ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

中東・イスラム世界との対話コミュの管理人のイスラム教観

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
私は、クリスチャンの母を持ち、聖書を読んで子ども時代を過ごし、仏教系の中高に通って座禅を中心に仏陀の教えを学び、聖地エルサレムに行くために、大学でアラビア語を専攻し、外国語としてヘブライ語やトルコ語を学び、シリアでフィールドワークのつもりで始めたスーフィー(イスラム神秘主義)教団の調査を通じて、主のお導きを感じ、スンニ派のトルコ人のシェイフの下でシャハーダをした日本人改宗ムスリムです。

コメント(13)

イスラム教とは、7世紀初頭に預言者ムハンマド様SLAMに下された啓示を神の言葉そのものとして信じる宗教です。また、イスラム教では、ムハンマド様SLAMは預言者の封印とされ、それ以前の預言者の啓示も神の言葉の一部として信じており、特に、福音書を下されたイーサー様AS(イエス様)と律法を下されたムーサー様AS(モーゼ様)が敬愛されています。また、このように福音書を信じるキリスト教徒や律法を信じるユダヤ教徒は、イスラム教徒と併せて経典の民と定義されており、教義や啓示の解釈に相違はあるが、広い意味で、唯一神の啓示を信じる兄弟であると認識されています。

現在、イスラム教に属している信徒は様々な宗派に分かれています。これは聖典解釈を巡る相違です。

現実的に聖典に下された教えは、7世紀のアラビア半島という地理的・時間的に限定された事象についての善悪判断であり、このような広大な地理的広がりや、7世紀以降に発達した社会・文明・技術・思想全ての事象に対して、直接は何も言及していません。

よって、聖典を理性に基づいて解釈し、聖典に規定のない事象・思想に対する、より正しいであろう判断を、人間が行わなければなりません(これを理性を行使した解釈によるイスラム法の定立という意味の「イジュティハード」と言います。)。よって、そのような解釈に基づくイスラム法の体系は、神の啓示そのものではありませんから、その解釈する人間の思想や文化や政治的立場により、異なります。

預言者様SLAM以外に、無謬な被造物などいないので、人間の解釈は絶対的なものではなく、その解釈する人間の属する文化、慣習、思想、希望、社会的・政治的・社会的・経済 的状況に応じて、異なった解釈が成立することを避けられません。

ここから、預言者ムハンマド様SLAMに下された啓示の解釈を巡って、イスラム世界の1400年の歴史と、アンダルシア、北・中部アフリカ、東地 中海、アラビア半島、イラク、イラン、中央アジア、インド、東南アジアという広大な地理空間の広がりにおいて、様々な宗派・思想・運動が成立しました。

例を挙げれば、

●預言者の一族に、聖典の立法的・霊的な解釈能力が継承されるとするシーア派
(シーア派は、その継承権を巡り、12イマーム派、イスマイル派、アラウィー派、ドルーズ派、ザイド派に分派しました。)

●それに対し、そのような能力の継承を否定し、アラビア民族のクライシュ族から預言者の後継者を選ぶべきとするスンニ派
(イスラム法学の体系化の過程で、マーリキー派、シャーフィイー派、ハナフィー派、※ハンバリー派(これは特殊な思想で、下記で説明します)の4つの学派が成立しました。)

●罪を犯した者はムスリムではなく、預言者の後継者として認めないとし、シーア派もスンニ派も否定するハワーリジュ派
(この流れを汲むイバーディー派がオマーンとアフリカのギニア湾岸に残っています)

●これらの宗派争いを退けるため、「シャハーダしたものは全てムスリムであり、人間が他の人間の信仰の善悪を判断してはならない」とするマルジャイー派

●人間の自由意志を主張するカダル派

●人間の自由意志を否定し、神の定めた運命を主張するジャバル派

●人間の理性を信仰のよりどころとするムウタジラ派

●来世において神の姿を見ることができるとするアシュアリー派
(これは、上記の宗派が、人間の行為について論じた法学的な議論であるのに対し、「神とは何か」という神学的な議論に基づく例です。しかし、イスラム教においては、この種の神学論争はあまり発展しませんでした。)

●聖典の霊的解釈と神との人格的交流を信じる神秘主義派
(この神秘主義派はイスラム世界で数多くの神秘主義教団を生み出し、枚挙に暇がありません。)

