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MUSIC I*S MUZICコミュの♪海外アーティスト2♪

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PICK UP ARTIST 2

様々なアーティストをピックアップし、活動情報、新譜、レミックスなど情報の場♪
レアな情報アリ!

皆さん、バシバシ紹介お願いします♪

01, 「Lil Mo」
02, 「50 Cent」
03, 「50 Cent」
04, 「Jam Master Jay」
05, 「G-Unit」
06, 「Dr. Dre」
07, 「Rev Run(RUN D.M.C.)」
08, 「RUN D.M.C.」
09, 「Sugarhill Gang」
10, 「N.A.S.A.」

コメント(18)

「Lil Mo」

Fabolousを迎えた"Superwoman Pt. II."や
Ja Rule"Put It On Me" への客演で人気を博したパワフルなR&Bシンガー/ソングライター
Lil Moが、米ニューヨークを拠点とするGlobal Music Groupとアルバム枚のリリースに関する契約を交わした

来年に移籍弟1弾目のアルバムを発売予定
公式なリリース情報ではないが、
"Tattoos & Roses
:The Rebellion Against My Pain"
というタイトルの作品になる可能性が高い様子

Lil MoはElektra からデビューアルバム
"Based On A True Story"をリリース後、
The Inc.(前Murder Inc.)を経てCash Money Recordsへと移籍、
さらにIce Age Entertainmentと契約するも、いずれもアルバムリリースに結びつかなかった
昨年、結局は自身によるHonyechild Entertainment を立ち上げKoch Recordsの配給を通じて最新作"Pain & Paper"をリリースしていた

「Lil MoをGMGファミリーの新たな一員として迎えられることを誇らしく思う」とレーベルCEOのRoland Turnerはコメント
Universal Music Group 出資のGlobal Music Groupはニューヨークの他、カナダ、ヨーロッパ、アジアに支社を置くレーベルなだけに、ワールドワイドなプロモーションが期待されている

なお、Global Music Groupは今年6月に、2006年に破産したSuge KnightのDeath Row Recordsを2,400万ドル(約24億円)で買収し、
Dr,Dreの"The Chronic"、Snoop Doggの"Doggystyle"、2pacの未発表マスター音源20曲を含むDeath Row Recordsの版権管理権を取得していることでも知られている
「50 Cent」

海外アーティスト1のトピック(16)で
12月9日リリース予定の50Centのニュー・アルバム『Before I Self Destruct』と紹介しましたが、発売延期を重ね年内の発売が予定されていた50 Centの4枚目のアルバムリリースが来年まで持ち越されることとなった

所属レーベルInterscope Recordsによると、
発売延期の理由は「50Centは全力を尽くしてアルバムの最終仕上げに臨んでいたが、広報活動や出荷等のタイミングの問題で延期を決めた」とのことで、発売日は「来年早々に」とだけ発表

50Cent本人も「最大限に努力したが、時間の制約が厳しかった。皆が大切なお金を出して買ってくれるんだから、特別なプレゼントを用意するつもりだ」とコメント
すでに報じられているアルバムと同タイトルの映画のボーナスDVDのほか、50Centがエグゼクティブプロデューサーを務めた故Jam Master Jay ドキュメンタリー映画"Two Turntables And A Microphone: The Life And Death Of Jam Master Jay"が付いたデラックス版も期間限定で発売予定とのこと
「50 Cent」

1978年クィーンズはサウスジャマイカ出身
実際にドラッグディーラーとして生き延びていた10代、牢に収監されるよりRap に傾倒することを選んだ彼の人生は、Run DMC のJam Master Jayにその才覚を見出され、Track Masters に出会ったところから加速度を増す
Track Masters がColumbiaとの契約を用意すると、フルアルバムを完成させるべくレコーディングに入り、アルバムリリース前にシングルとして発売された"Your Life's on the Line" や"How to Rob"はそこそこのヒットを出す
が、"How to Rob"をリリースした直後の2000年5月、何者かに襲撃を受け、瀕死の重体に
これ以上無いであろう幸運のもと、9発もの弾丸を受けながらも、死の淵を渡ることなく生き延びたが、待っていたのはColumbiaの契約撤回とアルバムのお蔵入りという状況だった

