ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

日本ラヴコミュのやまと新聞

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
戦前では発行部数1位を誇る有力紙だったそうだ。
終戦後、GHQが国内の言論や思想統制のために焚書や検閲を行った。
そのGHQの呪縛が現在まで続いていて、ようやく平成20年になって解放された新聞社、それが「やまと新聞」だそうです。

以下は、「ねずさんのひとりごと」というブログからの引用です。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-850.html

国会における新聞社は今では国会の「外」に記者クラブを持つ。
その記者クラブに登録した新聞社の記者のみが記者クラブが発行する通行証を持って国会議事堂内に入り取材できる。

しかし戦前では、両院記者会が国会議事堂内にあって、そこに新聞各社の記者が詰めていました。
そして新聞社ごとに直接国会の模様を取材して社としての意見を添えて、政治の報道をしていました。

しかし終戦後、GHQにより両院記者会が国会議事堂から追い出されます。
記者が国会の模様を自由に取材し報道するのでなく、記者の取材を記者クラブが管理するようになります。
そして記者クラブの管理人、つまりGHQの委託を受けた人間により検閲を受けた記事のみが、一般大衆へ報道されるようになりました。

もし言うことを聞かず、あくまで新聞社として独自に国会内で取材をし、自らの価値観で記事を書くというのなら、一般民間人への報道は一切許可しない。取材は国会議事堂にだけにせよ。
新聞紙の発行も、国会議事堂内だけにせよ。
それがGHQの命令でした。

本来、新聞は事実を報道するだけでなく記事には報道する側の意思が入ります。
報道は、自らの見識のもとに、是非善悪を高い次元、高い道義をもって判断し、善なるものはこれを宣揚し、悪なるものはこれを糾弾して世論を喚起しなければなりません。
それがジャーナリズムの基本でもあります。

日本の新聞の歴史は古く、慶長19年の大阪冬の陣にさかのぼります。
この時のことを報道した「かわら版」が今でも現存しています。

慶長4年江戸城開城の時には幕臣だった福地源一郎が「江湖新聞」を創刊しました。
この時に彰義隊が上ので敗れたときの報道で、「ええじゃないか、とか明治維新とかいうが、ただ政権が幕府から薩長に変わっただけではないか。
ただ、幕府が倒れて薩長を中心とした幕府が生まれただけだ。」
と報道されています。

この文を書いた福地源一郎は、これを書いたことで明治政府に投獄されたあげく、新聞も発禁処分となっていますが、ジャーナリズムは戦いでもありました。

この福地源一郎は、明治8年の東京日日新聞で「社会」という言葉に「ソサエチー」というルビで紹介していて、これが「社会」という日本語が使われた最初です。

その後明治10年、西南戦争の田原坂の戦いなど従軍記者としてその名を上げました。
さらに明治14年には大日本帝国憲法の草案となる「国憲意見」を起草して軍人勅諭の制定にも関与しています。

「やまと新聞」はこの福地源一郎が明治17年に創刊したものです。
「やまと新聞」は明治から大正にかけ、日本新聞界の第一人者として国内最大の発行部数を誇り、日本の保守系言論と文化・芸術の担い手として、多くの文化人も輩出しています。

福地源一郎の新聞に対する理念、やまと新聞創刊の理念は、次のようなものです。

「新聞は、単に事実の報道にとどまらず、是非善悪を、高い次元、高い道義をもって判断し、善なるものはこれを宣揚し、悪なるものはこれを糾弾して世論を喚起する。」


大東亜戦争終戦後、GHQは国会議事堂内にあった両院記者会から記者を追い出し、議事堂の外に記者クラブを設置します。
そして検閲を受けた記事のみが国民に知らされるようになりました。

「やまと新聞」は、ジャーナリストとして、GHQの政策を敢然と拒否しました。
GHQは「やまと新聞」に対し、
?社長が書いた書籍を全部焚書処分にする。
?「やまと新聞」が両院記者会からあくまで粘ると言うなら、代わりに新聞の発行も国会議事堂内以外には一切認めない。
という厳しい処分を課します。

新聞社は多くの国民に買ってもらうことで、経営がなりたちます。

他の大手新聞社が社の存続のためにGHQの気に入る記事のみを書くように態度を変化させていく中で、断固としてGHQに対抗した「やまと新聞」は、取材も、新聞の発行も、国会議事堂内でしか許されない。

そして発行部数は国会議員、その秘書のみとなりわずか1000部にまで減少してしまいます。
そうなると収入などは、たかが知れています。

それでも「やまと新聞」は、堪えて頑張ります。貧乏にも耐えました。
社の理念を失うことは、生活が困窮するよりも辛かったのです。

平成7年頃まで、「やまと新聞」が発行する新聞は、一文字ずつ文字を差し込むタイプの写植機を使用していました。
そのころはワープロもパソコンも普及していた時代です。
しかし「やまと新聞」にはそれらを買うだけの力がありませんでした。
だから昭和初期の写植機を大切に大切に使用していたのです。

ところがどんどん経営が厳しくなっていきます。
やむを得ず「やまと新聞」は発行間隔を月1部、さらに四半期に1部と切り替えつつ生き残りを図ってきました。

しかし平成20年になり、「やまと新聞」の窮状を見かねた安倍元総理と森喜朗氏が、GHQの呪縛から「やまと新聞」を解き放ち国会外で活動することを許可したのです。

戦後、長い年月を経てようやく国会外での活動ができるようになりました。
そして今「やまと新聞」は、創業時の精神を失うことなく、左傾化した記者クラブの圧力も受けることなく議会から直接取材した情報を国民に届けてくれています。
また最近では、ネットでの配信も行っています。


そんな「やまと新聞」は、月額500円の購読日で会員制で読むことが出来ます。
余裕がある方は、ぜひ購読してみてください。
そして時間がある時にでも、この日本の伝統的保守新聞「やまと新聞」を広めましょう。

■やまと新聞HP
http://www.yamatopress.com/

ウィキでこの「やまと新聞」は今の「東京スポーツ新聞」だと書いてますが、誤りです。ほんとヒドイ。

コメント(1)

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

日本ラヴ 更新情報

日本ラヴのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング