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アナタが作る物語コミュの【時代ファンタジー】白狐の社(前編)

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 気がつけば最後の掲載から一年近く経っていました。どうも、リバーストーンです。

 長いスランプを越えて、久しぶりに短編小説が完成することが出来ました。
 願わくば一読後、皆様の心に何か残ることがあれば幸いです。

*************************************************************************

 私にとって、時間は不変なものでした。
 春、夏、秋、冬、何度も果てのなく回り、めぐりゆく四季。
 私はそれをこの社で過ごす。誰かを待つわけでもなく、何かに興じるわけでもない。

 この土地の民を見守るために、ただひたすらずっとここにいる。
 何百年と延々に、誰かに忘れられるその時まで。
 しかし、そんな永遠とも思える時の刻みで移り変わる景色の中でも、私の時間はまだ動かない。


 私はある山奥にある小さな神社に住む白狐だ。
 人々からはこの土地の守り神のお稲荷様として祀られている。元々、豊穣の神として祀られることの多い我々妖狐の一族は、全国各地にある無数の稲荷と名のつく神社に住み着くことが恒例となっている。

 しかし私は豊穣だけではなく、ひと際珍しい子守の守り神としてもこの地に祀られていた。何でもその昔、この土地では不作と流行病で子供が大量死したことがあったらしい。貧しい農村の人々が住む土地だ。金も人手も少なかったのだろう。これ以上の農作物と子供を減らさぬように、少ないお金を農民達で出し合って、この神社を建てたらしい。
 私がこの地に住み始めて早三百年。近くに住む村人達は今日も私にお祈りをする。

「お稲荷様、今日も一日、私の孫をお守り下さい」
 毎日手を叩き、神社でお祈りする老婆を私は障子の穴から覗く。
 頭を前に傾け、熱心に拝む彼女の姿に、私は心苦しさを覚えてそのまま目を伏せた。
 今はもう参拝者の顔を見たくない。


 ――――私は人と関わるのが嫌だった。
 昔は自分を崇めてくれるその行為に喜び、私も人に姿を変えて人間の前に姿を現したことも何度かあったが、近頃はその回数も減った。神社にこもり、参拝者の顔も見ずに願いだけをなるべく叶えることが多くなった。

(所詮は神と人。これ以上の干渉は許されない)
 私は自分に言い聞かせるように、心の中でそう念じた。
 神として生きる私には、老いの死は存在しない。しかし、人の子は短命だ。やっと親しくなれても、あっという間に年老いていく。

 逃れられない命の終わり。
 絶対的な時間の流れ。
 神でも止める事を許されない時の刻みは、自殺することでしか死を迎えられない私にとって、あまりにも辛く、そして残酷な現実だった。

 時折、老人を持つ家族が寿命を延ばしてくれと私に願いを求めに来る。しかし、どんなに助けたいと思っても、私はその願いを叶えられない。
 あくまで豊穣と子守の神。
 私にはこの土地に感じる人の気が消えていくのを感じ取ることしか出来なかった。
 目の前で生命の灯し火が一人消えていく毎に、私は社の中で嗚咽しながら泣いた。
 また親しい者を救えなかったと。また自分を信じてくれる者達を何も出来ずに看取ってしまったと。
 己が神でありながら、一番無力だということを思い知らされる。

「すまない、・・・・すまない・・・」 
 あの世に逝ってしまった彼らに、私は何度も何度も謝った。
 そんな感情のわだかまりを繰り返して二百年。
 これ以上の心の傷を負わぬようにと塞いだ気持ちで年を越すごとに、私は人との干渉を避けるようになり、いつしか参拝者の顔を見ることが出来なくなってしまっていた。

 それでも時間は私から友を引き剥がしていく様に、年々私の知り合いを連れ去っていく。
 今年は一体何人この土地から人間が居なくなってしまうのだろう。
 陰鬱な気分で過ごすその時の私は『自分の死』すらも己の頭によぎり始めていた。


 そんな私に転機が訪れたのは、ある暖かい初夏の日のことだった。私は気晴らしに境内を散歩することにした。久方ぶりに人に姿を変えて、建物の外へと踏み出す。生茂る木々の合い間からこぼれる日差しの中をゆっくりと歩いていった。
 たまにこうして自然に耳を傾けると気分が落ち着く。
 鳥のさえずりや蝉の鳴き声を聞き、安定した大地の気脈を感じ取る。
 山の中を穏やかに昇る風がなんとも心地よい。

(今年も実り良い季節になりそうだ)
 数年ぶりに元気のある山の生命達の声を聞き、私は気分が癒された。
 石畳の上をなぞるように踏み出し、階段のふもとまでたどり着く。
 階段に足を下ろしかけた時、私ははっと我に返り、階段を登ってくる人間の男の子に気がついた。

(まずい、子供がいた!)
 久々に上機嫌で浮ついていたせいか、人の気を感じ取れなかった。幸い男の子も階段を登ることに夢中で、こちらに顔も向けていない。引き返すのなら今の内だ。私はきびすを返して、すぐさま元の道を戻ろうとした。
その時、

「あっ」
 その子の聞こえてきた叫びにつられて、私は再び振り返った。足を滑らせたのだろうか。男の子はバランスを崩し、今にも背中から階段から転げ落ちようとしている。

(危ない!)
 そう感じた瞬間、私の足は風よりも早く階段を駆け下りて少年の背後に周り、彼の背中を両手で支えていた。
 突然、後ろから押し戻される感触に驚いて、少年は「えっ」と声を上げて、後ろを振り向く。

(しまった!)
 自分で関わるまいと決めておきながら、つい手が出てしまった。
 神であることの責務ゆえか、それとも人を見過ごせない性分ゆえか。いずれにしろ、私はとっさに取ってしまった自身の行動に驚きと後悔をしていた。

(まあ、ほとんどの人には妾の姿は見えないから大丈夫だろう)
そう思い直し、気を取り戻しかけた時、こちらに顔を向けていた少年が口を開いた。
「お姉ちゃん、誰?」
 私は先ほど以上の衝撃的な少年の言葉に、目を見開いた。
 普通の人間では見えないはずの私の姿を、この子はしっかりとその双眸に映し、じっと顔を眺めている。
 思いがけない現状に私は躊躇いつつも、神らしく気丈に振る舞い、少年に名乗った。

「妾は『ゆら』。この神社に住む狐神じゃ」
――――この世に生を受けて三百余年。
私は生まれて初めて人間に本当の名を教えた。

コメント(8)

             ◆

「ゆらさ〜ん、遊ぼう〜よ!」
 神社の建物内で昼寝をしていた私は、障子を叩く音で目を覚ます。
 幼児の甲高い声が私の大きな耳にきつく刺さった。
(あの声は・・・)

「ゆらさ〜ん、居るんでしょう?」
 耳を塞いでしっと動かずに居留守を決め込もうとしたが、今度は賽銭前の鈴の音が激しく鳴った。何度も聞こえてくる音に耐えかねて、私はしぶしぶ戸を開ける。案の定、そこには自分が助けたあの少年がいた。

「また来たのか、伸太郎」
 呆れ顔の私に、左目元にほくろがあるその少年はくったくのない笑顔を作る。
 少年の名は、上川伸太郎。
 祖父母の家に預けられ、最近この村に引っ越して来たのだという。
 どういうわけかあの日の一件以来、この子は私になつく様になり、ほぼ毎日私の元へ遊びに来るようになった。

(まったく、罰当たりな起こし方をしおって)
 せっかくの安眠を邪魔されて、私はじっと伸太郎を睨みつける。
「妾(わらわ)は今眠いのじゃ、遊ぶのなら他をあたれ」
「体を動かして、遊んでいれば眠くならないよ」
 どうやらこれ以上説得しても、通用する相手ではなさそうだ。

「仕方ないのう」
 私は額に手を当てて、しぶしぶ彼を中に招き入れた。
 伸太郎はにんまり笑うと靴を脱いで上がり、肩に担いでいた遊び道具が入っているふろ敷を広げ始める。メンコ、独楽、お手玉、竹とんぼにシャボン玉用具など、ありとあらゆるオモチャが床に散らばる。

「ゆらさん、今日は外で缶蹴りしない?」
「妾は家の中でやるものが良いの。百人一首はないのか?」
「それ、僕知らな〜い」
 お互いなんだかんだ言いつつ、この日は結局折り紙をすることになった。紙をそれぞれ一枚ずつ取ると、私は花を、伸太郎は鶴を折り始める。
 隣で黙々と折る伸太郎を横目で眺めつつ、私はふと素朴な疑問が浮かんだ。

