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THE 感動する話コミュの70年前の日本人

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改めて載せます。
 
戦後しか知らない世代が増えてきました。僕もそうです。
僕らが戦争の事を知るのは受動的には学校の授業しかありません。

興味を持って動けば自分で知る事は出来ます。
この話が少しでも昔の事に興味を持つきっかけになってもらえれば幸いです。

日本は確かにひどい事を色々な国に対してしていました。
しかし、ひどい事だけではなかったという事を知って欲しいです。

僕らのおじいちゃん、おばあちゃんの時代の日本人が戦争中に間違った事しかしていなかったと僕らの世代が思うのは、非常にその世代に対して申し訳ない気持ちでいっぱいです。

世界にある親日国の中で有名なのはトルコです、しかしインドもこれまた親日国です。

例えば日本では原爆の日には広島と長崎で式典を行いますよね。
インドでも原爆の日は国会で黙祷が捧げられます。それだけではなく
インド国内で戦死した日本軍のお墓を国が国費を持って維持してくれています。

昭和天皇が崩御した時も日本本国が2日しか喪に服さなかったのに対して
インドは3日も喪に服しました。

何故インドがここまで親日なのかは仏教や勤勉な国民性といった共通点が多いのとガンジーのトピでも書きましたが当時イギリスに植民地化されていたインドの独立運動の為にイギリスと戦ったのが日本だからというのがあると思います。

他にスリランカ。

スリランカは当時セイロンと名乗っていました。第二次世界大戦が終わりサンフランシスコ講和会議の時、戦勝国が日本に対して賠償や領土の割譲を叫ぶ中、当時の蔵相のジュニアス氏は

『憎悪は憎悪によってやむことなく、愛によってやむ。
私達セイロンもイギリス軍に長きに渡り植民地とされていましたが日本軍によって開放され独立を果たしました。

私達セイロンは戦勝国ではないが本来であればイギリスに植民地にしていた間の
賠償を申し出たい。

しかし日本が開放してくれた愛を憎悪に変える訳にはいかない。
私はイギリスを愛によって許す。
戦勝国の国々も日本の事を愛を持って許してほしい。』

とスピーチした所、東南アジアの国々から同様の意見が次々に出てきたために
会議は一旦中止し、その間にジュニアス氏の演説に感動した当時の首相吉田茂は涙を流し、各国にお礼を言ったそうです。
結果日本は賠償放棄という権利を得ました。

次にパラオ。パラオの話は有名ですよね。国旗を日本の日の丸をモデルにして作ったが日本に失礼があってはならないので少し丸の中心をずらしたなど色々なエピソードがあります。

パラオをずっと統治していたのはアメリカでした。
開戦後アメリカの統治から日本の統治に変わった時、パラオの人は驚きました。

てっきり日本語の教育をされるかと思っていたらアメリカ人が廃した現地語の教育をやり始めたのです。もちろん日本語の教育も希望者にはしました。というか日本軍の兵士達がみな優しく紳士的だったので日本兵と話したい一心で島民のほぼ全ての人が日本語の教育も受けました。このためパラオでは多くの方が日本語を話せます。日本軍が撤退した後も日本語の教育を現地で続けたからです。

日本軍が撤退して、やってきたアメリカ人が最初にやった事は現地語の廃止と日本がつくった発電所やダムや交通に欠かせない橋などを壊した事です。
日本は悪という現地教育をアメリカが徹底的に行う一環としてです。

その後新しく作ってくれるのかなと思っていても中々作ってくれません。
アメリカが壊した橋や発電所は40年後に日本のODAで再び日本の手によって建てられます。

そして1995年、アメリカからパラオは独立を果たします。
その独立の式典でどこの国よりも来て欲しかったであろう日本の代表は来ませんでした。パラオは国賓扱いで招待も出したのに。
理由は選挙戦があるためでした。国政選挙ではなく地方の市長選挙です。
当時は村山首相でした。

僕はこの話を聞いた時にもっとしっかり政治に興味を持っていたらよかったと思いました。
当時僕の周りの親や先生は村山首相の事をまゆげのおじさんと言っていたので子供心に、つい親しみを持っていた僕の気持ちを返してくれといいたくなります。

日本の代表が来ない事でパラオの人達は日本はもうパラオの事を忘れてしまったんだと思いショックを受けました。
そしてその年のアンケートで一番好きな国はどこですか?と聞かれたパラオ国民は日本ではなくアメリカを選択しました。

当時の日本政府の手抜かりで親日国を一つなくしかけました。幸いパラオの人は翌年以降は日本が一番好きと言ってくれていますがまた日本政府がおろそかにすると同じ事が起るんじゃないかと不安です。



最後にインドネシア。

日本軍司令部に勤めていた青年が戦後、日本政府にあてた手紙を引用します。


『私は戦争中、日本軍の現地司令部で色々大切な事を学ばせていただきました。
人生が広がったのは日本のおかげです。感謝しています。

歴史上初めてアジア人が白人に勝った日露戦争の事は高校時代に先生から誇らしい事として教えられました。
インドネシアではオランダ軍がそういう情報をストップしてアジア人でも白人に勝てるんだという事を現地の人に思わせないようにしていました。
そして戦争が始まりマレーシアを取り、いよいよインドネシアに日本軍が来るという情報がきました。

私達は日本軍と協力する為に極秘に接触を試みました。そして日本軍の司令官に兵と銃や大砲の用意があります、と伝えた後の答えが意外でした。

『ありがとう、君達の気持ちだけで十分日本はオランダと戦えます。
オランダがいなくなった時に君達の一人でも欠けたならそれは日本にとって勝利ではありません。戦う意味がないのです。だから君達はマレーシアに避難していて下さい。君達全員を輸送する船は私達は持っています。』

というと船に島民を載せマレーシアまで送ってくれました。
その一週間後マレーシアに日本軍の司令官が来て

『ありがとう、君達のおかげでオランダに勝てました。
インドネシアという国を作ってください。良い国にしてください。
最初のうちは日本があなた達を守りますから頑張ってください。』

そしてインドネシアは独立を果たしました。占領軍という名の日本軍はいましたが何をしていたかというと本当に警察の役割でした。
泥棒をつかまえたり、護身術の教室を開いたり。現地から物資を取る事は一切ありませんでしたね。

日本軍の宿泊場所はジャングルの中のキャンプでした。これでは申し訳ないと思った私達は日本の兵隊さんをそれぞれの家に泊めてもてなそうと企画しました。

日本軍の司令官に伝えると喜んで頂き、じゃあ私はあなたの家に厄介になります。と言ってくれましたね。

家ではナシゴレンやお菓子を家族総出で作っていました。
家にいる間は母親の事をお母さんと呼んでいましたね。
ですが私達の食糧事情を知っている日本の兵隊さん達は少し食べると
お腹いっぱいだ、とバレバレの芝居をして子供達に分けてくれました。

そして帰る時にこれはお世話になった分と言って、お金を置いていきました。

『いらないですよ』
と言っても

『私達は軍人だしいつ死ぬか分からないから、いらないんです。』

と笑いながら話すあの顔が忘れられません。

そしてその数ヵ月後、その人達はマレー沖に出陣して一人として
帰ってくる人はおりませんでした。

今、日本では兵隊さん達を処刑しているそうですね。
その人達は本当に悪い兵隊さんなんですか?
私達が接した日本人に悪い人は一人もいませんでした。
もし私達が接した日本人を処刑しようとしているなら
私達インドネシアは悲しいです。 』

後のインドネシア初代大統領スカルノから日本に送られた手紙です。

実際インドネシア人が日本軍に兵として協力したことは確かですが
それは募集してくれという強い要望がインドネシア側からあったからです。
500人だけを募集するつもりが17000人の応募が来たのですから
日本がインドネシアに対してどう接していたのかが数字からでも分かります。

コメント(20)

 スカルノ大統領が日本に送った手紙の文面にとても感動しました。

 微妙くんさん、ありがとうございます。

戦争はどちらか一方が悪いという事は無く、様々な問題が複雑に絡み合っていると思います。第二次大戦で大儲けをした日本の政治家、商人もいるでしょう、戦後の日本が経済大国となるきっかけもお隣、朝鮮の戦争が大きく影響しました。隣国の不幸により日本が豊かになったという一面も否定できない訳です。

当時は『富国強兵』が国の栄える唯一の政策だと先進諸国は信じていたのでしょう。この様な社会で起こった様々な事柄は今の我々からすると『極悪非道』という事になるのでしょうが・・・・。

ナチスドイツは何百万人というユダヤ人を殺害しましたが、広島、長崎に投下された原子爆弾はアメリカに亡命したユダヤ人科学者達の手によって研究開発されました。ユダヤ人は被害者なの加害者なの?・・・・。

『戦争は関係する人や国を加害者にも被害者にもするもの』というのが私の見解です。  
                トピずれてましたらごめんなさい。
日本を否定する日本人が増えている気がしますが、
僕はやっぱり日本が好きです
だからこのトピを読んでいて凄く誇らしく感じましたるんるん

話は変わりますが、
僕は戦争反対です。
国民が一人でも国を守る為に死ぬなら、
何の為の国なのか解らなくなる…ソレが考えでしたあせあせ(飛び散る汗)

戦争の時代を経験した祖父母にそういうと、
何故か「情けない」と言われ…
悔しくて靖国神社の戦争博物館に行きました人差し指

博物館にはイロイロな展示がありましたが、
中に兵士の写真があって…
ソコに写ってる兵士達は皆今の僕と変わらない顔をして居て

正直解らなくなりました。
殺す事も殺される事も間違ってる、
けれど何かを守る為に自分と同じ人間が戦う事を選んでいた。。

けどホント大切なモノを見た時に戦争は正しく見えるはずがありません、
今の僕には単純に過去を間違っているとは言えませんが、
今や未来の事に関しては間違ってると言えます。

皆が本当に大切なモノを感じて生きられたら幸せですよね
とてもいい話ありがとうございます。いい勉強になりました。
パラオの話を見て色々と知ったときホントに政治家はなにも考えていないんだなというのがよくわかりました。
戦争中は命令を出すのは上の人間戦い苦しい思いをするのは下の人間
というのは今もあまり変わらないのではないかと考えさせられました。周りの国の目を気にしてペコペコ頭を下げていいように好きなことを言われている、確かに今は平和に暮らしていますが、近いうちに日本が潰れてしまうのではないかと最近考えるようになりました。日本の将来を担い、自らの命を投げ出して戦ってくださった日本の英霊たちにはホント感謝しています。何不自由なく暮らせているのもその人たちのおかげです。
ニュースで靖国神社参拝の問題をやっていましたが、自分は管直人には政治家ではなく一日本人として参拝するべきではないかと思いました。
あまり政治や歴史について知らないのにでしゃばったことを言ったり、間違ったことを言っていましたらすみませんでした。あと長々と長文を失礼しました。
インドの方の話は、小学生の頃に歴史の時間の、ちょっと脱線話で聞きました。

「日本を知らない人が外国語を学ぶのは早い。」と、聞いたこともある。
> ずんころもちさん

本当にその通りだと思います


マスコミの話や
政治家が言うことを
国民が鵜呑みにしてしまっては

それこそ日本が終わってしまう気がします
> ずんころもちさん

同感です。

日本がした良い事悪い事の全てを知った人が議員になって欲しいと常々思っています。

あまり知られていないですが、ジャパンアズナンバーワンが出版された時アメリカのボストンの学者達が、もし日本をABCD包囲網で苦しめていなかったら現在はどのような国になっていたかというシュミレーションを行いました。

結果は、日本は第二次世界大戦に中立国として参戦しアジアの国々の植民地解放に協力する。

そして現在のアメリカのポジションに、アジア各国の協力を得て日本がなる。


と言った発表内容でした。アメリカ国内では規制され日本でも公式には発表されませんでした。

京都の資料館にはその内容が載っている資料がありましたので他の県の資料館にもあると思います。

興味持たれた方は調べてみてください、色々書かれていて嬉しい思いと本当なら…と悔しい思いが入り混じりますが。

これだけの長文を、思わず読ませてしまう文章力に脱帽しました。

もし、出典などがありましたら、教えていただけると幸いです。
あげさせてもらいます

歴史には 学校では教わらないことが多々あると思います
関心を持ったことで知ることができたというふうに
ここがきっかけでも大事なことを忘れずにでき、また知ることができて嬉しいですほっとした顔
「感動する話」にこの手の「神話」はふさわしくないと私は思います。



