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永遠の聖魂 パドレ・ピオコミュの「魂の酸素 ピオ神父のことば」より

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「魂の酸素 ピオ神父のことば」(ドン・ボスコ社)の本は現在絶版になってしまっているようなので、トピにて内容を紹介させていただきます。

コメント(138)

 82 霊的成長のための勧め

 ―1914年11月4日 ラファエリーナ・チェラーゼへの手紙
 だれとも口論をしたり、争わないように気をつけましょう。そうしないと、愛と平和に別れを告げることになります。自分の考えにあまりに執着することは、必ず不和のもとと始まりになります。聖パウロも、このいやな悪習に対して、私たちが同じ精神、同じ判断において結束するようにと勧めています。
 また信心深い人によくあるうぬぼれという悪習にも注意しましょう。それは無意識のうちに、自分が他の人よりも上であると思わせるのです。聖パウロは、この悪習に対してもフィリピの人々に注意を促しています。この偉大な聖人は、主の霊に満たされて、これらのみじめな悪習がキリスト者の魂の中に浸透したら、どんな悪につながるかをはっきりと知っていました。彼はこう注意しました。「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、・・・・。」
 最後に、私たちは、他者の利益をさしおいて、自分の利益を優先させることがないように注意しましょう。
 83 注意散漫について

 気が散ったとき、「どうして気が散るのか」「どうしたらいいのか」などと考えて、よけいに気が散らないようにしましょう。道に迷った旅行者のように、気がついたらすぐにもとの正しい道に戻り、気が散ったことで足を止めずに、黙想を続けましょう。
 84 ピエトラルチーナでの出来事

 夜遅く、主任司祭のサルバトーレ・パンヌッロ神父とともに、若きピオ神父がピエトラルチーナ墓地から変える途中のことだった。現在カプチン会の修道院と神学院、そして聖家族に献げられた聖堂が建っている付近に近づくと、ピオ神父は考えに没頭しているような、予言的な声で言った。「サルバトーレ神父様、なんとすばらしい芳香!天使たちの歌声!聞こえますか?」サルバトーレ神父は驚いて答えた。「ピウッチオ(ピオ神父のニックネーム)、君は気でも狂ったか、夢でも見てるのかい?何の香りも、天使の歌声もしないじゃないか!」するとピオ神父は言った。「神父様!いつかここには修道院と聖堂が建ち、かぐわしい祈りと賛美の歌が、主へと立ちのぼっていくでしょう!」
 ピオ神父の聖性をよく知っていたサルバトーレ神父は答えた。「まあ、それが神のみ旨ならばね。」
 そして事実、ピオ神父の言ったとおりとなった。
 85 おいしい果実

 ―1915年3月4日 ラファエリーナ・チェラーゼへの手紙
 神だけが、魂を恵みで照らし、その魂自身が何であるかを示すことができます。そして神の御目から見て、自分がいかにみじめで小さいものであるかを自覚すればするほど、その者自身が何者であるかを啓示するのです。
 確かに、この神聖な太陽のもとで自分のみじめさに気づくことは、最初は悲しみと苦悩をもたらします。それは、このように照らされたあわれな魂にとって、痛みと恐怖の源となるでしょう。しかし、いとも甘美なる主に憩いましょう。神聖な太陽が、焼けるような光線であなたの魂の土を温めたら、新しい芽が出て、やがて見たこともない、最高においしい果実が実るのです。
 さあ、主における美しい確信をもって、この喜ばしい想像に憩いなさい。
 86 祈りについて

 祈りとは、私たちにとって最強の武器です。それは神のみ心への鍵です。口だけでなく、心でイエスに語りかけなければなりません。実に、時として心だけで主に語るべきなのです。

 人は、書物の中に神を探そうとします。そして、黙想において神を見出します。

 祈り、希望し、そして心配しないこと。心配してもむだです。神はいつくしみ深く、あなたの祈りを聞き入れてくださいます。

 よい意向と善意に伴われている祈りは、すべて善いものです。
 87 神の愛と人間の忘恩

 ―1911年9月(日付なし) ベネデット神父への手紙
 神父様、イエスの愛を思う一方、恩知らずな自分を思うと、私は主に「私があなたの愛に応えなかったら、私を愛するのをやめてください」と申し上げたいほどです。こうすれば罪悪感を軽くできます。しかしイエスが愛してくださらなかったら、私はどうなるでしょうか?もはやイエスを愛さず、イエスからも愛されないとは!これはあまりにもおそろしいことなので、私はいつも愛してくださるようイエスに祈り、また私が主にふさわしい愛をささげられなかったら、主ご自身が助けてくださるようにと祈ります。
 88 戦場

 神と悪魔が戦いをくり広げる戦場は、人間の魂です。ここが、私たちの一瞬一瞬に起きている戦いの場です。主が魂の中に自由に出入りしてくださるよう願い、あらゆる武器で完全防備にしていただきましょう。
 魂は、あやまちの闇と戦うために主の光に照らされ、イエス・キリストと、その真理と正義を身にまとい、信仰を盾とし、強敵に勝つために神の言葉を身につけなければなりません。イエス・キリストを身にまとうために、自分自身に死ななければなりません。
 89 人間の言葉で表現できないこと

 ―1912年4月18日 アゴスティーノ神父への手紙
 あの朝、天国との対話はなんと甘美だったことか!本当にすばらしくて、そのことをすべてあなたに話したいのですが、できません。神聖で深い意味をそこなわずに、人間の言葉で表現することができない出来事があったのです。イエスのみ心と私の心が・・・どうかこの表現を使わせてください・・・融合したのです。もはや二つではなく、一つの心臓が鼓動していました。私の心臓は、一滴の水が大海に消えるように、消えてしまったのです。イエスが私の天国、私の王となったのです。私の喜びはあまりに強く、深かったので、もう私はこらえきれず、うれし涙があふれて両頬をつたいました。
 90 ピオ神父との最初の出会い
 
 ―1918年4月に初めてピオ神父に会った、マリア・ガルガーニによる述懐
 香部屋の入口に来た私を見て、神父様は私を名前で呼び、私たちは隣の部屋でまるで長年知り合っている友人のように話しました(彼女は2年間、手紙による霊的指導を受けていた)。神父様の言葉は本当に温かく、私の魂について実に美しい確信を与えてくれました!彼は、いっそう主に属するようにと私を励まし、生涯において主がたたえられるように力を尽くしなさいと言ってくださいました。
 私は心から幸せを感じ、いっさいの影や苦しみが魂から消え去りました。私は彼の前ではおとなしくしていましたが、私がたくさん話したがっていると気づいてくださいました(そこで神父様は、町に15日間滞在する間、毎日午後に話しましょうと言いました)。
 ピオ神父様と話している間、私は聖霊の息吹を胸いっぱいに吸い込み、タボル山の出来事にふれることができました。使徒たちのように、自分の魂が、聖霊の神聖な高揚のうちにいつまでもとどまることを願ったのです。神父様はそのとき、神の心に耳を傾けるすべを教えてくださったのです。
 91 聖なるおそれと、よこしまなおそれ

 おそれには、神のおそれと、ユダのおそれとがあります。おそれが大きすぎると、私たちの行いが愛の欠けたものとなり、自信過剰になると、克服しなければならない危険を考慮したり慎重になることがなくなってしまいます。両方のおそれは互いに支え合い、姉妹のように寄り添うべきです。おそれを感じるときはいつも覚えておきましょう。あまりにおそれるときは、自信を持つようにし、自信過剰に陥ったら、もう少しおそれるように。
 愛は、愛の対象に使えますが、その近づき方は盲目です。しかし聖なるおそれが、愛を啓発するのです。
 92 イエスの招き

 イエスは、天使たちをとおして貧しく素朴な羊飼いたちを呼び集め、ご自分を現わされました。また、学問をとおして賢者たちを呼び集められました。彼らは皆、神の恵みに心を動かされて、主を拝みに急いだのです。
 主は、聖なる霊感によってすべての人を招き、恵みをとおしてご自身をお示しになります。いったい主は何度、愛をもって私たちを招いて下さったでしょうか?そして私たちは、どれほどすばやく招きに応えたでしょうか?
 ああ神よ、そのような質問に答えなければならないとき、私は赤面してろうばいするほかありません。
 93 自分自身は謎

 ―1916年3月17日 アゴスティーノ神父への手紙
 神父様にはお話したいことが山ほどあるのですが、うまく話せません。自分で自分のことが謎です。
 94 「ゆるしの秘跡を信じるようになった」

 ―アメリカ在住のアンドレ・マンダートの証言
 私は毎週日曜日に教会に通っていましたが、ゆるしの秘跡についてはあまり信心がありませんでした。まれにしか受けませんでしたし。ピオ神父にお会いして初めて、ゆるしの秘跡を信じるようになったのです。
 初めてピオ神父に告白しようとしたとき、彼のほうが私に、私の犯した罪を教えてくれたのです。
 95 神のいつくしみにすべてをゆだねる

 ―1917年10月18日 マリア・アンナ・カンパニーレへの手紙
 告解をするために、小さなあやまちを全部思い出せなくても心配しないでください。わが娘よ、これはしばしば気づかないうちに起ることですから、悩まないように。同じく気づかないうちに、あなたは自力で立ち直っているのです。
 義人は1日に7回、自分がつまずいたことにいつも気づくわけではありませんが、それでも7回つまずきます。同じように、7回つまずけば、彼は7回起き上がるわけです。ですからこのことについては心配せず、覚えていることを正直に謙遜に告白し、それを神のいつくしみにゆだねましょう。神は、あやまってつまずいた者が転んでけがをしないように、手を差しのべてくださるのです。しかも転んだことに気づかないくらい、すばやく助けてくださいます。同じように、人はよみがえったとき、考えるひまもなく、すぐによみがえらされるので、そのことに気づかないでしょう。
 96 過去の悪行にとらわれない

 考えているときや告解をするとき、私たちは過去にもう告白した罪にとらわれてはなりません。私たちが痛悔したので、イエスは償いという法廷で許して下さいました。法廷で、債務者を前にした債権者のように、主は私たちと私たちのみじめさに対面されました。そして限りなく寛大な態度で、私たちが罪をもって署名した明細書をすべて破棄してくださったのです。神の慈悲によらなければ、私たちはとても払いきることができなかったでしょう。こうした過去の罪に戻り、本当に十分許されたかどうか疑って、もう一度許してもらおうと告白することは、罪により負った借金の明細書をすべて破棄してくださった主の善意を、信じていないということにならないでしょうか?
 もしあなたの魂にとってなぐさめとなっているなら、過去の罪に思いをはせなさい。ぜひとも、神の限りない正義・知恵・憐れみを思いましょう。ただし、痛悔と愛の償いの涙を流すためだけに。
 97 誘惑について

 ―1914年ラファエリーナ・チェラーゼへの手紙
 確かに誘惑は、魂を清めるというよりも、魂にしみを残すように思えますが、実際にはそうではありません。これについて、諸聖人はどう言っているでしょうか。あなたには、偉大な聖フランシスコ・サレジオの次の言葉がぴったりでしょう。「誘惑とは、洗濯物にこすりつけた石鹸のようだ。汚れが広がってしまうように見えるが、実はきれいにしている。」

 ―1917年3月2日 アッスンタ・ディ・トマソへの手紙
 誘惑を感じた時は、神に頼りなさい。神に希望をおき、神から善いもののすべてを期待しましょう。敵があなたに示すことに、自らとどまらないように。逃げるが勝ちであることを覚えておきなさい。そして特定の人に嫌悪を感じたら、何も考えずに神に頼りましょう。主の前にひざまずき、心からの深い謙遜をもって、こう短く祈りなさい。「みじめで弱いこの私を、あわれんでください」。そして立ち上がり、聖なる無関心をもって自分のしていたことに戻りましょう。
 98 聖なるおそれ

 ―1915年1月30日と23日 ラファエリーナ・チェラーゼへの手紙
 あなたは、高慢に陥るのがこわいと言います。私自身は、どうして自分の才能にうぬぼれることができるのか、理解しかねます。人は、自分がとても恵まれていると実感すればするほど、主のみ前により深くへりくだるものではないでしょうか。主の恵みは増えるものであり、すべての善いものの与え主に十分お返しをすることは無理だからです。あなたは、いったい何について誇ることがあるのですか?あなたがもっているもので、授からなかったものがあるでしょうか?すべてが授かったものならば、どうして自分のもののように高ぶるのですか?
 もし高慢でふくれあがりそうなときは、自分自身にこう言い聞かせましょう。「私がもっている善いものは、すべて神からお借りしたもの。自分のものでもないのに誇るなら、私はよほどの愚か者だ。」

 この高慢になることへのおそれについては、何も心配しないで下さい。それは聖なるおそれです。高慢とうぬぼれに陥るのをおそれている限り、あなたは罪を犯すことはないでしょう。この聖なるおそれを、常に保つように心がけなさい。
 99 裏切らずにイエスに接吻する

 ―1915年9月7日 ラファエリーナ・チェラーゼへの手紙
 預言者イザヤは言いました。「ひとりのみどりごが私たちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。」
 ラファエリーナよ、このみどりごこそが愛する長兄、私たちの魂の愛する浄配。誠実な信徒を象徴する雅歌のおとめが、そばにいることを願い、その神聖な接吻にあこがれたお方なのです。「あなたが、私の母の乳房を吸った本当の兄だと思う人なら、わたしをとがめたりはしないでしょう。外であなたにお会いして、くちづけをするわたしを見ても。どうかあの方が、そのくちびるをもって、わたしにくちづけしてくださるように」。このみどりごはイエスであり、私たちは裏切ることなく接吻することができます。イエスは私たちからのくちづけと抱擁を待ち望み、私たちがそれをささげれば、主は必ず報いてくださいます。聖ベルナルドは、真の愛をもってイエスに仕えることで、また神聖な教義を実践することで、私たちは皆これを行うことができると言っています。
 100 人生の嵐における、霊的な平安

 ―1914年10月10日 ラファエリーナ・チェラーゼへの手紙
 霊的な平安は、人生における数々の嵐のさなかにも保つことができることを、覚えておきましょう。あなたもよくご存じのとおり、その本質は、周囲の人々との穏やかな関係、いつも彼らを思いやることにあります。また、聖なる恵みによって、神とよい関係であることにもあるのです。私たちが神と一致しているという証拠は、良心にかけて自分には大罪がないという確信です。以上をまとめると、平安とは、この世と悪魔、そして自分自身の欲望に打ち勝つことなのです。
 イエスがもたらされるこの平安は、あふれるほどの霊的ななぐさめを受けているときも、心が痛みと悲しみに打ちひしがれているときも、私たちの中にしっかりと、とどまってくれます。
 101 善意だけで十分

 ―1917年日付なし 信徒アッスンタ・ディ・トマソへの手紙
 主があなたを試練のさなかに置かれても、少なくとも魂の上部では、喜びと勇気をもって生きなさい。もう一度くり返します、喜びと勇気をもって生きなさい。なぜなら、幼い救い主の誕生を告げた天使は、善意の人々に、喜びと平和と幸せのたよりを告げると言ったからです。こうして、この御子を受け入れるためには、善意であることで十分であると、だれもが知るようになったのです。
 102 諸聖人にならう

 ―1916年9月4日 マリア・ガルガーニへの手紙
 あなたにたえずおそいかかる無数の誘惑に、おそれをなしてはいけません。聖霊は、主の道において前進しようと務める信仰深い者に、誘惑に備えるよう注意してくれるからです。
 誘惑があるということは、魂が健全である絶対に確実な証拠です。諸聖人も、同じく試練を免れえなかったことを思い、これを励みとしましょう。
 人々の使徒聖パウロは、天国に連れられた後、悪魔に打たれるほどのおそろしい試練を受けました。ああ神よ!その箇所を読んで、血が凍る思いをしない者がいるでしょうか?この聖なる使徒は、その最も痛ましい試練を遠ざけてもらうために、どれほどの涙、ため息、うめき、祈りを主にささげたことでしょう!しかしイエスのお答えはどうでしょうか。ただこれだけです。「わたしの恵みはあなたに十分である」。人は、弱さの中でこそ完全になるのです。
 ですから、勇気を出しましょう。イエスは、聖パウロに聞かせた声を、あなたにも聞かせてくださるでしょう。勇敢に闘えば、忍耐強い魂に約束された報いを受けられます。
 103 第一次世界大戦中の出来事

 第一次世界大戦中のこと、一人の老人が、祈りに没頭していたピオ神父の修室に入ってきた。彼は、ピエトロ・ディ・マウロといい、修道院の建物がかつて老人ホームだったころの1908年9月8日に死んだと話した。彼は4号室で葉巻を吸いながらうたたねをして、そのまま息絶え、葉巻の火がベッドに燃え移ったという。そして、ピオ神父を訪ねることを神が許してくれたので、彼の祈りと、特にミサをささげてくれるよう頼みに来たのだと言った。その当時まだ若かったピオ神父は、この出来事に困惑してカサカレンダのパオリノ神父に相談したが、彼も懐疑的だった。
 パオリノ神父が修道院地下の書庫に入り、死亡記録を調べると、確かにディ・マウロという人物が、彼の言ったとおりの日に、言ったとおりの死に方をしたことがわかった。ピオ神父が再び老人を見たのは、老人が霊的な成長と浄化を終えて、天国へ向かう途中でのことだった。
 104 同時に二つの場所に

 ―バイロケーションについての、アルベルト神父の証言
 1928年5月のある日、私は、ピオ神父が窓の外をじっと眺めているのに気づきました。彼は何かに没頭しているようでした。私は彼に近づいて、彼の手に接吻しましたが、手は硬直している感じがしました。そのとき、彼はたいへんはっきりとした口調で、罪のゆるしの祈りを唱えていました。
 私は急いで長上のトマソ神父を呼びに行きました。そして二人でピオ神父に近づくと、彼は唱え終わるところでした。唱え終えたとたん、ピオ神父は居眠りから覚めたようにびくっと体をふるわせ、私たちのほうを向いて言いました。「ああ。ここにいらしたのですか。気づきませんでした。」
 数日後、北イタリアの街から電報がとどきました。電報には修道院長あてに、臨終を迎えようとしている男のために、ピオ神父を遣わしていただき感謝しますとありました。その電報から、ピオ神父がゆるしの言葉を唱えているまさにその時に、その男が臨終を迎えたのだとわかりました。
 105 回心

 共産主義を信奉するタクシーの運転手のジョバンニは、毎晩のように酒に酔っては妻に暴力をふるっていた。ある夜、またいつものようにふるまった後、彼はベッドに身を投げ出した。するとだれかが激しくベッドを揺さぶったのである。ベッドの足もとを見ると、驚いたことに一人のカプチン会士が立っており、冷たい目でジョバンニをにらんでいた。そしてジョバンニのふるまいに歯に衣着せぬ言い方で注意すると、姿を消した。
 ジョバンニはベッドから飛び起き、見回ったが家の中には妻しかいなかった。妻は修道士の知り合いなど一人もいないと否定したが、ジョバンニは信じなかった。
 このあわれな妻は、ついにはピオ神父のとりなしを祈っていて、ピオ神父のバイロケーションについても聞いたことがあった。ほかでもない、ピオ神父が彼女を助けに来てくれたにちがいない!これを聞いてジョバンニは怒り、この修道士を見てやろうと心に決めた。
 こうしてジョバンニはサン・ジョバンニ・ロトンドを訪れた。彼はピオ神父を見つけると、声をかけた。結論を言うと、この酒乱で粗暴な共産主義者は、キリストにおいて回心をとげたのだった。
 106 ピオ神父の荒々しさについて

 ―ピオ神父の晩年について、アレッシオ神父の証言
 ある日、私はピオ神父と共に香部屋のそばにいました。そこはとても混雑していて、(ピオ神父の乗っている)車いすを通すことができません。私ともうひとりのカプチン会士は、人ごみの中を通り抜けようと必死でした。大声で頼んでも、人々は道をあけてくれません。ピオ神父も、「通してくれ!」と大声で叫んでいました。やっとのことで人ごみを通り過ぎると、ピオ神父は言いました。「心配しないで。私は魂においては怒ってはいませんでした。大声を出していたけれども、心では笑っていたよ。」
 ピオ神父からどなられて初めて、彼を尊敬するようになった人がかなりいました。ピオ神父は私に言いました。「私は内的に怒るということは絶対にないでしょう。もしそういうことがあれば、それは別の理由からでしょう。」
 同じことが、彼の許しの秘跡での荒々しい態度についても言えるでしょう。彼はただ、人々によい生き方をしてほしかっただけなのです。彼の厳しい言葉やどなり声は、人々を変えるためのものでした。人々はよく、自分は40年、50年、あるいは60年も神から離れていたと話してくれます。ピオ神父が声を上げたとき、彼らはその衝撃のおかげで神に立ち帰ったのです。
 107 すべては借り入れたもの

 ―1915年5月15日 ラファエリーナ・チェラーゼへの手紙
 私たちの母でもある、神の母の深い謙遜について考えましょう。聖母は、天からの恵みに満ちれば満ちるほど、ますますご自分を低くされ、彼女を神の御子の母とした聖霊がくだったときに、「わたしは主のはしためです」と言うことができました。
 あなたの中の恵みが増していくとき、同時に謙遜も育てるようにしましょう。あなたに与えられたものはすべて、借りたものなのですから。恵みが増えるたびに、そのすばらしい与え主をつつしんで認めましょう。その際、たえまない感謝のうちに心が張り裂けそうになるでしょう。
 108 神との永遠の一致

 ―1915年9月25日 アゴスティーノ神父への手紙
 主は私の寿命を延ばされました。これが神のみ旨なのでしょう。しかしどんなに努力をしても、私はまれにしか、真の忍従を祈ることができません。なぜなら、死によってのみ真のいのちを得ることができると、はっきりとわかっているからです。そしていつもそのことが心から離れないのです。
 ですからしばしば無意識にも、優しいイエスに対していらだち、不平の言葉を述べてしまいます。神父様、どうか怒らないでください・・・ついには「主は酷なお方だ、主を愛したいと望む者たちを苦しめている」と言ってしまうこともあります。しかも、これだけではありません。自分の中に命がますます重くのしかかってくるとき、また魂の底で尽きることのない激しい炎のようなものを感じるとき、私はどうしても、神のみ旨に従ってこの世に生きるために、ただの一語も唱えることができないのです。
 ああ、神よ、わが心の王、わが幸せの唯一の源よ、私はいったいあとどのくらい待てば、主のえもいわれぬ美しさをあますところなく味わえるのでしょうか?
 109 クリスマスの喜び