「そういえば伸太郎、おぬしは毎回妾のところに来るが、他の子とは遊ばんのか? 村にも年の近い子供は居るのだろう?」
 私が尋ねると、伸太郎は少し顔を伏せて苦笑いを浮かべ、
「僕はこの村の出身じゃないから」
と、ポツリと一言そう答えた。
 その返答で、私は日常の彼を取り巻いている周りの状況を理解した。

 昔から閉鎖的な村には外から来た人間を寄せ付けない悪習が少なからずある。ここの村とて例外ではない。おそらくいつも村の中でよそ者扱いされ、疎まれているのだろう。村の血縁者ということで引き取られ、大人達はかろうじて納得しているものの、子供達からは容赦ない非難を受けているはずだ。
 それなのに、先ほどの伸太郎の笑顔からはその寂しさの一片すらも見せようとはしなかった。

(この子は、今まで辛い気持ちをずっと押し殺して笑っていたのか)
 私は恥ずかしかった。それと同時に、無神経に軽はずみな質問をした自身を悔いた。
 自分とは全く逆の環境の中でも、この子は常に笑うことを忘れずに自分を保ち続けている。
 現状に甘えて立ち止まっている私とは違い、健気ながらも苦難に耐え続けている小さな少年に私は心を打たれた。
 自分の着物の裾を握った後、私は意を決して、彼と正面から向き合う。

「―――なあ伸太郎、少しそれを貸してくれないか?」
 右手を差し出し、伸太郎が折り上げた鶴をこちらに求める。

「え、うん」
 私は彼から手渡された折り鶴を受け取ると、それを右の掌に乗せ、その上に左の掌を覆い被せた。そして、わずかに開いた手の隙間からふ〜っと息を吹きかける。
 そして両手を広げるように開くと、紙の鶴は縮こまっていた翼をピンと伸ばし、羽ばたいて宙に飛び出した。

「うわ〜〜〜〜っ! すごいっ! すごいっ!」
 天井付近を旋廻して飛行する鶴に、伸太郎は飛び跳ねて大興奮する。
「今何をやったの、ゆらさん?」
「ちょっとした妖術じゃ。掌の大きさまでなら風の力で自由に浮かばせられる」
「じゃあ、これも飛ばせる?」
 伸太郎は目を輝かせて、別に折ってあった紙飛行機を私に差し出す。どれどれと受け取って、両手で再び包んで息を吹きかけると、浮力を得た様に紙飛行機が先ほどと同じように舞い上がった。

「やった〜! 飛んでる、飛んでる!」
 楽しんではしゃぐ彼の顔を見て、私はほっと胸をなで下ろした。
(これでいい。伸太郎が少しでも辛いことを忘れられるのならば、このくらいの禁忌は犯そう)
 妖術は本来、不必要に人に見せてはならない。だが、人に見せることでこんなふうに喜ばせる使い道もあったのだと分かり、少し嬉しくなる。

 そういえば、最初この神社に来た時もこんな気持ちだった。
 色んな人達の声が聞きたくて、いつもふすまの向こうから耳を傾けていた。
 どんな些細な報告でも願いでもいい。
 お参りに来る人々の話を聞いて、笑い顔を見るのが何よりも幸せだったことを。
 伸太郎の満悦した表情を眺め、私は自分の顔が和やかにほころんでいるのが分かった。


―――どうしてだろう。
 この子と居るとついつい肩入れをしてしまう。
 伸太郎は今まで出会った人間とは違った人間だからだろうか。
 私を神と知った後も臆することも、気味悪がる様子もなく人間と対話するように普通に接してきた初めての人だったからなのだろうか。
 私は何かに例えようもないこの不思議さの正体を求めて自問自答を繰り返し、そして、不意にはっと気付く。

(―――そうか)
 なぜ自分が毎回訪れる伸太郎を無理矢理追い出そうとしなかったのか、やっとわかった。
 彼の遠慮のない畏怖も邪気もない朗らかな声。
 その躊躇のない呼びかけに誘われて、彼と共に戯れて過ごす時間。