それからの50Centはアンダーグラウンドに戻り、現G Unitのメンバーと共に「Mix Tape内にメジャーなトラックを使ってフリースタイルや自作曲を収録する」という形でその存在を再びアピールし始める
2002年までにリリースされた幾多のMix Tapeがもたらしたものは複数のメーカーからの契約オファーだったが、最終的に「一番アーティストとしてきちんと扱ってくれた」として、Eminemが提示した契約に落ち着くことになる

それからの彼の快進撃はと言えば、映画"8 Mile"のサントラ用に録音された"Wankasta"のブレイクから始まり、アルバムのリードシングルでDr. Dre プロデュースの"In Da Club"がリリースされるや空前の大ヒットになるなど周知の通り
そして発売後たった5日間で80万枚以上を売り上げたデビューアルバム"Get Rich or Die Tryin'"への舞台は用意された
その後もアルバムからのリカットシングル"21 Question" や"P.I.M.P."などのクラブ/ラジオ・アンセムでヒットを飛ばし、先述の自身のユニット"G Unit"のアルバム"Beg for Mercy"もリリース
Ja Rule を筆頭にしたMuder Inc.との確執は、数年前の2PacとNotorious B.I.G.のそれを思い起こさせるほど加熱し、話題となっている
とにもかくにも、New York Timesにもそのデビューを取り上げられるほどの注目を集めた50Cent
その少しボケた感の有るフロウと、現在のハードコアリスナーを満足させるリリックで、今後も当分の間その人気が失速することはなさそうだ
「Jam Master Jay」

ジャム・マスター・ジェイ(本名はJason Mizzel 1965年生まれ、NYはクイーンズ、Hollis地区出身)
ヒップホップグループとして史上初めてトップスターとなった、RUN DMC のメンバーとして活躍したDJ

1983年に"Sucker MC's"でデビューして以来、
1993年の"Down with the King"に至るまでヒップホップの歴史を塗り替え続けたが、その後は個々人の活動が中心となり、グループのアルバムとしては2000の"Crown Royal"が最後となった

ジャム・マスター・ジェイ個人としては音楽ビジネスの裏方として活動、50 Centがスターダムにのし上がる第一歩を手助けした事が良く知られている

2002年、クイーンズのスタジオでレコーディング中に何者かに射殺されこの世を去る
ヒップホップ界に大きな衝撃を与えた

「G-Unit」

50Centを中心にLloyd Banks、Tony YayoとYoung Buckの4人で結成されたユニット
50Centの"P.I.M.P. Remix"にユニットとして参加し、
2003年にはDr. Dre & Scott Storch、EminemやHi-Tek、NO I.D. らがサポートしたフルアルバム"Beg for Mercy" をリリース
"Stunt 101"や"Poppin' Them Thangs"、"Smile"に"Wanna Get to Know You"等のヒットソングを収録したデビューアルバムは一気にプラチナムアルバムに
さらにはロイドもソロアルバムをリリースし、こちらもビルボードNo.1アルバムになり、ヤングもシングル"Let me in" でソロ活動を開始
デビューアルバムリリース前にトニーが逮捕され、収監されてしまった為に急遽ヤングをメンバーに加えたが、トニーの出所後もヤングはそのままステイするようだ
「Dr. Dre」

キャリアの始まりは18才から所属していたWorld Class Wreckin'Crewで、
1988年には"Turn Off the Lights" のヒットを生む
が、同年には既にEasy-EやIce Cubeらと共に結成していたN.W.A.の"Straight Outta Compton" が大ヒット
Wreckin'Crewの活動は対照的に一気に減っていき、そのままN.W.A.に活動のウェイトをシフトさせていく
'89年にはIce Cubeが脱退するものの、EP"100 Miles and Runnin'" とそれに続く2ndアルバム"Efil4zaggin" ('91)は、デビューから着々と築かれた「当時のハードコア」よりもハードなギャングスタスタイルだったところから、Easy-Eのコミックラップへの変遷でパブリックイメージの移行が見られながらも、チャートを上りつめた
が、「ギャングスタ・スタイルなんかをやっていたせいで、知人の死やトラブルに巻き込まれてばかりだった」という彼は、グループ脱退を決意するようり、
'92年、レーベル"Death Row" の設立の為にSuge Knight に誘われ、それをきっかけにグループを脱退する

そこからDr.Dreの2度目のピークが始まり、
1992年に伝説の12"シングル"Deep Cover" をリリース、弟のウォーレン・Gの紹介で知り合った才能・Snoop Doggy Dogg (現 Snoop Dogg) と共に衝撃的なデビューを飾り、同年にリリースされたアルバム"The Chronic" は最大のヒットシングル"Nuthin' but a 'G' Thang" 等の傑作を収録し、 300万枚を超す大ヒットとなる
このヒットによって改めて知名度を上げたDr.Dreは、
'93年のSnoop Doggのデビューアルバム "Doggystyle"や
'94年にリリースされたサントラ"Above the Rim"などの制作を担当し、ヒットメイカーとしての地位を揺ぎ無いものにしたが、
'96年の2Pacのアルバム"All Eyez on Me"を最後にDeath Rowから脱退

自らのレーベルAftermath を設立
Interscopeと配給契約を結ぶと、"Dr. Dre Presents...The Aftermath"('96)のリリースを皮切りに、2000年に迎える3度目のピークを目指し活動を再開
Xzibitの大ヒットシングル"X"等を経て、
2000年にリリースした傑作"Chronic 2001"は600万枚を超えるセールスを記録
Eminemの発掘やMary J. Blige の"Family Affair"、Eve"Let Me Blow Ya Mind" 等のヒットによって、ギャングスタ・ラップでなくともチャートの1位が狙えることを証明
"B**** Please"等のクラブロングヒットや、2001年のSnoop Doggとの正式なリユニオンを飾った映画"Wash"、そのサントラからもヒットシングルを連発
Eminemのシングル"My Name is" ('99)以後の爆発的なセールスも手伝い、現在までに崩落することの無い牙城を築き上げた
50CentをEminemと共同でスターダムに押し上げて以来、現在も複数プロジェクトを進行中
「Rev Run(RUN D.M.C.)」

RUN D.M.C.のメンバーとして知られるリブ・ラン(Rev Run/Joseph Simmons)が国際的な慈善団体である”Soles4Souls”の活動に参加、北アフリカのスーダン共和国に靴を送るプロジェクトををサポート

世界の貧しい人々に靴を寄付する活動を展開する”Soles4Souls”が今回支援するのは、内戦が絶ええないことで知られるスーダン共和国
スーダン共和国では現在も西部ダルフール地方で大規模な紛争が激化しており、多くの死者や避難民が生じている

リブ・ランは先日ニューヨークのナイトクラブでイベントを主催し、
”Soles4Souls”の活動を紹介すると共にイベントの利益の一部を同団体に寄付

また自身のシューズブランドRun Athleticでシューズのデザイン・コンテストを開催し、そこで得た資金を”Soles4Souls”に寄付する予定とのこと
「RUN D.M.C.」

クィーンズ出身のRUN (Joseph Simmons)とDMC (Darryl McDaniels)、DJのJam Master Jay(Jason Mizell)による3人組のユニット
80年代初期、RUN が高校在学中に兄Russel SimmonsがDMC とのラップデュオ結成を促し、"Run D.M.C."と名づける
'82年に高校を卒業すると、Jam Master JayをDJに迎え、
'83年にセンセーショナルなデビューシングル"It's Like That" / "Sucker M.C.'s"をリリース
翌年には"Hard Times"や"Rock Box" 等のヒットシングルを収録したデビューアルバム"Run D.M.C."('84)をリリースし、ゴールドアルバムに認定される
'85年にリリースされた2ndアルバム"King of Rock"もタイトル曲"King of Rock"や"You Talk Too Much" 等の大ヒットに恵まれ、初のプラチナムセールスを記録し押しも押されぬヒップホップ / ラップ界のスーパースターの座に近づいていく

プロデューサー、Rick Rubinの手腕により、かつてのラップグループには無かったロックサウンドとの融合がグループのアイデンティティを高めていくと、
1986年にリリースされたシングル"Walk This Way" でのエアロスミスとのカヴァー・コラボレーションで一気に全世界的なヒットを手中にする
同年にリリースされた3rdアルバム"Raising Hell"も 300万枚を越す大ヒットを記録
"Walk This Way"や"My Adidas"と言ったヒット曲が収録されている中にも、"Peter Piper"等のヒップホップクラシックが収録されており、全曲を通じて3人を表現するというトータルコンセプトが完成されているアルバムである

続く1987年にリリースされた3thアルバム"Tougher Than Leather"では、よりエッジをヒップホップサウンドに寄せ、"Run's House"や"Mary, Mary"、"Beats to the Rhyme"等のヒップホップクラシックを多数収録
セールスのピークは前作で終えてしまったものの、ヒップホップリスナーにとってはやはりクラシックアルバムとなっている
その後はシーンのトレンド移り変わりが激しくなり、'90年に5thアルバム"Back From Hell"のセールスも落ち込むと、DMC のアルコール中毒問題やRUN のレイプ疑惑による起訴などのトラブルが持ち上がる
が、結果DMC も中毒から脱出し、RUN も不起訴処分になり、'91年にはコンピレーションに提供していた"Christmas In Hollis" や"Together Forever(Krush Groove 4)"を含むベストアルバムをリリース

'93年にリリースされた6枚目のオリジナルアルバム"Down with the King" では、旬のプロデューサーであったPete RockやQ-Tip らがプロダクションに参加し、多数のベテラン・新進気鋭のアーティストがゲスト参加をした、タイトル通りの内容で復活を図るも、評価は厳しくゴールドアルバムどまりのセールスとなった
それからシーンの前線から遠のいてしまうが、2000年にオリジナルアルバムとして7枚目の"Crown Royal"でグループとして再集結
"Queens Day"や"Let's Stay Together (Together Forever)"、"Simmons Incorporated"等がミックステープやラジオなどでプレイされ、2002年にはエアロスミスのツアーに参加するなど、オールドスクール再考のムーブメントも手伝い今一度再起を狙うのだが、ツアー終了後の2002年10月30日、スタジオワークをしていたJam Master Jayが銃撃され他界した
その後のランとDMC の活動は決して派手ではないものの、二人だけのライブセッションや客演などを勤めており、デビューから20年経った今も現役として活動している

なお彼等は映像でもその活動を見ることができ、映画"Krush Groove"('85) や4thアルバムと絡めたフィルムプロジェクト"Tougher Than Leather"、Def Jam企画のヒップホップドキュメンタリームービー"The Show"等に出演している
他方では、Jam Master JayはOnyx等の新人を発掘し、自身のレーベルJMJ Recordsからデビューさせるプロデュース業も行っていた
50 cent もJam Master Jayの世話になっていたのは有名な話である
「Sugarhill Gang」

70年代後半、ニューヨークで結成されたヒップホップの先駆者シュガーヒル・ギャング
彼らの「Rapper's Delight」は初めてラジオ放送されたラップ・ソングとなり、ブロンクスから発信されたこの新しい音楽に多くの人は驚き、興奮した“オールド・スクール”ラップは彼らの代名詞となり、他の初期ラッパーが得られなかった幅広い人気を獲得
それはユーモラスに語る複数のMCに、リスナーと共にコーラスを歌い上げるシンプルなスタイルだった
それから20年――若い億万長者やギャングが蔓延するラップ業界で、シュガーヒル・ギャングの陽気なパーティ・ソングは、爽快で能天気に踊り歌うことがクールであった時代を思い起こさせる

その「Rapper's Delight」のヒットで知られるオールドスクール・ヒップホップ・グループ
シュガーヒル・ギャングのメンバーが元マネージャーを訴えたと、報じられた

