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THE 感動する話コミュの泣かない母

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涙そうそう。

涙そうそうが世に知られたときにあなたの涙そうそうを
教えてくださいという募集に送られてきたもので
僕が、涙そうそう、涙でそうでそう、いや涙でてる涙でてるになった作品です。


母の会社の同僚の方から1本の電話があった。

母が突然具合が悪くなり病院に運ばれたと…。
それでも母は自分で私の連絡先を教え

『病院に来るときはあわてないでおいで』

と伝言を頼んだそうだ。

祈る様な気持ちで病院に着くと検査を終えた母が車椅子に乗り部屋から出てきた。私に気がつくと照れた笑顔で

『ごめんねぇ』

と一言。
その姿を見て、少し救われた。医師から病名を聞くまでは。
病名は脳腫瘍。医師は私と母本人を前にして淡々と告げ、手術以外はないと言った。

血の気がひき顔をこわばらせる私の横で母は顔色を変えることなく
困ったわねといった感じで先生の話を聞いていた。

病室が空くまで自宅安静となり、その日は病院に近い私の家に泊まることになりました。帰宅後、重い空気の中で母が

『お腹すいたぁ、何か食べよう』

と。

正直私は胸がつかえて何も入りそうになかった。
いつもと変わらず食事を取る母を見ると切なくなった。
きっと母は自分が落ち込むと家族が悲しみ苦しむ事を思い
少しでも心配を減らそうと気丈に振舞ってるんだ。

そしてこれから病と闘う自分を奮い立たせているんだと
そう思うと母の笑顔が悲しく見えてならなかった。
私は

『お母さん、辛い時や悲しい時は私の前では泣いていいんだよ』

と言わずにはいられなかった。
すると母は

『泣いてどうなるの。泣いてどうにかなるなら泣くけど
どうにもならないことには、お母さんは泣かんよ』

と優しく力強い声で私に言った。

母の心の強さと家族を想う大きな優しさを思い知らされた言葉だった。
母は入院してもいつも明るく病室のムードメーカーで
他の患者さんの話は聞きながら涙し(決して自分の事では泣かないのに)
励まし気遣っていた。

どんな時も前向きで、少しも後ろを振り向くことなく病気と闘う母を
見ているうちに私自身も

『そうよ、手術して腫瘍を取れば大丈夫なんだから』

と思うようになっていた。

しかしそんな思いは手術前の検査で脆くも打ち砕かれた。
医師からの説明では

『腫瘍はかなりやっかいで手術しても完治は望めない』

と…。

私達家族は悩んだ。完治を望めないのなら、このままの状態で
その時を迎えさせた方がいいのか…。
でも私たちは何もしないまま母との別れがくることが辛かった。

手術をして少しでも母との別れが延びる事に願いをかけた。

やはり母は強い人だった。手術後の抗がん剤、放射線治療も
泣き言一つ言わず病と闘い、10月にはなんとか退院することが出来た。

しかし仕事復帰を目指す母や私達の想いとはうらはらに翌年2月に再発。
悪魔のようなガン細胞は母の体力も、体の自由も、そして母の明るい笑顔さえ
全てを奪ってしまった。

自力でトイレに行くことも出来ず、病院の勧めもあり母に再入院を告げると

『トイレに自分で行けるようになってからね。看護師さんたちも大変だから』

と、どこまでも心細やかな母だった。

再入院後、母の体調が許す限り自宅に帰り、つかの間の一家団欒を過ごした。
ある日

『自分がやってきたことは良くも悪くも後から必ずその報いが
巡ってくるのだから、しっかりと生きなさい』

とそう言った後

『お母さんも、まだ修行が足りなかったのかなぁ』

とさびしげに呟いた。私は

『そんな事ないよ!』

と言うのが精一杯でした。

6月に入ると意識が混濁し、母との会話も少なくなった。
会話が出来る時には母はしきりに

『あなたたちも、もう一人子どもを産みなさい』

と繰り返した。姉も私もすでに2人の子どもがいて正直3人目なんて
考えておらず、ましてこんな状況で妊娠なんて、と思い

『2人で充分よ』

と答えていた。

すると母は

『お母さんも3人産んでよかったと思うから。
きょうだいが多ければお互いに助け合える、あなたたちのように…』

その言葉に胸が熱くなった。

母がこの病に倒れた時と同じく夏が来た。

その頃にはもう何度も危篤状態になっては持ち直す、という日々が続いていた。
ある日の夕方、昼間に付き添いをしていたにもかかわらず無性に会いたくなり
幼い子どもたちを残し、母のいる集中治療室に向かった。


いつもなら、いくら声を掛けても反応しない母が突然目を開け
私は思わず語りかけた。とりとめのない話をただ続けた。
もちろん母から言葉が返ってくることは無かった。




天井を見上げている母のその目を見ているうちに

『お母さん、もう逝くんだね』

そう感じた途端、涙が溢れた。

看護師さんから

『せっかくお母さんが目を開けているのに泣いちゃだめよ』

と看護婦さんも泣きながら肩をたたいてくれた。

それでも涙がとめどなく溢れ出てきて

『お母さん、うちに帰ろうね』

と声を掛けていた。

翌日、母は私たちから旅立った。




病気では泣かなかった母が倒れてから一度だけ私たちに涙を見せた事がある。

秋の退院祝いの席で、寡黙な父が

『お母さんの入院中、お前たちもそれぞれ家族や小さい子どもたちがいる中、
本当によくやってくれた。ありがとう』

と頭を下げた。

姉が

『お父さんとお母さんが、そんな子どもたちに育ててくれたのだから…。』

と答えると父とそして母はその言葉に涙した。


翌年の夏、母の願いどおり私は3人目を出産した。

その日はまさに母の旅立った日であった。


私は母に逢いたくなったらアルバムをひろげ、語りかける。

『私の母でいてくれてありがとう』

『私に3人目を授けてくれて、ありがとう』

そして母に誓う。

『貴方のように、心つよく、大きな優しさで、私も子どもたちを育てていきます

貴方が私を育ててくれたように』


書いてる間にまた
涙そうそう、涙でそうでそう、いや涙でてる涙でてるになってしまった。

コメント(13)

涙でそうでそうあせあせ(飛び散る汗)電車の中だから我慢我慢…

親孝行しなきゃなぁ…いつかの別れの時に後悔がないように…
かあちゃん。今日遅くなるけど俺が晩ご飯つくろうか?と母に電話しました。
涙でたでたです

母とは離れて暮らしていますが、久しぶりに会いたいなー
強いお母さんです 自分が苦しいのに家族や周りの人たちを励ます 強くてやさしい そして深い愛
高2の時に亡くなった母を思い出しました。

そんな私も三児の母…

ツライ時もあるけれど、頑張って生きようとあらためて思いました。

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