ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

Turandot - トゥーランドットコミュの【Turandot】Nessun Dorma - 誰も寝てはならぬ

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
『誰も寝てはならぬ』(だれもねてはならぬ、伊:Nessun dorma)は、ジャコモ・プッチーニ作曲の歌劇『トゥーランドット』(伊:Turandot)のアリア。テノールのための名アリアとして有名であり、海外では歌い始めの歌詞から『Nessun dorma』の題で親しまれている。日本においても「Nessun dorma」を和訳した『誰も寝てはならぬ』が通称となっている。

 このアリアは最終幕である第3幕で、カラフによって歌われる。第2幕において、カラフはトゥーランドット姫への求婚者にだされる3つの難題を見事に解決した。それにも関わらず、姫はカラフとの結婚に難色を示す。そこでカラフは自分の名前を夜明けまでに当ててみせれば、結婚を諦めようと申し出る。ただし、名前を解き明かせなかったら、カラフとの結婚を姫は承諾しなければならない。そこで冷酷な姫は自国の国民に対し、カラフの名を解き明かすまでは寝ることを禁ずるというお触れを出す。そして、もし誰も解き明かせなかったら、国民を皆殺しにすると言う。

 第3幕は夜の時点から始まる。カラフは一人、宮殿から月に照らされた庭に出る。そこでトゥーランドット姫のお触れを聞くのだった。

 ここでアリア『誰も寝てはならぬ』がカラフによって歌われる。

 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



 動画:Luciano Pavarotti(ルチアーノ・パヴァロッティ) January 14,1980 NY

コメント(12)

■イタリア語(原文)
<<Il principe ignoto>>
Nessun dorma!
Nessun dorma!
Tu pure, o Principessa,
nella tua fredda
stanza guardi le stelle
che tremano d'amore e di speranza...

Ma il mio mistero è chiuso in me,
il nome mio nessun saprà!
No, no, sulla tua bocca lo dirò,
quando la luce splenderà!
Ed il mio bacio scioglierà
il silenzio che ti fa mia.

<<Voci di donne>>
Il nome suo nessun saprà...
E noi dovrem, ahimè, morir, morir!

<<Il principe ignoto>>
Dilegua, o notte!
Tramontate, stelle!
Tramontate, stelle!
All'alba vincerò!
Vincerò!
Vincerò!


■和訳
<<名の知られていない王子(カラフ)>>
誰も寝てはならぬ!
誰も寝てはならぬ!
姫、あなたでさえも、
冷たい部屋で、
愛と希望に打ち震える星々を見るのだ…


しかし私の秘密はただ胸の内にあるのみで、
誰も私の名前を知らない!
いや、そんなことにはならない、
夜明けとともに私はあなたの唇に告げよう!
そして、私の口づけが沈黙の終わりとなり、
私はあなたを得る。

<<コーラス(女声)>>
誰も彼の名前を知らない…
私たちに必ず訪れる、ああ悲しい、死が、死が訪れる。

<<名の知られていない王子>>
おお夜よ、去れ!
星よ、沈め!
星よ、沈め!
夜明けとともに私は勝つ!
私は勝つ!
私は勝つ!


■プラシド・ドミンゴ(Plácido Domingo,1941年1月21日 - )
 スペイン・マドリード生まれの世界的に著名なテノール歌手。指揮者、歌劇場芸術監督としても活動している。両親はサルスエラ歌手。1949年、サルスエラ劇団を経営する家族とともにメキシコに移住、両親の一座で子役として舞台に立っていた。55年メキシコシティの国立音楽院に入学してピアノと指揮を学ぶ。1959年、メキシコ国立歌劇場でテノール歌手としてデビュー。1961年にはモンテレー(メキシコ)でアルフレード(椿姫』)を歌い、本格的な初主演を飾る。
 年長のルチアーノ・パヴァロッティ(故人)、年下であり同じくスペイン出身のホセ・カレーラスと共に「3大テノール」としても広く知られる。


 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


■ホセ・カレーラス(カタルーニャ語表記:Josep Carreras i Coll,スペイン語表記:Jose Carreras i Coll,1946年12月5日 - )

 スペイン・カタルーニャ州バルセロナ生まれの著名なテノール歌手。ヴェルディやプッチーニなどのオペラの名唱で知られる。ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴとともに「三大テノール」演奏会に出演し広く名声を得た。
 幼い頃から音楽的才能を現した。8歳でスペイン国立放送に出演『女心の歌』(ヴェルディ)を歌い初めての公開の演奏を行った。11歳でバルセロナのリセウ大劇場でファリャの『ペドロ親方の人形芝居』のボーイソプラノ役の語り手と、プッチーニの『ボエーム』第二幕の子役を歌った。
 十代でスペインの名門音楽院であるリセウ音楽院で学んだ。リセウ劇場に『ノルマ』のフラヴィオ役でデビューし、主役ノルマを歌った著名なソプラノ歌手モンセラート・カバリエに注目された。彼女はカレーラスをドニゼッティの『ルクレツィア・ボルジア』の上演に招き、これがカレーラスの最初の大きな成功のきっかけとなった。

