アナタが作る物語コミュの【青春活劇】中二病疾患　第十八話『アイムホームーオネエなパパとキツネ犬』

　※この物語は創作です。残虐な描写や犯罪描写が出て来ますが、マネしないで下さい。

　＿＿＿

　私がパパと血が繋がっていない事は小さい頃から薄々勘付いていた。そもそもちっとも似てないし。
「ほら、香織、朝ご飯。早く食べなきゃ遅刻よ」
「うん、分かった」
　テーブルにはフワフワのスクランブルエッグに炒めたホウレンソウ、タマネギのスープ、トマトジュース、ここまで洋風のおかずを並べて置きながら炊きたての白米。
　向かい合って座っているのはまだ三十代半ばの痩せ型のイケメンだ。後ろに流したパーマ髪の下にはツーブロックの刈り上げが覗いていて、ラフな麻のシャツにチノ、銀縁の眼鏡が知的な雰囲気を与えていて、これで背が高ければ雑誌モデルで通用するだろう。
　家のパパ。職業はイラストレーター。スタイリッシュでカッコ良い、家事は完璧、と友達にも自慢できるパパだ。ある秘密を除けば…。
「もう、香織、あんたまたプリント出し忘れてたでしょ？　参観日の出欠席、提出今日じゃないの。パパったら仕事調整しなきゃいけないのに」
　パパのセリフだ。
「ま、愛おしい香織姫のためなら当日キャンセルだって辞さないけどね♡」
　ここでウィンク。信用を失うと失業に直決するから当日はやめて欲しい。
「ほら、チャッチャと食べなきゃ、寝癖直してる時間なくなるわよ？」
　私は朝の情報番組の男前なアナウンサーを横目に、パパのセリフを聞き流しつつ、朝食を摂る。これが我が戸田家の日常だ。
　秘密とは、パパが家ではオネエ系だと言う事だ。別に、甲高いながらもやはり男性の声で女言葉を話している事が、バレても構わないが言う機会を逃している。と言うか、公表する必要すら感じない。そう、これは日常だからだ。

　＿＿＿

　土里さんの家に来てからも何度もじっちゃんの夢を見ます。今ではじっちゃんは僕の世界の全てではありませんし、それも分かってはいるつもりです。しかし、まだ僕、割居希の頭は未だにじっちゃんから離れられずにいます。
　九月に土里さんの家がある藻茶市にやって来て、もう十二月になりました。期末テストも終わり、皆、冬休みに備えて浮かれています。
　僕がいるはずだった二学期ももう終わろうとしています。
　まだこちらにいたい、そう神奈川の母親に伝えました。母親はそう、と小さく言っただけで電話を切りました。
　土里さんはまだいてくれるのか、と喜んでくれて嬉しかった事も半分、やはり母親は僕を引き受けるつもりはないんだと言う思いが半分。ただ寂しくはありませんでした。
　担任の灰田先生に二年生の間はずっと藻茶北二中にいる事を告げると、微笑みながら、そう、良かったと言ってくれました。
　僕は将来の事を考えます。身元引受人である母親とその夫はきっと、山村留学とか、地方留学と称して僕を中学の間は家に置いてくれないでしょう。仕方ない事だと諦めています。中学を出たら、働いて独り立ちする事になります。

　………

「希」
　じっちゃんが頭を撫でてくれる時の手の暖かさはいつも僕を安心させてくれました。
　周りの大人達はじっちゃんに対して、飲んだくれ、ロクデナシなどと陰口を言っていましたが、僕は聞こえない振りをしていました。

　今よりまだ幼い頃、じっちゃんと僕は島で暮らしていました。
　夏はバカみたいに暑いのですが、冬でも他の地域に比べると暖かい、と言う島でした。と、言っても僕は小学校を卒業するまでは島から出た事はなかったのですが。
　じっちゃんの仕事は羊飼いでした。牧場主が、じっちゃんに給料と僕と暮らす小屋を提供し、じっちゃんはコリー種の犬達と一緒に羊の世話をするという物です。僕も学校のない時間はじっちゃんの仕事を手伝っていました。
「希は偉いねぇ。割居の爺さんなんかよりずっと役に立つや」
　牧場主はそう言って僕にいつもお菓子をくれました。牧場主はじっちゃんを役立たずだと思っていたようですが、僕にとっては世界で一番大切な人でした。とは言え、言い返してはじっちゃんが困る事があるかも知れません。なので僕は微笑みを返し、小屋に戻るとじっちゃんと犬とでお菓子を分け合って食べていました。
　学校の友達は皆、僕は飲んだくれでロクデナシのじっちゃんに育てられていて可哀想だと言いましたが、僕はそれらの言葉も聞こえない振りをしました。じっちゃんとの日々はとても幸せでした。

　＿＿＿

「やっぱりさ、パパって私のホントのパパじゃないでしょ？」
「何を今更言ってんのよ？　そうだけど、どうでも良い事じゃな～い」
　私はココアはやっぱりホットが美味しいよね的な軽いノリで聞き、パパは更に軽いノリで返して来た。
「むしろ香織がいつそれについて聞いて来るか、待ちくたびれて忘れてたわ。もう中学に上がった辺りからこの子は一生気付かないかも…って心配してたの」
　ごめん、パパ。小学校に上がった辺りから勘付いてた。
「ま、中一の五月頃にはもう気付かないって決めてかかったくらいよ」
　待ちくたびれたんじゃなかったのか？　むしろ、一カ月くらいであっさり見切りを付けたのか。私は思わず吹き出した。
「それよりも今日はハンバーグ、良い感じに出来たのよ。ふんわりこんがりよ。重要なのはね、これをあんたに食べさせたいって事。血縁関係なんてアホらしくって考えるのも面倒よ」
　夕食の準備は淡々と整いつつある。ハンバーグはパパの言う通りこんがり焼け目が付き、たっぷりとキノコとトマトのソースがかかって、アスパラガスが添えられている。
「で、メインは洋食なのに後は和食な訳？」
　私は笑いながら箸と皿を並べる。。
「そうよ～。お米ってパンより美容に良いって言うじゃない」
「聞いた事ないよ」
　私はワカメと豆腐の味噌汁をお椀に注ぐパパに返す。パパは同じクラスの鈴木みたいに、えへ♡　と笑った。でも鈴木よりも無理がある。やはり年齢…これ以上はパパが不機嫌になるからやめておく。
「あら、そう？」
「こないだは野菜から食べたら良いとか言って二日しか続かなかったじゃん」
「まあ、良いじゃないの。家は基本がご飯なんだから」
　パパはそう良いながらキンピラレンコンとキュウリの浅漬けを並べた。
「それよりあんた、英語ヤバかったでしょ？　赤点じゃないからって油断してちゃだめよ」
　たまーに親らしい事も言う。やっぱり血縁関係なんて服の裾に着いた糸屑みたいな些細な物なんだ、と思った。

　翌朝、学校に行くとやけに騒がしかった。妙な苛立ちと不安感に煽られているような、嫌な意味での騒がしさだ。
　私はその苛立ちと不安感の波をかき分けるように教室へと向かった。
「どうしたの？」
　私は村上真理子に訊いてみた。真理子は割りと冷静で情況判断力もあるし、声は小さいけど肝は据わっている。
「猫が殺されたんですわ」
「誰かの飼い猫？」
　私は何か分からずに聞き返した。
「猫の死体が詰められた段ボール箱が校舎裏で発見されましたの。頭を潰された猫が何匹も詰められていたそうですわ。飼い猫らしき首輪を付けた猫もいましたし、野良猫も混じっているかも知れませんが、まだ分かりませんわ」
　真理子がふう、溜め息を吐く。
「発見したのは江野くんでしたの。江野くんも猫を飼っていらして、少し取り乱しているようですわ。自分の家の子もやられたら…と」
　私は教室内を見渡して、副学級委員の江野健太の姿を探した。いつもは男子の中で騒いでいるが、今日はやけに静かで席に着いて大人しくしている。
　江野はどう言う気持ちでその箱を開けたんだろう？　でも何で校舎裏なんかに？
「後、これは拡散して欲しくないのですが…」
　真理子が口ごもる。
「いいえ、何でもありませんわ。私の聞き間違えに違いありませんもの。この話しはおしまいです」
　真理子は小さく首を横に振った。
　その時、ざわついていた教室内が急に静かになった。
「おはよう」
　小さな声で挨拶しながら割居くんが入って来た。いつも通りの割居くんなのに、皆が彼を避けている、そんな雰囲気だ。
　割居くんは二学期に転校して来た。
　少し小柄でおとなしい男子だ。
　家庭の事情で二学期の間だけ私達の通う藻茶北二中に転校して来たようだが、江野くんや委員長が言うには二年生の間はずっと北二中にいるようだ。制服も夏服の間は前の学校の物だったが、冬服は北二中の紺色のブレザーに赤いネクタイ、でもズボンだけは前の黒いのだ。
「あいつだよ、卓球部の後輩がうちの制服に黒いズボンを合わせた子を校舎裏で見たって言ってたもん。あの猫殺し」
　宅間ひかるが小声で私に囁く。
「ひかる。誰も割居くんが段ボール箱を置くところも持って来るところも見てませんわ。彼も発見したものの言い出せずにいただけかも知れません」
　真理子が毅然と言った。
「でも…」
「宅間みたいなおっちょこどっこいが人の名誉を傷付けるような悪い噂をバラまくんす。新谷も黒いズボンの男子を見たってだけで顔は見てないって言ってましたし、誰も段ボールを置いた奴を見てないんす」
　ひかると同じ卓球部の工藤仁平もたしなめる。
　確かに、黒いズボンと言うだけなら、私服にブレザーだせ羽織っているヤンキーの連中だって有り得る。
　だが、ひかるはまだ釈然としていない。
「犬…カリントウ…拾い食い…」
　工藤はひかるに何やら断片的なキーワードを囁いた。ひかる本人は完食していないから未遂だと主張しているが、どうやら拾い食いを日常的にしているので、犬の糞をカリントウと間違えて食べてしまったらしい。
　ひかるは黙って膨れっ面をしたまま席に戻った。

　部活には出ずに帰宅する事にした。
　道の少し向こうに見知った後ろ姿が見えた。うちの制服の紺色のブレザーに黒いズボン、華奢な背中に短い髪、割居くん？
　私は気になって跡をつけてみる事にした。
　割居くんらしき人物は迷いもないように、だんだんと住宅街から離れて行き、やがて林に入って行った。どうやら帰る訳ではなさそうだ。
　この林は私有地だが、小学生の時はたまに入って遊んでたし、男子の中には秘密基地を作っている子もいると聞いた。持ち主は何も言わないらしく、私も言われた事はない。
　林で遊んでる？　中学生が一人で？
　私は跡をつけるのをやめた。もう帰る事にしよう。

　＿＿＿

　じっちゃんが旅に連れて行ってくれたのは、僕が小学六年の夏休みの事です。旅といっても遊びのための旅行ではなく、トラックで羊を本土の牧場に届けると言うものでした。
　旅は順調に進みました。
　島からカーフェリーに乗って本土に渡りました。僕はその時、初めて本土に足を踏み入れました。
　本土の港で、船に揺られて疲れた羊達を休めるために止まっていました。
　じっちゃんが羊の様子を見るためにトラックの荷台を開けた時でした。
　その港町には大きな工場があり、煙突から黒い煙がもくもくと吐き出され、空を覆っていました。
　羊達は荷台の格子からその煙りを見て怯えました。空を覆う煙が、まるで島で見た嵐の前の黒い雲のよたいに見えたのでしょう。そのため、羊達はトラックの荷台が開くのと同時に一斉に逃げ出し、二十頭が別々の方向に散らばり、じっちゃんは尻餅を着きました。
　僕はじっちゃんに駆け寄ると、ケガはないかを確認しました。幸いにもじっちゃんは無事でした。
「希、羊共を連れ戻して来い」
「はい」
　僕にとってはじっちゃんの言葉は神様の言葉と同じでした。どんな事でもすぐに実行しなくてはなりません。
　僕は駆け出し、二十の方向へ走り、羊を探し出し、じっちゃんのトラックに連れ戻しました。
　じっちゃんはその間、トラックの運転席で靴下を編んでいました。
「羊を皆集めたよ」
　と知らせるて、じっちゃんに羊を数えてもらいました。
「一匹足りないぞ。探して来い」
　僕は恥ずかしくなって、すぐに走り出しました。

　僕は何時間も走り回って一日中探しましたが、羊はどこにもいませんでした。夜になってへとへとになり、ぺこぺこに腹を空かせて、どんな顔をしてじっちゃんに謝ろうかと考えながら港に戻りました。
　ところが、港にはじっちゃんも羊もいませんでした。
　僕は悲しくて、その辺りを泣きながら走り回り、じっちゃんを探しました。
　辺りは暗くなろうとしていました。僕より少し年下に見える男の子が声をかけて来ました。
「羊のおじいさんと一緒にいたよね？」
　僕は頷きました。男の子の後ろには父親らしき男も立っていました。

　男の子とその父親の話しによるとこうでした。
　僕が走り去った直後、男の子が格子の隙間から羊を数えてみたそうです。
「羊は二十匹いるよ」
　じっちゃんと父親が調べてみると羊はちゃんと皆いたそうです。
「困ったな」
　じっちゃんは呟きました。
　牧場主は羊を本土の牧場に早く届けろと言っていました。僕が戻るのを待っていると遅くなります。それに、僕はじっちゃんの言う事なら何が何でもやり遂げるので、どこを探しても羊がいなければ、別の羊を盗んででも連れて来るかも知れないと思ったそうです（前にも未遂ならあったから）。
　もし僕が羊を盗めば、知らない町での事なので、より面倒な事になります。それに羊を届けるのが遅れればお給料ももらえなくなるかも知れません。
　なのでじっちゃんは僕を置いて行く事を決めました。

　じっちゃんは携帯電話を持っていなかったので、男の子の父親に牧場主に電話をしてもらいました。しかし、じっちゃんは本土の牧場にも行っておらず、牧場主も困っていたようです。それに、僕が駆け出したすぐ後に出発したのならば、もう港に戻っているはずでした。
　僕はその日は牧場主の指示に従って港町の民宿に泊まりました。

　僕は翌日迎えに来た牧場主と共に島に帰りました。
　そして、帰ってからは牧場で働くようにしました。牧場主は子どもがそんな事をしなくても良いと言いましたが、元々じっちゃんの仕事を手伝っていたので大体の事は分かります。それにじっちゃんが帰って来た時に、仕事が滞っておかないようにしていたかったのです。
　仕事の合間には島の港に行きました。船が着く度にその中にじっちゃんの姿を探しました。

　＿＿＿

「やっぱお前だろ、猫殺し」
　二年二組の七海文太が割居くんに絡んでいる所に遭遇した。子分の川内紀之と奥山千代治が七海を挟んでニヤニヤしている。七海とは同じ小学校だったが、当時から一人では何もできないくせに、弱い者いじめをするような奴だったので、好きにはなれなかった。
　階段を上ってすぐ、廊下でやめて欲しい。七海はただでさえ無駄にデカいんだから邪魔だ。
　それに愚鈍だ。私が少し離れたところから冷たい目線を送っている事にも気付かないようだ。他にも七海を白い目で見ている人はいるが、誰も割居くんを助けない。
「おい、お前らもこいつが犯人だと思うだろ？」
　今日は田村明仁と一緒ではなかったのか。今日に限って二人で登校して来た葉山健と五十嵐晴希が七海に捕まった。
　健は情況が読めないのか、キョトンとした顔で首を横に振った。晴希は健の腕を掴んで行こうとするが、川内と奥山が前に立つ。ようやく健も自分が置かれた情況が理解できたのか、困り顔になった。
　しょうがないな。同じ美術部のよしみだ。助けてあげるか。
　私は七海達に向かって歩き出した。
「健ー、晴希ー、部活の事で話しがあるんだけどー」
　私は二人に声をかけた。七海がこちらを見る。
「何だよ、戸田。健と晴希は俺が今話しがあるんだよ」
　七海がこちらを向き、川内と奥村もうんうん、と頷く。
「こっちの話しの方が重要だから。ってか、連れて行かないと田村くんがうるさいんだよね。あんたが田村くんに文句言えるんなら良いけど」
　私はニヤニヤとバカにした笑みを浮かべる。
「ブンちゃん、田村はまだ登校してないよ」
「それに美術部の話しなのに、何で柔道部の田村が出て来るんだ？」
　アホな七海は田村の名前を出したら怯んだが、川内と奥村は気付いていた。細かい事を気にする性格みたいだ。
「まあ、この二人はこっちで引き取るから、あんたらも教室戻りなよ。それともケチョンケチョンに言ってあげようか？」
　私は健の手を取ると引っ張った。だが、健もよせば良いのに、割居くんの手も取った。一緒に連れ出すつもりだ。
「おっと、こいつは置いて行ってもらおうか」
　七海が健と割居くんの繋がれた手をがしっと掴んで、エロそうな笑いを顔いっぱいに浮かべた。
「やだ」
　ああ、健はまた余計な事を…。七海を睨んですぐに目を逸らす。晴希はオロオロしている。割居くんも困り顔だ。
　私は委員長や田村じゃないんだよ。そんなに一度に問題を処理できない。
「何だよ、健ー。お前、こいつの肩持つ気かよ？　猫殺しの共犯者か？」
　七海は自分より弱い相手に対してだから良い気になっている。周りもざわつき始めた。
「で、何があったか知らねーけど、誰にいちゃもん付けてるんだよ？」
　私も晴希もざわついてた生徒達も、そして誰よりも七海本人が凍り付いた。平気な顔をしているのは健だけだ。
　子分二人は震え上がっている。七海は声の主の方にゆっくりと振り向く。
　七海の後ろには、校内一のヤンキーとして名高い阿久龍太郎が不機嫌そうに立っていた。
「い…いちゃもんなんて付けてねーよ」
　七海は声が震えているし、厳つい顔にも冷や汗がダラダラと流れている。
「それなら邪魔だから教室入れ」
　阿久が睨み付けると七海は道を譲るように退け、川内と奥村も続いた。
「ありがとうな」
　誰もが恐れる阿久に、こんなにフランクに話しかけられるのは健を始め、商店街の面々くらいだ。幼なじみだとは聞いていたが、あの阿久に…。その阿久は頷くと、一組の教室に消えた。
「ほら、行こう」
　健は割居くんの手を取ると歩き出した。割居くんは少し戸惑いながらも後に続いた。
「えっと…ありがとう」
　割居くんは小さく礼を言った。

「朝は何で割居くんを庇ったりしたの？」
　部活に出て、同じクラスの健に訊いてみる。放課後の美術室に美術部の生徒達が集まって来ていて、楽しげな雰囲気で溢れている。
「え？　うーん…間違ってると思ったから」
　健は一端、絵を描く手を止めて言った。横で画集を開いていた、隣りのクラスの晴希が溜め息を吐く。
「割居くんの猫殺しはあくまでも噂だろ？　証拠ないもん」
　どうやら健の耳にも噂は入っているらしい。
　健と晴希は小学生の時に家庭の事情を理由に七海（と子分二人）にいじめられていた。
　それにしても七海はおめでたい奴だ。今時、大卒リーマンと専業主婦の両親がきちんと揃っていて、持ち家で、離婚や家庭内紛争がドラマの中の話しでしかない、と思っているのだ。だから家庭の事情を抱えている子達を奇異の目で見て、いじめたがる。その一方で、口が立つ子や自分より力が強い奴とは、ケンカにならないようにしている。
　私だって小学生時代に、家には全く似ていないパパしかいない事を指摘され、ブチ切れて言い返し、更にクラスの女子の約半数で取り囲んで、捨てゼリフを吐かせて教室から追い出す、と言う暴挙に出なかったら、いじめられていたかも知れない。
「でも文太には困ったね。あいつら小学生の時から変わらないよ」
「俺より幼稚な奴は珍しいぞ。天然記念物に指定して国に保護させよう。ガラスケースにいれて絶対に出られないように」
　晴希が七海に呆れている横で、調子付いた健がキャキャッと笑いながら、中々良い提案をしている。ただ、税金で七海が飯を食うのは嫌かな。
「割居くん、大丈夫だったかな」
　健は笑顔を曇らせた。
「大丈夫なんじゃない？　えっと…割居くんは科学技術部だっけ？」
　私は訊いてみた。
「うん、委員長が勧誘したって言ってた」
　私は彫刻刀を置いて立ち上がった。今日やるべき作業はもう終わっている。
「よし、私が様子を見てくるよ。じゃ、お疲れ様っしたぁー」
　私は、お疲れ様ー、と言う部員達の声を背に第二理科室へ向かった。

「ふふふふふ…どんどん処理できていく…ふははははは！」
　うちのクラスの水沢委員長が、情報処理をしながら怖い事になっていた。だが他の部員達は、自分のパソコンやら試験管やら機械やらに熱中しており、気にも留めていない。
「あれ？　何か用？」
　同じ給食委員の高山旬が私に気付き、機械をいじっていた手を止めた。こっちに歩いて来る。
「いや、あんたに用じゃないんだ」
　高山が小声で私に言う。
「委員長？　早く突っ込んであげてよ。戸田が来たからああやってマッドサイエンティスト風にボケてるんだから」
　あれはボケだったのか。いまだにフハハと笑って黒渕眼鏡の奥を血走らせている。
「いや、突っ込みたくない。突っ込んだら負けだと思う。それより割居くんは？」
　さっさと本題に入りたい。聞こえたのか、委員長の頭にタライが落ちてぐわーんと音を立てたが、気にしない事にした。
「割居くんなら今頃外だよ」
「外？　何で？」
　科学技術部と言ったら、理科室やパソコン室で、自分の好きな研究分野についてガチャガチャやってるとばかり思っていた。
「割居くんは自然や生き物が好きなんだ。林とかで草花とか、寒くなる前は虫の観察とかレポートにまとめてたよ」
　あ、なるほど。研究室に籠もるばかりが科学技術部ではないんだ。そう言えば私達美術部も、外に出て風景画を描いたり、石や植物を使っての創作だってする事がある。
「じゃ、いつもは林に？」
「そうだね。部活しないで帰る時もあるけど。どうしたの？　やっぱり…」
　高山は辺りを見渡して、小声で訊いてきた。
「猫殺し？　それならあんまり嗅ぎ回らない方が良いよ」
「いや、今朝七海のアホが割居くんに絡まれて、健と二組の五十嵐が巻き込まれてさ」
「いや、それとこれは話し的に関係なさそうだけど。それに割居くん、林に行く時とかは大体、勝地先生か桜井先生が一緒だし、怪しい事はしてないと思う」
「そっか。ありがとう」
　私は高山に言うと、第二理科室を後にした。
　健にはラインで、先生付き添いで林にいると報告する事とする。

　＿＿＿

　小六の二学期が始まると同時に、僕は島を出ました。神奈川に住んでいる母親に引き取られる事が決まったからです。
　母親はじっちゃんの娘に当たるのですが、僕がまだ何も覚えていないほど小さな頃、じっちゃんに僕を引き渡し、父親と離婚して他の男性と暮らし始めました。
　僕が新しく暮らす事になった土地は県庁所在地ではありませんが、島に比べればかなり都会で、それまで噂にしか聞いた事のない二十四時間営業のコンビニまでありました。
　全く凄い土地です。公園や広場に木や花は植えてありましたが、どこまで見渡してもコンクリートで堅められた世界が広がり、町中が排気ガスの臭いがしました。更に家に帰っても洗剤や芳香剤の薬品の臭いのせいで、暮らし初めてから半月ほどは頭痛や立ちくらみに悩まされました。食べ物も、たまにしか口にしなかった化学調味料の味が必ずしました。
　そして、とにかく人が多いのです。三十人学級が一学年四クラス、それが六学年、教職員も各クラス担任だけではなく、図工や音楽や家庭科の専科教員、各学年に一人はいる副担任、事務員や用務員、その他にも学校見学に来るのが好きな保護者達、膨大な数の人間が学校だけでも溢れていました。
　母親と再婚相手のクラスマンションも一階六部屋、それが八階まで、一階のテナント部分にはコンビニ、歯科医、美容院と入っていて、毎日たくさんの人間が行き来していました。
　そんなにたくさんの人間を見た事がなかったので、気分が悪くなりました。
　それまでロクにアスファルトで舗装されていない島の中で、毎日裸足で野原を駆け回り、小中合わせて十六名の学校に通い、食べ物は畑で作るか他の農家と物々交換が主流と言う、完全に時代から取り残された生活を送っていた僕は、多大なショックを受けました。

　一方で、母親と再婚相手は、前述のようにカルチャーショックで体調を崩し、人の多さにヒいていた僕に対し、ゆっくりで良いと優しくしてくれました。
　じっちゃんについては何も言いませんでした。こちらからも訊く気にはなれませんでした。

