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武蔵野火薬庫★ぐゎらん堂コミュのHISTORY AND HERSTORY in 1970

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2006.6.10
meg来日記念特別topics

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GWARANDOH DAY'S in 1970s

「武蔵野火薬庫☆ぐゎらん堂」紳士淑女列伝
      (またの名を)
七〇年代的少年少女「ぐ」デビュー&イベント年表

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(第一次整理篇)

 皆さんのこれまでの「あの階段を初めて昇った」時のコメントや情報のハイライトを時系列で整理してみました。1970年から1年単位で、閉店までの軌跡をたどりたいと思っています。

 ほんとうは、画像、動画、PDFの資料などをふんだんに駆使し、関連事項をリンクさせて多角的・立体的な構成の「年表」にしたかったのですが、「mixi」機能の範囲内での作業ですので、まあ、こんな感じかな、と。

 短時間で行った作業ですので、コメンテーターの漏れ、手違い・間違い・勘違いが多々あるかもしれません。発見された方は、どーぞ、ご指摘を。

 また、皆さんのコメントのなかで気がついた、明らかな変換ミスや脱字の修正、重複表現の整理などは、私めの判断と責任において編集させていただきました。
 同時に、皆さんの「mixi」内公開の写真や絵などを、それぞれのコメントに添えて転用させていただきました。当方のミスや、不都合な点、お気づきの点などがありましたら、これもご指摘くださいませ。よろしく!
                                                                     
 2006.5月 ハルキ

コメント(13)

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HISTORY AND HERSTORY in1970
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>☆ 開店前 ☆<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<

写真左:'70年代初頭のゆみこ。

写真中:開店記念品として配ったデカ箱マッチのラベル。四隅に切り込みを入れて折り曲げ、徳用マッチ箱本体にノリで貼った。

写真右:デカ箱マッチが完成するとこうなる。しばらくは、ぐゎらん堂の常備品としてテーブルの上に灰皿とともに置かれていた。



●●】ゆみこ&ハルキ【●●

1970.1月 
 ハルキ(当時25歳)は、マンション建設現場、酒問屋の倉庫、土方、その他のバイトをしながら本を執筆していた。ゆみこ(当時23歳)は臨月間近。おなかの中にいるのは後に「飛礫(タブテ)」と命名される男の児である。2人は武蔵野市吉祥寺東町1丁目のバス停前の「生井荘」という1Kのアパートに暮らしていた。

●●】タブテ【●●

1970.6.7 am10:40
吉祥寺南口「水口病院」にて、飛礫誕生。

●●】ゆみこ&ハルキ【●●

 この年の2月に、ぼくの父は脳溢血で倒れ(54歳だった)、再起の見込みが立たない状態がつづいていた。ぼくとゆみこはライター生活に入る準備を進めていた矢先だったが、父と母(そして、高校生の弟と大叔母)一家の経済生活を支えなければならない事情に直面。横浜で米軍に接収されていたささやかな土地の一画を売却して「店」を開くことに。 倒れた父から、1〜2年のあいだマサミの後見者として店の面倒を見て、その後にライター生活に入ってくれも遅くないのでは……と申し出があり、ハルキとゆみこ、これを了承(マサミが途中でぐゎらん堂から消えなければ、もっと早く作家生活に入っていて、あのようにぐゎらん堂生活を楽しめなかったにちがいない)。

 店は、タバコ屋、八百屋、魚屋、ラーメン屋、葬儀屋……なんでもよかったのだが、じゃ、まあ、jazzやロックを聴かせる喫茶店でも開こうかというノリだった。ゆみこもぼくも、学生時代、新宿のジャズ喫茶『DIG』『DUG』『JAZZ VILLAGE』で夜明かししていたクチだ。そんな原体験もあったし、'60年代の新宿『風月堂』のことが頭の片隅にあったように思う。
写真左:はしばしさんのホームより。

写真中:若き日のmegママ(1973年4月/井の頭公園でのお花見)。

写真右:ハルキのホームより。漫画似顔絵はあぼ(いしかわ じゅん)さん。


                ☆

(はしばし:2006年04月11日・記)

 まずは基本的質問!
 ハルキさま、 ぐゎらん堂をあの場所に決めたきっかけはなんだったのでしょう?

(meg:2006年04月12日・記)

 そう言えば、はしばしちゃんの質問でわたしも思ったのだけれど
 ハルキさん、どうして吉祥寺を選んだのですか ? 吉祥寺ってあの頃は特に若者の街ではなかったけれど──。

(ハルキ:2006年04月15日・記)

 ──ということなので、お答えいたします。

 といっても、結論的にいえば、「あの場所」に決めたのはそんなに大層なワケがあったからではなく、極めて即物的な理由からでありました。

(1)なぜ、吉祥寺だったのか?

 ぼくが学生時代、大学に通うために初めて下宿したのは「中野」でした。1964年の春のことです。国鉄・中野駅の北口から歩いて5分くらいの夕食賄(まかな)い付き民家の1室。
 次に住んだのが「荻窪」でした。国鉄・荻窪駅から北へ歩いて20分ほどの本天沼というところにあった「佐藤アパート」というモルタル・アパートです。距離的にいうと、荻窪駅と西武新宿線の下井草駅のちょうど中間点くらい。いまでもつきあいのある予備校時代(代ゼミだった)の友人たちが何人も暮らしておりました。

 やがて、その「佐藤アパート」から歩いて2〜3分のところにあった「勝又アパート」にゆみことその妹が暮らすことになりましたが、1968〜69年頃には、ぼくもそのアパートのゆみこの部屋に転がりこんでいたりしました。

 そして、1969年11月、ゆみこと結婚してから吉祥寺へと流れついたわけです。東町1丁目のバス停前の「生井荘」という1Kのアパート(台所=玄関脇の1/4畳。トイレ共用、風呂なし)。

 中野→荻窪→吉祥寺。中央線を西へ西へと流れて行ったのは、多くのビンボーな若者たちがそうだったのですが、都心から離れれば離れるほど家賃が安かった......という即物的な理由のためでした。

 で、前に書いた「店を開く事情」が発生したとき、「どこに開こうか?」と考えたわけだけど、これまた即物的に「自分たちがよく知っている街」ということになりました。

 学生時代の'60年代によく知っていたと......いうか、根城にしていた街は新宿でした。
 新宿の映画館、アートシアター、ジャズ喫茶にはゆみことよく行ってたし、あの華麗なる「10.21国際反戦デー」のメインステージだったし、自分たちのドキュメント映画制作プロの事務所が花園神社の裏手にありました。
 
 でも、新宿の貸店舗の賃料はとても手が届かなかったし、それになにより、新宿はすでに'60年代に隆盛を極めたできあいの「新宿文化」がありました。それでは、後発のぼくらの出番は限られてくるし、面白くない。それに、新宿で身にまとわりついていた人間関係のしがらみにもうんざりしていました(映画の仲間たちとは内ゲバ的喧嘩別れをしていた)。

 でも、中野や荻窪は、物理的にも心理的にも新宿に近いし、新宿文化圏内のように感じていました。どこか、新宿から一定の距離があり、人間関係的にもしがらみのない、どこか「新天地」がほしかったわけです。

 そこで、渋谷から直通の井の頭線のターミナル・ステーションでありながら、武蔵野の自然の面影を残した公園もあるし、まだ昭和30年代の雰囲気を残していたし、なにより、自分たちが暮らしはじめていた街=吉祥寺がよろしいんではないか、と。この街なら、面白いことができるんじゃないか、と。
 当時から、ゆみことぼくは吉祥寺が好きだったし、この街には何かが始まりそう......っていうか、この街なら始められそう! 何かをおこせそう! という予感があったんだと思います。
写真左:'70年代初頭、週刊誌に掲載された吉祥寺の地図。「伊勢丹」はあるが、「東急」のあたりはまだ空き地のようだ(=表記なし。名店会館が取り壊されて何もない状態だった?)。つまり、この地図は「伊勢丹・吉祥寺店」開店(1971年11月)以降〜「東急百貨店」開店(1974年6月)以前のものだろう。ぐゎらん堂を「スナック」と紹介してあるのは、この頃はまだ「ライブハウス」という言葉が一般化していなかった証左となる。資料提供/みめ。

写真中:あの場所......。屋上階段登り口方向から見たぐゎらん堂の入口まわり。1972年頃。写真/若林純夫

写真右:ドアを開けると少年少女たちがじゃれあって、折り重なって、イワシの缶詰状態? 左端がゆみこママ。1977年頃。写真/撮影者不詳


                   ☆


(2)なぜ、あの場所だったのか?

 あれは、1970年の8月下旬のことでした。
 真夏のクソ熱い炎天下で、ゆみことぼくと──わが不肖の弟マサミ(村瀬雅美)とその彼女(ユーコッペ)も一緒だった──、何日かかけて、不動産まわりをやったんですよ。

 東町、北町、南町、本町1丁目のジャズ喫茶「MEG」のあるビルの一画も見てきました。
 ところが、どこを見ても、帯に短しタスキに長し。こちらの予算(予定していた賃貸契約料がたいした規模ではなかった。額は忘れた)とかキャパ(コンサートやイベントを予定していたんで、最低30名は収容できる空間が欲しかった)の条件に合わないわけ。

 暑くて汗びっしょりになっていたし、排気ガスでノドが痛くなってきたし、足は棒。日が暮れかけてきて、もう吉祥寺には気に入る場所がないのかなあとあきらめかけていたとき、ゆみこが「もう1軒だけ不動産屋に行ってみよーよ!」とガッツを見せて、吉祥寺北口駅前の平和通りの小さな不動産屋に入ったんですね。

 そこは、名前を忘れてしまったけど、昔よくあったいかにも町の不動産屋さんって感じの小さな店。ガラス戸に物件の張り紙がしてあって、そこをがらっと開けて中へ入ると(もしかしたら引き戸じゃなくて、真鍮のバーを把手にしたギシッと開ける扉だったかも)深緑色の人工皮革を張ったソファが置いてあって、店内の空気はヤニ臭くって、天井に30Wの吊り下げ式蛍光灯、天井際の神棚に榊(さかき)......みたいな。もしかしたら、その店、「南海屋」って家具屋さんの右側あたりだったかもしれない。

 で、物件に案内してもらったら、そこが、武蔵野市吉祥寺ぎんぎら通り13番地(俗にいう吉祥寺本町2-16-1)のタチバナビルだった。なんと、ここに、ぼくらの経済的・面積的条件にかなっていた貸店舗が隠れていたんですね。あのぐゎらん堂のスペースが待っていたんです! 2階も空いていたんだけど、家賃が高かったんで3階にしようってね。

 その空間は内装前の「やりっぱなしコンクリート(打ちっぱなしコンクリートより粗雑な仕上げ)」の状態で、文字通りなにもないガランドウ。道路側と藤村女子校側に大きな窓があって、明るすぎたのが難点だったので「この窓、全部、塞いじゃおうよ」とか、このあたりに厨房、このあたりにでかいスピーカーを置こうよ──とか、イメージを膨らませてね。

 でも、ご存知のように「あの階段」は胸突き八丁の急勾配、こんな階段昇って客が来るのかなあって心配になったけど、「いや、この急な階段をわざわざ昇ってきてくれる客こそ良い客なんだ」とか、例によってゆみこもぼくも粋がって決めたという記憶があります。

 そのころの藤村女子校周辺=ぎんぎら通り13番地=は、いま50代の皆さんは覚えていると思うけれど、商業地域というより住宅街。街の外れ......って感じが濃厚に漂っていたな。
 ぐゎらん堂の西側(三鷹寄り)にあった店といったら、「佐久間酒店」と「弁天湯」くらい? でも、あの通りは、「名店会館」があったし、「バンビ」があったり「春風堂」があったり、雰囲気が気に入っていたのは確かだな(まさか、「名店会館」を潰して東急デパートが来るとは思わなかった)。

 ふ〜む、あの場所に決めたのは、そんな感じでしたな。
●●】ゆみこ&ハルキ【●●

1970.8.19
 ゆみこ、ハルキ、「あの階段」を初めて昇る。

 当時は1Fがそば屋「橘」(大家の甘利氏経営。この人物とは、後に「ぐゎらん堂明け渡し裁判」で争うことになる。やっとの思いで、ぐゎらん堂が勝利する)。2Fはまだ空き店舗だった。ついでに、店の近くの北町に新しいアパート(サンロードの「山田屋ふとん店」が大家さんだった)が見つかった。

