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James Orbinskiコミュのノーベル平和賞受賞記念スピーチと、"An Imperfect Offering"

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以下は、国境なき医師団のウェブサイトから引用しましたほっとした顔
(詳細は最後に載せてます)

この文にある「キガリの病院で出会った患者女性」についてのくだり、これは後にこのウェブを見てここでも言及されていたことを知ったのですが、彼の著書"An Imperfect Offering"でも触れられていて、この本の中でも最も美しい個所で、彼があれほどの状況に直面した後の原動力ともなった出来事なのかな、と思ったりします。
実際この言葉で彼の本の最終章は閉じられていることからもそれがわかるかと思いますが…

この本を読んで、むせび泣くということもありました。
本当にトラウマになったこともあります。
それでも、悲観的にならずに、何かしたい、しなくてはならない、いやするんだ、そう思わせてくれた本ですほっとした顔

機会があればぜひ読んでみてくださいクローバー
きっと、人生が変わると思います。


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MSFインターナショナル会長 ジェームズ・オルビンスキー オスロ(ノルウェー) 1999年12月10日

国王・王妃両陛下、殿下、ノーベル賞委員会メンバーの皆様、ご来賓の皆様

チェチェン、そしてグロズヌイの人々は、今日まで三ヶ月以上もロシア軍の無差別爆撃を耐え忍んでいます。彼らにとって人道援助は事実上ありません。グロズヌイを出ることができないのは病人や高齢者、弱った人々なのです。今日皆様が私たちにくださる栄誉ある賞は、危機な状況に置かれた人々の尊厳を尊重するものです。そして皆様は人間の尊厳に対して行う私たちの個々の対応を評価してくださったのです。私は今日ここに声を大にして訴えます。ロシア大使閣下に、そして大使閣下を通じてエリツィン大統領に、無防備な市民を襲うチェチェンでの爆撃を止めるようにと。紛争や戦争が国家の問題だとしても、人道的な法を侵すこと、戦争のもたらす罪、人間性に背いた行為は、この社会に生きる私たちすべてを苦しめるものなのです。

まずこう申し上げたいのです。ノーベル賞委員会から国境なき医師団に送られたこの素晴しい栄誉は、心から感謝しつつお受けいたしますと。しかし、社会から締め出された人々の尊厳が日々冒されているということを考えると、やるせない気持ちにもなるのです。これは危険な状況に置かれているにもかかわらず忘れられている人々のことで、例えばストリートチルドレンがそうですが、社会的、経済的秩序の中に「含まれた」人々が捨てたものを食べて生きねばならず、そのために毎時間身を削りながら闘っています。またヨーロッパに生活しながら滞在許可証を持てずにいる人々も同様です。政治参加は拒否され、国外追放につながることを恐れて医療処置すらも受けられずにいるのです。

私たちは危機的な状況にある人々を助けるため行動します。ですがこの行動に満足しているわけではありません。困っている人々に医療援助を行うことは、人間としての彼らの存在を脅かすものから彼らを守る試みなのです。人道的な活動は単なる寄付や慈善事業以上のものです。尋常な状態ではない地域に尋常な空間を築くことを意図しています。物質的に援助する以上に、一人一人が人間としての権利や尊厳を取り戻せることを求めているのです。私たちは独立したボランティア組織として、医療援助を必要としている人々に直接施療する立場をとっています。しかし私たちは真空空間で活動しているわけでもなければ、風に向かって語っているのでもありません。支援したい、変化を起こしたい、不正を暴きたいというはっきりした意志をもって行動しているのです。私たちの行動、声は憤りを示す行為であり、直接的にせよ間接的にせよ他人に対する攻撃は認めないという拒否の態度なのです。

皆様が今日私たちにくださる名誉ある賞ですが、世界の様々な状況下で闘っている数多くの組織や個人のうち、どなたが受けられてもおかしくなかったでしょう。しかし皆様は国境なき医師団を選び、認めてくださったのです。国境なき医師団は1971年に正式に設立されました。自らをすぐに支援が行える存在にしようと決心したフランス人医師やジャーナリストのグループとしてスタートしました。人々の尊厳を直接脅かすことならば、場合によっては国家が行うことでも拒否するつもりでした。沈黙は長い間中立と混同してとらえられており、人道的な活動の必要条件とされてきましたが、国境なき医師団は活動当初からこの前提に異を唱えて設立されたのです。言葉が常に命を救えるわけではありませんが、沈黙は確かに人を殺し得ます。28年間、私たちはこの拒否の倫理をしっかりと守り、変えずにやってきました。国境なき医師団のアイデンティティーは完全ではないながらも活動を通じながら闘っています。また、何百万人もの方々が金銭面や精神面で国境なき医師団というプロジェクトを支援してくださっています。この受賞の栄誉は、実際には脆弱な存在である国境なき医師団に力を与えるため闘ってきた、そして現在闘っている全ての方々と分かち合いたいと思います。

人道主義が登場するのは、ある政治が失敗したとき、または危機的状況に置かれたときでしょう。しかし私たちの活動は政治責任を引き受けることではなく、失敗から起きる非人間的な苦悩をまず和らげることなのです。活動は政治の影響を受けてはなりません。そして政治は人道主義の存在を保証する責任を自覚しなければなりません。

人道援助活動が行われるには枠組みが必要です。紛争の際には、今延べた枠組みとは人道的な国際法のこととなります。法によって犠牲者や人道援助団体の権利を確立し、権利の尊重を保障する国の責任を定め、戦争犯罪として法を犯した場合の制裁規定を定めるのです。今日、この枠組みが機能していないのは明らかです。紛争下の犠牲者のもとへ行こうとすると許可されないことがしばしばです。人道援助が戦争の道具として交戦中の勢力に利用されることもあります。そしてもっと深刻なことには、国際社会によって人道援助活動が軍事活動化されつつあるのです。

枠組みが機能しないこういった状況下では、私たちは声を大にして政治家たちの自覚を促します。責任逃れはできないことをわからせるのです。人道主義は戦争を終わらせ、平和を築く道具ではありません。人道主義は政治の失敗に対する市民の答えなのです。短期的に即実行されるものですが、長期的に求められる政治責任を消し去ることはできません。

そして私たちの拒否の倫理は、政治におけるいかなる倫理上の怠慢、不正もその意味が浄化されたり清められたりすることを許しません。1992年、ボスニア.ヘルツェゴビナの人権侵害。1994年、ルワンダでの大量虐殺。1997年、ザイールでの大虐殺。そして1999年、チェチェンでは今なお市民が攻撃されています。これらの事実は「複雑な人道上の緊急事態」とか「国内治安危機」などと表現したところで覆い隠せませんし、どんな婉曲的な言い方をしても―例えば「でたらめで政治的に定まりのない事件」のようなものですが―不可能でしょう。ことばには意味を確定する力があります。ことばは問題の輪郭をなぞり、対応、権利、すなわち責任の所在を明確にします。ことばを使えば、医療で対応したり、人道的な対処をすることが適切かどうか、はっきりわかるのです。政治的対応が不適切かどうか、ことばでわかるのです。レイプ、強姦を「複雑な女性的緊急事態」などという人はいないでしょう。レイプはレイプであり、大量虐殺は大量虐殺なのです。そしてこのいずれもが犯罪です。国境なき医師団にとっての人道援助活動とは、苦痛を和らげる方法を探す、自治を回復する道を見つける、不正の真実を証言する、そして政治責任を強く求めるということです。

国境なき医師団は真空空間ではなく人々を秩序の中に入れたり締め出したりする社会で活動しようとしています。肯定したり否定したり、攻撃したり守ったりする社会なのです。私たちの日常の活動はいわば闘いであり、医療に関するものが多く、個人的なことに終始します。国境なき医師団は形式を重んじる団体ではなく、今後もどう考えてもそうならないでしょう。国境なき医師団は市民社会の団体です。今日市民社会は新しくグローバルな役割を持ちました。市民社会の動きや世論の支持に根ざした、形式にとらわれない正当性をうち出すことです。これは社会に見られる成熟した意向、例えば人権や環境問題、人道活動、そしてもちろん公平な通商を行うための活動につながっていきます。戦闘や暴力だけが関心事なのではありません。市民社会のメンバーとして、はっきりした意志と独立性を保ちながら、私たちは私たちの役割と力を維持していこうと思います。

市民社会で活動するものとして、私たちは国家や国の制度、権力に関わった存在です。しかし同時に民間のものとも関わっています。国家のとるべき最終的な責任とは、排除ではなく包含し、公益と個々の利益とのバランスをとり、社会秩序を確実にするところにあります。一方、私たちの存在は国家の責任を肩代わりするものではありません。正義や安全を保障するため、人道的な弁明を用いて国家の責任を覆い隠すものではありません。国家と一緒になって悲惨な状況を生み出すつもりもありません。市民社会がある問題を認識したとします。市民がすることは解決策を出すことではなく、国家が問題を具体的かつ適切に解決してくれることを期待することなのです。問題を解決できるのは国家だけなのですから。

今日、市場経済が広がりを見せる中で、私たちの前に立ちはだかる不公平は拡大するばかりです。死者や伝染病患者の90%が発展途上国の人々であり、彼らがエイズや結核、睡眠病やその他の熱帯病で死亡するのは、命を救うのに欠くことのできない薬品が高価すぎる、すなわち財政的な問題で手に入らない、あるいは、本来優先的に行われる必要がある熱帯病に関する研究や開発が実際には行われていないためです。市場にひそむこの欠陥が、私たちが次に挑む相手です。しかしこの挑戦は私たちだけの課題ではありません。各国政府も、国際機構も、製薬業界も、他のNGOも、この不正に立ち向かうべきなのです。市民社会で活動する私たちが求めるものは変化であって慈善ではないのです。

人道主義は政治から独立した存在であると私たちは確信を持って言えますが、それはNGO が良くて政府が悪いとか、市民社会が良くて政治権力が悪いというように両極化しているのではありません。このような論争は間違っていて危険です。歴史が示す通り、奴隷制や福祉の権利などの人道的な事柄のうち市民社会で生まれたものは、その問題が政治的にも協議される対象として扱われるようになるまでは影響力を持っていたのです。人道主義と政治は問題解決に向けて歩み寄りを重ねてきましたが、両者の間にある差を隠すことにはなりませんでした。人道的な行為は限られたグループや目的に対して短い期間行われ、これが強みでもあり限界でもあります。政治的な行為は長期的にのみ計画でき、それ自体が社会の動きとなるのです。人道的な行為は定義上、普遍的です。人道的な責任には境界がありません。世界のどこであれ困窮が明らかなら、天から人道主義を授かった者は応じねばなりません。これとは対照的に、政治には国境があり、危機への政治的な対応は状況によって変化します。歴史的関係、力のバランス、様々な利害関係が考慮されなければならないからです。人道主義における時と場合は、政治における時と場合とは異なります。人道的な行為の原則を別の言い方で述べるとこうなります。問題解決を弱者の犠牲の上に行うことは、どんな形であれ拒否する。犠牲者が意図的に差別されること、他者の利益のために顧みられないことがあってはならない。今日の命は明日その命がどんな価値を持つかで測ることはできない。また、「ここで」苦痛を和らげても「あちらで」和らげなかったことの正当化にはならない。使える手段が限られているから、当然選択せねばならなくなってこよう。しかし、どんな環境でどんな制約を受けて行動するかは、人道的な見方をする際の基本を変えるものではない。人道的な見方とは、定義上、政治的に行われた選択を無視すべき見方のことなのである。