(最初こそ、その言動に少々戸惑いはしたものの、妾は伸太郎とのこの時間がとても居心地良かったんだ。神などの建て前など関係なく、本当の意味で話し合える人が欲しかったんだ)
 本当に救いを求めていたのは私の方。
 ずっと心の奥底でこの時を待っていたのだ。
 無意識に神としての表の仮面を被って責務に疲れていた私に、そっと仮面を外させて、ありのままの素顔を受け止めてくれる者を。

 その時、私は彼をただの参拝者ではなく、友人として守り続けていこうと決めた。
 この大切な時間を過ごすために。
 話しかけてくる彼の声は、もう私にとっての宝物だった。

「ねえ、どうしてぼくにはゆらさんの姿が見えるのかな?」
 ふと思いついた素朴な疑問を、伸太郎はぽつりとつぶやいた。
 今、部屋の中を星々が周る様に沢山の折り紙達が円を描いて飛んでいるのを、 彼は私の膝の上に頭を載せ、仰向けになって眺めている。
 う〜んと唸りながらも、私はその質問に答えた。

「はっきりとは解からんが、おそらく生まれつきおぬしの霊力が高いのだろうな。普通は大人でも子供でも私の姿は見えん。修行した僧か死に間際の人間でもない限りな」
「死にそうになると、見えるようになるの?」
「私は半分精霊のようなものだ。人間は死に近づくに連れて霊体が出やすい状態になるから、存在自体が我々に近くなってくるのだろう」
「ふ〜ん」
 伸太郎は私の話を聞いて不思議そうに頷いた。

 元々、人間の子供は感受性が強く、霊感を持って生まれてくることも多い。それでも、その力は大抵大人になるにつれて薄らいでしまうのもまた事実だ。きっと伸太郎もこの系統の人間なのだろう。
 子供に私の姿を見かけられるのが多いのも、これが原因かもしれない。
 彼が大人になったら、私の姿も見えなくなる。
 それがきっとこの子と話せる最後の時になるだろうと私は心の中で察していた。

 いつか来るその日まで、伸太郎の支えで居てあげたい。
 どうして人間達が小さな望みを願うのか。神の身である私が、そのささやかな意味を持つことの理由を知った瞬間だった。


 ――――気がつくと、物思いにふけっているうちに壁の隙間から入り込んでいた日差しが、徐々に明るさを弱めていた。近くにあった蝋燭立てに向かって人指し指を弾き、私は小さく火を灯す。

「さて、空も暗くなってきたな。伸太郎、おぬしもそろそろ・・・」
 視線を下げて彼を立ち上がらせようとした時、私はおもわず「あっ」と声を上げそうになった。遊び疲れたのか気がつくと伸太郎はぐっすりと私の膝枕で寝息をたてている。

(やれやれ、妾よりも先に寝てしまうとは)
 今更起こすわけにもいかないので、仕方なく私は動かずに彼の顔を眺めた。
 安心しきった純粋無垢な寝顔。だが、その様子はなんとも無邪気で微笑ましい。
 その光景につられるように、そっと彼の頭を撫でる。

「ゆっくり休めよ、伸太郎」
 自分の顔を近づけると、私は耳元で優しく小声で囁いた。

             ◆
 
 昭和十四年九月。
 二度目の世界を巻き込んだ戦争が始まり、この山の村も随分慌しくなった。
村中には空襲警報が頻繁に鳴り響き、その度に村人は防空壕に隠れ、爆撃機が通り過ぎていくのを皆が固唾を呑んで見守っていた。

 爆撃に怯えながらの生活。
 それは彼ら人間に限らず、私にとっても同じ事だった。
 地形の関係上、この神社の場所は爆発の影響で地盤が緩んで、土砂崩れも誘発しかねない。
 同時に山で火災も発生すれば、人も森も甚大な被害を被ってしまう。
 やや町から離れた場所とはいえ、私達はいつ巻き込まれるかもしれない空爆の恐怖といつも戦っていた。


 昭和十六年五月。
 あれは初夏に入ってから初めて夕立が来た雨の日のことだった。

「ごめんくださーい」
 戸を叩く音に導かれて障子を開けると、伸太郎が頭から水を被ったようにずぶ濡れになって立っていた。

「すみません、少し雨宿りをさせて下さい」
 その様子に驚いた私は、困ったように苦笑いを浮かべる彼を半ば強引にすぐ室内へ上がらせると、伸太郎の鞄からタオルを引っ張り出してごしごしと彼の頭を拭いた。