1970.9月〜
 店の名前を「BLUES HALL 武蔵野火薬庫☆ぐゎらん堂」とする。店名の由来は、「空っぽ」の意味のがらんどう。

 ぼくらは当時20代。多くの全共闘世代の若者たちにとって激動のローリング'60が終焉し、気分はさみしいempty(がらんどう)。胸のなかには空っ風が吹き抜けていたが、なんとかしなくっちゃ! というポジティブ・シンキングの芽が頭をもたげはじめていた。

 じゃ、まあ、自分たちで自前の場を用意して、わずかな種火で燃え盛るような面白いカウンターカルチャーの拠点(音楽だけではなく、あらゆるパフォーマンス発現の場)をつくろうよ……と。この時点で、店の方向性はかなりはっきりイメージ・メイクできていた。

 店内新装の手配、飲食店用の調度・機器調達のかたわら、開店案内の宣伝チラシと記念品の徳用マッチのラベルを印刷所に発注。別途、1500個の徳用マッチを仕入れ、刷毛とノリを買ってくる。ラベルが刷り上がると、アパートをオフィス代わりに、徳用マッチの1個1個にラベルを貼って仕上げる手内職の毎日だった。記念品を大型マッチにしたのは、もちろん、「火薬庫」に火を点けるにはマッチが必要だったからである。

1970.10月〜
 吉祥寺という小さな田舎町(当時)に開く小さなカフェである。宣伝の媒体は広域をカバーする「マスコミ」ではなく、ご町内を意識する「口コミ」にしようと思った。

 内装工事が進行するぐゎらん堂の入り口(ビルの階段登り口)に「武蔵野火薬庫☆ぐゎらん堂、開店迫る! 開店記念品贈呈! 刮目して待て!!」の立て看板を作成する。
 大判の模造紙に水彩絵の具で開店案内のポスターを描き、街角に貼る。自分たちも通っていた近くの銭湯「弁天湯」の脱衣場の壁(男湯と女湯の両方)にも貼らせてもらう。
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HISTORY AND HERSTORY in1970

1970.10.28 10:00〜  「武蔵野火薬庫☆ぐゎらん堂」、開店!
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 このころ、ぐゎらん堂の巨大なスピーカーからワタルの歌声は流れていなかった。
 律&イサトも加川良も、トモも三上寛もなぎらもペケも、斎藤哲夫やあがたくんや田中研二も、五郎ちゃん、GWANさん、青木ともこさんや林亭の歌声も……。
 シバがぐゎらん堂のドアを開けるまでに、もうしばらく時間が必要だった。
写真左&中:開店時にチンドン屋さんとくばった宣伝ビラ(表と裏)。

写真右:ぐゎらん堂の店内(概念図)。1973〜74年頃のイメージ。


                   ☆

●●】ゆみこ&ハルキ【●●

 ご町内情宣活動の王者=チンドン屋さんに依頼し、♪チンチンドンドン、♪チンドンドン──。朝から日没まで、スタッフ一同、交代で吉祥寺の街を練り歩き、開店案内のチラシを配る。時ならぬチンドン屋のジンタに驚いて振り返る通行人は多かったが、若者たちの姿は少なかった。当時、吉祥寺はまだ「若者の街」ではなかったのである。

 このチラシを見ると、1970年代初頭のぐゎらん堂と吉祥寺の様子が次のようにわかる(というか、次のようなことが思い出される)。

 1. ぐゎらん堂は開店当初から、ロックやジャズの生演奏を主催していたが「ライブハウス」を名乗っていなかった(その当時、「ライブハウス」なる呼称は日本に上陸していなかった。「ライブハウス」とは、ヨーロッパのストリップ小屋の意味でありました)。すなわち、「ライブハウス」とは1970年代前半に新聞・雑誌などからぐゎらん堂に与えられた冠詞だったが、それ以前に、日本に「ライブハウス」は存在していなかった。

 2. 「武蔵野火薬庫★ぐゎらん堂」と名乗っていたために、開店前から武蔵野警察署からマークされ、「『火薬庫』とはどーゆー意味なのか!? と再三再四の問い合わせがあった。

 3. ビラの裏の案内図を見ると、まだサンロードは存在せず「駅前通り」とある。「駅北口ヨリ徒歩4分名店会館横入ル」だって! 「名店会館」ですぞ。それに、当初から深夜営業だったのに、開店が10時で、モーニングサービスまで出していたようだ。

