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瀬織津姫コミュの神道と仏教をつなぐ瀬織津姫・聖徳太子 3

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◎すでに神のお働きをされているモチコ姫・ハヤコ姫 
善光寺本堂中央には守屋柱という四角形の太い柱があり、本尊は戸隠の方向を意識して本堂内の北西に位置する、という特異な構造です。 
神社建築では内から外へと柱の形が異なり、円柱は神殿の天の神の領域、八角柱は地(に降り立った)神の領域、四角柱は人の領域の象徴であるかのように使い分けられています。この見方からすれば、善光寺本堂内陣奥の中央に位置する四角柱は特異な存在です。この四角柱にこそ、無念の思いを残したまま神上がられていない方々の存在を示し、その方々に神上がっていただくための大規模な供養のための施設であることが示されているのではないでしょうか。
また本堂奥の地下には、真っ暗な洞窟を再現した胎内めぐりの空間がつくられていますが、これはモチコさんが戸隠山の真っ暗闇の洞窟にお一人で籠ってつらい思いをされていたことを疑似体験するためのものではないでしょうか。イサナキの親族の出身で、モチコさんの宮中での立場には、その実家からの相当な重すぎる期待もあったとも思われます。長男タナヒトさんを九代目天神に、とはモチコさん個人の切望ばかりでなく、ご実家からのプレッシャーもあったのでしょう。このあたりの宮中のお后たちの心理状態は、後の平安時代の『源氏物語』に鮮明に描かれているものと大きな差はないような気がします。
このようにモチコさん=九頭竜の供養を目的として善光寺は、日本仏教興隆にとって最も重要な本尊を以って、そのおひざ元、長野に創建されたと考えられるのです。モチコさんと関わるこの場所でも、やはり聖徳太子の足跡を確認できます。聖徳太子とこの善光寺如来とはご縁があり、不思議な話でどこまで信じてよいのかはわかりませんが、聖徳太子がこの阿弥陀如来と往復書簡を交わしており、その手紙が四天王寺に伝わっているそうです。 121世にわたる善光寺の尼僧上人はすべて皇室や五摂家からの出身の方々であることからも、ここが特別な場所であることが示されています。皇円阿闍梨が、瀬織津姫と関わる静岡県御前崎の桜ヶ池で龍となって入定した直後に、善光寺の阿闍梨が池にご出現されたのも瀬織津姫のご意志に基づいてモチコさんを供養することが目的だったと考えられます。日本の神が長い長い年月をかけて、モチコさんハヤコさんを厚く供養し、善の道へと導いてこられたことが判ります。
渡来系の秦氏にせよ、藤原鎌足・不比等とその子孫にせよ、皇室の血統との融合によって、当初の政権簒奪の夢は次第に薄れていって、やがてはその反対に皇室を守り、日本を守る役割をするようになっていったように、長年のご供養によってモチコさんハヤコさんの思いも変わって善なる方向へと昇華されたようです。
1954年、今から59年前です。突如として、京都の八瀬の大西さんという方へ、九頭竜のご神霊がかかります。これが九頭竜大社の創建のきっかけです。以下は八瀬の九頭竜大社の由緒書きからです。
>昭和29年11月24日 ご祭神九頭竜弁財天大神様が開祖大西正治朗の夢枕に立たれ、「汝の身を社にする。無限に人を救う。奇蹟を以て即座に守護を与える。神は人を救って神界に上る。」とのご神託をお授けになり京都八瀬の地に降臨され、九頭竜大社が発祥いたしました。九頭竜弁財天大神様は慈悲の神であり、人生における諸々の災い、厄を取り除き、福徳を授け、幸いにお導き下さいます。発祥当初より九頭竜弁財天大神様の奇蹟の力が発揚され、月参りをなさるなど、熱心にお参りになる方々が後を絶ちません。数多くの方々が大神様よりのお蔭をいただかれる霊験あらたかな社です。<
伊勢神宮ともご縁がある九頭竜大社。別の由緒書きによれば、祭神は2柱と記されています。おそらく、モチコさんとハヤコさんが合体した龍神でしょう。
さて、ではなぜ、昭和になって九頭竜神は京都の八瀬の大西さんのところへ降りてこられたのでしょうか。八瀬の北西方面には鞍馬・貴船が位置します。鞍馬寺には毘沙門天・吉祥天・善膩師童子(=天照大神・瀬織津姫・天忍穂耳命)が祀られています。その北西に貴船神社の結の社が位置します。そこは磐長姫が祀られているのですが、実はホツマによれば、磐長姫とはハヤコさんが輪廻転生された方だったのです。そして驚くべきことにこの3地点がピタリと一直線で並びます。つまり大西さんという霊的因縁のある方に八瀬に住んでいただき、そこへ時期が到来したときに九頭竜の神が御かかりになったということです。
その12年後の1966年、昭和41年にはホツマが世に出て神代の真相がいよいよ広まる時代となりました。その2〜3年後、京都府大江町の元伊勢内宮に、磐長姫の御神霊のかかった神奈川県藤沢市の方の手によって、磐長姫の社と八俣龍神の社が創建されました。天照大神の使命神・皇室神道をご守護することを目的としてイワナガヒメが元伊勢内宮の地に祀られるようになりました。このような神々の和合の動きは、機を一にしているわけです。悪のお役目をされた方は、すでにご改心されて、善神となっていらっしゃいます。

国常立命の常世の教えがたくさん記されたホツマが世に広まることは大変好ましいことですが、私は、日本の神々が憂えておられることが一つだけある、と思います。 
すでに善神となられた神に対して、現代人の善悪二元論に基づく固定的評価とその価値観に相応した、行き過ぎた勧善懲悪の描き方や蔑称表現を使い続けることは私も含めて、改めるべきではないか、ということです。日本の神々が長年かけて、和す・尽くすの精神で、慎重に築き上げてこられた神々の和の世界を、ホツマの根本精神を十分ふまえないことで、かえって台無しにすることになりかねません。
太古より人々をご守護されてきた神々、自己犠牲の精神で、後の世に貴重な教訓を残された神々は今、和(やわ)すこと、尽くすことの大切さ、そして必要なときには健き心(猛き心)の発揮の重要性を人々にお伝えしようとされています。
日本の歴史時代の最初から見出すことのできる、敵となった相手を赦す(愛す)、(一時的な)悪を抱き参らせて善へと導いていかれた神々とその思想継承者たちのご尽力、連綿と続いた神道の神官・仏教高僧・儒学者・道徳家、思想家・教育者・一部の優れた政治家による並々ならぬ献身的な活動、これが日本人の心の優しさの源ではないでしょうか。
昨年、東京でのオリンピック開催が決定しましたが、その時のPRのキーワードになったのが おもてなし でした。
いときょうさんという東京のホツマ研究家からお聞きしました。この言葉は聖徳太子の 和をもって貴しとなす が言葉の由来ではないかと。確かに、おもてなしの心と、相手を尊重し、和していくという考えとはピタリと一致します。和す・尽くすの思想の源は国常立命の常世の国の思想=トの教えと同じであり、それが、日本人の心にしみわたっているがゆえに、日本人からホツマの教えが切り離されても日本人の心に残り続けているわけです。ギリシャ人の父とアイルランド人の母を持つラフカディオハーン=小泉八雲は、「日本人の宗教は日本人の心の中にある」と表現しましたが、まさにその通りなのです。
時代とともに、それは仏教の教え、説話文学などに姿を変え、また関西ホツマの集いの清藤直樹さんが指摘したように明治の初めには、「教育勅語」となって補われてきたものと思われます。戦後、トの教えが弱まり、日本人が方向性をいよいよ見失う危機の時代に、実に1400年ぶりにホツマが登場しました。我々一般庶民の目には史上初となるはずです。トの教えがふんだんにちりばめられているホツマは、日本の神の教えをすべて削り取った『古事記』、『日本書紀』とは全く次元が異なります。 
これが本当にこれから世に広まるか否かは、ホツマの価値を理解する人たちの真剣な努力、創意・工夫にかかっています。
和す心で、研究・推進する人同士が仲良くつながりあって、世に広げていく努力を続けることで、トの教えは日本全体、そして世界全体に広まっていくものと思われます。
        
2012年瀬織津姫の御陵が六甲山で特定されます。瀬織津姫の御魂をご供養する神事が瀬織津姫のお言葉が下りてくるハニエルさんを中心として、同年8月に行われました。昨年秋の戸隠神事も一連の流れの中にある大切な行でした。長年にわたって人々をご守護されてきた神々、自己犠牲の精神で、後の世に、教訓を残された神々は今、和すこと、尽くすことの大切さを人々にお伝えしようとされています。そのことを私たちは多くの人々に知らせていきましょう!

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