「ゆらさん、自分の頭くらい自分で拭けますから」
「いいからじっとしておれ、このままでは風邪をひいてしまう。おぬしに拭かせると大雑把に済ませてしまうからな」
 私に頭を拭かれながら申し訳なさそうに伸太郎は頭を垂れる。

「すみません、まさか来る途中でちょうど降られてしまうとは思わなかったので」
「無理せずに途中で引き返せば良かったじゃろうに」
「どうしても、ゆらさんに渡したかったんですよ」
 彼はそういうと、鞄から小さな弁当箱を出して、蓋を開ける。
 すると中からこんがりと見事に狐色をした豆腐の油揚げが入っていた。思いがけない差し入れに私は動かしていた手をピタッと止めて、声を上ずらせる。

「な、こんな贅沢な物を! 本当に良いのか? おぬしも滅多に食べられないんじゃろ?」
「良いんですよ、家で作っている野菜を他の家の物と交換したらたまたま多く貰ったんで、ゆらさんにもおすわけです」
「すまぬ、かたじけない!」
 私は両手を合わせて、切り分けてあった油揚げを一切れ頂いた。香ばしいにおいと豆腐のやわらかい食感が口の中にふわっと広がる。衣がサクッとしていて揚げ加減も申し分ない。

「うむ、実に美味な油揚げじゃの。こんな上手い物は久しぶりに食べた」
「それは良かったです」
満足して舌づつみを打つ私に、伸太郎は嬉しそうに笑って、両手で体をさすりながら小さくくしゃみをした。
「あ、そういえばまだ体を拭いている途中だったの。伸太郎、上着を脱いでくれ。今度は背中を拭いてやろう」
「え、・・・でも」
「早く服も干して乾かさんとならんからな。さ、早く!」
 ちょっと躊躇いがちに伸太郎はずぶ濡れになった上着を脱ぎ、上半身の肌をあらわにした。

 幼かった時とは違うたくましい男の背中。大きく成長したその姿を見て、私は少しドキッとした。タオルの上から撫でながら、後ろからやさしく感触を確かめるように、丁寧に拭いていく。程よく筋肉のついた頼もしい背中には、もう出会った頃の危なっかしさはもうない。

(すっかり、誰かを支えられるようになっていたんだな)
 伸太郎と出会ってから、かれこれ十二年。
 彼も十七になり、過保護に見守る必要もなくなった。
 すっかり一人前になった伸太郎に感慨深い気持ちを覚える。

(これで妾の保護者ごっこは終わりだ。母親代わりの役割もそろそろ潮時だろう)
 そう、それはとても喜ばしいことのはず。なのに、その時の私の胸中では正反対に寂しさが大半を占めていた。
 理性では素直に喜ぼうと努めても、感情がそれに逆らえない。

 ―――ああ、駄目だ。
 隠していた悲しみが全身を鋭く突き上げる。
 いつのまにか、私は持っていたタオルを強く握り締めていた。
 苦しかった。心に空いた風穴の痛みを、抑えるように彼の背中に自分の額を当てて、伸太郎に寄りかかる。
 一瞬、不覚にもよぎってしまった愚かな願望を恥じて、私は自身を叱咤した。

(何をあわい望みを抱いていたんだろう)
 どんなに深く願っても、
 長く身近に居られたとしても、
 彼の背中に私が支えてもらう場所はないのに。

 突如、前かがみに寄りかかった私に驚いた伸太郎は、終始落ち着かない様子で視線を周囲に配らせていた。

「ちょっ、ゆらさん! 着物がいつもよりはだけて、胸元が見え過ぎていますよ」
 はっと我に返り、私もあわてて着物の襟を引っ張り上げる。

「うおっ、す、すまんな。自分でも少々だらしないとは思っているのだが、昔からどうも肩が出るくらいまで着崩さないと胸が苦しゅうてかなわん。大きすぎるというのも考えもんじゃな」
 着物を直しながら、私は紅潮させている彼の横顔に少し気持ちが高鳴った。人の姿に化けているとはいえ、伸太郎が自分を女として意識してくれている事が嬉しかった。