 ―1917年12月28日 アゴスティーノ神父への手紙
 神の御子が小さな貧しいかいばおけに寝かされたとき、主が私に感じさせてくださった清らかな感情を、あなたにも感じさせてくださるように。ああ、神よ!親愛なる神父様、私はその幸いな夜に感じたことをすべて説明することができません。私の心は、人となられた神への清らかな愛にあふれそうでした。そのときも魂の闇はつづいていたのですが、しかしそんな暗闇のさなかにも、霊的な喜びが有り余るほどに与えられたのです。
 110 神の視点

 ―1914年9月9日 ラファエリーナ・チェラーゼへの手紙
 あなたは愛するお姉さんの健康回復のためにフォッジャを去ったものの、自分の考えや浅はかな判断の結果、回復が見られなかったことを嘆いています。キリスト者は、神の被造物にたいするみ旨を、ちがった目で見るものです。あなたは、お姉さんの魂、そして自分自身の魂に起きた変化を、取るにたらないものとお考えですか?このことを真摯に考えてみれば、物事の順序が逆になったことに気づくでしょう。あなたは、お姉さんが健康を回復するようにと故郷の町を離れましたが、いつくしみ深い神は(神はどれほど善にあふれていることか)、あなたが魂の健康を真っ先に見いだすようにと望まれたのです。しかしあなたは、そのことをあまり考えていませんでした。
 親愛なる姉妹よ、私たちの神の判断は尊いものです。あなたはお姉さんの魂と、自分自身の魂に現われた変化を十分に理解していないようですが、それは仕方ありません。
 このことについての私の言葉を、あなたはまったく理解できず、信じられないようですが、主は私の言わんとしていることをご存じです。
 111 バスでの奇跡

 ―エンニオ・ロッシによる、1947年夏の出来事の回想 
 妻を喜ばせるために、私たちは夫婦でサン・ジョバンニ・ロトンドのピオ神父に会いに行きました。しかしピオ神父は病気で、会うことはできないと言われました。帰りのバスに乗ると、私たちは、品のある男性とその息子と知り合い、いろいろと話しました。
 男性は、息子の耳がまったく聞こえなくなったこと、最高の名医に連れて行ったが回復は無理だと言われたことを話してくれました。そこでピオ神父の力あるとりなしを頼むために訪れると、ピオ神父の修室に通され、ピオ神父が息子を祝福しながら「安心して行きなさい、君のために祈ろう」と約束してくれたそうです。
 男の子は、ずっと窓の外ののどかな風景を眺めていました。けれども突然、父親の方を振り向いて大きな声で言ったのです。「どうしてそんな大声を出しているの?」その子は、私たちが静かに話しているのを見て驚き、とたんに自分の耳が治ったことに気づいて、うれしそうに叫びました。「お父ちゃん、ぼく聞こえるよ!聞こえるようになったよ!」
 112 「疑うのですか?」

 ―プラシード神父(ピオ神父の修練期時代の仲間)の証言
 プラシード神父は、1957年7月に急性の肝臓病で入院した。ある晩、バイロケーションでピオ神父が旧友の枕元を訪れて、彼をなぐさめ、きっと治るからと彼を励ました。そして「忍耐強くがんばりなさい」と助言した。夢だったのか?プラシード神父は目を覚まし、だいぶ具合がいいことに気づいた。そしてベッドの脇の窓に、一つの手形がついているのにはっとした。これはピオ神父の手形にちがいないと、彼は確信した。そして人が病室を訪れるたびにピオ神父と手形のことを話し、やがて多くの人が手形を見に来るようになった。病院付の司祭がこのことを修道院長に報告すると、院長はプラシード神父をきつくしかりつけた。こんな話をでっちあげても、ピオ神父に迷惑なだけで、と。しかしプラシード神父は信念を曲げなかった。興味深いことに、窓をどんなにふいてもむだだった。手形は何度でも現れるのだ。同じ修道院のアルベルト神父も見舞いにきたが、彼の話を信じなかった。プラシード神父は、サン・ジョバンニ・ロトンドへ行って直接ピオ神父に聞いたらいいと言い、実際アルベルト神父はそうした。そして長い時間ピオ神父に質問をあびせ、最後にこう言った。「それでは、本当にそこに行かれたのですね?」ピオ神父は答えた。「疑うのですか?」
 プラシード神父はまもなく退院した。そしてアルベルト神父は、“不可能なこと”を信じる人は、例外なく変人だというわけではないのだと反省させられた。
 113 第二次世界大戦中の証言

 ナチス・ドイツの侵略兵を駆逐するため連合軍の爆撃が始まり、私たちは1943年の8月末から10月の初めまで、サン・ジョバンニ・ロトンドに疎開していました。ピオ神父は告解室での使徒職をつづけ、時間を見つけては、応接室で多くの人を励ましていました。
 ある日の午後、ピオ神父はとても感動した様子で、まさにその朝にペスカーラから何人かの人が命がけでやってきたと皆に話してくれました(その町は、空・陸・海から何度も爆撃を受けていた)。
 彼らは爆撃のさなかに、5階建ての建物の1階部分に逃げ込んだそうです。たえまない爆発音におびえながら、彼らは涙を流して祈り、ピオ神父の写真を手に、「ピオ神父様、私たちを助けてください!」とくり返していました。
 そのとき、おそろしい危機がせまってきました。爆弾が5階の天井を突き破り、さらに4階、3階、2階の床を突き破って1階まで落ちてきたのです。彼らが逃げ込んだ1階まで、爆弾がどんどん突き進んでくるのを見て、どれほどの恐怖にかられたことでしょう!彼らは必死になって、ピオ神父の助けを叫び求めました。「ピオ神父様、助けてください!」
 神は、聖なるカプチン会士のとりなしを願う彼らの祈りを、素晴らしい方法で聞き入れてくださいました。爆弾は、不発に終わったのです。
 こうして、聖なるカプチン会士の犠牲に満ちた生き方が、多くの命を救う祈りとなり、彼らは助かった人々の代表として、ピオ神父に感謝のお礼を述べに訪れたのでした。
 114 アグネス・スタンプの奇跡

 20歳になるまで、アグネス・スタンプは健康そのもので、頭痛を起こしたこともないほど丈夫だった。しかし1年ほど左ひざに痛みを感じ、レントゲン検査を受けると腫瘍が見つかった。1967年のクリスマスに、彼女の父親と兄はピオ神父を訪れた。ピオ神父は手術を受けさせることを勧め、「私が外科医の手を導こう」と約束した。1968年1月2日に手術が行われ、術後の経過も順調だったが、ピオ神父の死後1カ月がたった10月に、再びガンが広がった。10月14日に再手術が行われ、その際に組織の一部分が3つの研究所に送られたが、その結果「骨髄性腫瘍の肉腫が肥大している」と診断された。専門医の一人は足を切断することを勧め、別の専門医は、切断ではなく足をもっと硬直させるためにさらに手術を受けることを勧め、またもう一人の専門医は、ただちに別の手術を施そうと申し出た。
 その年の12月20日に、アグネスはピオ神父の墓地を訪ねた。医師らがそれぞれに進めた手術はいっさい断り、アグネスはただピオ神父の聖遺物(ピオ神父が脇腹の傷を覆っていた、血まみれの包帯)を患部にあてて、神の助けを待った。1969年4月25日、彼女は美しい夢を見て、そこにピオ神父が現れた。そして目覚めて起き上がると、松葉杖なしで歩きだしたのだった。検査の結果、腫瘍の進行は止まっていた。歩けなくなって2年が過ぎた1969年9月、アグネスは完全に癒された足でピオ神父の墓地まで歩いていき、感謝のうちにひざまずいたのだった。
 115 癒しの手

 ―アメリカ・ルイジアナ州のパトリシア・ガリアーノの証言
 1977年12月8日のことです。イタリアのアレッシオ神父様が、ニュー・オリンズ市でピオ神父について講演されました。私は10カ月ほど前から、リューマチ性関節炎でひどく苦しんでいました。両手が腫れあがってスプーンを持つことさえできず、ひざと足全体におそろしいほどの痛みがありました。私の苦しみのためにとりなし、十字架を背負うのを手伝ってくださると信じて、私はピオ神父に祈っていました。
 私はピオ神父の聖遺物が展示している台に近づき、長い間自分がピオ神父の助けを求めて祈ってきたことを、アレッシオ神父様に伝えました。神父様が「子よ、何を苦しんでいるのですか?」と私にたずねたので、「私は両手、両足、両ひざにリューマチ性関節炎をわずらっているのです」と答えました。すると神父様は、ピオ神父の聖遺物を私に手渡してくださったのです。どのくらいの間、その聖遺物にふれることができたかは覚えていませんが、とにかく幸せな気持ちで帰宅したのは確かです。翌朝目覚めると、両手の腫れがひいて、ひざと足の痛みもなくなっていました。私は奇跡的に完治したのです。その1977年12月9日の朝以来、私の体にはいっさいの腫れも痛みも起きていません。神と、ピオ神父のとりなしに感謝でいっぱいです。
 116 天の光