●そして、以上のような人間の理性や霊感に基づく聖典解釈そのものを否定し、文字通りの聖典理解だけを主張するハンバリー派

(これが、「イスラム原理主義」の思想的な源流です。ハンバリー派は歴史的には少数派で、これを国の統治の思想的権威とするイスラム王朝は成立しませんでした。しかし、スンニ派法学派のひとつとして位置づけられ、文献が豊富に残りました。そして、18世紀に、ハンバリー派に基づいてワッハーブ派という宗派がアラビア半島のネジュドにおいて成立し、これはサウード王家によって権威として採用され、聖地を含むアラビア半島の大半を「ジハード」により占領し、ワッハーブ派の教団国家であるサウジアラビアの建国につながりました。また、サウジアラビアが成立した後は、イスラム世界各地のイスラム主義者らを支援し、この思想潮流が数多く誕生しました。)
そして、近代化・国民国家という思想的な挑戦を受けた近現代においては、

●政教分離に基づく民主的な国民国家を主張する近代主義

(トルコのアタ・チュルク主義者が代表的ですし、アラブ民族主義も原則的にはこの近代主義の流れの一つでしょう。これは、必ずしも聖典の解釈の問題ではありませんし、近代主義者らはイスラム教に基づく権威を求めない姿勢が多いので、必ずしもイスラム思想ではありませんがが、一方で、近代化を聖典解釈に基づいて主張する思想家もいますので、これはイスラム思想の一部とされるべきだと思います。)

●それに対して、イスラム法を完全に施行するイスラム国家を主張するイスラム主義

(これは、何をして「イスラム法」なのかという議論により、様々な立場や宗派に分かれます。19世紀から20世紀初頭にかけては、近代に対応した 改革をしたうえでイスラム法を施行すべきとする思想家が多かった(この場合は、上記の近代化を聖典解釈に基づいて行う近代主義と同じ立場になります)のですが、20世紀以降、特にイスラエルとの戦争が勃発し、サウジが石油開発によりワッハーブ派が影響力を強め、イスラム絵世界各地で布教活動を進めるに従い、このような近代主義に近い立場のイスラム主義は影を潜め、ハンバリー派やワッハーブ派のような、「人間の理性による一切の聖典の解釈を認めない→よっ て、イスラム法の近代的改革をしてはならない」とするイスラム主義が主流となり、その主張を暴力で実現することを「ジハード」として正当化する集団が数多く誕生しました。アル・カーイダは、サウジにおいて誕生したそのようなジハード主義の武装イスラム主義勢力のひとつです。)

先ほど、預言者ムハンマド様SLAMに下された啓示の解釈を巡って様々な宗派が歴史的に成立した、と述べましたが、現在残っているイスラム教の宗派は、主なものでいえば、

スンニ派とシーア派に別れ(オマーンなどには、スンニ派でもシーア派でもないイバード派という宗派が残っていますが)、

スンニ派は、大きく、神秘主義派とサラフ派(「ワッハーブ派」とか様々な名称がありますし、マスコミがよく使用する「原理主義」に相当するとお考え下さい)に別れ(もちろん、この差異は、理念的なものであり、現実的には、神秘主義とサラフ主義を両立させて解釈・実践しているムスリムもいます(例え ばシリア・トルコ)。)、

シーア派は、法学的にジャアファル派(12イマーム派)、ドルーズ派、イスマイル派、アラウィー派、ザイド派に別れます(さらに、ジャアファル派は、イランのイスラム革命以後は、ホメイニー派と反ホメイニー派に別れましたが、これは政治的な対立です。)

近代以前のイスラム王朝は、特に他民族・他宗教の臣民からなるコスモポリタン国家であったオスマン帝国の統治体制が代表的です。オスマン帝国の「ミレット制」(:ムスリムによる統治を受け入れ人頭税を払うならば、改宗を強制せず、他宗教の信仰の自由を認め、宗教・宗派ごとの限定的な自治権を認めるという制度。)がよく取り上げられますが、多くのイスラム王朝において、他宗教に対する態度は、中世ヨーロッパのキリスト教国家のそれとは異なり、はるかに寛容だったのは、歴史的事実でしょう。

また、現在の「イスラム原理主義」の思想的源流であるハンバリー派を国教として採用したイスラム王朝は殆ど無く、また、信徒が共同体を形成することも無く、イスラム法学者の間での学問として文献上存在する宗派でした。という点では、スンニ派正統法学派という概念が成立する前に、信徒の共同体が消滅し、文献のみで伝えられた各宗派(ムウラジラ派やマルジャイー派など)と実質的には同じであったといえます。

私は、このような様々な宗派が存在する現実に対しては、マルジャイー派の定義を受け入れ「シャハーダしたものは全てムスリムであり、人間が他の人間の信仰の善悪を判断してはならない」と考えています。ですから、一部のシーア派やスンナ派の過激派が主張するような「なになに派はこれこれであるから、カーフィル(不信仰者)である」とするタクフィール思想に反対しています。

私は、「7世紀にアラビア半島で下された啓示」を「グローバル化した21世紀においてどのように解釈して実践するべきか」を考えたいと思っていますし、当然、理性に基づくイジュティハードの再開が必要だろうと考えています。その点では、ムウタジラ派や、現在でもイジュティハードを行っているジャアファル派に近いといえます。

また、仮にそのような「理性に基づくイジュティハードの再開」が特定の国家において国民的な支持を得られない場合には、西洋による帝国主義・植民地主義による侵略から、祖国を守るための次善の策として、トルコのアタ・チュルクが行ったような政教分離による世俗的な近代化も現実的な選択肢であろうと思います。
全般的に神学と法学とムタサウウフの関係を知らない人が読むと、誤解を招くので訂正が必要ですね。

一応念のために
スンナ派やシーア派、ハワーリジュ派はムスリム共同体の指導者を軸とした際のわけ方です。
シーア派は指導者を特定の人物に限定したため、指導者が没するごとに枝分かれしていきます。

次に先ほどのカテゴリーの下に、法学と神学がセットになったサブ・カテゴリーが存在します。
シーア派ブランチの多くは神学・法学が整理される以前に消えてしまったものが多く、よく分からないというのが現状です。
またスンナ派内で現存しない、消えてしまった法学派や神学派も数多くあるようです。
代表的な消えた学派として、法学ではザーヒル学派、神学ではムウタズィラ学派が挙げられます。
>2で挙げられたジャブル派やカダル派は神学的自称についての立場であり、それが学派として体系化されていたかは定かではありません。

現存する法学・神学派としては以下のようなものがあります。
スンナ派法学:ハナフィー法学派、シャーフィイー法学派、マーリク法学派、ハンバル法学派、
シーア派法学:ジャアファル法学派、ザイド派法学etc
ハワーリジュ派法学:イバード派法学

スンナ派神学:アシュアリー学派、マウトゥリーディー学派、ハンバル学派etc
シーア派神学:12イマーム派神学、ザイド派神学 etc
ハワーリジュ派神学:イバード派神学

神学と法学はセットで意味をもち、ハナフィーとアシュアリー、シャーフィイーとマウトゥリーディーといった具合で展開していきます。
さて、ワッハーブ派ですが、これはハンバル神学-法学学派内部で新たな解釈集団として発生したものですから、カテゴリー的にはハンバル学派のサブ・カテゴリーということになります。
このような例はジャアファル法学内部でもあり、アフバール学派やウスール学派は解釈方法をめぐる差異なので、ジャアファル学派のサブ・カテゴリーに入ることになります。

ムタサウウフ(神秘主義)ですが、これをどこに位置づけるかはやや難しい問題です。
というのも、法学・神学があくまで内面・外面を定める学問分野であるのに対して、ムタサウウフは神を知るための実践として存在しています。
したがってカテゴライズする場合、神学と法学を包摂する形で存在していると考えればよろしいのではないでしょうか。
ちなみに4.にある「理性に基づくイジュティハードの再開」に関しても若干の補足が必要でしょう。

イジュティハードというのは、クルアーンやハディースに明文が存在しない問題に対して、法学者の営為によって法裁定を導くことを言います。
かつては、ジャアファル法学内部のウスール学派では現在もイジュティハードが実践されている一方、スンナ法学では「イジュティハードの門は閉じられた」ということが、シャハトなど近代の東洋学者によって指摘されていましたが、近年の研究(例えば、ワーイル・ハッラークなど)で、実はそうではないということが明らかになりました。
というのも、新しい問題が起こらないはずがないからです。

ただイジュティハードに関してもレベルがあり、スンナ派ではイジュティハードを行ったとしても言わないというのが慣習になったことは事実です。

近代のイスラーム改革主義者の間で言われている「イジュティハード」とは、ある種の改革主義を指し示すメタファーとして捉えることが必要であるということも断っておきます。
ところで、ムハンマド様SLAMって、サッラー・ラーフ・アライヒ・ワ・サッラマの略ですか?
>コム戦人さん

ありがとうございました。
勉強になります。
神学と法学のカテゴリーについて、非常によく分かりました。
これからも是非、いろいろ教えてください。

よく日本人改宗ムスリムの方が、預言者様に言及するときにSAWってかかれるじゃないですか?
これって何語の省略形なんですか?

信仰者として日本語でイスラム教について書くことは、ミクシが初めてなので・・・

私は、アラビア語で用いられる、

صلعم

をそのままラテンアルファベットにしています。

これは、ご指摘の通り、

صلى الله عليه وسلم

の省略形ですが、発音上は、最後のsallama「(主が彼を)平安にしたもうた、もしくは、挨拶したもうた」という動詞は、よくコーランや詩の朗読で起こるのですが、最後の母音をわざと落として、sallamと発音する慣例になっています。


アブドゥさん

楽しく見させております。
分析などは個人的な視点の違いや観点で変わってくるのでなんともいえないところですが、一般的側面については修正が必要と感じれば、これからも修正をさせていただきます。
客観的に間違った事実を言っていたら、是非、正しい情報を教えてください。

で、SAWって何の略か教えてください。

これからもコミュをより正確にするために、引き続きよろしくお願いします。
S.A.Wもصلى الله عليه وسلم の略のようですが、何故そうなっているのかはよく知りません。

ところで私も質問したいのですが、「理性に基づくイジュティハードの再開」は、メタファーとしてはこれまでにないような斬新な法裁定のことでしょうが、具体的にはどういうことなのでしょうか?
まあ、私は所詮ちゃらんぽらんと適当にムスリムをやっている人間です。
本気で、これを突き詰めるなら、一旦体系化されたイスラム法学を広く、きちんと学び、その上で、アルクーン氏とかがやっているネオ・イスラミストの作業を受け継ぐべきなんでしょうけど、いかんせん、卑近な仕事とか、人生設計とか、結婚とかそんな自分の人生のほうが大切なので、イスラム世界の近代化をアラビア語やトルコ語やペルシャ語で、全うに議論するイスラム思想家・法学者になるつもりはないんですよ。

でも、中東・イスラム世界に10年以上も関わって、信仰をもって悩んできて、このグローバル化した21世紀でムスリムたちが宗派対立を超えて共存し、それぞれの国が近代化を成し遂げ、欧米の支配に抵抗できる経済・軍事・政治力を築き、さらに、そのような実力を持った独立国家として、世界とも共存していくためには、イジュティハードの再開が必要だろうという結論に至ったというだけです。まあ、できなければトルコみたく世俗主義による近代化をするのが、ただたんに西洋に対して祖国を防衛するには手っ取り早いだろうと思いますけど。

決して、ムスリムの指導者や宗教者になるつもりはありませんから。誰かその覚悟を持って挑戦してくれる新世代ムスリムの登場を待っている立場です。

単なる一人のムスリムの意見です。あまりにも、中東やイスラム世界が、「イスラム原理主義」や「文明の対立」だけで語られたり、逆に全ての西洋の思想や言説を「オリエンタリズム」とか「イスラム世界を堕落させるための陰謀」として拒否するいうなれば「オキシデンタリズム」に陥っていたり、そんな中でどっちに対してもNOと言いたいという、まあ、これはムスリムとして、もしくは世界市民としての発言です。

具体的な例ですか?うーん、まあ、私が思い浮かぶのは、例えば、ヒジャーブですかね。

今のトルコ共和国のムスリマ女性たちは、きちんと信仰心を持った上で、コーランの規定(夫とマフラム(結婚できない親族)以外に性的魅力を見せてはならない)を自分なりに解釈して、ヒジャーブはかぶらないけど、露出の高い服を避けるとか、おしゃれなカラフルなスカーフを服とトータルでアレンジしたりして、自分なりの解釈で神の言葉を実践しています。

まあ、望ましくは、きちんと、このコーランの規定をグローバル化した21世紀においてイジュティハードするイスラム法学者がいて欲しいのですけどね。

どうですか、コム戦人さん?是非、挑戦してみてください。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

中東・イスラム世界との対話 更新情報

中東・イスラム世界との対話のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング