ニューロエシックスコミュの信原幸弘・原塑（編著）『脳神経倫理学の展望』（?）人間観への深刻な影響

（?）人間観への深刻な影響
（９）近藤智彦「脳神経科学からの自由意志論――リベットの実験から」（第九章二二九頁以下）
「自発的な行為につながるプロセスが、行為しようとする意識的な意志が表れるよりもずっと前に、無意識にうちに脳によって始められる」ことが示されたとされる有名なリベットの実験（二三〇頁以下）のインパクトとして脳神経研究者から自由意志を否定する主張がなされ注目を集めている。この論文では、リベットの実験は必ずしも自由意志を脅かすものではないと解釈する試みとして?内観報告の信頼性／原理的問題性（二三五頁以下）、?リベット自身の提起する「拒否」の可能性とその背後にある「選択的可能性原理」（その非決定論的意志自由論的解釈）の問題性（両立論からの反論など、二三八頁以下）、?フランクファートの「行為選択の時点における選択可能性の有無に注目するのは不適当である」とする見解に基づく「行為をより大きなプロセスの中で考える」べきだとする見解からの批判（二四三頁以下）を詳細に検討し、「リベットの実験に基づいて自由意思について議論することには限界がある」ということが示されたとし、最後にさらなる「脳神経科学からの自由意志論の展望」を議論するが、ここにおいても論争の決着はついておらず、「現段階で最も切迫した問題となるのは、このような脳神経科学の成果の濫用であるとすら言えるかもしれない」とし、それに抵抗するために脳神経科学及び哲学に関する適切な知識をもつことが必要であるとする（二四八頁以下）。
（10）鈴木貴之「脳神経科学からみた刑罰」（第一〇章二五五頁以下）
反社会的行為、特に犯罪に関する脳神経科学的研究が特にアメリカにおいて行われているが、本論文はそこから刑罰から治療へという動き及びそのような治療的介入の妥当性や、責任能力の行方（前掲（５）も参照）、さらには治療を越えた予防的介入の可能性についても検討を加え、脳神経科学の発展によって犯罪者（特に再犯者）に脳に異常がある場合があることが明らかにされる可能性があり、その場合には刑罰に代えて治療的介入を行うべきかもしれないが、「誰にたいしてどのような治療的介入を行うべきかは自明ではなく、治療的介入は、時には深刻な倫理的問題を引き起こす可能性があ」るし、「さらに、刑罰から治療的介入への転換は、犯罪という現象を理解するための概念枠組みの転換でもあり、この転換は自由や責任にかんするわれわれの常識的な概念枠組みそのものを切り崩してしまうかもしれないのである」（二七四頁）としている。
　(11) 蟹池陽一「道徳的判断と感情との関係――ｆＭＲＩ実験研究の知見より」（第一一章二八三頁以下）
この論文は、「感情が道徳的判断を引き起こすのか」という問題に関する最近の脳神経科学の知見に基づく議論について?ｆＭＲＩ実験研究の背景となった損傷研究、?単純な道徳的判断における脳の活動の研究、?自動的な反応としての道徳的感情の研究、?　脳の各部位の機能と諸実験の結果の含意、?複雑な道徳的判断での「感情」と「認知」に関する研究を検討し、「道徳判断は、応報と罰とについての脳の自動的反応による価値賦与を反映し、報酬と罰とにより誘発される感情その他の心的状態を伴うと言ってよい」（三〇五頁）とするが、それは必ずしも「感情」という語の一般的な用法に対応する心理状態ではなく、「道徳的判断・行動と関わる範囲での『感情』概念の解体と道徳的判断・行動に伴う心的状態についての諸概念の再構築とを、脳神経科学の結果は要求しているように思われる」（三〇六頁）としている。
（12）髙村夏輝「神経神学は神を救いうるか」（第一二章三一五頁以下）
この論文は、脳神経科学と宗教という問題を、最近の宗教経験の生起と神経相関物（それに相関して活性化する部位をｆMRIなどの脳画像技術によって特定する研究(特にダギリとニューバークの仮説、三二〇頁以下)を紹介し、特に宗教経験は?幻覚か実在しているのかという問題と?「脳神経科学は宗教を葬り去れるのか」という問題を検討している。また最後に「脳神経倫理学を論じるものは、自らの言説自身が倫理的に有害でありうることを自覚すべきであり、脳神経科学だけでなく、脳神経倫理学自身をも批判的考察の対象とすべきであろう」（三三六頁）としている。