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アナタが作る物語コミュの【恋愛】 タカユキ

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 初詣に行って、こんな話が浮かぶ。
 列に並んでいる間って暇なんですもん。
 全部で4話です。

 第一話 初詣

 初出 09/01/03 約4500文字。写真は私が撮ったものです。

                えんぴつ

 ジュンイチと僕は幼馴染で、幼稚園から中学校まで同じだった。
 家族以上に長く、同じ時間を共有してきた。
 別々の高校になってからだって、休みはふたりですごしていた。
 長い休みには、たいがいどちらかの家で寝泊りした。

 ジュンイチの嫁さんになったマサコも幼馴染だ。
 同じ歳の僕らは、よく3人で遊んでいた。
 中学に入って、ジュンイチは僕にマサコへの恋心を打ち明けた。
 別々の高校になって、ジュンイチはマサコに告白をした。そしてふたりはつきあい始めた。
 ジュンイチはマサコの事をいちいち僕に相談をし、報告をした。
 その度に『へえ、ジュンイチがあのマサコとねぇ』そう思うだけだった。

 ジュンイチとマサコがつきあい始めても、たまには3人で遊んだ。
 映画に行ったり、遊園地へ行ったり。デートのはずなのにジュンイチは僕にも声をかけた。
 面白そうな時は僕も行った。特に無理でも変でもなかった。
 マサコも嫌な顔をしなかったし、楽しかった。
 ただ、マサコはどんどんいい女になって行き、ジュンイチの女を見る目に感心した。

 大学に入り、ハタチになって、ジュンイチはマサコにプロポーズをした。
『うんって言われた』携帯からのジュンイチの半泣きの声を聞いて、僕の心にトゲがささった。
 トゲはもっと前からあったのかもしれない。
 でも自分がマサコを好きな事に気がついたのはその日だった。
 それからずっと、トゲは僕の心で血を吹いている。

 大学を卒業し、ふたりは正式に婚約をし、今年の春結婚した。
 ジュンイチにマサコへの恋心を打ち明けられてから10年がたっている。
 ふたりの愛は本物だろう。


 除夜の鐘が鳴り始めたので、したくを始めた。
 厚手のセーターに着替え、コート。毛糸の帽子にマフラー。
 デジカメと手になじんだ一眼レフのカメラを持って、初詣に行く。
 ついでに写真を撮る。いや、写真を撮るついでに初詣?
 違うな。写真を撮るのは僕には息をしているのと同じ事だ。
 僕はただ初詣に行く。

 駅向こうの神社は大きい。参拝客も多い。
 毎年交通規制をして、車線の一部が歩道になる。
 なのに、鳥居の何百メートルも前から、列ができる。
 神社の敷地の中にも小さな神社がいくつもあって、それをめぐるだけで七福神めぐりができる。
 その上、このあたりには小さな神社がたくさんあって、1・2時間で七福神めぐりができる。
 あちこちと回る人が多いから、どこもが人であふれている。
 僕はそのひとつひとつを回って、カメラで切り取っていく。

 初詣に行く人は同じでも、どの神社の人の群れも違う表情を見せる。
 それを丁寧にすくい、撮る。
 神社の建物も、植えられた木も、バイトの巫女さんも、夜空の雲も、月も。
 僕のレンズの中で俳優になっていく。物語をつむぎ出す。

 充分に撮り終えて、冷えた指をほほにあてながら僕は帰る。きんと研ぎ澄まされた夜気。
 車の影が時折ゆきすぎる道路。まばらな人影が、駅をすぎてさらにまばらになっていく。
『おめでとう。新年だね。昨日とは違う。多分、だけれど』
 すれ違う人々に心の中だけで声をかける。
『頼むから今年は良い年に。良い世界に。できたら、みんなで』
 ふるまいの甘酒で、ほろ酔いになったつもりでそんな事を考えてみる。

 この気分のままジュンイチの家に押しかけてみようか。
 式の後、仲間達とふたりのマンションに行った。
 結婚前から一緒に暮らし始めていたから、何度か行った事がある。

 空気が変わっていた。同棲の部屋から新居に。
 一緒に暮らしているふたりから、夫婦に。
 カメラ越しに確認して、シャッターを押した。

「いい写真だね」

 仲間達が言った。『結婚』それが絵になっていた。

『今夜は遅すぎる。あしたにしよう。
 あした、ジュンイチに連絡を取って…』

 思わず笑う。そんな事を繰り返し1ヶ月たっている。

 式の少し後、カメラを片手に旅に出た。
 フリー契約の何社かに写真と記事を送りながら、日本中を回った。
 帰って来たのは1ヶ月前だ。

 足音が追いかけてきて、腕をつかまれた。

「タカユキ。ひさ。帰ってたんだ」

 振り返るとジュンイチだった。
 目で探した。後ろ。10メートルぐらい離れてマサコが居た。
 互いに目で挨拶する。

「ひさ、じゃなくて。あけおめ、ジュンイチ」

「ああ。あけおめ。
 タカユキも初詣?」

「ああ。新婚さんもか?」

「もう新婚じゃないよ。あと2ヶ月で1年だ。
 式の時はありがとな。
 いい写真がいっぱいあった」

「本職だよ。いい写真があって当然。
 第一、愛が違うよ、愛が。
 ジュンイチとはホモかって言われた仲だぜ」

「このままうちに来て飲もう」とジュンイチが言い、僕が返事をしないうちにそう決まった。

 僕の前を歩くふたりをレンズで切り取っていく。

 ふたりを街頭の光の中に入れてシャッターを押す。
 スポットライトの中に浮かぶ人影のようになる。
 アスファルトは光にとんで柔らかな舞台のように輝く。

 今度は僕が街頭の光の中に入り、暗闇に光度を合わせる。
 モノトーンの中にふたりの表情が浮かぶ。
 髪の毛やうぶげに光が散って、絵本のようにきらめく。

 全身を。顔のアップを。手を。足元を。

 レンズの中でふたりは名優になって、いろいろな物語を切り取られていく。
 僕が切り取っていく。

 ふたりのマンションが見えてきて、ジュンイチが振り返り、

「あそこで冷えたビールを仕入れて来るからさ、ふたりで先に行って」

 と向かいのコンビニを指差した。

「あ、かまわないでよ。ビールは要らないし」

「わかってるさ。焼酎はあるよ。
 冷えたビールは僕の分。だからね」

 こっちの返事も待たず、走り出す。
 マサコと顔を見合わせ笑った。

「タカユキの好きな焼酎は用意してあるのよ。
 ジュンイチは焼酎は飲まないのにね」

 エレベータが来て乗った。ドアが閉まってゆき、

「奥さん。やっとふたりっきりになれましたね」

 僕は声を低めてささやいた。

「あはははは」

 マサコが楽しそうに笑う。

 一度閉まったドアが開いて、息を切らしたジュンイチが乗ってきた。

「間に合ったぁ。」

 壁に寄りかかってハァハァ言っている。

「今、タカユキにくどかれそうになったぁ」

 マサコがそう言って、まだ息が整わないジュンイチが苦しそうに笑う。
 僕が、

「奥さ〜ん。それを言っちゃルール違反ですよぉ」

 今度は3人で笑う。

 エレベーターを降りて、ふたりが先にたって歩く。
 僕は携帯を出してへたな演技を始める。

「すまん。先に行っててくれ。仕事先から連絡が入った」


 ジュンイチと私だけで部屋に戻り、飲み会の準備を始めた。
 冷蔵庫をのぞき、おせちを出した。
 レンジで温めるものを分けてお皿に取り、おなべを火にかける。

 ジュンイチの携帯が鳴り、やっぱりと思う。
 がっかりしたようにジュンイチが携帯を切って、

「タカユキ、朝イチで打ち合わせが入って飲めなくなったってさ。
 準備もあるし帰るって」

「あらそう。残念。
 でも、お正月早々、フリーって大変なのねぇ」

 多分、連絡なんて来なかった。
 こんな逃げ方、タカユキらしくない。

「あ。来た来た」

「?」

「今撮った僕達の写真をいくつか携帯に送ってくれるって、タカユキ。
 デジカメのならすぐ送れるからって」

「へえぇ」

 いい写真だった。携帯の画面でもいい写真だとわかった。

「な。タカユキ、きっといつか大きな仕事をするよ」

 ジュンイチが自分の事のように自慢をする。

「タカユキは僕とは違うんだ。僕には絶対できない生き方だよ。
 だけど、タカユキがそうやっててくれると安心するんだ。
 僕は安心して僕らしく生きられる。
 わかるかなぁ?」

「うん。わかるよ」

 私の横顔の写真があった。
 淡い光の中で表情が変わる寸前。瞳の中で街の灯りが光っていた。
 まつげの上で光が踊り、かすかに歯を見せて微笑んでいた。

 タカユキの愛が満ちていた。

 私がタカユキを好きだと気がついたのは、ジュンイチとつきあいだしてしばらくたってからだった。
 タカユキも私を好きだと気がついた時には、お式の日取りも決まっていた。
 もっと前に知っていたら。そう思ったけれど、でも、何も変わらなかったろう。
 知っていても、私はジュンイチを選んだだろう。

 私はジュンイチと生きていきたい。ジュンイチとなら一緒に生きていける。

「僕、長生きしなくちゃな。
 早死にしたら、タカユキにきみを取られそうだ」

 私の横顔の写真を見ながらジュンイチが言う。

「ないない。それは絶対」

 笑いながら言ったけれど。少し考えて付け加えた。

「でも、幸せにしてくれなかったらタカユキと浮気するかも」

「かんべんしてくれ〜」


 こんな写真を送ったら、僕の気持ちがばれるかな。
 携帯の中のマサコの横顔の写真を、もう一度見て閉じた。

 いいさ。ばれたって。ばれてふたりの間にささやかな波風が立つといい。
 年の初めだ。誰もが神に祈っている。
 ひとりぐらい小さな悪事を企んだって、大目に見てくれるさ。

 マサコを幸せにしたい。それは僕もジュンイチも同じだ。
 でも、僕には絶対に言えない事がジュンイチには言える。
 カメラを片手に風に吹かれるように出かけてしまう僕。

『幸せになろう。幸せにする』

 僕には言えない。僕には待っててくれとしか言えない。
 どこでもいい。好きな所で好きな事をして待っててくれ。
 いつか、多分いつか、僕は帰るから。

 だったらどこでも同じだ。ジュンイチのそばで幸せになれ。
 待つ事だけで幸せになれる女じゃ、マサコはない。
 たまに、僕は会いに行く。幼馴染に会いに行き、ついでに彼女が幸せか確認する。
 それでいい。

 今日は不意打ちだったから逃げ出したが、今度はもっとうまくやる。
 さて、なにをして時間をつぶそうか。
 今夜は自分の部屋に帰りたくない。
 根無し草のふりをして街を漂いたい。

コメント(10)

第2話 桜前線

 初出 09/01/13 約5700文字
 写真は私。イラストはひろもるさんです。


「タカユキさんもどうですか?」

 年末、顔を出した出版社で、知り合いの編集者に飲み会に誘われた。
 12月24日。つまり、イブに一緒に過ごす彼氏、彼女のいない20代後半の男女が傷口をなめ合うためのコンパだ。
 誘ってくれた編集者以外は、ほとんど知らないメンバー。その中でサチだけは知っていた。

 彼女とはもう3・4年の付き合いだ。
 アジアン小物の店を持っていて、4・5人、人も雇っている。
 5坪ほどの店だが、売り上げはネットのほうが多いと言っていた。
 その店の写真を撮って、紹介記事を書いた。
 何回かネットに載せる商品の写真を撮った。

 酔っ払った彼女が、テーブルの向こうはしで「もう30歳よぉ」って叫んでいたから、2・3歳年上って事になるんだなぁと、初めて知った。
 
 翌日が仕事の人間はすぐに帰り、二次会、三次会。
 誘ってくれた編集者もいつのまにか居なくなった。

 最後の店を出て「あたしの家に行こうよぉ」とサチが言って、みんなで歩き始めた。
 そこから10分ぐらいのところに彼女のマンションがあるという。
 多分5・6人残っていた。結構みんなハイになっていた。

 途中でサチがハイヒールをぬいで街路樹によじ登って「ミーンミーンミーン」と叫び始めた。
 誰かが「冬にセミはいないよぉ!」って呼びかけたら「あたしは強いの! 死なないの!」と叫び返した。
 そして、さらに大きな声で「ミーンミーンミーン」と叫んだ。
 あきらめて僕が木に登りサチを引きずり降ろし、背負ってサチのマンションまで行った。
 僕の背中でもサチは「ミーンミーンミーン」と叫び続けていた。

 そんな女を可愛いと思う男もいるだろう。
 僕はそんな女は嫌だ。いや、女だと思いたくない。

 彼女のマンションの、広いリビングのホットカーペットの上に座り、さっき僕が撮ったみんなの写真を見せた。
 初対面で緊張した空間が、徐々にほぐれていって、みんなでここまで歩いてくる間にみせた素の表情。
 一連の物語が出来上がっていた。

「俺じゃないみたいだ…」

 誰かが言った。そう言われて、僕はうれしかった。
 サチが酒瓶を何本か抱えてリビングに戻ってきて、最後の酒盛りが始まった。

 酒の種類の多さに『生粋の酒飲み? それともこのリビングでしょっちゅう今夜みたいな飲み会でもするのか?』
 焼酎を飲みながら、そう考えた。

 またみんなの写真を撮った。撮りながら見せた。
 くれって言われて何枚か携帯に送った。

 みんな思い思いの場所で酔いつぶれ、寝込んだ。
 カメラをのぞいていたので、酒量は僕が一番少なかっただろう。
 それでも、窓の外が白くなり、夜明けの少し前、僕も横になった。
 その僕にサチが布団をかけた。
 うとうとと眠りながら『酒に強い女。うわばみだな』って思った。
 
 翌朝、起きた順番にみんなが帰っていって、最後に僕が起きた。もう、昼をすぎていた。
 ホットカーペットの上でひとりでぼんやりしていたら、サチが大きなカップを手渡した。
 桜湯。多分、正月用に用意されたものだろう。
 塩漬けの桜の花が2輪、カップの中で咲いていた。

 来年桜の季節に、幼馴染のジュンイチとマサコに初めての子供が産まれる。
『やっとだよ』
 うれしそうに携帯で僕に知らせてきたジュンイチの声がまたよみがえった。
 ふたりは結婚をしているんだ。当然の事だ。
 でも、僕の胸のトゲは血を吹いた。
 マサコはとっくにジュンイチの嫁さんなのに。

 桜湯のほんのりしょっぱい味が僕の胸の中に落ちていった。

 それだけだ。
 でも、それから僕はずうっとサチのマンションに居て、帰る時もサチのマンションだ。
 なぜだろう。
 自宅に立ち寄って、カメラや着替えを持つと、またサチのマンションに向かった。
 当たり前みたいに「ただいま〜」って言って帰った。

 サチのマンションに少しずつ、僕の荷物が増えていった。

 サチは何も言わなかった。
 それどころか起きてる僕の横で着替えを始めた事もある。
 僕は空気みたいだった。

「今夜、暇?」
 って聞かれてちょっと期待したら、
「じゃ、夕食作っておいて」
 って言われた。
 他にもいろいろやらされる。
 洗濯物を干しとけ。掃除機をかけとけ。皿を洗っておけ。
 だから、上げ膳据え膳てわけじゃない。ここにいて楽なわけじゃない。
 なのになんで、僕はサチのマンションに帰るんだろう。

