊牧というシステムを維持していける方法を考えています。
それはアブドゥさんの求めているものに通じるところがあると思います。
それから、アブドゥさんが日本以外の地シリアに帰属感を持たれているように、私はサハラ砂漠の遊牧民たちに強い親近感や帰属意識を抱いています。
でもムスリムとしての行動には疑問点や納得できない点が一杯あるんです。
その矛盾を抱えつつ、それでも親近感があるのは何故なんでしょうね(笑)

私が長く暮らしていたサハラ砂漠南部のイスラムにはかなり伝統的習慣や価値観が残っています。
聖クルアーン、ドゥアー、護符(呪符)の呪術的利用、聖人崇拝に霊廟訪問、etc.
しかしそれは、カーゴ・カルトというより困った時の神頼みという、さらに普遍的な考え方なのだと思います。
この問題での妻との議論は、結婚して15年以上経っても終わりません(涙)
でも互いの愛情で議論を乗り越え、ラブラブの生活が続いています。

しかし信仰者の中には、平和よりも信仰に殉ずることの方が遥かに優先順位が高い人々が少なからずいます。
だから「最も効果的な統治システム」よりも「信仰上の正しさ」に基づいた武力行動が行われているのでしょう。
私は勉強不足のへたれムスリムなので、何が正しいか、断言できる知識を持っていません。
他者を裁くことなど絶対にできません。
大乗的でなく小乗的思考なのですね。
自分と家族を守ることで精一杯です。
だから(という接続詞は変か)「ハマスのロジック」でのkawtharの考え方をかなり納得して読んでました。
ムスリムですが、「信仰上の正しさ」を振りかざるムスリムには一歩も二歩も引いてしまいます(笑)

結局、祈ること、「非常に間接的な」平和を求める行動はしていきますが、それ以上のことはできず、ただ見ているのみです。
ガザ、アイール(ニジェール北部)、キダール(マリ共和国)の紛争のニュースを耳にする度に歯痒くて辛くて苦しいです。

ところで爬虫類って、ハンバル、ワッハーブではハラールなんですか?
基本的なことを知らなくてすみません(汗)
>jujubeさん

ようやく、コメントを頂き、ありがとうございます。

もし、ほかの参加者がこのトピを立てたのなら、修正もしくは削除を管理人として求めたはずです。

でも、ここは、ジャイアン管理人なので、好き勝手にすることにしました。

きっと、同胞ムスリムの良心的かつ知識人の方からきちんとした反論がくるだろうとは予想していました。

ちょっと、今、ガザ情勢で頭がいっぱいなので、jujubeさんの的確かつ丁寧なコメントにきちんとお答えするのは、ちょっと頭が動きません。

ハ●ィクバさんみたく、屁理屈こねて逃げませんから(笑

えーと、「原始人」、「カーゴ・カルト」なーんて、ご指摘のとおり、「差別的」であることは百も承知です。これでも元文化人類学者ですので。

意図的に、ここまでぶった切ってみました。カタストロフですね。

さて、細かい点はともかく、一番重要なのかもしれない質問にはとりあえず、お答えします。

>ところで爬虫類って、ハンバル、ワッハーブではハラールなんですか?
基本的なことを知らなくてすみません(汗)

はい。

私も、ねずみやトカゲってどう考えてもハラームじゃん?って聞きまくったのですが、結論は「ハラール」なぜなら、この種類のねずみとトカゲは、植物しか食べない種類らしいからです。結構簡単でした。

だから、私も「喜んで」一緒に食べましたよーん。ねずみは完食。トカゲは一口で戻しました。

やっぱ、こいつら「原始人」だと確信した瞬間(笑
>jujubeさん

外野席から失礼します。

まぁ、アブドゥさは、ウッディアレンの好きな、ユーモア感覚にあふれる人のようなので、
このカーゴ・カルトとしてのワッハーブ派分析の試みも
ある種のパロディもしくはメタファーとしてとらえるのがよいのではないかと思います
とはいえ、
いずれきちんとした、コメントがあるのも期待したりします。

ただ不思議なのは、アブドゥさんが
敵地である、サウジがすきとかのコミュでみごとな、アラブ批判を繰り広げているのに
アラブ側からの反論がほとんどないことです。
あったのは、ただひとつ
アラブではネズミは食べないよ
だけ。

ミクシィにはアラブなんとか学院のやつらもたくさんいるはずなのに
なぜか
無視。もしくは、反論するほどの頭脳がないか、反論が禁止されているのか。
不思議です。
まず、Kawtharさん、「さん」が抜けてました(汗)
大変もうしわけありませんでした。

広くて深い知識を持ち、冷静な分析をされるアブドゥさんですから、このトピックは確信犯的なものだと思っています。
しかしそれをアイロニカルに受けとらない参加者もいるかも、との老婆心からのコメントでした(笑)
まあそれだけのことですから、議論を急ぐ必要はまったくありませんよね。
議論する必要すらないかも(笑)
というわけで、アブドゥさん、時間があって何か思うことが出てきたらご意見よろしく。
のんびり行きましょう。

> ハ●ィクバさんみたく、屁理屈こねて逃げませんから(笑

これは、このトピックでは全く不要な発言でしょう。
不必要に人を刺激することも、不要な争いの元になるのではないでしょうか。
えらそうにすみません(汗)
>jujubeさん

いいえ♪お気になさらず。
読みにくいニックネーム使ってる私が悪いんです(^^;
カタカナ表記にするとローマ皇帝の名前と間違えられちゃうんですよね。どうしようかと、時々考えるんですが。

ほんとのムスリマ名じゃないので、変えたっていいんだけど、長年愛用してる名前だしなぁ。このまま使ってしまいます。。

あ、jujubeさんの砂漠の写真、拝見させてもらいました。すっごく素敵カメラでした!
>jujubeさん

非常に知的かつ丁寧なコメントありがとうございます。あなたのような知識人とお話できて光栄です。

1.はほとんど同意します。意図的に乱暴な「分析」をしました。学問的には受け入れられないでしょうね。でも、この「カーゴ・カルト」とワッハーブ派の信仰に、ある意味の類似点を感じてしまうのは私だけでしょうか?

>ファイサルさん

>アブドゥさは、ウッディアレンの好きな、ユーモア感覚にあふれる人のようなので、
>このカーゴ・カルトとしてのワッハーブ派分析の試みも
>ある種のパロディもしくはメタファーとしてとらえるのがよいのではないかと思います

ありがとうございます。だいたいそうですね。ウィットです。

>という曖昧な立場での話になってしまいますが、サウジのベドウィンの文化に対するアブドゥさんの
>表現は、パレスチナ出身のエドワード・サイードの言う「オリエンタリズム」的思考(自らの内部に
>存在しないものを、異質で不気味なもの、劣ったものして規定すること)のように感じました。

エドワード・サイードは尊敬してやまない本当の知識人です。ご指摘のとおりです。

>サウジでのトラウマがそうさせているのでしょうが・・・

そうですね。ルサンチマンです。

外見→「アジア人・インド人=奴隷」

内面(信仰)→「スーフィー=墓石崇拝者、ムスリムを詐称する似非ムスリムで、ユダヤ教徒より罪深い」

唯一彼らをしてまともな関係を築ける根拠は、「日本国籍の外交官」という「身分」だけ。

人間性も、信仰者としての共感も、まったく感じませんでしたし、嫌悪感しかありません。

彼らから礼儀のある態度を引き出すために必要なツールは、「権力、金、白い肌」です。

私は意図的にアラビア語を使わないようにしていました。

「アラビア語を使うアジア人・インド人=ご主人様の言葉を使わざるを得ない立場の奴隷」

「英語を流暢に話すアジア人・インド人=きっと西洋に近い立場で、教育レベルも高く、権力があるはずだから、ちょっと警戒すべき奴隷」

インド人ムスリムのジャーナリストで、リヤドに20年在住の方が、「私は、一切アラビア語を覚える意図すらない。インド人がリヤドでアラビア語を話したら、終わりだからだ」と公言していましたが、まったく同意します。

私が、このような「オリエンタリズム」的な態度で彼らを「カーゴ・カルト」と分析しているのは、彼らは「非文明的な、イスラム文明にすら接したことのない、ネジュド砂漠の原住民であり、彼らのワッハーブ派という宗派は、彼らの知的・文明的レベルによって成立した「カルト」である」という認識を、広く持ってほしいからです。

「2大聖地の守護者」は、本当は「2大珍味(ねずみ&とかげ)の守護者」なんだという事実をムスリムも、非ムスリムも共有すべきでしょう。

彼らが、メッカ・メディーナを占領していることや、純粋な「アラブ人」であるとかを根拠に、純粋なスンニ派であり、イスラム教そのものを代表しているというプロパガンダを徹底的につぶしたいのです。

私は、「本当に彼らが、「アラブ人」で、「正しいムスリム」なら、もうアラビア語も話したくないし、喜んで棄教して日本人に戻りましょう」と決心したしだいですから。私が、アラビア語を話し、信仰を続けるという作業そのものが、彼らの「アラブ民族」代表や「イスラム教」代表のプロパガンダに挑戦し続けることにほかなりません。

シオニストのプロパガンダにも対抗していますが、「幸運」にも、なぜか、日本人サヨクが、激しく情熱を燃やしてくれていますし、そもそもシオニストは、外部から暴力を加える「明らかな敵」であるのに対し、ワッハーブ派は、内部からウイルスを撒き散らし、イスラム文明すら破壊し、ムスリムに「カーゴ・カルト」を広める「隠れた敵」であるので、一層脅威だと認識しています。

ワッハーブ派の真の姿を知るムスリムとして義務としての情報戦です。

彼らの差別的な文化を逆手に利用して、「非文明的な原住民」だというレトリックを意図的に使用しているしだいです。

ワッハーブ派とは無縁の素朴なベドウィンたちには非常に申し訳ないと思いますけどね。

とはいえ、私が念頭においているのは、オイルマネーにまみれたアラビア半島のベドウィンだけで、北アフリカの、まして、アラビア語話者ではないベドウィンたちに対して同じレトリックを使うつもりはまったくありません。

>ワッハーブを保護する10世紀以上前から、現ナジュド(サウジ)にはイスラームが広まっていました
>(よね?)。
>その場合、18世紀のワッハーブの受容はカーゴ・カルト的な異文化ショックをもたらすものだった
>のでしょうか。

ご存知のとおり、ベドウィンほど、祖先信仰的な心情に基づいて、さまざまな神話を作り、その神話に関連する自然物を聖視する傾向がありますよね?そして、そのようなローカルな信仰は部族の成立と密接に関連しています。

ワッハーブ派が敵視したのは、そのようなローカルなベドウィン的なイスラム教の受容です。ハンバル派のベドウィン環境でのリバイバルでしょう。

近代化の文脈とは一切関係はありません。

私が「カーゴ・カルト」と関連付けたのは、こうして成立した特殊な宗派であるワッハーブ派が、サウジアラビア建国以降に受容した近代文明に対する態度です。

>また、ワッハーブの受容からさらに2世紀以上経過した現在、その一部(クルアーンあるいは信仰
>そのもの)をハマスが呪物的にあるいは予言(預言ではなく)として扱うことは、やはり異文化との
>接触直後に発生し次第に変質していくカーゴ・カルトとは異なるのではないでしょうか。

ご指摘のとおりです。

ただ、この「類似点」は見過ごせない問題だと感じています。

私はシーア派原理主義について詳しくないので、立ち入りませんが、少なくともスンニ派原理主義のこの硬直的な盲信は、広く見られますし、なぜ、オスマン帝国という西洋をしのぐ繁栄を達成したスンニ派の信徒たちの子孫が、このような停滞と盲信に陥ってしまったのかを考えるときに、「カーゴ・カルト」のワッハーブ派との類似点を感じてしまうのです。

もっと、深い分析が必要だと思います。

>アル・カーイダの軍事技術や兵器の重視・導入は、カーゴ・カルトにおける宗教儀礼、
>つまり呪物的模倣ではなく、軍事技術・兵器の本質的を理解したパワーポリティカルな
>行動ではないでしょうか。

ほぼ同意します。

ウサーマ・ビン・ラーデンが、国際ジハード主義者を利用して描いていたシナリオは、ジハード戦士によるゲリラ戦でソ連を消耗させ、撃退し、最終的にソ連崩壊につながったことを、米国に対して行おうとしていたのでしょうし、今でもアフガニスタンで継続するタリバンのジハードはそれを継承しています。

ただ、これも、ゲリラ戦としては、ロジカルなパワーポリティカルな闘争ですが、米国に対抗できる軍事力・経済力を持った近代国家の建設という視点がまったく抜け落ち、「イスラム教こそ解決」という神話で片付けられているのでしょうから、近代的な建国運動ではないでしょう。
>3. ナジュドの伝統的食習慣はワッハーブのカーゴ・カルトとしての分析に関係あるのか
>文化人類学を学んだものとして、異なる生活様式や価値観を劣ったものや野蛮なものとしたり、
>時系列的な文化の変容を単純に発展(進化)とは見ないよう心掛けています
>(といいつつその視点を時として忘れることがよくありますが)。
>というわけで、自分はサバクトビネズミは食べませんが、食べる文化を否定したり劣等視したりしません。

ご指摘のとおりです。文化人類学者の成れの果てとしては、失格でしょう。とはいえ、私はもうアカデミズムに戻るつもりはないので、そのルールに縛られる必要がなく、ただ単に、彼らのプロパガンダをつぶすための政治的な情報戦をしていることを重々承知です。

とはいえ、一言。

私も、そのような「文化人類学」的な視点で、彼らの食文化に非常に興味があり、レヴィ・ストロースが、アマゾンの住民の食文化を「煮る・焼く・?(何でしたっけ?) 」の組み合わせの中に、文化や構造があると分析したように、きっと、ねずみやトカゲの調理法や、摂取の仕方の中に「文化」があるはずだとすっごく期待して、一緒に狩に出かけたわけです。

で、そのような「文化人類学的期待」に胸を躍らせ、撲殺したねずみをキャンプに持ち帰り、いよいよ、その期待が実現する調理に胸を高まらせた瞬間、彼らが、撲殺したときのショックで垂れ流した糞にまみれたねずみをそのまま焚き火の中に放り込んだのを目撃したわけです。

いや、きっと、いったん焼いてからが、勝負で、これから、なんかスパイスとか神話に基づいた調理法とか部族に関連する行事めいたプロセスが始まるはず!と思い直し、焼き上がりを待ちました。

焼き上がりをそのまま突き出されたときには、もう言葉になりませんでした。塩もコショウもないんですよ。え?なに?って感じ。

「こうやると、皮がつるりんってむけるんだよー」ってバナナの皮をむくように、皮をむき、ねずみの姿焼きをうれしそうに渡されたときのこの気持ちは、言葉になりません。

翌日は、トカゲを狩に行ったのですが、「どうして、何のために食べるの?」って質問したら、「砂漠のバイアグラ」との回答。

「どうやって食べるの?」と聞いたら「ゆでる」。

文化人類学者としても、とても読み取るべき「文化」を見つけられませんでした。
逆説的ですが、おそらく、ローカルなベドウィンの部族信仰と結びついていたイスラム教を破壊したことは、大きな文化遺産の喪失だっただろうと思っています。

以前のネジュドのベドウィンは、きっと豊かな神話や信仰や踊りや音楽を持っていたはずです。

それらの文化遺産をすべて否定することからワッハーブ派が成立したと理解しています。

文化人類学者としても、調査する価値のある「文化」や「信仰」は見当たりませんでした。

なにせ、ありとあらゆる芸術活動がハラームなんですから、当然かと。

よって、文化人類学者として唯一興味があったのが、彼らの「カーゴ・カルト」を髣髴とさせる近代文明への態度そのものだけです。
アラビア半島を起源とするアラビア語話者のベドウィン部族の神話を調査した文献を読んだことがあります。調査地は、ヨルダン渓谷からアンマン一帯の部族。