訴えを起こしているのはシュガーヒル・ギャングのメンバーである
ワンダー・マイクとマスター・ジーの二人で、
シュガーヒル・レコードの創設者、かつ彼らの元マネージャーであったシルヴィア・ロビンソンと夫のジョーイ・ロビンソンに対して、
「Rapper's Delight」に関する数百万ドル(約数億円)分の著作権使用料が未払いであり、
さらに70年代に結ばれた契約に関しても彼らに騙されたと主張
シュガーヒル・ギャング側は、シルヴィア・ロビンソンとジョーイ・ロビンソン、
さらに「Rapper's Delight」の著作権を管理しているSugarhill Publishing社に対して、著作権料の支払いを求めている

なお、79年にシュガーヒル・レコードよりリリースされた「Rapper's Delight」は、ラップ/ヒップホップのレコードとしては初めてビルボードのポップ・チャートにて40位以内にチャートインするという快挙を成し遂げた
しかし、同曲の歌詞はシュガーヒル・ギャングのメンバーではなく、グランドマスター・カズという他のラッパーが作ったと言われており、彼の名前は一度もクレジットされず、十分な報酬も支払われていないと伝えられている
「N.A.S.A.」

LA〜サンパウロを繋ぐ注目のヒップホップ&エレクトロ・ユニット、N.A.S.A.が来年デビュー

ロサンゼルス出身のプロデューサー、スキーク・E・クリーンと
ブラジル・サンパウロ出身のターンテーブリスト、DJゼゴンによるプロデュース・ユニット、
N.A.S.A.(North America/South America)の
デビュー・アルバム『The Sprit of Apollo』が来年2月リリースされる

『The Sprit of Apollo』にはカニエ・ウェスト、ウータン・クランのメソッド・マン、RZA、故オール・ダーティ・バスタード、パブリック・エナミーのチャック・D、KRSワン、ジョージ・クリントン、ジュラシック5のチャーリー・ツナ、ファーサイドのファットリップ、M.I.A.、スパンク・ロック、クール・キース、シズラなど蒼々たるメンツが参加
ヒップホップ、エレクトロ、ブレイクビーツ、ブラジリアンなど、様々な要素が詰まったN.A.S.A.のトラックと、豪華アーティストとの競演は間違いなく大きな話題を呼ぶこと間違いなし

今年12月にはチャック・Dの参加した 「Money」のプロモーション・ビデオが先行公開され、さらにアルバム制作の舞台裏をつづったドキュメンタリー作品の公開も予定
さらにシェパード・フェアリー(OBEY)、マーク・ゴンザレス、バリー・マッギーなど、こちらも名だたるアーティストがアートワークの面で協力しているらしい

「Busta Rhymes」

意表を突いた派手なパフォーマンスと破天荒なキャラクターで人気が高いラッパーのバスタ・ライムスだが、彼と新進プロデューサーのロン・ブロウズによる最新シングル"Arab Money"がイギリスで非難の的となっている

イギリスの人気DJスティーブ・サザーランドが、29日午前のGalaxy FMラジオの持ち番組中に"Arab Money"を放送
すると放送後に視聴者から激しい苦情が寄せられたという
この曲ではイスラム教の聖典コーランの一節を引用
さらにそれにメロディをつけて歌っていることが、イスラム教の教義に反しているという抗議が起きている

バスタ・ライムス本人は「アラブの文化に敬意を表しているだけ」とコメントしているが、この抗議を受けたGalaxy FMは公式サイトで曲名とレコード会社名を表記した上で「視聴者に困惑を与える意図はなかった」と釈明、および謝罪
さらに局を統括するGrobal Radioはサザーランドと番組プロデューサーの停職処分を取り決めている
同番組はイギリス国内・隣接するスコットランドのアーバン系番組の中で高視聴率をマークしている番組で、これまでにバスタ・ライムスをはじめカニエ・ウェスト、50セント、ビヨンセ、メアリー・J.ブライジら著名アーティストが多数出演している

"Arab Money"は先日ディディやエイコンらを迎えたリミックスの第1弾とミュージックビデオも発表され、本国のチャートを再浮上し始めている

バスタ・ライムス "Arab Money" (※PCのみ/音が出ます)
http://notrax.jp/video/detail/00000000000000001960.html
「Jay-Z X Notorious B.I.G.」