 私は少し緊張した面持ちで、流し目で視線を下げる。
 傍らに置いた雨漏り用の洗面器の底に溜まった雨水が、鏡のように私の顔を映していた。

「伸太郎、おぬしから見て妾はどう見える?」
 私は彼に近寄り、上目遣いで顔を覗き込む。
「どうって? どうしたんですか、いきなり?」
「人から見た今の妾の姿はどう見えるのかと聞いとるのじゃ」
戸惑う伸太郎の表情を見つめて、迫るように再び尋ねた。

「そ、その凄くきれいだと思います」
「もっと詳しく。特徴も」
 きれい、という単語を聞いて、私は更に彼に迫り寄る。

「え、ええと、かんざしを挿して紐で結わえた長い白の髪に、その隙間から見えるきつねの耳。それと巫女のような白い着物と足袋に、赤の袴を履いています」
 多少たどたどしくはあるものの、彼は詳細に私の姿を述べてくれた。

「そうか、おぬしの眼にも妾の眼と同じ姿が映っておるのじゃな」
 伸太郎には物の怪の姿として映っていなかったことに、私はほっと安堵した。
「ゆらさん?」
 伸太郎が心配そうに私の様子を伺う。

「どうかしたんですか?」
「あ、いや、急に変な事を聞いてすまなかったな。大した事ではないんじゃ、ただ・・・」
「ただ?」
「ただ、長い間生きていると、時々自分がどんな姿かわからなくなる時がある。人、動物、現実にない空想の生き物。妾はいつでも好きな様に自由自在に妖術で自らを変化できる。でも反対に長く変化を続ければ続けるほど、妾は本当の自分の姿を見失っていってしまう。それが己の求める理想の姿だとしたら尚更の事。今では自身の姿を客観的に捉えるのも難しい。妾の本性は神々しいのか、禍々しいのか、それともただの化け物なのか」
「そんなことありません! ゆらさんは美人ですよ!」
 伸太郎が珍しくあまりに力んで否定するので、私は思わずくすくすと笑ってしまった。

「ありがとう、伸太郎。そう言ってもらえると助かる。しかし、妾に対して美人とはいささかお世辞が過ぎやせんか?」
「お世辞じゃありませんよ、ゆらさんは本当にきれいですって。今考えると、小さい頃は自分でも子供ながら大胆な行動をとっていたなと思いますよ」
 伏せ目がちに再度顔が赤くなる伸太郎に、私ははて、と思い返す。

「大胆とは、もしかして膝枕のことか? あれきしの事大した事ではなかろう。 それに、妾から見ればおぬしもまだ小さい子供じゃよ」
「う、そんなこと言わないでくださいよ」
「それなら、久しぶりに膝枕してみるか?」
「結構です!」
 顔を赤くして拗ねる伸太郎に私は再び笑い声を上げた。そして、少し寂しい気持ちで視線を戸の開いた外の方に向ける。

「・・・じゃが、おぬしがまだ子供で良かった」
「え?」
「大人になってしまったら、おぬしは戦地へ赴かねばならんのじゃろう?」
 当時では二十歳になったら男子は徴兵検査を受けることが義務付けられており、合格者は兵士として戦争に参加せねばならなかった。そして出征兵士を送り出す時は、恒例として「お祝い」と称して神社で見送りをする。

『お国のために喜んで行ってきます!』
 日清、日露、第一次世界大戦。そして、今回の戦争。
 村で育った子供達がそう言ってこの地を離れ、戦地に向かう姿をもう何回見届けたことだろう。子守の神として私が見守り続けた彼らを、この神社から死地に送り出さなければならないとは、なんとも皮肉な話だ。
 村の子供達もほとんど大人になり、残ったのは伸太郎を含めたあと十人程度しか居ない。その伸太郎もあと三年で二十歳になる。

(せめて伸太郎だけには行かないで欲しい)
 胸中の思いを口に出さずとも、すでに伸太郎は私の心情を読み取っていた。
「・・・そう、ですね」
 彼は一言だけそう言って、降り続く外の雨を見やる。
 私も彼の隣に並んで天を仰ぐように雨雲を見上げた。

 ―――あと三年。
 お互いがこうして会える残りの時間。
 その三年の月日を伸太郎と無事に過ごしたい。

「それまでに早く終わると良いのだがの」
 一人言のように私は夏の空に向かってつぶやく。
 だが、私の思いとは裏腹に戦争は徐々にその激しさを増していった。
[後編]に続く↓
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