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[1] mixiユーザー 03月06日 03:06

「割居くん、何してるの！」
　突然の金切り声に驚いて下を見ると、担任の女性教師と二名の女子のクラスメイトがいました。担任は真っ青な顔をしていて、女子二人は不安そうにしています。
「え？　木登りです」
　僕が答えると担任はフラフラと木の幹に倒れかかるように近付きました。
「下りれるようなら、早く下りなさい！」
　本当は木の葉の匂いや吹き抜ける風が心地良く、ようやく町の臭いや人混みによる体調不良が軽くなって、少し動けるようになったので単に登っただけでしたし、本当はもう少し木の上にいたかったのすが、担任の命令ならば仕方ありません。
　僕は職員室にそのまま来るように言われました。
「皆、心配してたのよ。突然、木に登ってそのまま下りて来ないんですもの」
　担任はさっきの金切り声とは対照的に、普段通りの淡白なしゃべり方で言いました。担任の座った席がギイと、僕の座った丸椅子はカタンと音を立てました。
「風が気持ち良かったのと、木の匂いが好きだからあのままでいました。でも何で心配なんてしたんですか？」
「あのね、割居くん。皆、あなたが何で木に登ったりなんかしたのか分からなかったし、下りられなくなっちゃったんじゃないかって、心配だったのよ。それにかなり高い枝まで登っていたじゃない」
　それについては全く考えませんでした。
　島の学校にはもっと太くて高い木もあって、休み時間には友達とよく一緒に登っていたのです。それに、もっと高い所の枝にだって…。
「そんな風に誰かを心配させるなんて思いませんでした。ごめんなさい」
　納得はしませんでしたが、その場では謝っておきました。
「あのね、割居くん。前の学校ではどうだったかは知らないけど、この学校では、六年生であんな事をする子はいないわ。せいぜい低学年のやんちゃな子が、低い枝によじ登るくらいよ。
　それに、君はクラスの他の子とも関わろうとしないし、先生も心配してるの」
　訳が分かりませんでしたが、それがこの町の常識なのだと思う事にしました。

　翌日、登校すると、木の下から心配そうに見上げていた女子の一人が僕の席まで歩いて来ました。
「割居くんって自然の多い離島で育ったんだよね」
　僕は何か言おうと思いましたが、何を言って良いのか分からなくなり、とりあえず頷きました。
「大人しそうに見えて、結構やんちゃな事をするんだね」
　女子はクスリと笑いました。僕はその笑いが何を意味しているのかは分かりませんでしたが、またとりあえず頷きました。
「こっちではあまりそんな事はしない方が良いよ」
　女子は少し目を泳がせるようにしながら、そう言いました。僕は、どう言う意味？　と言う言葉を飲み込んで、またとりあえず頷きました。

　彼女の言葉の意味は数日後には分かりました。
　九月の終わり頃、まとわりつくような暑さは島と変わりませんが、長時間外にいると肌が痛くなるような町の暑さはまだ和らぎそうにない、そんな日でした。
「へえ、お前って成績は良いんだ」
　もう声変わりの時期に入っているようなひどくかすれた、太い声が降って来ました。
　見上げると、背が高くて少し太り気味ですががっちりした体格の、クラスではリーダー格の男子が、僕の席の前に立っていました。後ろには三人の取り巻きらしき男子が、ニヤニヤしながら僕を見ていました。
「そう？」
　僕は、島にいた頃から学業の成績は高く、しかし町では中学受験を考えているような子には及ばない、くらいの学力でした。
「そう？　だってさ。スカしてやがるよ」
　リーダー格が大きな声を張り上げ、あはは、と掠れた笑い声をあげました。取り巻き達の甲高い笑い声がそれに続きます。
「お前、中学どっか受けるの？」
　リーダー格が嫌な意味での笑みを浮かべながら訊きました。僕はそんな事は考えた事もないので、首を横に振りました。
「何だよ、受験しないのかよ。こんな原始人と中学まで一緒なのかよ」
　リーダー格は嘆くような、わざとらしい演技をしながら言いました。もちろんニヤニヤ笑いは顔に張り付いたままです。
「マジ最低だよ」
「どっか行ってくれよ。割居が一緒なんて恥だよ」
「つーか森の中の学校で熊と相撲取ってろよ」
「森じゃなくて島だろ？　きび団子で釣った犬と猿と雉と一緒に、島に帰るんだよ」
「マジウケる」
　取り巻き達はキャッキャと笑い出しました。
「あれだろ？　お前、ボケだじいちゃんに育てれたから、そんな原始人みたいに田舎臭いんだろ？　ネットで調べたんだけどさ、お前が生まれた島から羊を盗んで消えたじいさんの孫だって、マジ？」
　リーダー格が言った言葉が頭の中にガツンと突き刺さりました。
「お前のじいちゃん、孫を置き去りにして、盗んだ羊を中国に売り飛ばして、その金でどっか別の国に逃げたんだよな？」

[2] mixiユーザー 03月06日 03:07

　リーダー格の悪意ある言葉に涙が出て来ました。顔が怒りで熱くなるのも分かりました。鼻の奥がツーンとして、お腹の底が冷たくなりました。
「何？　泣いてるって事はマジ？　お前、卑劣なボケじじいに捨てられたの？　黙ってないで…」
　いつ立ち上がったかは自分でも分かりません。僕はリーダー格の体を押し退け、走り出しました。教室を出て、走る廊下はワックスの臭いが鼻をつきました。

　母親からの話しだと、僕が教室を飛び出した時、リーダー格はよろけて机の角に頭をぶつけて出血したそうです。リーダー格と取り巻き達は、僕が突き飛ばしてケガをさせたと言い張っていましたが、忠告してくれた女子が、リーダー格と取り巻き達が、じっちゃんの悪口を言ったりからかったりした事を証言してくれたのたので、担任からは電話での口頭注意だけで終わりました。
　でも母親は泣き、再婚相手には怒鳴られました。
「何でお前は相手の子をケガさせたんだ!!」
　島では勉強もスポーツもお手伝いもできる模範生であった僕にとって、初めて怒鳴られた体験で、大きな声には驚きましたが、大して怖いとは思えませんでした。
「俺が謝りに行って、どんだけ恥をかいたと思ってる!?　裁判沙汰にでもなったらどうするつもりだ？　相手の親が会社に乗り込んで来たら、お前がどう責任取れるんだ？」
　再婚相手は僕の胸倉を掴むと激しく揺さぶり、唾を吐き散らしながら吠えました。母親はそれを見て泣いているだけでした。
「学校からはずっと言われてたんだよ、浮いてる、馴染めない、変わり者だって！　お前の前の生活もじじいも知らねーよ！　俺に恥をかかせないでくれよ！　どっか行ってくれよ！」
　再婚相手は僕を床に押し飛ばすと部屋を出て行きました。母親のすすり泣く声だけが耳に障りました。

　＿＿＿

　別に割居くんを探していた訳ではない、と言うとウソになるかも知れない。ただ何となく林を見たくなった、と言うのとも少し違う。しかし、林から出て来る割居くんを見付けた時は、まさか本当に遭遇するとは思わなかった。
　しかもパパと割居くんが話していただなんて。

「何で割居くんと知り合いなの？」
「ワリイくんって？」
　パパは帰って来るなり、冷蔵庫に卵や牛乳や塩鮭をしまいながら答えた。
「林から出て来た男の子。スポーツ刈りで、ちょっと背の低い」
　まさか家のパパに限ってショタコンに目覚めて、何も知らない（ように見える）少年を…なんて事は勘弁して欲しい。未成年に対する性行為は犯罪に当たるのではないか。
　パパの恋愛や性欲の対象はゴツいおじさんだ。だが、パパのイラストの男の子は素朴で可愛いと評判だ。潜在的にそんな欲求が眠っていてもおかしくない。
「あ、あの子、割居くんって言うのね。クラスメイト？　やだ、香織が迷惑とかかけてないですか、って訊くの忘れちゃってたじゃない。声かけてくれれば分かったものを…」
　パパはそう言いながら豚バラ肉を取り出し、レタスとタマネギを手にした。
「どう言う関係なの？」
「どうって…木の絵の参考が欲しくてね、林に行った時に会ったのよ。保護者の若いお兄さん先生が一緒で、部活で虫とか植物とか研究してるんですって。シートンよねぇ、ファーブルよねぇ。あんたも見習いなさいよ」
　お兄さん先生は二年四組の副担任で科学技術部の副顧問の勝地先生だろう。高山の証言と一致する。
「それで、たまに会ったら話しをしてるの？」
「そうよ。家にも君と同じくらいの年頃の娘がいるって、まあ、自分の子どもと同じ年恰好の子どもを見ると気になるのよね。ほら、林にお兄さんに連れられた男の子、親子としては年が近過ぎるし、兄弟にしては離れ過ぎてたから、不審に思って一月くらい前に声をかけたのよ」
　ごめん、私はパパに対してそれを思ったんだ…。
「先生はうちの副担任」
「え？　副担任って、あの美味しそうな桜井先生じゃなかったの？」
「言わなかった？　桜井ちゃんは大学に研究員として採用されて、大学から勝地ちゃんが交代で来て、でもなぜか桜井ちゃんは大学からスクールサポーターとして派遣される事になってまだいる、って」
「忘れ…聞いてないわよ。まだ桜井先生はいるのね。安心したわ」
　一瞬、パパは頬を赤らめた。
　どうせ見向きもされないと思う。
「さて、今日はキッペイくんが来る日よ！　豚しゃぶに、きのこ汁にババロアなんだから。腕によりをかけて作るわ」
　今日はパパの恋人が来る日らしい。
　しかし変な恋人だ。飯だけ食ったらさっさと帰るだなんて。
　たまに話しをするが、シャイで無口なキッペイくんは、私やパパの質問に簡単に答えるだけだ。やがては、私とパパが勝手にしゃべって、それを見ながらご飯を食べている。どこか満足そうな笑みを浮かべながら。
　そんなキッペイくんは嫌いじゃないんだな、実は。

[3] mixiユーザー 03月06日 03:11

　＿＿＿

　再婚相手の逆鱗に触れた僕は、三日後には山村留学が決まりました。
　その村では羊や豚を飼育している農家が多く、また、島ほどではありませんが、野山も広がっていて、安心できる匂いがしました。
　僕がお世話になる事になったのは笛田と言う逞しい壮年の男の羊飼いの家で、離婚した配偶者に引き取られたものの、都会になじめずに笛田家に戻って来た苗字の違う娘、春田がいました。
　僕は笛田家から学校に通い、帰ってからは空いた時間は畑仕事や羊の世話を手伝いました。
　笛田家は村の丘の上にあり、僕はそこから羊達や野山を眺めている事が増えました。
　近所の農家は時々、キツネや野犬、時にはカラスに羊や豚やニワトリを捕られるのですが、僕が来てからはそんな事はさせませんでした。羊を守る事が僕の仕事であるように感じていたのです。
　僕は学校では大人しくしていましたが、自分でもいつも心はそこにいないような気がして、あまり話さない人には懐疑的になりました。それは、笛田　が言うには、僕がじっちゃんとはぐれて、都会に連れて行かれたものの、なじめずに満たされない思いのままで、神経を磨り減らしたからだと言いました。
　その村には鬼の谷と呼ばれる場所がありました。この谷には岩がゴロゴロ転がり、険しい崖や岩穴が多く、昔から浮浪者が住み着いては家畜や畑を荒らしていました。しかし、村人の地道な努力のお陰で、浮浪者がはびこるような事はありませんでした。
　ところが冬が過ぎて、春が来て、僕も村の中学に上がってから更にまた秋が来ようとしていた頃、鬼の谷には大変な浮浪者の男が住み着きました。
　その男はニワトリや子豚を殺しては焼いて食べ、番犬や村人に終われると、谷間にある『鬼門』と呼ばれる穴に逃げ込みました。鬼門はどこまで続いているか分からないほど深く、男がそこに入ってしまうと犬も人間も手が出せません。
　ある時、番犬の一頭がもう少しでその男を捕まえそうになりましたが、そのすぐ後でその番犬は気が狂ったように錯乱し、餌を食べなくなって、やがて死にました。その時からその男には鬼が取り憑いていると、人々は思うようになりました。
　確かにその男のやる事はだんだんひどくなり、やがてただ楽しむために家畜を殺すようになりました。一夜の内に養鶏場の鶏が二百羽以上殺され、次の日の夜には池の鯉が皆地面に叩き付けられました。豚小屋の豚達を血祭りに上げ、ペットの犬や猫、大きな牛までもが何頭も殺されるようにまでなりました。
　その男について分かっている事はごく僅かでした。例えば、小柄な老人らしいのですが、大人の牛を殺す程の怪力である事、足跡をごまかすのが上手く、犬でもよく途中で追えなくなる事、などです。
　警察は都会から応援を頼んで毎晩警戒していましたが、男は捕まりませんでした。
　僕はある日の夕方、笛田から買い物を頼まれていました。突然雲が広がり、辺りは暗くなり、激しい夕立ちが振り出しました。バス停の屋根の下で雨宿りをしていると、どこかの農家の物置小屋の影に小さな人影を見付けました。急にピカッと稲妻が光り、僕は思わずギクッとしました。僕から三十メートル程離れたその小屋の影に、小柄な年老いた男がもたれかかって僕を睨み付け、獲物でも見付けたかのように口を嘗め回していました。稲妻は僅かな間、男の姿を照らしただけで、辺りはすぐに真っ暗になりました。
　そのまま何もなければ、薄気味悪い人を見たと言うだけで済んだ事でしょう。
　ところがその夜、また近所の農場で鶏が殺された上に白菜畑が荒らされたのです。そして、これは僕が見た男の仕業に違いないと思いました。
　ところが笛田の所は村でただ一軒、家畜も殺されず、畑も荒らされませんでした。
　笛田さんの家や農場は鬼の谷の近くでしたが、僕が一生懸命に羊や畑を守ったからだと村人達は考えました。
　でも評判は良くなっても、僕は村の人気者にはなれませんでした。その頃の僕はますます他人に対して疑り深くなり、人から好かれるような可愛い性質ではなくなっていたからです。
　でも僕は、笛田の娘の春田には気を許していました。
　春田は僕より一学年上で、美人で頭も良く、とても可愛がってくれました。なので春田の言う事はよく聞きましたが、笛田や教師や村の大人達にはただ従っていました。

