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酒井得元 (澤木興道師弟子)コミュの仏道修行についての聞き書き

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?仏道修行に於いては、「取捨」することが絶対にあってはならない。
 取捨する ことは人間の「生理的習性」であるが、習性の侭に行動する修行  は、取捨の努 力に終始するものとなる。
 これは人間の日常生活そのものであって、修行・修 道ではない。取捨を放棄 する努力が無ければ修行・修道にはならない。

 取捨の放棄も、目の敵として放棄するものがあるならば、その放棄しようと努 力するそのことが取捨の努力になり、即ち自我の主体を育て上げてしまう。

 大自然、即ち人間の意志・意欲以前の尽十方界には取捨選択は無く、「一切  法」という事実だけである

 意志的意欲的な生活活動である「生活姿勢」(行住坐臥)と坐禅は異なる。

……………
修行はすべて尽十方界真実として頂くものである。

?真理真実というものは、探究して到達するものではない。
 若し探究し得たものがあったとするならば、それは探究者の目標にしていたも のをその時自分のものにしただけであり、それは真理真実ではない。

……………
自己満足は、自分の‘我’の増長だけのことである。

?「禁欲」も我が侭である。生命維持に不可欠程度の少欲知足であるべきである。

 仏法を学ぶには、「会」(理解)と「不会」(そのまま全部受取る)がある。

 仏教者は、縁のあったものは全てそのまま頂かねばならない。

……………
現成公案として、現実をいただくのが修行である。

コメント(1)

?「煩悩」は受け取り方が悪いから煩悩になる。自分の思い通りに行かないから 煩悩になるが、これは「自己の限界」を教えると同時に自分の本来の姿が解  る。つまり悩ませて頂いているのであり、時節因縁即ち尽十方界真実人体のそ の時の活動、その時の真実の姿である。
……………
自分の都合の価値観をいれるから、煩悩になるのだが、いれなければ、お恵みということか。

?「修行」に「法式」(事相)が無ければ修行とはならない。然し法式に拘泥し 過ぎれば根幹を見失い、単に自己満足と納得を求めただけに過ぎなくなる。法 式の完璧を求める過度の潔癖性は「有所得行」となる。有相行も無相行も結果 のでる修行であるなら共に有所得行となる。
……………
行には、型があるということか。

?「古則・公案の工夫」とは、古人の先蹤即ち我々に遺された古仏の生き方、つ まり物の見方・考え方・処し方等四六時中の全てに於いての在り方や、その人 格を学ぶことによって生きた仏法をナマの侭学ぶことである。要するに尽十方 界真実を学ぶことである。
……………
坐禅中に公案を考えるのは、だめだが、先人の真実を知る意味では、大切なこと。

?宗門(曹洞宗)に於いては、「聞法第一」と言われているが、まさに法を明め てから本当の坐禅をしなければならない。趙州の言う「究理坐看」即ち「仏法 の道理を究めて坐禅する」ということである。
……………
坐禅とはどういうものかを良く学んでから坐るのが大切。

?「インド仏教」は「瞑想」中心の修行であったが、「中国禅」は尽十方界真実 の修行であり、「尽十方界」、「恁麼」、「不染汚」の語を生んだ。
……………

?「求道」は、自己満足の追求であって、「愚道」である。
……………

ご意見質問等がありましたら、番号を示してお願いいたします。

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