 で、今に至る。
 いや、たまに、はずみみたいに寝た事もあったな。
 ぶん殴られて目が覚めた。
 目をあけたら、サチがいつもの赤いハーフコートを着たままで、こっちを見ていた。
 手にはまだスーパーの袋を持っていた。
 僕と目が合うと何も言わず、あごでリビングを指した。

 殴られたあごに手を当てながらダブルベッドから這い出した。
 寝た時の、半袖のシャツとトランクスだけのかっこうでサチの後をついていった。
 記憶に残る感触から、サチはげんこつで殴ったと思う。
 かなり本気の殴り方だった。僕はなにかしたのだろうか。

 サチはスーパーの袋を脇に置いて、リビングのホットカーペットの上に正座をして僕を待ち、やっぱりあごで前に座れと合図をした。
 でかい長いすもテーブルも無視だ。
 しかたなく、僕もカーペットの上、サチの前に正座をした。

「で、タカユキ。何日居るの」

「?」

「あたしんちに転がり込んでから」

 イブの飲み会からそのまま居続けているから、そう、2週間…か、いや3週間…か。

「数えるなっ!」

 サチのパンチが飛んで来た。かろうじて手ではらった。
 なら、聞くな。…と思う。

「で、その間に何回寝た? あたしと」

 え…と、飲んでてはっきりしない日もあるから…と。

「数えるんじゃないっ!」

 またサチのパンチが飛んで来て、また手でかわした。
 なら、聞くなって。

「で、どうする気。結婚する気あるの」

「結婚…?
 そりゃあ、いつかは。
 僕は独身主義者じゃないし。いい人がいたら…」

 サチが立てひざをついて一歩踏み込んだ。右手で僕のシャツの襟元をひねりあげて、左手で握りこぶしを作る。

「パンツ! パンツ!
 サチ! 見える!」

 ミニタイトで片ひざを立てて、座っている男にせまれば目に飛び込む。
 サチは一瞬手をゆるめたが、

「さんざん、見てるだろうがっ!」と、怒鳴った。

 そうだ。僕は何度もサチの着替えを見ている。
 僕が居るのに気がついてないのかなぁ、と思っていたけれど、やっぱり気がついていたんだ。
 そりゃ気がつかないはずないよなぁ、と変な感心をしてしまった。

「あたしとよ! あたしと結婚する気あるの!」

「あ。
 あぁ。そうか。あるよ。ある」

「そう」

 サチは手を放すとコートのポケットから小さくたたんだ薄い紙を取り出して広げた。
 立ち上がって、ボールペンと雑誌を取ってきてカーペットの上に置き、紙の下に雑誌をひいた。

「書いて」

 あごでその紙をさした。婚姻届だった。
 チラッとサチを見たら、腕を組んですごい顔をしてこっちを見ていた。
 まだ何も書かれていないその紙に僕は名前を書いた。

「ハンコ、無い…」

「いいわ」

 ひったくるように持って行った。

「はぁぁ…」

 なにが起きたんだろう。サチに。
 歯を磨きながら考えた。

 たまに、寝たりはしたが。
 で、責任をとって結婚しろってもんでもないと思う。
 サチはそんなふうには考えないだろう。
 だったら、なぜ。

 「洗濯機がもうすぐ止まるから、そしたら干しといて」

 洗面所でひげをそっている僕にそう言ってサチはまたどこかに出かけていった。
 パンとコーヒーで簡単な朝食を取り、洗濯機のところに行った。
 洗濯物の中にサチの真っ赤なレースのブラジャーとパンティがあった。
 やっぱりあいつは女じゃない。あいつも僕を男だと思っていない。
 洗濯機に両手をついて、ため息をついた。
 なのになぜ婚姻届なんだ?


 その婚姻届の事はずっと気になっていた。
 1ヶ月ぐらい後だ。
 僕が作った朝食をふたりで食べている時に、恐る恐るこっちから聞いた。
「あれ、どうした?」

 サチはコーヒーカップに顔を向けたまま

「出した」

「いつ!?」

 僕の声が裏返った。

「あの日のうちによ。
 えっと、1月の何日だったっけ?」

「だ、だって、印鑑は? それに保証人だかなんだか書くところあったでしょ」

「てきとうに買った。ハンコ。
 署名も全部あたしが書いた。少し字を変えたらOKだったし。
 私の両親にしといたから、バレてもだれも文句言わないと思うわよ」

 じゃ、じゃあ僕はもう妻帯者だったのか…。

「そんな…、僕がろくでなしだったらどうするの」

「そこそこは知ってるわ。少ない収入のほとんどをカメラと旅に使ってるって。
 充分ろくでなしよ。それ以上のろくでなしって無いんじゃない?」

 ひどい言われようだ。

「じゃあ、女ったらしとかは?
 突然女ひとりのマンションに転がり込んで居座ってるんだよ」

「はっ」

 サチはバカにしたように笑った。

「幼稚園からずうっと一緒だった男とホモに間違われたって事を自慢にする男が?
 それに、その親友の奥さんにずうっと片想いの男が?」

「な…なんで! だ…だれ…が」

「その反応をみると当たったようね。
 だれにも聞いてないわよ。
 あのイブのコンパの時、あなた言ってたでしょ。
 親友のジュンイチに子供ができるって。
 その時あなたの話し方を聞いていたらわかっちゃったの。
 あぁ、その奥さんを好きなのねって。マサコさんだったっけ?」

 僕はバカみたいに口を開けていたと思う。

「心配しないで。他には気がついた人はいないみたいよ。
 なんでかなぁ。あなたの考えている事がわかる時があるのよ。
 気持ちが悪いでしょ? 気持ちが悪いわよ。ほんと不愉快」

 自分の頭をうるさそうにサチがかいて、短い髪の毛が揺れる。

「あの日もね。
 買い物に行こうとしてベッドのところに行って寝てるあなたを見たらね、わかったの。
 これからもずうっと居るんだろうなぁって。
 何ヶ月も。何年も。何も言わずに。当たり前みたいな顔をして」

 腹が立って、出張所に行ったら開いてて用紙をくれたの。
 戻って来たら、やっぱりなんにも考えて無いって顔して寝てたわ」

 で、僕は殴られたわけだ。
 そして、婚姻届に名前を書かされて、妻帯者になったんだ。

 だけど、ばれていた。ジュンイチの嫁さんのマサコに片想いだって事を。
 隠しているつもりだった。一生口にしないと思っていた。
 でも、あっさりサチには見抜かれていた。
 どこからか、力が抜けていった。

 サチの顔が近づいてきて

「何?」

 と聞いた。

「?」

「何安心してるの? 今安心したって顔をしたわ」

 安心? 僕が?

「どっち?
 だれかにばれて安心したの?
 それともあたしが気にして無いから安心したの?」

 どっちって…。ばれて安心なんてするんだろうか?
 サチがどう思うかなんて僕が気にしたりするんだろうか?
 どっちもNOだよ。
 なにより僕は今、安心なんてしたんだろうか?

「ま、どっちでもいいか…」

 サチは自分に言うようにつぶやいた。

「あぁ、やだやだ。なんでわかっちゃうんだろう。
 あなただけなのよね。わかるのは。
 腹が立つわ。ずかずか人の中に入って来るなって思うわ」

 サチの生活の中に、サチの家の中に、僕はずかずか入っている。
 その事はいいのか?

「じゃ、私は仕事に行くからさ、食器洗っておいてよね」

 そう言ってサチはさっさと仕事に出かけていった。

 サチのアジアン小物の店は繁盛しているらしい。
 この広いマンションも自分で買ったものだと言うから、実際収入は多いのだろう。
 僕は逆玉というやつに乗ったのかもしれない。そう思うとつくづく悲しくなった。

 携帯で、フリー契約をしている出版社や知り合いの編集者に連絡した。

『また旅に出る。撮っておいて欲しい写真はないか?』

 聞いて、何かあればそこを回る。

 いくつか依頼があって、回るコースを胸に浮かべた。
 桜前線を追いかけて、各地の桜も撮ってみたかった。

 大家にも連絡をした。
「またしばらく留守をする。もしかしたら今度引っ越すかもしれない」
 そう言ったら残念がってくれた。

 ジュンイチとマサコが結婚した後、僕は日本各地を回った。
 同じところをもう一度回りたい。さっきサチと話していてふとそう思った。
 写真が変わるかもしれない。僕はどんな絵を切り取るのだろう。

 サチには連絡をせずメモを残した。『いつか帰る。待っていてくれ』
 サチはきっと「はっ」ってバカにしたように笑って、まるめて捨てるのだろう。
第3話 夜桜のロンド(輪舞曲)

 イラストはひろもるさん。写真は私です。
 初出09/01/13 約2900文字

                   桜

『夜桜を撮りに行ってくる』
 サチにそう言って近所の公園に行った。

 桜前線を追って、南から北への旅の途中、ホテルに泊まるよりはとサチのマンションに泊まった。
 泊まった、は変か。結婚しているのだから、自宅。帰ったと言うべきか。

 3ヶ月ぶりにふらりと戻ったその夜に、また出かける僕を、サチは何も言わず送り出した。
 もっとも、その日、帰って来たサチに

「ただいま。でもまた2・3日で出るから」

 と言った時も、

「あらそう」

 としか言わなかった。

 僕もそれ以上話す事も無くて、旅先で撮った各地の桜の写真を渡した。
 サチは時々、ケラケラと笑って見ていた。笑うような写真があっただろうか?

 駅からの道すがら見つけておいた公園の桜は、やはり見事だった。
 満開だがまだ散り始めていない。
 崩れる寸前の危うさを見せて、弱い人の心を誘っていた。

 どこかで雨が降っているかのような、薄く広がった雲と湿った空気が、桜をさらにつやめかせている。

 デジカメで何枚か撮って確認し、場所を決め、三脚を立てる。

 満月とはいえ、薄曇りの月明かりだけで撮るのなら、シャッタースピードを遅くしなければならない。
 あるか無しかの風とはいえ、桜の花は微妙に揺れる。
 ブレを抑えるには、逆にシャッタースピードを早くしなければならない。

 相反する条件をクリアするためには三脚は必須だ。しかし、小回りはきかなくなる。
 事前にしっかりと、確定しておかなければならない。
 フィルムの種類。レンズの撮影深度。明度。距離。
 それでも、雲も、月も、風も、僕の言う事を聞いてはくれない。
 何枚も撮って、撮りたかったものはその内の1枚か2枚。

 それでも、デジカメができて、ずい分楽になった。

 夢中で撮っていたら、奥のほうで何かが動いた。
 近寄ると、その枝だけ、散り始めていた。
 時々、花びらが降ってくる。
 散る花びらを撮りたいと思うが、条件がより厳しい。
 背景も計算しなければならない。月も入れたい。ここでは無理か…。

 降る花びらに手を出したら、ついと逃げた。肩に降ってきたので、今度は僕が逃げた。
 僕が動く。と、その風で花びらが泳ぐ。僕を追ってくる。
 時おり降ってくる花びらを追って、逃げて、僕は踊る。

 追いかければ、逃げる。手を伸ばして、ふれられない。
 けれど、僕のまわりで、誘うようにきらめく。
 夜の中で、僕は踊る。

 ため息と一緒に動きを止め、手を出した。永遠に差し出せない手を。
 マサコに向けて。
 黙ってその手を見ていたら、その手のひらに1枚、花びらが落ちてきた。
 逃げないように、静かにそっと握りしめた。
 見たかったテレビも終わったし、タカユキが写真を撮っているところを見たかったし。公園まで出かける事にした。
 桜の季節の花冷えの夜。しっとりと湿気をふくんだつめたさ。かすむような雲に、満月がぼんやりと浮かんでいる。
 ぶらりと薄着で出たせいで体が冷えて、途中のコンビニで缶酎ハイを買った。
 公園の入り口で一口やって、中に入ると夜桜の下で黒い人影がステップを踏んでいた。
 しばらく見ていて、それがタカユキで、桜の花びらにじゃれているんだとわかった。
 タカユキが動きを止め、手を伸ばしたら、その手に1枚ふわりと降りた。

 なんでわかっちゃうんだろう。あのバカヤロウは、マサコさんを思い出してる。

 ぎくりとしたようにこちらを見て

「なんだサチか」

 浮気現場を見つけられた男の顔で、タカユキが言う。

 そばのベンチに座り、背もたれに体を預けて上を見ると、視界いっぱいに桜の枝が広がって、桜の花越しに月が見えた。

「確かにきれいだねぇ。夜桜」と、タカユキに話しかける。

「ああ。妖しい美しさがあるよなぁ。はかなくて、強くて。
 すぐそばにあるんだけれど、手が届かない。
 それを撮りたいんだけれど難しい」

 独り言のようにタカユキが答える。
 聞いていて胸が苦しくなった。

「タカユキ知ってる? 毒があるんだってさ。夜桜には」

「?」

「夜桜の毒にあたると、好きになっちゃいけない人を好きになるんだって」

「へえぇ…。あるなぁ。そんな感じ」

「薄紅(うすくれない)の夜桜の毒にあてられ人想う。この世は夢よ。いざ、狂え」

「ふうん」

 タカユキは生返事をしながら、あたしを撮っている。
 デジカメで撮って確認して

「だめだ。サチに夜桜は似合わない」

 あっさり、削除ボタンを押す。
 バカヤロウ。

 タカユキがあちこちで撮ってきた桜は、青空の下、はじけるように笑っていた。
 見ているこっちまで笑いたくなる写真だった。

 あたしが来る前に撮った夜桜の写真を何枚か見た。
 桜の枝がざわりと揺れる音が聞こえてきそうな写真だった。
 ぼんやりとした雲越しの満月のあかりに照らされて、夜桜がにおい立つような美しさを放っていた。

 さっきタカユキはなんて言ったっけ。
『はかなくて、強くて。すぐそばにあるんだけれど、手が届かない』

 酎ハイの残りを呑んで、浮かんできた言葉を胸の奥に押し戻す。
『そんな女はいないよ。あんたの見てるのは幻だよ』
 もっと汚い言葉が、そのもっと奥にある。

 深呼吸をして叫ぶ。

「ワォ〜〜〜ン オ〜〜〜ン ワォ〜〜〜〜〜ォ〜〜〜〜」

 タカユキが驚いたように振り返り、遠吠えを始めたあたしを見てる。
 ざまあみろ。

「ワォ〜〜〜〜ン ワォ〜〜〜〜〜ン オォ〜〜〜〜〜〜」

 どこからか答える犬の声が聞こえてきた。

「オォ〜〜〜〜〜ン オオ〜ン ウォ〜〜〜〜〜ン」

 返事が返ってくるとは思わなかったなぁ。
 あたしが何かをすると、何かが帰ってくる。いい事でも悪い事でも。それってうれしい。ひとりじゃない。そう思える。
 あちこちから、いろいろな声で返事が返ってきた。
 あたしも答える。