 情熱的で懸命な歌唱がカレーラスの最大の武器で、高音は十全に出ないし、声量も不足ぎみという弱点を抱えつつも、懸命な歌唱ぶりが独特の魅力となって、パヴァロッティ、ドミンゴに続く世代における世界的スターの座へと駆け上がるに至った。童顔の風貌もカレーラスの歌唱様式の魅力を引き立てるものとなった。もともとの声質は軽やかなリリコであったが、やがて重く劇的な声質を必要とするスピント系の役にも進出し高い評価を得る。

 1987年、キャリアの頂点にあったカレーラスは白血病の診断を受け、回復の可能性は10%であると宣言された。彼は全財産を投じて治療を行ったにもかかわらず完全には回復できなかったが、白血病患者を支援しているHERMOSA財団の助けで療養して生還し、歌手キャリアに復活することができた。後にカレーラスはこの団体は政治的・芸術的ライバルであるドミンゴが特にカレーラスを支援するために創立したものであることを知る。このことに深く感動したカレーラスは、ドミンゴのある演奏会の舞台に上ると跪いて許しを求めた。ドミンゴはカレーラスを立たせると2人で抱きあい、それから特別な友情が始まったのである。

 1988年、カレーラスは白血病の研究と骨髄提供者の登録の支援事業に財政的支援を行う慈善活動のため「ホセ・カレーラス国際白血病財団」を設立した。


 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



■ルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti,1935年10月12日-2007年9月6日)

 イタリア・モデナ生まれの著名なテノール歌手。「キング・オブ・ハイC(二点ハの王者)」、「神に祝福された声」と評された豊麗な美声、申し分ない声量、明晰な発音、輝かしい高音が魅力の名テノールであった。

 パヴァロッティは元来、リリコ・レッジェーロ(叙情的で軽やかな表現に適した声質)と呼ばれる声質のテノールである。デビュー後名声を築いていった1960年代は、高音が最大限に映えるドニゼッティ、ベッリーニなどのいわゆる「ベル・カント・オペラ」がレパートリーの中核をなし、これらの作品の上演、録音により、パヴァロッティは世界有数のテノールという評価を確立した。当時のパヴァロッティのレパートリーにおいて、ヴェルディなどベル・カント以降の作品も高音が特に必要とされる役が多くを占めていた。

 やがて1970年代以降、パヴァロッティは劇的なスピント系の役に進出していく。一例としてヴェルディ作品を見ると、パヴァロッティがヴェルディ作品で歌った役は高音を必要とする3つの役だったが、前記のリッカルドや、1975年にはマンリーコ(『トロヴァトーレ』)、1981年にはラダメス(『アイーダ』)にそれぞれ挑戦、1991年には演奏会形式で、古今の歌劇の中でも特に重厚な歌唱を要求される『オテロ』(同名作品)を歌い、1992年に歌った『ドン・カルロ』(同名作品)までの挑戦を経て、彼の歌ったヴェルディ諸役は13に増えた。そのうち12のヴェルディ作品については録音している。

 パヴァロッティがスピント系の役をレパートリーに加えていくに当たって、元来スピント系の声質でないことに由来する劇性の不足を補う意図から、アクセントの強調などを歌唱に取り入れていく様になった。このある種の誇張が後輩歌手たちにも影響があったといわれており、賛否のあるところである。


 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


■ラッセル・ワトソン(Russell Watson, 1966年11月24日 - 1972年説もあり)

 1972年11月24日イギリス北西部マンチェスター近郊のサルフォード生まれ。子供の頃はサッカー好きなごく普通の少年だった。ラッセル曰く、サルフォードの子供は将来「サッカー選手」になるか「ミュージシャン」になるか、はたまた「工場で働くか」という選択肢だったそう。父親が工場で働いていたこともあり、周り(典型的なイギリス労働者階級)からはラッセルも将来は工場で働くもの、と思われていたが、エンターテイメントと歌に憧れていたラッセル少年はミュージシャンへの道をあきらめなかった。十代の頃地元ラジオ局のタレント・コンテストで400人の参加者の中を勝ち抜き優勝を飾る。

 16歳でマンチェスターのエンジニア会社に就職し、仕事の傍らクラブやホールで歌を聴かせていた。マネージャーとふたりスーツとスピーカーを持って車で会場へ向かう毎日。ある日労働者の集まるクラブでのステージの最後にプッチーニの歌劇《tゥーランドット》の〈誰も寝てはならぬ〉を歌った。この手のクラブでオペラ・アリアが受けることは難しいものだが、ラッセルは大絶賛のスタンディング・オベーションを受けた。これが彼の成功の始まりだった。