彼らは、確かにアラビア半島出自の「由緒正しいアラブ民族」の部族ですが、ワッハーブ派を受容せずに近代に至りました。

彼らは祖先の歴史に関する豊かな神話と、それにまつわるローカルな「神聖な」場所をたくさんもっていました。

こういうベドウィンの文化には敬意を払い、すごく興味がありますね。
>ムスリムとして、イスラムの理念は真理と考えますが、それと乖離していた当時の実社会の
>イスラム圏文明が最も進んだものだったのかは疑問に思います。

「乖離していた当時の実社会」って表現が気になります。

私がもっとも誇りに思うイスラム文明は、オスマン帝国とアンダルシアのイスラム文明です。

オスマン帝国は、スーフィー教団が、ギルドや政治組織・官僚組織と密接に結びつき、社会の統合の接着剤として機能し、さらにはアルメニアクリスチャンが通訳として外務省に多数登用されていました。

また、アンダルシアのイスラム文明は、おそらく、形を変えて、モロッコのイスラム文明となったのでしょうが、このモロッコのイスラム信仰の中核もまた、神秘主義と密接に結びついたマラブー信仰ですね。また、私は直感的には、南米のカーニバルという文化も、このようなマラブー信仰が、キリスト教に取り込まれ、キリスト教の聖者信仰となり、それが、祝祭として発展したのが、カーニバルだと理解しています。現在のベルベル人の結婚式のパレードと、スペインのセヴィーリャの聖マリア祭のパレードは明らかに共通点があります。(きっと、探せば、この趣旨の研究があるはずだと信じています)

また、アンダルシア・アラビア語という言語が発達し、文法構造はアラビア語ながら、語彙はロマンス語という、現在の「マルタ語」と呼ばれている言語に非常によく似た言語が用いられ、統治者たちはベドウィンの出自ながら、長年にわたるクリスチャンとの通婚により、非常に白人化していたことも知られています。

また、イスラム教の神学・哲学の発展は、ギリシャ・ローマ哲学、シリア地方のクリスチャンの神学、ユダヤ教の神学などの受容により開始されました。

正直、イスラム文明が発展したのは、このような柔軟な、非アラビア半島の民族・文化・思想・信仰を積極的に受け入れていたからだと理解するのが客観的でしょう。

そこで、「本来のイスラム教に戻ること」を主張するのは、確かに、信仰としては素朴な魅力がありますが、それは、近代文明の拒否のみならず、過去のイスラム文明の遺産すら拒否するという逆接に過ぎません。

>まあ比較相対的に当時の文明の中では力強かったのだと思いますが、
>長い人類の歴史の中でどの文明が進んでいたのかは難しい問題ですね。
>文化人類学的には文明に優劣はつけませんから。

もちろんそうですけど、軍事力や支配地域という客観的な要素では、「強弱」は判断できるはずです。
ご無沙汰しておりました。
事情あってネットでの書き込みを断していました。

すでにjujubeさん、kawtharさん、ファイサルさんの
鋭い書き込みがあるので蛇足となりますが、、、

アブドゥさんの当トピックがウィットに基づいたパフォーマティブなものであることは理解しますが、メタとしての戦略がベタに機能してしまっているところがあり、残念です。文化人類学を踏まえるなら、最低限「原始人」などという言葉は使えないはずです。差別的だということはもちろんですが、「原始」という概念は遅れた文明と進んだ文明という世界観を措定して成立しており、そのレール自体が西洋近代によって敷かれたものであって、その概念を使うことで西洋近代のレール建築に加担してしまうのです。レヴィ=ストロースを挙げていらっしゃいますが、彼の思想の根本は、文化を織りなす「構造」は不可視であるというものです。”文化人類学者”がサンプル採取にのこのこ出かけていき目の前で原住民の驚くべき神話の一例が繰り広げられる・・・というイメージこそがオリエンタリズムです。「トカゲの食べ方」には文化の「構造」はけっして劇的に現出しえません。むしろそのような思い込みこそをレヴィ=ストロースやサイードは批判したのです。アブドゥさんの言い方だと、クジラを食べる日本人は野蛮だというたぐいの偏見と大差なく(「どうやって食べるの?」と聞いたら「刺身で」!)、きわめてベタに機能してしまい、余計に事態を悪化させてしまう。

ただ、カーゴ・カルトというメタファーはとてもユニークで、膝を打ちました。そこで、それはワッハーブやアル・カイダをのみ表象するのではなくて、西洋近代そのものがカーゴ・カルトなのではないかと考えられませんか?アブドゥさんの指摘するサウジ的ワッハーブはオイルマネーという国際的な資本主義市場を前提に顕在化し、アル・カイダはグローバリゼーションの陰画でしょう。
>自分たちの側に真理あるいは正義があれば解決する、あるいは宗教儀礼に専念していることへの
>批判、は非常に普遍的なものであると思いました。
>前者こそが、対立の原因を生むものであり、
>後者はそれへの解決策の追求を放棄するものだと思います。

趣旨をご理解いただいて、ありがとうございます。それこそが、私が同胞ムスリムのシリア人とトルコ人(だけかもしれませんけど)に訴えたいことなんです。

>アブドゥさんの求めているものは、きっと対立のない日常的な暮らしという「平和」なんですよね。

私が求めているのは、シリア地方やアナトリア半島で成立した、このコスモポリタンなオスマン帝国の文化・宗教遺産を積極的に評価して、それに基づいた近代ムスリム国家が建設され、信仰に誇りを持って、祖国を愛して生きていけるようになることです。これ以上、シオニストによる侵略や、この地域の宗教・宗派の共存の破壊が行われないよう、対抗できるだけの力を獲得することです。

>私がずっと求めているのは、かつて遊牧民がいたところで、近代化や定住化などの
>物質文化に頼らず、遊牧民が遊牧民としてそこで暮し続けられる方法です。
>しかしそれは、不変を求めているのではありません。
>周囲の状況の変化の中でも、それに応じて遊牧というシステムを維持していける方法を考えています。

遊牧という非常に特殊な生活様式が、近代化により急速に姿を消していることは、人類のあり方の多様性の喪失として、心を痛めています。しかし、この流れそのものは決してとめられないでしょうね。

すこしでも、今、彼らが有している文化遺産を記録に残し、彼らにそれの一部でも継承するような文化保護政策が必要だと思います。

>それはアブドゥさんの求めているものに通じるところがあると思います。
>それから、アブドゥさんが日本以外の地シリアに帰属感を持たれているように、
>私はサハラ砂漠の遊牧民たちに強い親近感や帰属意識を抱いています。
>私が長く暮らしていたサハラ砂漠南部のイスラムにはかなり伝統的習慣や価値観が残っています。
>聖クルアーン、ドゥアー、護符(呪符)の呪術的利用、聖人崇拝に霊廟訪問、etc.
>この問題での妻との議論は、結婚して15年以上経っても終わりません(涙)
>でも互いの愛情で議論を乗り越え、ラブラブの生活が続いています。

確かに、それらを純粋な信仰者として観察すれば「ビドア」となることは確かですが、私は、正直言って、そのような「教義上の正しさ」で、多様なムスリムの文化・宗教遺産を破壊することに反対します。

「イスラム社会」(アーネスト・ゲルナー?)という名作があるのですが、アルジェリアが、どうして、破綻して、イスラム原理主義勢力の暴力にあふれた国になってしまい、一方で、モロッコは、紆余曲折もありながも、安定した王政による統治が継続しているのか、を、経済政策とか政治とかからではなく、民間信仰の近代化という視点から論じています。

結論から言えば、アルジェリアの原理主義化は、マラブー信仰による社会構造そのものを破壊したことから始まったのに対し、モロッコはマラブー信仰を社会構造そのものから、さらに政治統治構造にまで発展させ、国王がマラブーの長という神秘的なカリスマを獲得したから、安定的な王政となったという分析です。

ローカルな民間信仰を「ビドア」として破壊することは容易ですが、それは、ただ単に文化遺産の喪失にとどまらず、社会構造を破壊し、国家の不安定化を招きかねないという非常に鋭い指摘です。

きっと、パキスタンの混乱も同じような分析が整理するはずです。

この文脈でいえば、シリア共和国は非常に興味深いです。

シリアの国民は、ムスリムもクリスチャンも民間信仰としては聖者信仰が盛んです。政府はそれをできるだけ保護し、破壊しないようにしています。わかりやすくいえば、大ムフティーは、ナクシュバンディー教団出身のスーフィーのイスラム法学者ですし。

紹介したとおり、国策で実施されたソ連への宇宙飛行士派遣に際しては、クリスチャンもムスリムもいたチームが、クリスチャンの旅の聖者を訪問して、成功を祈願していますしね・・・

>しかし信仰者の中には、平和よりも信仰に殉ずることの方が遥かに
>優先順位が高い人々が少なからずいます。
>だから「最も効果的な統治システム」よりも「信仰上の正しさ」に基づいた
>武力行動が行われているのでしょう。
>結局、祈ること、「非常に間接的な」平和を求める行動はしていきますが、
>それ以上のことはできず、ただ見ているのみです。
>ガザ、アイール(ニジェール北部)、キダール(マリ共和国)の紛争のニュースを
>耳にする度に歯痒くて辛くて苦しいです。

どうして、私が今回のガザ虐殺事件をシリア&トルコ愛国者として分析することにしたのかきちんとお話します。

そもそも、「アラブ民族」のミスは、国際社会の意思であったイスラエル・パレスチナ分割案を拒否した上、イスラエル建国を支援する国際社会の存在を無視して、また、自分たちの近代的・組織的な軍事力の評価もせず、単純に人口だけで軍事的優位を確信し、自ら宣戦し、英国や仏やドイツのみならず、ソ連や米国まで敵に回して、イスラエルに敗戦した上、彼らが長年計画していた民族浄化を実行する口実を与えた上、アラビア語話者として同胞であったユダヤ教徒をプレゼントしたという戦略的なミスから始まっています。

あの時、戦略的思考ができる指導者がいれば、暫定的にこの分割決議を受け入れ、民族浄化を阻止し、イスラエル国とパレスチナ国での人口的優位を確保した上、長期的な富国強兵策により、人口に劣るイスラエル人を圧倒することができたはずです。

私は、このシナリオに立ち戻るべきだと思っています。その最初の選択が、シリア・トルコ・イラン同盟ブロックの構築であり、この3国による富国強兵策を実施し、また、30%のアラビア語話者のムスリム・クリスチャンのイスラエル国籍者の人口増加を待ち、長期的に上記のシナリオを実行することを主張します。

これ以外に、このパレスチナ人同胞の悲劇を解決する道は思い浮かびません。

ですから、この土地で子供を育て、次世代にこのシナリオを託したいのです。
>29

またまた、レベルの高いコメントを頂き、うれしいやらつらいやら・・・

えーとまじめに行きますね。

>「原始」という概念は遅れた文明と進んだ文明という世界観を措定して成立しており、そのレール自体が西洋近代によって敷かれたものであって、その概念を使うことで西洋近代のレール建築に加担してしまうのです。

あ、これは、簡単です。アラビア語話者自身が、「文明の民」と「砂漠の民」という言葉の対比で、自分たちの世界観を構築していて、その前提は「都市の定住者=文明化された市民社会、砂漠の民=文明に接していないベドウィン部族社会」です。

シリア人に対し、まず、ねずみととかげの写真を見せた上、「彼らは、「自分たちこそが、正統なアラブ人」だと主張しているから、これが本当の「アラブ人」なんだけど、君たちはいったい全体「アラブ人」なのかね?」と尋ね、徹底的にベドウィンたちとはアラビア語と聖クルアーン以外にはまったくの共通点がないこと、むしろ、現在は国境が引かれてしまったアナトリア半島のトルコ語話者との外見・食文化・風習・宗派・民間信仰の共通点を、歴史的な事実を挙げて追い詰め、最後に、「だから、君たちは、かつてはシリア語を話していたクリスチャンの文明の民のシリア人であって、歴史的な現象として、アラビア語を習得し、ムスリムに改宗したに過ぎない。同様に、アナトリアの住民も歴史的にトルコ語を習得し、ムスリムに改宗したに過ぎない。あなたたちは、シリア人として連綿として文明をつむいできて、イスラム文明はその延長線であり、そのもっとも繁栄した文明がオスマン帝国であり、あなたたちは名実ともにオスマン帝国の中核のひとつであったシリア地方のアラビア語話者のオスマン帝国臣民の子孫である。」と説得すると、非常に効果があるんです。

イラン人が、よく自分たちは古代文明のペルシャの民であって、砂漠の民である「アラブ人」とは根本的に異なった民族だというアイデンティティーを持ちますが、これと同じロジックをシリア人ももてるはずなんです。

>レヴィ=ストロースを挙げていらっしゃいますが、彼の思想の根本は、文化を織りなす「構造」は不可視であるというものです。”文化人類学者”がサンプル採取にのこのこ出かけていき目の前で原住民の驚くべき神話の一例が繰り広げられる・・・というイメージこそがオリエンタリズムです。「トカゲの食べ方」には文化の「構造」はけっして劇的に現出しえません。むしろそのような思い込みこそをレヴィ=ストロースやサイードは批判したのです。

なーるほど、私の理解が浅かったということですね。

まあ、修士1年目にして中退してサウジに島流しになったわけなので、その辺はご容赦くださいな。

またそのうち、レヴィ・ストロースはきちんと読みます。

>アブドゥさんの言い方だと、クジラを食べる日本人は野蛮だというたぐいの偏見と大差なく(「どうやって食べるの?」と聞いたら「刺身で」!)、きわめてベタに機能してしまい、余計に事態を悪化させてしまう。

えーと、言い訳かもしれまえんけど、日本人の鯨文化って深いですよね?

トーテミズム的な信仰の対象になったり、鯨を狩る時の民謡があったり、刺身だけでない、さまざまな調理法があったり、伝統的なからくり人形(?)の仕掛けに鯨のひげが使用されたり、鯨を食することから起因するさまざまな文化的な広がりや遺産がありますよね?

そういった文化的な豊かさをまったく見出せなかったと思ったとご理解ください。

それと「野蛮さ」を結びつけるのは上記のとおりの戦略です。

>ただ、カーゴ・カルトというメタファーはとてもユニークで、膝を打ちました。

ありがとうございます。かなり乱暴ですが、これくらい乱暴な「分析」でもしないと、ワッハーブ派の特殊性を切り取れないんです。教義上の正しさだけで、表層的な議論をすると、多くの学の浅いスンニ派信徒は、彼らの「正統性」を受け入れてしまいますから。

>そこで、それはワッハーブやアル・カイダをのみ表象するのではなくて、西洋近代そのものがカーゴ・カルトなのではないかと考えられませんか?

それがいまいちピンと来ません。だって、オリジナルの西洋近代さえ、「何か」の表層的な模倣だとすると、いったい何がオリジナルの近代なんでしょうか?堂々巡りです。

>アブドゥさんの指摘するサウジ的ワッハーブはオイルマネーという国際的な資本主義市場を前提に顕在化し、アル・カイダはグローバリゼーションの陰画でしょう。

これは、3年間のねずみ・とかげ暮らしで一秒毎に考えたアイロニーです。そのとおりなんです。

彼らの「カーゴ・カルト」のようなワッハーブ派という信仰は、国家としては(近代国家以前に、中世のイスラム国家としても成立しなかったでしょうね)破綻すべき宿命だったのに、石油資源と資本主義経済が、逆にそれを延命させ、そのオイルマネーと、それを基盤に構築されたグローバルなネットワークを武器に、ワッハーブ派のジハードを世界規模で実行したのがアル・カーイダなんですよ。

さすが、本質をずばりとつかんでくださって、ありがとうございます。
アブドゥさん、ご返事ありがとうございます。

別のトピックで「創造の共同体」(これはB・アンダーソン「想像の共同体」を踏まえたものだと思います)について述べていらっしゃるし、釈迦に説法ということを承知でレスいたします。

>日本人の鯨文化って深いですよね?

いいえ。その「浅い」「深い」という尺度は一体どこにあるのですか?愛国心の発露は個人の自由ですから感情のレベルであればいくらでもそういう話はできるでしょうけれども、「文化人類学」という言葉を出した以上はそれはナシです。文化人類学の歴史は、異文化に対して「文化的な豊かさをまったく見出せ」るかどうかを決定する特権的な「視点」についての批評の歴史でもあります。ひとはそれから逃れられるものではありませんが、それを意識の側に引っ張りだすことはできます。レヴィ=ストロースはそのような「視点」にがんじがらめにならざるを得ない西洋人としての自分を徹底的に意識し、だからこそ数学的な分析手法を用いながら自分の「視点」では見えざる差異の体系を浮かび上がらせようと努力したのです(それが成功したかはさておき)。

「鯨文化」は一般的な西ヨーロッパ中流階級の「視点」からは「浅い」文化に見えるのではないでしょうか。「深い」「浅い」というのはどちらも自分たちの属する「内部」から出られていない表現だと思います。「いや、外は寒いし内部のほうが温かいからいいんだ」という愛国心もおおいにけっこうですが、それで異文化を評価することはできかねるでしょう。

>オリジナルの西洋近代さえ、「何か」の表層的な模倣だとすると、いったい何がオリジナルの近代なんでしょうか?堂々巡りです。

まさしくその通りで、「オリジナル」なんて無いのです。逆に言うと「オリジナル」があるという「信仰」が西洋近代の正体です。サイードが『オリエンタリズム』で言っているのは、本来文明や宗教は多重的に発展し複数形で現存しているはずなのに、それがある一点から記述され、さらにいびつに逆転して文明や宗教がその記述の内部に取り込まれてしまうシステムが駆動している、ということです。


>イラン人が、よく自分たちは古代文明のペルシャの民であって、砂漠の民である「アラブ人」とは根本的に異なった民族だというアイデンティティーを持ちますが、これと同じロジックをシリア人ももてるはずなんです。

近親者が偽ディオニュシウス・アレオパギタの研究をしているので5世紀〜のシリア地方で知的ルネッサンスが華開いたことをよく聞いています。乱暴にまとめると、ギリシャ→ビザンツ→シリア→アラビア→ヨーロッパという知のルートがあった。むろんこれは単線ではなく複線でユダヤやキリスト教異端などもからまって多層的に成立していったわけですが、この矢印を見るだけでも例えば「ヨーロッパの単体の優越」なんてことは妄想にすぎないことが分かるはずです。イランもまた然り(近代イランの重層構造についてはハミッド・ダバシはお読みでしょうか?昨年邦訳されて感銘を受けました)。


その他、といよりもキモの部分には賛同するところが多いです。
西洋近代を基盤に成立したグローバル資本主義世界があり、その鏡像としてのサウジ的ワッハーブを解体的に批評していくことがイスラムのオルタナティブにつながっていく。…が、そのカウンターとしてシーア派やトルコ、シリアに優越を置いてしまうところに僕はどうしても引っかかってしまうのですね。それは戦略であってキモではないと言われればそうかもしれませんが。また僕の場合、非アラブ語話者のアフガニスタンへの思い入れが強く、アブドゥさんの描く構図でそのあたりがすくいとれるのか?ということもあります。
>まさしくその通りで、「オリジナル」なんて無いのです。逆に言うと「オリジナル」があるという「信仰」が西洋近代の正体です。サイードが『オリエンタリズム』で言っているのは、本来文明や宗教は多重的に発展し複数形で現存しているはずなのに、それがある一点から記述され、さらにいびつに逆転して文明や宗教がその記述の内部に取り込まれてしまうシステムが駆動している、ということです。

>近親者が偽ディオニュシウス・アレオパギタの研究をしているので5世紀〜のシリア地方で知的ルネッサンスが華開いたことをよく聞いています。乱暴にまとめると、ギリシャ→ビザンツ→シリア→アラビア→ヨーロッパという知のルートがあった。むろんこれは単線ではなく複線でユダヤやキリスト教異端などもからまって多層的に成立していったわけですが、この矢印を見るだけでも例えば「ヨーロッパの単体の優越」なんてことは妄想にすぎないことが分かるはずです。イランもまた然り(近代イランの重層構造についてはハミッド・ダバシはお読みでしょうか?昨年邦訳されて感銘を受けました)。

一人の単なる思想家っておこがましいか、知識人ってのも僭越、研究者の卵、あ、これか、だったころは、こういう、「脱構築」的な現代思想にとっても傾倒していました。

それを思想として否定するつもりはまったくありません。私も、とっても思想としては大好きなんです。

私は、今、シリアやトルコの愛国者として、この地域での機能するナショナリズムを考え出すことを試みているつもりで、決して、アカデミズム的な正しさや、現代思想の試みを行うつもりは、もう、まったくないんです。

それが、きっとNOSさんと根本的に違うところだと思います。

だから、乱暴に「原住民」とか「未開」とか「文明の発展度」という、西洋近代的な概念を敢えて持ち出している自覚は十分にあります。

ナショナリズムを構築するためには、いったんは彼らのロジックを逆に利用しない限りは成立しないと思っています。

脱構築というキーワードは、ナショナリズムを経過して、十分に成熟した西欧社会において説得力のある思想で、ナショナリズムによる近代化すらままならない地域や国民は、それでは決して救われません。

日本が明治維新以降、積極的にこのような西洋近代的な概念により、周辺アジア諸国との関係で自己定義をしたように、いかなる国のナショナリズムでも、同様だと諦めています。いうなれば、確かに戦争はないほうが言いに決まっているけど、それを今すべて否定したところで、それに代わる機能するモデルがなければ、理想論に過ぎないのと同様に、ナショナリズムも必要悪だと思っています。

近代化が成熟した知的空間において、脱構築のような思想は非常に魅力がありますが、その行き着く先って、すごく乱暴に言えば、「アナーキズム」になってしまうのではないでしょうか?

リゾームとか、ベドウィンとか、概念はいっぱい聞きますけど、でも、社会の解体を目指しているように思えて仕方ありません。

少なくとも、今のシリア地方のムスリムやクリスチャンや(ユダヤ教徒)にとって必要なのは、機能するナショナリズムの立ち上げなんだろうと信じています。

そして、他者として排除すべきなのは、ワッハーブ派に代表されるベドウィンたちの「野蛮な」信仰や社会であり、ある程度の見本として成立しているのが、トルコ共和国なんだと思います。

>…が、そのカウンターとしてシーア派やトルコ、シリアに優越を置いてしまうところに僕はどうしても引っかかってしまうのですね。それは戦略であってキモではないと言われればそうかもしれませんが。

明確です。私が愛する土地と民はアナトリア半島を含めたシリア地方であり、信仰者としてスンニ派スーフィーとして魂の帰属をオスマン帝国に感じます。そして、イランは人権や民主主義の問題を抱えながらも安定した政体を獲得した地域の大国のイスラム国家であり、シリアの同盟国だからです(また、個人的にイランの文化や歴史が好きだってのもありますけど)。

私は、「アラブ民族」にも「イスラム世界(の全土)」にも、興味がないんです。

シーア派の優位は、なんでしょうか、ワッハーブ派の敵の敵だから味方という連帯感や、シーア派イスラム主義の限定的な成功や、イジュティハードの継続や、スーフィズムと正統教義の完全な融合などなど、すばらしい点を率直に認めているからですね。でも私自身がシーア派の根幹を完全に受け入れることは難しいように思いますけど。

>また僕の場合、非アラブ語話者のアフガニスタンへの思い入れが強く、アブドゥさんの描く構図でそのあたりがすくいとれるのか?ということもあります。

行った事もなく、調べたことも学んだこともない地域や民について「中東研究者」とか「イスラム研究者」などと自称して語るような恥ずかしいことはできませんけど・・

私が心配なのは、サウジとパキスタンの国策により定着してしまったタリバンというワッハーブ派のコピーの行く末です。このまま拡大し続け、根絶不可能であれば、アフガニスタンの将来は非常に暗いでしょうし、私はオバマの増派政策はむしろ逆効果なんじゃないかと疑っています。

正直、タリバンの抑圧から国民を救い、アル・カーイダのロジ基盤を破壊する必要は国際社会のアフガン人への贖罪だったと思いますが、米国という復讐心に駆られた大国が主導権を握るのは適切ではなかったと確信しています。

今からでも米国にはできる限り手を引いてほしいですね。でも誰がその穴を埋めるのかって問題がありますけど、トルコとかエジプトとかシリアとかブラジルとかでなんとも、ならないでしょうね・・・
アブドゥさんのシリアへの愛と実践に関しては、美しい越境行為であり、敬服し応援いたします。

意図は伝わっていると思いますが、「文化人類学」や「サイード」が使用されていたのであえてその文脈にのっとり批判したのです。それと僕は「脱構築」云々ということは一言も書いていません。ここで主張したことはむしろ「近代」批評であって、現代思想云々は関係ありません。

トルコのすごいところは、軍が宗教や衆愚政治へのカウンターとして機能しているということです。この点アタチュルクは西洋近代をよく分かっていて、見事に逆転して応用したと言えるのではないでしょうか。

アフガンータリバンについてはオバマ政権に変わってますます危惧を強めざるをえません。アブドゥさんは理屈でなくナショナリズムをと言いますが、タリバンについて世界で理解されていないことは、それがパシュトゥン人の民族運動=ナショナリズムという側面を持っていることで、むしろそれをパキスタン長老派やアル・カイダがイスラム原理主義で上書きしたところがある。
>タリバンについて世界で理解されていないことは、それがパシュトゥン人の民族運動=ナショナリズムという側面を持っていることで、むしろそれをパキスタン長老派やアル・カイダがイスラム原理主義で上書きしたところがある。

支持。私もそう思います。

タリバンを壊すことはパシュトゥンをそのまま壊そうとするのと同じことのような気がします。タリバン政権であってもなくても、あの地域のほとんどの人はアフガンブルカを特に迷いなく着用してますし、自由のなんのと言って無理な近代化を押し付けると反発されるだけで、それはかえって混乱を招きますよね。完全武装解除もやる必要なし。パシュトゥンの男は全員サムライだと理解したほうが話は早いと思います。
パキスタンの自治地区、トライバルエリアを見ればわかるように、あの地域はパシュトゥンの伝統に法って統治するしかないと思うんです。そして、彼らは、こちらが変につっつかない限り、山岳地帯からあえて平野部に食指を伸ばしたりしません。領土拡張などの野心は持っていない人たちだと思います。
パシュトゥンのことはパシュトゥンに任せていればよいだけのこと。簡単な話なのに、アラブの過激派と世界が欲しがる石油利権が絡んで来たからややこしくなっただけなんじゃないでしょうか。

私も、最近になって、中東のものさしとパキスタンのものさしは全然違うんだなって気付いたところなんですが・・・。パキスタンの混乱・攻防は、大陸の勢力争いの縮図であって、もっとでかい尺度で見ないと説明できないと思います。

パキスタンの混乱の理由をムスリムの文化や宗教遺産に支えられた社会構造の破壊に求めるのは飛躍でしょうね・・。ていうか、パキスタンの聖者廟、アフガンにウサーマが来たからってべつに減っていません。昔どおりに、みんな「遊びに」行ってます。パキスタンをひとつにまとめているのは多数派であるスンニーの教義だとは思いますが、それ以上にねちっこく人々に絡み付いてるのは地縁・血縁てやつで、宗教思想ではないと思います。
ん。でも、中東だってユーラシア大陸だし、トルコにはたしか中央アジアからのパイプラインがあったはず・・・・。

と思って、ちょっと検索してみました。
トピずれですが、ブログのURL貼ります。興味ある方は読んでみてください。私もまだざっとしか見てないし、記事についてのちゃんとした感想は書けないけど・・・。
http://yasumiyama.blog60.fc2.com/blog-category-63.html
(カスピ海の原油にまつわる攻防について詳しく書いてあります。地図は全部ここから拝借)

http://plaza.rakuten.co.jp/yukie73/diary/200804220000/
(トルコのパイプラインがロシアの中央アジアへの影響力を弱めた話)

http://www.tkfd.or.jp/blog/sasaki/2008/06/no_278.html
(ロシアを抑えたいアメリカがトルコと手を結ぶ話)

トルコ経由のパイプラインはヨーロッパを主な市場としているので、妨害されずにうまくいってるみたいですね。トルコがEU加盟を頭から拒否されない理由も、ここらへんのエネルギー事情が関係してるのかも、と思いました。
アフガン・パキスタンの安定のためにトルコなどが骨を折ることはまずないでしょうね・・・。アフガンのパイプライン構想が頓挫したままのほうが、彼らにとっては得だと思う。。。
ファイサルさん、

かなり遅い反応ですみません。
コメント興味深く読ませていただきました。

「サウジアラビアが好きな人!」でのアブドゥさんの発言とそれに対する反応も読ませていただきました。
・無批判にサウジアラビアが好きな人が集りたいコミュなんだろう
・日本語という彼らにとってアウェーな環境では議論が難しいだろう
という感想です(笑)
アブドゥさん、
丁寧な返答、ありがとうございました。
私の言いたかった多くのことはすでにnosさんが述べられています。
それとできるだけ重複しなようにしたいと思いましたが、それでも強調したい点は一部重なってしまいました。
ご容赦ください。

A. オリエンタリズムを越えたロジックを

1〜15までの試論については、18以降の説明でその「動機」と「目的」は理解しました。
では、その「手段」として今回の文化人類学的アプローチは有効か?
正直なところ、残念に思う点があります。

戦略的に文化人類学的手法を用いようとするなら、最低限その共通認識を守らなければそれは武器たり得ず、説得力をなくしてしまうと思います。
カウンターショックとして意図的に使われたはずの「非文明的な原住民」というレトリックは、むしろこの試論を「オリエンタリズム」から脱却できていないもののように貶めてしまっていると感じます。
「アカデミズム的な正しさや、現代思想の試み」(35)としてでなく、「政治的な情報戦」(25)とするなら猶のこと、このような充分予想される批判の余地をしっかりと排するべきではないでしょうか。
「オリエンタリズム」や「オキシデンタリズム」を越えたロジックで、ハマスやワッハーブを分析できないでしょうか。

なお、私自身も純粋な学問的議論を求めているわけではありません。
文化人類学(や社会学や言語学や農・林学や史学)を学んだのもそれをツールとしてサハラの遊牧民の暮しに関わりたいと思い続けているからです。
「永遠に呪われた亡命者」(サイード)として、自分の知識と経験を彼らと共有し、彼らにそれを生かしてもらいたいと思っています。

B. 主体に不可視な構造の存在

ではオリエンタリズムを越えたロジックとはどのようなものなのか。

>>「原始」という概念は遅れた文明と進んだ文明という世界観を措定して成立しており、そのレール自体が西洋近代によって敷かれたものであって、その概念を使うことで西洋近代のレール建築に加担してしまうのです。
>あ、これは、簡単です。アラビア語話者自身が、「文明の民」と「砂漠の民」という言葉の対比で、自分たちの世界観を構築していて、その前提は「都市の定住者=文明化された市民社会、砂漠の民=文明に接していないベドウィン部族社会」です。(32)

それはアラビア語話者の中でも「文明の民」(都市の定住者)の側からのみの視点ではないのでしょうか。
サハラ砂漠の遊牧民トゥアレグは「(都市の)外の人」(つまり砂漠の民)という自称を用いますが、それは決して卑下したものでも、自分たちが文化を持っていないと思って使っているわけでもありません。
サウジにおける砂漠の民の側から見た視点をぜひ知りたいと思います。
そこにオリエンタリズムを越えたロジックのヒントがあるのではないでしょうか。

イスラム化した地域で、それ以前の「残り香」を知るのは時として非常に困難です。
しかし不可能ではないと思います(行ったことのないサウジについて大きなことは言えませんけれど)。
表層的に不可視なものイコール存在しない、というわけではありません。

レヴィ=ストロースは「構造主義とはひとつの思想ではなくてひとつの方法である」(正確な文章は不明)と言っています。
彼の構造主義は、理解し得ない文化に直面し絶望の縁に立った知識人が、その絶望故に見出すことができた一(いち)視点だと個人的に思っています。
ネジュドのベドウィンを前にしたアブドゥさんもそれに似た状況だったのではないでしょうか。
理解しがたい、あるいは未開・野蛮に見えるネジュドのベドウィンからも、イスラム以前の不可視な、しかし豊かな文化の構造を見出しうるのではないでしょうか。
彼ら自身にも不可視な構造を分析した上で展開するカーゴ・カルト論は、戦略的価値の高いものになるのではないでしょうか。

あるいは、オリエンタリズムを徹底的に排した上で、文化人類学的アプローチはきっぱりと諦め、社会学または政治学的アプローチを取るという方法も選択肢としてあるでしょう(笑)。
C. 遊牧は過去のものか

>遊牧という非常に特殊な生活様式が、近代化により急速に姿を消していることは、人類のあり方の多様性の喪失として、心を痛めています。しかし、この流れそのものは決してとめられないでしょうね。
>すこしでも、今、彼らが有している文化遺産を記録に残し、彼らにそれの一部でも継承するような文化保護政策が必要だと思います。(30)

話が横道に逸れますが、私が「遊牧」をどう見ているか少し説明させてください。
サハラ砂漠の遊牧民との25年以上(そしてこれから死ぬまで)の関わりは、彼らへの共感という心情的なもの、、婚姻という血縁関係の発生(笑)も大きいですが、現在まで連綿と続いていきた「遊牧」というシステムに大きな可能性を感じているからです。
それは「物質循環」の輪を切れさせない生存のための人の叡智だと思います。
砂漠からの「再生」(「循環」という概念からは不適切な言葉ですが、敢て)システムは、資源の利用にこれまで以上に配慮が必要なこれからの世代にとって非常に重要な社会・経済活動のモデルだと考えています。

D. シリアやトルコのロジック

この部分は頭の中が整理しきれておらず、まとめきれていませんが取り敢えず書いておきます(笑)
もしかするとまったく違う結論をあとから書き直すかも知れません(汗)

> ナショナリズムを構築するためには、いったんは彼らのロジックを逆に利用しない限りは成立しないと思っています。(35)

しかし、この試論でアブドゥさんが展開されたロジックはベドウィンあるいはワッハーブのもので、シリアやトルコのロジックではありませんよね。
二律背反する存在でないふたつのロジックは、対比できず他方を語ることができるものではありません。
ですから今回の試論は、シリアやトルコに対するワッハーブの影響に抵抗するためには有効でありえても、シリアやトルコのナショナリズム構築の根本的な原動力になるものではないでしょう。
外部に敵を想定することで内部の結束を図るという戦略はよくあるものですが、実際に複数の敵に囲まれた状況の中、特定の敵にのみ注意を払っていたのでは、その結束はいびつなものになってしまいますし、他の敵に対応できないリスクが大きいでしょう。
というわけで今回の試論は、シリアやトルコでのナショナリズム創造のための根幹的アイデアではなく、ひとつの方策と理解しました。

けれど個人的には、ナショナリズムは「近代化」(カッコ付です)の中での幻想の産物だと思っています。
単なるイメージであるが故、それは利用しやすいかもしれないけれど、他の誰かにも利用されうる危険なもの、そう思います。

話が飛躍しますが、個人的には、国というレベルより小さく地域共同体よりも大きなシステム、そんなメゾスケールのシステムの構築が、日々の生活に追われる人々には大切であり必要なのではないかと考えています。
サハラ砂漠でも、遊牧だけの閉じたシステムでなく、周辺の農耕や都市の商業も含むシステムについて考えています。
kawtharさん

ご意見はいつも目線が低いというか地に足が着いていてハっとさせられます。

ところでタリバンの過剰な原理主義の背景には、彼ら以外のムジャヒディンたちによる戦国時代があまりにも無法で悲惨な状態にあったこともあります。だから、一般市民はタリバンを煙たがりつつもその支配を受け入れたのです。しかし、彼らの原理主義がそのまま政体となるにはあまりにもピュア(善悪両面)すぎ、不可能だったと思います。同時にその正体は民族運動でもあったので、その正体を現せば必然的にモザイク民族国家アフガンで破綻をきたしたでしょう。例をあげれば彼らによるハザラ族の虐殺はいまだ国際社会で正当に批判されえていないと思います。

カルザイはすでにオマルに連立を呼びかけていますね。パシュトゥンを民族虐殺することなどできはしないのだから、彼らを「テロリスト」として排除しようというアメリカの戦略には未来はありませんね。
jujubeさん

まったく賛成です。トゥアレグ側からの視点、勉強になります。

さらに付け加えるとすれば、アブドゥさんのワッハーブ批判はそれ自体勇気ある考究であって、「異文化を貶めるツールとしての文化人類学」ではなく「西洋近代の鏡としてのワッハーブ」という側面から攻めていけば非常に重要な意義を持ってくるのではないかと愚考します。
>43 nosさん

タリバンの政治は、抑圧が多すぎましたよね。だから、あのまま放っておけば自家中毒を起こして自然に変革か解体を余儀なくされたはずだったと、私も思います。アブドゥさんも別トピで書いてらっしゃいましたが、穏健派を取り込んでソフトランディングを図るべきだったんでしょう。アメリカの「報復(9.11の)」は、パシュトゥンを総タリバン化させてしまいました。この期に及んでタリバンを完全につぶそうとするなら、nosさんの仰るとおり、民族虐殺を行うしかありません。

タリバンもハザラ族を虐殺したのだから、当然と言えば当然の報いなのかもしれませんが・・・。しかし、報復の連鎖はどこかで切らないと血みどろの「花いちもんめ」が永遠に続くことになってしまいます。

私は、ぶっちゃけて言えば、・・・オマル師は死ぬべきなのかも知れない、と思っています。彼は確かウサーマ・ビン・ラーディンと縁戚関係を結んでいたはずです。私の見た報道が誤りでなければの話ですが。
パキスタンの山岳部がそうなのですが、アフガニスタンでもおそらく、血縁は信頼そのものであり、敵に対するに当たってはほとんど「一心同体」を意味します。血縁以外に信頼関係を築くことは限りなく不可能に近いです(そういう意味で、アフガンで地元民の信頼を勝ち取った中村哲氏の仕事は偉業と呼べると思います)。
アラブ系の過激派と手を切らない限り、パシュトゥンは自分の故地を破壊し続けることになるんです。そのことに気付いてくれればいいのですが・・・、今はまだ、無理なんでしょうね。。。
kawtharさん

アブドゥさんの言うようにタリバンはワッハーブのコピーというのが本質に近いと思いますが、それ以前のムジャヒディンたちの群雄割拠統治があまりにひどすぎ(強盗、レイプ、殺人が横行)、タリバンは一種の浄化ではあった。僕が知り合ったタリバンのコマンダーや役人、幹部にはとても高潔で博識な人間も数多くいました。彼らはアフガンを改革しようと燃えていたし、その志自体に偽りはなかったでしょう。

アフガン人はアフガンというアイデンティティを強く持っていますから、旧ユーゴのようには分裂せずに民族連合は可能だと思います。むしろソ連とアメリカがそれを壊したのです。カルザイはサウジに仲介を頼んでタリバンの政権参加を目論んでいます。トライバルエリアの部族合意がこうした流れにおいてなされれば宗教運動としてのタリバンは漸次消えていくのでは、、、それともワッハーブとさらに強力に結びつき事態は泥沼化するのか、、、。また、例えばトルコの息がかかったドスタムのような部族軍閥の問題も大きい。

僕も中村哲さんは大変尊敬しています。ですが、あまりにもパシュトゥン側からアフガンを観る視線を持った日本人が少なすぎますね。マスードに魅せられた長倉洋海のように歪んだアフガン観しか持てないジャーナリストも困りものです。
nosさん、

> アブドゥさんのワッハーブ批判はそれ自体勇気ある考究であって

はい、そうですね。
まず、何よりこの点に敬意を払いたいと思います。

> 「異文化を貶めるツールとしての文化人類学」ではなく「西洋近代の鏡としてのワッハーブ」という側面から攻めていけば非常に重要な意義を持ってくるのではないかと愚考します。

「異文化を貶めるツールとしての文化人類学」とは何と自己矛盾に満ちた表現なのでしょう!

「西洋近代の鏡としてのワッハーブ」というロジックは、おっしゃるように新しい視点であり、わかりやすく説得力のあるものに思われます。
しかしそれが対象自身(ワッハーブ)にとっても理解、納得できるものなのか、とつい考えてしまいました。
私がサハラ砂漠の遊牧民について何か述べる時、それは彼らにも理解可能なものか、という内側からの視点を常に考えていますから。
それは私は純粋に学問的探求でなく、彼ら自身が「使える」ロジックやツールこそを求めているからです。
まあアブドゥさんの場合、ワッハーブ自身が納得するロジックか、なんて全く考える必要はないのでしょうが(笑)
アブドゥさん、
「内田樹の研究室」というブログで、ナショナリズムに関する面白い意見を読みました。
「大統領就任演説を読んで」
http://blog.tatsuru.com/2009/01/22_1011.php
オバマ氏の大統領就任演説から、アメリカと日本のナショナリズムの違いが述べられていました。

アメリカのナショナル・アイデンティティには「他国との比較」は必要ない。
それは、過去はこうだった、今はこうだ、だからこれからもこれで行く、という「本態的ナショナリズム」である。
しかし日本はそれができない。
他国はこうだ、それに引き換え我が国は・・・というロジックでしか自己規定できない。

さて、トルコやシリアはアメリカ的なのか日本的なのか、どちらなのでしょうか?
>48

>しかし日本はそれができない。
他国はこうだ、それに引き換え我が国は・・・というロジックでしか自己規定できない。
さて、トルコやシリアはアメリカ的なのか日本的なのか、どちらなのでしょうか?

面白い視点ですね。

ぶっちゃけると、「これからの宿題」です。

でも、ある意味、トルコ民族ナショナリズムが、今イスラム主義からの修正の挑戦を受けているのは、このテーマにかかわっているように思います。

アタ・チュルクが、明治天皇の肖像画を執務室に掲げていたのは有名な話ですし、トルコ共和国の国民的な近代化装置の多く(教育機関、世俗法)が、フランスをお手本にしていましたので。

私としては、同胞トルコ人のムスリム意識の覚醒そのものは肯定的に受け止めている一方で、無理があったとはいえ、中東のムスリムの国で、もっとも近代化や民主化に成功した稀有な存在であるトルコ共和国の根幹が否定されずに、ソフトランディングを果たすことを願うばかりです。

とはいえ、勝手に、楽観的な見方なんですけどね。

あれだけ世俗的ナショナリズムと曲がりなりにも民主的な政体で、成功を続けてきたことをよく知っているトルコ国民自身が、それを全部否定することはできないだろうと思っているからです。

AKPを暫定的に支持している都市の知識人の多くが、「まあ、一旦彼らに政権を任せてみて、肯定的な政策を実行できるなら、引き続き支持するけど、大きく今のトルコ共和国を損なうのであれば、いつでも拒否すればいい」って態度ですし、軍という最後の砦がありますからね。
>37−46

タリバンのパシュトゥーン民族ナショナリズムとしての理解は私には欠けていました。勉強になります。

やはり、一旦はアメリカには、戦闘からは手を引いてもらって、その穴を今までアフガンにかかわっていなかった第3世界の国で埋めつつ、カルザイ政権の基盤強化として、穏健なタリバンを政権に取り込み、パシュトゥーン族の自治システムとして、タリバンを彼らの部族領域に限定して受け入れるってのが、一番現実的な対応なんだと思いました。

で、体制に取り込んだ穏健派タリバンと一緒に、民間人殺傷や政府への攻撃をする過激派タリバンには断固たる措置を続けると。

って、これまた、イスラエル・パレスチナ問題に対する現実的な対応がありえるのに、今の国際社会の現状では、絵に描いた餅って点でおんなじですね。
>42

>ですから今回の試論は、シリアやトルコに対するワッハーブの影響に抵抗するためには有効でありえても、シリアやトルコのナショナリズム構築の根本的な原動力になるものではないでしょう。
外部に敵を想定することで内部の結束を図るという戦略はよくあるものですが、実際に複数の敵に囲まれた状況の中、特定の敵にのみ注意を払っていたのでは、その結束はいびつなものになってしまいますし、他の敵に対応できないリスクが大きいでしょう。
というわけで今回の試論は、シリアやトルコでのナショナリズム創造のための根幹的アイデアではなく、ひとつの方策と理解しました。

別トピ「スンニ派知識人との対話」で書きました。

究極的には、オスマン帝国旧臣民スンニ派ムスリムこそが、シリアとトルコのムスリムを結びつけるアイデンティティーだと思います。

しかし、それだけでは、シリア地方のクリスチャンを阻害してしまいますね・・・

少なくともお題目でもいいから「アラブ民族主義」を「シリア民族主義」に差し替える必要はあるでしょう。

だいぶ整理がついてきました。

将来的にトルコに移住したら、なんらかの研究機関に所属して、きちんと論理的に展開するのが、私のシリア・トルコ愛国者として、また、信仰者としての義務だと感じます。
>究極的には、オスマン帝国旧臣民スンニ派ムスリムこそが、シリアとトルコのムスリムを結びつけるアイデンティティー

これに近い考え方をしていると思われるのは、トルコの側では、ヌルジュから分派したフェトフッラー・ギュレン教団の人たちですね(いまは本家ヌルジュより圧倒的に影響力も集金力も大きくなってしまいましたが)。彼らは秘密主義で、なかなか本当のことをいいませんが、フェトフッラーの教団に属するある大学教師は、よく「オットマン・システム」という言葉を使ってました。ただし、彼らが、多様なオスマン朝のあり方の、どこをとって「オットマン・システム」といっているのかは不明です。ちなみに、私見ですがフェトフッラー教団の究極の目的は、当然、アタトゥルクの否定とトルコの世俗主義の破壊、そしてシャリーア支配の実現です。

一方、現代のアラブ人は果たして「オスマン朝」を彼らのアイデンティティとして受け入れる余地があるのでしょうか。アラブ人にそれほどの思い入れがあるようには思えないのですが・・・。実態としてのオスマン朝支配がどのようなものだったかという歴史的事実は別にして、いまのアラブ人達の中には、「オスマン朝に占領されて、そのあとヨーロッパの帝国主義に占領されて・・・・」みたいな言い方をする人は多いですよね。
>52

勉強になります。

やっぱ、そうですか。

ムスリム覚醒→幼稚なイスラム主義

という結びつきになってしまうんですね・・・

私としては、ムスリムアイデンティティーを前提にした修正アタチュルク主義という立場を見つけたいです。

「アラブ民族」なんて幻想だと思いますけど、シリア人のスンニ派ムスリムは、冷静に、オスマン帝国時代の臣民としての繁栄の歴史を指摘した上で、「アラブ民族」主義の破綻と、トルコ共和国の成功、そして、トルコ人のムスリム覚醒や、シリアの地政学的な戦略などを説明すると、結構簡単に、トルコへの接近は正しいって答えが返ってきますね。

今のシリアにとって、一番重要な外交パートナーは、シーア派イスラム体制のイランですから、いまさら「アラブ」にこだわる必要なんてないよねって認識が広がっていますね。とはいえ、筋金入りの「アラブ民族」主義者も残っていますけど、そこまで確信犯的な人は少数派ですし、世代交代とともにもっと少なくなっていくはずです。

シリア人のムスリムにとっては、歓迎すべき流れという認識です。

では、クリスチャンは?ってのが、課題ですね。取り残されつつあると指摘します。

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