 4. 「開店記念品進呈」とあるが、これが前出の大型徳用マッチ。オフィシャル・マッチ箱である羽良多平吉デザインの「月に赤猫マッチ」は、その後、1971〜72年頃に製作したものである。

                    ☆

【証言】シバ/三橋乙揶氏:2006年4月「AERA」増刊号(朝日新聞社)
『ぐゎらん堂/音楽の街、吉祥寺から生まれた武蔵野タンポポ団』より

 〈そんな秋の、ある夜のこと。(いきつけの吉祥寺「タムタム」という店で)いつものようにテーブルの片隅でウィスキーをちびちび舐めていると、女性の常連客が慌ただしくドアを開けて入って来るなり、「ちんどん屋がこんなの配ってたよ」。そのチラシを見ると、そこには「ぐゎらん堂・武蔵野火薬庫」と書いてあった。
 
 数日後、タムタムではその「ぐゎらん堂」の事が話題を集めた。どうやらその店にはブラインドレモン・ジェファーソンという古いブルーズマンのレコードがあるらしい。ディランのデビューアルバムにその人の曲が入っていて、私はぜひ聞いてみたいと常々思っていたのだ。

 ある夕暮れ、私は意を決してあのビルの三階まで細い急な階段を上がり詰めた。「武蔵野火薬庫・ぐゎらん堂」である〉


【証言】亀和田武氏:2005年10月「ランティエ」(角川春樹事務所)
『「フォーク」と「ロック」の伝説/伝説の人「高田渡」と村八分「チャー坊」』より

 〈「ぐゎらん堂」が現在の東急デパートの先のビルにオープンしたのは、七〇年の秋だった。学校の通学路に面していたので、初日から通いはじめた。大きな徳用マッチに《武蔵野火薬庫 ぐゎらん堂》と書かれていたような気がする。オープン記念に、客には一個ずつ、この徳用マッチが渡された。開店から一週間のうち、私は六日間通い、結局十個近い、物騒なラベルがついたデカ箱マッチがアパートの部屋に溜まった。温和な笑みを浮かべながら、徳用マッチを配っていたのが、後に晶文社などで著書を出す、オーナーの村瀬春樹氏だったのだろう〉
●●】meg【●●

 わたしが同級生達に連れられて初めて行ったのは 、オープンして間もない頃だと思います。 マッチの業務用を開店記念で貰いましたから。
 (店内は)勿論小奇麗でした。マリリン・モンローやヘンリー・フォンダの大型ボードは最初からあったのかな?

 (あのドアを開けて店内に入ったのは)素敵な女性が中に引き入れてくれたからでした。結局、それがユミコさんだったのです。
 ユミコさんのクリクリお目目が眼に浮かぶ 。鈴木翁ニさんの漫画で「ぐゎらん堂」が舞台のあるでしよ(写真参照:月刊漫画「ガロ」1973年8月号『ギター壊し浮かれた』) 。ユミコさんのお目目がひときわクリクリ 。
 ユミコさん、春樹さんのポディティブ・パワーね、ぐゎらん堂の原動力だったのは 。鈴木翁ニさんのあの漫画のシーン見たいな、どなたかお持ちではないですか?

 開店記念大型マッチ持ってました! 長いこと大切にしていたけれど。
 初めて行ったのは、前にも言ったけれど忍やスケベとです、シバはもう行ってたんでしょうね。忍が、コーヒーをまるでお酒のように飲んでギターの上手い変な奴がいると気にしていたの覚えてます。

 駅前、アーケードじゃなかったですよね、
 「ダイヤ街」を曲がる突き当たりに赤い三角帽かぶった七味屋さんが毎日出た。人通りもまばらで、街行く人は知らない人でも顔見知りみたいな感じだった。

●●】nori【●●

 (開店チラシの地図......)なんだか、とても懐かしい地図ですね。
 駅前通りの右には歌声喫茶「ともしび」があり、それが後に「OZ」になった記憶があります。 「名店会館」のドーナツマシン覚えている人いるかな?

●●】nami3【●●

 「名店会館」は懐かしいなぁ〜。まったく忘れていた名前です。

●●】けーすけ【●●

 この当時、まだ「ターミナルエコー」もしっかり営業してたよね。
 ぼくらはいつも吉祥寺の駅を降りて、「ロンロン」の一階でソフトクリーム(バニラ)を買って、ぺろぺろしながらぐゎらん堂まで行ってました。お店に着くころには食べ終わってたっけ。もうあのころの吉祥寺の面影を残すところはいせやとともになくなっちゃうのでしょうか......。

●●】nori【●●

 この頃って、まだ「ハモニカ横町」の井戸のところに火の見やぐらは残っていたのかな?

●●】meg【●●

 おー、火の見やぐらあったね、どうだろかこの頃まだあったかな、うむ、ヒストリー担当者欲しいな。
 「名店会館」の屋上から富士山見えた、ひっそりデートコース 。
 「名店会館」にインド雑貨のお店があって、そこの線香をとなりの空き地でやってたテント(黒かな/ハルキ註:唐十朗さんたちの赤テントじゃなかったかな?)に売りに行かされたことがあったな 。
 道路の上にも屋根の上にも空があった時代。

●●】ひろ【●●

 駅前通り(いまの「サンロード」)にバスが走ってた。その後、旧「近鉄」(いまは何屋さんになってるの?)の前の通りができて、そっちを通るようになった。
 アーケードになったのはそのタイミングだったと思う。
 「名店会館」の屋上には子供の遊技場(いまのゲーセンみたいなものか?)があって、小学校のころのお気に入りでした。

 noriさん、ドーナッツ製造マシン、思い出しました。機械が徐々に動いて油で揚げていくんですよね。

●●】meg【●●

 名店会館の屋上には千首観音さまがいらして 、こわかった。
 塔はなかったかしら?
 なぜか小さな東京タワーみたいのがあったイメージですが
 なんか、見た夢と思い出の景色が混乱しているの。

                 ☆

写真左:2年後の1973年、ぐゎらん堂の狂乱の夜が鈴木翁二によって描かれるが、megがイメージしたと思われる漫画のコマはこれだろう。

写真中:じつは、この翁二の作品にはmegも登場している。左から、ゆみこ、ダンナ、翁二、そして右端がmeg。

写真右:そして、水面が光る井の頭公園の池のうえで、再びmegのウワサが......。いずれも、月刊漫画「ガロ」1973年8月号・鈴木翁二作『ギター壊し浮かれた』より。
写真左:なぜか、この後、話題がいきなり時代が2〜3年下った「吉祥寺近鉄」裏にありし「アーリー(アーリー・タイムス・ストリングス・バンド)」のお化け屋敷や斉藤哲夫くんに突入。なので、それ関係の写真をアップする。
 2006年1月22日リリース「Early Times Strings Band / LIVE AT KOBE 1973」シールズレコード。これが<当時のアーリーの写真>。どれが誰だかわかるかな?

写真中:あがた森魚『うた絵本/赤色エレジー』1971年11月:芽璃懺堂・幻燈社に見る「アーリー」の渡辺勝くん(後列中央)

写真右:斉藤哲夫『バイバイグッドバイサラバイ』1973年9月:ソニーレコード

                  ☆

●●】はしばし【●●

 忍ちゃんが「初めて行ったのは同級生とだった」って大昔いってたけど、やっぱりmeg姉だったのね〜(笑)

 そうそう、「近鉄」裏のお化け屋敷に住んでたアーリーの
 その頃のライヴ(といっても神戸でやったものだけど)が、
 来年、リリースされることになったよ。
 デザイン見本みたら、
 ジャケットに当時のアーリーの写真が使われてました。

 前のオフノートから出たアルバムのときに書いたもの、
 よかったら読んでください。

 http://www12.ocn.ne.jp/%7Eatbb/obake.html

 ちなみに、五つの赤い風船の解散コンサート(日比谷野外音楽堂)のオープニングで、哲夫さん(斉藤哲夫)が『吉祥寺』を歌ってるんですが、これが 1分くらい映像で残ってます。
 バックがアーリーですが、このときのベースはまだariさんではなくて、雅美さんのようです。


(上記URLより抜粋引用)

 ♪ 吉祥寺を通りぬけて 右へ左へとほんの少し
   そうさ今日は良い天気 とてもよい気分だから
   君に会いに行こう
   待つことの程もなくに ロングヘアーが疲れていた君は
   寝不足気味乍らも やっと朝のごあいさつ
   そうご機嫌いかが

(斉藤哲夫のアルバム『バイバイグッドバイサラバイ』より『吉祥寺』)

●●】meg【●●

 は〜い、はしばしちゃん

 わたしが初めてあの階段上ったのは、確か今井忍、スケベ、もしかしてもう一人、名前わすれたな〜、誰だっけ大柄の長髪で、アーミージャケットで、忍がそれが初めてだったかどうかは覚えてないけれど、開店後間も無くのこと。昼間でほんとがら〜ん堂でさすが空気も内装もきれいだった、メニューがね「血の日曜日」だの「海賊の昼寝」だの変わってるな〜と思った

 アーリー、昔のライブ音源あのお化け屋敷で生まれた音だろうな楽しみ

 スケベが庭に穴掘ってたの覚えてる、なに考えてかたんでしょうかねーまわりも、ふ〜ん、て感じだったけれど

 きんちゃん、お嬢さんだったけれど、ふつーではなかったよ(笑)
 そういえば小雨の降る日、女性の錯乱と猫の不振な挙動かなんかで、わぁー!! と外に走りだしたの思い出した、律ちゃんと勝氏かな? 律ちゃん怖がりだったから。
 そのまま、2ボガに暫くいたんだった。


●●】はしばし【●●

 meg姉〜

 穴を掘っていたのは、スケベさんだけじゃなくて、その当時の同居人の一人、名前忘れました……末端肥大症の……だそうで、 お化け屋敷から、吉祥寺駅まで「雨にぬれずにいつでもトイレにいける」計画の元に掘りはじめられたんだそうです。
 その後、ゴミ捨て穴になってたとかナントカ。
 今どうなってんのかな。CD出た時、文章書くんで確認にいったら、まだ空き地になっていて、どうやらその穴の後らしき部分だけ、少し陥没してた。

 nami3さん

 そうです。最初、コータローさんが朗読で「ゲームは終わりなのだ」みたいなセリフが入って、舞台の一番前にズラリと赤い風前もった人が並んでいて、それをセリフ終わりとともにサっと手放すのでした(今思えば、緞帳のかわりなのかな?)。それとほぼ同時に哲夫さんが歌いはじめるのです。
 TVKの開局記念番組だったような気がします。
 カモは当時、子供だったので野音ではなくて、近所の文京公会堂に見にいきました、このツアー。

 すんません、店の話にそろそろ戻りましょう(笑)

●●】ちゅうそつ【●●

 忘れないうちに書いておこう。
 meg 、大柄の長髪でアーミージャケットって「11年生の大野」じゃない?

●●】meg【●●

 あー、いましたね大野君
 いえ、でも、いま思い出した、米津君です。
 そういえば、あの頃みんな、カーキーのアーミージャケでした、長髪を風になびかせる自称ヒッピー......奴らはイッピーとか言ってたか、信じられます?

 須田君、雨宮君、そしてアンさん登場ですね、その流れでは
 あっ、で、勿論わたしの親友タマちゃん。

 はしばしちゃん、いいと思うよアーリーの話、ボガの話、お化け屋敷、みんな繋がっていたもの、もう少し前だとメイにゴゥシのお店「タムタム」。ぐゎらん堂周辺の話も是非しましょう。
 そして、ぐゎらん堂関連ミュージシャンの情報もありだと思います。
 いずれそんなトピ立ててもいいけれど。

 最初はもうすこし、トピにあわせて書き込みして欲しいななんて思っていたけれど、むしろこんな風に縦横折り重なって入り口も出口もない宇宙が「ぐゎらん堂」だったのかなと思うので。
 暫くこのまま、もう少ししたら写真だけ見られるようにしたりしてもいいかなと思ってます。

 これはね、「ぐゎらん堂2005」だと思ってます。

 だから、初体験の人も是非参加して、もっともっとゴタゴタにしましょうね。

 そういえば、わたしと律ちゃんと逃げたのは勝氏ではなく…末端肥大症の(それはうそです)の方かもしれない、駅の方にだーっと走って、でも駅行ってもしょうがないのでボガに行ったような......夢かな?

●●】はしばし【●●

 あ、名前思い出した。ツジマルさんだ。穴掘った人(笑)。

 錯乱状態の現場に居合わせたのは、ライナーにも書いたけど、
 野澤享司と斉藤哲夫で、哲っちゃんも逃げたそう。未だにその話、したがらないので、よっぽどビックリしたんだね。
 野澤さんはなぜだかみんな逃げちゃったんで、その彼女にスケベさんの部屋で一生懸命諭すハメになったといってました。

 meg姉、ありがと。

●●】meg【●●

 あー、そうですねツジマルさんだ。

 わたしが逃げたのはその時ではなく、確か猫がどうこうだったと思うなにしろお 化け屋敷だから。
 お風呂場が物置になっていてやっぱりよくあるような怖い話あったね。

 あっ、そしてトピに関係なくと言ったけれど
 なるべくトピにあわせてください、
 話の流れではしょうがないとして。

 なにやらぐゎらん堂ナゾ解きの鍵になる
 壮大な「水曜コンサートノート」が発掘されたようです

 楽しみ。

●●】はしばし【●●

 へええ、それ、すごい楽しみ!

....................................................................................................................

《HISTORY AND HERSTORY in 1971》へ つづく


 
皆さんへ

 1971年の年表は別にトピ欄を立てますので、70年に関するコメントは、このあとにご自由にどーぞ!

 71年は、中坊、シバ、ワタル、トモをはじめ、たくさんのミュージシャンやアーチストたち、そして大量の高校生諸君が「あの階段」を昇ります。お楽しみに!
ハルキさま、

ありがとうございます! 絵巻出来てきましたね〜!!
これ、さらっと読めちゃいますけど、編集たいへんなんですよ
実はわたしもまとめてみようとしていたのですが。
なにもしない管理人ですみません、71年楽しみです。

ところで、わたしが言ってる名店会館の東京タワーみたいな塔がハルキさんが紹介してくれた「らかん」のHPにありましたね。今その書き込みを探してみたのだけれど・・見つからない!
ということで、このハルキさんの作業がいかに大変か痛感したのでした。
megさま

 「名店会館の東京タワーみたいな塔」は、 noriが立てたトピ欄<懐かしグッズや写真>の「95」にありますよ。

http://www.laquan.com/gallery/retro.html

 そう、編集、大変なんだけどコツがあるの。
 記憶に浮かんできたある事柄、たとえば「らかん」主人の写真にたどりつきたいときは、「火薬庫」のたくさんあるトピ欄を見つくろって(じつは、これが一番時間がかかるんだけど)、当たりをつけたトピ欄をクリックする。
 次に、書き込み欄のすぐ上にあるバーの「全てを表示」をクリックして、そのトピ欄全部を立ち上げます。
 あとはPCの検索機能を生かしてキーワード「らかん」を検索すると、あら、不思議! 「95」にたどりつけるわけ。

 そんな感じで皆さんのコメントのキーワードを憶い出しながら、そこを探し当て、カレンダーの時系列の若い順にコピー&ペーストを繰り返しているのです。
 
 でもさ、このコミュのトピ欄、合計でもう26本もあるんだよね。どこに何が書かれているのか憶い出すのは、完全にお手上げ! 伏魔殿のようなトピ迷宮の中でみなさんのコメントがスカッシュのボールのように勝手に跳ね回りながら錯綜しているわけ。これをつかまえるのはなかなかに大変なのはまちがいない。

 あんまり複雑にならないうちに整理をはじめたのは正解かもね。

 
ハルキ様

ありがとう&お疲れ様です。

僕は71年は体験していません。たぶん73年からだったような。


一応 mixiの新機能で以下のものがサポートされましたが、
テストしましたが、うまく動作していませんね。

「コミュニティのトピック検索機能をリリースいたしました。
コミュニティのトップに設置されている検索フォームより、キーワードを入力することでトピックタイトル・本文が検索できます。検索の対象は、特定コミュニティ内、特定カテゴリ内、コミュニティ全体から選択が可能です。 」

当面はブラウザの持ってる検索機能と「記憶」に頼るしかないですね。

昨年の11月にスタートしてこのキャパですからすごいの一言です。
ビンゴ! 「懐かしグッズや写真」までは辿りつけなかったな。
検索機能試してみたけれど、たしかに旨く作動していない。
まあ、使えなくはないという程度ね。

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