ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

新しい農業コミュの食文化と命

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
私を含め「お肉大好き!」という人は多いと思います。
牛肉、豚肉、鶏肉、ラム・・・・普段何気なく食べている肉料理。
これは家畜という生き物の惨殺死体の1部です。
ちょっと前まで牧場を元気に駆け回っていた動物を屠殺して解体して冷凍保存したものが食材として流通するのです。

文明人(?)はライオンのような捕食行動や生食は避けますが、肉食は否定しません。
そのため、肉食の対象となる家畜という動物を飼育します。
肉の生産である家畜の飼育は「畜産業」と呼ばれ、農業の重要な一翼を担っています。

家畜という生き物が食卓に出される前には、屠殺という殺戮過程を経なければなりません。
「お肉大好き!」という人々の食欲を満すためには、家畜という生き物を惨殺して死体を解体して冷凍保存するという作業を誰かが担当しなければなりません。
肉食文化は動物の殺戮の上に成り立っているのです。


肉食文化とは関係ありませんが、「生き物の惨殺」事件が茨城県水戸市で発生しました。泣き顔
千波湖湖畔で生息している白鳥と黒鳥計21羽が、相次いで何者かに惨殺されたのです。

本来は警戒心の強い白鳥や黒鳥が人間に心を許し、人間を信用して湖畔の散歩道の近くで営巣するようになりました。
しかし、子育てしていたその白鳥や黒鳥を殺戮したのは野良犬じゃなくて人間でした。

ゴールデンウイーク中、水戸を代表する行楽地で起きた惨事に、市民は大きなショックを受けているそうです。
肉食大好きの私でも、人間を信頼して湖畔で営巣していた白鳥や黒鳥対する裏切り行為には憤りを感じます。

《事件の報道》
28日午前5時半ごろ、水戸市千波町の千波(せんば)湖で、白鳥と黒鳥計7羽が首の骨を折られるなどして死んでいるのを、散歩中の女性が見つけた。
水戸署は何者かが棒のようなもので殴った可能性が高いとみて、動物愛護法違反の疑いで調べている。
発表によると、鳥はいずれも成鳥で、頭から血を流して死んでいるものもあった。白鳥と黒鳥の死体は北側の湖岸約1.5kmにわたって点在し、水面に浮かんでいる鳥もあった。
千波湖は同市の中心部に位置し、周辺には梅の名所、偕楽園などがある。千波湖にはこの時期、80羽前後の白鳥や黒鳥が生息している。(2008年4月28日13時06分 読売新聞)

コメント(14)

5月3日、上記事件で市内の中学3年男子生徒(15)と同2年男子生徒(13)が茨城県警水戸署の調べに対し、
ハクチョウなどを殴ったと認めたそうです。
鳥獣保護法違反などの疑いで事情を聴いたところ、2人は鳥を殴ったことを認め、
「ゲーム感覚でやった」、「楽しいのでやった。現場近くにあった棒を拾って鳥を殴った」などと供述しているとのことです。

世相や、教育問題が背景にあるのかも知れませんが、嫌な事件です。
なんというか……

他の国でも、食べ物に感謝する文化はあると思うのですが、
日本には、世界に発信しても充分に通用するであろう、
「いただきます」がありますよね。
大体は、ご飯を作ってくれたお母さんに感謝、で止まると思うのですが、
私は次のように考えてます。
ミネラルさんのおっしゃるように、肉を食べるということは、
食肉になる過程で、動物が殺されてるわけです。
要は、一つの命を奪って幾つかの命を存えさせているんです。
私達人間も、肉、野菜、穀物などの生きてきた命を貰って今を生きています。
うちも百姓で、野菜なんかを栽培してます。
生活を営む上で、蜜柑、米、野菜を出荷し、お金を貰います。
ということは、それら野菜の命も自分たちの命を繋いでいく為に奪われていってることになります。
出荷する為には、野菜などに付く虫も駆除し、
場合に依っては、アライグマや猪など、有害鳥獣とされる物も捕殺することもあります。
私としては、最近はそれが「いただきます」なんだと考えるようになりました。

考え過ぎかもしれませんが、
せめて自分達が何の命の上に生きているのかを考えたら、
こういう事件は減ると思いますが、どうでしょうか?
家畜が殺される際に脳から血液中に分泌される恐怖の想念の様なモノが
その肉全体に広がります
そのマイナスの想念に満ちた肉を人間が食べるとその人間の精神は間違いなく低下します

植物は動物などに食べられたがっているそうです
牛肉一匹食べられるようになるまでにかかる飼料で10人もの人々を養う事ができます
肉食を止めると飢餓が減ります

昔の日本人は長い間肉食をしていませんでした
人間の腸は草食用と言っても過言ではありません
肉食は百害あって一利無しです

牛乳を飲むと骨からカルシウムが血液中に溶け出すという信じられない話を聞いた事がありますでしょうか?
肉の多食が結果的に飢餓を招いていることはまったくおっしゃるとおりだと思いますが、
百害あって一利なしは、ちょっと言いすぎかと思います。
地球の自然条件は様々です。
遊牧は出来ても農業には向かない草原地帯、狩猟しかやりようのない極地では、
乳製品や肉食こそが理にかなった食生活で、
その地に住まう人の胃腸も、長い年月の間にそういう食生活に向いた傾向を持っているはずです。
日本人のそれが野菜や穀物中心の食生活に向いているように。
人間は雑食性なのです。

私も肉は大好きです。
「肉の多食が飢餓を招く」という社会的事情と、私の経済的事情から、
最近は控えていて、ぜいたく品としてたまに食べる程度ですが、
そういう「たまのぜいたく」のあとは、ちょっと幸せな気分になります。

話は変わりますが、私は鹿肉を食べる文化を日本に根付かせない限り、
日本の農業は崩壊するような気がしています。
「風が吹けば桶屋が…」見たいに聞こえるかもしれませんが、
ここ数年の鹿の食害は当地ではそれだけ深刻なのです。
かつて鹿には、ニホンオオカミと狩人としての人間という、立派な天敵がいました。
(日本にも、細々とあるいはこっそりと肉を食べる文化がありました)
現在、オオカミは人間の手によって絶滅に追い込まれ、
鹿肉は「美味しくない」という理由もあって猟師によって撃たれることも少なくなりました。
老衰か病気によってしか死ななくなった鹿は、どんどんと数を増やし、
うちの近所の畑は鹿の運動場のようです。

山林が荒れていることも鹿が畑に出てくる原因のひとつではありますが、
いまさら山林を再生させたところで、一度畑の野菜を食べるという行動様式を獲得した鹿は、
そう簡単に山林に閉じこもってはくれません。
むしろ、豊かになった山林でさらに個体数を増やし、
いっそう畑に出てくる可能性のほうが高いでしょう。
(猪や猿など、他の野生動物についても同じようなことが言えると思います)

今後の世界の食糧事情を考えれば、
大量生産大量消費型の畜産には、何らかの制限が加えられるようになるべきだと私は思います。
その代わりに、狩猟によって得られる限られた貴重な肉を「いただく」ことで、
「他の命を食べて生きていく」という、避けようのない事実を見つめなおすことに繋がるのではないかと思うのです。

余談ですが、狩猟の方法によって、肉の味が変わるという話もありますね。
大勢の猟師や猟犬で追っかけまわした挙句に撃つと、
アドレナリンだか何かの分泌によって、肉の臭みが増す。
一方、木の上などで待ち伏せして、相手に恐怖を与えないまま撃つと、臭みもなく美味しいのだとか。
単純計算ですが豚が生まれてから出荷されるまでに食べるエサの量は360kgで、屠殺して内臓や骨などを抜くと約50キロぐらいの肉が取れます。たっぷり太らせてたったこれだけしか取れないので無駄といえば無駄だけど
家畜の飼料を人間に回せば食料危機は回避できるというほど世の中簡単な仕組みではないけどね(笑)

食肉処理場で豚が屠殺される場合、電気ショックで仮死状態にしてから処理されていくので恐怖を味わう暇も無いので「恐怖の想念」で肉質が変わるかどうかは微妙ですね。そもそも動物の感情がわかると思うこと自体人間のエゴですが。

うちもエサ代の値上げで厳しい状況だけど今後も続くであろう世界的飼料高騰の中ではだまっていても畜産業は衰退していくでしょう。

私も鹿肉の食文化を考えていました。

麦星農園さんは狩猟派ですか?
私はドンドン捕獲して家畜化することを考えていました。

牛ができたのですから、鹿だってできそうな気がするのですが・・・・
無謀でしょうかね。
小さいころから猫や犬といったペットを飼うなど、流行るゲーム機でバーチャルな世界楽しむだけでなく、リアルに動物と触れ合う機会が多ければ、このような事件は減ると思います。
私は、実家で買っているペットを家族のように考えていますが、家族同様、ペットが死ぬときは非常に悲しいことです。しかし、命の大切さを知る意味では、動物と触れ合う行為は、必要だと思います。
「いただきます」という言葉も、非農業者たちの代わりに動物を惨殺し、汗を流して大事に野菜を育てている農業者に対して、感謝しながら言いたいものです。
C・W・ニコルさん(作家)の鹿肉ハンバーガーが森を救う!?
を紹介します。
http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/0712/essay.html
ちなみに我が家では、庭の除草にヤギが活躍しています。
C・W・ニコルさんは、
「日本人はよく「鹿の肉は臭い」なんて言うけど、きちんと料理すれば、こんなにおいしいものはありませんよ。」
と書いてみえますが、
どなたか、ヤギの美味しい食べ方をご存知でしたら教えてください。
>ミネラルさん
狩猟派というわけではないんですが、
鹿を大量捕獲するのはかなり難しそうなので…
少しずつ捕らえて増やしていくというのはどうなんでしょう?


さて、最初の話しに戻りますが、
食糧は大雑把に、穀物、野菜、果実、畜産物、魚介類、嗜好品などと分けられています。

人類の食料は生物の命を頂く訳ですから、不本意ながら、どこかで「生物の命を奪う」という過程が存在します。
肉食では逃げ回ったり、苦しがったり、断末魔の叫びを発する動物の命を奪うという生々しい殺戮を伴います。
元気に動き回っている動物、赤い血の流れている動物、暖かい動物の命を奪うのです。

私達の食肉文化の中で発生する家畜の屠殺というシーンは、通常は見ることができません。
残酷なシーンを見せることで凶暴な人間ができてしまうことを避ける?
しかし、苦しみや痛みを我が身に置き換えて「可哀想」という感情を育てる機会を奪っているかも知れません。

難しい判断かも知れませんが・・・・

確かに、私は30歳ですが、母親父親の世代では当たり前だった、ニワトリを絞めることさえしたことありませんし、見たこともないですね。皮をはぐのも、想像するだけでぞっとします。

でも、自分たちが生きるための残虐さを、身近に感じることは、ある程度は必要なのかもしれないですね。相対的に、命の尊さを学ぶことになりますから。

まあ、動物は動くので同情しますが、植物にだって痛みや苦しみがあると思います。すべて、命あるものをいただくわけですから、肉食であれ菜食であれ、それが悪だとは思いません。よりよく生きるために生命を奪うことは「善」であり、決して悪ではないはずです。でなければ、生きていけないし、農業もできないし、害虫や害獣さえも殺せません。

白鳥を殺すという、生きるために必ずしも必要でない、無駄な生命の剥奪は、暴虐であり「悪」です。
基本的には、「殺す」現場を目の当たりにすることで、
「命を頂いているんだ」という認識につなげられると思うんですが…
私は鶏を絞めたことが何度かあります。やはり、後ろめたさというか、敬虔な気持ちというか、
そういう苦しさがありました。その上で、肉をありがたくいただきました。

一方で、子どもの頃には蝉やカエルなどにかなり残酷ないたずらをしたこともあります。
今では深く後悔している思い出ではありますが、しかし似たようないたずらをした経験がある方は、
決して少なくはないと思うのです。
白鳥を撲殺した少年たちも、そういういたずらの延長としてやってしまったようにも思います。
(普通は、中学生にもなればそんないたずらからは卒業しているもんだと思うんですが…)
蝉やカエルと、白鳥のあいだに、自分は境界線を引くのか?
と考えると、なかなか答えが見つかりません。
いや、もちろん蝉やカエルだっていいわけはないですが。
人間の本能には、他の命を苛んで喜ぶ部分があるのかもしれません。
「命を頂く」シーンを目の当たりにすることが、
逆にそういう本能を刺激してしまう可能性もありますね。


鹿肉の場合、「臭みがある」「硬い」というのが定評になってしまっているようです。
刺身ならまだ食べられるんだけど、ちゃんとした処理をしないと、肝炎のウィルスがあるんだそうで…
私は別にまずいとは思いませんでした。
そういうわけで、猟友会の人たちは、
猪や熊は喜んでねらいますが(喜ぶってのこのトピ的にはどうかと思うけど)、
鹿は駆除して補助金がもらえるから辛うじて撃つだけで、
すき好んで撃つことは少ないようです。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

新しい農業 更新情報

新しい農業のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。