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ゴーインにマイウェイ ?コミュの第4話 人生の流転の中で

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「健二、おまえ就職活動しなくていいのか」「いいんだよ、もう決まってるんだ、なりたいものは」「だけどな、なかなか何が自分に向いているかわからないぞ」「いいんだって、俺は会計事務所に入ることにきめたんだから」「でもな、俺も、いろいろなアルバイトやって何がむいているか考えたんだ」「いいの、俺はだれかと違って、初志貫徹だから」「ちぇっ、良く言うよ、皮肉かそhれは」「いや、違うさ、きにするなって」 
 健二が大学4年の時である。 私は、一浪して、就職浪人して、なんと就職が弟と同じになってしまった。私は埼玉県の英語教師、弟は会計事務所に内定が決まりそうな時である。以前述べたが、実は私も昔は公認会計士を目指していた。
 「まあ、おまえの人生だからな」「まっ、そういうことさ」健二の顔に少し寂しさが走った気がした。
 健二が就職してからは1年間順調であった。少しずつ仕事も覚えたようである。もともと商業y高校だからお金の扱いはなれたものである。
 ところが、人生はわからない。なんと会計事務所の所長さんが急に亡くなった。まさに青天の霹靂である。 突如無職になってしまった、弟。しかし、あまり慌てた様子は無かった。失業保険の申請を出し、職探しが始まった。ウェイター、土建屋の仕事、引っ越しの手伝い、運送会社、そして最後にたどり着いたのが新宿の牛丼「すき屋」の店長である。
「兄貴、おれさ、結構この仕事きにいってるんだよ」「でもおまえ、毎日帰りが午前様じゃないか、朝は望9時には出てるし、休みないし、体持たないぞ」「大丈夫だよ、わかいんだから」「でも、長く続ける仕事じゃないよ」「ドンマイ、ドンマイ、結構お客さん相手にする仕事向いてるかも」
 手には、いくつもの火傷の後があった。バイトが休むとそれの穴埋めが店長である。正直きつそうだったが、確かに仕事がすきで生き生きとしていた気がする。俺も普段は埼玉の久喜に住んでいたのでなかなか会える機械もすくなく、月日は経っていった。
  健二が、すき屋に就職して、2年目である。たまたま夏休みに実家に帰り、1週間くらい渋谷で過ごしていた。
  すると、午前2時くらいに、顔に青あざ作り、帰ってきた。「、健二、どうしたその顔」「へへっ、遂にやっちまった うるせえんだよ、あいつら、こっちが下でに出ているからって偉そうに」「おまえ、誰のこといってるんだ、あいつらって?」「うん、新宿のチンピラさ」「それ、やくざじゃないか」「まあね、あいつらバイトのこと軽くみやがってかってなこと言ってるんだよ」「それで、つい、いい加減にしてください、迷惑です」っていったらさ、」「で、どうした」「店の外に出したら、突然殴られた」「で・・」「安心して、殴り返したりしてないから」「あの、クソめら」「おまえ、やくざ相手にケンカすんなよ」  お袋は心配そうである。 「大丈夫だって」 強気なのは健二だけである。  「健二・・・」「わかってるって」
 翌日、店がアラされていた(続く)

コメント(2)

翌日も帰ってくるのは、夜中の2時だった。「まったく、たいへんだったよ。警察は来るし、片づけはあるし、仕込みはあるしさ・・」「えっ、明日も店行くのか」「当たり前だよ、兄貴、世の中甘くないさ」「そうか、まじで大変だな」「まっ、やり甲斐感じてるからいいよ」
 その時、お袋が悲しそうな顔をしていた。
 翌日、お袋いや、テルコに呼ばれた。「光一、あのままじゃ健二がダメになる」「・・・・」 「確かに、健二にしてはあの仕事続いてるけど、このままじゃ、体も、心も病んでしまう。なんとか、まず光一からいってもらえないかな」  もうテルコは迷っていなかった。何が何でも病めさせるつもりだ。決心の固さができている顔つきだ。「でもさ、健二この仕事きにいってるよ」「じゃ、光一は、健二があのままの仕事を続けるべきだと言うの・・・」「いや、そうは、覆わないけど・・」
 どうしても、すぐにそうだねと言えなかった。久し振りに自分の仕事に誇りをもって生き生きと語る健二の顔を見てしまったからだ。
 その、夜、思い切って健二に話した。もちろん、健二は続けるといった。しかし最後にこうつげた「それ、兄貴が考えたんじゃなくてお袋がいったんだろ。」「・・・」「やっぱりな、でも俺はやめないから」
 そのまま話しは平行線だった。やがて俺は実家での休暇を終え、埼玉にもどった。
 
一ヶ月後、俺に電話が会った。「俺だよ、兄貴」(続く) ピカリ 2010年07月25日 23:45 [兄貴、やっぱり、今の仕事やめるわ・・・」「どうしたんだ」「1つだけ俺にも逆らえないものがあるじゃん・・」「何だ」「兄貴がいつもいってるやつ?」「えっ?」「いってたじゃん、いつも」
 小さい頃から、俺が偉そうに健二に言っていたこと、それは「女を泣かせる奴は許せない」ということだった。 そう、いつもお袋は、俺が小さい頃涙をながしていた。子供心にいつもいっていた「お袋を泣かす奴はゆるさない」しかし、俺が大きくなってからは、テルコの涙は一度もみたことがなかったが・・・「お袋・・泣いたのか・・」「まあね、俺さ、さんざん中学の時お袋泣かしてるからさ・・。で俺も誓ったわけだ、兄貴と同じにお袋泣かす奴はゆるさないって。やっぱお袋強くても母親なんだな」「・・・」「まっそういうことだから、兄貴も心配しなくていいから」「俺は心配なんかしてねえよ」「はい、はい。まったく敵が二人じゃかちめないよ。じゃね」「・・・おう」
 2週間たった頃、テルコから電話があった。「健二ね、就職が決まったよ。お母ちゃんの知り合いの社長さんの紹介でね、就職が決まったんだよ。真面目そうだって」「へえ、どんな会社なの?」「無線機を扱っている会社なんだ」「会計の仕事かな?」「違う、営業だっていってた
「そうか、で生き生きと働いてんのかな?」「それがね、毎日やめたいって言ってる」「そうかあ、じゃ俺がフォロー入れとくよ。」「頼むね、光ちゃん」「こういう時は光ちゃんなんだよなあ。テルコ様は」「じゃ、宜しくね」 テルコは本当に嬉しそうだった。
 最初は文句をいっていたものの、お袋のサポートおあり次第にお客さんも増え、メキメキと成績を伸ばしていった
 店長をやめて3年目の事である。突然電話がかかってきた。「兄貴、やったぜ、アメリカだ?」「えっ何のことだ?おまえも留学するのか?」「そんな分けないだろ、俺が」「じゃ、何だよ」「へへえ、俺さ遂にこの無線の会社で売り上げナンバー1の営業になった。そのご褒美がアメリカ7日間旅行なんだ」「すげえなあ、健二。」うれしくてしかたなかったが、意地悪な俺は「まあ、アメリカは俺も言ったことあるしさ、大したことないよ。わからないことがあったら教えてやるぜ。英語話せるんだっけ」「大丈夫だよ、通訳いるから。俺はVIPだからね」
正直うらやましくやや複雑な心境だった。「じゃ、旅行の用意あるからじゃね」「おう、遊んでこい!」
 健二の働きぶりは尋常ではなかったのをテルコからきいた。お客さんから希望があれば、土日も関係なく接待ゴルフやプライベートの運転手までやっていたらしい。 これも後でしったことだが、その時の健二の年収は1500万円もあったらしい。驚きである。
 旅行から帰ってきた健二から電話があった。「兄貴、明日少しでいいから時間あるか」「ああ、少しならあるぞ、何で」「じゃ、春日部に6時頃車で行くよ」「おう、じゃ携帯に電話してくれ」「うん」
 春日部にあるファミリーテストランで会うことにした。「兄貴、これ」 健二からリボンのかけられた小箱を渡された。「おっ、プレゼントか」「どこで買ったんだ」「ロスだよ」 「ちぇ、かっこつけて」
そのとき俺は、アメリカのおみやげだから大したものじゃないと思った。しかし、その小箱を開けると、グリーンのフェルトの高級そうな箱がまた出てきた。そしてその箱を開けると、黒に金の文字盤の浮かび上がる時計がはいっていた。そしてその時計にはグッチのマークが入っていた。「ほんのお礼だよ。なんてね。俺がさ、金ないとき、親にも奥さんにも内緒で俺に小遣いくれたじゃん、うれしかったよ、さすが兄貴とおもったよ」  言葉を無くした。 あいつあんな事覚えてたんだ、いつもそんなにまとまった金は渡していなかった、多くても5千円がいいところだった。 「もう一つ、兄貴を驚かせることがある」「何だ・・もう会社やめるなんて言うなよ」「違うよ、俺・・結婚するよ」「ええ、いつそんな女性見つけたんだよ」「まあ、俺はもてるからさ」
「じゃ、俺もう帰るよ。仕事あるし」「えっ、これからまた仕事かよ」「まあね、公務員みたいに楽じゃないんだよ、企業戦士はね」「はいはい」「じゃね」「おう、体壊すなよ」
 そして健二はその年の暮れに結婚した。(第4話終了)

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