 ―1914年10月23日 ラファエリーナ・チェラーゼへの手紙
 霊的な生活を熱望する人が求めることのできるもっともすばらしい恵みとは、さらなる天の光です。この光は、長期間勉学を積んでも、人間の教えからも得ることはできず、神から直接注がれます。まっすぐな魂がこの光を得ると、黙想において非常にはっきりと、また味わいをもって、神と永遠の事柄について知り、愛することができるのです。それは信仰の光に過ぎませんが、真っ先に地上が視野から消え去り、そしてこの世の与えるものがいっさい無価値に思えるほどの、霊的ななぐさめをもたらしてくれるのです。
 117 比べものにならないほどの栄光

 ―1914年8月15日 ラファエリーナ・チェラーゼへの手紙
親愛なる姉妹よ、心を悩ます不安をなだめ、苦悩に満ちた想像や感情をとり払いなさい。たとえあなたが主の臨在を感じないときも、イエスはいつもあなたのそばにおられます。特に霊的な闘いにおいては、主はこれ以上ありえないほど近くにいてくださいます。とにかくいつも、共にいてくださるのです。
 どうかお願いです。主が一瞬でも自分を見放したのではと、少しでも疑って主を傷つけないでください。これは最も悪魔的な誘惑ですから、気づいたら即刻、追い払わなければなりません。
 愛する姉妹よ、この現世での屈辱や不幸が多ければ多いほど、天における喜びはますます深く、心にしみいるものとなるのです。これを知れば、心のなぐさめになるでしょう。これは私個人の意見ではなく、聖書にはっきりと記されています。「あなたがわたしを苦しめられた日々と、苦難に遭わされた年月を思って、わたしたちに喜びを返して下さい(詩編90・15)」。聖パウロもこう言っています。「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。(?コリント4・17)」
 118 天の御父の誇り

 ―1915年3月30日 ラファエリーナ・チェラーゼへの手紙
 天の御父が、選ばれた多くの人々を誇りに思っているように、あなたも御父の誇りとなるような生き方をしなさい。一瞬の休みもなく、使徒聖パウロと共に次のように唱えながら生きましょう。「わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。」繰り返して言います。この世に、はからずも「これこそキリストだ」とあなたのことを呼ばしめるような生き方をしなさい。ああ、お願いですからこれを誇張などとは思わないでください!善きナザレ人に真剣に倣い従うキリスト者は、自分自身を第二のキリストと呼ぶことができ、また呼ばなければならないのです。そして生涯において、キリストをはっきりと映し出さなければならないのです。ああ、もしすべてのキリスト者がこの招命を生きることができるなら、このさすらいの世はたちまち楽園へと変わるでしょう!
 119 ピオ神父の約束

 1968年9月23日に死を迎える前、ピオ神父は言いました。「私はこの地上にいるときよりも、天国に行った時に、あなたがたのために仕えることができるでしょう。」
 それ以来、この聖なるカプチン会士は、神の癒しの使いとして多くの人に現れました。その中には子どもも、不治の病をわずらっていた人もいました。この証人の一人に、ピオ神父の長年の友人だったアンドレア・カルドーネ医師がいます。彼は、死んだはずのピオ神父を「生前の姿を持って」見たと主張しています。数多くの治癒を専門家らが調査した結果、3人の子をもつイタリア人女性の例が特にとりあげられました。これはいかなる説明もつかない、自然に起きた治癒であり、奇跡の正式な確証としてカトリック教会によって受理されたのです。カトリック教会では、勇敢に徳を実践した者を列福・列聖する際に、「神のみ声」として奇跡が必要とされているのです。
 120 甘美な遺産

 ピオ神父は言いました。「私はもっぱら、すべての人のものです。だれもが《ピオ神父はわたしのもの》ということができます。私はすべての人類を深く愛しています。私は自分の魂、いやそれ以上に、霊的子どもたちのことは忘れることはできないでしょう。もし主が私を呼ばれたら、私はこう答えることを約束します。《主よ、私の霊的子どもたちが全員天国に入るまで、私は天の門のところで待ちます》。」


 ピオ神父は1968年に亡くなった時、「苦しみを癒す家」と呼ばれる大病院のほかに、68,000人もの会員を抱える726の祈りの会を遺しました。今日、この大病院は満室で、障害を持つ子供たちのために22の福者ピオ・センターができ、盲人のためのセンターも一つできました。ピオ神父の祈りの会も、数が2、3倍に増えました。1997年までに、650万人もの人々がピオ神父の墓参りに来ています。そして2002年6月16日には列聖。サン・ジョバンニ・ロトンドのカプチン会士たちは現在でも、新しい祈りの会や霊的子どもたちを、ピオ神父の名において受け入れています。

 ピオ神父の新たな祈りの会を始めるときは、下記に連絡してください。
 Prayer Group Centers / 71013 San Giovanni Rotondo (FG), Italy
以上をもちまして、「魂の酸素 ピオ神父の言葉」の全文掲載を完了致しました。

主に栄光がありますように!

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