今日、いわゆる人道的軍事活動の発展には、混乱とこの活動に本来そなわっているあいまいさが表れています。私たちは敢然と、そしてはっきりと、市民による独立した人道主義の原則を再確認しなければなりません。そして「人道的軍事行為」と呼ばれる介入を非難すべきです。人道的な行為は命を救うことであって、決して奪うことではありません。私たちの武器は医薬品であり外科用具であると同時に、透明性、つまり意図の明白さです。時には必要と思われようとも、戦闘機や戦車であってはなりません。人道的なものは軍事的でなく、軍事的なものは人道的ではないのです。私たちがコソボでNATO 加盟国から受けた資金援助の申し出を拒否し、NATOの人道的という主張を非難し続けたのはそのためです。またそれだからこそ私たちは、現地で軍と隣り合せでいながらその指揮に従うことなく活動できるのです。

国がいわゆる人道的な目的で他国に介入する権利である「干渉権」についての議論は、このあいまいさを一層顕著にしています。これは権力乱用という政治問題を人道問題のレベルに置こうとするものであり、軍事力を用いた防衛活動に対して人道的な正当性を当てはめようとするものです。人道主義と治安の必要性とを混同すると、人道主義の本来の意味が隠されてしまうことになります。ご存じの通り国連憲章は、世界の平和と安全に対する脅威を取り除くため、時には軍事力をもって介入することを国に強要しています。しかしそれには人道的な理由をつける必要はないし、むしろ危険です。先週末、ヘルシンキに各国の代表が集まり、人道的な目的のために活動する欧州軍の創立にむけた会議が開かれましたが、私たちは参加各国にそのような危険であいまいな方向に踏み込むことのないよう呼びかけました。むしろ国際的な人道主義や人権法が尊重されるような治安維持の方法をこそ各国に探っていただきたいのです。

人道援助活動には限界があります。政治的な活動の代わりはできません。ルワンダで大虐殺が起こったとき、その初期の時点で国境なき医師団は世界に向け、武力を用いて虐殺を止めるよう訴えました。国際赤十字も同様に主張しました。しかしその叫びは麻痺状態の国際機構によってはねかえされました。私利私欲が黙認され、政治責任がとられることもなかった結果、本来決してまかり通ってはならない犯罪が止められずにいたのです。国連軍の活動が始まる前に虐殺は終わりました。

ここで今日特別に出席していただいたシャンタル・ンダジジマナさんについて少しお話ししたいと思います。シャンタルさんは1994年に起こったルワンダの大量虐殺によって親族のうちの40人を亡くされました。現在はブリュッセルで国境なき医師団のスタッフとして働いています。彼女は虐殺を逃れることができましたが、彼女の母親、父親、兄弟、姉妹はできませんでした。100万人にも及ぶ犠牲者や数百人の国境なき医師団の現地スタッフも同様です。当時私はキガリで行われていたミッションの責任者でした。そこで働いていた人々の勇気、そこで亡くなった人々の恐怖は、とても言葉ではお伝えできないでしょう。そして私をはじめとする国境なき医師団のスタッフは、言葉では言い表せないような深い悲しみを今も心に抱き続けています。

虐殺のあったキガリの病院である女性患者が私に言った「ウメラ、ウメラシャ」という言葉が思い出されます。これはルワンダの言い回しで、大ざっぱに訳せば「しっかり、しっかり、友よ、頑張って勇気を奮い起こせ」という意味です。彼女はなたで襲われ、全身を意図的に切り刻まれました。耳は切り落とされており、念入りに傷つけられた顔の傷口は大変深いものでした。その日は何百人という男性、女性、子どもが病院に運び込まれ、あまりの数の多さに路上に寝かせるしかありませんでした。多くの場合その場で直ちに手術が行われました。病院の周囲の側溝には文字どおり真っ赤な血が流れました。彼女はそうした患者の中の一人で、筆舌に尽くし難い苦しみの中にいました。私たちが彼女にできたことは、わずかながら縫合をして出血を止めることだけでした。私たちは極度に疲労していました。他にもたくさんの患者が治療を待っていることを知っていた彼女は、私をこの逃れようのない地獄のような状況から救おうと、それまで聞いたことのないような澄んだ声でこう言ったのです。「ウメラ、ウメラシャ(さあ、頑張って勇気を奮い起こしなさい)」

