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瀬織津姫コミュの伊勢向神社 京都伏見区

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 橋の上に神社を造る、とは、いくらその橋を守っていただくというつもりであったにせよ、決してあってはならないことです。しかし、京都府宇治市の宇治橋では明治期になるまで、まさに橋の上にわざわざ突起した空間=三の間を造って、そこに橋姫=瀬織津姫を祀る神社があったのです。宇治川といえば、平常時でもかなり水量が多い急流です。ちょっとした大雨による洪水で、橋は流される危険にさらされています。
http://white.ap.teacup.com/hakuto/854.html

http://white.ap.teacup.com/hakuto/731.html

 通常は橋の守りとして、橋の付け根の土手近くに社寺を建てるのですが、明治期より前の京都の宇治橋では、まさに事あるときには、人身御供のごとく橋もろとも社も流されてしまう運命にあったのです。信じられないことです。
 これと類似した例が、同じく京都伏見区の淀姫・淀君所縁の淀城近くにもあったのです。それが伊勢向神社です。
 祭神は天疎向津姫命です。
 http://kaiyu.omiki.com/ise/ise.html
 サイトの由緒書きによれば由緒は、「創祀は不明。天疎向津姫命は天照大神の別名。もともと淀小橋の東方、宇治川の中島である浮田の杜にあり、和歌の名所であった。浮田の杜は淀川の改修工事で埋没し現在地に移転された。伊勢は五十瀬に通じ祭神は、水神と考えられる。」
 もちろん由緒書きには明確に記されてはいないのですが、男神天照大神のお后、ムカツ姫を祀っています。
 浮田というのは、宇治川の中州であり、大雨で水量が増えれば当然水浸しになり、おそらく何度も洪水で流されたことでしょう。

http://lakugaki.web.fc2.com/yodomeguri/yodo.htm

 上記サイトには
「天照大神を祀る旧村社で元、淀小橋の東方、宇治川の中島(浮田の杜)にあったが、古来、和歌の名所となり神社より杜の方が有名でした。中島(浮田の杜)は淀川の改修工事で埋没し現在地に移転されました。因みに伊勢は五十瀬(いつせ)の意味で祭神は、水神と思われます。」

 とあり、天照大神とムカツ姫が明確に区別されていません。
それは記紀しか知られていなかった時代までは、致し方のないことではあります。
 いずれにせよ、洪水の反乱の危険性のある川の中州に神社を設ける、というのも信じられない感覚です。
http://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/kyoto/jpg/jpg5/km_01_05_013.jpg

 サイトではその下に、近くの與杼(よど)神社の由緒が紹介されています。
「淀・納所・水垂・大下津の産土(うぶすな)神です。祭神は、豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)、高皇産霊神(タカミムスビノカミ)、速秋津姫命(ハヤアキツヒメノミコト)の三柱です。僧・千観内供が応和年間(961年〜963年)に肥前国(佐賀県)佐賀郡河上村に鎮座の與止日女(ヨドヒメ)神社より、淀大明神として勧請したのに始まると伝えるが、延喜式(901年〜)第9巻「山城国乙訓郡」中に、與杼神社の名がある処からみて、応和年間より以前に鎮座していたと考えられます。元の鎮座地は、今の宮前橋の下流、桂川右岸の川原になっているあたりで、古来よりこのあたりを「大荒木の森」と呼ばれていた。桂川河川敷の拡幅工事が実施されることになったので、本殿以下の建物は、明治33年5月24日付の神社移転許可により、明治34年7月移転工事に着工、翌年5月完成、明治35年6月21日、神社のすべてが現在の淀城址内に遷座されました。※当社由緒書きより」  
 

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