>実際インドネシア人が日本軍に兵として協力したことは確かですが
それは募集してくれという強い要望がインドネシア側からあったからです。
500人だけを募集するつもりが17000人の応募が来たのですから
日本がインドネシアに対してどう接していたのかが数字からでも分かります。


これもどこからこんな話が出たのか出典を教えてください。
作文なら作文でいいですが・・・・

この論調なら
「慰安婦も帝国軍人様に毎日奉仕したいの」とかいう話を始めるのでしょうね?
いちさん、久しぶりです。
出典はシンガポールで出版されていた『大戦記』という大戦の辞典の様なものの日本語訳版です。
おそらく各都道府県の資料館にあると思います。
従軍慰安婦の問題は人それぞれの捉え方があると思います。

それにしても大雪ですね…京都では犬も滑っとりますw
私は

戦争時代 名もなき小さな存在の

一人一人が、

愛する家族を守る為

懐かしい故郷を守る為に

じぶんの命を捧げた

この事実は、感動の話として、

これほど相応しい話はないと思います目

特攻隊として、

若い命を捧げた 十代の若者達の

手紙の

美しい文章を

今 この日本に生きている私たちは

決して

その犠牲を忘れてはならないと思うからです。


それを 忙しい時間を割いて

いろんな史実を調べて

紹介している微妙くんは、

素晴らしいと思いますあっかんべー


百合絵さん、ありがとうございます。

僕の伝えたかったのはそれです。

右翼でも戦争肯定してる訳でも無いですが戦争の頃の話が全部タブーになってる現代の風潮に危機感を持ったのでこういう話を書こうと思いました。

戦争を知っておられるご年配の方と直接話せる今の間に若い世代の僕らが戦争をしてた時代の良い事も悪い事も知る事で初めて戦争反対と言って良いんだと思います。

今、歴史を知らずに戦争反対とただ口先だけで言っている無知な政治家が何人かいます。テレビの国会中継を見てるだけでもそれが良く分かります。

台湾の義援金も日本が経済援助をしていた為と一言で片付けて戦争中の日本統治の頃の事にはあまり触れない日本のメディア。もちろん一部のメディアはしっかりと書いてくれていますが。


もちろん、僕も戦争反対です。周りの国に被害が出るのはもちろん日本にも多大な被害が出るからです。

ただ僕はあの戦争全部が間違っていた訳ではなかったと、胸を張って言える自分でありたいんです。

その理由は百合絵さんが書いてくれている様に特攻隊で亡くなった人たちにも家族がいてその人たちも国を守ろうと必死だったという事を知ったからです。
気になったので。



>日本は確かにひどい事を色々な国に対してしていました。

ひどいことなんかしてませんよ。
あえて言うなら、特亜三国へですが、朝鮮は日本となっていたんで、植民地でもなんでもない。日本国内と同じ政策を、乏しい朝鮮人達に行っていた。それがひどいこと?


中国は戦勝国なんで、ひどいことをされたと言ってるだけ。ただし清王朝崩壊のあとは中国はいくつもの国に分裂している。ようは戦国時代と同じ様相。
強いて言うならば、日本に対しての戦勝国は中華民国であり、それは現台湾です。中華人民共和国と日本は正式に交戦しているわけでもなく、そこがおかしい。
また、当時、いくら傀儡政権とは言われても、北京政府は日本とともに存在したわけです。今は歴史から抹殺され、南京政府のことが正史のようになってるがそれはおかしい。





>パラオをずっと統治していたのはアメリカでした。
開戦後アメリカの統治から日本の統治に変わった時、パラオの人は驚きました。


パラオはスペイン植民地→ドイツ植民地→(第一次世界大戦)→日本委任統治領→(第二次世界大戦)→アメリカ委任統治領



>てっきり日本語の教育をされるかと思っていたらアメリカ人が廃した現地語の教育をやり始めたのです。


パラオへは日本同化政策をとったため、日本語の教育は義務でした。
朝鮮、台湾は同化政策に加え、現地語の抹殺政策取ったため、日本語のみの政策でしたが、パラオには現地語の抹殺政策は取っていません。これは、ひとえに「南洋の土人」に対しての差別が根源にあると思われます。

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