先日、ジェイ・Zの新曲"Brooklyn (Go Hard)"がリークされた映画
"Notorious"のサウンドトラックに、もう一つサプライズが準備されていることが明らかになった

この映画は90年代にわずか2枚のアルバムを残して急逝した伝説的ラッパー、故ノトーリアス・B.I.G.の伝記映画
プロデューサーのウェイン・バロウ氏がHollywood Insiderに語ったところによると、
ノトーリアス・B.I.G. がマネージャーだったディディとの契約のために準備した未発表デモトラックの収録を予定しているというもの
バロウ氏は「すべて手を加えずに保管してある。彼にメジャー契約をもたらした率直でシンプルなこの音源は、ファンも待ち望んでいるはずさ」とのこと

他には、ヒット曲はもちろん、息子のクリストファー"CJ"ウォレスがゲスト出演した"One More Chance"のリミックスなどが収録される模様
このサウンドトラックは輸入盤新年1月13日に発売予定

皆、要チェックYa!!
「Brandy」

レーベルからの契約打ち切りや交通死亡事故などの逆境を経て、ついに4年ぶりの新作"Human"のリリースが9日に迫ったブランディが、現在の心境を語った

Billboard.comのインタビューでブランディは「この数年間は苦しかった。一度落ち込んでしまうとなかなか這い上がれないものね。きちんと向き合って、前進する強さを見つけるしかなかったから、音楽シーンへの復帰がどれほど助けになったことか。スタジオに入ったら蝶が飛び立ったようだったわ。日記をつけ始めて、自分が感じていることを歌いたいと思うようになったの。今度のアルバムはすべて生活であり、みんなも経験していることよ。私たちは誰も独りじゃないし、時には人に立ち上がらせてもらうことも必要なの」などとカムバックまでの苦しかった胸の内を明かした

新作リリースを受けてブランディは、ツアーを行うことも念頭に入れているとのこと
「Usher」

わずか15歳でデビューしたブラックミュージックシーンのアイドル的シンガー
通称「ニカウさん」こと強力エンターテイナー、アッシャー
歌い、どんなスローな曲でも必ずといっていいほど踊ってみせるそのパフォーマンスは、明らかにマイケル・ジャクソンを意識したものだと思われ、特にアメリカ国内では女性ファンからの圧倒的な支持を集めている

14歳でLA Reid に見出され、
翌年リリースしたアルバム"Usher" からは"Think of you"をヒットさせ、
高校卒業後の97年のセカンドアルバム"My Way"でその人気を決定づけた
このアルバムから出世作"You make me wanna.."をはじめ"Nice & Slow"、"My Way"といったヒットシングル(3枚ともにプラチナム=100万枚のセールスを記録)を生み出しており、
その時期の流行を貪欲に取り入れ、方向づけた感がある
さらに2000年の"All About You"に楽曲を追加した、01年の"8701"(オフィシャルの3rdアルバムとされる)とたて続けにアルバムをヒットさせ、スターの貫禄を身に着けた
特にこの時期はポップよりな男性R&Bシンガーとして同じようなポジションにあったジニュワインとのライバル関係のようなものがお互いの作品から感じられて面白かった
"8701"からは"U remind me"、"U don't have to call"、"U got it bad" などの連続ヒットでお子様アイドル的イメージを払拭、これらの曲が気合いの入ったライブ・パフォーマンスで楽しめるDVDなどもリリースしている

そして迎えた2004年、前評判の高かったアルバム"Confessions"をリリース
相前後して長期にわたるチリ(Chilli / TLC)との破局が伝えられるなど話題になるが、それよりなによりリル・ジョンプロデュースによるクランクビートをR&Bに仕上げた"Yeah!" が特大ヒットを記録、アルバムも売れに売れている

さらにアリシア・キーズとの甘いデュエット"My Boo"もスマッシュヒットを記録、
この曲を追加収録した豪華盤"Confessions" をリリースし、トータルで2004年に最も売れたアーティストとして認められる

その後、元はスタッフだった年上のタメカ・フォスターと交際を続け、2007年に結婚
タメカがアッシャーの第1子を生んでいる
翌2008年には4年ぶりとなる大作"Here I Stand"を発表、
先行シングル"Love in This Club"でいきなりポップチャート1位をさらうなど、根強い人気を誇っている

そして、妻タメカの妊娠をメディアに伝えていたアッシャーに、待望の第2子が誕生したことが明らかになった

08年12月10日水曜の午前2:33分に夫アッシャーの立ち会いのもと
約2,636グラムの男子を出産
男の子の名前はNaviyd Ely Raymond
約1年前に生まれたUsher Raymond V に続きアッシャー夫妻2人目の子供となる
現在母子ともに健康であることが伝えられている
『2PAC』

2Pac、獄中にて書いた幻の脚本が映画化
『Live 2 Tell』
と題されたこの映画は、2Pacが性的暴行の罪で服役していた95年に獄中にて書かれたもの
ドラッグや犯罪に人生を捧げた若き麻薬王を主人公にしたストーリーになっている
2Pacは自らが主人公を演じるという前提でこの脚本を書いていたが、
翌96年に2Pac自身がラスベガスにて撃たれ亡くなったことで、映画化は困難とされていた

今回の映画化は脚本の権利を所有している2Pacの母親、アフェニ・シャクールと映画制作会社のインソムニア・プロダクションが共同にて行なうもので、配役などは明らかになっていないが、今月末より撮影がスタートする予定であるという

なお、すでに報じられている通り、この映画とは別に2Pacの伝記映画の制作もアフェニ・シャクールらによって計画されていることが明らかとなっているが、映画化の権利を巡って映画制作会社が裁判を起こすなどのトラブルが発生しており、撮影に入るまではまだまだ時間がかかりそうである
『J Dilla a.k.a. Jay Dee』
『Pete Rock』

死後3年経った今でも支持され続けているプロデューサー、
故J・ディラの未発表トラックに、彼が尊敬してやまなかったというベテランプロデューサー、ピート・ロックがミックス、アレンジを施したアルバム
"Jay Stay Paid" が、6月2日、Nature Sounds からリリースされることが決定

大半がインストゥルメンタル曲という同作は、ピート・ロックがDJとして25曲にも及ぶトラックをラジオ番組風に仕立てになっており、ザ・ルーツのブラック・ソート、MFドゥーム、M.O.P.などがゲストボーカルとして参加、エグゼクティブプロデューサーはJ・ディラの母親マ・デュークスが務めるている

今回は、J・ディラがトラックを作り始めた頃の古いフロッピーディスクやDATテープに残っていた音源や、入院中のベッドの上で制作した最期の作品とも言える貴重なトラックが収録されている模様

"Jay Stay Paid" に先駆け、今月31日には、
バスタ・ライムスの"Show Me What You Got" や
コモンの"The Light"、
デ・ラ・ソウルの"Stakes Is High"
といったJ・ディラのヒット曲を集めた
11曲入りコンピレーションアルバム
"Dillanthology, Volume 1"も
Rapster Records からリリースされる模様
『Pete Rock & CL Smooth』

ピート・ロック & CLスムース名義で数多くの傑作を世に出し、
90年代半ばにHIPHOP MUSICの一つの完成形を作り出したトッププロデューサー

ヘヴィDとの血縁をきっかけのひとつとして、そのキャリアの初期からプロデューサーとして活躍する一方、
グループでは
EP"All Souled Out"、Mecca and Soul Brother"、
"The Main Ingredient"といずれ劣らぬ傑作をリリースし続けた、

外部作品としてはランDMCの
"Shut'em down"、"Down with the King"などを筆頭に
パブリックエネミー、ノトーリアスB.I.G.、ダス・エフェックスなどのプロデュース、リミックスにクラシックを残している

その後、Soul Brotherレーベルを立ち上げるものの
ソロ第一作"Soul Survivor" をリリースするのみにとどまり、
シーンからの注目を集めていたINI、ディーダなどのトータルプロデュース作品が正規リリースできないという状況を強いられる

2000年代に入るとBBEレーベルからインストゥルメンタルアルバムや久々のフルアルバム"Soul Survivor 2" を、
2008年には"NY's Finest" をリリース、
いまだに衰えないそのクリエイティビティをアピールしている

プロデューサーとしてはギャングスターのDJプレミアなどともにカリスマの一人と評価される一方、
関連作では渋い声を生かしたラップを聴かせることも多い
『J.Dilla a.k.a. Jay Dee』

J・ディラ
ヒップホップ・ミュージックに大きな影響を与えたデトロイト出身のビートメイカー

1974年生まれ、本名はJames Yancee
1994年に知り合ったQティップにデモテープを渡したところから、
ファーサイドのセカンドアルバム"Labcabincalifornia"('95)
収録の大ヒットシングル"Runnin'" を手がける事になり、
その名を一気に知らしめ、一大センセーションを巻き起こした
その後はデ・ラ・ソウルの"Stakes is High"('96)のプロデュースや、
バスタ・ライムスの"Whoo-Hah!!"('96) のRemix等を手がけ、
彼の名前とサウンドは急速にシーンに浸透していく

サンプルチョイスのセンスは勿論抜群なのだが、
リズムのプログラミング / アレンジにおいてもそれまでのヒップホップサウンドとは一線を画し、
「粒」や「間」などにより重点を置いた全く新しいサウンドを作り出し、
一聴すればジェイ・ディーとわかるようなその特徴のあるスネアやキック、へんてこなサイン波ベースのプログラミングが一世を風靡した
特にウマー結成以降にさらに使用頻度が上がっていく、
あのリリースが短く中域?中高域のピークをうまく引き出したスネア(リム?)サウンドは、まさに彼のサウンドタグと言えるだろう

その後も、自身の参加していたユニット、スラム・ビレッジのシングル群やアルバム"Fan-Tas-Tic Vol. 1"('96) / "Fantastic Vol.2"('02)、
トライブ(A Tribe Called Quest)の4枚目"Beats, Rhymes and Life"('96)、
および5枚目のアルバム"The Love Movement"('98)、
Qティップのソロアルバム"Amplified"('99)等、
とにかく多数のアルバムやシングルにプロデュースで参加しており、
特に彼の手がける"The Light" の大ヒットが記憶に新しい、
コモンのアルバム"Like Walter for Chocolate"('00)でのプログラミングに関しては、彼のファンキーさがアーティストの雰囲気とマッチした晴らしいコンビネーションぶりを見せている

BBEやStones Throw等の良質レーベルから、より「アーティスト」としての扱いでのリリース群もあり、
BBEからリリースしている"Welcome to Detroit"('01) は、とてもイマジネーションに訴えてくるコアなサウンドが詰まっている
さらに、マッドリブとのコラボレーションユニット、ジェイリブでも
"The Red" 等の素晴らしい曲をJ・ディラ名義でリリースしており、コアなアンダーグラウンドリスナー達を毎度唸らせている

2003年ごろロスアンジェルスに居を移すが、この時期に「狼瘡(ろうそう)」という免疫疾患と診断され、制作活動を続けつつも闘病生活を送ることになる

2006年、久々にソロ名義での作品となるインストゥルメンタル集"Donuts"をリリースするが、
そのわずか4日後に狼瘡に伴う合併症で逝去
ヒップホップシーンに衝撃を与えた
以降、「Dilla Changed My Life」 といったコピーが流布され、
その早すぎる死を惜しむ声は根強い

本人の遺作として"the Shining"('06)がBBEより発表され高い評価を受けたほか、
2003年の"Ruff Draft EP" が大幅に音源を追加して再リリースされるなど、その作品は死後も発表されている
この時期にリリースが予定されていた日本企画盤"Jay Love Japan"は一部音源のブート流通はあったものの、正規流通には至っていない

2007年にはコモンがJ・ディラ追悼の意を込めたアルバム"Finding Forever" を発表、
バスタ・ライムスもDJミック・ブギーとの共作でストリートアルバム"Dilligence"をリリース
亡くなった現在もヒップホップ・シーンにその息吹を感じさせる、稀有なアーティストだ

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