　冬が来て、雪が降ったある日、とある後家さんの畑が荒らされ、八匹の飼い猫が皆殺しになりました。警察と村人達はすぐに足跡を辿って浮浪者を追跡し出しました。
　擦り切れた靴の跡が、雪と混じった泥の上にくっきりと残っていましたが、やがて足跡は川へ行き、水の中へ消えていました。川の向こう岸には足跡がありません。

[4] mixiユーザー 03月06日 03:14

　そして五百メートルも下った場所で、川から上がった足跡が見付かりました。これは男が実は頭が良い証拠です。男は水の上を歩いて臭いを消し、犬の鼻では追えないようにしたのです。
　川から上がった足跡は、少し進んだ所で高い石垣へとよじ登っていました。そこには雪が積もっておらず、足跡が付かず、男がどこへ行ったのか分からなくなってしまいました。
　しかし警察も村人達も、石垣に沿って一生懸命に足跡を探し、やがて石垣の近くの平らな雪の上に足跡が見付かりました。
　足跡を追うと、高い所を通っている道へ出ました。しかし、その先がどこへ行ったのか分かりません。人々はまた長い時間をかけて足跡を探しました。やがて再び足跡を見付け、またその後を追いました。
　足跡は近くの羊小屋へ入っていましたが、その小屋の羊は無事でした。
　足跡は羊小屋を離れると、野原の道に出て、そこからまっすぐに農場へと向かっていました。
　その日は雪が降ったため、僕は羊達を小屋に入れたままで、風に吹かれていました。
　村人達が近付いて来ると、僕は家へと入りました。

　＿＿＿

　翌朝にも、段ボール箱が校舎裏に置かれていた。中に入っていたのは古びたぬいぐるみの山だった。同一人物の仕業か、模倣犯によるイタズラかは分からない。発見者は三年生担任の国語の先生だった。
　他のクラスはその話題で持ち切りだった。うちのクラスは、犯人だと疑われている割居くんに遠慮してか、静かだ。
　私は休憩時間に、割居くんの名前で携帯電話で検索してみた。
　ヒットする訳ないか…。それは私の願望に過ぎなかった。
　ネットの世界は残酷だ。例えば、葉山健や五十嵐晴希の名前で検索すれば、二人が家族に殺されたかけた事件を掘り返す事もできる。
　割居くんもローカルな掲示板にいくつか書かれていた。
　一つは割居希と言う名前は確認できなかったが、割居朗敏と言う老人が港に孫を置き去りにして、羊と一緒に消えたと言う物だった。事件が起きたのは二年前で、置き去りにされた孫は当時小学六年生、割居と言う苗字、確かに割居くんと重なるけれど、割居くんだと断定できるものではない。
　もう一つ、こちらははっきりと割居希と言う名前を確認できた。ある村で家畜が連続で殺されたり、畑が荒らされる事件が起きたそうだ。初めはどこからか住み着いた浮浪者の犯行だったものの、いつしか浮浪者はいなくなり、割居くんが浮浪者のせいにして、畑や家畜を荒らしていたそうだ。一年前の事件で、当時中一の山村留学の少年、割居希、とあった。それに、今より少し幼く見える割居くんの写真まで載せられていた。
　おそらく私が検索しているくらいだ。他にも検索して知っている人はいくらかいるだろう。
　昨日から割居くんを疑っていた宅間ひかるは調べていそうだ。ＩＴ系に強く、クラス運営のためにクラスメイトの情報をまとめている委員長なら、もっと前から知っていたかも知れない。あと、七海も暇そうだから検索してるだろう。
　クラスメイト達を見渡す。この中の何人くらいが、この本当かどうか分からない情報を得ているんだろう。

　今日の給食はエビグラタンにニンジンとタマネギのスープ、雑穀パン、大根と水菜のサラダだ。私は給食委員としての業務で、当番達に指示を出しつつ手伝う。
　一人分、余った。私はクラス全体を見渡す。割居くんがいない。
「あれ？　割居くんは？」
　私は声を上げた。
「あ…ごめん。割居くん、保健室行くって言ってて、報告忘れてた」
　保健委員の健がやっちまった、と言う表情で言う。
「だめじゃない、ちゃんと知らせてくれなきゃ」
「すみません」
　担任の灰田ちゃんが健に軽く注意を促し、健も調子良くヘラヘラ笑いながら頭を下げた。
「それに割居くんにも、私に言ってから保健室に行くように言っておいてね」
　灰田先生も知らなかったようだ。
「って、あんたが何でいる訳？　保健室まで付き添わなかったの？」
　同じく保健委員の沢菜結唯が健に訊く。
「一人で大丈夫って言ってたから」
　クラス一同、健の抜け具合に溜め息を吐いた。
「ま、保健委員か給食委員、誰か割居くんの給食を届けてあげて」
「じゃ、俺…」
　灰田先生の指示に、責任感は一応あるのか健が手を上げた。
「私行くよ。こっちからも確認してなかったし」
　私は健を制すると、トレイを手にした。

「え？　来てないよ？」
　保健室の橋野先生のセリフのせいで、私の頭にタライが落ちて来てぐわーんと音を立て、危うく給食のトレイを落とす所だった。どうして良いか分からず、教室にトレイを持って帰って灰田ちゃんに報告。

[5] mixiユーザー 03月06日 03:17

　とりあえず、騒ぎになるからと誰にも言わないように念を押して、同じ委員会の高山にだけは言ったが、私がトレイを持って帰って来た事や、給食も途中で教室を出て行った灰田ちゃんを見て、皆ざわめき出した。
　それでも業務は遂行しなくてはならない。私は給食を食べ終えると、当番と一緒に後片付けに回った。

「四組の割居くん、何か外に出ちゃったらしいよ？　桜井先生が探して来るって急いで出て行ったって」
「やっぱ猫殺しの犯人扱いされたから？」
「ってかさ、この学校来る前の山村留学でも、家畜を派手に殺しまくってたんでしょ？」
　ヒソヒソとだが、隠す気はなさそうな二組の名前が分からない女子生徒が、話しているのを聞いた。やはり私がネットで見た情報は拡散しているらしい。
　ネットの情報みたいに、本当に事件関係者が書き込んだどうか分からない物に踊らされるなんて、バカバカしい。そもそも、そんな事件は本当にあったのかすら…。
　私は昼休みの残り時間を確認すると、屋上に続く階段に向かった。

「もしもしパパ？」
『あら～、香織？　どうしたの？　お昼休み？』
　携帯の向こうからノーテンキな声が聞こえる。あちら側には、校内の物々しい雰囲気は関係ないのだから当然だ。
「うん。あのね、割居くんって昨日話したよね？」
『あ、そうね。あんたまさか…やだ！　パパは応援するわよ！　まさか遂に！　あたしのお姫様に王子様が現れるなんて！　とにもかくにも、告白は焦っちゃダメよ』
「誰がパパに恋愛相談なんてするの？」
　二年前にキッペイくんと出会うまで、私が知る限りでは二人の男性に遊び捨てられている。どちらも一カ月と続いていなかった。そんなパパに恋愛相談するなんて、正気の沙汰じゃない。
「あのさ、割居くん、学校からいなくなっちゃったんだよね。パパももし見かけたら教えて欲しいんだ。桜井ちゃんも心配して飛び出したらしいし」
『あらまあ！　桜井先生に心配されるなんて羨ましいわ！　パパも飛び出しちゃおうかしら』
「おっさんがおっさんの心配してどうすんの？」
『やぁね、冗談よ。割居くんならさっき林に入って行くとこを見たし。さっさと報告しちゃいなさい』
　本日二回目のタライを払い退けると、ぐわーんと言う音を立てて床に転がった。
「はあっ!?　何でもっと早く言わない訳!?」
『だってまた部活か課外授業だと思ったんですもの。あんたもせっかちねぇ』
「パパが遅いんだよ！　さっきっていつ？」
『ホント、ついさっきよ。十分も経ってないわ』
「ありがとう、じゃ、もう切るね」
　ああ、もう…。灰田ちゃんには何て伝えよう、どこから伝えよう…？

　＿＿＿

　騒がしさに気付き、笛田が外に出ました。
「笛田の旦那、お前んとこの希が夕べ、掛戸さん家の猫を八匹殺したんだ。しかも希が動物を殺したのは、夕べが初めてじゃなかったと思うんだ」
　代表の的場と言う男が言いました。
「おいおい、的場さんよ。お前、気が変になったか？　俺は希みたいな優秀な羊飼いを見た事がないんだぜ？　こいつは羊も他の動物もとても可愛がるんだよ」
　笛田はムッとした表情で的場さんに言い返しました。
「そうみたいだな、羊も他の動物も可愛がるんだよな。夕べやった事を見て坊主がどんな可愛がり方をするかって事が、俺達にはよく分かったぜ」
　それを聞いて笛田はカンカンに怒りました。
「言いがかりはよせ！　お前らがそんな事を言うのは、自分達は畑や家畜を変質者に荒らされてるのに、希が優秀だから荒らされないから俺んとこを妬んで、希を追い出すつもりだからだ」
　村人達は足跡を追って来た事を説明しましたが、笛田は納得しませんでした。
「毎晩あいつが寝てる部屋の窓はな、斜めにしか開かないんだ。いかに体が小さい希でも絶対に出られんし、そもそも大の男でも外すのに一苦労な窓さ。子どもには無理さ」
　笛田と村人達は怒って言い争っていました。僕と一緒に台所でそれを聞いていた春田が立ち上がりました。言い争いの中に向かいます。春田が何かを言って、村人達は納得したようで、帰って行きました。

[6] mixiユーザー 03月06日 03:18

　村人達が足跡を追って笛田家にやって来てから、四日が過ぎた日の夜の事です。
　僕はまた、抑えられなくなりました。
　夜が更けて行くと、そわそわして来ました。何度も寝返りを打って、起き上がっては体を伸ばし、また横になります。それでも抑えられそうにありません。
　大丈夫。春田が何かを言ってから、村人達は何も言って来ないじゃないか。
　夜中の十二時頃になると、僕はもうこれ以上我慢できなくなりました。
　耳を澄まします。隣りの部屋で寝ているはずの春田の部屋からは何も聞こえません。僕はこの時、静か過ぎると気付くべきでした。ドアの向こうの笛田の部屋からはイビキが聞こえます。
　僕はゆるりと床下に忍ばせたじっちゃんの作業用のジャンパーに袖を通し、鉄パイプを持ちました。
　音を立てずに窓を外すのは簡単です。力の入れ方ではなく、方向や向きです。それに、完全に外さずとも自分がすり抜けられる程度の隙間が出来れば良いのです。僕は外に出ると、帰って来た時にすぐに開けられるように少しだけ隙間を残し、冷たい風が吹く中を歩き出しました。

　事を終えて部屋に戻り、窓を閉めました。
　後は、血の着いたジャンパーと軍手と帽子と鉄パイプを、床下に隠して、顔に着いた血を拭えば良いだけです。
　ジャンパーを脱いだ瞬間、灯りが点きました。蛍光灯の白い光りが目に刺さるようでした。まず、目に入ったのは机の上に置いてある鏡に映った自分の顔でした。小さな血の跡を頬に着け、目が薄気味悪くキラキラ光る、何とも凶暴そうな子どもがそこにいました。
　僕は呼吸を整えると、ドアの方を見ました。ドアの側には灯りのスイッチに手を乗せた春田が、青い顔をして立っていました。
「私が村の人達や父さんに言ったの」
　いつもは心地良い春田の声が震えました。
「私が希が出て行かないか見張ってるって。希が出て行かなくて、どこかで動物が殺されたら、希の仕業じゃないって証明できるから」
　それで村人達は納得して帰ったのかと思うと同時に、裏切られた気がしました。
　春田は四日間、どんな気持ちで夜、隣りの部屋の様子を伺っていたのでしょうか。ベッドに横たわって、または壁に耳をくっつけて、僕が出て行かないかどうかを待っていたのでしょうか。僕が音も立てずに窓を開けて出て行った時、どんな顔をしていたのでしょうか。
　そして、笛田さんをすぐに呼ばなかったのは、もっとはっきりとした証拠を掴みたかったからでしょうか。
　僕が出て行ってから二時間近く経っていたはずです。その間、春田はずっと待っていたのです。
「希。本当だったんだね。あんたが怖いよ。あんたはケダモノだよ」
　その声を聞いて僕は鉄砲で撃たれたような衝撃が頭に走り、体を縮めました。そして、閉まっている窓を見て、すぐには逃げられないと考えました。
　僕は許しを請うように身を低くしながら、春田に近付きました。充分に距離を縮めてから跳ね上がり、鉄パイプを春田の頭目がけて振り下ろしました。春田は腕で頭を庇いましたが、鉄パイプは腕の骨を打ち砕きました。
「父さん、助けてぇ！　父さーん!!」
　僕は何度も優しく微笑んでくれた女性の顔を狙って、鉄パイプを振り下ろしました。鉄パイプが春田の頭をかすめた次の瞬間、笛田が向いの部屋から飛び出して来ました。
　僕は、長い間難しい性格の子どもを引き受けてくれた人に向かって、戦いを挑むべく、すぐさま飛びかかりました。
　揉み合う内に鉄パイプを取り上げられ、冷たい床に組み敷かれました。
　体が震えました。

　………

　なので、林に桜井先生が突然現れた時は驚きました。背が高くガタイもかなり良い、壮年の逞しい男です。いきなり肩を叩かれて、振り向いたらそこにいたのですから。
　頭の中に笛田さんに組み敷かれた時の事が甦り、僕はその場にしゃがみ込みました。
「割居？　どうした？　具合、悪いのか？」
　太いのですが、優しそうな声が降って来ます。僕は恐る恐る顔を上げると、頷きました。
「家まで送ろうか？　灰田先生には私から言っておくよ」
　桜井先生の顔は笑っていました。
「大丈夫です。歩けます」
　僕は立ち上がると言いました。
「で、今日は帰る？　それとも学校に戻る？」
　おそらく早く帰れば土里さんは心配するでしょう。
「あ、桜井先生。割居くん？」
　僕が迷っていると、男の声がしました。何回か会った事のある、イラストレーターだと言う男です。確か、僕と同い年の娘がいると言っていました。しかし、名前を名乗った覚えはないのに、なぜ僕が割居だと分かったのでしょうか？
「あ、戸田さん」

[7] mixiユーザー 03月06日 03:20

　桜井先生が頭を下げます。なるほど、誰かの保護者か、と思いました。と、なると、戸田氏の娘とは戸田香織の事でしょう。今朝、他のクラスの大柄な男子に絡まれていた時に、葉山健や隣りのクラスの男子と一緒に助けてくれた、彼女の事かと思いました。
「知り合いでしてね。僕が絵のモチーフを探していて、この林で会ったんです。その時はもう一人の若い先生と一緒で。な？」
　桜井先生に僕との関係を説明し、同意を求められたので頷きました。
「そっか。私もたまに付き添うんだけど、勝地先生の時ばっか会ってたんだ」
　桜井先生にも頷きました。
　話しが見えて来ました。同じ学校の制服を着て、同じ二年生に娘がいれば、ある程度の特徴から僕の名前を知る事くらいはできるのでしょう。
「ちょっと失礼します」
　桜井先生が携帯電話をポケットから取り出します。
「え…？　はい。分かりました。ええ、今、保護した所です。
　戸田さん、ちょっと失礼します。
　割居、今すぐ学校に戻ろう」

　＿＿＿

　教室に七海が乗り込んで行くのが見えた。
「てめぇ、割居を出せ！」
　わめき声が響く。子分の川内と奥山でさえもビクッとする程の大声がこだまする。
　当の割居くんは行方不明だ。こう言う時に目を付けられて、逃げ遅れてしまう鈍くさい奴はこのクラスにはただ一人…いや、二人以上…川村とか津山とかもか。でも、七海が向かって行くのは、今回に限ってはただ一人だった。
「健～。割居をどこに隠しやがった？」
「知らないよ」
　少しビクつきながら健が答えた。
「うそ吐くなよ」
「昨日だって庇ってただろ？」
　川内と奥村が言う。
「庇ってないって」
　七海が健のブレザーの襟を掴んで凄む。女子のキャアと言う悲鳴が聞こえた。
「とりあえず手を放して、何があったか説明して」
　委員長が七海の手を掴んで健から引き離した。凄い力だ。
「いってーな。何しやがる」
「それはこっちのセリフだよ。とっとと説明しないとボコって窓から放り出すよ」
　委員長は静かにだが、はっきりと言い放った。七海もたじろぐ。さすがに三階の窓から放り出されたくはないのだろう。
「階段で割居に後ろから蹴り落とされたんだよ。来たねーよな、後ろから狙うなんて」
　七海が勝ち誇ったように言う。
「って、川内くんと奥村くんに聞いた訳だ」
　委員長が醒めたように言う。七海は見ずに、川内と奥村を見ながら、だ。
「いや、俺達は見てないんだ」
「ブンちゃんが一人でトイレに行ってたから」
　一瞬の沈黙。
「どうせウンコだったから、第二校舎の人気の少ない便所に一人で行ってたんだろ」
　健がボソッと沈黙を破壊した。七海は赤くなったので、どうやら図星だったようだ。
「それに後ろからじゃ誰が蹴ったかも分からないんじゃ…」
　健と同様に空気の読めない和田加代もボソッと言った。
「そもそも、誰かがぶつかっただけかも知れないじゃん」
　空気の読めない川村純が、今度ははっきりと言う。
　七海の頭にタライが落ちて来て、ぐわーんと音を立てた。
　しかし、うちのクラスはどうしてこう一言と言わず何言も多い人が、複数いるのだろう？
「や…やかましいわー！」
　七海がブチギれて暴れ出す。
「いやー！　やめてー！」
「わっ！　何だよ！」
　川内が和田を、奥村が川村を追いかけ出す。
　ああ、何が何だか…心なしか『Ｓｏｍｅｂｏｄｙ　Ｓｔｏｌｅ　Ｍｙ　Ｇａｌ』が教室内に流れているような気がする。吉本新喜劇かよ…。
　健に掴みかかった七海が田村に抑えられ、委員長に逆に胸倉を掴まれている。川内に追いかけられた和田は高山に庇われ、真理子が川内に飛び蹴りを食らわした。なぜか戸塚佑太が、その真理子を見て顔面蒼白だった。そして、奥村に捕まった川村が振り向きざまに、おでことおでこがゴッツンコ、奥村は白目を剥いて崩れ落ちた。
「フライングボディアタ～ック！」
　急に跳び上がった体重七五キロの今井清美が、かろうじて起き上がろうとした奥村にのしかかってトドメを刺した。更に下半身を露出した石松哲也が、肛門を奥村の顔に押し付けた。その頃、七海は委員長に耳元で何か囁かれ、床にひれ伏していた。
「さあ、杏子！　今こそ第二形態に！」
　そう叫びながら宅間ひかるが、野中務のブレザーとワイシャツの前をはだけさせて、立野杏子に向かって蹴り飛ばした。
「うわっ！　恥ずかしいよ…ああ…でも宅間さんったら、強引…♡」
　情けないのか嬉しいのか、よく分からない声を上げた野中の裸の胸元が迫り、男子が苦手な杏子が慌て出した。
「きゃっ！　近い！　近いって！　ドュフフッ！　ドュフフフフフフフッ！」
　コマのように高速回転し始めた杏子は、今度はひかるに蹴り飛ばされて、七海に向かって行った。
「ギャース！　ガフッ…」

[8] mixiユーザー 03月06日 03:22

　杏子の高速回転に牽かれた七海は気を失った。
「制圧じゃーっ！」
　何もしていないのに、津山浩樹がここぞとばかりに七海に片足をかけて叫ぶ。新川千沙はそんな津山の制服の首根っこ辺りを、掴んでヒョイと持ち上げると七海から退かせて、溜め息を吐いた。
「やめて。やめてやめてやめて…」
　恒川恵里もブツブツと言っている。
　時々田村の肩にとまって見える白いオウムが、天井近くを飛びながら笑っているのが一瞬見え、消えた。
「何じゃこりゃーっ!!」
　私達は悪ふざけをし過ぎたようだ。灰田ちゃんを松田優作みたいに叫ばせてしまった。
　一同、整列し、頭を下げる。
「この度は申し訳ありませんでした」
　委員長に皆、続く。
「申し訳ありませんでした！」
　その大声で、気を失っていた七海、川内、奥村が目を覚ました。
「あんた達…これはどう言う事か説明しなさいっ!!」
　灰田ちゃんの雷が落ちた。

　灰田ちゃんへの説明は難航を示した。
「ブンがウンコを漏らして、それを割居くんのせいだっていちゃもんをつけて来たんです！」
「やっぱり漏らしていたんだ！　臭って来るもん！」
　健が何やら勘違いをしているらしく、ひかるがそれを分かっていながら面白がって悪ノリした辺りから始まり、それを赤面しながら否定する七海と子分達が騒ぎ出したので、再び雷が落ちたのだ。
　結局、二組の担任の笠部先生も立ち会い、委員長と江野が説明する事になった。
　お陰で五時間目の前半は潰れる事になり、全員居残りが決定した。
「で、七海は犯人が誰かも分からないのに、四組に乗り込んで、こんな騒ぎを起こしたんだな」
　笠部先生が呆れた声を出した。
「犯人は割居に決まってる。今朝の事で根に持って、俺を階段から蹴飛ばしたんだ」
　これじゃいつまで経っても終わらない。
「たった今、桜井先生に連絡した所、割居くんを保護したそうです。少し話しをしてから戻るそうです。
　七海くんを階段から蹴った件については別に調査をします。
　以上。授業に戻りましょう」
　灰田ちゃんが締め、七海と子分達は二組へと引き上げて行った。

　＿＿＿

「やだ。戻りたくありません」
　これは、自分の黒い部分を隠すための演技です。泣きそうなだだっ子、まだ子どもっぽい無垢な男の子の振りです。ただ、桜井先生には通じても、戸田の父親には通じない。どす黒い物ではなくとも、この父親も何かを隠す演技をしているから、そう直感しました。
「そうか。じゃ、少しだけこの子と話しをしてから連れ戻してはどうですか？　このままじゃ、また学校から抜け出しちゃいますよ」
　戸田の父親はそう言いました。見破った上で追求するつもりはないようです。
「仕方ないですね」
　桜井先生は再び携帯を取り出すと、電話をかけた。
「割居と少し話しをしてから連れて帰ります。ええ、任せて下さい」
　桜井先生は電話を切ると、僕達に笑いかけました。
「じゃ、ちょっと歩きますが、良い場所を知っています。着いて来て下さい」

　案内されたのは、林の中のツリーハウスでした。
「これ、桜井先生が建てたんですか？」
「さあ？　どうでしょうね。いずれにせよ、林の持ち主に無断で、どっかのアホな若造がむかーし建てた、そんな物に違いありません」
　自分が建てたと仄めかしているようにも聞こえるし、単に見付けただけと言うようにも聞こえます。戸田の父親もハウスの中を見ながら、よく出来ていると感心していました。
「数年毎にイタズラ坊主共が秘密基地にでもしていたんでしょうな。何年も放置された感じがしない。メンコやビー玉みたいな懐かしい玩具まであります。こりゃ男の子ばっかで遊んでたな、エロ本がある」
　床に座った桜井先生は壁際に置かれた箱を開けたり、積まれた成人雑誌をつまみ上げたりしていました。戸田の父親も同じように腰を下ろします。
「先生が子どもの頃に秘密基地にしてたんですか？」
　僕の質問には肩をすくめて、上手くごまかされました。
　さっきは分からなかったのですが、桜井先生も何かを隠して演技しているような気がしました。
　もう、どうにでもなってしまえ。
　僕は口を開きました。
「どこまでご存知かは分かりませんが、僕は…」
　じっちゃんに置き去りにされた事、都会の学校になじめなかった事、母親の再婚相手を怒らせて山村留学に出された事、留学先で家畜を殺していた事…二人は驚いたはずです。
　鬼が取り憑いたと言われていたイカれた浮浪者に、全ての罪をなすり付けてイカれた犯罪を繰り返していた鬼が、今目の前にいるのですから。
「で、山村留学先で捕まった後、鑑別所に入れられて、神奈川の母親の元で引きこもり生活を送って、藻茶市に地方留学する事になったんです」
　二人は黙って頷きました。
「俺、完全に頭ん中、グチャグチャですよね」

[9] mixiユーザー 03月06日 03:24

　何で自分でもニヤリと笑っていられるのか、分かりませんでした。二人は僕の薄ら笑いを見ても何も言いません。
「辛かったろ。苦しかったろ」
　最初に口を開いたのは、戸田の父親でした。
「大切な人が突然いなくなったんだ。壊れちゃって当然だよ」
「動物を殺すのは良くないけどな。お前が悲しい事をたくさん抱えている事は分かった」
　桜井先生も戸田の父親に同意します。
　何で？　何で拒絶しないんだ、この人達。
　イライラする。
「たぶん、人に話したからって、やめないと思います。まだ動物とか殺すと思います。自分でも分かるんだ。お前はじっちゃんに捨てられたんだって、受け入れてくれる人はいないんだって…そうしたら、腹ん底から真っ黒い塊が沸き上がって来るみたいな気になって…そうなったらもうだめなんだ！
　もう…誰かを傷付けなきゃ気が済まなくなる。生き物を殺さなきゃ気が済まなくなるんだ。生き物が苦しみながら死んでしまうのを見ると、落ち着くんだ。俺は誰も受け入れてくれなくても平気だ、こんなに強いって、生き物を殺すとそう思えて、落ち着くんだ」
　僕は二人の大人を睨みながら、そう言いました。
「そりゃそうだ。人は簡単には変われない。小説や映画みたいに何かがあって、新しい自分に、なんて有り得ないだろ」
　戸田の父親が言うと、桜井先生も頷きました。戸田の父親は続けます。
「でもな、割居くん。何かをしようって事は出来るんだ。大変な事かも知れないけどな。何かどうしてもって目標があって、そのためにはどうしたら良いか、それが大切な物であれば、人間の本質は変えられなくても、行動はできる。
　君はそれを間違えただけだ」
　声が震えました。僕の奥の黒い部分やじっちゃんの事を見透かされているような、そんな気持ちでした。
「俺、神奈川で小学校に馴染めなかくて、山村留学が決まった時、じっちゃんの悪口言った奴を、ケガさせました」
　何を言っても、もうこれ以上悪くはならないような気がして来ました。二人の顔は見ません。床の木目を見ます。風が壁をカタカタ揺らす音が聞こえました。
「リーダー格の奴、後ろから蹴飛ばして階段から落としてやりました。そのまま何も言われないまま山村留学に出されたから、多分、そいつは誰にも言ってないんじゃないかな。
　今日も蹴飛ばしたよ。どっかで犬か猫を殺すつもりで、学校から抜け出したんだ。そしたらさ、今朝、言いがかり付けて来た他のクラスのデブが一人で人気の少ない校舎に行ってて、それでトイレから出て階段下り始めたとこを後ろから蹴飛ばした。
　この林にはさ、人が近寄らないような茂みとかもあるから、そこに拾った段ボールとか置いて、殺した動物隠してあるんだ。今は死んだ犬が一匹隠してある」
「もう良い。こっちへ来な」
　戸田の父親が口を開きました。僕は従って、歩み寄って、戸田の父親の前に膝を着きました。一括くらいはされるでしょう。殴られたっておかしくはありません。
「辛かったろ？　ホントは分かってたんだろ？　自分が異様な事してるって」
　戸田の父親の目は柔らかに光り、それが気に障りました。
　僕は一つ、聞いてみたい事が出来ました。
「祖父についてどう思いますか？」
「そうだな。実際に面識もないし、君を置き去りにした事については憤りを覚えるが、それでも皆事情があるんだ。誰だって本当は傷付きたくない。出来れば毎日笑って過ごしたい。君のおじいさんだって、結果的に君を捨ててしまったかも知れないが、いつも君の事を考えていたと思う。それで失敗をいくつかしたからと言って、全否定はできない。君が動物を何匹も殺した事だってね」
　もう少し踏み込んでみたくなりました。
「祖父は愚かな人間ですか？」
「知らないよ、会った事もない人なのに。俺が決めて良い事でもないだろ？」
　自分で考えて答えを出せ、と言う事のようです。
　僕は、その場に崩れ落ちました。気は失いませんでした。涙も出ませんでした。ただ射精した後に力が抜けるような感覚を強めたものが、押し寄せて来た…と、でも言いましょうか。
　何もかもが、めんどい…。

　………

　中一の秋、僕は浮浪者の男を追い払っていました。笛田家の羊を狙っていたからです。殺して食べるつもりだったのでしょう。
　秋とは言え、まだ日中は夏の暑さを引きずっていましたが、夕方にはかなり冷え込みます。僕は涼しくなった風を体に受け、男を追いかけました。
　別に捕まえてやろうと思った訳ではありませんでした。それで表彰されたからと言って、そんな物には興味はありませんでした。単にしつこく追い回せば、もう笛田の牧場には近付かないだろうと思っただけでした。
　噂通り、男は鬼の谷の鬼門に飛び込みました。

[10] mixiユーザー 03月06日 03:27

　元より本気で追ってはいませんでした。犬が追い付けない？　足には自信がある方でしたが、所詮は人間の子どもでも追い付ける程度の早さでした。
　それよりも、気になっていた事が一つありました。
　あの浮浪者の男からは、じっちゃんの匂いがしました。
「おい、出て来いよ」
　僕は穴に向かって叫びました。
「あんた、割居朗敏って男を知っているか？」
　じっちゃんの名前を出しました。穴に木霊するじっちゃんの名前は、妙に懐かしく、それでいて空々しく耳に残りました。
　男からの返事はありません。僕は穴に足を踏み入れました。元より鬼など信じていませんでした。
「答えろよ。あんたがどこにいるか分かってるぞ」
　もう日は傾き始めています。穴の中は真っ暗でロクに物が見えません。でも僕はなぜか小さな頃から周囲の人間よりも鋭い嗅覚を持っています。
　穴の壁にぴたりと張り付いて息を殺している男を見付け、まっすぐ歩み寄るくらいは簡単な事でした。
「答えろよ」
　僕は男の衣服（肩の辺り）を掴むと、自分の方に引き寄せました。
　じっちゃんの匂いはするけど、男は違う人間の匂いでした。
「割居朗敏のジャンパーだな。どこで手に入れた？」
　じっちゃんが僕の前から姿を消したのは、夏でした。ジャンパーは島の牧場主から貸し出され、じっちゃんと僕が暮らしていた小屋に置いてあったはずです。
「拾ったんだ…去年の秋だ」
　じっちゃんと別れた二から四カ月程後の事かと思いました。
「どこで拾った？」
　男は言った地名はよく分かりませんでしたが、更に追求すると、僕を置き去りにした県だと言う事が分かりました。僕はじっちゃんが向かっていた牧場のある集落の名前を言いました。
「ああ、このジャンパーを拾う前にそこにいたよ。その道中で拾ったよ」
「持ち主は？　七十前後の男が一緒にいたはずだ。白髪頭で無精ヒゲの」
　男はせせら笑いました。
「見てないね。そもそも七十前後のじいさんなら皆、白髪頭かハゲ頭しかいないだろう」
　男はクククと堪えるような笑い声を上げました。
「何がおかしい？　どう言う情況で拾った？」
「事故に遭ったのか、崖の下に落ちて潰れたトラックから拾ったよ。寒くなる時期にぴったりだと思ってね」
　小屋に置いて来たと言うのは僕の思い違いだったようです。じっちゃんは冬の間に来ていた作業用のジャンパーをトラックに置いたままにして、そのまま暖かくなったので放置していたのでしょう。
「トラックの中に男の遺体はなかったか？」
「さあね？　でも坊ちゃん、何のためにそんな事を知りたい？」
　暗闇でも、男が僕を見てバカにした笑いを浮かべている事が分かる口振りでした。
「そのジャンパーは俺の祖父の持ち物だ。返してもらおうか」
「嫌だね。俺が拾ったんだ。俺はこれがないと寒さを凌げないんだ。それにあんなメチャクチャに潰れたトラックに乗ってたんだろ、あんたのじいさんは。あれじゃ助から…」
　僕は頭に血が上りました。神奈川の小学校で、リーダー格の奴を突き飛ばした時の記憶が甦りました。一年くらい経っていたのに鮮明に。あの時は自分よりずっと大柄な少年が相手でした。
　僕は、男を思い切り殴りました。
　同じ学年の子に比べれば小柄ですが、一年前よりは体も大きく、力も強くなりました。目の前の男は、僕よりは少し背が高い程度の、痩せて年老いた男でした。
　男の歯が折れる感覚が拳に伝わり、ゴツンと言う音がして、男が頭を岩だらけの壁にぶつけた事が分かりました。
　男は悲鳴を上げ、それが穴の中に響いて、耳障りな音になりました。
　僕は男からの無理矢理ジャンパーを脱がせると、蹴り飛ばして地面に這いつくばらせました。
「分かった…勘弁してくれ！　命だけは…」
　僕は聞く耳を持たずに男を蹴り飛ばすと、その場を立ち去りました。
　笛田や春田には暗くなるまでどこに行っていたのか訊かれたので、家畜や畑を荒らしている浮浪者を追って山に入ってしまい、少し迷った、と少しウソを交えて伝えておきました。
　翌日、鬼の谷の鬼門を覗くと、男は靴だけを残して、いなくなっていました。
　それから数日後でした、無意味な連続殺傷事件が始まったのは。

　＿＿＿

　居残りから解放され、部活もやる気がなくなったので帰ろうとしていた時だ。
「パパ？　何で？」
　私の顔を見ると、パパは軽く手を上げた。パパの横には桜井ちゃんがいて、その背中には割居くんが背負われて寝ている。
「何があったの？」
　私は訊いてみた。パパは桜井ちゃんと顔を見合わせてから、言った。
「うん。香織から割居くんが行方不明って聞いて、林の中を歩いて少し探してみようと思ったんだ。そうしたら、割居くんを保護した桜井先生と会った」

[11] mixiユーザー 03月06日 03:30

　家でのオネエっぷりをしっているから、外で男言葉で低めの声で話すパパには、どうしても笑いそうになる。
　ごく親しい、パパがゲイでオネエだと知っている人の前でしか本性は出せないそうだ。パパも本当は出しても良いと思っているし、パパが自分らしくいられるのならそれで良いと私も思う。しかしパパ曰く、外では落ち着いた男みたいなしゃべり方をする習性が染み着いてしまい、もう治そうとしてもわざとらしいオネエ言葉になってしまう、そうだ。どちらも無理して治す必要もない。不自由もしていない。そもそもオネエもゲイも、恥じる必要もないがカミングアウトする事も面倒、と言うのがパパの意見だ。
「しかし戸田のお父さんと割居が友達だっただなんてな。ちょっとビックリだったぞ」
　ゲイだったから奥さんに逃げられたと言う噂もある桜井ちゃんが、ハハハと笑いながら言う。私もパパと割居くんの関係は、昨日知って驚いた。
「じゃ、割居を保健室に送って行きますので」
　桜井ちゃんはパパに頭を下げると、私達と別れて歩き出した。
「じゃ、私達も帰ろうか」

　それから一週間、割居くんは学校に来なかった。でも、割居くんの席はちゃんと教室にあった。
　先生達は何も教えてくれなかった。

「香織、とっても大事なお話しよ」
　とうとう来たか。今日は祖父母とキッペイくんが来ている。
「実はキッペイくんが、このマンションの隣りの部屋に越して来ます。そして、香織が大人になってここを出て行ったら一緒に暮らす、と言う誓約書まで書いてくれましたぁー♡」
　はい、予想通り。
「あ、ちなみにキッペイくんとの云々はウォーミングアップ的な話しね。大して重要じゃないの。本題はこれからよ」
　え？
「今までずっと、おじいちゃんとおばあちゃんは、パパの親だって言ってたわよね。でもね、これは本当でもあり、間違いでもあるの。まぁ、順を追って話すわ。
　その昔、今から十三年前、パパはある男性と恋に落ちた。それはそれは燃えるようなマグマな恋よ。どんな恋愛小説よりも甘く切ない恋だった。
　彼には一歳になる娘がいたわ。でも奥さんとは事故で死に別れていたの。悲しい話しよね。彼は働きながら、ご両親の力を借りながら、娘を育てていたわ。
　あ、ちなみに彼はバイセクシャル、つまり両性愛者だったのね。だから女性と結婚して、更に男とも付き合った。
　その彼が香織の本当のお父さんよ。
　でも、運命は残酷だったの。彼は病気で余命を宣告されていた。パパに話してくれた時は余命半年だったわ」
　そこまでまくし立てると、パパは芝居がかった動作でハンカチで涙を拭った。厳密には涙は流れてなかったから拭うふりだったけれども。
　ここで祖母が部屋の灯りを消し、祖父がいつから、どこに用意していたのかスポットライトを持ち出し、パパに当てる。キッペイくんもコンポを操作して、悲しげなＢＧＭを流し始める。更に祖母は白い紙吹雪までばらまき出した。
　その演出って…。私は知らなかったんだから、後片付けはしなくても良いよね？
「まぁ、おじいさんとおばさんは元気だったから、香織が一人になる心配はそこまでしていなかったわ。
　ある日、パパは余命半年だと言う現実を聞いた。
『だから僕の事はさっさと忘れて、次の人を見付けて幸せになってくれ』
　ですって。
　ふざけんな、てめぇって思ったわ。ふふ、キャラじゃないわよね。でも、本当よ。だって、男運が悪いのか、見る目がないのか（明らかに後者）、散々男に騙されて遊び捨てられたあたしに、ようやく現れた誠実な彼だったんですもの。
『てめぇ、ガチでふざけんな。鼻の穴に菜箸突っ込んで脳みそえぐるぞ』
　なんて物騒な事言っちゃったわ。
　でもね、あたしもこれ以上の恋はできないって思い込んでたから、恋愛至上主義思想って怖いわよね。もう覚悟決めなきゃって思ったの。
『じゃ、あなたを看取って、その後は未亡人になります』
　って言っちゃったのよ。そうしたら、
『僕には幼い子どももいる。君はその子も含めて愛せるのか？』
　ですって。そう言えば別れると思ったのね。
『じゃ、その子に会わせて下さい』
　って、売り言葉に買い言葉で言っちゃったのよ。
　そこからが急展開よ」
　スポットライトは更に明るくパパを照らし、紙吹雪の色はピンクに変わり、ＢＧＭは明るめの曲に変わった。
「パパは香織を見た時に、何て可愛い赤ちゃんかしらって思ったの。愛おしい人が一番愛おしい存在、そう思うと、更に可愛く見えたわ。

[12] mixiユーザー 03月06日 03:34

　パパはそれから、積極的に香織のお世話を始めた。当時は、何とか生活できそうなイラストのお仕事をもらえる程度には認められていたから、バイトを辞める事に躊躇いはなかった。日中は保育園に預けてイラストの仕事、後は香織のお世話。イラストの仕事中でも香織は今どうしてるんだろうって考えながら、お迎えの時間が楽しみになるくらい。
　で、結局彼よりも、香織が大切になってしまったの。
　理屈じゃないのよ。香織はこのあたしが、何としても守らなきゃいけない存在なんだって。母性？　父性？　そんなのオカマなあたしには関係ないわ。ただ、香織が大切だった。
　その気持ちに気付いてからは大変よ。
　まずは香織の本当のパパを説得して、あたしを香織の父親にしてもらわなきゃいけないんだから。
　そして、おじいちゃんとおばあちゃんも。このまま本当のパパが死んだら、香織はこの二人の手に渡ってしまう。
　パパは必死で頼み込んで、土下座して、三人の許可を得たわ。
　そしてたくさん話し合って、パパはおじいちゃんとおばあちゃんと養子縁組を組んで、本当のパパの弟になった。これについては、とにかく、香織の親になるためにはこの人と家族にならなきゃって思ったからよ」
　確かに今の日本の法律では、同性同士での結婚は認められていない。だから、同性愛の恋人同士が家族になるには養子縁組しかないのだ（厳密には市町村によってはパートナー制度を用意してくれている所もあるが、藻茶市にはそれはない）。
「そして、香織とパパが養子縁組をして、めでたく親子になったの」
　なるほど、確かに祖父母とパパは養子縁組をしているので親子だが、血は繋がっていないので親子ではないとも言える。それは私とパパも。
「さて、ここからが一番重要よ。
　駆け出しに毛が生えた程度のイラストレーターで、愚かで弱くて臆病者のオカマが、どんな事をしてでも守りたいと思った存在、それが香織なの。
　たくさんの人の反対を押し切って、無茶苦茶な理由付けて説得して、全てをなげうっても良いからって、あなたを自分の子どもにしたの。
　おじいちゃんとおばあちゃんだって始めは認めてくれなくて、息子の最後の願いだから仕方なく、でも香織が不幸になるような事があればすぐにでも養子縁組を解消させてやる、って言っていたわ。
　正直、どうなるのかさっぱり分からなかったけど、とても幸せだった。あんなに行動したのも始めて、あんなに強く何かを求めたのも始めてだった。そして、そんな強い感情はもう他の何ものにも持てない」
「本当のパパは？」
「もちろん死んだわよ。予告通り半年で。
　ともかく、血は繋がってないけど、パパは誰よりも香織を愛している、それを伝えたかったの」
　私の頬に涙が伝うのが分かった。嬉しいのか悲しいのか分からないけど、とにかく溢れ出る涙は止められなかった。
「世間様から見たら尋常じゃないわ。オカマが恋人の娘を欲しくて欲しくてたまらなくなって、それを実行に移して、親子生活を始める。人はそれを愛と呼ぶのかしらね。
　でも、愛って究極のワガママよね。尋常じゃない事をさせてしまうんですもの。
　香織、愛しているわ。世界中の誰よりも。この気持ちは、これからもずっと変わらないわ」

　＿＿＿

　何もかもが面倒になって、狸寝入りして桜井先生におぶられて、学校の保健室に連れて行かれたあの日。僕は保健室からも抜け出して、交番に自首しました。
　逮捕こそはされなかったものの、母親は呼び出され、神奈川に強制送還され、病院で心理検査の日々です。薬品の臭いが鼻を突きます。
「藻茶市に戻っても良いって土里さんがおっしゃってる。そこから病院でカウンセリングを受けながら、もうしばらく地方留学で療養すれば良いって」
　母親はどこか安心したような言い方をしました。
　藻茶市でも、また同じように動物を殺す事になるんだろうか。このまま病院に入っている方が良いんじゃないだろうか。そう考えました。
「あと…宅急便で届いた。これを渡してくれって」
　母親から包みを受け取りました。何だろう。開いてみて、その匂いを疑いました。
「これ、父さんが編んだ…？」
　中に入っていたのはマフラーと手袋でした。どちらも土里さんの匂いが着いていましたが、じっちゃんの匂いが確かにしました。
「土里さん、おじいちゃんの古い友達なの。その伝手であんたを預けたの」
　母親が言います。
「あの人、羊飼いなのに羊の世話は牧羊犬に頼りきりになるくらい下手だけど、編み物は得意で、気に入った人にはよく何か編んでプレゼントしてた。私には一度もしてくれなかったけど、家族には照れるんだって。
　こうして何かを送っていたって事は、おじいちゃんも土里さんを気に入っていたのね。あの人をあんたのホストファミリーに選んで良かったわ」

[13] mixiユーザー 03月06日 03:35

「じっちゃんは…生きてるの？」
　訊くと母親は、顔を伏せました。
「俺、知ってるよ。崖の下で転落したトラックが見付かったって。羊の死体も見付かったし、持ち物からじっちゃんのトラックだって」
　僕でもインターネットくらいは使えます。笛田家にいた時に、タブレット端末でじっちゃんの名前で検索したら、出て来ました。じっちゃんが行方不明になってから八カ月後。崖の下の木々が生い茂る中にトラックは落ちていたそうまです。なぜそんなに時間がかかったのかと驚く程でした。
「じっちゃんの遺体は見付からなかったって事は、生きてるんだよね？」
　母親は首を横に振りました。
「未だに行方不明。遺体がないからって生きてる訳じゃないの。あんな崖から転落したらまず助からないって、言われたの。窓やドアから放り出されて、どこか遠くに飛ばされたとか、崖を転がり落ちて粉々になって遺体が見付からない状態になったか…」
　母親は淡々と呟きました。冷たい病室に、母親の話した内容が静かに響いた名残りが、何度も木霊していました。

　＿＿＿

「割居くん、三学期には戻って来るって」
　委員長が江野に話しかけた。猫の死体が段ボールに入れられていた事件から、二週間経っている。
「あのさ…割居くん、先生は何も教えてくれないじゃん。でも、猫殺しは絶対割居くんじゃねぇよ」
　江野は断言した。
　ごめんね、江野。私はパパから聞いて、知ってるんだ。割居くんは自分で動物を殺していた事も、猫殺しも認めたし、犬だって殺してて、その死体の隠し場所にしてた穴の中から、段ボールに入った犬の死体を桜井ちゃんが見付けてるんだ。多分、犯人じゃなきゃ死体の隠し場所なんて分からないと思う。
「ほら、あとネットで言われてる家畜殺しとかもさ、あれメチャクチャだろ？　誰でも書き込める掲示板だし、そう言うのはウソ、大げさ、紛らわしいの巣窟じゃんか。割居くんはそんな事しねえよ」
　江野は元々声が大きい。けど、今は教室中に聞こえるように、わざと声を張り上げている。
「そ…そうだね。その通りだよ」
　委員長は少し押され気味に頷いた。
　江野は副委員として、割居くんがクラスに溶け込めるように気を付けていた。ただ、割居くんは周囲を遠ざけるようにしていたし、江野がたまに話しているくらいだった。
　江野も、前副委員の戸塚が解任されての後任なので、それなりに気を張っていたし、責任も感じていたはずだ。だから妙にソワソワしていた。
　江野を見ていて、何だか少しだけ、胸が痛んだ。

　私は帰宅途中、少し寄り道をして、林の方に来てみた。
　林の中から男の子が出て来た。やけに古びたマフラーを着けている。
　あの横顔は…割居くんだ。
　マフラーを持ち上げて口と鼻を覆うと、目を閉じる。とても幸せそうな柔らかい表情だ。
　目を開けて、私の方を見る。軽く頭を下げる。私は笑顔を作って、軽く手を上げた。割居くんもぎこちないけど、笑ってくれた。

【了】

[14] mixiユーザー 03月06日 03:36

【オマケ】

　割居希（わりい　のぞむ）。委員会は特にしていない。科学技術部所属。
　二年四組には二学期から転校して来た。問題を起こして地方留学させられている。やや小柄。犬並みは言い過ぎだが、嗅覚が鋭い。自然大好き。
　一月生まれ山羊座。

[15] mixiユーザー 03月06日 03:37

【オマケその二】

戸田「ちょっと！　帰るの？　ほら、始めるよ」
割居「うう…逃げ遅れた」
戸田「何だって？」
割居「いえ、何でも…。でも俺、面白い話しとかないよ？」
戸田「私もないよ」
割居「え？　じゃ、このコーナーできないじゃん」
戸田「だからボケて。あんたがいない間にうちのクラス、大変だったんだから。七海が殴り込みに来て…」
割居「うう…」
戸田「皆で吉本新喜劇かドリフかってくらいに…」
割居「何で!?」
戸田「灰田ちゃんがブチギレて雷がどっかんどっかん落ちたくらいだよ」
割居「そうなんだ…その時、逃げてて良かった」
戸田「で、父親から色々聞いてるんだけど」
割居「え？　えーと…」
戸田「あの人、何か変な事言ってなかった？」
割居「あ、そっちか。別に、オテンバで男勝りとか、俺でも知ってる事しか…」
戸田「それが変な事なんだよ、あのオカマ親父」
割居「え？　あのお父さん、オカマって…」
戸田「そう、男が好き。桜井ちゃんみたいなごついおじさんがタイプだから、安心しな。あ、それとも残念だった？」
割居「いや、残念ではないけど。でも言って良いの？」
戸田「うん、別に言って回るのが面倒なだけで、隠してる訳じゃないから」
割居「随分と割り切ってるね」
戸田「まあね。家族の形は家族の数だけあるからさ」
割居「そうだよね。俺もじっちゃんと…」
戸田「あ、その汚いマフラー、おじいさんのお手製？　匂い嗅ぎながら別世界に行ってたもんね」
割居「き…汚いって…。まあ、じっちゃんのお手製だよ。この匂いを嗅ぐだけで落ち着くんだ」
戸田「ヤバいクスリでも塗ってあるの？　それともブランケット症候群？」
割居「後者だよ！」
戸田「冗談、冗談」
割居「戸田さん、冗談きついよ」
戸田「うん、きついよ。家に帰ったらもっときついのが待ってるから」
割居「そんなにきついの？　優しそうなお父さんだったけど」
戸田「家ではオネエなんだよ。それもガミガミうるさいママタイプの」
割居「一人親だけあって父親と母親の二役なんだ」
戸田「いや、元からそう言う性格なんだと思うよ」
割居「でも大切にはしてもらってんでしょ？」
戸田「まあね。恋愛より私が大切とか言ってるから。でもさ、恋愛も大切にしないとせっかく出来た良い感じの恋人にも捨てられるっつーの」
割居「言うね。大人だね」
戸田「男子が子どもなんだよ。あんたは知らないだろうけど、一学期や夏休みとか…あんな事やこんな事が…」
割居「うわ…」
戸田「おまけにあんたがアレでしょ？」
割居「がふっ…。ま、それはさ…おじさんから聞いたの？」
戸田「まあね。もう動物殺しちゃだめだよ？」
割居「う…反省してます。じっちゃんのマフラーの匂い嗅いで心を落ち着かせて、カウンセリング受けて再犯防止に勤めます」
戸田「よろしい。じゃ、次回予告、行くよ！」
割居「おうよ！　次回は…ついにあの男、石松くんが主役…」
戸田「ぎゃふっ！　なぜ!?」
割居「石松くんと森くんのダブル主演…」
戸田「心配事が後を絶たない！」
割居「また『アイムホーム』シリーズ。仮タイトルは『ホットケーキ記念日』、甘い香りが既に漂って来るよ」
戸田、割居「では、次回もお楽しみに！」
　………
戸田「ん？　向こうにいるのは…勝地ちゃん？」
割居「と、江野くんだね。何してるんだろ？」

[16] mixiユーザー 03月06日 03:39

【副男と副男と、ときどき元副男】

　子ども達にバレてて、灰田先生と校長先生にまた怒られた。何がバレてたって？
　江野くんに、割居くんがもうすぐ戻って来るって言ってしまった事だ。心配していたみたいだし、訊ねられてついうっかり、三学期には戻ると話してしまった。
　江野健太くん、俺が副担任を受け持つ二年四組の副学級委員。水泳部所属。面倒見が良くて、明るくて、しっかり者…俺とは真逆なタイプだ。
　ついこの間だって、割居くんの事で怒られた。
　科学技術部の副顧問として、林の生き物を観察レポートにまとめる割居くんに付き添って、一緒に林に言っていたのに。なのに、割居くんが林の中に殺した動物を隠している事に気付かなかった。
「君が悪いんじゃありません。私も一緒に行く事はありましたが、全くそんな素振りは見られませんでした。それに私や勝地先生の目を盗んで殺していた訳ではないでしょう？」
　スクールサポーターの桜井先生はこう言ってくれたけど、俺の方が付き添う回数だって多かった。
　割居くんは夜、ホームステイ先の家を抜け出し、猫や犬や目についた動物を殺して、林の奥に穴を掘って、そこに段ボールに死体を入れて隠していた。それが見付かって騒ぎになった痕跡はないか、などを確認するために、林に出入りしていたそうだ。
　まあ、元から自然や生き物は好きで、小さい頃は野山を走り回っているような子だったらしいけど。
　実は割居くんも俺とは逆のタイプみたいだ。
　俺は中学の理科教師をしている。…と、言ってもスクールサポーターで元々俺の今のポジションにいた桜井先生か、同じく元理科教師の教頭先生とチームティーチングしていないと、授業は成り立たないんじゃないかと思う。寝てる子はいるし、何か言っていても噛むし、質問の答えが上手く出ない時もある。
　元々教師になった理由は、中学の時にいじめられた時に、真摯に話しを聞いてくれた先生への憧れだ。新卒で教師になって、憧れだけでは仕事は成り立たないと思い知らされ、逃げるように大学院に進学して、大学の研究室にずっと居座っていた。
　でも、知識をたくさん身に着けたし、色んな教育現場に顔を出して、一年間スクールサポーターとして小学校にも派遣されて…現場復帰できるかもって思って…結果がこれだ。
　割居くんの凶変にも気付かない、守秘義務も守れない、三十過ぎた男の癖に、泣きそうだ。
　いや、一人で泣くためにわざわざ林に来た訳じゃない。
　割居くんが死体を隠していた現場を巡って、ちゃんと理解するんだ。少しでも力になるんだ。そのために来たんだ。
「勝地先生！　何してるんすか？」
　声がする方を振り向くと、鋭い目付きに短い髪の男の子がいた。江野くんだ。
「いや、えっと…。僕は理科の先生なのに、植物とか生き物関係がちょっと桜井先生に比べると不安があるからさ。だから、ちょっと実物を見て、調べておこうかと」
　我ながら穴だらけなど言い訳だ。もう十二月だと言うのに、生き物の観察も何も…いや、できる事はできる。割居くんはしていたし。
「そうなんですか。あの…灰田先生とかに怒られませんでした？　俺がその…割居くんが戻って来る事を皆に言っちゃったから」
　江野くんは言いにくそうに、でもまっすぐに俺の目を見て言った。俺はできるだけ笑顔を作って言った。
「いいや、そんな事はないよ」
　いや、怒られた。でも子どもを心配させてはいけない。
「良かった。何か暗い顔して林に入って行くのを見たから心配してたんです。まさか俺のせいで灰田ちゃんに怒られて、思い詰めて自殺を…とか。すみません」
　江野くんはホッとした顔を見せた。そんな風に見えていたのか。周りの目をもっと気にしなければならないな。
「割居くんに会いました？　もう藻茶市に戻ってるんでしょ？」
　この子はどこまで知ってるんだろう。割居くんは過去、もっとひどい事件を起こしていたし、今回の事でそれが掘り返された。ネットにだって載せられている。江野くんも知っているだろう。
「会ってはいないよ。学校に戻る前に一回くらいは灰田先生と俺…僕で会いにはいくけど」
「あの…噂されてるような動物を殺していたっての、あれは根も葉もない事ですよね？」
「うーん…僕は噂とかホントかどうか分からない事は、あまり頭に残さないんだ。割居くんは単にお家の事情でしばらく休む事になった、灰田先生から説明があった通りだよ」
　またウソを吐いた。噂通りだなんて言えない。
「江野くんは割居くんと仲良かったからな」
　彼には俺の目が泳いでいる事くらい分かるだろう。秘密もロクに守れない自分が嫌になる。ウソを吐かなきゃいけない大人社会なんかより、ずっと。

[17] mixiユーザー 03月06日 03:41

「仲が良かったと言うか、副とは言え学級委員だし、男同士だからってのもあるし、クラスの誰かが一人になるのは嫌だったってのもあるし。
　先生も聞いてるでしょ？　西田さんが川村くんをいじめてた事、そんなの嫌だなって。
　でも今は、割居くんは一人が良かったんじゃないかって思う事があります」
　確かに割居くんには他者と関わりたくないような、拒絶するような雰囲気はあった。
「結局、二学期から副委員になった俺には何の力もないんですよ。皆に推薦された訳じゃなくて、前に副委員してた戸塚が俺が良いって委員長に言っただけなんです。人を動かせるような奴じゃないんです。だから…」
「だから、何もできない？」
「はい」
「そうかな？　僕は一学期の事は灰田先生や桜井先生から聞いただけでしか知らないけど、君はよくやってると思うよ。割居くんだけじゃない、他の子達皆に気を遣って、明るく盛り上げて、締めるとこは締めて。同じ二学期から副になったでも、僕にはマネできない」
　そう、いじめられっ子だった俺にこそ、副は務まらない。正式担任なんて夢のまた夢だ。新卒で働き出した頃だって、学級崩壊まではいかなくても、舐められていた。
「それに不祥事だって起こしたし…」
　江野くんが始めて目を逸らした。図書館で高山くんと裸でふざけた件だ。
「そんな事してる奴は俺が小学生の時はたまにいたけど。それに石松くんとか今でも…」
「いや…中学生でやっちゃいけない事ですから。単に脱いだだけじゃないですから」
　ペッティングの真似事だっけ？　さすがにそこまでやる奴はいなかったけど…。
「でも一週間、生徒指導室に通ったからもう終わった事だよ」
　江野くんは、ハハッと笑った。

　＿＿＿

　私は完全に出て行くタイミングを失った。
　やけに思い詰めた顔をして、勝地がフラリと職員室を出たのを見て、心配で後を着けた。そして、林に入って行くのを見て心臓が止まりかけた。
　灰田先生にも校長先生にも怒られてたし、だが自殺なんて…。そう思っている間に、江野が勝地に声をかけた。
　二人はぼそぼそと何やら話し始めた。副委員、副担任としてのお互いの不甲斐なさをグチグチと語り出した。
　どうしよう…。ロケット団のごとく茂みに隠れて様子を伺い、良い感じのタイミングで声をかけるつもりが…。
「何やってんですか、桜井先生」
　勝地と江野がこちらを振り向く。私がガサッと大きな音を立てて立ち上がって振り向くと、戸田と割居が、まるでつまらないギャグでも見るような薄ら寒い目線を送っていた。
　私は思った。もうヤケになっちゃおう。

　＿＿＿

「何だかんだと言われたら！　答えてあげるが世の情け！　学校の平和を守るため！　学校の破壊を防ぐため！　愛と真実の教育援助を貫く！　ラブリーチャーミーな派遣職員！　桜井！　教育現場をかけるスクールサポーターの私には！　ホワイトホール、白い明日が待ってるぜ！」
「なーんてニャ」
「そ…ソ～～ナンス！」
　突如現れて、ロケット団のマネをし始めた桜井先生に同調して戸田がニャース役を、躊躇いがちに割居がソーナンス役をしました。
　一体何があったのでしょうか？　私と勝地先生は三人をただ、ポカンと見ているだけしかできませんでした。
「えっと…声かけるタイミングを失って立ち聞きしてました。ごめんなさい」
　桜井先生が頭を下げます。
「私達は向こうで会ってさ、勝地先生と江野くんが見えたから、挨拶でもしようと思ってな。そしたら桜井先生まで見付けたんだ」
　戸田が説明します。割居が頷きました。
「後、ほら。言う事があるんじゃない？　あんたの事、誰が何を言っても、信じてたんだよ」
　戸田が私を少し見て、割居に目を向けると背中を軽く押しました。
「えっと…心配させてごめん。俺…」
　割居が何かを言いかけます。
「あんなのうそっぱちだろ？　世の中には、下らねー噂をばらまくのが好きな暇人がいるんだよ。もし、文太…ほら、二組の子分二人をいつも連れてるデカブツ。何か言って来たら俺が追い払ってやるし、他の奴らにも何も言わさねーよ」
　私は早口にまくし立てました。
　桜井先生と勝地先生が不安げに私達を見ています。戸田が割居の背中をもう一度、押しました。
「うん。ありがとう」
　ぎこちなくですが笑って、割居はそう言いました。
　これで良いのだと思いました。私達の間でそうであれば良い、真実が別にあっても気にする必要なんてない、それで良いのです。
「じゃ、俺、もう行くね。暗くなって来たから、帰らないと下宿先のおじさんが心配するから」
　割居はそう言うと手を振りました。
「あ、だったら勝地先生、送ってあげて下さい。私は戸田と江野を送って行くから」
　桜井先生がそう言いました。
「はい。割居くん、一緒に帰ろう」

[18] mixiユーザー 03月06日 03:42

　勝地先生が割居に歩み寄ります。
「じゃあね、じゃ、私達も行こうか」
　戸田が私と桜井先生を見て言いました。

　＿＿＿

「割居くん、江野くんと仲が良いんだね」
　俺は割居くんに話しかけた。
「そうですね。色々助けてもらってます」
　学級委員だから、とは言わなかった。割居くんのしゃべり方は淡々としていて、声も小さいのは相変わらずだけど、どこか柔らかくなったような気がする。
　割居くんは、首に巻いていたマフラーをたくし上げるように鼻に当てて、匂いでも嗅ぐようにしている。
　江野くんも副委員として頑張っているんだと思った。割居くんを守ろうと必死なんだ。
　俺も負けないように頑張らないとな…。

[19] mixiユーザー 03月06日 03:43

一話　空色デイズ　四月終わりから五月始め頃（作中での時間軸）
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二話　イタい子達のレクイエム　五月後半頃
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三話　イタい子達のレクイエムパートⅡ　六月前半頃
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四話　アジサイの季節に　六月後半頃
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五話　雨上がりの屋上　七月前半頃
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六話　それいけ！　アホ娘！　アホ男！　七月中頃
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七話　夏時間　七月終わり頃
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八話　寄り添って眺める朝日　八月前半頃
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九話　涙色の夕日　八月後半頃
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十話　守るって何？　九月始め頃
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十一話　クラゲと一緒に旅に出よう！　九月中頃
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十二話　私の世界　九月終わり頃
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十三話　砂時計　十月前半頃
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十四話　アイスクリームとキャッチボール　十月後半頃
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十五話　俺があいつであいつは誰だ？　十一月始め頃
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十六話　眼鏡の地味子はモテモテ巨乳　十一月半ば頃
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十七話　フラワー＆ドラゴン　十一月終わり頃
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その他の現在連載中の作品はこちらから↓
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[20] mixiユーザー 03月21日 23:52

>>[19]
　目次に追加作業終了しました。遅くなりました。

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