「ワォ〜〜〜〜ン ワォ〜〜〜〜〜ン オォ〜〜〜〜〜〜」

「キャン キャン ク〜〜〜ン キャン キャン キャン」

 座敷犬らしい小型犬の騒ぐ声も混じり始めた。

「サ、サチ。止めろ。
 騒ぎになる。なってる」

 公園の近くの家々の窓に明かりがついて、あたしはさらに楽しくなった。
 タカユキがあせったように三脚をしまい始めた。
 そして、あたしの口を手でふさぐ。

「あ、酒臭い。おまえ酔ってるんだな」

『バ〜カ。缶酎ハイ1缶で、酔ったりなんかしないよォ』
 でも、あたしはうそをつく。

「は〜い。酔ってますよ〜」

 あたしの手を引っ張ってタカユキが走る。でもあたしは走らない。
 じれたように手を離し、あたしの前にしゃがみこみ、背中を向ける。

「ほら」

 あたしを背負って小走りに走り出すタカユキ。
 タカユキの背中で小さな声で「ミーンミーンミーン」と鳴いてみる。

「今度はセミか。そう言えばこの前もセミだったなぁ」

 タカユキが言った。覚えていたんだ。
 クリスマスイブのコンパの夜。ただの知り合いから1歩、踏み出した夜。

 タカユキを愛してる? ううん、ちょっと違う。
 好きとも違う。なんだろう。

 あたしはタカユキという男の生き方に、そしてタカユキの撮った写真に…ほれてる。
 うん。ほれてる。それが一番ぴったりだ。
 ほれたんだから、ほれたほうの負けだね。

 タカユキの背中で、くすりと笑う。
第4話 僕のカメラはうそをつかない

 イラストはひろもるさん。写真は私。
 初出 09/01/13 約3300文字です。

                    桜

 さらに3ヶ月。北海道の桜を撮り終えて、僕はやっとサチのマンションに帰った。
 その間、一度もサチに連絡をしなかった。
 サチは居なかったがきっと仕事だろう。
 リビングのすみの僕の机に荷物を置こうとして、メモに気がついた。
 僕が置いていったメモが、僕の机の上に、ガムテープで貼り付けてあった。
 紙が少し黄ばみ、ボールペンの色もあせていた。

『いつか帰る。待っていてくれ』

 半年前に自分が書いたキザなセリフに赤くなった。
 思わず後ろを振り返った。

『ざまあみろ』

 腕を組んで仁王立ちしたサチが、赤くなった僕を見て、そう言っている気がした。

 そうだな。サチは僕を待たない。いつもひとりで突っ走っている。

 その晩に帰って来たサチに背を向けて布団をかぶり、顔色を読まれないようにして言った。

「なあ、サチ」

「うん?」

「愛してるって言っていいか?」

 即座にバカにされると思っていた。でも、言っておきたかった。
 しばらく沈黙があって

「いいよ。言いたきゃ、言って」

 思わず振り返った。

「なんでだ? なんでいいんだ?」

「だって愛してるんでしょ? あたしの事」

 サチは笑っている。笑いながら着替えを始める。

「…ああ。多分」

 そう僕は小声で言う。
 僕は自分の気持ちに気がつくのがとてもへただ。
 気がつくための一番良い方法は、自分の撮った写真を見る事だ。
 今年、桜前線を追いかけて撮った桜は、底抜けに明るく、強く、大地に根をはって、空に向かって手を伸ばしていた。
 幽玄さとは無縁の、光り輝く桜は、僕がサチを愛し始めていると言っていた。
 
「でも、マサコさんの事もなのよね?」

 やっぱり笑いながらサチが言い、僕の隣、ベットのはじに腰を掛ける。

「…ああ」

 サチには隠せないだろうと思っていた。

 トゲはまだ刺さっている。
 でも、血を吹かない。むしろ痛みが甘い。
 いつか今日の天気の話をするように、マサコを愛していたって、ジュンイチにも話せるようになる。そんな気がする。

 だめだろうなぁ。
 こんなふうにふたりともが心の中のいる。自分がよくわからない。
 どう言葉にしていいかわからない。
 僕は話す事もへたで、撮る事でしか自分を語れない。

 ただ、僕にとってサチとマサコが違う事はわかる。
 どう違うのかは、まだよくわからないけれど。

 そうだ。今度ちゃんとサチの写真を撮ってみよう。

 はぁぁ、って大きなため息をついて、サチが言った。

「かわいい、って思っちゃったんだよね。あの時」

「?」

「幼馴染の奥さんになった人を、ずうっと片想いだってわかった時。あなたの事。
 ばかやろうだなって思ったけど、うらやましかった。マサコさんが」

『へえぇ』

「だから、嫌がらせをしたのよ。あの朝。
 桜の花が咲く頃に、マサコさんに子供が産まれるってあなたが言ってたから。
 コンパの翌朝よ。だから桜湯を作って出したの。」