 マンチェスターのホテルでのチャリティ・ショーに出演した時、会場に来ていたサッカー・チームのマンチェスター・ユナイテッドの重役、マーティン・エドワードが感動し、ユナイテッドの試合で歌ってくれと依頼する。試合開始直前に披露したラッセルの歌声はスタジアムに集まった数万人の観衆の心を捉え大歓声を浴びた。

 その後、99年ラグビー・ワールドカップや、サッカー・ユーロカップのファイナル・ゲームなど大きな大会で歌ったり、クリフ・リチャードのコンサートのスペシャルゲストとして出演するなど、大センセーションを巻き起こした。

 そして2000年9月にイギリスでリリースされたデビュー・アルバム『The Voice』はポップ・チャートでTop5を記録、クラシック・チャートでは16週連続No.1を獲得。11週連続ポップ・チャート20位以内ランク・インを記録し、UKで70万枚を超える大ヒットとなった。

 オペラの名曲をはじめ、フレディー・マーキュリーの「バルセロナ」、ウルトラヴォックスの「ヴィエナ」、ポール・サイモンの「明日に架ける橋」などロック/ポップス・ナンバーまで幅広く歌いこなすララッセル。アルバムでは、ショーン・ライダー(ハッピー・マンデーズ)、モイヤ・ブレナン(クラナド)、クレオパトラ・ヒギンズ(クレオパトラ)らのアーティストとともに、ジャンルを超えた名曲を七色の歌声で見事に歌い上げている。

 出典:UNIVERSAL MUSIC
《ルチアーノ・パバロッチイの死を悼む》
 トリノ冬季オリンピックの開会式で「Nessun Dorma」を唄った、オペラ界の巨匠ルチアーノ・パバロッテイが2007年9月6日に逝去されました。 開会式の歌唱は後で「口パク」と分かりましたが、巨匠の体調不良によるもの・・・! むしろ巨匠の唄っている様な姿こそ存在感自体に十分価値があり世界に感動を与えました。
 此処に改めて巨匠Ruciano Pavarottiの逝去を謹んでお悼み申しあげます。

《ルチアーノ・パヴァロッテイの死を悼む》
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=556839859&owner_id=5445448


■ジュゼッペ・ジャコミーニ(Giuseppe Giacomini, 1940年9月7日-)

 1940年9月7日、パドヴァ・ヴェッジャーノ(伊)生まれ。イタリアのテノーレ・ドラマーティコ。
 情熱的で劇的な声質とその豊かな表現力が印象的。

 パドヴァのポッリーニ音楽院を首席で卒業後、トレヴィーゾでマルチェッリのヴィオッティ・コンクールをはじめアドリア、スカラ座、サン・カルロ等で行われた国際コンクールで優勝を重ねた。
 1967年ヴェルチェッリでの「蝶々夫人」でオペラデビュー。その後、ミラノスカラ座、メトロポリタン歌劇場、ハンブルグ国立歌劇場、英国ロイヤルオペラ、ベルリン・ドイツ・オペラ、ウィーン国立歌劇場、パリ・オペラ座、フィレンツェ五月音楽祭等、世界中の歌劇場で活躍を続け、洗練されたイタリアのテノーレ・ドラマーティコとして絶賛を博している。主なレパートリーは「運命の力」のドン・アルヴァーロ、「トスカ」のカヴァラドッシ、「アイーダ」のラダメス、「道化師」のカニオが挙げられる。  
 日本では藤原歌劇団のアイーダで初来日。以降数回に渡り来日公演を行い会場を圧倒するドラマティックな歌声で多くのファンを魅了した。近年では2000年にノルウェー国立劇場で「トスカ」のカヴァラドッシ、チューリッヒ歌劇場で「サムソンとデリラ」のサムソン役をつとめ、絶賛を博した。


ジュゼッペ・ジャコミーニ コミュニティ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=910067


動画:Luciano Pavarotti(ルチアーノ・パヴァロッティ) April 13th 1982

The Essential Pavarotti (DVD)
Royal Gala Concert - Royal Albert Hall
Royal Philharmonic Orchestra
Conductor Kurt Herbert Adler
Recorded in April 13th 1982


動画:Luciano Pavarotti(ルチアーノ・パヴァロッティ) 
2006 Winter Olympics, Torino, Italy Opening Ceremony
Luciano Pavarotti his last performance
ジュゼペ・ジャコミーニとルチアーノ・パヴァロッティの歌唱ダイナミックで大好きです!!
大好きなテノールアリアの一つです。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

Turandot - トゥーランドット 更新情報

Turandot - トゥーランドットのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。