人道主義にも限界があります。どんな医師も虐殺を止めることはできません。どんな人道主義者も民族浄化策を止めることはできません。戦争を起こすこともできなければ、戦争を終結させることもできないのです。これらは政治の責任においてなされることであり、人道主義者には不可能なのです。はっきり申しあげましょう。人道的な行為はあらゆる行為の中で最も非政治的な行為です。しかしその行為や倫理が真摯に受け取られた場合には、大変重要な政治的意味合いを持ち得るのです。例えば罪に問われるべき行為をとがめずにいることへの抗議には政治的な意味があります。

それはまさしく旧ユーゴスラビアとルワンダにおける人権侵害の事実追及のため国際刑事裁判所を設立しようとしたとき、また国際刑事裁判所規定の採択のときにも確認されたことです。裁判所設立に目が向けられたことは意義のある一歩です。しかし世界人権宣言から50年を数える今日、その国際裁判所は未だ存在せず、昨年その規定がほんの3か国によって批准されたにすぎません。この調子では裁判所が実現するまでに20年はかかるでしょう。私たちはそんなに長い間待たなくてはならないのでしょうか。国境なき医師団は訴え続けます。国家にとって裁判所設立のための政治負担がどうであろうと、本来罪に問われるべき行為のために人命の犠牲を払ってはなりません。

ただ国家だけが人道法の遵守を課すことができますが、その努力は単に象徴的なものであってはなりません。私たちが以前活動していたボスニアのスレブレニツァは一見安全な場所でした。国連はこの土地を保護区域と定め、国連軍も駐留していました。しかしここで虐殺が起こり、それに対し国連は何も行いませんでした。つまりただそこにいただけだったのです。

旧ユーゴスラビアやルワンダへの国連の下手な介入は数千人にのぼる死者を出しました。国境なき医師団は責任の所在や透明性を明確にできない軍事介入には反対しています。軍のほうがNGOより避難民のためのテントを早く設置できるなどということを見せられても意味がありません。軍にはむしろ被災者の権利を守ろうとする政府やその政策の役に立つ働きをしてほしいのです。

国連事務総長はスレブレニツァやルワンダについて自らの過失を認め、陳謝しました。しかし国連が今後なおも軍事活動をもって一般住民を守ろうとするなら、国連の平和維持活動は見直される必要があります。安全保障理事会の理事国は賛成・反対の決定について公然とした責任を持つべきです。拒否権の行使は制限されるべきで、理事国は自分の決定を実施するために適切な方法が取られるよう努力する義務を負うべきです。

確かに人道援助活動には限界があります。責任もあります。それは単に技術的なことや正しく行動するためのルールについてのことだけではありません。人道的な行為とはなによりもまず倫理に枠取られた一つの価値体系です。人道援助活動を行うとき、その倫理的な意図は必ず現実の結果と直面します。何を良しとするかを見定める倫理的中立性はここで拒絶されかねません。例えば国境なき医師団が1985年にエチオピアで行った援助活動は結果的に住民の強制移住を後押しすることになり、1996年のゴマ難民キャンプにおける援助活動は結果的に大量殺りくを行った政府を支援することになりました。人道援助活動が危険な状況に置かれた人々をさらに苦しめるために利用されかねない場合、撤退も必要になります。
(後略)




国境なき医師団
「国境なき医師団とは/ノーベル平和賞受賞」
http://www.msf.or.jp/about/novel.html (Retrieved: 2008/Nov/16)

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