「……」

「あたしもあなたが好きなんだろうな。
 そう思う。
 だから、愛してるって言っていいよ。

 …言って」

 どうしよう。ドキドキしてきた。サチに受け入れられるなんて思っていなかった。

「あの…それは、マサコの事を好きでいてもいいって事かな?」

「まあね。しょうがないんじゃない? そうなんだから。
 ああ。でも、たまにはぶん殴るかもしれない」

 笑いながらサチが言う。
 あごにサチに殴られた時の痛みが戻ってきた。
 少し迷ったけれど言った。

「起きている時になら、いいさ。よけられるから」
 ジュンイチの仕事終わりを待って、駅近くのカフェで会った。

「出産祝いってもんじゃないけどな。良いできなんでパネルにしたから」

 病院でのマサコのポートレートを渡した。
 ジュンイチから産まれたと知らされて、旅の途中に、とんぼ返りして撮った。

 ほつれた髪が顔の周りに浮かび、少し疲れが残るけれど、内側からの幸せに輝くマサコ。
 うでの中の小さな、あまりに小さな顔をみつめてほほえんでいる。
 空間に伸ばされた小さな手。マサコの手がその手を包もうと近づいている。
 母と子の、ふたつの手が触れ合うその少し前。かすかな空間を作っている。
 妻から母になったマサコの顔。

 僕のマサコへの憧憬が、光となって母と子を包んでいる。

「きれいだなぁ…。
 タカユキの撮るマサコは本当にきれいだ」

「そうか?」

「本当はこんなんじゃないんだぜ。怒った時のマサコの顔なんてさ」

「ははは。
 そうか。ジュンイチはマサコの旦那だからなぁ。
 いろいろ知ってるよなぁ」

「……」

 不思議な沈黙が支配した。『天使が通り過ぎた』そんなふうに表現される一瞬の時間。
「あの…」

 ふたり、同時に口を開いた。

「ジュンイチ。
 先に言えよ」

「…うん。
 あのさ。タカユキ? 僕が先に死んだらさ、マサコを頼むよ」

「なんだよ、それ。なんでそんな事を言うんだよ」

 つい声がきつくなる。

「あ。違うんだ。
 別に、今どうこうって事じゃなくってさ。もしも、って事でさ。
 タカユキならいいと思うんだ。
 マサコと子供。僕に何かあったらタカユキに守ってもらいたいんだ」

 ばれてるんだなぁ、きっと。僕が今、言おうとした事が。
 ためらっていた気持ちが消える。

「ジュンイチな。
 僕はマサコが好きだ。
 昔から。今でもだ」

「……」

「気がついてたか?」

「こんな写真を何度も見せられちゃ、だれだって気がつくさ。
 だけど、だからかな。
 だから、僕になにかあった時は、タカユキにって思う。
 きっと、マサコを守ってくれる。

 だけど、簡単には渡さないぞ。僕は長生きするからな」

「…あのな。ジュンイチ。
 あの、僕、結婚したみたいなんだ」

「えっ!
 いつ?」

「今年の1月ごろ。
 どうも、婚姻届を出されちゃったらしいんだ」

 唖然として、ジュンイチが僕を見ている。
 だよな。僕自身びっくりだ。

 大声でジュンイチが笑い出し、店の客の視線が集まる。
 慌てて声を落とし、それでも笑いが止まらないジュンイチ。
 僕はそれをばつが悪そうに見ている。

「なんだよ、それ。
 タカユキらしいっちゃらしいけどさ」

「今一緒に住んでる女が、出したって言ってるんだ。
 だから、結婚はできないけれど、マサコの事はちゃんと守るよ。
 安心して死んでくれ。あ、死んでくれってのも変だけれどさ」

 止まりかけたジュンイチの笑いがまた戻ってくる。

「今度、嫁さんに会わせてくれないか。会わせてくれるよな」

「ああ…」

「なんだ? 会わせたくないのか?」

「違うんだ。その『嫁さん』ってのがさ。
 どうも『嫁さん』て感じじゃないんだ。サチはさ。
 なんだかそういう女じゃないんだ。
 大家とかさ。飼い主とかさ。そういうのがぴったりなんだ」

「飼い主っ!?」

「ああ…。
 僕は振り回されっぱなしだ」

 暗い声でそういう僕に、ジュンイチの目が笑う。

「サチさんていうのか。絶対、会わせろ」

「ああ、そのうち会わせるよ。そう思ってる」

 クスクスとジュンイチは笑っている。

「そうかぁ。タカユキを振り回すのかぁ」

「なあ、ジュンイチ。
 だけどな、僕はまだマサコが好きなんだ。
 変かな? だめだよな?」

「僕はいいさ。でもサチさんは知ってるのか?」

「サチはなんでも知ってるよ」

 うんざりしたように僕は言う。

「いい人をみつけたな」

 うれしそうに、ジュンイチが言う。
 僕は、満月の夜に犬と一緒に遠吠えをしているサチを思い出した。

「そうかなぁ…」

 ジュンイチは僕のパネルを指差して付け加えた。

「だけどな、タカユキ。
 マサコはこんな女じゃないぞ。本当のマサコはこんなんじゃないんだ。
 もっと怖いんだぞ」

「いや。
 マサコはこんな女だ。僕のカメラはうそをつかない」

「しかたがないなぁ。とりあえず僕は長生きをするさ。
 そしてさ、もし僕が先に死んだら、マサコを頼むな」

「ああ、まかせろ」

『僕が先に死んだらサチを頼む』と言おうとしてやめた。
 サチは何があっても、誰よりも長生きをしそうだ。

 僕とジュンイチは顔を見合わせて笑い合った。
 窓の外は青葉の季節で、どの樹にも若い葉が光っている。

                                 おわり

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