ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

いるかコミュコミュのリレー小説「サーカス」第7回 りょ。

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
エピソード7 ぎんなん

恋におちました。

とぼくはトクトクいってる胸のなかでつぶやいて、頬を桃色に染めた。呼吸がくるしい。心臓が拳みたいにぎゅっと硬くなって、彼女の笑顔でいっぱいになったぼくの胸を、内側からはげしく殴りつけている。こころが内出血したみたい、熱をもって腫れ、じんじん痛む。
こんな気持になったのは、はじめてかもしれない。世界中の花という花が、ぼくらに向かっていっせいに咲いているような、甘くて、温かくて、美しい気持ち。それと同時に、それら花々がいっせいに散ってしまうような、儚くて、ひやりとして、悲しい気持ち。

恋におちました。
ぎんなんは、恋におちる音を、聴いたのです。
恋におちる音は、世界中の花がいっせいに咲く音と似ていました。
ぼくの風景は彼女の笑顔ひとつでこうも変わってしまいました。

これが恋なのか。恋を知ってしまった今、この素晴らしい風景を知らずに、よく19年間も黄色いTシャツを着て生きて来れたとおもう。
彼女が話す横顔。ぼくはただうっとりと見つめてる。フライドチキンを求めて伸びる彼女の指のその先に、ぼくはふたりの未来を探してしまう。
「そのフライドチキン、もう3コとって」
「みくちゃん、この時間にそんなに食べると、もっと太っちゃうわよ」
「モット? フトル? それどういう意味、エスペラント語?」
「うん、エスペラント語でブスっていう意味なの」
「ごめんねみく、めぐさん正直だから……」
「ねぇマモル、みくちゃんって昔からブスだったの?」
「ちょっとめぐさん、そう言うのって陰で言ったほうがいいよ、な、な、ぎんなん」
額に羽虫の卵のような汗をびっしりと浮かべた色男が、振り向いた。
「あ、ごめん、うっとりしてた。なに?」
「おいおい、うっとりするなよ、この状況で」
男に舌打ちをされて、ぼくはようやく、みくから視線をはずす。まわりを見まわした。
「山小屋! あっ、ケンタッキーフライドチキン、 え、あなた誰ですか」
「マモルだよ、頼むよ、ちょっと『うっとり』とは違うぞそれ、しっかりしてくれよ」
「冗談ですよ、覚えてますよ、やだな、もうあは、は」
とぼくは尋常をよそおいつつ、大胆に嘘をついた。みく以外だれも覚えてない。誰なんだこの人たちは。え、なんでぼくのことをそんな空気読めない小学生みたいな目つきで見るのだ。あぁ、恋って怖い。未知の節足動物に刺されて腫れあがったかのような分厚い一重まぶた、その内側に抱かれている渦を巻いた化学汚水のように濁った瞳、あぁこんなにもこの手で触れたいものが世界に存在するなんて、みく、みくに触れたい、みくを見ていると、ふたりを取り巻く一切合切の環境なんて、どうでもよくなってくる。
「じゃぁ、とりあえず、いまからどうするか考えようよ」
ちょっとうっとりしようと思うとすぐこれだ。いまいましい色男め。全然うっとりできないじゃないか。ぼくはしかたなく、ほんとうに嫌々、不当に権利を侵害された20世紀アルゼンチン市民の心持ちで、これからどうするか考えはじめた。

さて。これから、というより。
いったい何でぼくは今こんな所に居るんだろう。

あ、そうださっきまで居た隆夫と名のる男が山を下りていったんだ。ぼくとみくとマモル、そして見覚えのないやたらと声が色っぽい若い女が、四人で囲炉裏をかこんでいる。そういえば血糊のついた婆とスーツの男も居たような気がする。気のせいだろうか。と考えているぼくを苛立たしげにマモルが見ている。みくもみている。ぼくはあわてる。
「ぎんなん、ほんとうに覚えてる?」
「えあ、うん、さっきまでお婆さんと、スーツを着た男の人が居ましたよね、あ、というか、居た夢を見ました、あ夢っていっても寝ていた訳じゃなくて、まぶたと眼球のあいだにイメージが滑り込んだっていうか、連続する記憶の一枚だけを差し替えられたっていうか、まぁ脳内ニューロンの接続不良によるザッピングの一種なわけだけど、ぼくがこんなことを喋っているのはなにかを誤魔化そうなんて思っているわけではなくて、大丈夫だから、それはまるで血の匂いがした秋の夜の婆でした」
と言い終えるとみくは坐ったまま掴んでいたケンタッキーフライドチキンを大きく振りかぶってから理想的なフォームで前方に向かって全力で投げ、部屋を弾丸のように横切ったフライドチキンは山小屋全体が揺れるほどのすさまじい音をだして壁に到達、一瞬そのまま貼りついて、ずるりと床に落ちた。
「チキンにゴキブリが登ってきたから」
あ、そうなんだ。とみく以外の三人が声を出した。
「で、ぎんなん、それ別に夢じゃないよ。いまめぐさんのマネージャーがトイレに行きたいからって、婆さんに連れて行ってもらってるんだ」
「あぁ、そうだよね。知ってるさ、はは、めぐ、こんばんわ」
めぐ、そうだ、マモルの彼女の風俗嬢だ。マモルはため息をつき、めぐはまん丸の目でぼくをみた。でも大好きなみくはさっきから視線も合わせてくれない。なにか気に触ることを言ってしまったのだろうか。ぼくの純朴さを知って貰うために童貞であることをアッピールしたり、めぐの飲み会の誘いに話を合わせて気をひこうと姑息な会話をしたのがいけなかったのだろうか。そんな思いを知ってか知らずか、みくはケンタッキーフライドチキンを両手で掴んで食べている。むさぼっている。そんな鶏肉よりも寒さのあまり全身に鳥肌がたっているぼくに夢中になって欲しい。

マモルはさっきから何度も深いため息をついて、囲炉裏にむれる三人の顔を見まわしていた。
時間は深夜の1時を回ったばかりだ。火を焚いているとはいえ小屋全体の温度はしんしんと下がっていく。山へ来る準備をしていためぐだけが僅かに厚着だけど、ぼくもみくもマモルも着の身着のまま、明らかに薄着だ。四人は透明な壁を四方から押し合うみたいに、囲炉裏に両手をかざして身を寄せていた。外は暗い。窓からは何も見えなかった。
「あのふたり、遅いね」
「うん。トイレってそんな遠いところにあるのかな」
風が強く吹いて窓ガラスがいちど、大きく鳴った。
「ふたりは何分ぐらい前に出て行かれたんですか」
マモルが腕時計を見て時間を確認する。40分くらい前かな。そう答えてから顔をあげ、ぼくの目を覗き込む。
「ちょ、あのさ、けっこうマジで訊くんだけど、ぎんなんってさ、もしかして記憶障害とかなにか?」
「あ、ソレめぐ知ってる、メメントみたいなヤツでしょ、やぁだぁぎんなん、ヵゝゎレヽレヽ」
知能指数が視力と変わらないような声を出して、めぐがぼくの手を握った。
しかも、こっそり握った。
恥ずかしながら、どきっとした。あぁ山小屋に取り残された若い男女が四人、雰囲気的にこの繋いだ手をマモルに見られたらなにかバランスが崩れるな。と思った瞬間に囲炉裏の陰で握られたぼくとめぐの手のひらをマモルの槍のような視線が串刺した。
うわぁ、すごい顔、シーサーみたい。
すぐに彼女の手を振り払おうとしたけれど、もしこれをみくが見たら、すこしはヤキモチを焼いてくれるかな、これを機にぼくを男として、黄色いTシャツを着た本物の童貞の男として見直してくれるかな、とも思ってすこし胸を張り気味にめぐの手を握りかえした。びくん、とめぐが背筋を伸ばし、マモルの表情がいっそうシーサーに近づき、みくが油でてかてかに光った唇をすこし振るわせた。ばか、と切なく呟いたように見えた。ばか? なぜ。
「ちょっと男二人で外の様子を見てこよう」
シーサーは険しい表情のままいきなり立ちあがった。
「ぎんなん、行くよな」
いつになくマモルの声は強引だ。はい、とぼくは力なく立ちあがる。
「ならわたしも行くー! ね、みくちゃんも行こうよ行こうよ」
夜のピクニック、と楽しそうに鼻歌を歌ってめぐが立ちあがり、みくの手を引いた。マモルは「仕方ないな」という表情で膝を払うと、部屋の隅に置いてあった携帯用のランタンに火をつけはじめた。誰かがぼくのTシャツの裾をひき、振り返るとめぐが上目遣いにくちびるを噛みながら笑顔をみせている。
「ねぇ、さっきつないだ手のひらから、わたしが恋におちる音が、きゅっ、ってきこえたよ」
あぁ、誤解だ、誤解なんです。めぐさんマモルくん。きみらカップルは完全にぼくを誤解している。ぼくは黄色いTシャツを着た普通の童貞で、みくに激しく恋をしているだけの19歳の仮性包茎なのだ。ぼくにからむのはお門違いだ、むしろ笑ってくれている方がいい、みくの美しさに気づかぬ者どもよ、自らの審美眼を持たぬ美の迎合者め。
と何故か急激にテンションのあがったぼくは、先に外でてるね、といって山小屋を出た。月は雲に隠れていた。恐ろしく寒い。Tシャツのなかに両腕をしまい、ぼくはその場で足踏みをした。こんな山奥の中、トイレまで40分もあるわけがない。というか、気がつけば、こんなにも尿意が。もう、ここで立ち小便します。ふぅ、極楽、なんだ便所なんてどこだっていいじゃないか、どこまで行ったんだ彼らは。そして、ほんとうにこんな時間に山中を散策するのか。用をたしながらそんなことを漠然と考えていたときに、その声は突然、聞こえた。はじめは風の音かとおもった。しかし耳を澄まして聴いているうちに、単語があらわれ、音節が生まれた。
「あぁ……、ああぁっ、すてき、皺がすてき、そのように、ハイッハイッハイッハイ!!」
男のあえぎ声のようだ。でもすこしも色っぽくない。扉をノックして小屋の中の三人に知らせる。もうすぐ灯がつくから待っててー、とマモルが答える。
「ハイッハイッハイッハイ!!」
いつまでも先生にさされることのない小学生の挙手みたいに、その声は虚しく山中に響いていた。小屋の扉が開くと、一瞬だけ周囲の夜に光が差し込む。マモルがランタンをかざした時に、その声はぴたりと静まり、かわりにガサガサガサと足音がきこえた。
「え、なに、今の? 行ってみようよ、ね、ね、ね」
めぐがうれしそうに飛び跳ねると、マモルは「どうする?」とぼくに振り返る。みくは既に歩きはじめていた。月はまだまだ雲から出る気配がない。
「ある〜ひ、もりの〜なか、童〜貞に、毛が生え〜た」
ぜんぜん意味の分からないめぐの替え歌がきこえてくる。ぼくとマモルは一瞬なにかを共有したような気がして、視線を合わせると同時にため息をついた。
「いこっか」
「うん」
ぼくはそういって、みくの後を追った。

<つづく>

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

いるかコミュ 更新情報

いるかコミュのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング