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THE 感動する話コミュのhide

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涙そうそう



元XJapanのhideです。
hideが亡くなった時、僕はまだ中学生でした。

個人的にも好きなんですが最近骨髄バンクの事を調べていると
hideの名前が載っている物が多くありました。
そしてこの話を見つけました。

1995年、hideがまだXJapanにいた頃の話です。

和歌山に貴志真由子というhideの大ファンの女の子がいました。
その子は世界でも22例しかないという難病を患っていました。

真由子さんは病気との闘いで疲れていた時にいつからか

『hideに会いたい』と思う様になっていました。

真由子さんの支援団体のメイク・ア・ウィッシュを通じて
XJapanのスタッフに一か八か電話をかけた真由子のお母さんは

『なんとか少しでも時間を作って頂けないでしょうか?』

とお願いしました、しかし

『病気の娘さんをhideに会わせたい?
無茶ですよ!この忙しい中そんな時間とれませんよ。
申し訳ないですけど、そういう事ですので、お大事に』

と言われました。

しかしそこに偶然、事務所に来ていたhideが
電話を切ったスタッフに話しかけました。

『…病気が、どうしたって?』

『なんかよく分からないですけど世界に22例しかない
難病にかかっているファンの女の子がhideさんに会いたいって。

でも大丈夫です、ちゃんと断っておきましたから。
あんまりしつこいから思わず怒鳴ってしまいましたよ』

その言葉を聞き終わる前にhideは目を見開き
スタッフの胸ぐらをつかんでいきなり殴りかかりました。

『いきなり何するんですか、hideさん』

hideは静かにスタッフに話しかけました。

『お前 何様のつもりだよ。
その子が…母親が…どういう気持ちでどういう境遇なのか考えたことあるか』

Hideは言い終わると別のスタッフに指示を出していました。

『今、電話あった人にすぐ連絡を取ってくれ
そいつは、俺のダチだから』

そして、自分に会いたい!と望む真由子さんの願いを快諾しました。

hideは1995年 12月31日、XJapanの東京ドームライブで
真由子さんと会い、とびっきりの笑顔で少女に話しかけました。

『ヤッホ〜真由子!今日は楽しかった?』

真由子さんは、顔を赤らめながら、無言で頷きました。

『そりゃよかった』

hideはその後、ライブの打ち上げにも招待して
真由子さんを友達だとメンバーにも紹介しました。

そして真由子さんは不自由な手で2ヶ月かけて編んだマフラーをhideにプレゼントしました。

真由子さんは照れて真っ赤になった顔で黙ってhideに渡しました。

『ん?なにコレ?俺に、くれんの?』

『うん』

『なんだろう?うわぁ〜マフラーだ』

と喜んだ後、即座に自分の首にマフラーを巻きました。

その時hideは我に返りこう思いました。

『この子は病気だったんだ。

病気で話すことも、ままならないのに

どれだけ苦労して、マフラーを…』

hideはそのマフラーを死ぬまで宝物の様に
大切にしなければと大感激していました。

(なお、このマフラーはhideの死後
hideの形見として真由子さんに渡されました)

その後も手紙を送ったり、お見舞いに訪れたりと
交流を続け、真由子さんを励ましていました。

1996年3月28日に真由子さんは治療のために
骨髄移植手術を受けましたが手術後の1996年4月1日に拒絶反応のため
心臓に水が溜まってしまい危篤状態となりました。

真由子さんの母親から

『hideさんの声だけでも良いから聞かせたい』

と電話を受けたhideはその日の予定を全てキャンセルし病院へ駆けつけて
数時間の間、集中治療室のベッドの横で何度も何度も瀕死の真由子さんに語りかけていました。

『どうしたんだ真由子…病気を治して…またライブに来るんだろ。

お前は俺なんかより…全然強い子じゃないか…がんばんだ』

ベッドから、離れずに励まし続けました。
真由子さんの母親は大感激しました。

『まさか来て頂けるなんて…お仕事もあるのに…申し訳ございません』

深々と頭を下げ恐縮してしまった母親に向かってhideは

『大丈夫、仕事なんかより真由子の方がずっと大事ですから。
急いでいたから何も持ってなくて…アイツの…真由子のお守りにしてください』

と言い終えると

左手に、はめていた指輪を母親に手渡してhideは病室を後にしました。

母親は泣きながら

『hideさん…真由子のために…
本当に…本当に…ありがとうございます…』

とhideに心から感謝しました。

結果その晩に危篤を抜け出し徐々に病状は良くなって数ヵ月後には退院する事も出来ました。その後真由子さんの病状は奇跡的に回復していきました。

その後も真由子さんと交流を深めていくhideは

『できることをするだけ』

あくまで個人的に、骨髄バンクに登録をしたが、その登録をした日に所属事務所が独断で急遽記者会見をセッティングしてしまい実弟でありhideのマネージャーでもある松本裕士はそのことを一切知らなかったと、著書『兄弟』の中で話しています。

記者会見自体はしぶしぶ行いましたが、その会見後にhideは

『これじゃあ売名行為じゃねえか』

と言って実弟を殴り飛ばしました。

慈善活動をひけらかすような行動を嫌っての事でありましたが結果的にこの報道が日本における骨髄バンクの認知度向上に大きく貢献する事となりました。

しかしその頃、hide自身に彼の人生そのものを変えてしまう転機が訪れていました。

YOSHIKIとTOSHIの確執に端を発していたX Japanのバンド解散発表でした。

そして1997年12月31日のケジメとしての解散ライブ及び紅白歌合戦出場を終えて
X Japanは解散しました・

最後までX Japanのバンド続行を希望したhideはファンに与えた痛みを償うかのように年明け後すぐにソロ活動をスタートしました。

あまり出ていなかったテレビにも積極的に出演し今後更なる精力的な活動が展開されるかに思えていました。

そして1998年5月1日、hideはSpread Beaverのメンバーと共に
フジテレビの音楽番組「ロケットパンチ!」の収録を行っていました。

その打ち上げ後、日付をまたいで更に飲み泥酔したhideは実弟でマネージャーの松本裕士が運転する車で自宅マンションまで送られました。

そして5月2日の午前8時52分に病院で死亡が確認されました。

当日の午後3時頃からテレビで一斉に

『元X Japanのギタリストhideが死亡』

と流れていたのを今でもよく覚えています。

そしてファンがhideの後を追うケースが日に日に増えていきました。
そのため翌日に警視庁の要請で元X Japanのメンバーが記者会見を開き
自殺を思いとどまるように訴えていました。

これもすごく印象に残っています。

そして5月6日の通夜、5月7日の告別式の両日はファンの献花を受け付けていましたので、すごい人数のファンが全国から押し寄せてきました。
しかし5万人近い人数が集まったのにもかかわらず

『ファンは列に並ぶ際、パニックになるような事も無くむしろ近隣住民の迷惑にならないようにゴミ拾いまで進んで行う素行の良さであった』

と、葬儀翌日の朝日新聞の記者が語っています。


hideの死を真由子さんが知った時、真由子さんは泣き叫び憔悴しきった泣き顔で
こう呟いていました。

『…死ぬ、死んでアタシもhideのとこに行くんだ』

死ぬ前にと思い、真由子さんは生前お見舞いに来ていたhideから挫けそうになった時に読むように渡されていたhideからの手紙を手に取って読み始めました。

hideが書いていた真由子さんへの手紙には

『昔の事とか、初めてのドームの事とか忘れていた色々な絵が見えてきてかなり感動したんだ。

小さい頃にイジメられてたこととかSABER TIGERをやってたときの事とか…
そのサーベルが解散して絶望していたときXに誘われて救われた事とかかな。

Xが成功して忙しくて昔の事とか忘れてたんだけど今の俺があるのは
過去の経験があったからなんだ、それを忘れちゃきっと俺はいつかツブれてしまうと思うんだよ…真由子のおかげで思い出さなきゃいけなかった、いくつかの事が頭に焼きついたよ。

ありがとな。

真由子は…俺に支えられてたかもしれないけど俺も…真由子に…いろんな人に支えられてるんだ。

だから何があっても、負けんなよ。君は、強い子だ』

と、感謝と激励の言葉を残していました。

その手紙を読み終わった後に、泣きながら

『そうだね…そうだよね。私は…強いんだ、hideみたいに…』

そしてhideの分まで、強く生きていこうと決意したのでした。

2008月3月28日、東京ドームでのX Japanの復活ライブに
特殊映像などを駆使して再現されたhideが登場した姿を見届け
hideの長年の悲願でもあったX Japanの復活をこの目で見届けた1年半後。

貴志真由子さんはhideが他界した11年後の
2009年9月30日に和歌山市内の病院で肺出血による呼吸困難により

28歳で他界しました。

真由子さんの葬儀ではhideの音楽が聞こえていたそうです。

コメント(11)

私もhideのファンです。
彼が作り出すもの全てが新鮮でかっこよかった。
彼の死はあまりにも突然すぎで本当にびっくりしました。

最後の最後まで本当にかっこよすぎです。

人にやさしく、人の痛みを考え。。。
尊敬します。
これだけの人に愛されるhide。。。。
それだけの理由があるのですね。。。

hideは、がんばって生きていく活力です!
XJAPANの曲自体はよく知りませんが、そんな私ですら彼の死は悲しいものでした。
体面を取り繕うことなく、正直な彼が一人の人間として好きですね。
真由子さんだけでなく、後輩バンド、音楽撮影スタッフ、ファンにも優しいってことで有名です。
僕は彼が亡くなる少し前にファンになり、死んでから昔の映像、音楽などを模索し、自分で彼と同じモッキンのギター買ってバンド始め、はたまた、進路もhideと同じく美容師までも志したものでした。音楽の中心は今でもX、hide、GLAY、LUNA SEAです。
XJapanの曲というのはよく知りません。ですが、XJapanというグループが世界的に有名というのは知ってました。そのXJapanというグループの背景にこんなすごい話があったとは、すごく感動です。二人のような強い人は尊敬します。
俺もhideが大好きです。
この真由子さんを勇気づける為に書かれた【MISERY】も大好きです。

みんなに知って欲しい曲の1つです。

青春時代はよく
XJAPANを聴いてました。。
解散後、hideの行動がこのような事だったとは思いもしなかったです。

もう一度、XJAPANの曲を聴き返そうと思います。

ヒデさんは何故亡くなったんですか?

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